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大阪高等裁判所 平成25年(行コ)3号 判決 2013年6月14日

控訴人(被告)

地方公務員災害補償基金

同代表者理事長

処分行政庁

地方公務員災害補償基金奈良県支部長 B

同訴訟代理人弁護士

中川元

同訴訟復代理人弁護士

井上直樹

被控訴人(原告)

同訴訟代理人弁護士

古川雅朗

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

第2事案の概要(略称は,特記しない限り原判決の用法による。)

1  本件の要旨及び訴訟の経過

(1)  要旨

本件は,奈良市建設部a課の職員であった被控訴人の亡夫C(以下「C」という。)が冬季の深夜に戸外の作業(春日大社の摂社である若宮祭礼の「春日若宮おん祭」の「お渡り式」のため三条通りのフラワーカップを一時的に撤去する作業)に従事する勤務(以下「本件勤務」という。)を行った2日後に倒れ,急性心筋梗塞(本件疾病)と因果関係を有する疾病により死亡し,妻である被控訴人から地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)に基づく補償の請求を受けた処分行政庁が,地公災法45条1項に基づき,Cの死亡は公務外の災害であるとする公務外認定処分(以下「本件処分」という。)をしたため,被控訴人がその取消しを求め,控訴人がこれを争った事案である。

(2)  原審裁判所の判断

原審裁判所は,本件勤務と本件疾病の発症との間には相当因果関係があり,Cの死亡は地公災法31条の「公務上死亡した場合」に当たるにもかかわらず,本件疾病の発症を公務外の災害と認定した本件処分は違法であり,その取消しを求める被控訴人の請求は理由があるとしてこれを認容した。

(3)  控訴人の控訴

そこで,控訴人が控訴を提起し,原判決を取り消して被控訴人の請求を棄却するよう求めた。

2  「争いのない事実等」,「争点」(争点に対する双方の主張を含む。)は,原判決を次のとおり補正し,後記3のとおり「当審における控訴人の補足主張」を,後記4のとおり「当審における被控訴人の補足主張」を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」中の第2の1及び2に記載のとおりであるから,これを引用する。

(原判決の補正)

3頁17行目から18行目にかけての「(以下「本件疾病」という。)」を「(以下「本件疾病」ともいう。)」に改める。

3  当審における控訴人の補足主張(以下「控訴人の当審主張」という。)

(1)  本件勤務と本件疾病発症との因果関係の判断手法

原判決は,控訴人が主張する行政通達による認定基準を引用しながら,その評価を一切しておらず,判断基準が不明確である。

認定基準は平成16年4月19日に発せられたものであるが,下記の災害補償責任の基本的考え方に則って,公務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められるような場合,すなわち公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな場合を具体化したものであり,かつ,専門家会議の検討結果に基づいて,業務に内包される諸々の要因とこれが生体に及ぼす生理的変化の関係等について現在の最高の医学的知見が集約された上で作成されたものであることから,公務上外の判断のよりどころとして適切かつ妥当なものといえる。

地公災法の災害補償制度の本質は,業務に内在する各種の危険性が現実化した場合の損失について使用者が無過失責任を負うことにあり(危険責任の法理),それに要する費用は地方公共団体の負担金により一切が賄われ,地方公務員は一切保険料等の負担がなく,かつ責任割合による損失負担が認められず,画一的に100パーセントの法定補償額の支払を義務づける制度が採用されていることからして,同制度における相当因果関係は,公務の遂行に際して発生した災害のうち,その責任を使用者たる地方公共団体に帰すべきかどうかを適正かつ客観的に判断するための概念として機能するものでなければならず,災害と条件関係を有する無数の原因のわずか一つである公務に100パーセントの危険責任を負担させる合理性を担保するためには,少なくとも公務が災害を引き起こすその他の要因との関係で相対的に有力な原因であったと評価できることが必要というべきである。特に,本件のような心・血管疾患等は,発症の基礎となる動脈硬化等による血管病変等が,公務に特有の疾病ではなく,公務により発症するという事態が頻発するものではないから,複数の原因が競合している場合において,公務が単に疾病発症又は増悪の条件の一つにすぎないような場合についてまで相当因果関係は認められない。Cの心・血管疾患が公務に内在する危険の現実化として認められるためには,①平均的労働者を基準として,公務による負荷が医学的経験則に照らし心・血管疾患の発症の基礎となる血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ得ることが客観的に認められる負荷といえること,②当該発症に対して,公務による危険性(公務の過重性)がその他の公務外の要因(当該労働者の私的リスクファクター等)に比して相対的に有力な原因となっているという関係が認められることを要するところ,D医師も②までは考えていないといえる(原審証人D)。

また,災害と公務の相当因果関係の存在についての立証責任は認定請求者側にあるのに,原判決は,実質的に「他に確たる発症因子があったこと」の立証責任を処分行政庁側に負わせることで一部立証責任の転換を図っているという他なく,この点でも不当である。

(2)  本件疾病の発症の要因

ア 本件疾病発症の要因に関する医学的知見の誤り

プラークを破綻させた外的要因として交感神経の一過性の過剰な緊張が主因であると判断した原判決は不当で,Cが死亡当時38歳であり,若年者の急性心筋梗塞患者に多く認められた高脂血症と喫煙という危険因子を有していたことからすると,これらが本件疾病の発症に大きく関与している可能性が高い。

イ 本件勤務による負荷と本件疾病発症との関係に関する評価の誤り

原判決は,本件疾病発症の主要因が本件勤務における負荷であるとしたが,本件勤務における負荷は客観的に見て急性心筋梗塞の発症の基礎となる血管病変等をその自然的経過を超えて著しく増悪させるものであったとは評価しえない。証拠<省略>による当時の気象状況は冬期における夜間のごく平均的なもので特に厳しい寒さだったとはいえず,作業時間も1時間30分と短く,屋外にいた時間も待機時間を含めて2時間ないし2時間10分程度と決して長くはなく,服装も十分な防寒対策をとっており,肉体的負荷も精神的なストレスも軽度であったこと等の事実を適切に評価せず,Cの運動量や主観的な言動のみで,本件勤務中にCが受けた寒冷刺激が相当強度のものであったと認定した原判決は誤っている。

ウ 寒冷刺激の再現実験

本件勤務当時の環境の再現実験(パワーショベルのエンジンを停止後全ての扉を閉鎖しその後40分間のキャビン内外の温度を10分ごとに測定する実験)を行った結果(乙17),キャビン内では寒冷刺激が緩和されることが確認できた。

あわせて,本件においては,Cはパワーショベル操作中には暖房を付けずに作業していたとの同僚職員の証言があるが,エンジン稼働中に扉を全開にした状態で暖房をつけ足下から出てくる温風の温度を測定したところ,約37℃の風が出てくることも確認できた。

エ Cの冠動脈に存在したプラークに関する評価の誤り

Cの冠動脈に存在したプラークを狭窄度の低いごく軽度のものであると推認するのが相当であるとして原判決があげた理由は,いずれも十分説得的なものとはいえない。Cの平成14年4月17日の受診当時の検査の限界をD医師も認めており(原審証人D),また,それから3年以上も経過している。その後の健康診断の結果においてCに心臓機能の低下を疑わせる異常所見が認められていないことは事実であるが,この間の健康診断の結果は総コレステロールや中性脂肪の値が高く,この記録から算出される悪玉コレステロール値(計算値)も長年にわたって非常に高い数値を示していることが判明しているし,Cが若年性急性心筋梗塞患者に多く見られる危険因子(高脂血症,高コレステロール血症)を有していたことは明らかである。Cが平成14年における病院受診時を除いて妻である被控訴人や同僚等周囲の者に対して急性冠症候群を疑わせる自覚症状を訴えなかったことも,Cがその性格や病院嫌いから自覚症状を感じても訴えなかったことも十分考えられるし,そもそも急性心筋梗塞は全く自覚症状のなかった人が突然発症する可能性もあることからすれば,十分な理由にならない。なお,運動負荷による急性心血管障害の発症に否定的な立場からすれば,Cが「本件勤務の約1か月前に20分程度走ることがあったにもかかわらず体調不良を訴えなかった」ことはむしろ当然のことであり,これはCの冠動脈に存在したプラークがごく軽度のものであった根拠にはならない。

仮に,Cの冠動脈に存在したプラークが狭窄度の低い軽微なものであるならば,寒冷刺激により交感神経が活性化したという外的要因を十分に考慮したとしても,それだけでプラークが破綻し急性心筋梗塞に至る可能性は極めて低いと考えられるのであるから,この点からしても,Cのプラークが狭窄度の低いごく軽度のものであったとした原判決は誤っている。

オ 本件疾病のリスク要因

急性心筋梗塞は動脈硬化症を基礎とするものであるが,公務は動脈硬化症のリスク要因とは考えられない。公務に従事することによって肉体的精神的に何らかの負荷を受けることは事実であるが,これによって動脈硬化症を進展させるという医学的根拠はない。公務ではない数々のリスク要因によって既に動脈硬化症が進展している状態,あるいはそれほどの状態に至っていない場合において,何らかの業務負荷がプラークの破綻をもたらす引き金(トリガー)となるか否かについて,心筋梗塞は一日中いかなる時でも発症しており,身体的負荷や精神的緊張といった特段の事情がなくとも発症していると推測できるから,業務に従事したが故にプラークの破綻に至るとは推測し得ない。

破れやすい柔らかなプラークと,それを破れさせる機械的刺激とがどのような関わり合いになっているかは大変難しい問題であるが,少なくとも柔らかいプラークがなければ急性の冠動脈閉塞が起こらないわけであるから,冠動脈内膜の形態的変化がどういうものであるかが最も優先する所見となるであろうとされ,結論的には動脈内壁のプラークのLDLコレステロールの取込みの活動性こそが大切であって身体的活動は主因にならないであろうというのが,最近の急性冠症候群発症の基本的な考え方であるから,本件勤務と本件疾病発症との因果関係を判断するに当たっては本件疾病のリスク要因を十分に考慮すべきである。

Cはこれまで健康診断2次検査で高コレステロール血症,高脂血症を指摘されながら再検査を受けていないし,また,「低下しなければ治療が必要」との指摘を受けたにも拘わらず,その後一度も治療を受けていないから,本件疾病発症時に既に急性心筋梗塞発症の高度の素因・基礎疾患があったことは明らかである。しかるに,原判決は,Cの有していたリスク要因(高コレステロール血症,喫煙習慣)による影響について全く具体的に検討せずこれを軽視する一方,他方で寒冷刺激や精神的ストレス等による交感神経の一過性の過剰な緊張という外的要因を過度に重視しており,妥当とはいえない。

(3)  本件勤務から死亡に至るまでの経過

ア 破綻から64時間後発症の説明

原判決は,本件勤務ないしその直後にCの冠動脈に存したプラークが破綻したことを前提に,破綻から64時間という時間を経て急性心筋梗塞が発症したという経験則上およそ考えにくい認定をしているにもかかわらず,何ら説得的な説明がなく,本件勤務から死亡に至るまでの経過について十分な検討をした上での判断とはいえない。原判決の認定した「本件勤務(平成17年12月16日から17日にかけての深夜のフラワーカップ撤去・保管作業)時ないしその直後に・・・プラークが破綻したものの,直ちには閉塞に至らず,・・・その後の時間の経過の中で閉塞に至り,急性心筋梗塞を発症し,同月19日午後5時18分に倒れたもの」という因果経過は,病理学的にはあり得ても,臨床的にはほとんど考えられないものである。被控訴人申出の原審証人Dも,典型的な急性冠症候群であれば勤務時ないしその直後に胸部症状があらわれることから,今回のケースは非典型的な例であることを認めており,本件では,相当因果関係の前提となる条件関係すら十分に立証されているとはいえない(乙6,18)。

イ 寒冷暴露による狭心症発作の出現時期

急激な寒冷の暴露によって狭心症症状が出現することはあり得ることであるが,寒冷暴露による狭心症発作は通常寒冷暴露中に出現するとされる(証拠<省略>)。したがって,仮に本件勤務時における寒冷の影響が狭心症(又は急性心筋梗塞)の発症に寄与したとすれば,症状が出現するのは作業中か帰宅時あるいは帰宅直後となるはずである。しかし,Cは本件勤務時ないし作業終了後において全く自覚症状を訴えておらず,平成17年12月17日午前2時ころ帰宅後も胸部症状などを訴えることもなく,うどんすきをいつもと同じ量食べて就寝していることからして,寒冷の影響が不安神経症や急性心筋梗塞の発症に直接関与しているとは考えにくい。

ウ 平成17年12月18日午後9時頃の背部痛の訴え

原判決は,18日午後9時頃にCの冠動脈の狭窄の度合いが不安定狭心症の程度に達したと判断しているようであるが,これは,Cが翌19日の月曜日に出勤して通常通りに作業を行い,胸や背中などの痛みを一切訴えていなかったという事情について全く考慮せず,これらの事実と矛盾するような判断をしたもので,不当である。

4  当審における被控訴人の補足主張(控訴人の当審主張に対する反論)

(1)  本件勤務と本件疾病発症との因果関係の判断手法

原判決は,控訴人が引用するような行政通達による認定基準が存すること自体は争いがない旨挙示したにすぎず,「認定基準」は,その法的性質上,それに該当しない限り補償責任がないという意味での法的効力はないと解される。具体的にその合理性を考えても,「認定基準」自体が個々の事例についての個別的判断の余地を残す態度であると解される(控訴人自身も,認定基準の趣旨について「公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな場合を具体化したもの」としている。)ことからすれば,「認定基準」に当たらない以上,個々の事例ごとに検討するまでもなく公務起因性がないということには直ちにはならない。最高裁平成18年3月3日第二小法廷判決・集民219号657頁は,原判決20頁で引用されている平成8年の2つの最高裁判決の「当該公務に内在する危険の現実化として発症したと認められるかどうか」の具体的な判断手法として,被控訴人が主張してきたような①本件勤務以外の発症因子の不存在,②本件勤務の増悪要因可能性,③Cの体調にそれぞれ着目する判断手法をとっていると考えられる。

もともと,現代社会において循環器系のリスク要因を身体に多少なりとも抱えている労働者は少なくないといえる一方,急性心筋梗塞等の循環器系疾患についてはその直接的原因を唯一特定するなどということは医学的にも困難あるいはほぼ不可能であることからすれば,原判決の判断手法は,地公災法の「被災した地方公務員やその遺族の生活補償・救済」という立法趣旨に沿って合理的な補償範囲を画そうとするものであり,かつ,これまでの裁判例にも沿う妥当なものである。

(2)  本件疾病発症の要因

ア 原判決の採用した医学的知見

原判決は,①本件疾病はCの冠動脈に存したプラークが破綻したことによって生じた。②プラークを破綻させる要因は,内的要因のほか,外的要因として,交感神経の一過性の過剰な緊張がその主因である。③本件勤務による負荷は,客観的にみて,プラーク破綻の要因である交感神経の一過性の過剰な緊張を生じさせ得るものであった。④そして,本件勤務による負荷から発症,死亡に至るまでの経緯も,医学上,同負荷を発症原因として十分説明し得るものであると,おおむね原審証人Dの見解に沿って,本件勤務と本件疾病発症との相当因果関係を認めた。原審証人Dが臨床経験豊富な専門医であることからすれば,その見解に沿って本件を理解することは全く自然であり合理的である。

交感神経の緊張だけでプラークの破綻の原因があるとすることには無理があるという控訴人の主張は,独自の一見解にすぎない。また,控訴人は「短時間の業務作業の精神的ストレスだけで急性心筋梗塞が発症するとは考えにくい」というが,被控訴人は本件勤務の精神的ストレスのみにより急性心筋梗塞が発症したと主張しているわけではなく,むしろ,作業当時の寒冷や,そもそも普段は従事することのない深夜の時間帯の作業であったことが交感神経の緊張に大きく結びついた旨,原審証人Dの見解に基づき主張しているのであり,原判決もこれに沿った認定をしていることは明らかである(むしろ,原判決は,作業の精神的ストレス云々には触れていない)から,控訴人のこの点の主張は失当である。

イ 本件勤務の負荷

控訴人は,本件勤務当時の気温や風速につき,平均的なデータと比較して「特に厳しいものであったとはいえない」というが,いずれも,控訴人が挙げる平均値よりはより気温は低く,また風速は速い時間帯があるのであって「冬季における夜間の気象状況としてはごく平均的なものであった」との評価はやや牽強付会である。

原判決が,原審証人D同様,本件勤務に伴うリスク要因,負荷として重視しているのが,寒冷刺激及びこれが行われたのが「平素においてはほとんど作業を行うことのない深夜の時間帯」であったことであり,これらの事情が循環器系疾患に対するリスクとなり得ることはおそらく間違いがない。そうであれば,これらの事情を,急性心筋梗塞の発症の基礎となる血管病変等をその自然的経過を超えて著しく増悪させ得るものであったととらえるに何の不自然もなく,この程度では加重な公務ではないというのは不毛な議論である。当該公務が一定のリスク要因,負荷となり得るのであれば,本人の体調がいつ何時発症してもおかしくないという程度にまで至っていなかったとの前提のもとでは,他のトリガー(引き金)が考えられない限り,当該公務がトリガーであると考えるしかない。そうであるからこそ,最高裁も前記(1)で引用した判例のような判断手法をとっていると考えられる。

ウ 寒冷刺激の再現実験

控訴人が乙17として提出するパワーショベル運転席内の温度に関する実験結果は,パワーショベルの型式が実際にCが操作したものと異なり,実験場所も実際の停車場所と異なり,時期及び時間帯も実際のそれと異なる上,実験ではエンジンを停止し温度測定を行う前に一時ヒーター(暖房)をつけているが,この点,実際の状況とは異なる可能性があり,むしろ,当該実験によれば,キャビン(運転席)の扉を閉めた後は,その内部の方が外部よりも温度の下がり具合は大きく,一度きりの実験で,複数回の実験から得られた統計的データではないことからしても,正確性あるいは科学的意義に疑問がある。

エ 本件勤務に至るまでのCの体調・本件疾病のリスク要因

控訴人は,「Cの冠動脈に存在していたと考えられるプラークは,狭窄度の低い,ごく軽度のものであったと推認することが相当であって,本件勤務の直前,Cの循環器系疾患が,他に発症因子がなくてもその自然の経過により急性心筋梗塞を生ずる寸前にまで進行していたと認めることは困難である」とした原判決の認定を批判し,「原判決は本件勤務と本件疾病との因果関係を検討するに際し被災職員が有していた発症のリスク要因である高コレステロール血症や喫煙習慣について,全く具体的に検討していない」と主張するが,批判のための批判にすぎない。

あえて控訴人に問い返すが,では,この点「具体的に検討する」とは具体的にどのようなことか。むしろ,原判決は,これを「具体的に検討する」ための手法として,本件勤務に至るまでのCの体調を健康診断の結果や普段の生活状況等から認定し,上記のようなリスク要因が多少なりともあったとしても,しかし,そのリスクの程度は,その自然増悪だけでいつなんどき急性心筋梗塞が発症してもおかしくないほど高いとまでいえるものではなかったと判断しているのである。

医学的には,発生した「急性心筋梗塞による死亡」という結果のみから,その原因に公務が寄与した割合を明確に認定できるわけではないのに,発症に対する公務の寄与をかたくなに否定しようとするがための控訴人の総花的主張は,何ら説得力のあるものではない。

控訴人が依拠するような医学的見解を突き詰めていけば,心筋梗塞は,身体に何らかの負荷がかかったからとか,精神的に緊張したからといった特段の事情がなくても発症していると推測できるというのであるから,これについて公務との相当因果関係が認められるものはないということになろう。しかし,そのような結論は,基金制度の趣旨からしても疑問である。

本件の事情を合理的・常識的にみれば,それまで特段の病気を抱えていたわけでもなく,仕事及び家庭生活をまっとうに行っていた30代後半の男性が急死した原因は,少なくともその最後のトリガーは本件勤務に(真面目に)従事したことにあると誰でも考えるであろう。そうであれば,その死は,公務に従事した結果発生したものとして税金による補償の対象とし,遺族を救済すべきが正義にかなうというべきである。

(3)  本件勤務から死亡に至るまでの経過

粥腫が破綻して血管が閉塞に至るまでの期間は数時間から場合によっては数日かかり,典型的な急性冠症候群であれば胸部症状が出るが,非典型的な例もしばしば見受けられるという原審証人D医師の見解は,豊富な臨床経験及び知識に裏付けられたものであり,証拠<省略>の医学文献とも整合し,医学的信頼性を疑わしめるような事情は何らない。控訴人が提出した医学文献も,本件のようにプラーク破綻から急性心筋梗塞発症までに一定時間を要した事例を医学的に全く排斥するものでは必ずしもない。

Cにつき,本件勤務の直前,その循環器系疾患が,他に発症因子がなくてもその自然の経過により急性心筋梗塞を生ずる寸前にまで進行していたと認められない状況の下での本件疾病の発症という結果は,本件勤務がトリガーとなったものと考えるのが自然なのであって,Cにつき「本件勤務に内在する危険の現実化として本件疾病を発症した」もの,すなわち本件勤務と本件疾病発症との相当因果関係(公務起因性)は既に十分に立証されているというべきである。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も,本件勤務と本件疾病発症との間には相当因果関係があり,被控訴人の請求は理由があるものと判断する。その理由は,後記2のとおり「控訴人の当審主張に対する判断」を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」中の第3の1及び2の説示と同一であるから,これを引用する。

2  控訴人の当審主張に対する判断

(1)  本件勤務と本件疾病発症との因果関係の判断手法(控訴人の当審主張(1))について

控訴人は,原判決が「争いのない事実等(4)」で認定した控訴人主張の行政通達による認定基準を,本件の公務起因性の判断基準にすべきであると主張する。しかし,同通達は行政組織内部の内部指令にとどまるものであって,法令の性質を有するものとは解されないから,被控訴人としては,端的に本件勤務と本件疾病発症との相当因果関係を主張立証すればそれで足りるというべきである。

また,控訴人は,公務起因性を肯定し得る相当因果関係の内容について,公務が災害を引き起こすその他の要因との関係で相対的に有力な原因であったと評価できることが必要であり,Cの本件疾病発症が公務に内在する危険の現実化と認められるためには,当該発症に対して,公務による危険性(公務の過重性)がその他の公務外の要因(当該労働者の私的リスクファクター等)に比して相対的に有力な原因となっているという関係が認められることを要すると主張する。しかし,控訴人の主張する基準は必ずしも明確な判断基準たり得る概念とはいえない。公務と疾病等の発症との相当因果関係の有無は,引用した原判決が説示するように,当該疾病が公務に内在する危険の現実化として発症したと認められるかどうかによって判断すべきである。そして,Cが本件疾病のリスク要因とされる高コレステロール血症及び喫煙習慣を有していたことを考慮しても,Cの有していた基礎疾患等が,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により本件疾病を発症する寸前まで進行していたとは認められないこと,本件勤務による負荷がかかった時点から本件疾病発症による死亡に至るまでの経過も同負荷を発症原因として医学上十分説明できること,Cが本件勤務中に受けた寒冷刺激が相当強度のもので,客観的に見てプラーク破綻の要因である交感神経の一過性の過剰な緊張を生じさせ,急性心筋梗塞発症の基礎となる血管病変等をその自然的経過を超えて著しく増悪させ得るものであったといえること,他に確たる発症因子があったことがうかがわれないことからすると,本件疾病は,Cの有していた基礎疾患等が本件勤務における負荷によりその自然の経過を超えて急激に増悪したことによって発症したものであり,本件勤務に内在する危険の現実化として発症したものと認められるから,本件勤務と本件疾病発症との間には相当因果関係があるといえることも,引用した原判決の説示するとおりである。

控訴人は,上記判断手法は実質的に「他に確たる発症因子があったこと」の立証責任を処分行政庁側に負わせ,立証責任を一部転換するものであって不当であると主張するが,相当因果関係の主張立証責任自体は被控訴人にあるのであるから,採用できない。

(2)  Cの死亡の公務起因性(本件勤務と本件疾病発症との相当因果関係)(控訴人の当審主張(2),(3))について

ア 控訴人は,原判決は,本件勤務による交感神経の一過性の過剰な緊張という外的要因を過度に重視しすぎており,他方,Cの有していた本件疾病のリスク要因(高コレステロール血症,喫煙習慣)による影響を具体的に検討せずこれを軽視した不当なものであると主張する。

しかし,本件勤務時,Cが,平素においてはほとんど作業を行うことのない深夜の時間帯に,屋外で,パワーショベルの操作という運動量のほとんどない作業に従事し,パワーショベルを積み込むダンプカーの到着を待っていた待機時間を含めると2時間ないし2時間10分程度,3度以下という低温にさらされていたこと,待機時間中にCが同僚職員にかけた電話の内容や,Cの帰宅後の言動を併せ考慮すると,本件勤務による作業開始時からパワーショベル撤去完了までの間にCの体温は相当程度低下していたと推認でき,本件勤務によりCが受けた寒冷刺激は相当強度のものであったと認められることは,引用した原判決説示のとおりであり,控訴人が当審で提出した乙17は,この認定を覆すものではない。控訴人は,本件勤務は,冬期における夜間のものとして特に厳しい寒さだったとはいえない気象状況下で,短時間,十分な防寒対策をとって行われたもので,肉体的負荷も精神的負荷も軽度であったと主張するが,そもそもCにとっては,深夜勤務をすること自体がまれなことであり,パワーショベルの運転操作をする関係で分厚い防寒着を着用しておらず(原審被控訴人),近隣施設に迷惑がかからないよう暖房機能も利用せずに本件勤務を行ったCが受けた寒冷刺激は相当強度のものであったと認められるから,控訴人の上記主張は採用できない。本件勤務による負荷が,客観的に見て,プラーク破綻の要因である交感神経の一過性の過剰な緊張を生じさせ得るものであり,急性心筋梗塞発症の基礎となる血管病変等をその自然的経過を超えて著しく増悪させ得るものであったといえることは引用した原判決の説示のとおりである。

そして,Cが,それまでの定期健康診断において循環器系疾患が生じているとの指摘を受けたことがなく,本件勤務の約半年前の定期健康診断でも心臓機能低下を疑わせる異常所見は認められておらず,平成14年の病院受診時を除き,急性冠症候群を疑わせる自覚症状を訴えたことはなく,Cの健康状態が通常の勤務に支障がある状況であったことをうかがわせる事情のない本件においては,Cが高コレステロール血症,喫煙習慣という,若年性急性心筋梗塞患者に多く見られる危険因子を有していたことを考慮しても,本件疾病発症前に,冠動脈に存在していたプラークを含むCの基礎疾患等が,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により本件疾病を発症する寸前まで進行していたとは認められないことも,引用した原判決の説示のとおりである。

イ 控訴人は,本件勤務時ないしその直後にCの冠動脈に存在していたプラークが破綻したことを前提に破綻から64時間を経て急性心筋梗塞を発症したという原判決の認定は,病理学的にはあり得ても臨床的にはほとんど考えられない誤ったものであり,寒冷暴露による狭心症発作は通常寒冷暴露中に出現するはずであるのに,Cは本件勤務時もその後帰宅して就寝するまでも胸部症状を訴えておらず,平成17年12月18日午後9時頃に背部痛を訴えた後の翌19日(月曜日)にも出勤して通常通りに作業を行い,胸や背中などの痛みを一切訴えていなかったという事情からみれば,本件では相当因果関係の前提となる条件関係すら十分に立証されていないと主張する。そして,乙6,18(D医師の意見書)には,「通常,急性心筋梗塞の発症に交感神経の亢進が寄与するのは数時間から24時間以内」と考えることができ,「突然死をきたす急性冠症候群では,発症となる誘因が不明の場合も多いが,因果関係がはっきりする場合は,通常数時間以内の場合が多く,ほとんどは24時間以内である。」から,「本件で寒冷暴露(誘因)から64時間も経過して誘因との因果関係があると断定することには無理がある。」と結論づける記載がある。

(ア) しかし,乙18添付の参考文献をみても,寒冷暴露等の要因によるプラーク破綻から急性心筋梗塞発症までに,それ以上の時間が経過する場合があり得ないとしているものではない。

(イ) 本件においては,Cが,本件勤務を終了して平成17年12月17日午前1時頃bセンターに帰庁し,午前1時33分に退庁して,同日及び同月18日を疲れた様子でほとんどの時間(食事以外)を寝て過ごし,安静にしていたところ,同月18日午後9時頃に一時は救急車を呼ぼうと思うほどの背部痛を訴えたこと,翌19日(月曜日)の起床時にも自分では起きてこられず,疲れた様子で出勤して同僚に労られながら勤務し,同日昼休みに帰宅した際,被控訴人から午後の出勤を止めるよう求められたが,フラワーカップの復元作業が終了したら医者を受診すると約束して出勤し,退勤直後に本件疾病を発症したことが認められるのである(原審証人D,原審被控訴人)。

そして,以上の事実からすれば,Cにおいてプラーク破綻が発生したのは,①同月19日の勤務中か,②同月17日から18日にCがほとんどを寝て過ごしていたときか,③本件勤務による負荷によるものかのいずれかであると認められる。

いずれの可能性も全く否定はできない。しかし,①同月19日の勤務中にCのプラーク破綻が発生したと考えると,同月18日の背部痛が何であったのかが疑問であって首肯し難い。また,②同月17日から18日にCがほとんど寝て過ごしていたときにプラーク破綻が発生したと考えると,Cの循環器疾患が,他に発症因子がなくてもその自然の経過により急性心筋梗塞を生じる寸前まで進行していたと認めることは困難であるのに,ほとんどを寝て過ごし安静にしていたときにプラーク破綻が発生したことになる点が疑問であって納得し難い。そうすると,本件勤務から急性心筋梗塞発症までに64時間程度(背部痛発生まででも44時間程度)が経過していることを考慮しても,③本件勤務による負荷によってプラーク破綻が発生したものの,直ちには閉塞に至らず自覚症状がなかったが,同月18日午後9時頃に冠静脈の狭窄が不安定狭心症の程度に達して自覚症状として背部痛が発生し,同月19日午後5時18分に倒れたと考えるのが最も合理的であるから,Cのプラーク破綻は,本件勤務の負荷によるものと推認すべきである。

(ウ) 乙第17号証には,作業終了後の待機時間中に窓をすべて閉め,その中で待機時間があったとしても,窓を開けていた場合と比較して有意の温度差があったとは考え難いとすることに関し,エンジン停止後すべての窓を閉めた状態で実験したところ,キャビン内温度は,キャビン外温度より3~2.5℃高かったとの記載がある。しかし,同証の実験は,場所,時間帯(日没からの経過時間)や気温が本件勤務時と異なり,一時暖房をつけたことや暖房を切るのと窓を閉めるタイミングが当時の状況と同じであったかどうかも問題がある上,Cが,待機時間中,「寒うてかなわんで,早よ来てや。」,「寒うて凍えて死にそうやわ。」などと同僚に電話をかけていたことや,パワーショベルを積み込むためのダンプカーが到着したとき,Cがパワーショベルの外で立っていた(パワーショベルの中でじっとしているよりも外で足踏みなどをして少しでも体を動かしていた方が体感する寒さがましであるとCが考えたかどうかは不明であるが)ことに照らし,本件勤務時の状況と異なる可能性もあるから,気温に関する前記認定に反するものではない。また,同証の実験を前提としても約30ない40分程度の待機時間の間の上記程度の温度差は,以上の認定を左右するに足りるものでもない。

第4結論

以上の次第で,被控訴人の請求を認容した原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田知司 裁判官 水谷美穂子 裁判官 本吉弘行)

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