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大阪高等裁判所 平成3年(う)390号 判決 1992年7月15日

本籍

大阪市平野区平野本町三丁目九番地

住居

大阪府豊中市新千里西町三丁目二三番一号

会社役員

井阪昭

昭和一〇年四月二六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成三年三月二九日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 小池洋司 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人上原茂行作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官小池洋司作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、事実誤認ないし法令適用の誤りの主張について

論旨は要するに、原判決が認定した株式取引による所得税のほ脱に関し、(1)被告人は「偽りその他不正の行為」をしていない、(2)被告人にはほ脱の故意がない、(3)株取引は事業所得であるから、昭和六〇年分の所得から同年度の株取引の損失六四五三万余を控除すべきであるとして、そのような認定・判断をしなかった原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論及び答弁にかんがみ記録を調査して検討するのに、関係証拠によれば、本件株所得に関しても、被告人が所得税をほ脱する意図で所得税法にいう「偽りその他不正の行為」をして所得税を免れたこと、株取引による所得は事業所得ではなく雑所得であること、が明らかに肯認され、当審事実取調べの結果によっても、右の認定・判断は左右されない。

所論は前記(1)に関し、原判決が「偽りその他の不正の行為」に当たると認定した架空名義を使用しての株取引は、当時一般的に行われていたし、被告人は証券会社の担当者の勧めで開始し、かつ、その指示でやめたものであることから判るように、「不正」の認識を持たずにしていたものであって、「偽りその他不正の行為」に当たらないと主張するが、架空名義を使用しての株取引の方法が株所得等の脱税の常套手段であり、所得税法にいう「偽りその他不正の行為」に当たることはいうまでもないところ、被告人の検察官に対する自白調書を含む関係証拠によると、架空名義の使用は被告人が脱税のために証券会社の担当者と相談の上開始し、後に証券会社の方針でやむなくやめたことが明らかであり、所論は採用しえない。

次に、所論は前記(2)に関し、被告人が株所得を申告から除外したのは、利益を得た株取引もあるが、一方で評価損となった取引もあるので、全体としては常にマイナスになっており、申告すべき利益がないと思っていたからで、被告人は株の評価損が所得税法上必要経費にならないことは知らなかったものであると主張し、被告人も原審でこれに沿うかのような供述をするが、相当多額の株売買利益があったと被告人が認識していたことは、被告人が捜査段階で繰り返し自認しているところであるし、この利益を申告から除外したのは、これまた被告人が捜査段階で自認しているように、株取引による利益を保有しておくためすなわち課税を免れるためであったことは、容易に認められるところであり、この所論も採用しえない。

更に、所論は前記(3)に関し、原判決が本件株所得を事業所得と認定せず雑所得と認定した判断をるる論難し、種々の点を挙げて本件株所得が事業所得であると主張するのであるが、本件株所得を事業所得とみることができないゆえんは、原判決が詳細に説示するとおりであって、当裁判所もこの判断を相当として是認するから、所論は採用できない。

その余の所論にかんがみ更に検討しても原判決には所論がいう事実誤認ないし法令適用の誤りは認められず、論旨は理由がない。

控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は要するに、原判決の量刑が重きに失すると主張するので、記録を調査して検討するに、本件は、被告人が三年分にわたる所得税合計二億七〇〇〇万円をほ脱したという事案であるが、その脱税額、いわゆるほ脱率、ほ脱の態様(事業所得については架空仕入れの書類を作成した上いわゆる「つまみ申告」をし、株所得は一切申告から除外)などの事情に徴すると、本税等を全て完納したなどの情状を斟酌しても、被告人を懲役一年一〇月及び罰金六〇〇〇万円に処したうえ、右懲役刑の執行を猶予した原判決の量刑が不当に重いとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田良兼 裁判官 石井一正 裁判官 飯田喜信)

○ 控訴趣意書

被告人 井阪昭

右被告人に対する所得税法違反被告事件の控訴理由は、次のとおりである。

平成三年六月三日

弁護人 上原茂行

大阪高等裁判所第三刑事部 御中

原判決には、事実の誤認ないし法令の解釈もしくはその適用の誤りがあり、また、その宣告した刑は重きに失し、破棄されるべきである。

一 「偽りその他不正の行為」の不存在について

被告人には、本件株式取引による所得について、逋脱犯の構成要件である「偽りその他不正の行為」が存在しない。

弁護人の原審における主張を補充して再説するに、最高裁は、右「偽りその他不正の行為」に関し、「逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行なうことをいう。」と判示し(最判昭四二・一一・八刑集二一・九・一一九七)、また、「所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出する行為」と判示(最判昭四八・三・二〇刑集二七・二・一三八)している。

このことを前提に被告人の場合を検討するに、被告人は、いわゆる白色申告者であり、青色申告者に要求される正規の記帳義務はない。そして、容器販売に関しては、そのほとんどの取引がミドリ十字株式会社であり、関係伝票等を保管すれば事が足りるため記帳せず、このことは株式取引についても同様であり、その総てを山一證券大阪支店を通じて行なっており、同支店から送付される取引通知書等を保管していれば取引の現状把握に十分であり、面倒な記帳の必要は全くなかった。即ち、被告人が株式取引に関し何らの記帳をしていないのは、必要性がないためその煩雑さをさけたものに過ぎず、そこに「偽りその他不正の行為」の存在を観念する余地はない。

次に、原審は、「福地和雄」名義の使用をもって逋脱の意思の認定の資料としている。

成程、被告人は、株式取引に関し「福地和雄」名義を使用している。しかしこれは当時一般的に行なわれ、かつ、証券会社担当者から奨められて使用したにすぎず、現に右名義は右担当者の発案によるものであり、しかも、被告人の使用した名義は、右「福地」のみであり、さらに行政指導により架空名義が使用できなくなった旨(このような行政指導がなされたこと自体から、架空名義の使用が広く一般的に行なわれていたことを知ることができ、さらには被告人には架空名義の使用が「不正」なものであることの認識がなかったことを物語る。)右担当者から聞かされると直ちに、それも本件逋脱事件にかかる査察を受ける以前に、被告人名義に変更して株式取引を継続しているのであり、そこには「偽りその他不正の」意思ないし行為は存在しない。

この点に関し参考とされるべき判例は、前記昭和四八年三月二〇日付け最高裁判決である。同判決の事実関係は、過少申告がなされたのは、取引先から受領した金員が同会社の簿外金から出ており、しかも同簿外金が同会社において納税申告されていないことを承知しており、被告人が同金員を納税申告した場合には同会社に迷惑がかかると考えて、あえて自己の申告から除外したというのである。被告人が本件株式取引に関し記帳しなかったこと、ないし「福地」名義を使用したことには、明らかにこのような不正な意図は存在しない。

加えて、被告人が株式取引による所得を除外したのは、各取引において相当の収入を得たものの、別の取引においては株式の値下がりにより、帳簿上、収入をはるかに上回る損失が生じており、差し引きマイナス勘定になっているため、利益・収入は存在しないとして申告をしなかったものであり、そこに所得を脱漏する不正な意図は存在しない。

付言するに、被告人の容器販売による所得と株式取引にかかる所得とはその発生形態、事務内容を全く異にし、容器販売における不正行為があったという事実をもって、株式取引に関し不正行為があったとはなしえない。

二 株式取引に関する逋脱の「故意」について

原審においては、これについて弁論要旨一項末尾において主張したところであるが、原審は、明確な問題意識なしに判決に至っている感があるので、詳論する。

被告人は、原審公判廷における供述等により明らかなとおり、個々の株式の取引においては相当額の利益を得たものがある一方で、別の取引においては、それが手締いをした現実損でないにしても、多額の損失を蒙っており、一定期間の全取引を集計すれば常にマイナス勘定になっており、申告すべき利益・収入は存在しないと考えていたものであり、逋脱の「故意」は存在しない。

有価証券の評価損は、所得税法における事業所得上の必要経費にはならず、法人税法上も原則として損金に算入されないが、それは現実損を必要経費ないし損金として処理したほうが所得の把握に便宜であり、次年度において右評価損を含んだ評価損ないし評価益を経理するのは煩雑にすぎるという考慮によるものにすぎないものであって、租税徴収上の法的テクニックに過ぎない。

「評価損」ないし「評価益」により「損をした。」又は「資産が殖えた。」と考えるのが社会一般の感覚であり、被告人は、税法上の極めて技術的な規定を知らない結果、事実認識を誤ったものであり、被告人には、この面からも逋脱の故意はない。

三 本件株式取引の事業性について

原判決は、被告人の本件株式取引は事業活動とは言えず、昭和六〇年分の有価証券の売買損失六、四五三万六、四一八円を事業活動によって生じた損失として事業所得から控除すべきものとは言えないと判示する。

原判決がこの点に関し認定した事実は肯認することができる。しかし、右認定事実から本件株式取引の事業性を否定し、右売買損失を事業所得から控除すべきものでないとした理由については、承服することができない。

原判決は、本件株式取引の事業性を否定した理由を、その要約するところによると、(1)被告人の株式取引の実態、(2)信用取引の投機性にあるとする。以下右各点について詳論する。

1.原判決は、被告人の本件株式取引の事業性が認められない一つの理由である株式取引の実態として、次のとおり述べる。

(1) 被告人は、医薬品容器等販売業を自己及び家族の生計を維持するための本業とし、この本業により安定した収入を確保しながら、その傍らで株式取引を行なっていた。

(2) 被告人は、株式取引のために人を雇用したり、物的設備を整えたこともなく、情報収集のために格別の経費を支出したり、調査のための特別な機構を持つものでもない。

(3) 本件まで株式取引による収益を所得として申告したことはなく、所得税法二二九条による事業開始届も提出していない。

(4) そうすると、被告人の行なった株式取引の実質は、証券会社のごく一般の個人投資家の取引と何ら異なるものではない。

しかしながら、所得税法七条一項にかかる「事業」に関しては、多数の裁判例がある。そして「事業は、営利を目的とする継続的行為であって、社会通念に照らし事業とみられるものすべてを含み、特に事業場を設置したり人的物的要素が結合した継続的組織によるものであることをかならずしも必要としないし、またその者の本来の業務であると副業的なものであるとを問わない。」(名古屋高裁金沢支部昭四三・二・二八行集一九・一-二・二九七)ことからすると、原判決が掲げる右(1)(2)の事実は、およそ理由とはなりえない。実質的に考えても、事業者がある事業により安定した収入を得ることができている場合に、さらなる発展を求めて他の業種に事業範囲を拡張したとき、これに関する経済活動をもって、当該事業者の個人的活動であって事業活動としてのそれではない、ということができないのは明らかである。また、株式取引は、最低電話一本あれば可能なものであり、ことに、最近、証券会社が提供する株式に関する情報は、質、量ともに豊富であり、株式取引を事業活動として行なう場合、これによる情報収集が第一次的でまた最大なものである。したがって、規模にもよるが、人の雇用、格別の経費の支出等を必ずしも要するものではない。原判決の立論は、株式取引の実状を無視してなされたものである。そして、原判決が掲げる右(3)にいたっては、所得として申告したかどうかは、およそ「事業性」認定の資料たり得ないし、事業開始届の有無は単に行政法規に従っているかどうかだけの問題であり、これをしていないことにより「事業性」が否定されるものでもない。

事業の意義は、「結局、一般社会通念によって決めるほかないが、これを決めるにあたっては営利性・有償性の有無、継続性・反復性の有無、自己の危険と計算における企画遂行性の有無、その取引に費やした精神的あるいは肉体的労力の程度、人的・物的設備の有無、その者の職歴・社会的地位・生活状況などの諸点が検討されるべきである。」(東京地裁昭四八・七・一八税務訴訟資料七〇・六三七)ものとすると、被告人の場合、

(1) 被告人は、昭和三四年ころから、昭和容器の屋号で、医薬品の容器等の販売を行なっていた。その業務のやり方は、取引量の九八パーセントを占めるミドリ十字株式会社から電話等による注文を受け、これを決められた日に、契約した運送会社等に委託して、メーカーから受け取り、ミドリ十字に納品するというもので、従業員は、繁忙時に臨時的に雇うパートタイマーがいるにすぎず、いわゆる電話一本の商売である。したがって、営業所は、自宅兼営業所の程度であり、他の設備は、机一台、電話、物置用のガレージ等に過ぎない。

(2) 被告人は、昭和五〇年ころから株に興味をもち、昭和五二年ころから次第にその取引量が増えていったが、これは、医薬品の容器が従来のガラス製からプラスチック製の物に切り代ろうとしており、被告人の商売は先行きが暗く、他に商売のあてもないところから、株式取引により利益を得ようとしたものである。

(3) そして、被告人の業界におけるこの傾向は、昭和五七年ころに顕著となり、被告人は、この対応に苦慮していたところ、慢性肝炎を患い、食後は横になって安静にしなければならない体になり、容器販売業の維持をしていくことが困難な状況に立ち至り、横になったまま電話一本で商いのできる株式取引で今後は利益を得ていこうとした。

(4) 被告人の株式取引高は、このころから年間四〇億円ないし五〇億円にのぼり、最盛期の昭和六一、六二年ころは、年間一〇〇億円にものぼる。

一方、容器販売業の取引高は、昭和五九、六〇年で年間四億五〇〇〇万円ないし五億円程度である。

(5) 被告人は、容器販売については、一日に一、二本の電話に受け答えし、電話等により納品等のための注文、指示等をするだけである。その一方では、株式取引を業としている以上当然のことながら、証券取引所が開くと、常時その値動きに注意を払い、取引依頼先である山一證券京橋支店(現在大阪支店)の担当者に売り買いの指示をしており、一日、大半の労力は株式取引に注いでいる。

以上のような事実、その他原審公判廷において明らかになった事実関係からすると、被告人の本件株式取引が、所得税法にいう「事業」にあたることは明らかである。

さらに、被告人は、税務一般についての知識はなく、申告については顧問税理士に一任していたのであり、株式取引を事業として行なった場合の課税方法について知る由もないうえ、含み損の存在により株式取引における申告すべき所得はないと考えていたものであるから、本件において、被告人が事業所得として申告していなかったこと、修正申告にあたり雑所得として申告していることは、株式取引の事業性ないし所得の種類を判断するにための要素とはなり得ない。

また、被告人の容器販売業は、平成元年二月に法人成しているところ、法人であれば、当然に株式取引による損失は所得から控除される。そして、この度の商法改正によりいわゆる一人会社が認められることからすると、被告人の本件株式取引に関し、その事業性を否定し、控除を認めないのは余りにも不均等な税務行政であり、被告人の本件株式取引の事業性は肯定されるべきである。

2.原判決は、信用取引の投機性をも一つの理由として、本件株式取引の「事業性」を否定する。

しかしながら、投機性は、賭博性とは根本的に異なるものであり、あらゆる取引行為に様々なヴァリエーションをもって内包されているといっても過言ではなく、要はその程度の問題に過ぎないうえ、前記名古屋高裁金沢支部判決が、商品取引に関して詳細に説示し、判示したように、「清算取引が、他の堅実な営業と比較し、営利性に不確実な点があることは明白であるが、個別的にみて各個の取引に関する利益の発生が不確実で偶発的であるからといって、直ちに本件の如く反復継続として大量に行なった取引まで事業性を否定することはできない。」ものであって、株式取引における投機性の故にその事業性を否定したのは誤りである。

なお、信用取引は、少額の元手でより高い収益を得ようとすれば当然のことであり、さらには、信用供与はより高い収益性を求めて経済活動を展開す現在の体制においては当然のことであり、原判決がことさら信用取引を取り出して説示している趣旨が理解できない。

四 原判決認定事実を前提にしても、原審が、被告人を懲役一年一〇月及び罰金六〇〇〇万円に処し、懲役刑の執行を三年間猶予することとしたのは、次のような事情からすると、重きに失し、量刑を誤ったものであり、この点からも原判決は破棄を免れない。すなわち、

被告人は、偽りの帳簿、伝票等を作成するなどの通常の逋脱犯に見られる行為は一切しておらず、犯行の手口は単純である。

また、被告人は、本件株式取引にかかる所得の申告をしていないが、これは利益をはるかに越える他の手持ち株式の値下がりによる損失(評価損)が存在したため、申告すべき利益がないと考えたものであり、結果的には「秘匿」ではあっても、そこに通常の逋脱犯に見られる悪性はない。

このことは、同時に、本件逋脱率の高さが被告人の本件所得税法違反事実の悪質さに通じるものでないことを意味するものであるところ、原審の酷に過ぎる量刑は、右逋脱率の高さに目を奪われ、実質を見なかったものと考える。

さらに、被告人は、所得税、地方税も含めて、本件にかかる本税、重加算税、延滞税をすべて完納しており、国家・地方財政に対し損害を与えておらず、かえって、右各税の総納付額は、所得の額を越えており、また本件起訴による新聞報道等により近隣、取引先等の関係で指弾され、既に大きな社会的制裁を受けており、前記のとおり、被告人には通常の逋脱犯に見られる悪性はなく、本件を深く反省しているのであって、再犯のおそれはない。

以上の次第であり、原判決の量刑は重きに失する。

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