大阪高等裁判所 平成25年(ネ)1317号 判決 2014年1月23日
控訴人
X
上記訴訟代理人弁護士
河村学
被控訴人
国
上記代表者法務大臣
D
上記指定代理人
大黒淳子<他15名>
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
(1) 被控訴人は、控訴人に対し、五〇万円及びこれに対する平成二三年八月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、第一・二審を通じてこれを六分し、その五を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
三 この判決は、第一項(1)に限り、仮に執行することができる。ただし、被控訴人が三〇万円の担保を供するときは、その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人の控訴の趣旨
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は、控訴人に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成二三年八月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人の負担とする。
(4) 仮執行宣言
二 控訴の趣旨に対する被控訴人の答弁
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人の負担とする。
(3) 本件につき、仮執行の宣言を付することは相当ではないが、仮にこれを付する場合には、
ア 担保を条件とする仮執行免脱宣言
イ その執行開始時期を判決が被控訴人に送達された後一四日経過した時とすること
を求める。
第二事案の概要
一 事案の要旨
(1) 本件は、被控訴人が設置・管理する大阪拘置所に未決勾禁者として収容されていた控訴人が、同拘置所常勤医師から、控訴人が同意をしていないにもかかわらず、職員数名によって手足を拘束された状態で、鼻腔からカテーテルを胃の内部まで挿入されるなどして、強制的に鼻腔経管栄養補給措置(以下「本件措置」という。)が行われたことにより、鼻血を出すなどの傷害を負ったほか、多大な精神的苦痛を受けたとして、被収容者に対する医師の善管注意義務(安全配慮義務)違反に基づく損害賠償請求権に基づき、被控訴人である国に対し、慰謝料三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二三年八月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
(2) 原審は、控訴人の請求を棄却したので、控訴人がこれを不服として控訴した。なお、控訴人は、当審において、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求を従前の善管注意義務(安全配慮義務)違反に基づく損害賠償請求と選択的に追加した。
二 関係法令の定め
(1) 刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律四〇条
「被収容者疾病ニ罹リタルトキハ医師ヲシテ治療セシメ必要アルトキハ之ヲ病室ニ収容ス」
(2) 被収容者の健康管理について(平成三年四月一二日矯医九三八(例規)矯正局長通達)第五(診療の拒否等の場合の措置)の三
「被収容者が故意に診療を拒み、又は飲食物を摂取しない場合において、その生命に危険が及ぶおそれがあるときは、遅滞なく、医師による診察又は経管栄養、点滴注射などの栄養補給の処置を執る。」
(3) 「被収容者の健康管理について」の運用について(平成三年四月一二日矯医九七〇矯正局医療分類課長通知)第五(診療の拒否等の場合の処置関係)の二
「栄養補給の処置としては、経管栄養及び点滴注射のほかに静脈注射、皮下注射、滋養灌腸などがある。」
(4) 「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(平成一八年六月八日公布、平成一九年六月一日施行)(以下「刑事収容施設法」という。)
ア 一条
この法律は、刑事収容施設(刑事施設、留置施設及び海上保安留置施設をいう。)の適正な管理運営を図るとともに、被収容者、被留置者及び海上保安被留置者の人権を尊重しつつ、これらの者の状況に応じた適切な処遇を行うことを目的とする。
イ 五六条
刑事施設においては、被収容者の心身の状況を把握することに努め、被収容者の健康及び刑事施設内の衛生を保持するため、社会一般の保健衛生及び医療の水準に照らし適切な保健衛生上及び医療上の措置を講ずるものとする。
ウ 六二条一項
刑事施設の長は、被収容者が次の各号のいずれかに該当する場合には、速やかに、刑事施設の職員である医師等(医師又は歯科医師をいう。以下同じ。)による診療(栄養補給の処置を含む。以下同じ。)を行い、その他必要な医療上の措置を執るものとする。(ただし書き省略)
一号(省略)
二号 飲食物を摂取しない場合において、その生命に危険が及ぶおそれがあるとき。
三 前提事実
以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠<省略>によれば、容易に認められる。
(1) 控訴人の逮捕・勾留
ア 控訴人は、平成一八年一〇月二三日に、兵庫県警察葺合警察署に、器物損壊罪で逮捕され、同警察署留置場で留置され、その後勾留された。
イ 控訴人は、勾留後の平成一八年一〇月二五日から兵庫県警察本部篠山留置場で留置された。
ウ 控訴人は、その後、建造物損壊罪で公訴提起されたことから、平成一八年一〇月三一日に、神戸拘置所に移監され、その後平成一九年五月一〇日までの間、同拘置所に収容された。
(2) 控訴人に対する有罪判決の宣告と控訴人の控訴
控訴人は、平成一九年三月一五日、神戸地方裁判所から建造物損壊罪で懲役一年の有罪判決(実刑判決)を受け、同月二六日に控訴した。
(3) 控訴人の大阪拘置所への移送
控訴人は、平成一九年五月一〇日、神戸拘置所から大阪拘置所に移送され、以後同年一二月一八日に大阪刑務所に移送されるまでの間、大阪拘置所に収容された。
(4) 控訴人に対する本件措置の実施
大阪拘置所医務部精神科医師であるA(以下「A医師」という。)は、平成一九年五月一四日午前一一時三〇分ころから同三五分ころまでの間、控訴人を診察した結果、控訴人にその鼻腔から経管栄養カテーテル(ゴム製、直径約九mm弱、長さ約八〇cm)を胃の内部まで挿入して栄養剤(クリニミール(経腸栄養剤)一二〇〇キロカロリー分を注入するという鼻腔経管栄養補給措置(本件措置)を実施することとし、同拘置所職員をして控訴人に対する本件措置を取るよう指示し、自らカテーテルを挿入するなどして、控訴人に本件措置がされた。
(5) 大阪弁護士会の大阪拘置所長に対する勧告
大阪弁護士会は、控訴人からの人権救済の申立てを受けて、平成二三年三月一七日、本件措置につき控訴人に対する人権侵害の事実を認め、大阪拘置所長宛に、以下のとおりの趣旨の勧告をした。
「大阪拘置所は、飲食物を摂取しない被収容者に対し、身体の侵襲を伴う鼻腔経管栄養補給を、その意思に反して行うにあたっては、担当医師によって直接に、①口頭による指導やカウンセリングなどの方法により、出来る限り自発的に食事を摂取するよう促すとともに、②経腸栄養剤の自主的嚥下など、より強制的でない代替手段の実施を試みた上で、③不食の期間と体重減少の事実だけでなく、問診や血圧、脈拍数、体温等の検査等によって被収容者の健康状態を十分に検証した後に、『生命に危険が及ぶおそれ』の有無を判断して実施するよう勧告する。」
(6) 本件訴訟の提起
控訴人は、平成二三年七月一九日、本件訴訟を提起した(顕著な事実)。
(7) 被控訴人による消滅時効の援用
被控訴人は、平成二五年六月二六日の当審口頭弁論期日において、控訴人に対し、控訴人の本件措置に関する国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権について、三年間の消滅時効を援用する旨の意思表示をした(顕著な事実)。
四 争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 国は、一般的に、刑事収容施設の被収容者に対し、その違反につき債務不履行責任を問われるべき善管注意義務(安全配慮義務)を負担しているか(争点(1))
〔控訴人〕
被控訴人は、刑事収容施設の管理者として、被収容者の人権を尊重しつつ、これらの者の状況に応じた適切な処遇を行うことが求められており(刑事収容施設法一条参照)、刑事施設内で医師が診療行為を行うに当たっては、「社会一般の…医療の水準に照らし適切な…医療上の措置を講ずるものとする」とされている(同法五六条)ことから、被収容者に対し善良な管理者の注意をもって一般人が医療行為を受けるのと同様に医療上の措置を講ずる義務を負担している。この善管注意義務は、法による収容関係という特別な社会的接触の関係に入った当事者間における付随的義務として被控訴人が被収容者に対して負う信義則上の義務である(最高裁判所昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁(以下「昭和五〇年最高裁判決」という。)参照)。
被控訴人は、国と被収容者との関係は、契約関係又はこれに準ずる法律関係ではないから、一般的に、昭和五〇年最高裁判決のいう「安全配慮義務」を負わないと主張するが、国と被収容者との法律関係は、国が刑事諸法に基づき強制的に被収容者を収容し留め置く関係であり、施設内での処遇についても刑事収容施設法によって法的な規制がされている関係であるから、昭和五〇年最高裁判決にいう「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」といえるし、むしろ契約関係よりも、その結びつき、社会的接触の程度は緊密であるといえる。
また、安全配慮義務の有無は、実質的には、損害賠償請求権の消滅時効と関係するが、民間医師の治療行為に対する善管注意義務違反は、一〇年の消滅時効であり、拘置所の医師の治療行為に関する同義務違反は三年の消滅時効であるとして、両者に区別を設ける実質的な理由は何ら存在しない。
〔被控訴人〕
国と刑事収容施設の被収容者との関係は、自由意思に基づくものではなく、その治療行為に関しても、国と被収容者との間の診療契約の成立を前提とするものではない。昭和五〇年最高裁判決にいう「特別な社会的接触の関係」は、契約関係又はこれに準ずる法律関係をいうものであり、国と被収容者との関係は、その基礎を欠いている。
もとより、国は、被収容者の生命・身体等を侵害しないよう配慮する義務を負っているが、それは、身体拘束に伴う国・公共団体の強制力行使に本来的に内在する一般的な義務であって、契約関係又はこれに準ずる法律関係を基礎とする安全配慮義務とは別個の義務である。
したがって、被控訴人が、控訴人に対して安全配慮義務(善管注意義務)を負うことはない。
(2) 本件措置の違法性ないし被控訴人の責任の有無(争点(2))
〔控訴人〕
ア 刑事収容施設法六二条一項によれば、「飲食物を摂取しない場合において、その生命に危険が及ぶおそれがあるとき」との要件を満たさない限り、国は、被収容者に対し、意に反する診療行為をすることができないとされている。
そして、意に反する身体への侵襲行為は、国法上、暴行・傷害として刑罰を科せられる行為とされているのであるから、逆に、意に反してでも行いうる「生命に危険の及ぶおそれのあるとき」の解釈は、極めて慎重かつ限定的でなければならない。決して被収容者であれば適当でよいということではない。
イ 上記によれば、A医師としては、控訴人に対し、医療措置を行うに当たって、それが身体への侵襲行為を伴うものであれば、控訴人の状態を適切に把握し、控訴人の措置に対する意思を明確に確認し、より侵襲度の少ない手段を執るなどの注意義務があるのであり、その注意義務の程度は通常の民間の医師、あるいは国公立病院の公務員たる医師と同程度であるというべきである。
ウ ところが、A医師は、以下のとおり、本件措置当時、客観的にみて、本件措置を行わなければ控訴人の生命に危険が及ぶおそれがあったとはいえないにもかかわらず、他に身体への侵襲行為が少ない代替措置の検討すら行うこともなく、控訴人の意に反して本件措置を行ったのであるから、本件措置は違法であって、またA医師には過失もある。
(ア) 控訴人は、大阪拘置所入所後も水、茶などは普通に取っていたし、ジュース、氷砂糖・チョコレート等も摂取しており、本件措置が取られた際に、体重の減少が見られたがなお正常値であり、神戸拘置所入所時の体重よりも重い体重であったので、そもそも控訴人に生命に危険が及ぶおそれはなかった。
(イ) A医師は、本件措置を取るに当たり、①上記栄養摂取状況について確認もせず、さらに、控訴人が、大阪拘置所に移監される前に、摂食ができなかった場合には、点滴を受けたり、経腸栄養剤を嚥下していたことを「病状連絡票」(乙一三)で知っていたはずであり、経口で栄養剤を補給していることを確認できたはずなのに、それをしておらず、②血圧・脈拍数、体温等の検査や問診等、控訴人の健康状態を検査する手段を講じず、③経腸栄養剤の自主的嚥下を指導するなど他の代替手段を講じていないばかりか、検討もしておらず、④控訴人に対しその後も継続的に食事を取らないのか、取れないのか、どのような原因によるものなのかを全く問うことがなかった。
A医師は、「生命に危険が及ぶおそれ」の確認について必要な措置をとらないまま、控訴人の同意がないにもかかわらず、いきなり職員数名をして控訴人の手足を拘束させ、鼻腔から約九mmのカテーテルを胃の内部まで挿入し、強制的に鼻腔経管栄養補給(本件措置)を行なった。
(ウ) 本件措置は、食事を故意に拒絶していると考えた同拘置所職員及びA医師が、これを同拘置所に対する反抗的態度と取り、見せしめ的に控訴人の意向や状態を全く無視して強行したものである。
エ したがって、被控訴人は、国家賠償法一条一項又は安全配慮義務違反(債務不履行)に基づき、控訴人が本件措置によって被った損害を賠償する責任がある。
〔被控訴人〕
ア 刑事収容施設法六二条一項二号によれば、被収容者が飲食物を摂取しない場合において、その生命に危険が及ぶおそれがあるときに、刑事施設の長は、当該被収容者が診療を拒んだとしても、栄養補給の処置を含む診療等を行わなければならない旨定めている。そして、栄養補給措置は、摂食の拒否によって生命への危険が現実に切迫するまで留保する必要はなく、相当期間拒食を続けている場合、被収容者の言動などから摂食拒否を長時間にわたって続けることが明確であり、生命に危険が及ぶおそれがあると認められれば、合理的な範囲での実施が許容されるというべきである。なお、控訴人は、本件措置の実施につき黙示に承諾していた。
イ 控訴人は、本件措置の実施までに故意に一一食分の摂食を拒絶しており、加えて、同措置の直前にあっても頑なに摂食拒否の態度を改めようとせず、長期にわたって摂食を拒否する意思が明確であった。しかも、わずか四日間に五kgの体重減少があること等から、控訴人の生命に危険が及ぶおそれがあった。
ウ A医師は、本件措置を実施するに当たり、血圧及び体重を測定し、血液検査を実施し、さらに、控訴人に対する摂食指導を行い、控訴人が摂食拒否の意思を改める意思を全く有しないことを確認した上で、総合的に本件措置の必要性を認めたものであり、その判断に不合理な点はない。
エ また、上記のとおり、摂食拒否が改まらなかったのであるから、控訴人に対して、経腸栄養剤の自主的嚥下を指導することは実現可能性が低く、現実的ではなかったので、生命への危険が及ぶおそれが認められる状況を解消する適切な代替手段は存在しなかった。点滴処置は、五〇〇キロカロリーの栄養補給で三時間程度を要するものであり、この間控訴人が協力する態度をとり続けるとは考え難い上に、本件措置が一二〇〇キロカロリーの補給を五分程度で行えることと比べると、その代替措置とはなり難い。
オ さらに、控訴人は、栄養剤の自主的嚥下の意思があると表明していない。また、本件措置の際に、「やめてくれ」と叫んだり、抵抗した事実はない。本件措置により、控訴人の鼻腔から少量の出血が生じたが、止血処理が行われており、一連の対応に問題はない。
(3) 控訴人の国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権の時効消滅の有無(争点(3))
〔被控訴人〕
控訴人が公務員の不法行為として主張する本件措置は、平成一九年五月一四日に行われたものであり、控訴人が本件訴訟を提起した平成二三年七月一九日の時点で、既に三年を経過している。
したがって、控訴人の国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権は時効により消滅している(国家賠償法四条、民法七二四条前段)。
〔控訴人〕
争う。
(4) 控訴人の損害額(争点(4))
〔控訴人〕
控訴人は、本件措置により、鼻から出血するなどの傷害を負ったほか、両手両足を拘束された状態で仰向けにされ、鼻から無理矢理カテーテルを胃に達するまで挿入されるという屈辱極まりない扱いを受け、強い精神的苦痛を被った。
これを慰謝するに足りる慰謝料額は、三〇〇万円を下らない。
〔被控訴人〕
争う。
第三当裁判所の判断
一 国は、一般的に、刑事収容施設の被収容者に対し、その違反につき債務不履行責任を問われるべき善管注意義務(安全配慮義務)を負担しているか(争点(1))について
(1) 控訴人は、刑事収容施設の被収容者に対する医師の善管注意義務違反を理由として、損害賠償を求めているが、その主張の趣旨からして、控訴人の主張する「善管注意義務」とは、昭和五〇年最高裁判決のいう「安全配慮義務」と同旨のものと解される。以下、それを前提に検討することとする。
(2) そこで、検討するに、国は、憲法上の国民に対する人権保障(憲法三一条~四〇条)を前提としつつ、刑法、刑事訴訟法などの法律に基づき、一定の要件を満たす場合に、強制的に、国民を閉鎖された刑事収容施設に収容する権能を有している。しかしながら、この権能も法から与えられた目的を達成するために必要最小限において認められるものであり、刑事収容施設内においても、被収容者の人権が尊重されなければならないことはいうまでもなく(刑事収容施設法一条参照)、施設内の医療措置に関しても、国は、基本的には、被収容者に対し、一般人が医療行為を受けるのと同水準の医療上の措置を講ずる義務を負担しているというべきである(同法五六条)。
ところで、「安全配慮義務」とは、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであるところ(昭和五〇年最高裁判決)、前記刑事関係法の適用により刑事収容施設に拘禁された被収容者は、施設外部の国民と異なり、自己の意思に従って自由に医師の診療行為を受けられるわけではなく、医療行為を受けるためにも、刑事収容施設の職員の協力が不可欠である。そして、同職員は、被収容者が飲食物を摂取しない場合等に強制的な診療行為等を行う権限も与えられているから(刑事収容施設法六二条一項二号)、その反面、施設内の診療行為等に関し、被収容者の生命及び身体の安全を確保し、危険から保護すべき必要性があり、その必要性は、雇用契約における雇用者と労働者との間の関係などと別異に解すべき論拠がないばかりか、むしろそれ以上の必要性が認められる。
したがって、国は、刑事収容施設の被収容者の診療行為に関して、安全配慮義務を負担していると解するのが相当である。そして、その義務違反に基づく損害賠償請求権は、他の安全配慮義務違反の損害賠償請求権と同様に、一般債権として、一〇年の消滅時効期間に服するものと解される。
(3) これに対して、被控訴人は、国と刑事収容施設の被収容者との間の医療措置に関しては、契約又はこれに準ずる関係が認められないから、昭和五〇年最高裁判決のいう「安全配慮義務」を負わない旨主張している。
しかしながら、安全配慮義務は、公法、私法を通じて規定がなく、一般的法原理に基づく義務であり、これを認めるべき必要性は、当事者間の一定の接触関係において、一方当事者が相手方当事者に対し、一定の場所、設備等のもとにおいて勤務等を命じうるという優位な立場にあることから、相手方当事者は、そのことによる内在的危険を負担しているところ、優位な立場にある当事者は、相手方の上記危険を予測して危険を回避することが可能であるのに、相手方当事者は、自らその危険を回避することが困難であることから、優位な立場にある当事者に相手方当事者に対する保護義務を課すのが相当であるとする法的・社会的評価から来るものであって、当事者の意思を論拠とするものではない。
そして、一般的に、安全配慮義務違反が債務不履行責任として構成されているのも、義務を課した側と課された側に常に契約関係が存在するからではなく、この点も法的・社会的評価から、「特別な社会的接触」をもって、一種の契約関係と同視しているにすぎないのである。現に、厳密には契約関係とはいえない、国又は公共団体の任命行為によって開始される公務員の労働関係(従前は特別権力関係などと称されていた。)などにも安全配慮義務が認められているのであるから(昭和五〇年最高裁判決)、安全配慮義務違反が認められる場合を「契約関係又はこれに準ずる関係」が存在する場合に限定する論拠もないものというべきである。
また、このような安全配慮義務を不法行為責任とは別に認めるべき実質的必要性は、不法行為の損害賠償請求権が三年の消滅時効期間であるのに対し、債務不履行の損害賠償請求権の消滅時効期間が一〇年であるという損害賠償請求権の消滅時効期間の長短にあるが、刑事収容施設の被収容者は、身柄を拘束されている立場上、権利行使の実効性がある程度制約されているのであるから、労働関係などよりも一層、長期の消滅時効期間により保護すべき必要性が高いものといわなければならない。
以上のとおりであって、被控訴人の上記主張は採用できない。
二 本件措置の違法性ないし被控訴人の責任の有無(争点(2))について
(1) 認定事実
前記前提事実に加え、証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる。
ア 警察署に逮捕勾留中の控訴人の摂食状況等と警察署の対応
控訴人は、平成一八年一〇月二三日に逮捕・勾留され、兵庫県葺合警察署留置場で留置された後、同月二五日から同県警察本部篠山留置場で留置された。同月二九日には、神戸中央市民病院で受診し、脱水症状が認められたことから輸液が実施された。この間、控訴人は、逮捕後は一貫して食事を取らず、篠山留置場に収容後は湯茶も飲まず、さらに、給与される食事に関して篠山の豚飯は絶対に食わん、警察の水は一切飲まない旨を述べて約一週間絶飲食の状態にあった。
イ 神戸拘置所に勾留中の控訴人の摂食状況等と拘置所の対応
控訴人は、平成一八年一〇月三一日から平成一九年五月一〇日までの間、神戸拘置所に収容されていた。控訴人の入所時の体重は六〇・二kgであった。ここでも、控訴人は、当初は、治療は一切受けない、水も飲まないと述べ、食事は口につけておらず、自己の意志で食事を取ろうとはしなかった。そのため、当初は点滴処置も行われなかったが、拘置所の医師は、控訴人に対し、いざという時は強制的に点滴等を行う旨を控訴人に説明した。
なお、控訴人は、神戸拘置所において、抗不安薬(セルシン)、抗てんかん薬(テグレトール)、睡眠薬(フェノバール)等の処方を受け、その後も追加処方を受けた。
その後も、控訴人は、不食を継続し、同年一一月一日、点滴を一旦は拒否したものの、同月二日、控訴人の同意を得た上で、点滴が実施された。
同月四日の診察時、控訴人は、「鼻から入れるくらいならエンシュアを口から飲む。」と述べていた。
控訴人は、同月七日の夕食時から、経腸栄養剤(エンシュアリキッド)を飲用するようになり、以降、少量の食事を摂取し、同栄養剤を飲用した。同年一二月ころからは、支給された食事を全量摂取するようになったが、刑事事件の判決後から、再び食欲低下を来し、適宜、同栄養剤を処方されていた。
なお、控訴人は、神戸拘置所収容中に、施設で提供される食事以外に、自費で、チョコレート、飴、氷砂糖、紙パック入りのジュースなどを間食として購入して適宜摂取していた。
ウ 大阪拘置所に勾留中の控訴人の摂食状況等と拘置所の対応
(ア) 控訴人は、平成一九年五月一〇日、神戸拘置所から大阪拘置所へ移送された。移送の際、神戸拘置所から控訴人の「病状連絡票」(乙一三)が引き継がれた。同書面には、不安神経症、不眠症、便秘症、アレルギー性鼻炎、末梢循環不全、うつ病などの控訴人の傷病名とそれに対する治療内容のほか、参考情報として、「自己意志による欠食 留置所での留置中、また神戸拘置所入所後約一週間自己意志による欠食が見られ、輸液・エンシュアリキッド処方にて対応した。その後経口摂食に問題はないが判決が出てから再び食欲低下を来し適宜エンシュアを処方して対応している。」との記載がされていた。また、控訴人は、大阪拘置所入所の際、上記の神戸拘置所で購入した間食類の残りを大阪拘置所に持ち込んだ。
入所時健康診断において、血圧は、「(収縮期)一三八mmHg/(拡張期)六六mmHg」、体重は「七六kg」であった。控訴人から全身倦怠感及び不安神経症の申出があったが、全身倦怠感については、大阪拘置所医務部外科医師のEが診察したところ、瞳孔、対光反射、心音、血圧及び脈拍等に異常が認められず、腹部の触診でも異常は認められなかった。不安神経症については精神科受診を予定することとした。
(イ) 平成一九年五月一一日、大阪拘置所医務部精神科医師のA医師が控訴人を診察したところ、控訴人から、強度の不眠、自律神経失調症及びうつ症状の申出があった。A医師は、診察の結果、経過観察することとし、控訴人に睡眠薬等も処方しなかった。
控訴人は、入所時から一一食(同月一〇日の夕食から同月一四日の朝食まで)を不食していた。ただし、控訴人は、食事とともに提供されるお茶などは飲んでいたし、神戸拘置所から持ち込んだ間食類も時折、食していた。
これに対し、舎房担当職員は、食事を給与するたびに摂取するよう指導していたが、控訴人は、同月一〇日の夕食について「いりません。わしは、ここでは食べる気はありません。」と、同月一一日は三食について「いりません。食べません。」「ここに居るあいだは食べません。」等と、同月一二日は三食について、手を振り、「いらん。」と、同月一三日の三食について「いらん。」と、同月一四日の朝食について、「いらないです。」とそれぞれ述べて相変わらず、提供される食事を取らなかった。
(ウ) A医師は、平成一九年五月一四日、控訴人を診察したところ、血圧は、「(収縮期)一五二mmHg/(拡張期)八六mmHg」、体重は「七一kg」であり、入所時と比較して五kgの体重減が認められた。しかしながら、控訴人の身長は、一七二cmであるから、体重七一kgにおけるBMI(ボディマス指数、体重と身長の関係から算出される、人の肥満度を表す体格指数)は二三であり、日本肥満学会の指標では、その正常範囲(普通体重)である一八・五以上二五未満(一八・五未満が低体重(痩せ型)とされる。)におさまっていた。
A医師は、控訴人が大阪拘置所入所時から食事を摂取するよう指導されているのに、給与した食事を全く摂取しない状況が継続している上に、A医師から、当日、食事を取るように指導されても、「こんなもの食えるか」と述べたことから、控訴人がこのまま不食を継続した場合、場合によっては、その生命に危険が及ぶおそれがあると判断し、控訴人に対し、本件措置を実施することにした。その判断の根拠は、一一食不食及び体重減少の事実、並びに、食事拒絶を継続するとの控訴人の意思表示のみであり、その他の健康状態、すなわち、脈拍数、体温時の検査や問診はしなかった。なお、A医師は、その際、控訴人の血液を採取し、検査に回したものの、その結果は同月一八日に出ており、本件措置を実施する際の判断根拠とはされていない。
(エ) 平成一九年五月一四日午前一一時三〇分ころから同三五分ころまでの間、大阪拘置所医務部診察室において、A医師の指示の下、本件措置が実施された。
A医師は、准看護師B、同Cらに対し、栄養補給を実施する旨告知し、栄養補給の方法として、鼻腔から胃の内部にカテーテル(ゴム製、直径約九mm弱、長さ約八〇cm)という管を挿入して栄養剤を注入すること、また、管には円滑剤のゼリーを塗付した上で挿入するものの、挿入の際には痛みが生じたり、出血する場合もある旨説明した上で、立ち会っていた処遇部門の職員に対し、控訴人をベッドへ移動させるよう指示するとともに、B及びCに対し、クリニミール(経腸栄養剤)一二〇〇キロカロリーの補給を指示したが、その際、本件措置実施につき控訴人の同意を得なかった。
処遇部門の職員二名は、控訴人の両脇を抱えて車椅子から立たせた後、診察机横のベッドに控訴人を仰向けに寝かせ、栄養補給の実施に際し、控訴人が抵抗して身体を揺さぶらないよう、処遇部門の職員三、四人で控訴人の頭部及び両手足を押さえて身体を固定し、経管栄養カテーテルの先端にゼリーを塗付して挿入し、カテーテルが胃に到達していることを確認の上、Bが、カテーテルに注射筒を接続して経腸栄養剤一二〇〇キロカロリー分を注入した。注入終了後、Bが、A医師の指示により、カテーテルを引き抜いたところ、控訴人の鼻腔から出血が認められたので、A医師の指示により止血処置が行われた。なお、A医師は、本件措置の実施の前に、その代替手段として、神戸拘置所で実施されていた点滴処置について控訴人の同意の有無を確認していないし、またクリニミールは経腸栄養剤であり、経口で飲むことも可能であり、また別にエンシュアリキッドという栄養剤も存在し、現に控訴人は神戸拘置所ではこれを経口摂取していたが、控訴人に対し、栄養剤の経口摂取も促していない。
(オ) 控訴人は、平成一九年五月一八日の時点でも、「鼻の調子が悪く月曜日(注:本件措置日)に出来た傷からまだ少し出血しています」と診療願せんに記述していた。
(2) 事実認定の補足説明
被控訴人は、本件措置につき控訴人の黙示の承諾があったと主張しているが、前記認定のとおり、控訴人は、本件措置の際、三、四人の拘置所職員から、頭部及び両手足を押さえられ、身体を固定されていたというのであるから、仮に、控訴人主張のように、本件措置の際に、「何をするんや」「やめてくれ」などという発言がなかったとしても、控訴人が本件措置につき黙示の承諾をしていたと認めることは困難である。
(3) 判断
ア 本件措置が行われた平成一九年五月一四日は、未だ刑事収容施設法が施行されるより前であるが、同法は、既に平成一八年六月八日に公布されており、その施行日は、本件措置の約二週間後である平成一九年六月一日とされていたのであるから、本件措置についても、同法の趣旨に照らして検討するのが相当であると解される(この点については控訴人・被控訴人ともに異なる見解を主張していない。)。
イ 拘置所内の診療行為や医療上の措置においても、診療や措置を受ける被収容者の承諾を得ることが原則である(刑事収容施設法六二条一項一号)。
しかしながら、同項二号は、被収容者が「飲食物を摂取しない場合において、その生命に危険が及ぶおそれがあるとき」には、被収容者が診療等を拒否した場合でも、診療等を行うことができると規定している。
そして、この診療等は、摂食の拒否によって生命への危険が現実に切迫するまで出来ないとすると、場合によれば、診療等が遅きに失して被収容者の生命が失われたりする危険があるから、生命への危険が現実に切迫するまで待つ必要はなく、相当期間拒食を続けている状態で、被収容者の言動などから今後も長期間にわたって摂食拒否を続けることが明確であり、生命に危険が及ぶおそれが認められれば、そのような危険の発生を見越して、合理的な範囲で実施することが許されると解するのが相当である。
もっとも、摂食の拒否に対する医療上の措置といっても、本件のような鼻腔経管栄養補給措置のほかにも、被収容者に経口で栄養剤を飲用させること(自主的嚥下)や点滴処置等が考えられ、措置の種類によって、身体の侵襲の程度も異なるところ、拘置所内の診療等に関しても、当然、被収容者の人権が尊重されるべきである上(刑事収容施設法一条参照)、社会一般の保健衛生及び医療の水準に照らして行われなければならないこと(同法五六条)に照らすと、被収容者の摂食拒否によって、その生命に危険が及ぶおそれが認められるからといって、医師がどのような栄養補給措置を選択するかについて自由な裁量権が認められているわけではないというべきである。
とりわけ、鼻腔経管栄養補給措置は、鼻腔からカテーテルを通すという措置の性質上、本件のように鼻腔内に傷がついて鼻血が出る危険性があるほか、措置中に患者が動いたりすると、カテーテルが気管や肺に入る危険性があるなど、非常に危険性の高い措置である上(証人Bもこれを認めている。)、その態様も、経口飲食が可能な被収容者に対し、鼻腔からカテーテルを通すということで、屈辱的な感情を抱かせるものであるから、同措置の選択に当たっては慎重に行う必要があるというべきである。
以上の点に照らすと、医師は、被収容者の摂食拒否に対し、栄養補給措置を実施するに際しては、まず、被収容者に対し、出来る限り、自発的に食事を摂取するよう促すとともに、次いで、具体的な栄養補給措置を実施する場合には、被収容者の同意を取り付けるよう試み、さらに、同意が得られない場合には、諸検査によって被収容者の健康状態を十分に検証し、その結果を踏まえて、同法六二条一項二号の「生命に危険が及ぶおそれ」の有無を判断した上、強制的で、かつ危険性も高い鼻腔経管栄養補給措置を実施するより前に、まず、点滴処置や経腸栄養剤の自主的嚥下など、より強制的でなく、危険も少ない代替的手段の実施を試みるべき注意義務があると解するのが相当である。
そして、この注意義務は、身体拘束に伴う被控訴人の強制力行使に本来的に内在する一般的な義務であるほか、前記一の安全配慮義務としての義務でもあるというべきである。
ウ これを本件についてみると、前記認定事実によれば、A医師としては、本件措置に際し、控訴人に対し、食事の摂取を促して拒絶されたことは認められるものの、点滴処置や経腸栄養剤の自主的嚥下(経口摂取)などの実施を試みた形跡がない上、控訴人がこれまで一一食不食にしていること、本件措置の前の体重測定において、四日前の入所時の体重から五kg減少していることのみを判断根拠として、控訴人の同意を得ることなく、本件措置を実施したのであるから、上記の義務違反が認められ、本件措置の実施は違法であるというべきである。
この点につき、被控訴人は、①控訴人が点滴処置に協力する態度をとり続けるとは考え難かったし、経腸栄養剤の自主的嚥下(経口摂取)も実現可能性が低かった、②控訴人が一一食分の摂食を拒否し、その態度から長期にわたって摂食を拒否する意思が明確であり、控訴人の体重がわずか四日間で五kgも減少したから、控訴人の生命に危険が及ぶおそれがあったと主張している。
しかしながら、前記認定のとおり、控訴人は、神戸拘置所収容中には、点滴処置や経腸栄養剤の自主的嚥下(経口摂取)に応じているのであるから、試みることもなく、実現可能性が低いなどと即断できるものではない。むしろ、前記認定のとおり、神戸拘置所収容中には、控訴人が、「鼻から入れるくらいならエンシュアを口から飲む。」と述べていたことなどからすると、控訴人は、本件措置のような鼻腔経管栄養補給措置を極度に嫌っており、本件においても、医師が説得すれば、少なくとも経腸栄養剤の自主的嚥下(経口摂取)には応じていた可能性が高かったというべきである。
また、確かに、控訴人の体重は、わずか四日間に五kg減少しているのであるが、他方で、神戸拘置所入所時の体重は六〇・二kgであったこと、減少後の体重でも、BMIは正常範囲であったこと、その余の控訴人の身体状況は不明であることからすると、一一食の不食と体重減少という事実のみからは、控訴人の生命に危険が及ぶおそれがあると判断することは困難である。今後の摂食拒否についても、控訴人が今後も一切摂食しないとまで断言していたことを認めるに足りる証拠はないし、神戸拘置所収容中も途中からは支給された食事を全量摂取していることからすると、むしろその可能性は低かったというべきである。
なお、証拠<省略>によれば、法務技官医務部長のFは、本件措置を実施したことは適切な判断であるとの意見を述べていることが認められるが、上記で説示した理由から、同意見は採用できない。
したがって、被控訴人の上記主張はいずれも採用できない。
エ そうすると、A医師が控訴人に対して本件措置を実施したことは違法であり、A医師に過失も認められるから、被控訴人は、控訴人に対し、本件措置実施につき、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任を負うとともに、安全配慮義務違反として債務不履行に基づく損害賠償責任も負担しているものというべきである。
三 控訴人の国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権の時効消滅の有無(争点(3))について
前記認定のとおり、本件措置が行われたのは、平成一九年五月一四日であるから、特段の事情の認められない本件においては、不法行為時も同日であるところ、控訴人が本件訴訟を提起したのは、前記前提事実(6)記載のとおり、平成二三年七月一九日であるから、既にその時点で三年を経過していることは明らかである。
そして、被控訴人は、本訴において、上記消滅時効を援用する旨の意思表示をしているから(前記前提事実(7))、控訴人の国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権は時効により消滅したものというべきである(国家賠償法四条、民法七二四条前段)。
四 控訴人の損害額(争点(4))について
前記認定のとおり、控訴人は、本件措置により、鼻から出血するという傷害を負った上、両手両足を拘束された状態で仰向けにされ、鼻腔から強制的にカテーテルを胃に達するまで挿入されるという屈辱的な扱いを受けたことにより、精神的苦痛を被ったものと推認できる。
しかしながら、他方で、前記認定のとおり、上記の鼻からの出血は軽度のものであったこと、本件措置は、栄養補給措置であって、措置自体によって控訴人が損害を被ったとは認め難いこと、控訴人も支給された飲食を一一食も不食にするなど、医師が栄養補給措置を考慮せざるを得ない状況にした点で落ち度が認められるものである。
以上のほか、本件に現れた諸般の事情を考慮すると、控訴人が本件措置によって被った精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料額は、五〇万円をもって相当と認める。
五 結論
以上によれば、控訴人の安全配慮義務違反(債務不履行)を理由とする損害賠償請求は、損害金五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二三年八月六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容すべきであるが、その余は理由がないから棄却を免れない。
よって、原判決を上記の趣旨に変更することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山下郁夫 裁判官 神山隆一 堀内有子)