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大阪高等裁判所 平成25年(ネ)1133号 判決 2014年7月17日

控訴人兼被控訴人(一審被告)

株式会社Y公庫(以下「一審被告」という。)

上記代表者代表取締役

A1

上記訴訟代理人弁護士

冨田武夫

峰隆之

上記訴訟復代理人弁護士

山畑茂之

控訴人兼被控訴人(一審原告)

X1(以下「一審原告父」という。)<他2名>

上記三名訴訟代理人弁護士

岩城穣

中島光孝

上出恭子

主文

一  原判決中、一審被告の敗訴部分を取り消す。

二  一審原告らの各請求をいずれも棄却する。

三  一審原告らの各控訴をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、第一審及び第二審を通じ、一審原告らの負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

(一審被告)

主文同旨

(一審原告ら)

一  原判決中、一審原告らの各敗訴部分をいずれも取り消す。

二  一審被告は、一審原告父に対し、八三二万六四五〇円及びこれに対する平成一七年七月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  一審被告は、一審原告母に対し、八三二万六四五〇円及びこれに対する平成一七年七月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  一審被告は、一審原告X3に対し、三四三〇万五八〇〇円及びこれに対する平成一七年七月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本判決では、原則として原判決の略称を用いる。

一  本件は、a1公庫(公庫)の職員であった亡Bが、公庫において担当していた業務が過重であったため精神疾患(うつ病)を発症し、これによる希死念慮によって自殺したと主張して、亡Bの相続人である一審原告らが、公庫に対し、安全配慮義務違反(民法四一五条)又は不法行為(民法七〇九条)による損害賠償請求として、一審原告父及び一審原告母につき、それぞれ損害賠償金三一九八万八〇〇〇円及びこれに対する亡Bの死亡日である平成一七年七月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、一審原告X3につき、損害賠償金一億一五八七万一〇〇〇円及びこれに対する同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ請求した事案である(なお、公庫は原審係属中の平成二〇年一〇月一日に解散したが、同日設立された一審被告が公庫の権利義務を承継し、本件訴訟も承継した。)。

原審は、一審原告父及び一審原告母の各請求については、それぞれ一九五九万五〇五〇円及びこれに対する平成一七年七月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、一審原告X3の請求については、四九六〇万三一四五円及びこれに対する平成一七年七月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれの請求を認容し、一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する旨の判決をした。

そこで、一審被告は、原判決を不服として控訴し、原判決中の一審被告の敗訴部分を取り消し、一審原告らの各請求をいずれも棄却する旨の判決を求め、一審原告らも、原判決を不服として控訴し、原判決中の一審原告らの各敗訴部分をいずれも取り消し、一審原告父及び一審原告母につき、それぞれ、原判決が認容した弁護士費用を除く損害賠償金合計一億五二五二万九〇〇〇円に係る各自の法定相続分二五四二万一五〇〇円に弁護士費用二五〇万円を加算した二七九二万一五〇〇円から原審認容額の一九五九万五〇五〇円を控除した八三二万六四五〇円及びこれに対する平成一七年七月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、一審原告X3につき、上記損害賠償金合計一億五二五二万九〇〇〇円に係る自己の法定相続分一億〇一六八万六〇〇〇円から原審口頭弁論終結前に受給していた遺族補償年金及び遺族厚生年金合計二五三七万七〇五五円を控除した七六三〇万八九四五円に弁護士費用七六〇万円を加算した八三九〇万八九四五円から原審認容額四九六〇万三一四五円を控除した三四三〇万五八〇〇円及びこれに対する平成一七年七月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた。

二  前提となる事実並びに争点及び争点に関する当事者の主張は、当審における当事者双方の主張を次項に付加するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」の二項ないし四項(原判決三頁六行目から同三二頁七行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

三  当審における当事者双方の主張

(一審被告)

(1) 亡Bの業務の過重性について

ア b支店業務第一課在籍中(平成一六年四月一日から平成一七年三月三一日まで)

(ア) b支店業務第一課在籍中に亡Bの担当していた融資業務及びそれに付随ないし関連する業務は通常のものであった。その上、亡Bは、同課で融資業務を担当していた職員九名(A3課長を除く。)のうちで入庫年次(平成二年入庫)が最も古かったものの、仕事が遅かったため、亡Bに配慮したA3課長の指示により亡Bの担当する融資案件数は大幅に軽減されていた。このため、亡Bが平成一六年度(平成一六年四月から平成一七年三月)に担当した融資案件は七件(スーパーL資金一件を含む。融資額は合計四億四七八四万円である。)であった。これは主として香川県を亡Bと担当していたA4職員(平成一一年入庫の副調査役)の担当した融資案件数一四件(スーパーL資金八件を含む。融資額は合計八億二四四六万円である)。の半分程度であり、また、亡Bを除く業務第一課の担当職員六名(突出して担当した融資案件数が多かったA5職員と年度途中で異動したA6職員を除く)。の担当した融資案件数平均一二件と比べても六割程度であり、大幅に少なかった。

公庫の職員の業務の中心は融資業務であり、融資担当職員の業務量は担当する融資案件数と概ね比例して増減することから、亡Bの担当業務の量は他の同僚職員と比較して大幅に軽減されていたことは明らかである。また、亡Bの担当した融資案件中に異例といえる案件はなかった。したがって、亡Bの業務は過重ではなかった。

(イ) 亡Bの労働時間については、b支店業務第一課における平成一六年七月(同年七月一二日から同年八月一〇日まで)から平成一七年三月(同年三月九日から同年四月七日まで)にかけての早出出勤による時間外労働を含む時間外労働時間は、平成一六年七月分が一〇六時間四二分、同年八月分が八三時間三五分、同年一一月分が一〇九時間一五分、平成一七年二月分が九九時間三八分であり、一見すると長時間労働に見えるが、上記時間外労働時間から早出出勤による時間外労働を控除した終業時刻後の時間外労働時間は、平成一六年七月分が八〇時間四五分、同年八月分が五六時間二〇分、同年九月分が一六時間一三分、同年一〇月分が二八時間四六分、同年一一月分が七一時間五〇分、同年一二月分が二四時間三二分、平成一七年一月が一八時間三八分、同年二月が七一時間二二分、同年三月分が三九時間〇八分であり、これによれば、長時間労働といえるのは、平成一六年七月分の八〇時間四五分、同年一一月分の七一時間五〇分、同年二月分の七一時間二二分にすぎず、さほど長時間労働とはいえないし、長時間労働が続いていたともいえない。このような亡Bの早出出勤については、亡Bの融資業務の量(融資案件数)が調整されていたことからすると、業務上の必要性というよりも亡Bの性格からくる生活習慣とみるべきであり(同じ業務第一課の他の職員の担当融資案件数は亡Bよりも多かったが、それでも早出出勤している者はいなかった。)、亡Bは早出出勤によって時間をかけて同僚の半分ないし六割程度の仕事をこなしていたとみることができ、業務による精神的ストレスはむしろ軽減されていたのである。

(ウ) 平成一七年一月以降についてみても、亡Bは、同年一月は合計一五日間、同二月は合計九日間、同年三月は合計九日間の休日、休暇を取得しており、これらの休日、休暇により、労働に伴う心身の疲労を回復するのに十分な休養を得る機会を得ていた。

イ c支店業務第一課在籍中(平成一七年四月一日から同年七月六日まで)

(ア) c支店では労働時間削減の取組として、平成一六年八月から、①時間外労働の削減(時間外労働を命じないことを原則とし、時間外労働をする場合でも原則午後八時までとする。)、②役付職員による出退勤の管理(事務所の入退室に必要な鍵(カードキー)は支店長、次長及び課長のみが所持し、一般職員の時間外労働が終了するのを見届けてから退室する。)が行われており、平成一七年四月以降も継続されていた。その結果、平成一六年八月から平成一七年七月までの間でみると、c支店の職員一人当たりの平均的な時間外労働時間は少ない月で二時間三分(平成一六年九月)、多い月でも二七時間九分(平成一七年五月)となっていた。

(イ) 亡Bの担当業務の量は通常のものであり、その内容も金融庁検査に対する準備のほか特別なものはなかった。金融庁検査は公庫にとっても特別な出来事ではあったが、支店長以下の全職員で対応しており、亡Bは割り当てられた案件の現地確認等に関わったに過ぎず、特別な業務上の負荷はなかった。

(ウ) 亡Bの時間外労働時間は、平成一七年四月は一五時間四〇分、同年五月は三三時間二〇分、同年六月は二二時間三五分、同年七月(勤務日は一日、四、五、六日)は八時間三〇分であった(ただし、いずれも早出出勤による始業時刻までの時間外労働時間を含む。)。

(エ) 亡Bは、平成一七年四月は合計一〇日間、同年五月は合計一三日間、同年六月は合計八日間、同年七月は合計二日間の休日、休暇を取得しており、これらの休日、休暇により、労働に伴う心身の疲労を回復するのに十分な休養を得る機会を得ていた。

ウ 以上によれば、b支店及びc支店における亡Bの担当業務が過重であったとはいえない。

(2) 亡Bのうつ病の発症について

ア 亡Bのうつ病の発症の時期について

(ア) 亡Bの平成一六年一二月から平成一七年三月までb支店在籍中の言動や心身の状況に照らせば、亡Bが平成一七年三月までにうつ病を発症した徴候は全くない。亡Bが同年四月にc支店に異動した後も、同年六月上旬まではうつ病を発症した徴候はない。ところが、亡Bが同月一四日に一審原告X3に送ったメールによれば、業務に対する退避的感情が一部生じており、うつ病の典型的症状の一つである抑うつ気分が発生し始めていたと解することができる。その後、亡Bの活動性は一部維持されていたものの、同月下旬になると、うつ病を示す徴候が顕在化し、抑うつ気分のほか、うつ病の典型的症状である興味と喜びの喪失、活動性の減少がみられ、他にも将来に対する希望のない悲観的な見方、自傷あるいは自殺の観念や行為、睡眠障害、食欲不振といった一般的症状も出現していた。そして、このようなうつ病を示す諸症状は亡Bが自殺した同年七月七日までの間持続していた。このような状況をICD―10のうつ病診断基準に照らすと、うつ病の典型的な症状である抑うつ気分、興味と喜びの喪失、活動性の減少がいずれも出現しており、一般的症状である睡眠障害、悲観的な見方や自殺の観念等も出現しており、かつ、これが二週間程度持続していたことからすると、同年六月中旬にうつ病を発症していたと認められる。そして、亡Bの自殺は、うつ病の発症に伴って生じる希死念慮は発症初期と回復期に多く認められるという精神医学の定説にも合致している。

(イ) A7医師(以下「A7医師」という。)は、医学意見書で、亡Bの経歴、家庭の状況、性格、受診歴、業務内容、業務状況等について子細に検討した上で、b支店在籍中にうつ病を発症していたとは認められないとし、c支店への異動後は、平成一七年四月ないし五月に亡Bがうつ病を発症していたとは認められないものの、同年六月については、亡Bが、同月中旬に送ったメールの内容はうつ病の症状の一つである「抑うつ気分」に該当すること、同月一八日に北海道旅行をキャンセルしたいと言い出したことは、うつ病の症状である「活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少」に該当すること、同月二二日に毎晩見ていたニュースを見ずに寝室に先に入り、同月二七日ころには早朝に目が覚めるようになっていたことは興味の喪失あるいは不眠を示すものであること、同月二四日にクリーニングすべきスーツの選別が自主的にできない状態になっており、判断力の低下が認められること、同月三〇日に将来に対する悲観的な見方が強い内容のメールを送信していること、同月末に一審原告X3に自殺をほのめかす言動をしたことからすれば、同月中旬にうつ病を発症したと考えるのが妥当であるとし、同年七月一日から六日にかけて食欲や気力が著しく減退し、体重も急激に減少していたことから、同年六月下旬ころに発症したうつ病が急速に増悪したものと認められ、強い希死念慮を惹起し、同年七月に衝動的な自殺に至ったものと考えられるとの意見を述べている。

(ウ) A8医師(以下「A8医師」という。)は、精神医学的意見書で、亡Bが平成一七年三月ころにうつ病を発症したとする一審原告らの主張及びA9医師(以下「A9医師」という。)の意見書に対し、同月は転勤による引継ぎや引っ越し準備のために気忙しい時期であり、普段と違う変化があっても不思議ではない上、c支店転勤が決まり大喜びで一審原告X3に電話したり(同月一一日)、転勤を控えて張り切っている様子も認められるのであり、同月ころにうつ病を発症していたとの見解は誤りであるとし、同年四月については、A9医師の意見書でも同月にうつ病は一時軽快したとみている上、同年七月の北海道旅行を計画したり、ゴールデンウィークに一審原告X3と旅行に出かけたりしており、うつ病が発症したとは認められないとし、同年五月については、同月中旬に一審原告X3に「淋しい」とメールしたり、b支店の元同僚と思われる人物に「相変わらず毎朝会社に行くのが憂鬱な日々です。」とメールしているが、前者は一時大阪に帰った一審原告X3に甘えた内容のものであり、後者はそのころ実施された金融庁検査について愚痴をこぼしたものと解され、これを抑うつ気分を有していたと判断することは誤りであり、仮に抑うつ気分によるものとしても、二週間を超えない短期間のものであり、ICD―10のうつ病の診断基準を満たさないのはもちろん、同月にうつ病を発症したと認定することはできない。しかし、同年六月については、同月一八日に北海道旅行をキャンセルしており、抑制症状により億劫になったものと考えられ、同月二二日ころから不眠も現れており、一審原告X3からの連絡に対する返事や帰るコールもなくなっており、忙しさでは片づけられない異変が表れており、同月中旬ころがうつ病発症の時期と解されるとの意見を述べている。このようにA7医師とA8医師の見解は平成一七年六月中旬ころに亡Bがうつ病を発症したとのことで一致している。

イ うつ病発症の原因について

(ア) 亡Bがb支店業務第一課において担当した融資業務は同僚の半分程度に軽減されていたにもかかわらず、亡Bは早出出勤を繰り返しており、c支店でも担当業務の量は少なくて定時に帰宅する日も多くあったにもかかわらず、亡Bが早出出勤を続けていたとすれば、亡Bは担当業務の量の多少にかかわらず非効率に長い時間をかけて仕事をする癖が身についてしまったものと解される(亡Bの言い方では「生活スタイル」)。そのため、c支店に異動後、同支店で実施されていた労働時間短縮策(原則として時間外労働を命じない、命じる場合も午後八時までとする、出入りの鍵は管理職が管理するという方策)について、亡Bはこのような労働時間の管理は自分にとって厳しい、自分に合わないと感じるようになり、これにより精神的ストレスが増大し、うつ病を発症したものである。したがって、亡Bのうつ病発症の主因は、亡Bの心の脆弱性とc支店へ異動後の就業環境の変化によるものである。

(イ) A7医師は、医学意見書で、両支店での業務の過重性からうつ病を発症したとは認められず、亡Bの仕事の進行は遅く、時間を多くかけて他の職員と同等の仕事をこなしていたという実態から、労働時間の管理をしていたc支店での仕事をやりにくい、自分に合わないと強く感じ、これが徐々に強いストレスになり、加えて公庫の改革、政策金融改革が議論に上り、将来の公庫を取り巻く環境が大きく変化することが予想されたことから、窮屈で過ごしにくい未来が待っているような不安感が徐々に増大していった可能性や一審原告X3との同居開始により自分だけで生活のペースを決めることが難しくなったことによるストレスや一審原告X3の退職により一家の大黒柱としての責任の重圧を感じていた可能性があり、これらが亡Bのうつ病発症の原因になったと考えるのが妥当である旨述べて、亡Bのうつ病発症の原因が業務にあることを否定する意見を述べている。

(ウ) A8医師は、精神医学的意見書で、亡Bの性格は、うつ病親和性格と云われる完全主義で几帳面、他人への配慮が強い一方、事務処理のメリハリをつけることやスケジュール管理は不得手であり、業務効率が悪く、仕事の進捗に対する漠然とした不安感を有していたと認められることや、亡Bが自己を子羊になぞらえて「めぇ」と呼び、一審原告X3に非常に甘えていたという亡Bの性格・行動特徴から、b支店での早出出勤をして長い時間をかけて仕事をする癖が身についていた亡Bが、c支店で実施されていた労働時間管理が自分にとって厳しい、合わないと強く感じるようになり、苛立ち、焦りが募ってストレスが増大し、他方で、強く甘えてきた一審原告X3が平成一七年六月一八日から完全同居したことで荷おろし状況となり、うつ病を発症したと考えられるとし、結論として、亡Bのうつ病の発症は、長時間労働などの業務の過重性によるものではなく、個人的因子によるものとの意見を述べている。

(3) 一審被告の安全配慮義務違反について

ア 予見可能性の有無

(ア) 安全配慮義務違反が成立するためには予見可能性のあることが必要であるが、使用者は結果(傷病)の発生を予見し、その発生を回避するための具体的な措置を取ることが求められるのであるから、予見の内容は具体的・客観的であることが必要であり、業務による労働者の精神障害の発症に関する予見可能性については、業務の遂行に伴って慢性的疲労や心理的負荷が過度に蓄積することにより、労働者の心身の健康が損なわれてうつ病等の精神障害を発症するおそれがあることを具体的・客観的に予見し得る必要がある。

(イ) b支店及びc支店の農業融資の業務量についてみると、b支店は、平成一六年度は、担当職員一人当たりの融資件数二六件、融資金額三億二八〇〇万円(全国二二支店中、融資件数で一二位、融資金額で一七位)であり(平成一六年度の全支店平均三三件、五億二四〇〇万円)、c支店は、平成一七年度は、担当職員一人当たりの融資件数一六件、融資金額一億七四〇〇万円(全国二二支店中、融資件数で一九位、融資金額で二二位)であった(平成一七年度の全支店平均二八件、五億四一〇〇万円)。

これによれば、亡Bが在籍していた当時の両支店の農業融資担当部署には相当余裕のある人数の職員が配置されていたのである。

(ウ) b支店においては、前記のとおり亡Bの融資業務の量は大幅に軽減されており(しかも、その担当融資案件中に異例の案件もなかった。)、亡Bの心身に慢性的疲労や心理的負荷が過度に蓄積し、その健康を害するような著しい過重性、過酷性は全くなかった。

加えて、亡Bは平成一六年一二月三一日に作成し、提出した自己申告書に、担当業務に関しては「満足」している、自己の能力については「発揮できている」、ストレスについては「ややある」と記載していることからすれば、亡Bは強いストレスは受けていなかったものである。

また、亡Bは、平成一六年四月から平成一七年三月までの間、心身の不調を訴えたこともなく、平成一六年一〇月の定期健康診断でも異常は認められていないし、上司や同僚も亡Bの異常な様子を見たことはなく、一審原告X3も亡Bの心身の不調を認識しておらず、公庫への申告もなかった。

したがって、A3課長らb支店の管理者において、亡Bが早出出勤をしていたことを認識していたとしても、亡Bが担当業務によって心身の健康を害することを予見することは困難であった。

(エ) c支店への異動後については、亡Bの担当した業務は筆頭調査役として通常の業務であり、亡Bが死亡するまでに具体的に担当した融資案件はスーパーL資金一件(融資額九九九万円)であり、それも前任者によって特別融資制度推進会議の認定手続までは終了しており、亡Bが担当したのは貸付決定の手続に過ぎない。そして、異動当時は年度当初であったため、借入希望者から融資相談を受ける程度であり、貸付審査手続にある融資案件はなかった。

そして、c支店では労働時間削減の取組がされており、時間外労働も少なかった。具体的には、亡Bがc支店に在籍していた平成一七年四月一日から同年七月六日までの間の総労働日数六四日のうち、終業時刻(午後五時二〇分)に退出した日が三一日、時間外労働をしても午後八時までに退出した日が一一日、午後八時に退出した日が一四日、午後八時以降に退出した日は八日であり、時間外労働時間は前記のとおり、同年四月は一五時間四〇分、同年五月は三三時間二〇分、同年六月は二二時間三五分、同年七月は八時間三〇分であった。このように、亡Bは、午後八時までとされた時間外労働の枠を目一杯使うこともなく、余裕を持って業務を遂行していた。

もっとも、亡Bと同時にc支店に異動してきた同じ業務第一課のA10職員が平成一七年五月二四日から同年七月三日までうつ病による病気休暇を取得したため、上記期間中、同職員の担当していた融資案件三四件を他の職員が分担し、亡Bも二件を分担したが、亡Bがその二件について具体的な処理をすることはなかった。さらに、同年六月一三日の健康診断でも亡Bの異常は指摘されず、上司や同僚も亡Bに異常を感じたことはなく、一審原告X3も異常に気付くことはなく、c支店に連絡することもなかった。

したがって、c支店のA11課長等の管理者が亡Bが業務を遂行する過程で慢性的疲労や心理的負荷が過度に蓄積し、それによって心身の健康を害し、うつ病等の精神障害を発症する危険があると予見することは到底不可能であった。

なお、亡Bのうつ病は平成一七年六月中旬ころに発症したものであり、その一因として、c支店では労働時間削減の取組がされていたところ、これがb支店では自由に早出出勤を含む時間外労働をして時間をかけて業務を処理してきた亡Bにとってはかえってストレス(心理的負荷)になったと考えられる(A7、A8の両医師の見解も同じ)。しかし、そのような原因で心身の健康を損ないうつ病等の精神障害を発症するというのは極めて特異な出来事であり、通常予見することはできず、また、そのようなことが一因となって亡Bがうつ病を発症したのは、自分自身の心の脆弱性によるものというべきであり、これを公庫において予見することは到底不可能である。

(4) 過失相殺について

ア 精神障害の発症には単一の病因ではなく、素因、環境因等の複数の病因が関与していると一般に解されており、労働者の精神障害の発症につき、使用者に何らかの安全配慮義務違反や注意義務違反が認められる場合であっても、精神障害発症の病因の一つである個人側要因について何ら考慮することなく、全損害を使用者に負担させるのは公平を欠くから、過失相殺法理を適用ないし類推適用して、使用者に負担させる損害額を減じるべきである。

イ 本件については、亡Bがb支店及びc支店で従事していた業務は客観的に過重なものではなかったから、亡Bのうつ病発症の原因が担当業務の過重性にあったとは到底認められないのであり、うつ病発症の主たる原因は担当業務の過重性とは無関係のc支店における適正な労働時間の管理に関する亡Bの不適合にあるというべきであるから、三割を超える過失相殺をすべきである。

(5) 損益相殺について

一審原告X3は、平成二四年一一月二八日(原審口頭弁論終結時)以降、平成二四年一二月から平成二六年四月までの遺族補償年金(二か月分で五二万四一九〇円)として四七一万七七一〇円及び遺族厚生年金(二か月分で一一万二八五〇円)として一〇一万五六五〇円を受給しており、これを損益相殺すべきである。

(一審原告ら)

(1) 亡Bの業務の過重性に対する一審被告の主張に対する反論

ア 一審被告は、亡Bが、b支店業務第一課で、入庫一四年を経たベテラン職員であるにもかかわらず、他の職員よりも担当融資案件数が少なかった点を強調するが、そもそもA3課長が亡Bの担当業務の量を調整したのかどうか明らかでなく、亡Bが農業融資を担当したのは約一〇年振りであり、不慣れであったことは否定できない上、亡Bは、前任者であるA3課長が筆頭調査役として担当していた融資業務以外の業務(資金需要調査や本店への報告対応)も引き継いでおり、亡Bの担当した融資案件数が少なかったから業務が過重でなかったということはできない。

イ 一審被告は、亡Bが平成一六年度にb支店業務第一課で担当した七件の融資案件について、異常、異例のトラブル等が生じたことはない旨主張するが、亡Bは、平成一七年一月七日、A3課長とともに「事前着工」と指摘されたa2畜産の件で香川県農業経営課を訪問し、同年一月二四日にはファックスでクレームを述べてきたA12宅を訪問して釈明し、a3産業の担保物件売却による繰上償還の内容が決まらないために異動の前日である同年三月三一日までa3産業社長に電話をせざるを得ない状況であったのであり、これらはいずれも異例、異常なケースに該当する。

ウ 一審被告は、亡Bのb支店業務第一課での早出出勤は亡Bの生活習慣であると主張するが、亡Bの業務処理はそれ以前のb支店業務第二課のときから遅れがちであり、亡Bの早出出勤は遅くともそのときから始まっていたものであり、早出出勤は亡Bにとって業務上必要なものであった。なお、A13支店長やA4職員等から早出出勤の理由を問われ、亡Bが「朝出るのが好きだから」とか、「生活スタイルである」とかの返答をしていたとしても、亡Bは早出出勤をしなければ業務が処理できないことに負い目を感じていたはずであるから、表面的に取り繕ったにすぎない。

エ 一審被告は、c支店では、①亡Bには業務上特別の負荷はなく、②時間外労働も短時間であり、③業務による疲労を回復するための十分な休息も取っていた旨主張する。しかし、上記①については、A11課長は、亡Bの転勤一か月後には亡Bは業務遂行が遅く、手際が悪いといった感じを受けていたが、業務の平準化を図ったことはなく、かえって、うつ病により休暇を取得したA10職員の担当案件を亡Bにも割り当てたり、新規農業参入窓口を担当させたりしており、また、平成一七年五月には金融庁の検査に対する準備として、亡Bも他の職員と分担して補足資料の作成や現地確認に七日間関わり、そのために同月は若干時間外労働が増えて約三三時間となっている上、亡Bの同月二二日付けの「あ~明日出勤するのがユーウツです」とのメール及び同月二九日付けの「相変わらず毎朝会社に行くのが憂鬱な日々です」とのメールは、金融庁検査に対する対応を含む業務に対する亡Bの退避的感情及び憂うつ感を示している。上記②については、亡Bは、午前八時三〇分ころには仕事を始め、終業時刻は午後八時ころであり、長時間労働をしていた。なお、c支店では、課員が残業を行う場合に課長が残って業務終了を見届ける体制になっていたからといって、超過勤務命令票に実際に残業した時間が正確に記載されているとは限らないから、亡Bの超過勤務命令票の「実績時刻」欄に記載された時間を参考に終業時刻を認定することはできない。むしろ、A14職員は亡Bが業務終了後ほぼ毎日午後八時ころまで残業していた、金融庁検査の二、三週間程前は事前準備で毎日午後八時、九時まで残業していた旨述べており、真面目で控えめな亡Bの性格からすれば、超過勤務命令票に記載していない残業時間もあったのが実態である。以上のとおり、b支店時代よりも亡Bの担当業務の量が少なかったとしても、亡Bは、午後八時まで確実に業務を終えていたわけではなく、亡Bの従事した労働時間が長時間のものではなく心理的負荷がなかったということできない。上記③については、同年四月二、三日はb支店から転勤して初めての週末で、前日の一日には疲労困憊してホテルで倒れ込むようにして寝ており、同月三日には昼過ぎに届いた荷物の荷ほどきをしており、転勤前後の疲労の蓄積が解消されるような十分な休息は取れてはいない。また、同年五月一五日は、顧客のa4農協・a5養鶏場の写真をとるために出向いており、同年六月一一日には自宅で仕事の書類を作成しており、表面的には休暇となっていても亡Bが完全に仕事のことから離れて休息をとれていたわけではない。

以上のとおり、一審被告の上記主張は失当である上、加えて、亡Bの心理的負荷はc支店におけるものだけでなく、b支店において蓄積された心理的負荷がc支店に赴任してからも継続していたことを考慮すべきである。

(2) 亡Bは、平成一七年三月末には、軽症うつ病を発症したことについて

ア 亡Bは、平成一七年三月末には、軽症うつ病を発症していたものである。

A9医師は、その意見書で、亡Bには、同月末までに、①平成一六年年末に会社を爆破したいと述べるなど将来に対する希望のない悲観的な気持ちや無価値感、②一審原告X3に悪い亭主だと謝るなど罪悪感や自責感の高まり、③親戚宅で居眠りするなど活力の減退と易疲労、④平成一七年一月以降、それまで好きであったバッティングセンターに行かなくなるなど興味と喜びの喪失、⑤メールの内容も「悲しいお知らせがあります」、「ご臨終です」と悲観的なものがみられるようになるなど抑うつ気分、⑥同年二月には、一審原告X3に仕事上の書類の作成を頼むなど易疲労性と焦燥感、⑦同年三月には転勤を前にして一人ではもう耐えられないと述べるなど自信の低下などのエピソードがみられることから、亡Bは、遅くとも同年三月末までにICD―10の軽症うつ病の基準を満たす状態にあり、うつ病を発症していた旨の意見を述べている。

そして、これらのエピソードはICD―10の軽症うつ病の判断基準に照らしても相当である。

イ また、過労性ないし職場結合性うつ病では、欠勤することなく仕事をこなすことからも、周囲の者が異常に気付きにくい特徴があることは、医学文献等で指摘されており、医学的知見となっている。亡Bも、業務の加重性による職場混合性うつ病であり、不安・焦燥が前景であることが裏付けられるのである。

ウ 一審被告が援用するA7医師、A8医師の意見書等は、その前提とする事実経過の認識、業務実態や長時間労働の評価に誤りがあり、採用に値しない。

(3) 過失相殺について

ア 亡Bに、①公庫における勤務歴が一四年と比較的長く、管理職ではないもののそれに準じる地位にあり、また、②公庫での滞在時間を自ら長くしたという事情があるとしても、これをもって、過失相殺事由とすることはできない。

イ すなわち、上記①については、仮に、何らかの健康上の問題があれば自ら公庫に申出や相談をすべきであったのにこれをしなかったこと(健康状態の問題の申出・相談義務違反)を過失相殺事由とすれば、長期勤務者や、管理職ないしそれに準ずる地位にある者については一般的に過失相殺が当然に行われることになりかねない上、労働者が健康状態の悪化について使用者に申出・相談しなかったことをもって、使用者が労働者の健康状態の悪化に気づきにくかったとして過失相殺を認めることは、使用者の労働者に対する健康配慮義務を不当に軽減し、健康配慮義務を怠った使用者を免罪にするものであり、不当である。また、長時間労働等の客観的に過重な業務がうつ病発症の原因と一つとなっているような場合には、被災労働者がその結果うつ病を発症し、更に自殺に及んでしまうことは一般的に予見可能であり、自殺に関する損害は通常損害と解されるところ、本件では、亡Bの従事していた労働が、労働時間やその内容からみて客観的に過重であり、そのような過重労働に継続して従事させていれば、うつ病を発症し、更には自殺に及んでしまうかもしれないという認識を使用者が持つことは可能であった。したがって、亡Bの申出・相談がなかったために「亡Bの健康状態の悪化に気付きにくかった」として過失相殺を行うことは認められるべきでない。さらに、本件では、亡Bには自分の業務の処理状況が順調でないことの認識はあったが、自分に「健康上問題がある」という認識はなかった(自らがうつ病に罹患しているという認識はなかった。)。したがって、亡Bに自分の健康上の問題について「申出」や「相談」をする動機付けがないことは明らかであり、亡Bが公庫に「申出や相談」をしなかったことをもって過失相殺の事由とすることはできない(平成二六年三月二四日最高裁判所第二小法廷判決(平成二三年(受)第一二五九号)参照)。

ウ 次に、上記②については、仮に、労働者は休息の時間を適切に確保して自己の健康の維持に配慮する義務があるとしても、使用者との関係における義務性の有無、これを肯定する場合における義務の程度などをどのように考えるかは単純ではなく、例えば、朝食を自宅で摂るか、公庫に出勤してから摂るかによって疲労の蓄積や解消に大きな違いが出るとは考えられず、亡Bの公庫での滞在時間が長かったことをもって、亡Bがこの義務を怠った(休息時間の適切確保義務違反)ということはできない。

(4) 損益相殺について

一審原告X3が、平成二四年一一月二八日(原審の口頭弁論終結時)以降、労災保険金として、平成二四年一二月から平成二五年八月までの分として二六二万〇九五〇円、平成二五年一〇月から平成二六年四月までの分として二一〇万一四七三円、遺族厚生年金として、平成二四年一二月から平成二五年四月までの分として六三万〇〇九九円、平成二五年六月から平成二六年四月までの分として二〇万七二九八円の支給を受けたことは認める。

第三当裁判所の判断

一  認定事実は、次のとおり補正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」の一項(原判決三二頁九行目から同六〇頁一二行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

(1)  原判決三四頁一七行目の「公庫の」の前に「公庫は、全額政府出資の政策金融機関で、食料の安定供給、農林漁業の振興、農山漁村活性化などのために、農林漁業や食品産業への融資を行っている。そして、公庫の融資条件は、資金の目的によってそれぞれ定められているが、自然条件の影響を受けやすく収益性の低い農林漁業の特性に配慮して、民間金融機関では融資が困難な長期・低利とされていた。」を加え、同二五行目の「担当者にとって」から二六行目の末尾までを「次のとおり、貸付決定までに顧客が農業経営改善計画等の認定を受けている必要があり、同認定の手続に関する顧客対応も含めると、他の資金に比べて担当職員の業務量が多かった。」に改める。

(2)  同三六頁四行目の末尾に「亡Bは、このほか、各支店で、林業、漁業、加工流通業等の融資関係業務に携わっていた。」を加える。

(3)  同三七頁四行目の「低かった」を「低く、亡Bの担当していた農業融資についてみると、平成一六年度は、担当職員一人当たりの融資件数二六件、融資金額三億二八〇〇万円であり(全国二二支店の担当職員一人当たりの融資件数の平均は三三件、融資金額は五億二四〇〇万円であり、融資件数で一二位、融資金額で一七位であった。)、平成一七年度は、担当職員一人当たりの融資件数一七件、融資金額二億九五〇〇万円であり(全国二二支店の担当職員一人当たりの融資件数の平均は二八件、融資金額は五億四一〇〇万円であり、融資件数で一六位、融資金額で一五位であった。)、融資件数、融資金額とも全支店中でも中位以下であった」に改める。

(4)  同四〇頁六行目の「計四件であった。」の次に「そして、亡Bが担当した上記七件の融資案件については、平成一七三月一六日に有限会社a6につき貸付決定が、同月一七日に有限会社a3産業、有限会社a15及び農事組合法人a7組合につき貸付決定が、同月二五日に有限会社a3産業及び農業組合法人a7組合につき貸付実行が、並びに、同月三〇日に有限会社a15につき貸付実行がそれぞれされており、亡Bは、同月一七日に残り三件の貸付決定についての起案作業を行った。」を加える。

(5)  同四一頁一三行目の末尾に改行して、次のとおり加える。

「キ 亡Bの勤務状況

亡Bのb支店業務第一課における平成一六年度の休日及び休暇の取得状況は、平成一六年四月は一〇月、五月は一三日、六月は八日、七月は一〇日、八月は一一日、九月は一〇日、一〇月は一二日、一一月は一〇日、一二月は一一日、平成一七年一月は一五日、二月は九日、三月は九日であった。この間、平成一六年八月二〇日に大腸ポリープの手術のために休暇を取得したほかは、病気怪我による休暇の取得はなかった。

この間に亡Bが従事した労働時間の認定は、後記(10)のとおりであるが、平成一六年七月から平成一七年三月までの間についてみれば、おおむね始業時刻である午前九時よりも一時間ほど早く勤務を開始し、また、終業時刻(午後五時二〇分)後の時間外労働時間は一か月に多い月で七〇時間ないし八〇時間台(平成一六年七月、一一月、平成一七年二月)であり、少ない月で一〇時間ないし二〇時間台(平成一六年九月、一〇月、一二月、平成一七年一月)であった。このため、亡Bの法定労働時間を超える労働時間は、多い月で一〇〇時間程度(平成一六年七月、一一月、平成一七年二月)であり、少ない月で三〇時間ないし四〇時間台(平成一六年九月、一〇月、一二月、平成一七年一月)となっていた。」

(6)  同四一頁末行の「低い方であった」を「低く、亡Bの担当していた農業融資についてみると、平成一六年度は、担当職員一人当たりの融資件数は二三件、融資金額は二億六八〇〇万円であり(全国二二支店のうち融資件数で一四位、融資金額で二〇位であった。)、平成一七年度は、担当職員一人当たりの融資件数は一六件、融資金額は一億七四〇〇万円であり(全国二二支店のうち融資件数で一九位、融資金額で二二位であった。)、融資件数、融資金額とも全支店中でも下位であった」に改める。

(7)  同四三頁一行目の「業務分担」を「融資業務の分担」に、同二一行目の「すでに」から同二二行目の「案件であり」までを「これは融資金額九九九万円のスーパーL資金であるが、前任者のもとで特別融資制度推進会議の認定手続及び融資の可否等の審査は済んでおり」に、同二三行目の「九〇」を「八九、九〇、証人A11」に、同二四行目の「事務分担」を「関連業務の分担」にそれぞれ改め、同二五行目の「年度初めに」の次に「上記ウの融資業務以外の関連業務についての」を加える。

(8)  同四四頁九行目から同四五頁一行目までを次のとおり改める。

「オ c支店における勤務時間管理の取組

c支店では、平成一六年四月以降、時間外労働時間の削減に取り組み、業務の効率化を図るなどしてきており、同年八月、当面の時間外勤務削減の方策として、①原則として時間外勤務は命令しない、②役付職員による出退勤管理として、課長は自課の職員の退出を確認した後、退出することを原則とすることとした。そして、この方策を同年八月から一〇月まで試行した後、同支店では、職員の時間外労働について、①時間外労働を命じないことを原則とし、時間外労働を行う場合であっても午後八時までには終了する、ただし、職員が午後八時以降も時間外労働を行う業務上の必要がある場合は、管理職に申し出ることにより従事することができる、②管理職は一般職員による時間外労働が終了するのを見届けた上で退室する、③同支店の入退室に使用するセコム警報装置のカードは管理職のみが保持するという方針を立て、また、毎週水曜日はノー残業デーとして定時帰宅をさせることとし、平成一七年四月以降も、この方針に基づいて時間外労働の抑制に努めた。

このため、同支店では、平成一六年四月以降(平成一七年七月までの間において)、職員一人当たりの時間外労働時間は多い月でも二〇時間台で推移していた。

カ 亡Bの勤務状況

亡Bのc支店業務第一課における平成一七年四月一日から同年七月六日までの休日及び休暇の取得状況は、平成一七年四月は一〇日、五月は一三日、六月は八日、七月は二日であった。この間、病気怪我による休暇の取得はなかった。

この間に亡Bが従事した労働時間の認定は、後記(10)のとおりであるが、c支店では上記オのとおりの労働時間管理がされており、おおむね、平成一七年四月から同年七月六日までの間、管理職により午前八時ころにはセコムの解除(入室)がされていることから、亡Bは始業時刻である午前九時よりも三〇分程度早い午前八時三〇分ころには勤務を開始したものと推認され、また、終業時刻(午後五時二〇分)後の時間外労働についても、上記のとおり時間外勤務を認める場合でも午後八時までを原則とするなどの管理が行われていたため、亡Bの法定労働時間を超える労働時間は、平成一七年四月分(同年四月八日から五月七日)は〇分(このうち終業時刻後の時間外労働時間は〇分)、五月分(五月八日から六月六日)は三一時間三五分(同二一時間五分)、六月分(六月七日から七月六日)が二四時間一〇分(同一三時間一〇分)であった(なお、四月一日から七日までの終業時刻後の時間外労働時間も〇分である。)。

キ 亡Bの行った業務の内容及び遂行状況

(ア) 平成一七年四月

平成一七年四月一日、c支店業務第一課に着任し、同月上旬までに、融資先や関係機関への挨拶回りや業務進行管理表の内容確認等を行い、その後、a9畜産の資金払出関連業務などの日常業務を行った。

(イ) 平成一七年五月

亡Bは、平成一七年四月二九日から同年五月五日まで七連休を取得し、融資案件に係る払出業務等の日常業務のほか、後記のとおり他の職員とともに金融庁の資産査定に係る検査の準備作業を行った(同年四月二六日(打合せ参加)、同月二八日(打合せ参加)、同年五月六日(準備)、同月九日(準備)、同月一〇日(準備)、同月一一日(準備)、同月一二日(現地確認))。

(ウ) 平成一七年六月

亡Bは、平成一七年六月中、a3産業、a2畜産の審査やa8生産組合の借入相談、a9畜産、a23社の条件変更(担保解除)等の日常業務を行った。

(エ) 平成一七年七月

亡Bは、平成一七年七月一日から六日までの間、同月六日にa11農協に会議で出張したほか、先月に引き続き日常業務を行った。」

(9)  同四五頁二〇行目の「九七、」の次に「一一六、」を加える。

(10)  同四六頁二行目末尾に「なお、一審原告X3は平成一七年七月二〇日にa12株式会社を退職する予定であったが、有給休暇未消化分を消化して同年八月二〇日付けでの退職となった。」を加え、同二四行目の「体重の減少もなかった」を「体重は六一kgであり、これまでの定期健康診断時の体重と比べ、減少はなかった」に改める。

(11)  同四七頁一行目の「平成一六年に切除した以外は」を「平成一六年八月に切除手術を受け、同年一〇月及び一二月に男性不妊症の疑いで検査等を受けたほかは」に改め、同三行目から同五三頁六行目までを次のとおり改める。

「(9) 平成一六年半ばから本件自殺までの亡Bの言動、生活状況等

平成一六年半ばから本件自殺に至る平成一七年七月六日までの間において、亡Bにつき、次のようなメールの送信や言動、生活状況等が認められる。

平成一六年九月ころ

亡Bは、A4職員やA13支店長等から早出出勤の理由を聞かれ、「朝出るのが好きだから」とか「生活スタイルである」と返答した。

一二月一日(水)

亡Bは、b支店野球部の納会に参加した。

一二月初旬

一審原告X3が亡Bに誕生日プレゼントでETC車載器を贈ると、亡Bは非常に喜び、正月と盆に必ず車で帰省したいと楽しみにしていた。

一二月九日(木)

亡Bは、b支店業務第一課の忘年会に参加した。

一二月一一日(日)

b支店職員らによるゴルフ会が岡山県のa13ゴルフクラブで開催され、亡BはA4職員らとともに参加した。

一二月一四日(火)

深夜、亡Bは、一審原告X3に対し、「めぇ~は良い先輩だけど、悪い亭主なの…(;_;)(T_T)/~」とメールした(これは、亡Bが妻である一審原告X3よりも後輩職員との飲み会等の付き合いを優先したことを指しているものと解される。)。

一二月一五日(水)

亡Bは、b支店の忘年会に参加した。

一二月一七日(金)

亡Bは、終業後にb駅前から高速バスに乗り、深夜に大阪市内の難波のバス停で一審原告X3と落ち合った。

一二月一八日(土)

朝、亡Bはa14医科大学で二回目の精液検査を行い、結果は良好であった。昼ころ、亡Bと一審原告X3は大阪市内で買い物をし、夕刻、一審原告X3の先輩宅で開催された餃子の会に参加し、亡Bは、ほろ酔いでソファで眠った。

一二月一九日(日)

亡Bは、大阪市内の百貨店で背広三着を新調し、一審原告X3からはベルト三本をプレゼントされた。夕刻、亡Bは、一審原告X3に対し、「X3や、いつもめえに優しくしてくれて、ありがとめえ~(;_;)もうすぐ津田です 家に帰ったら電話するめえ~(T_T)/~」というメールを送信した(これは、亡Bが、大阪からb市への帰りの高速バスの中から送信したものであると推認される。)。

一二月三〇日(木)

翌年一月三日まで五日間の連続休暇を取得した。

一二月末ころ

亡Bは、年末の火の用心の声を聞くと、一審原告X3に対し、「会社、爆破したいわ」と言った。

平成一七年一月一日(土)

正月の寒波で高速道路が封鎖となり、亡Bと一審原告X3は帰省することが出来ず、社宅で過ごした。亡Bらは神社を参拝した。

一月二日(日)

亡Bは、午後、一審原告X3と淡路島の温泉に行き、リゾートホテルに宿泊した。

一月三日(月)

亡Bと一審原告X3は、朝、ホテルを出発し、一審原告X3の実家に自家用車で向かった。その後、一審原告X3の実家で法事に参加した。亡Bは、会食後、疲れが出て居眠りをした。

一月八日(土)から九日(日)

亡Bは、八日に一審原告X3と難波で落ち合い、近鉄電車で三重県d市にある亡Bの実家に帰省した。亡Bと一審原告X3は、母、叔父、叔母と銭湯に行った。九日朝、亡Bらは、祖母の七七日法要に出席し、墓参りをした。亡Bと一審原告X3は、夕刻、電車で、d市から大阪市に到着し、ケーキ屋で、一審原告X3の誕生ケーキを購入した。

一月一〇日(祝)

亡Bらは、朝食時に一審原告X3の誕生ケーキを食べた。亡Bらは映画を観賞し、難波の居酒屋で飲食した。亡Bは、夕刻、高速バスでb市に帰った。

一月一五日(土)

b支店野球部の練習があり、亡Bはこれに参加した。亡Bは、ピッチャーで野球部の中心メンバーであり、このころまで、月二回程度の野球部の練習に参加していた。

なお、一審原告X3は一四日(金)からb市に来て週末を過ごし、一七日(月)朝、高速バスで大阪に帰った。

一月二二日(土)及び二三日(日)

亡Bは、二二日午後、大阪の梅田で一審原告X3と落ち合い、週末を大阪で過ごした。一審原告X3がレストランで食事をご馳走すると、亡Bは喜んだ。二三日昼過ぎ、亡Bと一審原告X3は餃子スタジアム(梅田)に行った。その後、難波に移動し、亡Bは高速バスでb市へ帰った。

一月二六日(水)から二八日(金)

亡Bは、年次有給休暇を取得して三日間業務を休んだ。

一月中

業務第二課の同僚職員の部屋でおでん鍋パーティーが開催され、一〇名程度の職員が集まり、これに亡Bも参加した。

一月下旬

亡Bは、それまで時折行っていたバッティングセンターに行かなくなり、それまで買っていた週刊誌や時代劇の漫画も買わなくなった。

二月一一日(祝)

一審原告X3が夕刻にb空港に到着し、亡Bと一審原告X3は道の駅にある温泉施設に立ち寄った。その後、亡Bは、家で仕事をするために会社に資料を取りに行き、遅い夕食をとった。

二月一二日(土)

亡Bと一審原告X3は、午後、鳴門市の海鮮料理の店で食事を取り、徳島県板野郡にある温泉に行った。

二月一三日(日)

亡Bは、家で、仕事上の資料を作成し、一審原告X3も、これを手伝った。一審原告X3は、夜、バスで大阪に帰った。

二月一九日(土)、二〇日(日)

亡Bが休日に仕事があると言ったので、一審原告X3は、大阪で過ごした(ただし、亡Bが、休日出勤したと認めるに足りる証拠はない。)。

二月二三日(水)

夕刻、亡Bは、「めぇちゃん今夜か明日早朝…」というタイトルのメールで排卵日を知らせてきた一審原告X3に対し、「だいじょうぶ!!まかせなさい!!( ̄^ ̄)ただし、仕事アホみたいに忙しいから、平日は構ってやれへんで!」というメールを返信した。

亡Bは、公庫の元職員であるA15らと飲み会をして、酔って帰宅した。亡Bは楽しかった様子で、帰宅後直ぐに寝始めた。亡Bは、翌朝元気にシャワーを浴びて、乾布摩擦をしてから出勤した。

二月二四日(木)

夕刻、亡Bは、一審原告X3からの「めぇ~ちゃん!」というタイトルのメールに対して、「ハッスルしますから、精の付くモン用意しといてや!( ̄^ ̄)」というメールを返信した。

二月二五日(金)

タ刻、亡Bは、一審原告X3からの「めぇ~O(^―^)O」というタイトルのメールに対し、「今夜は何のご馳走めぇ~か?(^Q^)/^」というメールを返信した。

二月の週末

亡Bは、一審原告X3を香川県や徳島県の日帰り温泉に連れて行った。一審原告X3が「忙しいのにええよ。」と言っても、亡Bは自分が行きたいと言って温泉に行った。

また、週未にはb支店野球部の練習があり、これに亡Bも参加し、同じく練習に参加していたA16職員に対し、「A16君、フライを捕るのが上手くなったね。」と言った。

三月一一日(金)

亡Bは、午後、一審原告X3に対し、喜び声で、「c支店に転勤になった。c支店の社宅は高台にあり夜景も絶景らしいで。今度こそa12社を辞めてついてきてくれ。」と携帯電話で連絡した。その連絡を受けた一審原告X3は、ガッツポーズをとり、その夜、亡Bとc市の話題で長電話をした。c支店への異動の内示を受けた後、亡Bは、一審原告X3に対してc市の楽しそうな情報を与え続け、「c市は狭い場所にいろんな文化と自然が詰まっていて、見所が多いらしい。食べ物もおいしいらしい。坂道ばかりだが風情があって、一度行くと二度と他の支店に出て行きたくないと思うらしいよ。」、「めぇ様が(仕事の頑張りという意味で)c支店に原爆以来の衝撃を与えてやるんだ!」、「温泉といえばeぐらいしかないのがちょっと残念」、「c支店にはf時代に一緒だったA17くんがいますよッ。また釣りを再開しますよッ。X3も釣りをするんですよッ。」などと述べた。

三月一三日(日)

亡Bは、b市内の百貨店に社宅から片道七km程の距離を自転車で行き、客が混雑している売場で後輩職員や一審原告X3に対するホワイトデーの品物を買った。

三月一八日(金)

亡Bは、業務第一課の送別会に出席した。

三月二〇日(日)

亡Bは、昼に、家で、仕事の資料の整理などを行っていた。このころ、亡Bは、夜、社宅近くの銭湯に出かけていた。

三月二四日(木)

亡Bは、b支店全体の送別会に出席した。

三月二六日(土)

亡Bは、仕事の資料の整理廃棄などを行っていた。また、c支店から送付されてきた同支店の社宅であるl町住宅の資料と住宅地図、職場付近の地図をコピーして一審原告X3にも渡した(これに対し、一審原告X3は、転機を迎える自分にも細やかに気配りをしてくれることがありがたいと感じた。)。

三月二八日(月)

夕刻、亡Bは、c市への引っ越しの準備をしてくれた一審原告X3に対して、「ずいぶん遅くまで頑張ってくれたんやなぁ!この借りはcで!」というメールを送信した。

三月三〇日(水)

昼ころ、半日休暇を取得して引っ越しの準備をしていた亡Bは、一審原告X3に対し、「X3のおかげでいつもよりずっとスムースだっためぇ~(^O^)/ でも、結構ゴミが出て、お父さん、お母さんに迷惑かけるめぇ~(;_;)」というメールを送信した。

亡Bは、一審原告X3が手配したビジネスホテルに宿泊し、一審原告X3に対し、「君がおってくれるだけで今回はとても楽だった。」と感謝の言葉を述べた。

四月一日(金)

亡Bは、b駅を午前中に出発するJRで、c市に向かった。途中、一審原告X3に対し、「九州上陸めぇ~(^O^)/」というメールを送信した。亡Bは、c支店に着任し、後輩職員四、五名と共に中華街に行き飲食した。酒に酔った亡Bは、一審原告X3が手配したホテルの部屋で、ネクタイもして革靴も履いたままベッドに倒れ込むようにうつぶせで寝ていた。一審原告X3は、夜、ホテルに到着した。

四月二日(土)

亡Bは、一審原告X3とともに、昼からc市内の観光に出かけた。夜には、宿泊しているホテルの近所の魚料理の店で、祝杯をあげた。

四月三日(日)

亡Bと一審原告X3は、宿泊していたホテルを午前中にチェックアウトし、電車で移動してc支店の社宅であるl町住宅に入居した。二人は社宅の住人に挨拶し、その夜、二人は外食し、社宅近所の銭湯へ行った。このころ、亡Bは、よく眠ることができた。

四月六日(水)から三〇日(土)

一審原告X3は、四月六日朝、大阪に向かい、四月末まで大阪で過ごしていた。亡Bが休みの日に一審原告X3に対して沢山メールを送信したことから、一審原告X3が「今日は何したの?野球部はないの?」と聞くと、亡Bは「社宅の野良猫に話しかけとった。何匹もおるんや。我が物顔で車の下とかで寝とんねん。」と答えたり、野球に関しては「野球はなかなか人数が揃わないのでできない、(中略)支店長はやりたがっているけど。」と答えたりした。また、亡Bは、一審原告X3に、電話などで、「c支店はとても残業規制が厳しくて、まだ明るいうちに帰宅させられ、車でダイエーに行ったりできるから、すごく変な感じがする。」「暇なので、映画のビデオをレンタルしてきた。」と述べていた。また、亡Bは、「有給消化しなきゃあかんらしいから、北海道か九州かで豪華宿泊まろう!風呂付部屋に泊まってみる?同居祝いや!」と述べて、旅行のパンフレットを検討するなどしていた。このころ、亡Bは、一審原告X3に、健康のため五〇分かけて会社に徒歩で通勤していると述べていた。

四月七日(木)

亡Bは、職場の歓迎会に出席した。

四月九日(土)

深夜、亡Bは、一審原告X3に対し、「めぇ~一郎はX3のせいじゃないですよ!!(T_T)/”」というメールを送信した(亡Bは、妊娠していなかったとの一審原告X3のメールに対し、一審原告X3のせいではないと同人を励ましたものである。)。

四月一〇日(日)

亡Bは、同僚のA14職員と釣りに出かけ、温泉施設へ行った。

四月一八日(月)及び一九日(火)

亡Bは、一審原告X3との間でメールを何度も交換して、七月に予定していた北海道旅行について検討した。

四月二三日(土)

亡Bは、社宅近くのスーパー銭湯(◎◎湯)に行き、夕刻、一審原告X3に対し、「◎◎帰りのめぇ~ですけどッ!今日は朝からシュークリーム一個しか食べていない(:_:)ので、これから野球見ながらビールと夕食めぇ~(^^)vめぇ~妻もしっかり中日の応援するのじゃそえ!(^O^)/めぇ~めぇ~」というメールを送信し、夜、亡Bは、一審原告X3に対し、「めぇ~は淋しいの…(T_T)めめッ(T_T)/~」とメールを送信した(このメールについて、一審原告X3は、「新婚特有の甘やかな感情かな」と嬉しく思った。)。

四月二四日(日)

亡Bは、一審原告X3に、隣室の騒音がうるさいとのメールを送信した。また、一審原告X3に対し、「いつまでも落ち込んでいると、幸せが逃げますよ!めぇ~めぇ~元気を出しなさい!(^O^)/」というメールを送信した。

四月二六日(火)

亡Bは、一審原告X3と五月の連休に計画していたm島旅行について、一審原告X3との間でメールの交換をして、旅行先での夕食について検討した。

四月二八日(木)

深夜、亡Bは、一審原告X3に対し、「X3や、くれぐれも自分を追い詰めてはいけませんよ…(@_@;)少しくらいなら、めぇ~にあたってもいいからね(T_T)/~」というメールを送信した。

四月二九日(祝)

亡Bは、一審原告X3に対し、近所のスーパーで食材を買い込んだことを報告するとともに、c市に来たらたっぷりといたわってあげる旨のメールを送信した。

亡Bは、五月二日(月)に有給休暇を取得し、四月二九日から五月五日まで七連休とした。

四月三〇日(土)

夜、一審原告X3が大阪からc市に引っ越してきた。同日直前まで、亡Bは、一審原告X3に対して、「本当に大阪に飛ばなくていいの?」と引っ越しの手伝いに大阪に行くつもりがあることを述べて、一審原告X3を気遣っていた。一審原告X3が「プロの引越屋に任せるから一人で大丈夫」と遠慮すると、亡Bは「じゃあc市で豪華接待してあげる」と言って、◇◇まつりやm島のことについて調べて、宿を予約するなどした。

五月一日(月)から二日(火)

亡Bは、一審原告X3とm島に一泊旅行をした。旅行先で、二人はサイクリングを楽しんだ。

五月五日(木)

大阪から一審原告X3の荷物が到着し、亡Bと一審原告X3は業者と一緒に荷物の搬入作業を行った。

五月七日(土)

亡Bは、一審原告X3に対し、七月に予定していた北海道旅行について、白金温泉や知床も回りたいと希望を述べた。亡Bは、一審原告X3と一緒に家具を下見に行った。

五月八日(日)

母の日であったため、亡Bと一審原告X3はカステラを購入し、双方の実家に送った。

五月九日(月)ころ

一審原告X3が社宅で、バリカンを使って亡Bの髪を刈り上げた。亡Bは、もみ上げが一部トラ刈りになったことに不満気であったが、「会社で誰も何も言わんかった。変やと思っていえんかったはず。」と恨み気に冗談を言った。

五月一一日(水)

一審原告X3が、五月一一日から同月二〇日まで、大阪に戻り、c市を離れた。その晩以降、亡Bは、一審原告X3に対し、淋しげにメールや電話を頻繁にした(これに対し、一審原告X3は、「素直に嬉しくて自分の退職の淋しさはどこかに吹き飛んでいました」と感じていた。)。

五月一二日(木)

亡Bは、帰宅後に銭湯に行き、自宅で晩酌した。

五月一四日(土)

亡Bは、夕刻、一審原告X3に対し、「めぇ~ちゃんが淋しくて泣いてますよッ!(;_;)(T_T)/~」というメールを送信し、夜にも「淋しいめぇ~(>_<)淋しいめぇ~(T_T)/~」というメールを送信した。

五月一五日(日)

亡Bは、午後にn温泉館を一人で訪れて温泉につかり、帰宅すると一審原告X3に対し、「一人淋しんぼのめぇ~(;_;)ですけど…」とのメールを送信した。また、その後、仕事が終わる気がしないとメールしてきた一審原告X3に対し、「無理しないようにね」というメールを送信した。

五月二〇日(金)

亡Bは、夜、バス停に、c空港からバスで到着した一審原告X3を迎えに行った。

五月二一日(土)から六月一一日(土)

この間に、亡Bは、「c支店にいるのも一年少しかも知れない」と言い始め、一審原告X3が「ええっ!!そんなん前と話が違うやん。それやったら、私もボランティア休暇か何かで休職方法考えたのに。」と言うと、亡Bは「いやぁ、同期の中で、一応、順調出世組なんで、それやったら課長になったときに支店変わるもんやねん。」と言った。

五月二三日(月)

亡Bは、g支店に金融庁の臨店検査が入ったとの元同僚からのメールに対し、「g支店は大変だったみたいですね・・明日はc支店かもって、けっこう支店はパニクッてました・あ~明日出勤するのがユーウツです」というメールを返信した。

五月二四日(火)ころ

このころ、職場でA10職員がうつ病で休暇を取り始めた。亡Bは、業務の打合せ時に必ず携える大学ノートに「どうやって営業に出る時間を捻出するか」と走り書きした。

五月二七日(金)

亡Bは、終業後、A18次長及びA11課長と一緒にビールを飲んで夜遅く帰宅した。帰宅後、亡Bは家で夕食を取った。

五月二八日(土)

亡Bは、一審原告X3、支店の同僚二名(A14職員、A19職員)とhへアジ釣りに行った。亡Bだけ一匹も釣れなかった。亡Bは一人でお菓子を取り出してこそこそ食べ、「わ、みんなにも分けてよ。」と言われてお菓子を分け始めると、A19職員が、「Bさん、またやなぁ」と微笑ましげに独り言を言った。一審原告X3がその意味を聞くと、A19職員は、亡Bは引き出しからこそこそチョコ等をつまみながら仕事をしていると答え、一審原告X3は「もうリスとか小動物みたいやろ」と言って笑った。

五月二九日(日)

亡Bは、子供が産まれたと報告してきた元同僚(A20職員)に対し、「(名前)の案は幾つか考えた・・愛する我が子への最初のプレゼント・であり、一生のことだと思うと、慎重にならざるを得ないよね・ところで、命名権は貴殿にあるの・双方の両親も相当の関心を持ってるだろうし…それにしても、羨ましい限りです・当方も先月末から人並みに同居生活が始まりましたが…相変わらず毎朝会社に行くのが憂鬱な日々です…」というメールを送信した。

六月四日(土)

亡Bは、健康のため歩いて外食に行くと言い、一審原告X3と徒歩で外食に出かけた。そのころ、宿舎の隣室の騒音にいら立つこともあった。

六月五日(日)

亡Bは、午前、一審原告X3と、食器洗浄機の取付けをした。その後、亡Bは、「今日は、o館まで連れて行ってあげる。ただし車ではなく、健康のため、散歩ですよ。」と言って、一審原告X3と共に、o館まで片道四〇分の散歩をした。散歩の途中、亡Bは、「朝、ジョギング再開しようかな。X3は自転車で付き添うんですよ。」と言った。

六月七日(火)

亡Bは、一審原告X3が購入してきたパン作りの材料を使って、二人でフランスパン等のパンを焼いた。また、亡Bは、一審原告X3に対し、「エアコンは嫌いだ、取り外しもカネかかるし、転勤がすぐかも知れないから、絶対買うな」と言った(亡Bは、以前から、一審原告X3に対し、エアコンは絶対に買うなと言っていた。)。

六月一〇日(金)

亡Bは、同僚との飲み会に参加した。一審原告X3はメールを送信したが、亡Bは飲み会の最中であったため返信がなかった。亡Bは、七月に予定していた北海道旅行の宿泊先のホテルを予約した。

六月一一日(土)

亡Bは、一審原告X3と共に、父の日の贈り物としてびわゼリーを車で買いに行き、店から亡Bの実家にびわゼリーを送った。その後、二人は、c市内で、A20職員への出産祝いを選ぶなどした。

六月一二日(日)

亡Bは、七月に予定した北海道旅行のため知床周辺のコースを調べるなどした。また、亡Bは、大阪に戻る一審原告X3を車でc空港まで送った。なお、一審原告X3は六月一八日にc市に戻ってくる予定であったが、亡Bは、大阪に戻った一審原告X3に対し、「淋しい、まだ帰宅していないの?」と電話で言ったり、メールを送信したりした(これに対し、一審原告X3は、「退職の感傷を紛らわせてくれるための夫の気配りかなぁ」と思っていた。)。

六月一三日(月)

亡Bは、仕事帰りに、同僚ら(A14職員、A21職員)と夕食を一緒にした。亡Bは、深夜、一審原告X3に、「めぇ~ちゃんが淋しいって、狂ったように泣いていますよッ!」というメールを送信した。

六月一四日(火)

亡Bは、今のb支店の雰囲気が良くないというb支店の元同僚(A22職員)からのメールに対し、「私にしてみれば、b支店にいたころが良かったと毎日懐かしく思ってるんですが…」というメールを返信した。また、亡Bは、七月二五日で公庫を退職する職員がいるとのA22職員からのメールに対し、「ホントここだけの話ですが、かく言う私自身も最近つくづく、仕事が辞められるものなら今すぐにでも…と毎日のように思ってしまいます・どなたかわかりませんが、正直うらやましいなと…」というメールを返信し、「まさかッて感じですが、会社を辞めて農家になるっていうのなら、なるほどA23らしいと思わないでもありません…・ホントに淋しい限りですが、ぜひ頑張って欲しいと、誰よりも応援したくなります…・何だか色々話をしてみたいと思ってしまいますが、とにかく本人から連絡があるまではモチロン黙っておきます。それにしても、A22さんには心細くなってしまいますね…なんだか、そちらの方が心配な気がしてしまいます…」というメールを返信した。A22職員とのメールのやり取りの後、亡Bは、一審原告X3に対し、「A23が来月、会社を辞めて農家になるらしい!?(?_?)羨ましいぞ!めめッ!!(;_;)(T_T)/~」というメールを送信した。

六月一五日(水)

亡Bは、仕事帰りに、支店の同僚らと焼き肉を食べに行った。

六月一六日(木)

亡Bは、組合の本部オルグの飲み会に参加し、翌日二日酔いになった。

六月一八日(土)

亡Bは、c支店の職員間で行う野球の練習に参加した。また、亡Bは、午後八時頃にc空港に到着した一審原告X3を車で迎えに行った。亡Bは、同僚職員と行った野球については、「しょーもなかったわ!!支店長と次長と課長はやる気やったけど、人数集まらへんし、小一時間ちょっと練習しただけ。A21もあんな面子やったら、やりたがらへんはずや。」、「たった二時間でメンバーも揃わず、支店長以下役付中心で、若手中心のb支店とは正反対でがっかり。c支店は仕方ない。」と言った。また、亡Bは、一審原告X3に対し、七月二日から予定していた北海道旅行をキャンセルしたいと言い出した。

六月一九日(日)

亡Bは、一審原告X3とともに、同人が予約したスポーツクラブの体験プログラムに参加し、館内の温泉に入った。その夜、二人は焼肉屋で、苦しくなるくらい食べ放題コースを食べた。また、亡Bは筋肉痛になり、一審原告X3が全身をマッサージすると、亡Bも同様に一審原告X3の肩や脚をマッサージし、二人とも運動疲れで早く就寝した。

六月二〇日(月)

亡Bは、b支店の元同僚に宛てて、「どうでもいいんですけど、今日送られてきた『△△便り』について会議室に集められ、職員一人一人の意見を発表させられたんですが、苦し紛れに適当なことを言ったら、支店長の不興をかったみたいで、ずいぶん突っ込まれました」というメールを送信した。

亡Bは、寝る前、一審原告X3に対し、肩こりが続くとしてマッサージを求めた。一審原告X3が亡Bの全身をマッサージすると亡Bは喜び、一審原告X3をマッサージした。

六月二一日(火)

亡Bは、夜、一審原告X3に対して、肩のマッサージを求めた。また、亡Bは、一審原告X3に対し、眠りが浅いと述べた。

六月二二日(水)

亡Bは、定時に退社し、夕食にビールを飲むなどしていたが、毎晩見ていたスポーツニュースを見ずに、「最近眠れないから早く寝る。X3もPCなどせずに早く寝るように」と言って寝室に先に行った。一審原告X3は追うようにパソコンを消して寝室に行ったが、亡Bは眠りにはついておらず、じっとしていた。亡Bは、パソコン終了時の猿キャラクターが走り去る音に反応し、「めめっ、小猿が去って行きますよッ」と冗談を言った。

六月二四日(金)

亡Bは、五月初めまでは毎週自分でクリーニングすべき背広を選んで一審原告X3に頼んでいたが、この日は一審原告X3がクリーニングすべき背広を聞いても自主的に選ぶことができなかった。

六月二五日(土)

亡Bは、同年七月二日からの北海道旅行をキャンセルした。

亡Bは、口で「出かけますよッ!」と何度も言っていたが、なかなか出かけられず、夕刻になって一審原告X3をディスカウントストア(メルクス)に連れて行き、カラーボックスを購入した。また、亡Bは、一審原告X3とともに、ペットコーナーで動物を見たり、サプリメントを購入するなどした。夜、亡Bは、休みなのにどこにも連れて行けないとして一審原告X3に謝った。

六月二六日(日)

亡Bは、朝から自分でカレーやアジの南蛮漬けを作った(この週末までは土日は必ず台所に立っていた。)。また、昼から、亡Bは、一審原告X3をeの温泉に連れて行き、「また来ようね」と言った。帰宅後、亡Bは、d市の実家に電話し、父親にeに行った話などをした。前日に購入したカラーボックスを一審原告X3が組み立てていたところ、亡Bは、途中から組立てを手伝った。夜、亡Bは、一審原告X3との同居生活について質問してきたA20職員のメールに対し、「今更・エンジョイとまではいきませんが、まぁ、大きな波風は立てずにやっています・それにしても、衣裳ケースだの、カラーボックスだの、テレビ台だの… と、次から次へと、私からすれば必要のないモノを買い込むのは全く閉口してしまいますが…」というメールを返信した。

六月二七日(月)

亡Bは、それまで冬でも朝シャワーをしていたが、このころから朝にシャワーを浴びなくなった。

亡Bは朝から前日作ったアジの南蛮漬けを食べていたが、一審原告X3が食べなかったところ、亡Bは「めめっ、X3はめぇ~様のつくったアジを食べないとは…」と少し不満気に言って一人で全部食べた。

亡Bは、このころ、早くに目が覚めるようで、一審原告X3が起きる午前六時三〇分前には起きて別室の座椅子に座っていたこともあった。亡Bは、早く起きてしまう朝は、リビング座椅子で、仕事の資料や新聞を見たり、アイロンかけをしたりしていた。

帰宅後、亡Bは、いつもの口癖である「悲しいお知らせがあります…。」と言うので、一審原告X3が「どうしたの?」と聞くと、「A10君が休職から復帰するらしい。もう大丈夫なんかなぁ。」と答えた。一審原告X3が「でも復帰したら仕事が楽になるやん、よかったなぁ!」と言うと、亡Bは「そうでもないんや、それにA10君より僕の方がよっぽど病んでる。」と言った。また、亡Bは、一審原告X3に対し、「悲しいお知らせがあります。A24ちゃんおめでただって」と言った。

六月二八日(火)

一審原告X3が亡Bに対し、「A25さん奥さんのいう通り、p館はなかなかお薦めだよ」と言っても、亡Bからあまり反応がなかった。

六月二九日(水)

一審原告X3が日中に除湿機で取れた水を帰宅した亡Bに見せたところ、亡B「おぉ、すごいな!え、ほんまにかぁ~」と言った。亡Bは、一審原告X3が作ったおかずを「X3はどんどん料理が上手になってくるね」と言っておいしいそうに残さず食べ、夕食の度に一審原告X3に感謝を述べていた。亡Bは朝トイレにこもることがあったが、トイレには文庫漫画が棚に置いてあり、亡Bはトイレ内でそれを読んでいた。なお、亡Bは、b支店時代は、漫画雑誌を風呂場かトイレで読んでいた。

六月三〇日(木)

午前六時四〇分ころ、一審原告X3が起床した時すでに亡Bは起きており、「□□新聞も来るのがおそいんやで。怠けとるわ」と述べた。亡Bは、新聞を詳しく読むわけでもなく、和室でぼーっと座っていた。亡Bは食欲がなく、朝食にお茶漬けを食べた。帰宅後、亡Bは、一審原告X3に対し、職場からの帰宅途中に新規開設した銀行支店の口座に五〇万円を入金したことを報告した。亡Bは、深夜、b支店のA22職員からの新給与制度に関するメールに対し、「なんか、どんどん会社に行くのが苦痛になって来てます・人事部からは先週の金曜日にA26主任調査役が来ました…私は出張で、説明会には出ていないんですが…・聞くところによると、組合の本部オルグとまあ似たようなものだったとか・何でこんなに居るのが嫌な会社にドンドンなって行くのでしょうか・・A27なんとかってヒトのせいなのかなあ・(中略)b支店に帰りたい…」というメールを返信した(なお、証拠<省略>によれば、上記「A27なんとかってヒト」とは公庫の当時の総裁であるA27のことと解される。)。

また、亡Bは、一審原告X3に対し、「明日は朝早い(六:三〇)ので、すまない、X3は寝ていておくれ。」などと何度も言った。

六月末

亡Bは微熱が続き、食事は一応はしているものの下痢が治まらず、平成一六年一二月に六三kgあった体重が五九kgに減った。亡Bは、夜中の一審原告X3の寝言を複数回、指摘したことがあり、あまり寝ていなかった。また、六月末の休日、亡Bは、いじけた様子で、「X3や、めぇの首を絞めておくれ」と長めのタオルを両手で締める振りをした。一審原告X3が「やめて」と言ったら亡Bは止めた。また、亡Bは、「僕が先に逝ってもX3をいつも見守っていますよ」と言った。一審原告X3が「何でそんなことを言うのか悲しい」と言うと、亡Bは「ごめんごめん」と言って後ろから抱き付いた。

七月一日(金)

亡Bは、朝食が食べられなかった。一審原告X3は、亡Bにおにぎりとおかずを紙袋に入れて持たせた。亡Bは、同日朝以降、誰にもメールを送らず、b支店の後輩や一審原告X3が携帯電話にメールしても返信をしなかった。帰宅後、一審原告X3が亡Bに対し、弁当を食べたかと聞くと、「うん、会社で時間が経ったら食べられた。おいしかったで、ありがとう。」と言った。一審原告X3が亡Bに話しかけてもあまり反応がなかった。亡Bは、一審原告X3が作る夕食を、「X3はどんどん料理が上手になってくるね。おいしい。」と言って残さず食べていた。亡Bは、金曜の夜なのにすでに月曜日がすごくつらいと言った。

七月二日(土)

亡Bは、「どこか外出しますよッ」と口で言うものの、出かける先が定まらない様子であった。一審原告X3が「また明るいうちから◎◎湯いってみる?」と聞いても、亡Bは生返事であった。亡Bは、休日はいつも自分で料理したがるのにこの日は作らず、食べたいものも定まらなかった。亡Bは、寝室に取り込んだ毛布の陰で、小説を読んでいた。その様子を見た一審原告X3は、「あまりに愛らしい」と感じて亡Bの背中に抱きついたが、亡Bはおびえて「めぇ~、めぇをいじめないで」と言った。亡Bは、一審原告X3に対し、「X3や、昼か夜には外食に行きますよ。」と言い、一審原告X3が「外食はどこでもいいけど、メルクスで衣装ボックスを買うので車を出して欲しい」と頼むと、亡Bは一審原告X3を連れて出かけた。出かけた先で、亡Bは、ペットコーナーの子犬をにこにこしながら見ていた。亡Bはメルクスで菓子と大学ノートを購入した。その後、亡Bらはスーパーマーケット(ダイエー)に移動し、レストランで夕食を取った。食事中、亡Bは店の外でふざけている幼い兄妹を見て笑っていた。社宅に一旦戻った後、亡Bらは銭湯(◎◎湯)に行き、早めに就寝した。

七月三日(日)

亡Bは、出かける気力がない様子で、毎週見ていたテレビ番組も見なかった。亡Bは、一審原告X3が説明するANAのマイレージの話にも上の空であった。一審原告X3が買い物をしたいと頼むと、亡Bは昼から車を出し、押入収納ボックスや雑品を購入するため、ダイエー、メルクス、再びダイエーと店を梯子した。亡Bは、いつも一審原告X3が食器洗いをしていると、後ろから抱きついて、「めぇを…めぇを許しておくれ。めぇはダメな夫です」と労ってくれていたが、それもなく座椅子でボーっとテレビを見ていたので一審原告X3が「めぇは甘え上手だねぇ」と言うと、亡Bは「めぇは甘え上手なの」と答えた。亡Bは、「夜眠れないから」と言って午後一〇時には就寝した。

七月四日(月)

一審原告X3が「明日は早く帰れそう?」と聞くと、亡Bは「課長がいないので、七時には。」と答えた。亡Bは、一審原告X3に対し、「またまたX3に申し訳ないお知らせがあります…。」という前置きをして、生命保険の勧誘で七月九日(土)は家にいなければならなくなったので、iには行けなくなったことを話し、「自分は保険のことは何も分からないので、X3も隣にいて一緒に聞いてくれ。」と頼んだ(これによれば、この時点では亡Bには自殺する意思はなかったと考えられる。)。夕飯の時、一審原告X3が亡Bに対し、車の運転の練習について相談したところ、亡Bは即答することができず、しばらくして元気なさげに意見を述べた。夜、布団を敷くと、亡Bは「場所を交替してほしい。ベランダ側は落ち着かず、玄関に近い方が良い。」と言った。亡Bは、「眠れないので早く床につく」と言い、一審原告X3を置いて一人で寝室に入った。

七月五日(火)

亡Bは、朝、固形のものが喉を通りにくいと言い、お茶漬けを食べた。このころ、亡Bは、食事前も後もトイレに籠もることが多く、おなかが下ってしょうがないと言っていた。この日は珍しく出発ぎりぎりまで身支度ができなかった。亡Bは、憔悴したように刷り上ったばかりの新規参入担当の名刺を鞄に詰め込んだ。昼ころ、亡Bは、一審原告X3に電話をして、「今日の夜は、外食しよう。でも、申し訳ないけど、お客のところにも一緒に行ってほしい」と頼んだ。午後八時過ぎに、亡Bは、一審原告X3を車に乗せて出発し、顧客宅に赴いた。顧客宅からの帰路、亡Bらは回転寿司で夕食を取り、◎◎湯に寄ってから社宅に帰宅した。帰宅中に、一審原告X3が、公庫の人は皆自主出張しているのかと尋ねたところ、亡Bは「人それぞれかなぁ…。やらない人はやらなくても平気だし。ただこの残業制限では本当にどうしようもなくて、気持ちがしんどい。こうでもしなければ、絶対こなせないんや」と答えた。帰宅後、一審原告X3が「もう家のことは気にしなくていいし、私は適当にご飯つくって待ってるし、朝晩送り迎えできるように、明日『a22自動車教習所』にペーパードライバー教習を予約したよ。jから送迎バスに拾ってもらえるんや」と言ったが、亡Bはほとんど関心を示さなかった。夜、亡Bは、c支店新聞の「農業新規参入窓口を設置」の記事を食卓に放り投げ、これは自分のことだと非常に暗い口調で言い、一人で寝室に向かった。一審原告X3が新聞記事を読んだ後、追って寝室に行って文面を褒めたが、亡Bは「本社の様式そのままで、自分の創意工夫など全くない。」と言った。午前〇時に就寝した。

七月六日(水)

亡Bは融資先の経営実績検討会の出席のためa11農協を訪問した。同日午前、亡Bが上記出張中に、亡Bが五月半ばに出た本店通知を上司に回さずに放置していたことが判明した。また、前日に訪問した顧客の手続についても資料が未完成であったことが判明した。

同日は水曜日でノー残業デーであったが、前日はA11課長出張のため残業ができず、課員の仕事が滞っており、このため亡BとA14職員、A21職員、A25職員は残業をした。その間、一〇分間程度、A11課長は、亡Bに対し、上記の仕事上のミスについて注意をした。午後八時ころになって、A14職員とA21職員が職員住宅まで一緒に帰宅しようと誘ったが、亡Bは残業を続け、午後九時ころに退出して帰宅した。

午後九時三六分に亡Bから帰るコールがあり、間もなく亡Bが帰宅した。亡Bは、一審原告X3が用意した夕食を食べ、いつものようにビールを一審原告X3と飲んだ。亡Bは、夕食後に風呂に入り、一審原告X3が背中を丁寧に洗った。亡Bは「X3や。いつもありがとうね、ごめんね。」と言った。脱衣籠には、亡Bが購入した数ヶ月ぶりの漫画雑誌が置いてあった。亡Bは、いつものスポーツニュースを見ずに、午後一一時頃、まだパソコンに向かっている一審原告X3の背中に向かって「なんか眠れんので、先寝るね。」と言って就寝した。

七月七日(木)

亡Bは、一審原告X3と就寝しているところを起きて、社宅から抜け出し、午前三時ころ、近くのアパートの駐輪場で縊死した。一審原告X3は、午前六時半ころ目を覚まして亡Bがいないことに気づき、付近を探したが見つからず、午前八時ころ、警察署署員が一審原告X3を訪ねて同行を求め、一審原告X3は警察署で死亡した亡Bを確認した。」

(12)  同五九頁一一行目から一二行目にかけての「詳細は別紙のとおり。」の次に「ただし、別紙中、平成一六年七月二三日の判定終業時刻欄の「二二:〇〇」を二一:〇四」に、拘束時間欄の「一四:三一」を「一三:三五」に、労働時間欄の「一三:三一」を「一二:三五」に、同年八月四日の判定終業時刻欄の「二二:〇〇」を「二一:二五」に、拘束時間欄の「一四:三一」を「一三:五六」に、労働時間欄の「一三:三一」を「一二:五六」に、同年七月分集計の労働時間欄の「二七九:三八」を「二七八:〇七」に、時間外労働時間欄の「一〇八:一三」を「一〇六:四二」に、同年一〇月一日の判定終業時刻欄の「二二:〇〇」を「二一:四二」に、拘束時間欄の「一四:〇〇」を「一三:四二」に、労働時間欄の「一三:〇〇」を「一二:四二」に、同年九月分集計の労働時間欄の「二〇四:一七」を「二〇三:五九」に、時間外労働時間欄の「三二:五二」を「三二:三四」に、平成一七年一月二四日の判定始業時刻欄の「八:〇〇」を「八:〇五」に、拘束時間欄の「一三:五七」を「一三:五二」に、労働時間欄の「一二:五七」を「一二:五二」に、同年一月分集計の労働時間欄の「二〇八:四七」を「二〇八:四二」に、時間外労働時間欄の「三七:二二」を「三七:一七」にそれぞれ改める。」を加え、同一九行目(「六か月前」の行)の「三七時間二二分」を「三七時間一七分」に改める。

二  上記認定事実に基づき、争点一(業務とうつ病の発症との相当因果関係)について判断する。

(1)  亡Bの担当業務の客観的な過重性について

ア 亡Bが従事した業務の内容からみた過重性の有無について

次のとおり補正するほかは、原判決六〇頁一六行目から同六七頁二〇行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

(ア) 原判決六〇頁一六行目から同六一頁八行目までを次のとおり改める。

「 公庫は農林漁業や食品産業への融資を行う政策金融機関であり、融資に当たっては政策的観点から自治体や農林漁業等に関わる関係官署との連絡・調整が必要になるなど、その業務には民間金融機関とは異なる特性があるが、基本的には、市中銀行、信用金庫等の民間金融機関の融資部門と同様に融資業務(貸付先の開拓から始まり、審査、貸付実行、債権管理を経て、債権回収で終わるもので、この一連の経過は官民で変わりはない。)及びこれに関連ないし付随する業務を行うのであり、公庫の上記の特性を踏まえても、公庫の融資を担当する職員にとって、融資業務それ自体が特に心理的負担の大きいものとは認め難い。

また、亡Bの在籍していた当時のb支店及びc支店の融資実績(融資件数及び融資金額)や職員数からみれば、両支店は、担当職員一人当たりの融資件数及び融資金額とも全国二二支店の中でも中位ないし下位にあり、融資業務の業務量は概ね融資件数及び融資金額に比例することからすれば、b支店及びc支店の職員の担当する融資業務が公庫の職員の平均的な業務量からみても過重なものであったとは認め難い。

さらに、亡Bのb支店業務第一課での農業融資の担当は一〇年振りであり(入庫した年の平成二年から平成五年の三年間、k支店業務第一課で担当して以来であった。)、亡Bがかつて農業融資を担当していた当時にはなかった融資制度(スーパーL資金等)が新たに設けられたなどの事情があるが、亡Bは、入庫後一四年目の調査役であり、これまで職務上特段の問題もなく昇格してきたこと、それまでも分野に異なるものがあるにしても各支店で融資業務を担当してきたこと、亡Bが平成一六年度に担当した担当案件数七件は、同課の平均担当件数一二件を下回り、最も少ない件数であったこと(b支店業務第一課で最も入庫年次の若い入庫二年目のA23職員でさえも、平成一六年当時、担当していた融資案件数は一四件であった。)からすれば、農業融資を担当するのが一〇年振りであるとか、亡Bがかつて農業融資を担当していた当時にはなかった融資制度が新たに設けられたなどの上記事情を勘案しても、亡Bのb支店業務第一課における業務量が過重であったとは直ちには認め難い。そして、亡Bが、上記のようにb支店業務第一課において担当案件数が少なかったのは、A3課長が、亡Bの仕事のスケジュール管理が苦手であり、業務の処理に時間がかかっていると判断して担当融資案件数を調整していたことによるものであるが、亡Bの平成一六年度に担当した融資額は合計四億四七八四万円であり、同課の一人当たりの平均融資金額三億二八〇〇万円を上回っていることからすると、ベテランとして融資金額の大きな案件を任されていたものと推認され、また、筆頭調査役として、課長を補佐し、資料のとりまとめ役を果たすなど一定の役割を担当してきたのであり、その経験、能力に応じた職務を与えられ、これを特段滞留させることなく処理してきたものと認められることからすれば、亡BがA3課長から担当案件数の調整を受けていたことをもって、直ちに、同課において亡Bが担当していた業務が亡Bにとって過重なものであったと認めることもできない。

なお、A23証人は、その証人尋問で、年度(平成一六年度)末になるにしたがって、帰宅途中、亡Bから、どこかで一杯やっていきませんかという回数も減り、非常に苦しそうな表情をしたり、何か考え事をしている印象があったとか、「年度末になると、案件が大詰めを迎えますので、支店長室に籠もるようなことも多々ありました。そのときには、支店長室から出てくると、顔がげっそりしているとか、そんな状況が見受けられました」などと証言するが、一方、証人A13、同A3及び同A4は、各証人尋問で、亡Bに体調が悪いとか、言動がおかしいとか、様子がおかしいなどの状況は見当たらなかった旨証言している上、上記認定の平成一六年半ばから平成一七年三月末までのb支店在籍当時に亡Bの送信したメールや言動等から窺われる状況とも整合しないことからすれば、A23証人の上記証言部分は採用できず、A23証人の上記証言をもって、直ちに亡Bの担当業務が過重であったとか、その当時、亡Bに強い心理的負担があったとは認め難い。

c支店業務第一課への異動後については、亡Bが主に担当した業務は農業融資と筆頭調査役としての業務(その内容はb支店業務第一課でのものと同様である。)であり、b支店業務第一課在籍当時のような担当融資件数の差があったとは認められず、地位、勤続年数等に応じて、他の職員と公平に業務を分担したと認められるが、亡Bの業務量が特に多かったような事実は認められない。ま、亡Bのc支店で実際に従事した業務内容をみても、異動による挨拶、取引先の引き継ぎ、新規顧客開拓のための営業活動が主であり、具体的な融資案件に対する審査、貸付等の融資業務はほとんどなく、具体的に処理した融資業務は、融資金額九九九万円のスーパーL資金一件のみであり、これは前任者のもとで特別融資制度推進会議の認定手続及び融資の可否等の審査は済んでおり、亡Bは貸付決定の手続を担当しただけであることからすれば、c支店業務第一課での亡Bの担当業務が過重であったとは到底認められない。

これに対し、一審原告らは、亡Bの性格やb支店での業務の処理状況及び労働時間等を考慮すれば、そもそもc支店においても亡Bの担当業務を軽減すべきであった旨主張するが、b支店業務第一課における亡Bの業務が滞留するなどの事情も認められないことからすれば、亡Bの担当業務をことさら軽減すべきであった事情があったとは認められない。したがって、一審原告らの上記主張は採用することができない。

そして、亡Bは、b支店業務第一課及びc支店業務第一課に勤務している間、心身の調子が悪い為に(あるいはその他の理由にせよ)遅刻又は早退したこともなく、公庫の定期健庫診断において、あるいはそのほかの機会に上司や同僚に対し、心身の調子が悪いことを訴えたこともなく、大腸ポリープ及び不妊相談のほかには医師の診察を受けたこともないのであって、これらの事実は、亡Bの担当業務が少なくとも亡Bの心身に悪影響を及ぼすような過重性はなかったことを裏付けるものである。」

(イ) 同六一頁一〇行目の「(ア)ないし(エ)」を「(ア)ないし(オ)」に改め、同一二行目の「いえなくはないが、」の次に「業務に付随して偶発的に生じた一時的な出来事である上、」を、同一四行目の「進行しないこと」の次に「、融資を断られた顧客がクレームをつけること」をそれぞれ加える。

(ウ) 同六二頁一一行目の「同月二四日」を「平成一七年一月二四日」に改める。

(エ) 同六三頁一二行目の「さらに」から同一九行目末尾までを「さらに、平成一五年九月に登録された担保物件の明細と平成一七年三月に追加された担保物件の明細とを比較すると、後者の時点では一二件の担保物件の追加だけでなく、従前の担保物件の一部の解除もあったと認められるから、解除する物件の確認等の作業も要したものと考えられるが、上記追加及び解除の入力作業を実際に行ったのはA28職員であり、亡Bが行った作業は、それを照査するというものであったことに加え、これらの作業は、融資業務に伴う担保権の設定あるいは解除という金融機関にとって日常的な業務であることをも勘案すれば、これが、亡Bにとって大きな負担となる業務であったとは認め難い。そして、そのような多数の担保物件がある融資案件は当該一件だけであったことからすれば、それによる負担は一時的なものであったと認められる。」に改める。

(オ) 同六四頁三行目の「支店側」の次に(「A13支店長、A3課長及び亡Bが同席)」を加え、同一一行目の「伝えた」を「伝え、必要であれば、担保の追加設定もやぶさかでない旨述べた」に、同一九行目の「以上の経緯」から二五行目末尾までを「以上の経緯によれば、A29社長の当初の申出では平成一七年三月末までに繰上償還額を確定しなければならなかったが、A29社長からの更なる申出で、繰上償還時期は、同年四月以降にずれ込み、当該業務を後任者に引き継ぐ見込みとなったこと(そして、現に当該業務は後任者に引き継がれた。)、かつ、公庫の融資残高を維持し、担保の追加設定もあり得るという柔軟性のある申出について検討することになったことからすれば、亡Bにとって、この対処に係る業務がその業務量及び内容に照らして加重なものであったとか大きな心理的負荷がかかるものであったとは認められない。」にそれぞれ改める。

(カ) 同六七頁四行目から二〇行目までを次のとおり改める。

「(エ) A10職員の休暇に伴う業務の分担

亡Bと同じ時期にc支店業務第一課に異動してきたA10職員はうつ病のために平成一七年五月二四日から一か月間余り休暇を取得し、同年七月四日に職場復帰した。

A11課長は、A10職員の休暇中、同職員が取りまとめ役となっていた業務や同職員が担当していた個別の取引先等に関する三四件の案件を、他の職員に振り分けて分担させ、亡Bも二件を分担したが、A10職員の休暇中、その二件については具体的な動きがなかったことから、亡Bがこれについて実際の処理をすることはなかった。

したがって、A10職員の業務の一部を分担したことによって亡Bの業務が加重されたとは認められない。

(オ) 農業新規参入融資相談窓口の担当

亡Bは、平成一七年六月二三日ころ、同月二六日をもって全国二二の各支店に一斉に設置される農業新規参入融資相談窓口を担当するよう指示されたが、本件自殺までの間に、具体的に相談を担当することはなかった。したがって、上記窓口の担当者になったことによって、亡Bの業務が加重されたとは認められない。」

イ 亡Bの労働時間等からみた過重性の有無について

上記アのとおり、b支店業務第一課及びc支店業務第一課における亡Bが従事した業務の内容からみて過重なものであったとは認められない。しかるに、亡Bは、b支店業務第一課勤務当時、前記認定のとおりの時間外労働に従事していることが認められるので、この点から亡Bの同課における業務が過重であったか否かを検討する。なお、c支店における時間外労働時間は、b支店勤務時と比べればかなり少ないが、c支店における時間外労働についても検討することとする。

(ア) b支店業務第一課勤務時

a 原判決を補正の上引用して認定したとおり、亡Bは、本件自殺の八か月前の平成一六年一一月九日から同年一二月八日(平成一六年一一月分)には一〇九時間一五分、七か月前の同年一二月九日から平成一七年一月七日(平成一六年一二月分)には四九時間四三分、六か月前の平成一七年一月八日から同年二月六日(同年一月分)には三七時間一七分、五か月前の同年二月七日から同年三月八日(同年二月分)には九九時間三八分、四か月前の同年三月九日から同年四月七日(同年三月分)には六四時間〇三分の時間外労働をしており、このうち、平成一六年一一月分の一〇九時間一五分、平成一七年二月分の九九時間三八分は長時間労働ともみられるが、上記時間外労働時間にはいずれも早出出勤による始業時刻(午前九時)までの時間外労働時間が含まれているところ、終業時刻(午後五時二〇分)後の時間外労働時間についてみれば、平成一六年一一月分が約七二時間、平成一七年二月分が約七一時間となり、毎日平均三時間半程度残業していたことになるが、それほど長時間の時間外労働とはいえない上、長時間労働が二か月以上継続しておらず、長時間労働が恒常的であったということはできない。

b そして、早出出勤については、亡Bが担当する融資案件数が同僚に比べてかなり少ないにもかかわらず、同僚とは異なり、亡Bのみが恒常的な早出出勤を行っていることに加え、亡Bは当時入庫一四年目であり、それまでに特別の問題なく昇格を果たしており、ポストも管理職である課長の次位である筆頭調査役であり、決して能力に欠けるところがあったとは認められないことや亡Bの早出出勤は業務の繁閑や時期に関わりなく恒常的に行われていたと認められることからすれば、早出出勤の理由が亡Bがその担当業務を処理するのに通常の(終業時刻後の)残業だけでは時間が足りなかったことによるものとは直ちにいえないのであって(仮に早出出勤を含む時間外労働を恒常的にしなければならないほど業務が過重であったとすれば、その当時において何らかの心身の不調がみられると考えられるが、亡Bについては定期健康診断でも異常は認められず、大腸ポリープや不妊相談以外では医師の診察を受けたこともなく、上司や同僚に心身の不調を訴えたこともなく、また、過労や睡眠不足等による遅刻や欠勤という事態もなかったことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。)、A4職員やA13支店長等から早出出勤の理由を問われ、「朝出るのが好きだから」とか「生活スタイルである」とかの返答をしているように、亡Bはその几帳面な性格から人より時間をかけて仕事をするタイプであり、また、A13支店長の「事務所に出てから食事をしていたと聞いています」との証言、A4職員の「自席や図書室で新聞を読んだり、サンドイッチなどを食べたりと、そういう姿を何回か見ました。」、「Bさんは、自宅では食事を取らずに、いったん事務所に出てきてから食事を取ってたという風に聞いていました。」との証言、A4職員の「時々コンビニで買った弁当を食べていたのは記憶があります」との陳述、あるいは一審原告X3の「毎朝のモーニングコールで高い頻度で亡Bから出勤前にカレー店、うどん屋に寄って食事を済ませたと聞いていた」との陳述によれば、亡Bは一審原告X3と婚姻していても単身生活であり、社宅にいても職場に出ても特に生活上異なるところはないことから早出出勤をすることにし、食堂に寄り、あるいはコンビニで朝食を買って職場で朝食をとったり、仕事柄一般紙の朝刊だけでなく、経済新聞の朝刊に目を通したり、その日の仕事の準備等をしていたとみるのが相当であり、業務が過重のために終業時刻後の残業だけでは足りないことから早出出勤をしていたとは認められない。

また、亡Bが担当業務を処理するためにほぼ毎日早出出勤までする必要があったのであれば、勤務を要しない土・日・祝日などにも出勤していても不自然ではないが、これらの日には大阪の一審原告X3のもとに行くなどして、土・日・祝日に出勤したことはなく、また、有給休暇も取得していることからすれば、早出出勤が業務上の必要に迫られてなされていたものであったとは認められない。

c 以上によれば、b支店業務第一課勤務当時、平成一六年一一月から平成一七年三月末までの間に、亡Bの時間外労働が月に一〇〇時間前後ある月が二回あったが(ただし、連続した二か月ではない。)、長時間労働が恒常的であったとは認められず、また、前記認定のとおり亡Bは、この間、五四日間の休日、休暇を取得しており(平成一六年一一月が一〇日、一二月が一一日、平成一七年一月が一五日、二月が九日、三月が九日)、亡Bの労働時間等からみて亡Bの業務が過重であったとは認められない。

(イ) c支店業務第一課勤務時

原判決を補正の上引用して認定したとおり、亡Bは、c支店業務第一課で、本件自殺の三か月前の平成一七年四月八日から同年五月七日(同年四月分)は〇分、二か月前の同年五月八日から同年六月六日(同年五月分)は三一時間三五分、一か月前の同年六月七日から同年七月六日(同年六月分)は二四時間一〇分の時間外労働をしており(ただし、いずれの場合も亡Bが始業時刻である午前九時の三〇分前に早出出勤したものとして、始業時刻前の時間外労働が含まれている。)、長時間労働とみられるものはない上、原判決別紙時間外労働時間によれば、亡Bがc支店で勤務した平成一七年四月一日から同年七月六日までの総日数九七日から勤務を要しない日(土・日・祝日・一月二日・一月三日・一二月三一日)を控除した所定労働日六五日のうち実際に就労した日は六四日(有給休暇一日を取得)であるが、そのうち終業時刻と同時に退出した日が三一日、午後八時より前に退出した日が一一日、午後八時に退出した日が一四日、午後八時以降に退出した日が八日であったことが認められるのであり、亡Bの労働時間等からみて亡Bの業務が過重であったとは認められない。

これに対し、一審原告らは、超過勤務命令票に実際に残業した時間が正確に記載されているとは限らず、超過勤務命令票に記載していない残業時間があったのが実情である旨主張し、A14職員は陳述書で、「Bさんは業務終了後ほぼ毎日二〇時ごろまで残業していたと思います」、「(金融庁検査の)二、三週間程前は事前準備で毎日八時、九時まで残業していました」と陳述する。しかし、亡Bは、c支店に異動後死亡するまでの間、亡Bの通常業務は繁忙期ではなく、処理すべき業務自体が少なかったものであり、金融庁検査に対する準備という通常の業務以外のものが加わったことから、一時的には労働時間が増えたと認められるが、金融庁検査に対する準備以外に毎日午後八時以降まで残業しなければならないような業務があったとは認められない。加えて、c支店では時間外労働を規制しており、原則として管理職が最後に退室するという措置をとっていたことも考えれば、超過勤務命令票に記載のない時間外労働があったとは認め難く、亡Bがほぼ毎日午後八時ころまで残業していた旨のA14職員の陳述書中の上記陳述部分は採用することができず、一審原告らの上記主張は採用することができない。

(ウ) 以上によれば、本件自殺の七か月前から(b支店勤務及びc支店勤務を通じて)の労働時間等から検討しても亡Bの業務が過重であったとは認められない。また、亡Bの業務内容に照らして業務の困難度が高度であったとか、労働密度が過重であったという事情もみられないことからすれば、この点からみても亡Bの業務が過重であったとは認められない。

(2)  亡Bのうつ病の発症時期について

ア 亡Bが、平成一七年七月七日、うつ病の発症に伴って生じる希死念慮により自殺したことが当事者間に争いがないことは原判決を補正の上引用して説示したとおりである。

イ うつ病とは、気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などの症状を特徴とする精神疾患であることは原判決を補正の上引用して認定したとおりであるところ、証拠<省略>によれば、その診断基準として、ICD(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)の略。以下「ICD」という。)第一〇版(以下、単に「ICD―10」という。)第Ⅴ章「精神及び行動の障害」のF3「気分[感情]障害」のうち、F32では、軽症、中等症及び重症に共通する典型的な抑うつのエピソードとして、①抑うつ気分、②興味と喜びの喪失、③活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされること、わずかに頑張った後でも、ひどく疲労を感じることを挙げ、その他の一般的な症状として、④集中力と注意力の減退、⑤自己評価と自信の低下、⑥罪責感と無価値感、⑦将来に対する希望のない悲観的な見方、⑧自傷あるいは自殺の観念や行為、⑨睡眠障害、⑩食欲不振を挙げる。そして、軽症うつ病エピソードの診断ガイドラインとして、抑うつ気分、興味と喜びの喪失及び易疲労性のうち、少なくとも二つの症状が存在すること、さらに、他の症状(上記④ないし⑩の症状)のうち少なくとも二つが存在すること、これらが少なくとも二週間以上持続することとされている(なお、症状が極めて重症で急激な発症であればより短い期間であってもかまわないとされている。)。そして、これよりも症状の程度の重いうつ病が、中等症、重症のうつ病とされている。

ウ 亡Bのうつ病の発症時期に関する医師の意見

(ア) A9医師は、意見書で、亡Bには、平成一七年一月から三月末にかけて、断片的ではあるが、徐々に言動の変化がみられ、基本的な症状として活力の減退と易疲労(親戚宅での居眠り、週末に大阪へ行かず、迎えにも出られなかったこと)や興味と喜びの喪失(週刊誌や漫画を買わない、バッティングセンターへ行かない)、更に端的な抑うつ感の表明はないが「悲しいお知らせがあります」、「ご臨終です」などの発言は決して明るい生活感の下で発せられるものではない。更に、融資先の会社をののしるなど日頃からは予想できない言動は亡Bの感情の不安定、いらだちを示すもので、暖かい地方でのんびり暮らしたいとか一人の生活は限界だという発言は現実離脱願望と自信の低下を示している。平成一六年年末に会社を爆破したいなどと発言したことは将来に対する希望のない悲観的な気持ちや無価値感を暗示している。一審原告X3に悪い亭主だと謝るなど罪業感や自責感の高まりを示している。以上によれば、亡Bは、平成一七年二月から三月末までにICD―10の軽症うつ病の基準を満たす状態にあり、うつ病を発症していた旨の意見を述べる。

また、亡Bのうつ病の発症の原因については、過労状態から平成一七年一月から三月までの激務によるものである旨の意見を述べる。

(イ) A7医師は、医学意見書で、亡Bは、平成一七年三月までのb支店在籍中には、上司、同僚らは亡Bがおかしいとか異常であるという認識を全く持っておらず、この点は、一審原告X3も同様であった。また、この間の亡Bの送信したメールにも易疲労感や悲壮感を感じさせる徴候はなく、平成一七年三時点でも、亡Bは活動的であり、亡Bがb支店当時にうつ病を発症していたとは認められない。c支店への異動後は、同年四月ないし五月中旬までには、亡Bが送信したメールに特に注目すべき内容はない。しかし、同年五月下旬になると、亡Bの送信したメールに一部業務に対する退避的感情や憂うつ感を示す表現がみられるようになるが、一審原告X3との北海道旅行の計画を検討したり、同僚と釣りに出かけるなど活動的な面を示していることからすると、この時期には、うつ病の前駆症状はみられるものの、うつ病を発症していたとは認められない。同年六月中旬になると、亡Bの送信メールの内容に抑うつ的な傾向が顕著にみられるようになり、亡Bが同月一八日に北海道旅行をキャンセルしたいと言い出したことは、うつ病の症状であ「活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少」に該当する。同月二二日に毎晩見ていたスポーツニュースを見ずに「最近眠れないから早く寝る」と言って寝室に先に入り、同月二七日ころには早朝に目が覚めるようになっていたことは興味の喪失あるいは不眠を示すものと言える。同月二四日にはクリーニングすべきスーツの選別が自主的にできない状態になっており、判断力の低下が認められる。同月三〇日に「なんか、どんどん会社に行くのが苦痛になって来てます」といった将来に対する悲観的な見方が強い内容のメールを送信している。同月末に一審原告X3に自殺をほのめかす言動をしていることからすれば、同月中旬にうつ病を発症したと考えるのが妥当であるとし、同年七月一日から六日にかけて食欲や気力が著しく減退し、体重も急激に減少していたことから、同年六月中旬ころに発症したうつ病が急速に増悪したものと認められ、強い希死念慮を惹起し、同年七月に衝動的な自殺に至ったものと考えられるとの意見を述べている。

そして、A7医師は、亡Bのうつ病の発症の原因としては、c支店における労働時間管理が、非効率に長時間かけて仕事をする癖が身についてしまった亡Bにとっては、やりにくいと強く感じ、それが徐々に強い精神的ストレスになり、また、公庫の改革や政策金融改革など将来の公庫を取り巻く環境が大きく変化することが予想され将来への不安感が徐々に増大し、さらに、一審原告X3との同居の開始により、生活のペースを自分で決めることが難しくなり、同居に伴う一審原告X3の退職により一家の大黒柱としての責任の重圧を感じたことによるものであるとの意見を述べている。

(ウ) A8医師は、精神医学的意見書で、亡Bがb支店在任中については、平成一七年三月に転勤による引き継ぎや引っ越し準備のために気忙しい時期であり、普段と違う変化があっても不思議ではない上、c支店転勤が決まり大喜びで一審原告X3に電話したり(同月一一日)、転勤を控えて張り切っている様子も認められるのであり、同月ころにうつ病を発症していたとは診断できない。同年四月については、同年七月の北海道旅行を計画したり、ゴールデンウィークに一審原告X3と旅行に出かけたりしており、うつ病が発症したとは認められない。同年五月については、同月中旬に一審原告X3に「淋しい」とメールを送信したり、b支店の元同僚と思われる人物に「相変わらず毎朝会社に行くのが憂鬱な日々です。」とメールを送信しているが、前者は一時大阪に帰った一審原告X3に甘えた内容のものであり、後者はそのころ実施された金融庁検査について愚痴をこぼしたものと解され、これを抑うつ気分を有していたと判断することは誤りである。仮に抑うつ気分によるものとしても、二週間を超えない短期間のものであり、ICD―10のうつ病の診断基準を満たさないのはもちろん、同月にうつ病を発症したと認定することはできない。しかし、同年六月については、同月一八日に北海道旅行をキャンセルしており、抑制症状により億劫になったものと考えられ、同月二二日ころから不眠も現れており、一審原告X3からの連絡に対する返事や帰るコールもなくなっており、忙しさでは片づけられない異変が表れており、同月中旬ころがうつ病発症の時期と解されるとの意見を述べている。

そして、A8医師は、亡Bのうつ病の発症の原因としては、亡Bの注意欠如・多動性障害的な課題を順序立てることが困難な性格・行動特徴からb支店時代に早朝出勤をして長い時間をかけて仕事をする癖が身についてしまったところ、異動したc支店で実施されていた時間管理が自分にとって合わないと強く感じるようになり、いらだち焦りが募ってストレスが増していったことと、一方で、亡Bが強く甘えてきた一審原告X3が同年六月一八日から完全同居に至ったことで荷下ろし状態になり、それらが契機となったものとの意見を述べている。

エ 亡Bのうつ病の発症時期について、亡Bの担当業務に対する心理的負担の程度、健康状態、亡Bが送信したメールや言動等の事実に基づいて検討する。

(ア) 亡Bの平成一七年三月末までのb支店在籍時について

a 亡Bのb支店業務第一課における労働時間、担当業務の内容に照らして業務が過重であったとは認められないこと、亡Bのb支店業務第一課での具体的な業務に関する出来事を検討しても、亡Bに過大な心理的負担がかかったと認めるに足りる具体的出来事が見当たらないことは前記認定のとおりである。

b 亡Bのb支店在籍時の健康状態については、公庫が実施する年二回の定期健康診断で、心身に異常は認められず、担当業務に対する負担感もこれによる心身の不調も申告しておらず、また、上司や同僚に心身の不調を訴えたこともなく、勤務状況も、身体の不調による遅刻や欠勤もなかったことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。

c 亡Bがb支店在籍時に送信したメールや言動等の事実について検討する。

(a) 亡Bがb支店業務第一課在籍時の担当業務についての所感を記載したものとして、亡Bが平成一六年一二月三一日現在で作成した自己申告書が存在する。これには、「1 現在の担当業務について」欄の「満足度」については「満足」、「適性」については「概ね適している」、「能力」については「発揮できている」、「ストレス」については「ややある」と記載されており、「その他感じていること」として「昨年四月の店内異動で、かねてからの希望どおり約一〇年ぶりに農業担当となったが、資金制度に対する知識不足等により自分自身の職務能力についての不満感が強かったが、半年以上を経過してようやく精神的な余裕が持てるようになった。」と記載されており、「得意とする又は自信のある職務分野(部署)・能力等」として「農業融資審査」と記載されており、「活用できる内容」として「農業融資を直接経験した年数が限られているため、知識不足は否めないものの、加工流通、林業、水産と他の業種を一通り経験してきたことで農業という産業を多角的に眺めることができると思う。」と記載されており、さらに「(2) 異動希望について」は、「部店間異動」については「どちらでもよい」、「その理由」として「現支店在職は三年を超えるが、現課では一年足らずであるため、現在の職務を続けたいとの思いも強い。」と記載されている。これらによれば、亡Bは、業務一課に配属された当初は久し振りに担当する農業融資に対する不安があったものの、平成一六年一二月末ころにはそのような不安も消失し、自信を持ち始めていたと認められ、特に現在の職務を続けたいとの希望を示していることからみても、自己の担当業務が過重であり負担を感じていたとは認められない。なお、「ストレス」については「ややある」と記載されているが、回答は、「ない」、「ややある」、「ある」、「かなりある」の四つから選択するようになっており、「ややある」という回答からは、担当業務に強いストレスを感じていたとは認められない。したがって、亡Bは、平成一六年一二月末ころには担当業務についてそれほど大きな負担を感じていたとは認められない。

(b) 平成一六年九月ころから一二月末ころまでの間に亡Bが送信したメールや言動等のうち、亡Bの抑うつ気分を窺わせるものとして、平成一六年一二月末ころ、亡Bが、一審原告X3に対し、「会社、爆破したいわ」と言ったことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。この発言は唐突なものであるが、一審原告X3は「一年前も、年末は暦どおりに働きながら『あ~、会社も書類も燃えてくれたらいいのに。』と言っていたので、攻撃的になったものだ、年末は特に忙しいんかなぁと慣れた感覚で聞いていました。しかし、職場の人にはそのような問題発言はしていなかったそうです。」というのであり、亡Bが一審原告X3には自虐的な冗談をよく口にしていたことからみても、上記発言も真意に基づくものではなく、これをもって亡Bの抑うつ感を表明したものであるとか、業務に対する心理的負担を窺わせる発言であるとは認められない。このほか、その当時、亡Bの送信したメールや言動等に亡Bの業務に対する負担感や抑うつ感を窺わせるものはない。

(c) 原判決を補正の上引用して認定した平成一七年一月から三月末までの間の亡Bが送信したメールや言動等についてみるに、亡Bは、平成一七年一月下旬、それまで時折行っていたバッティングセンターに行かなくなり、週刊誌や漫画も買わなくなったことがあるが、一方で、同月分の時間外労働時間は約三七時間であってその前後の期間よりも大分少ないこと、同月、休日、有給休暇を一五日取得していること、b支店の野球部の練習には同年二月まで参加していたことなどの事情に照らすと、その当時、亡Bがバッティングセンターに行かなかったことなどをもって、直ちに亡Bの興味と喜びの喪失などの抑うつ気分を示すものであるとか、亡Bの業務についての過大な心理的負担を示す行動であるとは認められないし、そのほかにも亡Bの業務に対する負担感や抑うつ感を窺わせるものはない。

また、亡Bは、平成一七年二月二三日、一審原告X3に、一審原告X3との子作りに関して、「だいじょうぶ!!まかせなさい!!( ̄^ ̄)ただし、仕事アホみたいに忙しいから、平日は構ってやれへんで!」というメールを送信しているところ、「仕事アホみたいに忙しいから、平日は構ってやれへんで!」という表現からは当時業務が繁忙であったことが窺え、たしかに同月分の時間外労働時間は一〇〇時間弱であり、長時間労働になっており、また、三月の年度末を控えた異動時期でもあることから、気忙しく感じたとしても不自然ではなく、それでも週末の土日には子作りに励もうという意欲が認められることや繁忙感の表現方法にも深刻な様子は窺えないのであって、亡Bの抑うつ気分を示すものとか、亡Bの担当業務に対する過大な心理的負担感を示すものとまでは認められない。加えて、同日、亡Bは、公庫の元職員であるA15らと飲み会をして、酔って帰宅し、翌朝には元気にシャワーを浴びて、乾布摩擦をしてから出勤していることをも勘案すれば、繁忙であったとしても、そのために亡Bが心理的負担を感じていたとは認められない。

これに加え、平成一七年三月一一日には、亡Bはc支店への異動内示を受けたことを喜び、一審原告X3に対し、c支店での仕事や生活について前向きな発言をし、同月一三日には、百貨店に片道七km程の距離を自転車で行ってホワイトデーの品物を買い、同月二〇日ころ、夜、社宅近くの銭湯に出かけ、同月二八日と三〇日には、引っ越しの準備を手伝った一審原告X3に感謝のメールを送信したりしたという原判決を補正の上引用して認定した事実をも勘案すれば、亡Bが、平成一七年三月末ころまでにうつ状態にあったものとは認められない。

(イ) 亡Bの平成一七年四月から同年七月六日のc支店在籍時について

a 亡Bのc支店業務第一課における労働時間、担当業務の内容に照らして業務が過重であったとは認められないことは前記認定のとおりである。

b 亡Bのc支店在籍時の健康状態については、公庫が実施した平成一七年六月二三日の定期健康診断で、心身に異常は認められず、体重の減少も認められなかったこと、亡Bは、担当業務に対する負担感もこれによる心身の不調も申告しておらず、また、上司や同僚に心身の不調を訴えたこともなく、勤務状況も、身体の不調による遅刻や欠勤もなかったことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。

c 亡Bのc支店在籍時の業務状況及び送信したメールや言動等の事実について、時系列で検討する。

(a) 平成一七年四月ころ

亡Bは、平成一七年四月一日、c支店業務第一課に着任し、同月上旬までに、融資先や関係機関への挨拶回りや業務進行管理表の内容確認等を行い、その後、a9畜産の資金払出関連業務などの日常業務を行ったこと、同月(同月八日から同年五月七日)の時間外労働時間は〇分であり、休日を一〇日間取得したこと、亡Bのこれらの業務が過重であるとか亡Bに大きい心理的負担をもたらすものとは認められないことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。

同月の亡Bの状態に関するエピソードとして、亡Bは、平成一七年四月一日、c支店着任後、後輩職員四、五名と飲食し、酒に酔って一審原告X3が手配したホテルの部屋で、ネクタイもして革靴も履いたままベッドに倒れ込むようにうつぶせで寝ていたが、これについて、一審原告X3が原審に提出した陳述書には「四月二、三日はb支店から転勤して初めての週末で、前日の一日には疲労困憊してホテルで倒れ込むようにして寝ており」との陳述部分があるが、上記陳述書の提出前に一審原告X3がb労働基準監督署に提出していた陳述書には「ビール好きでビアジョッキ一杯でも酔う人なので、いろいろと安心したのだなぁ、と思い」との陳述部分があり、前者の陳述書の「疲労困憊」という陳述部分は直ちに採用できず、これをもって、亡Bがb支店での業務を負担に感じており、異動後もb支店での疲労感が解消されずに残っていたものと認めることはできない。なお、亡Bの転勤に伴う心理的負担については、b支店及びc支店での担当業務は、農業融資の業務に加え、筆頭調査役としての業務を担当するものであり、その担当業務内容に大きな変更はなく、上記転勤に伴う引っ越し作業を考慮しても、転勤自体が亡Bの過重な心理的負担となったとは認め難い。

また、一審原告X3が同月六日から同月末まで大阪で過ごしていたところ、亡Bは、同月二三日、一審原告X3に対し、「めぇ~は淋しいの…(T_T)めめッ(T_T)/~」とメールを送信しており、これは、亡Bが一審原告X3が大阪に帰ったことにより一時的に抑うつ気分になったことを示すものとみられる(なお、このメールについて、一審原告X3は、「新婚特有の甘やかな感情かな」と嬉しく思ったことは前記のとおりである。)。

(b) 平成一七年五月ころ

亡Bは、平成一七年四月二九日から同年五月五日まで七連休を取得し、融資案件に係る払出業務等の日常業務のほか、他の職員とともに金融庁の資産査定に係る検査の準備作業を行ったこと、同月(同月七日から同年六月六日)の時間外労働時間は三一時間三五分であること、亡Bは同月に一三日の休暇を取得したこと、この準備作業を含め、亡Bの業務が過重であるとか亡Bに大きい心理的負担をもたらすものとは認められないことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。

亡Bの状態に関するエピソードとして、同年五月一一日から二〇日まで一審原告X3が大阪に帰っていたところ、この間、亡Bは、同月一四日に、「めぇ~ちゃんが淋しくて泣いてますよッ!(;_;)(T_T)/~」、「淋しいめぇ~(>_<)淋しいめぇ~(T_T)/~」というメールを送信し、同月一五日に「一人淋しんぼのめぇ~(;_;)ですけど…」というメールを送信するなど、淋しげなメールや電話を頻繁にしており、一審原告X3が大阪に帰ったことにより亡Bは一時的に抑うつ気分になったことを示すものと認められる。

また、亡Bは、同月二三日、元同僚に対して、「g支店は大変だったみたいですね・・ 明日はc支店かもって、けっこう支店はパニクッてました・あ~明日出勤するのがユーウツです」というメールを返信し、さらにその六日後の同月二九日に「当方も先月末から人並みに同居生活が始まりましたが… 相変わらず毎朝会社に行くのが憂鬱な日々です…」というメールを送信しており、前者のメールには「あ~明日出勤するのがユーウツです」、後者のメールには「相変わらず毎朝会社に行くのが憂鬱な日々です…」という部分があるが、前者のメールは、元同僚からの「検査、g支店にきましたね・八:四五に男性五人でゾロゾロときたみたいです・■■の同期がゆってました・すべてのロッカーに鍵がしまってるかどうか確認してたようです・主務大臣検査も支店にくるんですよね?何をみられるんだろう…不安です」というメールに対する返信であり、当時、c支店でも金融庁による各支店への臨店検査が実施されるかどうかの連絡を待っている状況であり、前者のメールの「あ~明日出勤するのがユーウツです」という部分、後者のメールの「相変わらず毎朝会社に行くのが憂鬱な日々です…」という部分は、g支店のように臨店検査が実施されることになった場合のことを考えて憂うつになっていたものと認められる。

さらに、同月二四日ころ、亡Bは、業務の打合せ時に必ず携える大学ノートに「どうやって営業に出る時間を捻出するか」と走り書きしているが、異動後間もなくであれば、既往の得意先(融資先)への挨拶回り、新規顧客の開拓のための営業活動は当然の業務である上、実際の融資業務はそれほど繁忙でないにもかかわらず、ノートに上記のような記載をしていることからすれば、亡Bは、b支店勤務時の自由に時間外労働をして業務を処理するという仕事の癖が抜けておらず、c支店の時間外労働削減方針の中での業務の進め方に不安感や焦燥感を持ち、これを負担に感じていたものと認められる。

以上のように、同月中旬以降、亡Bに抑うつ気分が認められるが、同月中旬以降も、同月一五日には、一人でeの温泉に出かけたり、同月二八日には、一審原告X3や職場の同僚らとhにアジ釣りに出かけるなど積極的に活動しており、また、同月二一日から同年六月一一日ころにかけて、亡Bは、一審原告X3に、「c支店にいるのも一年少しかも知れない」と言い始め、さらに、「いやぁ、同期の中で、一応、順調出世組なんで、それやったら課長になったときに支店変わるもんやねん。」と述べていたことからすると、業務に関して積極的な意欲や高い自己評価を持ち、将来に対する明るい希望を有していたことが認められるのであり、これを勘案すれば、上記のような抑うつ気分がみられたことをもって、亡Bがうつ病を発症していたものとは認められない。

(c) 平成一七年六月ころ

亡Bは、平成一七年六月には、融資の審査、借入相談、担保解除等の日常業務を行ったこと、同月(同年六月七日から同年七月六日)の時間外労働時間は二四時間一〇分であり、体日を八日間取得したこと、A10職員がうつ病を発症して同年五月二四日から七月四日まで休暇を取得し、このため同職員が担当していた案件を他の職員で担当することになり、亡Bも二件を担当したが、同職員が復帰するまで具体的な動きはなく亡Bが実際に業務をすることはなかったこと、同年六月二三日ころ、亡Bは農業新規参入融資相談窓口の担当者とされたが、死亡までの間に具体的な相談はなかったこと、このため、A10職員の案件の一部を担当したこと、農業新規参入融資相談窓口の担当者とされたことを踏まえても、同月における亡Bの業務が過重なものであったとは認められないことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。ところで、業務に関連する出来事として、証拠<省略>によれば、c支店では、同月二〇日、会議室で職員一人一人が「△△便り」に関し、公庫の改革についての意見を発表させられたところ、亡Bの述べた意見につき、A30支店長が批判的な発言をし、亡Bとしては、支店長の不興をかったと思ったことが認められ、この出来事については、亡Bは、公庫の改革のあり方などに一定程度の心理的負担を感じたものと認められる。

亡Bの状態に関するエピソードとして、亡Bは、同月一四日、今のb支店の雰囲気が良くないというb支店の元同僚(A22職員)からのメールに対し、「私にしてみれば、b支店にいたころが良かったと毎日懐かしく思ってるんですが…」というメールを送信し、A22職員からの同年七月二五日で公庫を退職する職員がいるとのA22職員からのメールに対し、「ホントここだけの話ですが、かく言う私自身も最近つくづく、仕事が辞められるものなら今すぐにでも…と毎日のように思ってしまいます・どなたかわかりませんが、正直うらやましいなと…」というメールを送信し、「まさかッて感じですが、会社を辞めて農家になるっていうのなら、なるほどA23らしいと思わないでもありません…・ホントに淋しい限りですが、ぜひ頑張って欲しいと、誰よりも応援したくなります…」というメールを送信しており、これらのメールによれば、亡Bは、c支店よりも時間外労働時間が長かったb支店の方がよかったと懐かしがっていることが認められ、これは、亡Bは、c支店での時間外労働の削減のための労働時間の管理により自由に時間外労働ができなくなることを負担に感じていたためと認められる。また、亡Bは、A22職員に対して、b支店で同僚であったA23職員が公庫を退職して農業をするということを聞いて羨ましがり、自分も辞められるものなら辞めたいという気持ちを漏らしているが、亡Bのこのような気持ちは、亡Bが勤務する公庫の将来にやや悲観的な見方を有していたことを示すものと認められる。

亡Bは、同年六月二〇日、b支店の元同僚に宛てて、「どうでもいいんですけど、今日送られてきた『△△便り』について会議室に集められ、職員一人一人の意見を発表させられたんですが、苦し紛れに適当なことを言ったら、支店長の不興をかったみたいでずいぶん突っ込まれました」というメールを送信しており、これによれば、亡Bの公庫の改革に対する意見が上司の考え方ないし方針と合わない点があったと推認でき、亡Bは公庫の改革のあり方になじめないものを感じていたことが窺え、また、同月三〇日に送信した「なんか、どんどん会社に行くのが苦痛になって来てます・人事部からは先週の金曜日にA26主任調査役が来ました…私は出張で、説明会には出ていないんですが…・聞くところによると、組合の本部オルグとまあ似たようなものだったとか・何でこんなに居るのが嫌な会社にドンドンなって行くのでしょうか・・A27なんとかってヒトのせいなのかなあ・」というメールからは、亡Bが、当時公庫の改革論議が行われておりこれまでの公庫と変わっていく可能性があったことから、将来も公庫職員として勤務を続けられるかどうかという不安感や悲観的な気持ちを有していたことが認められる。

このように、同月一四日以降の亡Bの送信したメールによれば、亡Bは、そのころ、公庫における自己の将来について悲観的な見方をもっていたものと認められる。

亡Bの私生活の面についてみると、同年六月の前半ころまでは、積極的に徒歩で出かけたり(同月四日、五日)、同年七月に予定していた北海道旅行のために宿を予約したり、コースを調べたりし(同年六月一〇日、一二日)、また、c支店の職員で行う野球の練習に参加する(同月一八日)など積極的に活動していたが、その後、肩こりが続くとして一審原告X3にマッサージを求めるようになり(同月二〇日、二一日。なお、同月一九日にもマッサージを求めているが、これは同日スポーツクラブでの運動疲れによるものである。)、眠りが浅くなるなど眠れないようになり(同月二一日、二二日)、それまでクリーニングする背広を自分で選んでいたのに選べなくなり(同月二四日)、さらには、七月の北海道旅行をキャンセルし(同月二五日)、それまで冬でも行っていた朝シャワーをしなくなり(同月二七日)、同月末には、微熱が続き、下痢が治まらず体重が減少し、自己の死を意識した言動がみられた(同月三〇日)ことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。

(d) 平成一七年七月ころ

亡Bは、平成一七年七月一日から六日までの間、同月六日にa11農協に会議で出張したほか、先月に引き続き日常業務を行ったこと、同月は休暇を二日取得したこと、亡Bの業務が過重であるとは認められないことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。

しかしながら、亡Bは、七月一日には、朝食が食べられなくなり、また、それ以降、誰にもメールを送信しなくなり、同月二日、三日の休日でも、自らは出かけなくなり、同月五日には固形のものが喉を通りにくくなり、下痢をするなど憔悴した様子であったことは原判決を補正の上引用して認定したとおりである。

(ウ) 以上によれば、亡Bは、平成一七年三月末までのb支店在籍時にはうつ状態にあったとは認められず、また、同年四月以降のc支店在籍時には、同年四月には抑うつ気分を示す徴候はないが、同年五月中旬には、c支店の時間外労働削減方針による労働時間管理の中で業務の時間のやりくりに苦労し、これを負担に感じていたことによるとみられる抑うつ気分がみられるようになった(しかし、この時点では、いまだうつ病を発症したとは認められないことは前記認定のとおりである。)。

そして、亡Bが同年六月一四日以降に送信したメールによれば、亡Bは、そのころ、公庫の改革を含め、公庫における自己の将来について悲観的な見方をもっていたこと、同月二〇日ころからは肩こりが続くとして一審原告X3にマッサージを求めるようになるなど易疲労性がみられ、同月二一日ころからは、睡眠障害になっていったこと、同月二五日には、七月の北海道旅行をキャンセルするなど興味と喜びの喪失とみられる事象があったこと、同年六月末には、微熱が続き、下痢が治まらず体重が減少し、自己の死を意識した言動がみられたことという前記認定事実によれば、ICD―10の診断基準に照らし、亡Bは、同月二〇日ころには軽症うつ病の要件を満たす状態になり、この状態が二週間以上続いて本件自殺に至ったものと認められるから、亡Bは、同月二〇日ころ、軽症うつ病を発症したものと認めるのが相当である。

これに対し、一審原告らは、亡Bは、平成一七年三月一〇日ころにはうつ病を発症していた旨主張し、A9医師も、その意見書で、亡Bは、同年一月から三月の時期、遅くとも同年三月末にはうつ病を発症していた旨述べている。しかしながら、亡Bのb支店業務第一課に在籍中(平成一六年四月一日から平成一七年三月三一日)についてみるに、亡Bのb支店業務第一課における労働時間、担当業務の内容に照らして業務が過重であったとは認められないこと、また、具体的な業務に関する出来事を検討しても、亡Bに過大な心理的負担がかかったと認めるに足りる具体的な出来事が見当たらないこと、亡Bの健康状態についても、定期健康診断の結果からは、心身に異常は認められず、上司に心身の不調を訴えたこともなく、勤務状況も身体の不調による遅刻や欠勤もなかったこと、亡Bの送信したメールや言動等を検討しても、亡Bの担当業務に対する過大な心理的負担感があったことを示すものとは認められず、亡Bがその当時抑うつ気分であったとは認められないことは前記認定のとおりである。したがって、一審原告らの上記主張は採用することができない。

(3)  業務と本件自殺との相当因果関係について

ア 労働省が傷病等を負った場合に、それが業務に起因した傷病等であると評価するには、単に当該業務と傷病との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在し又は通常随伴する危険の現実化として傷病等が発生したと法的に評価されること、すなわち業務と労働者の傷病等との間に相当因果関係の存在が必要であると解される。そして、労働者が業務によりうつ病等の精神障害を発症したと認めるには、①当該精神障害の発症前概ね六か月の間に、客観的に当該精神障害を発症させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること、②業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発症したとは認められないことを要するものと解される(平成一一年九月一四日付け基発第五四四号「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」参照)。また、うつ病の発症は、医学的に環境に由来するストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で、精神的破綻が生じるか否かが決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければ、ストレスが小さくても破綻が生ずるものと解される。この考え方によれば、ストレスを主観的に理解するのではなく、環境由来のストレスを多くの人が一般的にどう受け止めるかという客観的評価に基づいて理解され、業務により一般的に強いと認められる心理的負荷を受けて発症した場合には業務と発症との相当因果関係が認められ、逆に一般的には弱いと認められる心理的負荷を受けて発症した場合には本人の脆弱性によって発症したものであり、業務と発症との相当因果関係が否定されることになる。

イ 亡Bが平成一七年六月二〇日ころに発症した軽症うつ病につき、その発症前概ね六か月の間に、客観的に当該精神障害を発症させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められるか否か検討する。

まず、亡Bのb支店業務第一課に在籍中(平成一六年四月一日から平成一七年三月三一日まで)については、亡Bは、恒常的に早出出勤を行っており、亡Bの本件自殺の八か月前である平成一六年一一月分から平成一七年三月分までの労働時間についてみると、平成一六年一一月分の一〇九時間一五分、平成一七年二月分の九九時間三八分という長時間労働がみられるが、上記時間外労働時間にはいずれも早出出勤による始業時刻(午前九時)までの時間外労働時間が含まれているところ、終業時刻(午後五時二〇分)後の時間外労働時間についてみれば、平成一六年一一月分が約七二時間、平成一七年二月分が約七一時間となり、毎日平均三時間半程度残業していたことになるが、それほどの長時間の時間外労働とはいえない上、長時間労働が二か月以上継続しておらず、長時間労働が恒常的であったということはできないこと、また、亡Bの業務内容に照らして業務の困難度が高度であったとか労働密度が過重であったという事情も見られず、具体的な業務に関する出来事をみても亡Bに過大な心理的負担がかかったと認めるに足りる具体的な出来事が見当たらないことからすると、亡Bのb支店業務第一課に在籍中の業務が過重であったということができず、亡Bに過重な心理的負荷を与えるものではないことは前記認定のとおりである。

次に、亡Bのc支店業務第一課に在籍中についてみるに、亡Bのc支店業務第一課における労働時間はc支店が時間外労働の抑制に努めていたこともあって長時間労働はみられず、担当業務の内容に照らしても業務が過重であったとは認められないことは前記認定のとおりである。また、亡Bのc支店での具体的な業務に関する出来事を検討するに、亡Bに心理的負担をもたらし得る出来事としてb支店からc支店への転勤があるが、b支店及びc支店での担当業務は、農業融資の業務に加え、筆頭調査役としての業務を担当するものであり、その担当業務内容に大きな変更はないことからすれば、上記転勤自体が亡Bの過重な心理的負担となったとは認め難い。また、具体的な業務に関する出来事を検討しても、平成一七年五月のc支店での金融庁検査への準備作業に従事したこと、同月から同年七月にかけてのA10職員の休暇に伴う同職員の担当案件の一部の分担、同年六月の農業新規参入融資相談窓口の担当者とされたことも、亡Bに過大な心理的負担をもたらしたとは認めるに足りないことは前記認定のとおりである。

ところで、c支店での時間外労働時間の管理の取組により、始業時刻前及び終業時刻後の時間外労働が制限されていたことが、それまでの亡Bの長時間をかけて仕事を処理するスタイルに合わなかったことが、同年五月ころから亡Bに一定の心理的負担をもたらしたこと、また、亡Bが、同年六月ころ、当時公庫で行われていた改革論議によりこれまでの公庫と変わっていくことについて、公庫職員としての将来に不安感や悲観的な気持ちを有していたことが認められることは前記認定のとおりである。しかし、そのような時間外労働時間の管理がされていたことを前提としても、c支店での業務内容が亡Bにとって過重なものであったとは認められないことも前記認定のとおりであり、c支店での時間外労働時間の管理の取組が亡Bに一定の心理的負担をもたらしたとしても、これをもって、社会通念上、亡Bの担当する業務に内在し又は通常随伴する危険が現実化したものと評価することはできない。また、公庫の改革により亡Bの公庫の職員としての将来に不安感や悲観的な気持ちをもたらしたことも、亡Bの担当する業務に内在し又は通常随伴する危険が現実化したものと評価することはできない。

次に、亡Bの業務以外の要因による心理的負担の有無についてみるに、亡Bは平成一五年一一月三〇日の婚姻後、一審原告X3は大阪で職に就いていたため、週末にのみ一緒に過ごすという単身生活を続けていたこと、亡Bのc支店への異動を機に、亡Bの懇請で一審原告X3は平成一七年七月二〇日に退職することとしたこと(ただし、実際に退職したのは同年八月二〇日である。)、同年四月に亡Bは一審原告X3とともにc市の社宅に引っ越しをすませた後、一審原告X3は同月六日から同月三〇日まで大阪に帰り、同月末には、一審原告X3がc市の亡Bの社宅に引っ越して、家具を購入するなどして同居の準備を進めたが、同年五月一一日から二〇日までは、一審原告X3は大阪に戻り、また、同月二〇日から一審原告X3はc市に戻ったが、同年六月一二日から同月一八日までは一審原告X3は大阪に戻り、同月一八日からは亡Bと一審原告X3とは同居を継続することになったこと、そして、同年四月以降、一審原告X3が大阪に帰って不在の期間には、亡Bは、一審原告X3に淋しげに頻繁にメールを送信したり、電話をかけたりするというb支店在籍中にはなかった行動をしていたことからすると、亡Bは、同年四月以降、一審原告X3と同居することを前提に、それまでの週末のみを一緒に過ごすという生活からある程度まとまった期間を一緒に過ごし、またある程度まとまった期間別居するという生活の変化により、その別居期間において、それまでにはない一定程度の抑うつ気分を生じるようになったものと認められる(特に、同年六月の別居期間には、亡Bは、一審原告X3に対し、淋しいというメールを頻繁に送信しており、同月一二日に、「淋しい、まだ帰宅していないの?」と電話で言ったり、メールを送信したりし、同月一三日には、「めぇ~ちゃんが淋しいって、狂ったように泣いていますよッ!」というメールを送信したことは、これを裏付けるものである。)。また、同月一八日に一審原告X3と同居後は、亡Bにとって、それまでとは生活が変化したことについて、安心するとともにとまどいの気持ちをももたらしたものと認められる(亡Bは、同月二六日、同僚に、一審原告X3との同居生活について、「今更・エンジョイとまではいきませんが、まぁ、大きな波風は立てずにやっています・それにしても、衣裳ケースだの、カラーボックスだの、テレビ台だの…と、次から次へと、私からすれば必要のないモノを買い込むのは全く閉口してしまいますが…」というメールを送信したことは、これを裏付けるものである。)。さらに、同年五月二一日から同年六月一一日の間に亡Bは、「c支店にいるのも一年少しかも知れない」と言い始めたことに対して、一審原告X3が「ええっ!!そんなん前と話が違うやん。それやったら、私もボランティア休暇か何かで休職方法かんがえたのに。」と言ったこと(原判決を補正の上引用して認定した事実)からすると、一審原告X3は亡Bの言うとおりであれば退職せずにボランティア休暇を取るなどして休職する方法もあったと思っていたことが窺えるのであって、亡Bとしても心底は退職したくないという一審原告X3の気持ちをわかっており、これに加えて、一審原告X3の退職によって一家の経済的責任が自分にかかってくることから心理的な負担を感じたとしても不自然ではないことからすれば、亡Bは、一審原告X3との同居による生活の変化が亡Bに一定程度の心理的負担をもたらしたものと推認される。

このようにc支店での時間外労働時間の管理の取組により、始業時刻前及び終業時刻後の時間外労働が制限されていたことが、それまでの亡Bの長時間をかけて仕事を処理するスタイルとは合わなかったことが、同年五月ころから亡Bに一定の心理的負担をもたらしたこと、また、亡Bが、同年六月ころ、当時公庫で行われていた改革論議によりこれまでの公庫と変わっていくことについて、公庫職員としての将来に不安感や悲観的な気持ちを有するようになったことに加え、同年四月以降、一審原告X3と同居することを前提に、それまでの週末のみを一緒に過ごすという生活からある程度まとまった期間を一緒に過ごし、またある程度まとまった期間別居するという生活の変化により、ある程度まとまった期間別居することに一定程度の抑うつ気分を感じるようになり、さらに、一審原告X3との同居後は、一審原告X3との同居による生活の変化が亡Bに一定程度の心理的負担をもたらしたことが相まって、亡Bは同年六月二〇日ころには、軽症うつ病を発症したものと認められる。

そうすると、亡Bのb支店及びc支店での業務が過重であることにより亡Bに大きな心理的負担をもたらしたとは認められないこと、c支店での時間外労働時間の管理の取組が亡Bに一定の心理的負担をもたらしたとしても、これをもって、社会通念上、業務に内在し又は通常随伴する危険が現実化したものと評価することはできないこと、亡Bの公庫の職員としての将来に対する不安感や悲観的な気持ちも、亡Bの担当する業務に内在し又は通常随伴する危険が現実化したものと評価することはできないことは前提認定のとおりであり、また、上記のとおり業務以外の亡Bの生活の変化による心理的負荷が認められることを総合すれば、亡Bの発症した軽症うつ病と亡Bの担当した業務との間に相当因果関係があるということはできない。

三  争点二(公庫の安全配慮義務違反又は注意義務違反)について判断する。

(1)  一審原告らは、亡Bが長時間かつ過重な労働に従事し続け、その結果、疲労や心理的負荷を過度に蓄積させてうつ病を発症したことにつき、使用者である公庫は、その雇用する労働者の業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務に違反した旨主張する。

しかしながら、亡Bの発症した軽症うつ病と亡Bが公庫で担当した業務との間に相当因果関係があるということができないことは、上記認定のとおりであり、一審原告らの上記主張は、その前提を欠くことになり、理由がなく、採用することができない。

(2)  本件事案に即し、念のため、公庫に亡Bに対する安全配慮義務に違反する事実があったか否か検討する。

使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、労働者の労働時間、勤務状況等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないよう配慮するのみならず、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うものと解せられる(最高裁判所平成一二年三月二四日第二小法廷判決・民集五四巻三号一一五五頁)。

しかしながら、本件自殺の七か月前から(b支店勤務及びc支店勤務を通じて)の労働時間等から検討しても亡Bの業務が過重であったとは認められず、亡Bの業務内容に照らしても業務の困難度が高度であったとか、労働密度が過重であったという事情もみられないこと、c支店では、時間外労働時間の管理がされており、これが亡Bにとって一定程度の心理的負担となっていたものの、上記の労働時間の管理を前提としても、c支店での業務内容が亡Bにとって過重なものであったとは認められないことは前記認定のとおりである。そして、c支店での時間外労働の管理は、時間外労働(終業時刻は午後五時二〇分)を命じないことを原則とし、時間外労働を行う場合でも午後八時までには終了するというものであったが、亡Bは、平成一七年四月一日から同年七月六日までの就業日数六五日のうち、終業時刻と同時に退出した日が三一日、午後八時より前に退社した日が一一日あり、このような勤務状況からみても余裕のない状態で具体的案件の処理が日常的に滞っていたなどという様子はみられず、また、亡Bは、職場で、同僚らに心身の異常を訴えたことはなく、心身の不調のために遅刻、早退をしたこともなく、公庫での定期健康診断(c支店での定期健康診断は同年六月二三日に実施された。)でも、亡Bに心身の異常は認められず、さらに、亡Bは職場での歓迎会等の行事や支店の職員で行った野球の練習にも参加していた(同月一八日)ことは前記認定のとおりである。そうすると、c支店の上司らにおいて、亡Bの担当する業務により亡Bの心身の健康が損なわれることを具体的に予見することは困難であったと認められ、c支店の上司らにおいて、平成一七年四月一日から同年六月二〇日ころまでの間、亡Bの心身の健康が損なわれないように亡Bの担当業務を削減するなどの措置を執るべき注意義務があったとか、このような措置を執らなかったことをもって、亡Bに対する安全配慮義務等の注意義務に違反したことになるということはできない。したがって、この点からも、一審原告らの上記(1)の主張は採用することができない。

四  以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、一審原告らの各請求は、いずれも理由がないから、これらをいずれも棄却すべきであり、これと異なる原判決を取り消して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金子順一 裁判官 田中義則 渡辺真理)

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