大阪高等裁判所 平成24年(ラ)913号 決定 2013年5月23日
抗告人(債務者)
Yバス株式会社
上記代表者代表取締役
A
上記代理人弁護士
中川克己
同
宮里華子
同
原英彰
同
久保田興治
相手方(債権者)
X
上記代理人弁護士
岩城穣
同
中西基
同
立野嘉英
平成24年7月13日付け原決定に対する保全抗告につき,当裁判所は次のとおり決定する。
主文
1 本件保全抗告を棄却する。
2 抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
第1抗告の趣旨
1 原決定を取り消す。
2 神戸地方裁判所尼崎支部平成24年(ヨ)第13号義務不存在確認仮処分申立事件について,同裁判所が平成24年4月9日にした仮処分決定を取り消す。
3 相手方の上記義務不存在仮処分命令の申立てを却下する。
第2事案の概要
1 本件は,抗告人の従業員であり身体障害を有する相手方が,勤務シフトにおいて従前受けてきた配慮を受けられなくなったことから,抗告人に対し,従前受けてきた配慮された内容以外の勤務シフトによって勤務する義務のない地位にあることの仮の確認を求めて,仮処分申立てをした(以下「本件仮処分申立て」という)事案である。
2 前提事実(争いがない事実並びに後掲各証拠及び審尋の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 当事者
ア 相手方は,昭和43年○月○日生の男性であり,平成4年11月,a株式会社(以下「申立外会社」という)にバス運転手として入社し,平成21年4月1日,申立外会社の自動車運送事業部門が抗告人に承継されたことに伴い抗告人に転籍し,抗告人においてバス運転手として稼働している者である。また,相手方は,c労働組合(以下「申立外会社労組」という)に所属していた。
イ 抗告人は,平成17年に申立外会社グループのバス事業会社として設立され,阪神地域における路線バス事業等の一般旅客自動車運送事業等を行っている株式会社である。抗告人は,平成21年4月1日,申立外会社を吸収分割会社とし,抗告人を吸収分割承継会社とする会社分割契約(以下「本件会社分割契約」という)により,申立外会社の自動車運送事業部門を承継したものであり,平成22年4月時点での社員数は,417名である。なお,平成24年3月時点での運転士数は368名である。
(2) 抗告人における勤務シフト
抗告人において,バス運転士である従業員の勤務シフトについては,労働協約や就業規則により,次のとおり定められている。
ア 抗告人は,バスの路線及びダイヤに個別に対応した運転士の勤務シフト(以下「運番」という)を作成し,どの従業員がどの運番を担当するかを,乗務日の3日前に乗務員点呼簿に掲示する方法により業務命令を行う(証拠<省略>)。
イ 抗告人は,上記業務命令にあたり,休日出勤の頻度や時間外労働時間数において各乗務員に可能な限り公平に運番が割り当てられるように,一定の規則性を有する割り振り順により運番担当を決定するシステムを採用している(以下,この割り振りを「乗務循環」という)。
(3) 相手方の疾病発症と後遺障害の残存
ア 相手方は,平成9年4月25日,腰椎椎間板ヘルニアに罹患し,b病院において手術を受け,同年12月まで休職した。
イ 相手方には,腰椎椎間板ヘルニア術後の後遺障害として,末梢神経障害ないし馬尾症候群による排尿及び排便障害(以下「本件身体障害」という)が残存した(証拠<省略>)。
(4) 相手方に対する勤務配慮の経過
ア 相手方は,平成10年1月から復職した。復職に先立ち,相手方と申立外会社が協議し,申立外会社は,相手方の勤務シフト等において必要な配慮(以下「勤務配慮」という)を行うことになった。
イ その後,遅くとも平成15年4月までに,相手方に対する勤務配慮は,午後の比較的遅い時間からの運番ばかりを担当させるという内容を含むものとなった(以下「本件勤務配慮」という)。
ウ 相手方は,腰椎椎間板ヘルニアの悪化により,平成17年3月から同年9月まで再度休職した。
エ 申立外会社は,相手方と協議の上,平成17年10月に相手方が復職するに際し,相手方の希望に沿って,従前どおり,本件勤務配慮を行うこととした。
(5) 会社分割と勤務配慮者の取扱い
ア 申立外会社と申立外会社労組とは,自動車運送事業の抜本的な収支改善と地域交通としてのバス事業の存続を図るため,平成19年9月3日,経営協議会において,申立外会社から自動車事業経営改善計画が提案されて以降,抗告人への会社分割に向け,労使間の協議,交渉を重ね(証拠<省略>),その結果,平成20年6月20日,申立外会社の自動車運送事業部門を,平成21年4月1日付けで抗告人に統合し,バス事業として継続すること,これに伴い,申立外会社従業員は,同年3月31日付けで同社を退職し,同年4月1日付けで抗告人に転籍すること,基本給は,原則として申立外会社での退職時の本給を移行すること,労働条件は,抗告人の労働条件のとおりとすること等を内容とする「大綱合意」を締結した(証拠<省略>)。
ところで,抗告人においては,申立外会社において行われていたバス運転士に対する勤務配慮は一切行われていなかった。
そこで,大綱合意及びこれについての会社説明会における資料においては,就業規則・賃金規則等の諸規則につき,安全意識の向上,勤怠規律の厳正化,出勤率の改善を目的とした就業規則の一部改定を行うとされており,その中で,勤務配慮は原則として認めないこととされた(証拠<省略>)。
イ 申立外会社,申立外会社労組,抗告人及びYバス労働組合は,バス事業の承継に伴う従業員の労働条件等について協議した結果,平成20年7月10日,「4者協議に関する合意書」を締結した(証拠<省略>,以下,上記合意を「4者合意」という)。そして,4者合意の合意書「別紙ロ」において,「大綱合意…の労働条件について,下記の項目について取扱いを変更」するとし,「その他の支部労働条件・慣例(勤務配慮について)」との項目の中で,「勤務配慮は原則として認めない」とされた。
ウ 申立外会社は,同年10月24日,申立外会社労組と協議のうえで,「勤務配慮者の取り扱いについて」と題する書面(証拠<省略>)を従業員らに交付した。同書面には,平成21年1月1日以降,現在行っている勤務配慮を全廃し,下記の内容を含む,新たなルール(以下「新ルール」という)を作成し運用する旨の記載がある。
① 原則,半年を超える勤務配慮は行わない。
※ 半年を超える場合は,自宅養生で病気等完治するまで乗務させない。
② 「勤務配慮願い」を提出していても,内容によっては認めない場合がある。
※ 会社は,内容を吟味したうえで,正当性がない場合は受理しない場合がある。
(6) 相手方の対応及び転籍
ア 相手方は,平成20年11月11日付で,「勤務配慮願い」を申立外会社に提出した(証拠<省略>)。相手方は,同書面の「希望する勤務配慮・期間」欄に,「午後からの出勤で比較的アジャストに余裕のある勤務時間の短い勤務」,「期間は長期的(未定)」と記載した。
イ 相手方は,平成21年4月1日,会社分割に伴い,申立外会社から抗告人に転籍し,同日から平成22年12月末日まで,本件勤務配慮を受けた。
(7) 勤務配慮の打切り
ア 相手方に対する本件勤務配慮は,平成23年1月以降行われないことになり,乗務循環による運番により勤務をすることになった。
イ 相手方の平成23年1月から同年3月までの間の勤怠状況は,当日欠勤(勤務日前日の午後10時以降に欠務連絡した場合)が17回であった(証拠<省略>)。
(8) 仮処分の申立て及び本案訴訟の提起
ア 相手方は,平成23年3月4日,抗告人を相手方として,神戸地方裁判所尼崎支部に地位保全仮処分を申立て(同裁判所平成23年(ヨ)第13号,以下「前件仮処分」とういう),同年8月4日,次の内容の和解(以下「前件和解」という)が成立した(証拠<省略>)。
① 抗告人と相手方は,抗告人が相手方を平成23年8月8日から平成24年3月31日までに限り,下記の内容の勤務シフトにより勤務させることに合意する。
(ア) 抗告人は,相手方に対し,出勤時刻が午後0時以降となる勤務を担当させる。
(イ) 抗告人は,相手方の勤務シフトを決定するに当たり,原則として前日の勤務終了から翌日の勤務開始までの間隔を14時間空けることとし,最短でも12時間以上空けることとする。
(ウ) 抗告人は,相手方に対し,原則として時間外勤務とならない勤務を担当させる。
② 相手方は,できる限り当日欠勤及び乗務命令確定後の年休申請をしないよう努力する。
イ 相手方は,平成23年8月26日,抗告人を被告として,神戸地方裁判所尼崎支部に対し,本件の本案訴訟に該当する義務不存在等請求訴訟を提起した。
ウ 前件和解の内容に沿った勤務シフトとなった平成23年8月8日から平成24年3月14日までの相手方の勤怠状況は,3日前以降前日までに連絡して欠勤した回数が1回,当日欠勤が2回であった(証拠<省略>,なお,当日欠勤のうち1回は,事前に連絡があったものの,年休の残日数がなかったため,当日欠勤として扱われたものである)。
3 争点
(1) 被保全権利(本件勤務配慮の位置づけ及び4者合意との関係等)
(2) 保全の必要性
(3) 本件仮処分申立て内容が前件和解の効力と抵触するか
第3争点に関する当事者の主張
1 争点(1)(被保全権利)について
(1) 相手方
ア 被保全権利
① 勤務配慮の位置づけ
相手方に対して本件勤務配慮がなされることは,相手方と抗告人間の合意(口頭での確認)に基づくものであって,労働契約の内容としての労働条件である。
申立外会社の勤務配慮制度下において,相手方は,申立外会社と協議の上,平成12年ないし13年ころ又は平成15年4月以降,①午後の比較的遅い時間からの運番ばかりを担当する,②原則として時間外勤務とならない運番を担当する,③その結果,原則として前日の勤務終了から翌日の勤務開始までの間隔が14時間以上空くこととなるという勤務シフトによって勤務することが労働条件として合意決定されていた。
② 本件勤務配慮の抗告人への承継
(ア) 相手方と申立外会社間の労働契約は,本件会社分割契約により,相手方が主として従事する自動車運送事業が申立外会社から抗告人に承継されるのに伴い,申立外会社から抗告人に承継された。
仮にそうでないとしても,相手方は自動車運送事業に主として従事する者であるから,相手方には会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律(以下「労働契約承継法」という)4条1項の定める異議申出権があり,異議の申し出がなされたときは,労働契約は抗告人に承継されるが,本件では同法2条1項の労働者への通知がないところ,相手方が自動車事業経営改善計画に関する同意書(証拠<省略>,以下「本件同意書」という)において抗告人への承継を希望していること,同法のもとでは,承継事業に主として従事する労働者の労働契約は,会社分割によって承継会社等に承継されることが原則であることによれば,相手方と申立外会社との労働契約は抗告人に承継された。また,平成12年商法等改正法附則5条は,会社法の規定に基づく会社分割に伴う労働契約の承継に関しては,会社分割をする会社は,労働契約承継法2条1項の通知をすべき日までに,労働者と協議するものとすると定めている(以下「5条協議」という)が,本件では,申立外会社から相手方に対して個別の面談をしたうえで,その希望を聴取することが全く行われていないなど,5条協議が実施されていないから,その不履行の効果として,相手方は抗告人に対して労働契約の包括承継を主張できる。
会社分割により承継会社等に労働契約が承継される場合,承継前の労働契約内容(労働条件)は,そのまま承継されるのが原則である。したがって,本件勤務配慮も抗告人に承継された。
(イ) 本件同意書は本件勤務配慮を変更するものではない。
仮にそうでないとすると,相手方には要素の錯誤があるから,本件同意書による変更同意は無効である。
仮にそうでないとしても,本件同意書は労働契約承継法の規定を潜脱するものであるから,本件同意書による変更同意は無効である。
(ウ) 以上によれば,相手方は,抗告人に対して,労働契約に基づき,本件勤務配慮を行うことを求めることができる。
イ 4者合意について
本件勤務配慮は,障害者である相手方への合理的配慮として公序良俗(民法90条)及び相手方抗告人間の信義則(民法1条2項)を構成しており,本件勤務配慮の停止は,合理的配慮の欠如として,障害者差別に該当し,公序良俗及び信義則に反して無効となる。
① 4者合意の適用対象外
障害を理由とする勤務配慮の否定は,合理的配慮の否定として障害を理由とする差別に該当するのであるから,4者合意においては,治癒する可能性のない障害を理由とする勤務配慮については想定外であったというべきであり,本件身体障害を理由とした本件勤務配慮については,4者合意の適用はない。
② 4者合意の例外
仮に,4者合意の適用範囲にあるとしても,4者合意においては,勤務配慮を原則として認めないとしているのみで,例外の存在は認められているのであり,治癒する可能性のない本件身体障害を理由とする本件勤務配慮については,4者合意の例外として,半年という期間の限定なく認められるべきである。
③ 4者合意の規範的効力の不存在
仮に,4者合意が本件勤務配慮をも対象としていたとしても,本件勤務配慮は,抗告人には何ら過度な負担にならない一方で,相手方にとっては就労を継続できない事態となり,その不利益は著しく,4者合意の内容は,障害者差別として,公序良俗に反し著しく不合理であるから,相手方のような障害を持つ労働者に対しては,労働協約として規範的効力を有しないというべきである。
また,4者合意は,相手方のような障害を持つ労働者にとって著しい不利益をもたらす内容であるにもかかわらず,申立外会社からも,申立外会社労組からも,相手方の意見聴取の機会がなく,相手方の意思が使用者と労組との交渉過程に反映されているとはいえない。かかる手続欠落の点からも,4者合意は,労働協約としての規範的効力を有しない。
ウ 相手方に対する勤務配慮の必要性
① 相手方には,腰椎椎間板ヘルニア術後の後遺障害として,末梢神経障害ないし馬尾症候群による排尿及び排便障害(本件身体障害)があり,現在の日常生活上の症状は排便障害(強度の便秘)である。
② 相手方には直腸脱の障害もあるが,これは上記排便障害に起因するものである。したがって,直腸脱を手術により根治したとしても,上記排便障害は解消されない。なお,直腸脱による日常生活上の支障はなく,手術によりかえって上記排便障害を悪化させるリスクがあることを考慮すると,手術の適用はない。
エ 相手方と抗告人の合意についての反論
「勤務配慮の原則的終了」に関する相手方と抗告人間の合意が,①相手方が転籍合意(本件同意書)を提出した時点,及び,②新ルール実施時点の少なくとも2回の時点で成立しているとの抗告人の主張は争う。すなわち,勤務配慮の取扱いが初めて取り上げられたのは,平成20年7月10日の4者合意においてであり,4者合意に先立って労使協議における協議内容等が相手方ら一般組合員に知らされることはなかったし,相手方が意見を聴取されるような機会も一切なかった。また,相手方は都合により会社説明会を欠席したため,そこでどのような説明がされたのかは知らないし,本件同意書の記載からは,「大綱合意」の後に4者合意によって変更された労働条件の変更等がどのように取り扱われるのか判然としない。なお,相手方は,本件同意書提出前に申立外会社労組の分会長に対し勤務配慮がどうなるのか尋ねたところ,「その点は今後(検討する。)」と言われた。
(2) 抗告人
ア 被保全権利
① 勤務配慮の位置づけについて
勤務配慮は,申立外会社の自動車部門の各現場及び事業所において平成20年12月まで行われていた事実上の温情的措置であり,労働条件ではない。
② 本件勤務配慮の抗告人への承継
本件会社分割契約では,申立外会社の従業員に係る労働契約及びこれに付随する一切の権利義務は,抗告人に承継されない旨合意されるとともに,抗告人は,申立外会社の従業員のうち大綱合意に基づいて抗告人への転籍に同意した者に限り,雇用するものと合意された(証拠<省略>)。そして,抗告人は,平成20年8月15日付けの本件同意書(証拠<省略>)において,大綱合意に基づき,平成21年3月31日付けで申立外会社を退職し,同年4月1日付けで抗告人へ転籍することを選択し,同日付けの労働契約書(証拠<省略>)の労働契約を締結した。ちなみに,申立外会社は,上記転籍に際し,転籍者に対して退職一時金300万円及び転籍協力金300万円の合計600万円を支給し,抗告人もこれを受領している。したがって,本件には,労働契約承継法の適用はない。
勤務配慮は上述のとおり事実上の温情的措置にすぎないものであったし,また,仮に,労働条件であったとしても,その労働条件を「Yバスの現労働条件のとおりとする」,すなわち,抗告人に転籍後は勤務配慮を原則として行わないと変更することは,労働組合の機関決定を経て合意に至ったもの(4者合意)であることから,相手方にもその合意の効力が及び,その合意の規範的効力により,本件勤務配慮は抗告人には承継されないものである。
イ 4者合意について
4者合意は,労使での真摯な協議と交渉の結果確認された「大綱合意」に基づいて協議した結果成立したものであり,その中で勤務配慮は原則として認めないとの結論に達している以上,相手方にもその規範的効力は及ぶものである。また,抗告人の今回の措置が障害者に対する差別であり,公序良俗及び信義則に反して無効であるとの相手方の主張については,全面的に争う。
① 4者合意の規範的効力
申立外会社においては,温情的措置として勤務配慮を行っていたものの,最大で全乗務員の4.3%に当たる勤務配慮者を抱え,通常勤務を続ける者にそのしわ寄せが及ぶなど大きな支障が生じていた。それでも申立外会社であればその他の部門の収益により自動車運送事業部門の不採算をカバーすることが可能であるが,バス事業の専業会社である抗告人においては,バス事業のみで採算をとらなければならず,そのためには必要最小限の人員で効率の良いシフトを組む必要があるとの認識に基づき,申立外会社で行われていたような勤務配慮は一切行われていなかった。
そこで,申立外会社の自動車運送事業部門を抗告人に事業統合するに当たっては,勤務配慮は原則として認めないことを労使の共通認識とすることが大前提であると考えられていた。このような事情の下で,経営協議会において自動車事業経営改善計画が提案され,申立外会社の人事処遇を抜本的に見直し,自動車部員は抗告人へ転籍とし抗告人の賃金制度及び労働条件を適用することとして,これにつき労使で真摯な交渉が重ねられた。
その結果,申立外会社労組は,平成20年6月20日の団体交渉において「大綱合意」につき合意に達し,その後の中央委員会で抗告人への転籍を含む「自動車事業経営改善計画」の内容受諾を決定し,その後の定期大会においてこれを承認した。
そして,上記「大綱合意」の具体的内容を4者で協議し,平成20年7月10日,勤務配慮は原則として認めないとの結論で合意に達したのが,4者合意である。
以上のとおり,勤務配慮の取扱いは労働組合の機関決定を経て合意に至ったものであり,相手方にも規範的効力が及ぶものである。
② 相手方に対する勤務配慮の必要性
相手方には,そもそも勤務配慮の必要性がない。
相手方の欠勤状況に照らして検討すると,体調不良により当日欠勤が必要な状況であったのか疑問な点が多く,当日欠勤の日数は勤務配慮の有無とは無関係ともいえる。また,相手方の病状について,膀胱・直腸の機能に関する医学的,科学的な検査が行われた様子もなく,排泄機能についての不都合の程度は,本人の申告に基づくものが大きい。相手方提出にかかる診断書でも,どの程度の障害がありどのような勤務配慮が必要かが明確に記載されていない。
しかるに,病状や障害の程度に関する相手方の説明や主張は,不自然かつ不合理であって信用することができず,相手方に対する勤務配慮の必要性はない。
相手方の主たる疾患は直腸脱であるが,これは手術により治療することが可能な疾患である。
③ 本件勤務配慮に伴う抗告人の負担
本件勤務配慮を行うことは,抗告人及び抗告人で勤務する他の従業員にとって多大な負担となっている。
相手方に割り当てている「深夜短時間運番」は,数が少ないという意味で貴重であり,改善基準告示遵守,過労防止や安全配慮の観点からも必要なものであるところ,相手方に固定的に同運番を割り当てることは,他の乗務員の負担を増大させ,過労防止や安全配慮の観点からの支障が大きいものである。また,相手方への運番の割当ては,通常のローテーションに従って長短様々な運番を担当している他の乗務員との関係で著しく不公平であり,他の乗務員の納得は得にくく,職場のモラル低下にも繋がる。
そして,当日欠勤による負担についても,欠便が許されない旅客自動車運送事業において代替要員の確保は多大な負担であるし,相手方の待遇も,本来は就くことのできない職階となっており,明らかに抗告人における他の従業員への待遇との関係で相当性を欠くものである。
ウ 相手方及び抗告人間の合意について
相手方抗告人間で,転籍後も本件勤務配慮を継続することの黙示の合意があったとも到底いえない。かえって,本件勤務配慮の原則的終了に関する相手方抗告人間の合意が,①相手方が本件同意書を提出した時点,及び,②新ルール実施時点の少なくとも2回の時点で成立している。
2 争点(2)(保全の必要性)について
(1) 相手方
ア 相手方は,勤務配慮が中止された平成23年1月以降,勤務日当日になってから欠勤せざるを得ない状況が継続したが,この場合相手方の給与は大幅に減額され,解雇されるおそれがある。
イ 前件和解の期限は平成24年3月31日であるところ,抗告人は,期限到来以降,相手方を通常の乗務循環に戻そうと考えていることが明らかである。
ウ そのような状況になれば,相手方に回復困難な著しい損害が生じることが明らかである。
(2) 抗告人
保全の必要性の存在を争う。
なお,原決定の命ずる勤務配慮について終期がない点も不当である。
3 争点(3)(本件仮処分申立て内容が前件和解に抵触するか)について
(1) 抗告人
前件和解に至る経過にかんがみると,前件和解において,平成24年4月1日以降については,相手方に対する勤務配慮を認めないことについて双方が合意したものである。したがって,本件仮処分申立ては,前件和解に抵触し,また,前件和解の合意内容に反する不当な紛争の蒸し返しである。
(2) 相手方
前件和解は,平成24年3月31日までの期限を区切った暫定的な合意であり,同年4月1日以降については何らの定めもなく,本件仮処分申立ては前件和解に抵触しない。
第4当裁判所の判断
1 上記第2の2の事実に加えて,後掲各証拠及び審尋の全趣旨によると,次の事実を認めることができる。
(1) 本件身体障害について
ア 相手方は,神経因性膀胱の診断を受けているところ,神経因性膀胱とは,膀胱支配神経に何らかの原因により器質的障害が生じ,糞尿及び排尿の機能に異常が起こった状態をいう。神経因性膀胱は,脊髄損傷によって生ずるものであり,その症状は,主として膀胱障害である。もっとも,相手方の排尿障害については,平成24年3月段階では,日常生活に支障がない程度に制御できるようになった(証拠<省略>)。
イ 相手方は,神経因性直腸障害の診断も受けているところ,これも脊髄損傷に起因する直腸機能障害による排便障害,すなわち排便困難であり,その場合,排便管理としては,排便周期を一定させることが最重要である。
個人に応じた排便周期を把握するために,本人に適合した下剤を選択する必要がある。
(2) 抗告人における運転士の業務内容及び相手方の待遇
ア 抗告人においては,バス路線ごとに乗務系統表を作成し,各運転士の乗車・降車時刻等を定めた多くの運番を規定し(証拠<省略>),これを可能な限り公平に各乗務員に割り当てる(証拠<省略>)。
イ 抗告人のバス路線には,乗合路線のほかに,空港線及び高速線(昼行便及び夜行便)があり,運転士の職階に応じて,適用する基本給の上限及び運転資格が定められている。職階は,下位から順にM4,M3,M2,M1であり,このうち,M4は乗合路線のみを担当し(基本給上限19万2000円),M3は乗合路線のほか,空港線を担当し(基本給上限22万3000円),M2(基本給上限30万円)及びM1(基本給上限33万円)は乗合路線及び空港線のほか高速線を担当する(証拠<省略>)。
ウ 相手方の職階は,平成21年4月1日以降,M2であり,平成23年4月時点の基本給は26万9060円であった(証拠<省略>)。
(3) 相手方が当日欠勤した場合の抗告人の対応について
平成22年8月1日,相手方は,運番が発表された後に欠勤することになった。このとき,相手方が担当することとなっていた路線は,「予備10」の運転士が担当し,「予備10」の運転士が担当する予定であった業務については,別の運転士3名が分担して担当した(証拠<省略>)。
(4) 障害者に対する配慮に関する国の方針
厚生労働省が策定し,平成21年3月5日に告示した障害者雇用対策基本方針は,事業主が行うべき雇用管理に関する指針を示すことにより,障害者の職業の安定を図ること等を目的としている。この中で,身体障害者のうちの,いわゆる内部障害者に対しては,職務内容,勤務条件等が身体的に過重なものとならないよう配慮することなどを求めている(証拠<省略>)。
2 争点(1)(被保全権利)について
(1) 本件勤務配慮の位置づけについて
相手方は,申立外会社において,遅くとも平成15年以降,通常の乗務循環による乗務を免除され,本件身体障害に配慮した勤務シフトにより勤務することとされてきたものであること,平成19年9月3日抗告人への会社分割に向けた動きが始まって以降,「大綱合意」補足説明資料(証拠<省略>)や4者合意(証拠<省略>)において勤務配慮は労働条件の一つとして扱われているものと解されることに照らせば,相手方と申立外会社との間及び相手方と抗告人との間において,本件勤務配慮が労働契約の内容である労働条件として観念されていたものと一応認められる。
(2) 本件勤務配慮の承継について
ア 本件会社分割契約に際しては,申立外会社の従業員に係る労働契約及びこれに付随する一切の権利義務は,抗告人に承継されない旨合意されるとともに,抗告人は,申立外会社の従業員のうち大綱合意に基づいて抗告人への転籍に同意した者に限り,雇用するものと合意されている(以下「転籍同意方式による契約」という)。
イ しかし,労働契約承継法が,承継事業に主として従事する労働者の労働契約は,当該労働者が希望する限り,会社分割によって承継会社等に承継されるものとしている趣旨にかんがみると,転籍同意方式による契約は,労働契約承継法の趣旨を潜脱する契約であるといわざるを得ず,これによって従前の労働契約とは異なる別個独立の労働契約が締結されたものとみることはできない。そうすると,抗告人と相手方間の転籍同意方式による契約は,申立外会社と相手方間の労働契約が,会社分割により相手方から抗告人へ包括承継されたことを確認する趣旨の契約にすぎないものというべきである。
ウ なお,抗告人は,「会社分割の締結について」と題する書面(証拠<省略>)の交付をもって,労働契約承継法2条1項所定の労働者への通知が行われているのに,相手方は異議申出をしていないから,労働契約が承継されることはない旨主張するが,上記書面は,「会社分割契約の締結について」の通知であるものの,労働契約の承継について明示的に記載していないうえ,「従業員の処遇」と題して,転籍同意方式に同意した者のみを雇用する旨の記載をしているにすぎないし,異議申出期限日の記載もないから,上記条項に定める事項についての記載があるものと認めることができない。そうすると,抗告人が,上記条項所定の通知がなされていることを根拠として,労働契約の承継がない旨の主張をすることはできない。
エ 以上の説示に,会社分割により承継会社等に労働契約が包括承継される場合,承継前の労働契約内容(労働条件)は,そのまま承継されることを考え併せると,本件勤務配慮も抗告人に承継されたものと一応認めることができる。
オ したがって,会社分割を理由として労働条件を一方的に不利益変更することが許されないことを考慮すると,本件同意書,新ルール,4者合意の相手方に対する拘束力の有無等に関する抗告人の主張が肯認されるなどしない限り,被保全権利の疎明はされているものというべきである。
(3) 本件同意書(証拠<省略>)について
本件同意書には,大綱合意に基づき,申立外会社に転籍すると記載されている。しかし,相手方が,申立外会社から本件勤務配慮等の労働条件を変更することについての具体的な説明を受けたうえで同意をしたものとまでは認めることができない。したがって,相手方が,本件同意書により,本件勤務配慮を変更することに同意をしたものと認めることができない。
(4) 4者合意(のうち「原則として勤務配慮を行わない」との合意)及び新ルールについて
ア 4者合意における勤務配慮に関する内容は「原則として認めない」とされているだけであるが,新ルール(証拠<省略>)においては,詳細な手続を定めた上,原則として半年を超える勤務配慮は行わないとし,また,「勤務配慮願い」を提出しても認めない場合もあるとするなど,4者合意の内容を具体化したものとされている。
新ルールは4者合意と異なり,4者間で書面により締結されたものではないが,上記第2の2の本件の経過によれば,4者合意における「原則として認めない」ことの実質的意味内容と新ルールは一致するものであると推認できる。
イ 上記の勤務配慮に関する内容は,労働者の障害の性質,程度や治癒可能性に応じて,その勤務が過重とならないように柔軟に配慮できるものであるかという疑問があるが,この点を措くとしても,相手方にとっては従前の勤務配慮に関する取扱いが不利益に変更されるものであり,その運用如何によっては,勤務を継続すること自体を困難にさせるものである。
ウ 上記第2の2の本件の経過によれば,抗告人は,転籍同意方式を採用するについて,その必須の前提として4者合意をしたものであると認められる。
そして,上記説示のとおり,転籍同意方式にによる契約は労働契約承継法の趣旨を潜脱するものであり,労働者と申立外会社間の労働契約は抗告人に承継されるべきものであるところ,4者合意の効力を認めることは,労働契約承継法が承継会社に分割会社と労働者間の労働契約を承継させることを労働者に保障した趣旨を実質的に失わせるものというべきであるから,4者合意中の勤務配慮に関する条項は公序に反し無効であると解するのが相当である。
分割前に分割会社の労働組合との間で,あるいは,分割後に承継会社の労働組合との間で,協議により労働条件の変更の合意をすることが可能であるとしても,分割前に両労働組合との間で転籍同意方式による労働条件切下げを含む労働契約の締結を認める協議を経ることにより,上記の違法性を否定すべきことになるとはいえない。
(5) 相手方に対する本件勤務配慮の必要性について
ア 相手方には,腰椎椎間板ヘルニア術後の後遺障害として,末梢神経障害ないし馬尾症候群による排尿及び排便障害(本件身体障害)が残存したが,このうち,排尿障害については,日常生活に支障がない程度に制御できるようになったものの,排便障害については,現時点においても残存しているから,相手方には本件勤務配慮の必要性があるものと一応認めることができる。
イ 相手方には,直腸脱の疾患もあるが,これは末梢神経障害ないし馬尾症候群に起因するものであり(証拠<省略>),直腸脱を手術によりいったん根治したとしても,上記排便障害自体が解消されるものではないし,手術によりかえって上記排便を悪化させるリスクもあること(証拠<省略>)を考慮すると,手術の必要性が明らかであるともいえない。
以上によれば,相手方に直腸脱の疾患があるからといって,上記アの認定判断を左右しない。
(6) 以上によれば,相手方は,抗告人に対して,相手方主張にかかる被保全権利を有しているものと一応認めるのが相当である。
3 争点(2)(保全の必要性)
一件記録及び審尋の全趣旨からうかがわれる相手方の置かれた状況及び本件及び本案訴訟に対する抗告人の意向にかんがみれば,保全の必要性を認めることができる。また,保全の必要性に関し,上記事情を考慮すると,保全命令の終期を限定することが相当であるとはいえない。
4 争点(3)(本件申立て内容が前件和解の効力に抵触するか)
(1) 前件和解の和解条項を検討するに,その内容としては,前件和解で定められた期間を経過した平成24年4月1日以降については,勤務配慮の有無について定めた条項はなく,このような条項からすると,同日以降の抗告人・相手方間の関係について何ら規定するものではないと一応解することができる。抗告人は,平成24年3月31日限りという記載をもって,それ以降の勤務配慮の存在を否定する趣旨である旨主張するが,この記載に終期を定める以上の意味を認めることができない。
なお,抗告人は,「議事録 X仮処分命令申立に関する第5回審尋」と題する書面(証拠<省略>)を提出するが,同書面の作成経緯が不明であるうえ,同書面記載にかかる和解経過に照らしても,和解の席上において平成24年4月1日以降の勤務配慮の取扱いが議論された可能性が推認されるにとどまり,そのことから直ちに,同日以降の抗告人と相手方間の関係が合意されたということもできないから,結局,前件和解は,同日以降の抗告人と相手方間の関係について何ら規定していないものと解するほかない。そうすると,上記書面を考慮しても,抗告人の主張を採用することができない。
(2) したがって,本件仮処分申立ては,前件和解に抵触しないし,実質的な紛争の蒸し返しともいえないから,抗告人の主張を採用することができない。
第5まとめ
以上によれば,本件仮処分申立ては理由があり,これを認可した原決定は相当であるから,本件保全抗告は理由がない。
第6結論
よって,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 前坂光雄 裁判官 杉江佳治 裁判官 遠藤俊郎)