大阪高等裁判所 平成29年(ネ)57号 判決 2017年4月27日
控訴人(原告)
Xこと甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
裵薫
被控訴人(被告)
Y株式会社
同代表者代表取締役
Z
同訴訟代理人弁護士
平田薫
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1)原判決を取り消す。
(2)被控訴人は,控訴人に対し,5984万4480円及びこれに対する平成27年8月6日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
(3)訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
(4)仮執行宣言
2 被控訴人主文と同旨
第2 事案の概要
1 本件は,控訴人が,被控訴人から購入したゴルフ会員権の退会手続をとったところ,同ゴルフ場運営会社から被控訴人に同会員権の預託金が送金され,被控訴人がこれを不当に利得したと主張して,被控訴人に対し,不当利得返還請求権に基づき,5984万4480円(預託金6000万円から未払会費15万5520円を控除した残額)及びこれに対する催告(訴状送達)の日の翌日である平成27年8月6日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。なお,被控訴人は,控訴人主張の売買契約を否認し,抗弁として,①詐欺取消し,②錯誤無効及び③公序良俗違反を主張し,控訴人は,再抗弁として,抗弁②に対し被控訴人の重過失を主張し,被控訴人は,再々抗弁として,控訴人の悪意又は共通錯誤を主張する。
原審は,控訴人主張の売買契約を認めた上,被控訴人の抗弁①を認めず,抗弁②,控訴人の再抗弁及び被控訴人の再々抗弁(共通錯誤)を認めて,控訴人の請求を棄却した。そこで,控訴人は,原判決を不服として控訴を提起した。
2 前提事実,争点及び争点に対する当事者の主張は,次のとおり改め,後記3のとおり,当審における当事者の補充主張を加えるほか,原判決の「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」欄の1ないし3(原判決2頁3行目から7頁4行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1)原判決2頁25行目の末尾に「(ただし,追加預託金証書(甲5の2)では,名称が「池田カンツリー倶楽部」とされている。)」を,3頁11行目の「(」の次に「甲2,」を,16行目の「甲」の次に「4,」をそれぞれ加える。
(2)原判決4頁19行目の「原告」を「被控訴人」と改める。
3 当審における当事者の補充主張
(1)控訴人の主張
ア 争点(1)(控訴人と被控訴人との間の本件各会員権の売買合意の成否)について
①控訴人は,A社の代表者であるが,控訴人のみならず,A社も,同会社が本件各会員権の買主ではないと陳述していること(甲49),②A社は,平成25年5月頃,ゴルフ会員権の売買業を廃業し,商業登記簿上の目的からゴルフ会員権の売買を外し(甲42),同月17日,関西ゴルフ会員権取引業協同組合の持分を処分して同組合員の資格を喪失したこと(甲44),③本件見積書(乙2)及びお取引確認書(甲8)には,A社の記載はなく,「X 担当甲野太郎」あるいは「X」の記載があり,本件よみうり会員権の転売先である乙川一郎の購入申込書(甲17)の宛先がA社と記載されているが,控訴人からA社に転売され,これが更に転売されることもあり得るので,上記の点は決め手にはならず,むしろ,本件ライオンズ会員権及び本件田辺会員権のゴルフ会員権譲渡通知書(甲45,46)では,譲渡人が控訴人個人となっていること,④本件各会員権の売買代金は,株式会社B(以下「B社」という。)の預金口座から被控訴人の預金口座に振り込まれているが(甲48),これは,控訴人が売買代金を準備して,B社に振込みを依頼したものであり(甲49),被控訴人も,振込人の名義に何ら疑問を持たなかったこと等からすれば,本件各会員権の売買契約における買主は控訴人個人と認めるべきである。
イ 争点(3)(被控訴人の錯誤の有無)について
自由な価格競争が許されている売買契約の目的物の実質的価値について表意者が錯誤に陥っていたとしても,それ自体は当該表意者のリスクであり,当該錯誤が詐欺行為に起因するか,暴利行為の要件を満たすような場合は別として,それだけでは要素の錯誤とはなり得ない。
また,被控訴人主張の事実が錯誤に該当し得るとしても,原判決が認定しているように,控訴人と被控訴人との間で6000万円の預託金が話題になったことはないから,被控訴人主張の錯誤は動機の錯誤に当たるところ,その動機が被控訴人から相手方である控訴人に表示されたことはなく,意思表示の内容となっていないから,要素の錯誤には当たらない。
ウ 争点(5)(控訴人が被控訴人の錯誤につき悪意又は被控訴人と共通の錯誤に陥っていたか)について
債権売買において,売買代金額と現実の回収額(実質的価値)との間に差額がある場合に,一方の当事者が自己の損害を回復しようとして相手方に共通錯誤を主張できるとすれば,取引の安全を阻害することになるので,そのような主張ができないことが業界の取引慣行となっている。控訴人は,本件見積書(乙2)で,本件よみうり会員権の買取価格を400万円としたが,これはリスクを回避するために出したものであり,本件よみうり会員権の実質的価値を400万円と誤解していたものではない。このことは,控訴人が乙川から本件よみうり会員権を2000万円で購入するとの申込みを受けたこと(甲17)からも裏付けられる。よって,被控訴人主張の共通錯誤は認められない。
(2)被控訴人の主張
ア 争点(1)(控訴人と被控訴人との間の本件各会員権の売買合意の成否)について
本件各会員権の買主をA社と認めた原判決の認定に誤りはない。このことは,原判決が指摘する各点のほか,控訴人が本件各会員権の預託金証書の受領と引き換えに被控訴人に交付したお預り証(乙15)に,A社の記名と社印があり,担当者欄に甲野(控訴人)の押印があること,控訴人の本人尋問供述(19~20,27頁)からも裏付けられる。
イ 争点(3)(被控訴人の錯誤の有無)について
本件において,売買契約の目的物である本件各会員権(特に,よみうり会員権)の実質的価値は,控訴人が被控訴人に交付した本件見積書(乙2)の見積金額とは著しく均衡を失するものであったから,売買契約の目的物である本件各会員権の実質的価値について,被控訴人に要素の錯誤があったというべきである。そして,A社(控訴人)にも同様の錯誤があったとすれば,被控訴人との間に共通の錯誤があつたということができるところ,共通の錯誤の場合には取引の安全を図る必要はなく,表意者である被控訴人の保護を優先してよいから,動機の表示を問題とする必要もない。
ウ 争点(5)(控訴人が被控訴人の錯誤につき悪意又は被控訴人と共通の錯誤に陥っていたか)について
上記イのとおり,本件において,売買契約の目的物である本件各会員権(特に,よみうり会員権)の実質的価値について,A社(控訴人)にも錯誤があったとすれば,被控訴人との間に共通の錯誤があったということができるところ,共通の錯誤の場合には取引の安全を図る必要はなく,表意者である被控訴人の保護を優先してよいから,民法95条ただし書は適用されない。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も,控訴人の請求は理由がないものと判断する。その理由は,次のとおり改め,後記2のとおり,当審における当事者の補充主張に対する判断を加えるほか,原判決の「事実及び理由」中の「第3 争点に対する判断」欄の1ないし6(原判決7頁6行目から19頁20行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1)原判決8頁15行目の末尾に「(いずれも表面)」を加え,22行目の「池田カンツリークラブ」を「池田カンツリー倶楽部」と改め,9頁24行目の「甲」の次に「22~24,」を加え,11頁6行目の「被告の社印」を「被控訴人大阪支店の業務部長印」と改め,10行目の「押印した」の次に「作成年月日欄が空欄の」を,21行目の「社印」の次に「と代表者印」をそれぞれ加える。
(2)原判決13頁2行目の「本件各会員権の売買代金」を「お取引確認書(甲8)で物件代金とされた430万円」と改め,8行目から9行目にかけての「仲介を」の次に「本件店舗に」を加え,11行目の「主体が原告」を「買主が控訴人個人」と改め,末行の「記名押印」の次に「及び代表者印の押印」を,14頁19行目の「平成27年2月3日」の次に「(お取引確認書(甲8)が作成された日に売買契約が成立したと認められる。)」をそれぞれ加える。
(3)原判決15頁2行目の「前提事実(4)のとおり,」の次に「控訴人が」を加える。
(4)原判決16頁13行目から14行目にかけて及び15行目の各「B社」をいずれも「A社」と改める。
(5)原判決18頁17行目の「本件ライオズ会員権」を「本件ライオンズ会員権」と改める。
(6)原判決19頁18行目の「B社」を「A社」と改める。
2 当審における当事者の補充主張に対する判断
(1)争点(1)(控訴人と被控訴人との間の本件各会員権の売買合意の成否)について
ア 前記補正・引用に係る原判決が指摘する各点(本件店舗の経営主体及び従前のゴルフ会員権の取引主体がいずれもA社であったこと,控訴人が丙山(編注・被控訴人大阪支社の営業総務部課長代理)にA社の名称が入った名刺(甲1)を交付したこと,本件見積書(乙2)にはA社の社印が押印され,担当として控訴人の名前が記載され,お取引確認書(甲8)にもA社の社印が押印されているなど,本件各会員権の売買の過程で控訴人と被控訴人との間で交わされた書面は,いずれもA社が売買契約の買主であるような記載となっていること,控訴人が被控訴人に対し,本件各会員権の売買契約の買主がA社ではなく,控訴人個人であるとの説明をしていないこと,乙川のゴルフ会員権購入申込書(甲17)にも,売主として控訴人個人ではなく,A社の記名及び代表社印の押印があること等)のほか,控訴人が本件各会員権の預託金証書の受領と引き換えに被控訴人に交付したお預り証(乙15)にも,A社の記名と社印があり,担当者欄に甲野(控訴人)の押印があることに加え,控訴人自身,原審本人尋問で,A社が売買契約の買主であることを認める趣旨の供述をしていること(19~20,27頁)も併せ考えれば,本件各会員権の買主は控訴人個人ではなく,A社であると認めるのが相当である。
イ 控訴人は,本件各会員権の買主は控訴人個人であると主張し,前記①ないし④の各事情を指摘する。しかし,①については,控訴人はA社の代表者であり,A社会社代表者の陳述書(甲49)といっても,控訴人個人の陳述書(甲33)と実質的に異なるものではなく,客観的な証拠とはいえない。また,②については,確かに,A社は,平成25年5月1日に商業登記簿上の目的からゴルフ会員権の売買を外し(甲42),同月17日に関西ゴルフ会員権取引業協同組合の持分を処分して同組合員の資格を喪失したとうかがわれるが
(甲44),税務署へ休業の異動届出書を提出したのは平成28年12月19日であり,本件各会員権の売買がされた当時,ゴルフ会員権の取引を行っていなかったのかどうかは必ずしも明らかではない。そして,③については,本件各会員権の買主が控訴人個人であるならば,本件見積書(乙2)やお取引確認書(甲8)にA社の社印を押印する必要はなく,被控訴人から買い受けた本件よみうり会員権を転売するのに,わざわざ控訴人からA社にいったん転売するのは不自然であるし,本件ライオンズ会員権及び本件田辺会員権のゴルフ会員権譲渡通知書(甲45,46)で,譲渡人が控訴人個人となっていることは,上記アの認定を左右する事情とまではいえない。さらに,④については,確かに,本件各会員権の売買代金は,B社の預金口座から被控訴人の預金口座に振り込まれているが(甲48),控訴人が本件各会員権を買い受けたのであれば,控訴人が自ら売買代金を振り込めば足りるはずであり,むしろ,B社はA社から関西ゴルフ会員権取引業協同組合の持分を譲り受けた会社であるから(甲44),本件各会員権の買主が控訴人個人でないことが推認される。よって,控訴人の上記主張は採用できない。
(2)争点(3)(被控訴人の錯誤の有無)について
ア 控訴人は,自由な価格競争が許されている売買契約の目的物の実質的価値について表意者が錯誤に陥っていたとしても,それ自体は当該表意者のリスクであり,当該錯誤が詐欺行為に起因するか,暴利行為の要件を満たすような場合は別として,それだけでは要素の錯誤とはなり得ないと主張する。しかし,売買契約の目的物の実質的価値についての錯誤は,等価性が著しく損なわれるときには,要素の錯誤に当たり得ると解するのが相当である。そして,前記補正・引用に係る原判決が説示するように,本件においては,本件各会員権の実質的価値は6000万円以上であったのに,本件各会員権の売買代金は430万円であり,両者の間には約15倍の乖離があったところ,営利企業である被控訴人が,実質的な価値が6000万円以上の本件各会員権を430万円で売却することは極めて不自然であるから,被控訴人に要素の錯誤があったと認めるのが相当である。よって,控訴人の上記主張は採用できない。
イ 控訴人は,被控訴人との間で6000万円の預託金が話題になったことはないから,被控訴人主張の錯誤は動機の錯誤に当たるところ,その動機が被控訴人から相手方である控訴人に表示されたことはなく,意思表示の内容となっていないから,要素の錯誤には当たらないと主張する。この点,確かに,本件各会員権の売買に至る経過の中で,控訴人と被控訴人との間で6000万円の預託金が話題になったことを認めるに足りる証拠はない。しかし,前記補正・引用に係る原判決が説示するように,被控訴人は,控訴人に対し本件各会員権を430万円で売却するとの意思を表示したところ,控訴人は,それまで長年にわたってゴルフ会員権の売買業に従事していたのであるから,営利企業である被控訴人が実質的価値の約15分の1の金額で本件各会員権を売却することがあり得ないことは当然に認識していたというべきであり,そうとすれば,本件各会員権の実質的価値を売買代金と同程度の430万円であると認識していたとの被控訴人の動機は,控訴人に対し黙示的に表示されたと見ることができる。よって,控訴人の上記主張は採用できない。
(3)争点(5)(控訴人が被控訴人の錯誤につき悪意又は被控訴人と共通の錯誤に陥っていたか)について
控訴人は,債権売買において,売買代金額と現実の回収額(実質的価値)との間に差額がある場合に,一方の当事者が自己の損害を回復しようとして相手方に共通錯誤を主張できるとすれば,取引の安全を阻害することになるので,そのような主張ができないことが業界の取引慣行となっており,被控訴人主張の共通錯誤は認められないと主張する。しかし,共通の錯誤の場合には,取引の安全を図る必要はなく,表意者である被控訴人の保護を優先してよいから,民法95条ただし書は適用されず,表意者に重大な過失があっても,錯誤無効を主張することができると解される。
ところで,前記補正・引用に係る原判決が認定するように,控訴人は,丙山から本件各会員権の売却依頼を受けた後,本件各会員権の相場を確認した上で,本件ライオンズ会員権の買取価格を20万円,本件田辺会員権の買取価格を0円,本件よみうり会員権の買取価格を400万円,本件池田会員権①及び②の買取価格を各5万円と決定して,金額合計430万円の本件見積書(乙2)を作成した。この点,控訴人は,上記金額はリスクを回避するために出したものであり,本件よみうり会員権の実質的な価値を400万円と誤解していたものではないと主張し,その根拠として,控訴人が乙川から本件よみうり会員権を2000万円で購入するとの申込みを受けたこと(甲17)を指摘する。しかし,控訴人が調査結果に基づいて本件よみうり会員権の買取価格を400万円とした以上,本件よみうり会員権の価値がこれを著しく上回るものではないと認識していたと見るのが自然であり,その後に,乙川から本件よみうり会員権を2000万円で購入するとの申込みを受けたからといって,上記認識が左右されるものではない。そして,控訴人は,原審本人尋問で,被控訴人から本件各会員権を買い受けた時点では,本件よみうり会員権の退会手続をとった場合に預託金6000万円全額が返ってくることを認識していなかったことを認める供述をしている(2~5,12~13,19頁)。これらの事情に照らせば,控訴人も,本件各会員権の実質的価値が6000万円以上であるのに,これが430万円を著しく超える価値を有するものではないと認識しており,被控訴人と共通の錯誤に陥っていたと認めるのが相当である。よって,控訴人の上記主張は採用できない。
3 結論
よって,控訴人の請求は理由がないからこれを棄却すべきである。これと同旨の原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田川直之 裁判官 髙橋善久 裁判官島村雅之は,転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官田川直之)