大阪高等裁判所 平成24年(行コ)55号 判決 2012年10月11日
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1当事者の求める裁判
1 控訴人
(1) 原判決を取り消す。
(2) 経済産業大臣が,平成17年9月26日付けでA株式会社に対してした場外車券発売施設「B」の設置許可処分を取り消す。
2 被控訴人
(1) 本案前の答弁
原判決を取り消す。
本件訴えをいずれも却下する。
(2) 本案についての答弁
主文同旨
第2事案の概要
1 本件は,経済産業大臣が,平成17年9月26日付けで,A株式会社(以下「A」という。)に対して場外車券発売施設「B」(以下「本件施設」という。)の設置許可処分(以下「本件許可処分」という。)を行ったところ,本件施設の敷地(以下「本件敷地」という。)の近隣において医療施設を開設する控訴人らが,本件許可処分は場外車券発売施設の設置許可要件を満たさない違法なものであるなどと主張して,その取消しを求めた事案である。
本件の控訴人ら3名を含む49名は,平成18年3月17日,大阪地方裁判所に本件許可処分の取消しを求める訴え(同裁判所平成○年(行ウ)第○号)を提起したところ,同裁判所は,控訴人ら全員の原告適格を否定して,上記訴えを却下した。これに対し,本件の控訴人ら3名を含む24名(うち2名は,その後訴えを取り下げた。)が大阪高等裁判所に控訴したところ(同裁判所平成○年(行コ)第○号),同裁判所は,控訴人ら全員の原告適格を肯定し,原判決を取り消して本件を第1審に差し戻す旨の判決をした。これに対し,被控訴人が最高裁判所に上告したところ(同裁判所平成○年(行ヒ)第○号),同裁判所は,被上告人の1名について,同人の死亡により訴訟が終了した旨を宣言して控訴審判決を破棄し,その余の被上告人らに関する部分につき,第1審判決中,本件の控訴人ら3名に関する部分を取り消して本件を大阪地方裁判所に差し戻し,その余の被上告人らの控訴を棄却する旨,控訴審判決を変更する旨の判決(以下「本件上告審判決」という。)をした。本件は,上記により第1審に差し戻された控訴人ら3名に係る事件である。
原判決(差戻後第1審判決)は,控訴人らの原告適格を肯認した上で,その請求をいずれも棄却したところ,これを不服とする控訴人らが控訴した。
2 関係法令の定め,前提となる事実,争点及び当事者の主張は,原判決「事実及び理由」欄「第2 事案の概要」の2及び3並びに「第3 争点及び当事者の主張」(3頁10行目から14頁21行目まで)のとおりである。ただし,以下のとおり補正する。
(1) 4頁10行目の「Aは,」の次に「大阪市α×所在の土地(本件敷地)に本件施設を設置することとし,」を加える。
(2) 5頁4行目から7頁7行目までを次のとおり改める。
「 本件上告審判決は,本件許可処分の取消しを求める控訴人らの原告適格について,次のとおり説示し,本件を第1審に差し戻すのが相当であるとした。
(1) 行政事件訴訟法9条は,取消訴訟の原告適格について規定するが,同条1項にいう当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは,当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され,又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうのであり,当該処分を定めた行政法規が,不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず,それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には,このような利益もここにいう法律上保護された利益に当たり,当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は,当該処分の取消訴訟における原告適格を有するものというべきである。
そして,処分の相手方以外の者について上記の法律上保護された利益の有無を判断するに当たっては,当該処分の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく,当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮し,この場合において,当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては,当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌し,当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては,当該処分がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度をも勘案すべきものである(同条2項,最高裁平成16年(行ヒ)第114号同17年12月7日大法廷判決・民集59巻10号2645頁参照)。
(2) 上記の見地に立って,控訴人らが本件許可の取消しを求める原告適格を有するか否かについて判断する。
ア 一般的に,場外施設が設置,運営された場合に周辺住民等が被る可能性のある被害は,交通,風紀,教育など広い意味での生活環境の悪化であって,その設置,運営により,直ちに周辺住民等の生命,身体の安全や健康が脅かされたり,その財産に著しい被害が生じたりすることまでは想定し難いところである。そして,このような生活環境に関する利益は,基本的には公益に属する利益というべきであって,法令に手掛りとなることが明らかな規定がないにもかかわらず,当然に,法が周辺住民等において上記のような被害を受けないという利益を個々人の個別的利益としても保護する趣旨を含むと解するのは困難といわざるを得ない。
イ 位置基準は,場外施設が医療施設等から相当の距離を有し,当該場外施設において車券の発売等の営業が行われた場合に文教上又は保健衛生上著しい支障を来すおそれがないことを,その設置許可要件の一つとして定めるものである。場外施設が設置,運営されることに伴う上記の支障は,基本的には,その周辺に所在する医療施設等を利用する児童,生徒,患者等の不特定多数者に生じ得るものであって,かつ,それらの支障を除去することは,心身共に健康な青少年の育成や公衆衛生の向上及び増進といった公益的な理念ないし要請と強くかかわるものである。そして,当該場外施設の設置,運営に伴う上記の支障が著しいものといえるか否かは,単に個々の医療施設等に着目して判断されるべきものではなく,当該場外施設の設置予定地及びその周辺の地域的特性,文教施設の種類・学区やその分布状況,医療施設の規模・診療科目やその分布状況,当該場外施設が設置,運営された場合に予想される周辺環境への影響等の事情をも考慮し,長期的観点に立って総合的に判断されるべき事柄である。規則が,場外施設の設置許可申請書に,敷地の周辺から1000m以内の地域にある医療施設等の位置及び名称を記載した見取図のほか,場外施設を中心とする交通の状況図及び場外施設の配置図を添付することを義務付けたのも,このような公益的見地からする総合的判断を行う上での基礎資料を提出させることにより,上記の判断をより的確に行うことができるようにするところに重要な意義があるものと解される。
このように,法及び規則が位置基準によって保護しようとしているのは,第一次的には,上記のような不特定多数者の利益であるところ,それは,性質上,一般的公益に属する利益であって,原告適格を基礎付けるには足りないものであるといわざるを得ない。したがって,場外施設の周辺において居住し又は事業(医療施設等に係る事業を除く。)を営むにすぎない者や,医療施設等の利用者は,位置基準を根拠として場外施設の設置許可の取消しを求める原告適格を有しないものと解される。
ウ もっとも,場外施設は,多数の来場者が参集することによってその周辺に享楽的な雰囲気や喧噪といった環境をもたらすものであるから,位置基準は,そのような環境の変化によって周辺の医療施設等の開設者が被る文教又は保健衛生にかかわる業務上の支障について,特に国民の生活に及ぼす影響が大きいものとして,その支障が著しいものである場合に当該場外施設の設置を禁止し当該医療施設等の開設者の行う業務を保護する趣旨をも含む規定であると解することができる。したがって,仮に当該場外施設が設置,運営されることに伴い,その周辺に所在する特定の医療施設等に上記のような著しい支障が生ずるおそれが具体的に認められる場合には,当該場外施設の設置許可が違法とされることもあることとなる。
このように,位置基準は,一般的公益を保護する趣旨に加えて,上記のような業務上の支障が具体的に生ずるおそれのある医療施設等の開設者において,健全で静穏な環境の下で円滑に業務を行うことのできる利益を,個々の開設者の個別的利益として保護する趣旨をも含む規定であるというべきであるから,当該場外施設の設置,運営に伴い著しい業務上の支障が生ずるおそれがあると位置的に認められる区域に医療施設等を開設する者は,位置基準を根拠として当該場外施設の設置許可の取消しを求める原告適格を有するものと解される。そして,このような見地から,当該医療施設等の開設者が上記の原告適格を有するか否かを判断するに当たっては,当該場外施設が設置,運営された場合にその規模,周辺の交通等の地理的状況等から合理的に予測される来場者の流れや滞留の状況等を考慮して,当該医療施設等が上記のような区域に所在しているか否かを,当該場外施設と当該医療施設等との距離や位置関係を中心として社会通念に照らし合理的に判断すべきものと解するのが相当である。
なお,原審(差戻前控訴審)は,場外施設の設置許可申請書に,敷地の周辺から1000m以内の地域にある医療施設等の位置及び名称を記載した見取図等を添付すべきことを義務付ける定めがあることを一つの根拠として,上記地域において医療等の事業を営む者一般に上記の原告適格を肯定している。確かに,上記見取図は,これに記載された個々の医療施設等に前記のような業務上の支障が生ずるか否かを審査する際の資料の一つとなり得るものではあるが,場外施設の設置,運営が周辺の医療施設等に対して及ぼす影響はその周辺の地理的状況等に応じて一様ではなく,上記の定めが上記地域において医療等の事業を営むすべての者の利益を個別的利益としても保護する趣旨を含むとまでは解し難いのであるから,このような地理的状況等を一切問題とすることなく,これらの者すべてに一律に上記の原告適格が認められるとすることはできないものというべきである。
エ これを本件について見ると,控訴人らは,いずれも本件敷地の周辺から約120mないし200m離れた場所に医療施設を開設する者であり,前記の考慮要素を勘案することなく上記の原告適格を有するか否かを的確に判断することは困難というべきである。
オ 規則15条1項4号が定める周辺環境調和基準を根拠として本件許可の取消しを求める原告適格を有するということはできない。
カ 控訴人らが上記の原告適格を有するか否か等について更に審理を尽くさせるため,本件を第1審に差し戻すのが相当である。」
3 当審における当事者の主張
(1) 被控訴人の原告適格に関する補充主張
原判決は,本件施設の収容予定人員(予想来場者数),本件施設周辺の交通事情等をごくおおまかに認定しただけで,本件施設の来場者が「周囲の路地等に流れ込む」ことが予想され,本件施設と控訴人らの開設する各医療施設の周辺地域との間に格別通行を妨げる物が存在しないことなどをもって,安易に控訴人らの開設する各医療施設の周辺地域に本件施設の多数の来場者が通行し又は滞留することが考えられると判断しているが,その予測は,到底,合理的なものとはいい難い。本件上告審判決が示した判断基準からすると,来場者の流れや滞留の状況等から合理的に予測される「業務上の支障が生ずるおそれ」は,抽象的なものでは足りず,具体的なものであることを要するというべきである。
そして,前述(原判決「事実及び理由」欄「第3 争点及び当事者の主張」の1(1)イ)したところによれば,控訴人らが医療施設を開設する本件施設の北東地域付近に,本件施設に参集する来場者の流れや滞留が生じるとはおよそ想定し難く,本件各医療施設への業務上の支障が生ずるおそれは具体的には存在せず,控訴人らの原告適格はいずれも否定されるべきである。
(2) 控訴人らの本件許可処分の違法性に関する補充主張
ア 位置基準充足性に関する判断基準
位置基準は,医療施設等と場外施設との間を距離的に遮断することにより,それら施設を,場外施設の来場者の滞留による直接的な害悪から保護するというのみならず,より広く周辺環境の悪化から保護することを趣旨としているものである。
本件上告審判決も「場外施設により周辺住民等が被る被害は交通,風紀,教育など広い意味での生活環境の悪化であって」と判示し,場外施設が周辺にもたらす弊害を周辺環境の悪化と捉えており,また,位置基準の規定する「文教上又は保健衛生上の著しい支障」について「基本的には周辺に所在する医療施設等を利用する児童,生徒,患者等の不特定多数者に生じ得るものである」と判示し,位置基準が来場者の滞留に限定せず,より広く医療施設等の周辺環境の保護を意図していると解していることが明らかである。
もともと,公共ギャンブル施設は本来違法であり,社会生活に必須なものでもないから,それによる害悪を周辺住民や医療施設設置者等が受忍しなければならない理由は全く無い。ギャンブル施設による弊害は,犯罪の誘発など多様であるが,多数の来場者が医療施設等の周辺にたむろして騒がしい状況を生じさせるというのは,害悪の最たるものであり,そのような極限的な状況以外は許容されるというのでは,わざわざ位置基準を設けて規制する意味が無い。
したがって,控訴人らに原告適格が認められた以上,来場者が当該医療施設に滞留するか否かという点のみならず,広く環境悪化の点も考慮して判断されるべきである。
イ 環境悪化と本件各医療施設への悪影響
(ア) 本件施設の来場者は,マナーが悪く,煙草の吸い殻や新聞,はずれ車券を通り道によく捨てる。相当数の来場者が,自転車で来場しており,その多くは,本件施設の地下駐車場を利用せず,駐輪が禁止されている本件施設前及び直近の歩道に駐輪しており,歩行者の通行上の支障となっている。一部の者は,自動車を本件施設前付近に違法駐車し,車券を買いに入場する。本件施設開業の前後から,従前にはなかったヤミ金融の貼り紙が町会の掲示板や記念碑等に貼られるようになった。本件施設付近のコインパーキングやコンビニのトイレで,覚せい剤使用に用いたと思われる注射器が何度も発見された。本件施設近隣のコンビニで万引きをした客を店主が捕まえたところ,本件施設来場者だったことがある。本件施設開業後,その北東地域のテナントビルやマンションでは,一般商店や住民が転出し,代わって風俗店が入居して開業するという状況が続いた。風俗店,主として,無料案内所及びホテヘル・デリヘルと呼ばれる性風俗特殊営業の事務所(実態は客の受付所,待合所)は激増し,かつ,風俗客と風俗嬢が手をつないでホテルと風俗店を行き来するのが常態となった。本件施設からC劇場,βにかけての地域は,文字通り,ギャンブルと風俗の街と化した。
(イ) 本件施設開業後,上記のような環境悪化を嫌い,本件施設の立地するD町会及びE町会の一部の住民(特に児童のいる家庭)が転出した。本件施設開業後,その影響を最も強く受けた1つであるF銀行G支店(本件施設とα駅との中間にある)も閉店した。
(ウ) 本件許可処分は,Aが申請した1日当たりの来場者数1700名の前提でなされているが,これは虚偽の過少申告である。実際には1700名を上回る日が多く,多い日は1日に4000名から5000名の来場者がある(甲G2,甲新39,53,乙新16,17)。 本件施設前の歩道は,幅員3メートルであるが,実際には十数か所に街路樹,電柱,電力設備,電話ボックス,店の看板等の障害物があり,それらの地点では歩道の幅が2メートル以下であり,また,多くの場所に自転車が放置され,それらの場所で通行可能な歩道の幅はより狭い。 本件施設には警備員が配置されているが,本件施設前の車道に違法駐車する者,車道前で自動車を降りて車券を買いに本件施設に入場する者を警備員が制止することはなく,マナーを守らない来場者(違法駐車,違法駐輪,車道の違法横断,歩道の占拠)に対し,遠慮がちに応対し,ルール違反につき,見て見ぬ振りをしている。
(エ) 本件各医療施設に入通院する患者の多くは,α駅から本件施設前付近を通って通院している。患者らの大多数が本件施設の来場者に対し,不安感,嫌悪感,恐怖感等の否定的感情を抱いており,本件施設開業後,相当数の者が通院経路を,本件施設前を通らない方向に変更し,一部の者は,通院回数を減らした,通院し難くなったなどと述べている。α駅には,本件施設に直近の6番出口のほか,同駅東側に7番出口があるが,同出口は,遠回りであるだけでなく,人通りの少ない地下部分が長く,かつ,7番出口の北側一帯は,風俗店が最も密集した雰囲気の悪い地域であるため,特に女性患者にとっては通行が苦痛なのである(甲新80)。
また,医療施設の医師や職員にも,精神的苦痛や通勤上の支障が生じ,周辺環境悪化に伴う職員の採用困難等の様々な悪影響が生じている。H医院では,職員の新規採用募集をしているにもかかわらず,現在に至るまで応募がなく,採用ができていない。控訴人Iは,医院の移設を検討している状況にある。
(オ) とくに,J医院については,本件施設開業後,後記のとおり,患者数,新規患者数,売上は急激に減少した。その要因として考えられるのは,不景気と本件施設による環境悪化(風俗店の増加を含む)であり,それ以外に医療事故等の特段の事情は認められない。定量的な証明は不可能であるが,同歯科医院の患者の大部分が電車を利用し,α経由で通院している高齢の女性であり,ほぼ全員が本件施設への不安感,嫌悪感を抱いており,一部の者はそのために通院回数を減らした,通院し難くなったと述べていることから,本件施設の悪影響は確実にある。
記
患者数 新規患者数 売上
平成16年 703名 66名 約1620万円
平成17年 649名 96名 約1420万円
平成18年 898名 110名 約1990万円
平成19年 795名 89名 約2030万円
平成20年 850名 105名 約2650万円
平成21年 420名 70名 約1700万円
平成22年 激減 激減 約 420万円
(カ) 以上のような環境悪化及び本件各医療施設への著しい業務上の支障に鑑みれば,本件許可処分は違法なものとして,取り消されるべきである。
ウ 本件設置許可審査の瑕疵
競輪事業は刑法上違法な賭博であり,社会的に必要不可欠な事業でもないから,特別刑法である自転車競技法により,地方財政の健全化を目的として,周辺環境に悪影響を及ぼさない限度において正当化され,例外的に営業が許可される。しかも,その実態は,地方財政に貢献しているどころか,赤字で長らく売上減少が続いている斜陽産業であり,もはや,自転車競技法制定時に想定されていた地方財政への貢献という意義も消滅している。こうした点に鑑みれば,場外施設の設置許可要件である位置基準は,医療施設等の周辺環境が確保されるよう,厳格に解されるべきであり,その設置に関しては経済産業大臣に広範な裁量は無い。本来違法な施設の設置を特別に許可するのであるから,十分な資料と検討に基づき,医療施設等の周辺環境を悪化させるおそれがないと判断できる場合でなければ,設置許可をすることはできないと考えるべきである。
ところが,本件許可処分に当たり,経済産業大臣(実際には同省製造産業局車両課の職員)は,保健衛生上の支障に関し,調査も検討もしていない。本件許可に当たり,経済産業大臣が「保健衛生上の支障」の有無を判断する材料になったのは,Aが提出した設置許可申請書(甲G1)のみである。そして,そこには,本件施設に隣接するK診療所や控訴人らの医療施設を初めとする多数の医療施設等の存在を示す図面と一覧表が含まれている一方で,保健衛生上の支障が生じないことを示す資料は一切無く,かつ,経済産業大臣は何らの調査や検討も行っていない。周辺住民の多数が激しい反対運動を行っており,本件施設建設予定地の町会長である控訴人Lらが経済産業省を訪れて,周辺住民が本件施設の設置に反対している実情を説明し,設置許可しないよう陳情していたのであり(甲D1の2),周辺住民の同意という要件を欠くことも明らかであった。にもかかわらず,経済産業大臣は「保健衛生上の支障」に関し,調査も検討もすることなく,周辺住民の反対を無視して本件許可処分をし,その結果として,控訴人らを含む周辺の病院,周辺住民らに前述したような環境被害を発生させているのであるから,この点からも,本件許可処分は違法であり,取消しを免れない。
第3当裁判所の判断
1 争点①(控訴人らの原告適格の有無(本案前の争点))について
(1) まず,場外車券発売施設の設置許可要件である位置基準は「学校その他の文教施設及び病院その他の医療施設から相当の距離を有し,文教上又は保健衛生上著しい支障を来すおそれがないこと」と定めるものであるところ(規則15条1項1号),本件上告審判決から導かれる位置基準の解釈及び場外車券発売施設の設置許可取消訴訟の原告適格の判断基準は,要旨,次のとおりである。
①位置基準によって保護しようとしているのは,第一次的には,医療施設等を利用する児童,生徒,患者等の不特定多数者に生じ得る支障を除去して,公衆衛生の向上,増進等を図るという,一般的公益に属する利益である。したがって,これらの利益を享受していたというだけでは原告適格を基礎付けるには足りない。②もっとも,医療施設等の開設者については,その被る文教又は保健衛生にかかわる業務上の支障が著しい場合に,特に国民の生活に及ぼす影響が大きいものとして,その業務は個々の開設者の個別的利益として保護する趣旨も含む。③位置基準を以上の見地からみると,当該場外施設の設置,運営に伴い著しい業務上の支障が生ずるおそれがあると位置的に認められる区域に医療施設等を開設する者は,位置基準を根拠として当該場外施設の設置許可の取消しを求める原告適格を有する。④その判断基準は,当該場外施設が設置,運営された場合にその規模,周辺の交通等の地理的状況等から合理的に予測される来場者の流れや滞留の状況等を考慮して,当該医療施設等が,場外施設の設置,運営に伴い著しい業務上の支障が生ずるおそれがあると位置的に認められる区域に所在しているか否かを,当該場外施設と当該医療施設等との距離や位置関係を中心として社会通念に照らし合理的に判断すべきである。
(2) そこで,本件上告審判決のこの判断基準に則り,控訴人らの原告適格を判断することとなるが,原告適格の判断は,訴訟の入口の段階の問題にすぎないから,画一的かつ簡明な手法を用いて判断せざるを得ない。それゆえ,本件施設から距離的に近接しているかどうかが,まずもって重視されるべきではあるが,例えば,場外施設と医療施設等とが距離的に近接していても,場外施設の規模が極めて小さく,影響がほとんどないと予測される場合,あるいは,それら施設間に大きな河川がありかつ遠方にしか橋梁がなく,場外施設の来場者が医療施設等に押し寄せ,滞留するような状況が,まずあり得ないという場合もあるから,単に距離関係のみならず,「(場外)施設の規模,周辺の交通等の地理的状況等から合理的に予測される来場者の流れや滞留の状況等」を考慮して判断すべきことが要請される。本件上告審判決はこの意をいうものと解される。
(3) 以上の見地に立って,本件をみるに,後掲証拠(枝番のあるものは枝番をすべて含む。)及び弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められる。
ア 本件施設の概要
本件施設は,地上7階,地下1階の建造物であり,地下1階が駐輪場である(収容可能台数は,自転車315台,バイク35台)。なお,本件施設の1階の北側には駐輪場の入口があるが,その付近にも20台程度のバイクを駐輪することができる(乙新14,23)。また,本件施設に専用駐車場は設置されていない。本件施設の収容人員は1724人であり,1日当たり約1700人の来場が見込まれており,年間の営業日は340日が予定されていた(甲新G1,乙新1,2,23,弁論の全趣旨)。
イ 本件各医療施設の周辺の状況
(ア) 控訴人Lが開設するJ医院は,本件施設の北東方向にあり,本件施設から約60m(本件施設の来客用出入口から直線距離約120m)に位置する。本件施設の来客用出入口からγ沿いに北方向に進行し,一つ目の信号がある交差点をβ通り沿いに東進した位置にある。道路沿いの移動距離にして約165mである。J医院の周辺にはコインパーキング,雑居ビル,ラブホテル,風俗店等があり,理容店・喫茶店等の小規模な店舗も点在している(甲新24,25,乙新18,弁論の全趣旨)。
(イ) 控訴人Iが開設するH医院も,本件施設の北東方向にあり,本件施設から約140m(本件施設の来客用出入口から直線距離約220m)に位置する。J医院から更に東に約120m進んだ位置にある。道路沿いの移動距離にして約285mである。H医院の周辺には,雑居ビル,コインパーキング等が多く立ち並んでいる(前掲証拠)。
(ウ) 控訴人Mが開設するN病院も,本件施設の北東方向にあり,本件施設から約116m(本件施設の来客用出入口から直線距離約180m)に位置する。本件施設の来客用出入口からγ沿いに北方向に進行し,αを渡ってβ川を越え,αδの交差点を東進した位置にある。道路沿いの移動距離にして約262mである。N病院は,外科・整形外科の第2種救急指定病院である。N病院の周辺には,コインパーキング,雑居ビル,ホテル等が立ち並んでおり,小規模な飲食店等も点在している(甲新24,25,36,乙新18,弁論の全趣旨)。
(エ) 本件各医療施設は,いずれも本件施設から徒歩で数分程度の場所にあり,本件各医療施設と本件施設との間に,物理的にその行き来を大きく妨げるような建物,自動車専用道路,橋梁のない河川その他の施設等は存在しない(原判決別紙1参照。なお,N病院と本件施設との間にはβ川が存在するが,γ上のαを渡って行き来をすることができる。)(甲新24,25,乙新18,弁論の全趣旨)。
ウ 周辺の交通等の地理的状況等
本件施設の最寄駅はその南方に存在するα駅である。本件施設の来客用出入口は,本件施設の西側のγに面した場所に1か所設けられており,α駅の6番出口から地上に出て,γの東側歩道を北方向に約100m進行した場所に位置している(原判決別紙2参照,乙新8,18)。α駅の6番出口から本件施設までは,徒歩約1分程度の距離であり,人通りの多い歩道である(乙新12,弁論の全趣旨)。なお,本件施設には,北側にある地下駐輪場の入口からも出入りすることが可能である(乙新23)。
また,本件施設の北方向には,大阪市営地下鉄γ線及びε線の「ζ駅」があり,本件施設から徒歩で約10分程度を要する位置に所在している(弁論の全趣旨)。
本件施設の来客用出入口が面するγは,大阪市の中心を南北方向に貫く幹線道路の一つであり(甲新G1,乙新8,9),本件施設付近は,全5車線,幅員21.82メートルの北行き一方通行の大通りである。γの車道の両側には,幅約3メートルの歩道が設置されている(弁論の全趣旨)。
(4) 以上の事実をもとに判断する。
本件施設は競輪の場外車券販売施設であって,その収容予定人員は約1700人,1日当たりの予想来場者数も1700人という多数の来場者が予想される施設である。本件施設の最寄り駅は,本件施設の南方向にあるα駅か北方向にあるζ駅であるが,本件各医療施設の最寄り駅も同様であり,両駅特にα駅からやって来る本件施設の来場者と本件各医療施設の患者の各施設に向かう主たる動線が重複する位置にある。また,本件施設から本件各医療施設までは数分程度の距離にあり,その間に往来を妨げるものはなく,また,本件各医療施設の周辺にはコインパーキング等もあり,それらを利用する本件施設来場者がいることも想定される。そうすると,本件施設への予想される来場者数(1日約1700人)との相関から考えて,本件各医療施設に通院する患者の往来を妨げ,あるいは,本件施設の来場者が本件各医療施設付近に流れ,あるいは滞留する可能性があるといえる。また,前記認定事実によれば,N病院は外科・整形外科の第2種救急指定病院であるところ,N病院の所在する位置と周辺の道路の状況を勘案すると,α駅方面からN病院に緊急の患者を搬送する救急自動車は,本件施設前のγを北方向に走行することが多いと予想され,本件施設前の道路を通行することが想定されるが,本件施設来場者が多数自動車を利用する場合などには混雑も予想され,その通行を妨げる可能性もないとはいえない。
このようにみてくると,本件各医療施設は,場外施設の設置,運営に伴い著しい業務上の支障が生ずるおそれがあると位置的に認められる区域にあるとみるのが相当である。
(5) 被控訴人の原告適格における補充主張について
被控訴人は,本件上告審判決の判断基準に照らすと,本件来場者の流れや滞留の状況等から合理的に予測される本件各医療施設の「業務上の支障が生ずるおそれ」は,抽象的なものでは足りず,具体的なものであることを要するところ,本件施設の来場者は,専ら最寄駅であるα駅と本件施設との間を行き来するのみであり,α駅とは反対方向の北東方向にある本件各医療施設周辺に多くの来場者が流れ込んでいく可能性はなく,本件各医療施設の「業務上の支障が生ずるおそれ」は具体的には存在しない旨主張する。
しかしながら,原告適格の判断基準については前述したとおりであり,上記の見地からすると,当該医療施設等は,場外施設の設置,運営に伴い著しい業務上の支障が生ずるおそれがあると位置的に認められる区域に存在しているとみるのが相当である。被控訴人の上記主張は採用することができない。
(6) よって,本件各医療施設を開設する控訴人らは,いずれも本件施設の設置許可取消訴訟の原告適格を有するものというべきである。
2 争点②(本件許可処分の違法性(本案の争点))について
(1) 原判決「事実及び理由」欄「第4 当裁判所の判断」の2(20頁13行目から44頁10行目まで)のとおりである。ただし,以下のとおり補正する。
ア 21頁13行目冒頭に「前記1(3)の認定事実が認められるほか,」を加える。
イ 21頁16行目から22行目までを削除する。
ウ 23頁3行目から17行目までを「ウ 本件施設の安全対策等」に改め,18行目の「(ウ)」を削除する。
エ 25頁10行目の「J医院は」から15行目末尾までを,20行目の「H医院は」から23行目末尾までを,26頁3行目の「N病院は」から8行目末尾までをそれぞれ削除する。
オ 25頁24行目の「N医院」を「N病院」に改める(以下,引用部分に係る「N医院」について同じ。)。
カ 29頁9行目の「北西方向から」を「北西方向又は」に改める。
キ 40頁19行目の「職員の」から20・21行目の「また,」までを削除する。
ク 43頁8行目の「移設」を「移設の検討」に,12行目の「移設した」を「移設の検討をした」に,それぞれ改める。
(2) 控訴人らの当審における補充主張について
ア 位置基準充足性に関する判断基準について
控訴人らは,位置基準を満たすかどうかの判断に当たっては,広く環境悪化の点も考慮して判断されるべきである旨主張する。
しかし,控訴人らが主張するところの環境の利益については,本件上告審判決において,一般的公益に属する事柄とされており,位置基準によって個々人が保障される法律上の利益には該当しないものと判断されている。したがって,上記環境の利益の点については,控訴人らの法律上の利益とはいえないから,控訴人らが,位置基準を拠り所として,環境悪化を違法事由として主張することはできない(行政事件訴訟法10条1項)。なお,上記環境悪化の主張が,本件各医療施設の業務上の支障の主張に関連する部分があるにしても,それは前記業務上の支障の有無の判断において必要な限度で評価が尽くされているというべきである。よって,控訴人らの前記主張は理由がない。
なお,控訴人らは,医療施設等の400m以内に場外施設を設置することは,当然に位置基準に反するとの主張をするが,そのように解すべき法令上の根拠はない。
イ 環境悪化と本件各医療施設への悪影響について
(ア) 控訴人らのこの点の主張のうち環境悪化に関する主張(前記第2の3(2)イ(ア)及び(イ))については,まさに本件施設周辺の環境悪化を指摘する事実に過ぎず,この点を違法事由として斟酌することができないし,これを本件各医療施設の業務上の支障の主張に関連する主張とみても,それが業務に対する著しい支障を裏付けるものでないことは前述(原判決43頁14行目から20行目まで)したとおりである。
(イ) 控訴人らは,そのほか本件各医療施設への悪影響について縷々主張するが,既に判示したとおり,本件施設前の西側出入口が一定の時間帯に混雑することは認められるものの,来場者の流れは本件各医療施設が存在する北東方面に向かうことはほとんどなく,同施設の近辺等に多数が参集することはないものと認められ,本件各医療施設に業務上の著しい影響を及ぼすものとは認め難い。このことは,証拠(甲新14,67,98,乙新17の3,19ないし21)に徴しても裏付けられるところである。なお,控訴人ら指摘のとおり,来場者数が多いとしても,一度に数千人が押し寄せることはないものと認められ(乙新16,17の1),また,証拠(甲新14,67,98,乙新17の3,19ないし21)によれば,多数の来場者が退場する時間帯においても,通行に支障が生じている様子は認められず,警備員による交通誘導も一定の成果を挙げているものと認められる。同証拠によれば,γの車道を違法横断する者も相当程度存在することが認められるが,車道側が手前の信号等で通行の流れが止まったときに多くみられ,車両が流れている最中に,その進行を著しく妨げるという程度に至っているものとは認められないから,前掲証拠からみても,救急自動車の進行に影響を及ぼすものとも認め難い。
控訴人らは,7番出入口の通行に支障があるかのように主張するが,同出入口はC劇場に赴く際に便利な出入口であり,必ずしもその利用に強い心理的抵抗を及ぼすものとは認め難い上,そのほかにも,6番出入口を出て,本件施設前の歩道を避けて東方面から本件各医療施設に向かうことも可能であると認められる。結局,本件施設前歩道以外の経路が複数存在する以上,通院に著しい支障を及ぼすものということはできない。
控訴人らは,患者,医師,職員が精神的苦痛を感じて業務上の支障がある旨主張するが,前記認定判断に照らし,客観的には,患者,医師,職員の通院や通勤を著しく妨げるものとは認め難く,主として主観的感情に根ざすものであり,これらのみでは,控訴人らの行う医療業務について著しい支障が生じるおそれが具体的に認められないことは前述したとおりである。結局,本件施設の運営により,患者や職員が激減し,業務に著しい支障を来したことについて,的確に立証されているとはいえない。患者のアンケート調査結果や陳述書等では必ずしも患者の減少度合いが分かるものではなく,また,H医院での職員の新規採用募集に応募がないことや,J医院につき売上は急激に減少したことについて,本件施設運営と因果関係があると認めるに足りない(J医院については,控訴人らの主張によっても,本件施設設置後の平成19年及び平成20年は売上が増加している。)。
ウ 本件設置許可審査の瑕疵について
控訴人らは,保健衛生上の支障について,経済産業大臣(実際には同省製造産業局車両課の職員)(以下「処分行政庁」という。)は何らの調査を行っていないことを手続的瑕疵として主張する。
しかし,法ないし規則は,調査の方法について何ら定めを置いておらず,処分行政庁の裁量に委ねられているものと解される。そして,弁論の全趣旨によれば,処分行政庁は,Aが提出した,規則14条1項所定の事項を記載し,同条2項所定の図面を添付した平成17年7月22日付け設置許可申請書ほか添付資料(乙新23)を審査して,その判断を行ったものと認められ,その資料の内容に照らし,特段不備があるとは認め難く,実質的な審査をしていないとは認めることはできない。また,控訴人らは,周辺住民の同意要件を欠く旨主張するが,本件施設の設置に当たって,そのような要件が必要であるとの法令上の根拠は存せず,控訴人らの主張はその前提を欠き,失当である(「場外車券発売施設の設置に関する指導要領について」(平成15年4月1日経済産業省 製造産業局長名 各経済産業局長宛 指導要領)には,場外施設を設置するに当たっては,当該場外車券発売施設の設置場所を管轄する警察署,消防署等とあらかじめ密接な連絡を行うとともに,地域社会との調整を十分行うよう指導することとの規定があるが,周辺住民の同意までは必要とされていない。)。よって,控訴人らの主張は理由がない。
3 以上によれば,控訴人らの原告適格を認めた上,控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であって,本件控訴は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 前坂光雄 裁判官 菊池徹 裁判官 遠藤俊郎)