大阪高等裁判所 平成27年(う)1120号 2016年2月10日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中70日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人結城圭一作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから,これを引用する。論旨は,原判示第1の事実について,被告人に殺意はなく,正当防衛が成立するのに,被告人に殺意を認め,正当防衛も成立しないとして被告人を殺人罪で有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというものである。
そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討すると,被告人が殺意をもって包丁を被害者に突き刺したと認定し,本件当時,このような被告人の攻撃が正当化される状況にはなく,正当防衛や過剰防衛は成立しないとした原判決の判断は正当であり,原判決が争点に対する判断として説示する内容も相当であるから,原判決に事実誤認はない。
まず,原判決の殺意の認定について,所論は,①被告人が本件犯行に用いた包丁は小振りであり,殺傷能力が低いことを原判決は考慮していない,②被告人は,被害者が駆け寄ってくるのに気付かずに歩み寄り,その後被害者がハンマーで攻撃しようとしてきたのに気付き,攻撃を避けるため無我夢中で体を動かしていただけで,ハンマーで殴り付けた被害者の勢いもあり被告人が突き出した包丁が深く刺さったのであって,攻撃的意図に出たものではないのに,被告人がハンマーを持った被害者に平然と近づき,被害者の懐に踏み込んで包丁を非常に強い力で被害者の左側胸部を突き刺した,という原判決の認定は誤っている,③被告人には被害者を殺害する動機がなく,本件直前に自宅マンションを出た際の被告人の様子も被害者に対する殺意を窺わせるようなものではない,④本件犯行のきっかけは被害者から攻撃を加えられたことにあり,それ以前に被告人が攻撃的な態度を示したことはないという原判決の量刑の理由における説示は,被告人に殺意を認めたことと矛盾している,として,被告人に殺意を認めた原判決の認定を批判する。
しかし,①被告人が本件犯行に用いた包丁は,刃体の長さが約13.8センチメートルで目立った刃こぼれも認められない鋭利な刃物であり(原審甲64),その殺傷能力が低いなどとはいえない。②防犯カメラで撮影された映像(原審甲70)によれば,本件当時,自宅マンションを出た被告人は,被害者のいる方へまっすぐに歩いて行き,被害者が被告人に向かって駆け寄ってきてもそのまま被害者の方へ歩み寄っている。そして,被告人は,ハンマーで攻撃してくる被害者から離れようとする素振りを全く見せず,被害者の最初の攻撃を左腕で防ぎながら自分の右腰付近に右手を回し,2回目の攻撃も回避しつつ差していた包丁を取り出し,さらに被害者が被告人との間合いを保ちながらハンマーで殴り付けようとしていたところに近づいて,被害者に向けて包丁を突き出しているのであるから,包丁がその刃体の長さよりも3センチメートル近く深く被害者の左側胸部に刺入したのは,被告人が非常に強い力で包丁を突き刺した結果とみるのが相当であり,これらの点に関する原判決の認定に誤りはない。③被告人が,被害者から電話で身に覚えのないことについて多数回怒鳴りつけられ,自宅の玄関扉を傷付けられた挙げ句,本件当日は早朝に自宅マンション前にいるから降りてくるよう呼び出され,会うなりハンマーで殴り付けられたという一連の経過からすると,被告人が,それ以前は被害者と比較的良好な関係にあったとしても,被害者に対して殺意を抱くことも十分考えられる。また,自宅マンションを出る際の被告人の様子も,被害者に対する殺意の推認を妨げる事情とはいえない。④原判決が,本件犯行時点において被告人に殺意を認定したことと,所論の指摘する原判決の量刑理由中の説示との間に何ら矛盾は認められない。その他所論が縷々指摘する点を踏まえて検討しても,被告人の殺意を認定した原判決の判断内容に,経験則等に照らして不合理な点はない。
また,正当防衛の成否について,所論は,⑤本件当時,被告人は被害者と話し合えば問題が解決できる状態であると認識していたのであり,被害者の攻撃を十分に想定していたとする原判決の認定は誤っている,⑥被告人に積極的な加害意思があったのであれば,より殺傷能力の高い凶器を選び,被害者が駆け寄ってきた時点で凶器を手にしたはずなのに,被告人はそのような行動をとっていない,として,正当防衛の成立を否定した原判決の認定を批判する。
しかし,⑤本件犯行の約2時間前には,被害者が電話で被告人に対し「今から行ったるから待っとけ。けじめとったるから。」などと怒鳴っていたことや(原審C供述),その後も被告人と被害者との間で1分間に満たない通話が何度も繰り返されていたという通話状況(原審甲67)などからすると,早朝,被害者から電話で呼び出された被告人が,被害者と容易に話し合えるような状態であると認識していたとみることはできない。このような状況の中で,被告人は,攻撃を受けた場合に備えて包丁を持ち出したのであるから,被害者の攻撃を十分に想定していたと認められるのであり,原判決の認定に誤りはない。⑥被告人が本件犯行に用いた包丁は殺傷能力のある凶器であるから,これを持ち出したこと自体が被告人の積極的な加害意思を推認させる事情といえ,より大きな刃物等を凶器として選ぶ余地があったとしても,上記の推認が妨げられるわけではない。また,被告人は,被害者の攻撃を受けてから,わずか5秒程度という短時間で被害者の胸部を深く突き刺しているのであり,この間,取り出した包丁を被害者に示すなどの示威行動をとらなかったという被告人の一連の行動からも,その積極的な加害意思が推認できる。被告人の被害者に対する積極的な加害意思を認めた原判決の認定に,経験則等に照らして不合理な点はない。
論旨は理由がない。
よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,当審における未決勾留日数の算入につき刑法21条を,当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき刑訴法181条1項ただし書を各適用して,主文のとおり判決する。