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大阪高等裁判所 平成27年(う)1270号 判決 2016年10月13日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は,解任前国選弁護人甲野太郎作成の控訴趣意書及び弁護人大前治作成の控訴趣意補充書(弁論要旨を含む。)に記載のとおりであるから,これらを引用するが,論旨は,被告人が所持していた覚せい剤及び被告人の尿の各鑑定書(原審甲5及び甲12)は違法収集証拠であって証拠能力がないにもかかわらず,原審は,これらを証拠として採用し,事実認定の用に供しているのであるから,原審には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある,というものである(なお,弁護人大前治は,控訴趣意補充書のうち事実誤認を主張した部分〔同補充書1頁の第1本文3行目の「また,」ないし同6行目末尾及び同16頁の第3の各記載〕は陳述しない旨釈明した。)。

そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

第1 原審の訴訟経過及び判断

本件公訴事実の要旨は,被告人が,①平成26年10月中旬頃から同月27日までの間に,京都府内,大阪府内,兵庫県内又はその周辺において,覚せい剤を自己の身体に摂取して使用し(公訴事実第1),②同月27日,京都市南区所在のパチンコ店立体駐車場の屋上に駐車中の自動車内において,覚せい剤約1.136グラムを所持した(公訴事実第2),というものである。

原審で取り調べられた関係証拠によって認められる本件捜査手続の経過は,概要,被告人が,平成26年10月27日午後零時過ぎ頃,公訴事実第2記載のパチンコ店立体駐車場の屋上において,知人から預かった車(以下「本件自動車」という。)を修理中に,警察官から職務質問を受け,その際の所持品検査により,本件自動車内に置いていた被告人のポーチ在中のコーヒー缶(以下「本件缶」という。)内から覚せい剤が発見されて,覚せい剤所持の嫌疑で現行犯逮捕され,さらに,その後の身柄拘束中に,強制採尿令状によって差し押さえられた被告人の尿中から覚せい剤成分が検出された,というものである。

原審において,①職務質問を開始したことの適法性,②所持品検査の違法性及びその程度,③それらを踏まえた本件覚せい剤及び被告人の尿に対する各鑑定書の証拠能力が争点となり,原判決は,職務質問を開始したことは適法であり,所持品検査には一部違法な手続が認められるものの,その違法の程度は重大ではなく,本件覚せい剤及び被告人の尿に対する各鑑定書はいずれも証拠能力が認められると判断し,これらを証拠として採用した上,本件各公訴事実について被告人を有罪と認定した。

第2 当裁判所の判断

以下,控訴趣意及び各当事者の弁論に鑑み,原審及び当審で取り調べられた関係証拠をもとに,当裁判所の判断を示すこととする。

1 職務質問を開始したことの適法性について

(1)原判決は,乙川一郎警察官が,被告人に声を掛けた時点で,車上荒らし等の犯罪を防止する目的もあり,被告人に対し職務質問を開始した旨認定するとともに,間近で被告人と相対した時点では,薬物事犯を被告人が犯し,若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由が認められるから,同警察官が職務質問を開始したことに何ら違法性は認められないと説示している。原審で取り調べられた関係証拠に照らすと,乙川警察官が職務質問を開始したことについて,原判決が違法性はないと説示したことは,結論において相当である。以下,詳述する。

(2)原審で取り調べられた関係証拠によれば,

①被告人は,平成26年10月27日午前11時半頃から,本件駐車場屋上において,知人から預かった本件自動車の修理をしていたこと,②車上荒らし等の警戒のため丙山二郎警察官と共にパトカーで巡回していた乙川警察官は,本件駐車場屋上において,本件自動車のドアを開けてハンドルを地面に置くなどしていた被告人の様子を見て,パチンコ店の駐車場で自動車の修理をしていることに違和感を覚え,パトカーから降車し,同日午後零時26分頃,被告人に声を掛けたこと(時刻につき原審甲16),③乙川警察官は,自分に応対する被告人の様子が,顔色が青白く,少し汗がにじんで唇が乾燥し,手が小刻みに震えていることに気づき,そのような様子から,被告人が違法薬物等の法禁物を持っているのではないかと疑い,被告人に対してポケットの中の物を出すように求めるなど更に質問を続けたことが認められる。そして,この点について,乙川警察官は,原審公判廷において,「パチンコ屋の駐車場で修理していることに違和感を感じ,被告人に声を掛けた。車上狙いや部品狙い,薬物売買も念頭に入れて声を掛けた。」と供述する一方で,「最初に被告人に声を掛けたのは職務質問ではない。」,「車の修理をしているのは見れば分かった。ハンドルも外れていた。部品の箱みたいなものもあった。この段階では,不審ではなかった。」,「(上記③のとおりの)被告人の様子を見て,あっ,これは何か持ってはいけない物を持っているんではないかなと思い,職務質問を開始した。顔の特徴から薬物を疑った。」とも供述している。

(3)以上を前提に検討するに,本件は,移動中の者を停止させて質問した事案ではなく,被告人が留まっていた場所に警察官が赴き,声を掛けた事案であるから,その当初から職務質問と理解しなければならない必然性はなく,乙川警察官の上記供述からすれば,乙川警察官が職務質問を開始したのは,最初に被告人に声を掛けたときではなく,声を掛けて上記③のとおりの被告人の様子を見て,乙川警察官において違法薬物等の法禁物を所持している疑いを抱いたときとみるのが相当である。また,被告人に職務質問をしたのは,日中のパチンコ店の駐車場屋上であり,そのときの被告人の挙動に薬物の使用等を疑わせる明らかに不自然な言動があったわけでもないから,客観的には,「警察官に知られたくない何らかの犯罪を犯しているのではないかとの疑い」が生じるにとどまり,薬物事犯の嫌疑は,その中の可能性の1つにすぎないというべきである。乙川警察官は,被告人の様子などから薬物事犯を疑ったと供述するが,現行犯逮捕される少し前頃の被告人の写真(原審甲10写真1)を見ても,被告人の容貌に覚せい剤常習者の特徴が表れているとまでは認められず,被告人について犯罪の中でも特に薬物事犯の疑いが生じていたとまではいえない。

以上のとおりであり,乙川警察官が職務質問を開始したことが違法ではない理由として述べた原判決の上記認定・説示は相当でない。しかしながら,警察官に声を掛けられた者が通常よりも緊張狼狽した不審な様子を見せれば,警察官が,その者は「警察官に知られたくない何らかの犯罪を犯しているのではないかとの疑い」を持つのは合理的な判断といえるから,乙川警察官が,上記③のとおりの被告人の不審な様子を見て,警察官職務執行法2条1項所定の職務質問を開始したこと自体は,適法な措置であったと認められる。

2 所持品検査の具体的状況等について

(1)原判決は,所持品検査の経過に関して,乙川警察官及び丙山警察官の各原審公判供述には,不自然な点が多く残るのに対し,被告人の原審公判供述が不自然であるとはいえないから,主として被告人の原審公判供述に基づき事実を認定したと説示している。

そこで,原審で取り調べられた関係証拠に照らして検討するに,被告人は,乙川警察官が本件ポーチや同じく本件自動車内に置いてあった被告人の財布を開披するのに先立って,乙川警察官に対し,運転免許証は携帯していない旨嘘をつき,車内を見せてほしいと言われて本件自動車は他人のものだから見せられない旨返答するなど,本件覚せい剤の発覚につながりかねないことについては,それなりの抵抗を示し,また,逮捕後は,警察官調書への署名・指印を一切拒否し,被告人の承諾を得ることなく進められた所持品検査に対する不満を強く検察官に述べていたことが認められる。それにもかかわらず,乙川警察官及び丙山警察官が供述するとおり,被告人が,本件財布,本件ポーチ及び本件缶の開披という本件覚せい剤が発見されてしまう危険の高い行為につき,何らの抵抗も見せずにあっさり承諾したというのは不自然というほかない。他方,そのような承諾をしていない旨をいう被告人の供述に特段不自然な点は認められない。したがって,これとほぼ同旨をいう原判決の説示に論理則・経験則等に照らして不合理な点は認められない。

(2)もっとも,原判決は,所持品検査の経過に関して,乙川警察官は,助手席上にあった本件財布については,「ほんなら見るで」と言いつつ,被告人が「あかん」と答えたのと同時くらいに開披し,本件ポーチについては,被告人が「あかん」と答えたにもかかわらず,押し問答の末,被告人の制止を無視してチャックを開いたものの,本件ポーチ在中の本件缶については,被告人の明示又は黙示の承諾を得て(抗議をしたが黙認したことにつき,原審第5回被告人19頁参照),その蓋を取り去り,隠匿されていた本件覚せい剤を発見した旨認定している。これに対し,所論は,乙川警察官が本件缶を開披することについて被告人が明示の承諾をしたことはなく,また,黙示の承諾をしたと評価するに足りる事実は存しない,と主張する。

そこで,改めて,所持品検査の事実経過についてみると,原審及び当審で取り調べられた関係証拠によれば,以下の事実が認められる。①職務質問開始後,乙川警察官が,被告人に対し,「ポケットの中のものを出してくれ。」と言うと,被告人は,これに素直に応じ,乙川警察官が広げたメッシュの袋に,ポケットの中のタバコなどを差し出した。その後,乙川警察官は,着衣の上から被告人の身体を触り,ポケットの中に何もないことを確認した。②被告人は,乙川警察官から運転免許証の提示を求められたのに対し,真実は本件財布内に運転免許証を入れていたにもかかわらず,運転免許証を提示すれば,前科照会をされ,自分に覚せい剤事犯の前科があることが発覚してしまうことをおそれ,「今ここにはない。」と嘘をついた。③乙川警察官は,被告人に対し,「車の方を確認させて欲しい。」と言うと,被告人は,本件自動車は知人のものなので見せることはできないと言ってごまかそうとしたが,本件自動車の所有者が電話で車内を見せることを了承したので,被告人も乙川警察官が車内を見ることに同意した。④乙川警察官は,本件自動車に対する車内検索に着手して,運転席側に次いで助手席側の車内検索を実施しようと,自らは助手席側に移動し,被告人を運転席側に移動させた。その際,丙山警察官は,被告人の後方付近に立っていた。⑤乙川警察官は,助手席側の車内検索を開始して程なく,本件ポーチが助手席の上に置かれており,そのポーチ上に三方がチャックで閉じられた本件財布があるのを発見し,被告人から本件財布は被告人のものであることを確認すると,「ほんなら見るで。」と言い,被告人が「いや,ちょっとそれは困る,あかん。」と答えたのと同時くらいに,本件財布のチャックを開け,その中から運転免許証を取り出し,それが被告人のものであることを確認した。⑥さらに,乙川警察官は,助手席の上に置かれていたチャック付きの本件ポーチについて,被告人から本件ポーチは被告人のものであることを確認すると,被告人に本件ポーチを見ていいか尋ねたが,被告人は「あかん,触るな。」と答えた。

これに対し,乙川警察官は,「なんであかんの。」などと多少の説得は試みたものの,被告人の承諾を得ないまま本件ポーチのチャックを開いた。⑦乙川警察官は,本件ポーチ内に本件缶があるのを見つけ,その外見の古さから違和感を覚えて本件缶を本件ポーチから取り出し,本件缶には上部の蓋が回転する細工が施されていることに気がついた。⑧乙川警察官は,被告人に対し,パトカーへ乗るよう促し,自ら本件ポーチと本件缶を持ってパトカーに移動した。被告人はパトカーに乗ることについて口頭で多少抵抗したものの,最終的には,丙山警察官から促されるなどして,自らパトカーに移動した。⑨被告人がパトカー運転席側の後部座席に座り,乙川警察官がパトカー助手席側の後部座席に座ると,乙川警察官は,本件缶の上部の蓋を取り外すのとほぼ同時くらいか取り外した後で,被告人に対し「開けていいか。」などと言い,これに対し,被告人は,既に本件缶の蓋が取り外されていたため,「もう開いてるやん」などと言って抗議した。⑩被告人は,乙川警察官に対し,勝手に被告人の持ち物を開けたことに対して抗議したが,乙川警察官は,何が悪いのかという態度を示し,本件缶の中に何が入っているのか尋ね,さらに,本件缶の中に隠匿されていた覚せい剤入りのチャック付きポリ袋を見せて,これは何なのか尋ねたため,被告人は,渋々それが覚せい剤であることを認めた。

(3)以上のとおりであり,記録を精査しても,原判決が認定するように,被告人が本件缶の蓋を取り去ることについて明示の承諾をしたと認めるに足りる証拠はない。

また,原判決は,乙川警察官が,本件缶の蓋を取り去ることなどについて,被告人が抗議したが黙認したとして,被告人質問のやり取りを指摘しており,その具体的内容は次のとおりである(原審第5回被告人質問調書19頁。括弧書きは質問である。)。

(〔本件〕財布を見てもいいですかと言われて,どうぞ見てもらっていいですよとか,承諾したことはないですか。)承諾してないです。

(かばん〔本件ポーチ〕を開けてもいいというようなことも,承諾したことは絶対にないですか。)ないです。

(〔本件〕缶を開けるというのは,どうですか。)缶は,取ったときに,もう,何か,回してました。

(それで,パトカーの中で,〔本件〕缶を開けたんですか。)はい。開けたというか,もう,開いてたんで。開けていいかって言われたときに,もう開いてるやんって言いました。

(開けていいかじゃなくて,開けてるやんということですか。)そうです。

(もう既に開けてるやん,ええかもへちまもあるかと。)もう既に開けてるやんって。もう,パトカーの中でも,一もんちゃくあったと思います。

上記のとおり,原判決が指摘する原審第5回被告人質問調書19頁の該当部分の記載をみても,そこから被告人の黙示の承諾を認定することは困難である。被告人の当審公判供述によれば,被告人が原審公判廷で供述した「もう開いてるやん。」あるいは「もう既に開けてるやん。」という言葉は,本件缶の蓋を取り外した状態で,警察官から「開けていいか。」などと聞かれたことに対する抗議の意味で発せられた言葉であることが明らかになったから,被告人の黙示の承諾を認定することはより一層困難になったというべきである。

そもそも,原判決が認定するように,被告人は,警察官によって本件覚せい剤が発見されることをおそれて,本件財布や本件ポーチの開披については明示的に拒否していたのであるから,本件覚せい剤が隠匿されている本件缶の開披という被告人にとって最も避けなければならない事態についても,拒絶するのがごく自然な成り行きといえるし,前述した被告人の逮捕後の態度や言動は,むしろ被告人が本件缶の開披を承諾していなかったことにより整合的である。それにもかかわらず,被告人が本件缶の開披を黙示的に承諾していたといえるためには,そのように認定できるだけの具体的な事情が認められなければならないというべきである。しかしながら,原判決は,被告人が本件缶の開披を黙示的に承諾したと評価できるだけの具体的な事情を認定・説示していない。なお,被告人は,乙川警察官からパトカーへ乗るよう促され,口頭で多少抵抗したものの,最終的には,丙山警察官から促されるなどして,自らパトカーに移動したことが認められ,この時点で被告人が多少諦めに似た気持ちを持っていたことは否定できないところではある。もっとも,これは,後述するように乙川警察官が違法の程度が重大な所持品検査により本件ポーチを開披し本件缶の占有を取得したためであったと考えられるから,被告人の上記行動から,本件缶を開披することについてまで任意に承諾していたと評価することはできないというべきである。

これらのことからすると,乙川警察官が,本件缶について,被告人の明示又は黙示の承諾を得て,その蓋を取り去り,隠匿されていた本件覚せい剤を発見したという原判決の認定は,証拠を正しく理解しないか評価を誤った不合理な認定といわざるを得ない。

(4)検察官は,①乙川・丙山両警察官の供述は,相互に合致しているだけでなく,乙川警察官による最初の声掛けから被告人のパトカーへの移動までに約8分間と短時間しか要していないこと,防犯カメラ映像には被告人が警察官らに対して抵抗,抗議することなく,自ら早足で一直線にパトカーに移動している様子が写っていることによって裏付けられており,信用することができる,②被告人の原審公判供述には,捜査段階の供述から不合理に変遷している部分,意に反する所持品検査を受けた者の言動として不自然な部分があるし,被告人の当審公判供述には,原審公判供述から変遷している部分,上記と同様に不自然な部分,同じ供述の中でも相前後して矛盾する部分及び曖昧な部分があるだけでなく,警察官から威圧的な言動を受けたというこれまでしてこなかった供述もあり,しかも,そのような威圧的な言動は防犯カメラ映像とは矛盾しているから,被告人の原審公判供述及び当審公判供述は信用できない,と主張する。

しかしながら,検察官の主張①については,乙川警察官と丙山警察官の関係からすれば,両者の供述が相互に合致していることをさほど重視することはできない。また,防犯カメラ映像では,被告人と警察官らの音声を聞き取ることができず,映像上は,短時間で平穏に所持品検査がなされているように見受けられるものの,本件において所持品検査の対象となった本件財布等は本件自動車の助手席に置かれていて,それらの検査当時,被告人は運転席側にいて,乙川警察官は助手席側にいたから,職務質問を受けた者が対象物を直接支配している場合とは異なり,乙川警察官がその気になれば,被告人の承諾がなくても,時間を掛けることなく,容易に本件財布等を検査することができる状況にあったといえる。他方,被告人が,乙川警察官による本件財布等の検査を無理矢理拒もうとすれば,それらを直接支配していない以上,何らかの積極的な妨害行動に出る必要があり,場合によっては公務執行妨害罪で逮捕されてしまう危険が生じるところ,当時,被告人は,執行猶予中の身であったから,そうなれば大きな不利益を被るおそれがあった。したがって,被告人が,本件財布等の検査を拒否しつつも,積極的な妨害行動に出なかったとしても,不自然とはいえない。これらのことからすると,防犯カメラ映像では,短時間で平穏に所持品検査がなされているように見えるからといって,そのことから乙川警察官及び丙山警察官の各原審公判供述の信用性が認められるわけではない。検察官の主張①は採用することができない。

また,検察官の主張②のうち,被告人の原審公判供述及び当審公判供述に関して,捜査段階の供述から順次不合理に変遷していると具体的に指摘する箇所(検察官作成の弁論要旨5頁2行目ないし7行目)は,変遷とはいえないほどの表現上の些細な違いを指摘するものにすぎないし,意に反する所持品検査を受けた者の行動として不自然な部分があると具体的に指摘する箇所(同弁論要旨5頁21行目ないし6頁14行目)は,検察官の指摘も理解し得ないではないが,被告人の原審公判供述及び当審公判供述を排斥できるほど不自然であるとはいえない。また,被告人の当審公判供述に関して,同じ供述の中でも相前後して矛盾する部分及び曖昧な部分があると具体的に指摘する箇所(同弁論要旨5頁15行目ないし21行目及び6頁26行目ないし7頁19行目)については,確かに,被告人の当審公判供述には,被告人がパトカー内において乙川警察官が本件缶の蓋を取り去る動作を目撃したのかどうか,その際の乙川警察官の被告人に対する発言等について,若干の混乱が見られ,曖昧ではっきりしないところがある。しかしながら,それは,事件から1年半以上が経過した時点で,警察官の細かい動作や,発言の一言一句を確認しようとしたためと理解することができる一方,乙川警察官が被告人の承諾を得ることなく本件缶の蓋を取り去ったにもかかわらず,被告人に対し「開けていいか。」とか「開けるで。」と聞いてきたという点では一貫しているといえる。原審においては,この点が明確になっていなかったものの,それは被告人に対する質問が不十分であったからにすぎず,検察官指摘のように,被告人の原審公判供述から変遷している(同弁論要旨5頁8行目ないし14行目)ということはできない。検察官の主張②のうち,これまで検討してきたものについては,いずれも採用することができない。

他方,被告人は,当審公判廷において,職務質問の場面で,警察官から威圧的な言動を取られた旨るる供述しているところ,所論も,これを受けて,本件職務質問に際して警察官が被告人に対し威圧的な言動を取った,と主張するのに対し,検察官は,前記のとおり,その供述はこれまでしてこなかったものであり,防犯カメラ映像に照らしても信用することができないと反論する(同弁論要旨6頁15行目ないし25行目及び7頁20行目ないし8頁22行目)。そこで検討するに,上記威圧的な言動に関する被告人の当審公判供述は,原審公判供述には見られない新たな供述であるといわざるを得ないのであり,仮に,真実,被告人が警察官から威圧的な言動を受けたのであれば,所持品検査の適法性が争われている本件において,被告人が原審公判廷でその点について供述しなかったことは不可解というほかない。また,威圧的な言動があったという場面については,検察官指摘のとおり,被告人が供述する警察官からの威圧的な言動を防犯カメラ映像で確認することはできない。なお,防犯カメラ映像によると,被告人がパトカーに移動するに際して,丙山警察官が被告人の体に触ってパトカーの方に誘導していることはうかがえるものの,小突いたり押したりして強引に被告人をパトカーに移動させたとまでは認められない。したがって,職務質問の場面において,警察官から威圧的な言動を取られた旨の被告人の当審公判供述は信用することができない。

3 所持品検査の違法性及びその程度並びに各鑑定書の証拠能力について

(1)これまでみたとおり,乙川警察官は,本件自動車について,その車内を見ることは被告人の了解を得ていたものの,その助手席の上に置かれていた本件財布及び本件ポーチは,いずれもチャックが閉じられており,一見して個人的な物が在中していることが明らかな物であって,それらが被告人のものであると分かったにもかかわらず,被告人の承諾を得ることなく,本件財布及び本件ポーチを開披して,その在中物を取り出し,本件ポーチ内から取り出した本件缶も被告人の承諾を得ずに開披して,本件覚せい剤を発見した。

(2)所持人である被告人の承諾を得ずに行われた上記の所持品検査が例外的に許容される場合であったか否かを検討する。

乙川警察官が所持品検査を開始した当時の状況は,被告人には「警察官に知られたくない何らかの犯罪を犯しているのではないかとの疑い」が認められたにすぎず,嫌疑は抽象的なものにとどまり,その程度も濃厚とは言い難いものであったから,所持品検査の必要性が高かったとはいえない。また,乙川警察官が所持品検査を開始した当初,被告人は,着衣の中の所持品検査に素直に応じ,乙川警察官が外側からポケットを触ることに抵抗することもなく,車内検索についても他人の車だからと正当な理由を述べていったんは拒否したものの,本件自動車の所有者が了解すると,素直にこれに応じている。さらに,被告人は,日中のパチンコ店駐車場屋上で自動車の修理をしていたのであるから,客観的に,乙川警察官らから逃走することが容易な状況にあったわけではない。

これらの事情に照らせば,被告人が所持品検査を拒否した場合に,乙川警察官において,所持品検査に応じるよう説得していたのでは,その実効性が阻害されるおそれがあったとは認められず,所持品検査の緊急性があったとはいえない。

そして,乙川警察官による所持品検査は,個別的にみた場合,チャック等で閉じられた本件財布等を開披し,その中を確認し,その在中物を取り出しているから,いずれも捜索に類似する行為である上,一連のものとしてみた場合には,本件自動車内にある被告人の所持品を手当たり次第に無断で検索しようとするものであり,被告人のプライバシーを侵害する程度の高い行為というべきである。

このように,本件においては,所持品検査の必要性は高くなく,その緊急性がない状況であるにもかかわらず,被告人の承諾を得ないまま,捜索に類似し,かつ,被告人のプライバシーを侵害する程度の高い行為が行われたのであるから,これらの所持品検査は相当な行為とは認め難く,職務質問に付随する所持品検査の許容限度を逸脱した違法なものというべきである。

検察官は,被告人が運転免許証を持っていないと述べた時点で,その発言の不自然さから被告人に対する嫌疑は高まっていたし,本件財布から被告人の運転免許証が発見されたことで,その嫌疑はより一層強まったから,乙川警察官が本件ポーチを開披した時点で,被告人が何らかの犯罪を犯したのではないかとの嫌疑は相当強まっていた,と主張する。しかしながら,被告人は他人の車を修理していただけであるから,被告人が運転免許証を持っていないと述べたからといって,何らかの犯罪を犯したのではないかという嫌疑の程度が取り立てて言うほど高まったとはいえない。また,本件財布から被告人の運転免許証が発見されたことにより,被告人が運転免許証を持っていることを隠していたことが明らかとなり,被告人に対する嫌疑は高まったとはいえるものの,それは乙川警察官による一連の違法な所持品検査の過程で高まったにすぎないから,そのことを理由として乙川警察官による所持品検査の違法性に対する判断が左右されるものではない。検察官の主張は採用することができない。

(3)所持品検査の違法性の程度及び各鑑定書の証拠能力について検討する。

既に説示した,被告人の承諾を得ずに行われた所持品検査の必要性,緊急性の有無,程度,所持品検査の態様等からすれば,本件の所持品検査がその許容限度を逸脱する程度は大きいといわざるを得ない。

加えて,乙川警察官の言動からすれば,同警察官は,対象物が被告人の手元から離れて本件自動車の助手席に置かれており,物理的に容易に検査することができる状態にあることに乗じて,当初から,真摯に所持品検査に応じるよう説得する手間を省き,被告人の承諾の有無にかかわらず,それらを検査しようとの意図のもと,被告人が明示の拒絶をしても,それを無視して,検査に及んだといわざるを得ない。このような乙川警察官の態度は,被告人から運転免許証を持っていないと聞いても,被告人に人定事項を質問することもなく所持品検査を続行し,被告人の運転免許証を発見したにもかかわらず,前科照会をすることなく所持品検査を続行したことにも表れているといえる。また,乙川警察官作成の現行犯人逮捕手続書(当審職1)や丙山警察官作成の捜索差押調書(当審職2)には,被告人が拒絶したものの所持品検査を実施したことは記載されておらず,むしろ被告人の明示の承諾を受けて所持品検査を実施した旨記載されていること,乙川警察官や丙山警察官が,原審公判廷において,本件財布,本件ポーチ及び本件缶の開披いずれについても,被告人の明示の承諾があった旨証言していることは,両警察官が所持品検査における乙川警察官の言動に問題があり違法であることを十分認識していたことの証左ということができる。

これらの事情を総合すれば,乙川警察官らが所持品検査の過程において,被告人に対してパトカーに誘導した以外に有形力を行使した形跡がないことを考慮しても,乙川警察官による本件覚せい剤発見に至る一連の所持品検査の違法の程度は,令状主義の精神を没却するような重大なものであったというべきである。そして,このような所持品検査により発見された物やその鑑定書を証拠として許容することは,警察官から声を掛けられた者が,通常以上に緊張狼狽した様子を見せただけで,具体的な犯罪の嫌疑が存在せず,所持品検査の必要性が高いわけでも,所持品検査の緊急性があるわけでもないのに,承諾のないまま,所持品の開披や在中品の取り出しなどの所持品検査を許容することにつながりかねないのであり,将来における違法な捜査の抑制の見地からしても相当でないというべきである。

(4)そうすると,本件の所持品検査には重大な違法があり,将来における違法捜査の抑制の見地からしても,本件覚せい剤の証拠能力は否定されるべきものであり,本件覚せい剤に関する鑑定書も同様に証拠能力を認めることはできない。また,本件覚せい剤は違法な所持品検査に基づいて発見されているのであるから,本件覚せい剤の所持を被疑事実とする現行犯逮捕も違法というべきところ,被告人の尿は,本件覚せい剤が発見されたことを重要な疎明資料として発付された強制採尿令状に基づき(当審職3),現行犯逮捕による身柄拘束状態を利用して差し押さえられているから(原審甲3),その差押えは,本件覚せい剤を違法に発見したことを直接利用してなされたものでそれ自体も違法というべきである。そして,被告人の尿を差し押さえた違法の程度が,本件覚せい剤を発見した際の違法の程度よりも低減する特段の事情は存しないから,被告人の尿を差し押さえた違法の程度も重大というべきである。したがって,被告人の尿の鑑定書についても証拠能力は否定されるべきである。

4 原判決は,無承諾での本件ポーチの開披は違法な行為であったが,本件缶の蓋を取り去り本件覚せい剤を発見するという最も重要な手続には明示又は黙示の承諾を得ていること,有形力を行使して被告人の意思を強く抑圧した形跡がうかがわれないことに照らせば,警察官らにおいて,令状主義を実質的に潜脱しようとの違法・不当な意図を有していたとまでは認められないから,本件の所持品検査に係る手続の違法は必ずしも重大であるとはいえないのであり,本件覚せい剤に係る鑑定書を証拠として用いることが,将来の違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められないと説示している。

しかしながら,前述のとおり,原判決の判断は本件缶の蓋を取り去り本件覚せい剤を発見するという最も重要な手続には明示又は黙示の承諾を得ているとの不合理な認定に基づいた結果,不当な判断に至っているといわざるを得ない。本件覚せい剤及び被告人の尿に対する各鑑定書は,本件各公訴事実を認定するに当たって決定的な証拠であるから,それらの証拠能力を認めて証拠として採用した原審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があると認められる。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。

第3 破棄・自判

よって,刑訴法397条1項,379条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により直ちに当裁判所において自判すべきものと認め,更に次のとおり判決する。

本件公訴事実の要旨は,前記のとおりであり,公訴事実第1の覚せい剤使用の事実については,被告人の尿から覚せい剤成分が検出された旨の鑑定書(原審甲5)は証拠として許容することができず,また,公訴事実第2の覚せい剤所持の事実についても,所持に係る覚せい剤の鑑定書(原審甲12)は証拠として許容することができないのであり,他に本件各公訴事実を的確に認定し得る証拠はない。したがって,結局本件各公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから,刑訴法336条により被告人に対し無罪の言い渡しをする。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西田眞基 裁判官 森浩史 裁判官 安永武央)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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