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大阪高等裁判所 平成3年(う)464号 判決 1992年9月29日

主文

原判決を破棄する。

被告人両名はいずれも無罪。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人Aについては弁護人清水正憲、後藤貞人連名作成の控訴趣意書に、被告人Dについては弁護人平栗勲、大川一夫連名作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官小浦英俊作成の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する(なお、両控訴趣意書の記載内容は同一である)。

第一  理由不備の主張について

一  論旨は、原判決には、

①  被告人Aが商法四八六条の予定する取締役に当たることについての理由を十分説明していない点、

②  「被告人Aが、セメントサイロの引き合い先にE興業を紹介したのは、E興業が、F製作所が実用新案権を売物にして販売している製品がその権利の範囲外のものであることを暴露して、F製作所の主たる取引先であるセメントメーカーにセメントサイロを売り込むことを防ぐためであって、より大きい利益を守るため小さい利益を犠牲にしたに過ぎないから、任務違背行為があったとはいえない」との弁護人の主張に対し、「より大きい利益が確実なものとして客観的に確保されているような場合には、右の程度をやや超えたとしても必ずしも任務違背行為に当たらないことがあり得るとも考えられる」と述べて、一定の場合には任務違背が否定されることがあることを認めながら、本件がそのような場合に当たるか否かという論証をしておらず、また、被告人らを有罪とするには、被告人Aに「大の利益を守るために小の利益を犠牲にする」との認識がなかったことを認定しなければならないのに、この点の検討をしていない点、

③  共謀の具体的内容を明示していない点、

④  「被告人Aが、値引きの限界を下回る価格を前提とする引き合いを不成約としても、F製作所に損害が発生したとはいえない」との弁護人の主張に対し、「引き合い価格が値引きの限界を下回ったとしても、損害が全く発生しなかったとはいえない」と述べているが、その理由が不明であり、また、F製作所が被ったという損害について、F製作所が本件引き合いを受注すれば、より有利な他の仕事が遂行できなかったことによる減益を控除しておらず、弁護人の中間利息の控除等の主張を何らの根拠なく不相当ないし不可能と決めつけている点、

で理由不備の違法がある、というものである。

二  しかし、控訴理由としての「理由不備」とは、判決書において、刑訴法三三五条一項が要求している「罪となるべき事実」、「証拠の標目」、「法令の適用」の摘示を欠くことをいうものであるところ、原判決をみても、その点の摘示にかけるところはないから(原審での審理の経過に照らし、前記③の点、すなわち、共謀の具体的内容については、これを明示するのが妥当であったと考えられるが)、刑訴法所定の理由不備の違法はない。論旨は理由がない。

第二  事実誤認ないし法令適用の誤りの主張について

一  論旨は、原判決には、

①  F製作所の実態は、商法四八六条が予定する「株式会社」には当たらないのに、これに当たるとした点、

②  被告人Aを取締役に選任する有効な株主総会決議が存在しないのに、存在すると認めて同被告人が商法四八六条の取締役に当たるとした点、

③  被告人Aが、原判示第一ないし第三の事実につき引き合い先にE興業を紹介した行為及び第四の事実につきいったん成約に至ったセメントサイロ二台のうち一台の受注を断った行為は、任務違背行為に当たらないし、その旨の認識もなかったのに、任務違背行為に当たるとし、背任の故意を認めた点、

④  被告人DないしE興業が被告人Aの息子名義の預金口座に振込んだ合計六一〇万円は、引き合い先の紹介を受けたことに対する謝礼ではないのに、振込金の一部がその謝礼の意味を有していたと認めた点、

⑤  被告人らが本件各犯行を共謀したことを認めるべき証拠はないのに、共謀を認めた点、

⑥  原判示全事実につき、F製作所には損害が生じたとはいえないのに、損害があったと認めた点

で事実の誤認ないし法令の適用の誤りがある、というものである。

二  F製作所の株式会社性(所論①の点)について

F製作所が商法四八六条の予定する「株式会社」に当たるものであることは、原判決が「弁護人らの主張に対する判断」中の「商法四八六条の株式会社について」の項で説示するとおりである。

三  被告人Aの取締役性(所論②の点)について

商法四八六条にいう「取締役」は、刑事責任の根拠になる地位であるから、有効な株主総会において、有効に選任されたものでなければならないことはいうまでもない。

原判決は、被告人AがF製作所の取締役としての地位を有効に取得したか否かについて、

①  登記簿上は、被告人Aが昭和五四年七月二五日取締役に選任され、その後同五六年八月一五日及び同五八年八月一〇日に再任された旨の記載があり、その間取締役の構成に変動はないこと、

②  最初の就任時については、株主総会で被告人Aの就任及びその他の取締役五名及び監査役一名の重任が決定されるとともに、従来の取締役一名が退任し、取締役会でBが代表取締役に選任された旨の各議事録が存在しており、右各再任時についても、同様の各議事録が作成、提出されているものと推測されること、

③  F製作所の株式の大半は代表取締役B及び専務取締役であるその妻Gが所有していたが、株主、取締役及び幹部従業員の範囲は、Bの母親C及び被告人Aが株主に過ぎない点などを除いて、おおむね一致していたこと、

④  もともとF製作所では、株主総会の開催に当たって、事前の招集通知や議長の選任、開会宣言等の手続きは厳格に行われておらず、株主及び取締役の地位を兼ねる幹部従業員が集まった機会を利用して、種々の意思決定が行われていたこと、

⑤  被告人Aは、昭和五三年五月ころ株主となっていたが、その後さらに取締役に昇格することとされ、同五四年七月末ころ、F製作所事務所において、Bに議決権の行使を一任したCを除き、被告人Aを含む全株主が集合した際、Bから被告人Aの取締役への就任を紹介し、全員の承諾を得る機会があったこと、

⑥  その後、被告人Aに支給された名刺には、取締役との記載はされていないが、会社の経歴書や興信所の紳士録には被告人Aが取締役として登載されていること、

⑦  被告人Aも、捜査の当初の段階から、自分が取締役であること自体は争っていなかったこと

等の事実を認定し、これらの事実によれば、昭和五四年七月末ころ開かれた会合は、いわゆる全員出席総会ないしこれに準じるものとして有効な株主総会というべく、右会合における取締役選任決議により、被告人Aは法律上取締役としての地位を有効に取得したものと認めるのが相当である、としている。

そこで検討すると、原判決がその掲げる証拠により右①ないし⑦の各事実を認定したのは、④のうち、株主及び取締役の地位を兼ねる幹部従業員が集まった機会を利用して、種々の意思決定が行われていたとの点、⑤のうち、CがBに議決権の行使を一任していたとの点を除き、正当と認められる。

しかし、証人B、同Y及び被告人Aの各原審公判供述によると、F製作所は、会社設立時を除き、一度も事前の招集通知をしたうえでの株主総会を開いたことがなかったこと、会社の運営は、専ら代表取締役であるBと専務取締役であるその妻Gの考えで行われていたこと、工程会議が開かれた機会に、Bから会社の運営に関する事項が発表されることはあったが、それについての決議をするなどといったことはなかったこと、昭和五四年七月末ころ、F製作所事務所において、C以外の全株主が集まった際、Bから、既に被告人Aが取締役になっている旨の話がされたが、株主総会における取締役選任決議のようなことはされなかったことが認められ、さらに右会合についてCの委任状が提出されていたことを認めるべき証拠もない。

そうすると、昭和五四年七月末ころの右会合を、いわゆる全員出席総会として有効な株主総会であったと認めることは困難であり(原判決は、BはCの包括的な常任代理人に相当する地位にあったとみるのが相当であるというが、商法二三九条三、四項<平成二年法律第六四号による改正前のもの>によれば、株主総会における議決権の代理行使は、総会毎に代理権を証する書面を会社に差出すことが必要であり、仮に常任代理人なるものを認めるとしても、Cが会社に対し、その旨の届出をしていたことを認めるべき証拠はないから、原判決の右判断は是認し難い。)、被告人Aの取締役選任決議がされたとも認められないのであるから、被告人Aは、登記簿上取締役として記載されてはいるものの、商法四八六条の「取締役」に当たるとするにはなお合理的な疑いが残るといわなければならない。

そうすると、被告人Aが商法四八六条の取締役に当たるとした原判決は事実を誤認したものであるといわなければならない。

そこで、以下刑法上の背任罪の成否について判断する。

四  任務違背行為等(所論③の点)について

(一)  原判決は、原審での弁護人らの「被告人Aは、条件面で折り合わず、不成約が確定した引き合いについて、E興業を紹介したことがあるに過ぎないうえ、その紹介は、E興業が、F製作所が実用新案権を売物にして販売している製品が実はその権利の範囲外のものであることを暴露して、F製作所の主たる取引先であるセメントメーカーにセメントサイロを売り込ませないよう、その見返りになされたものであって、より大きい利益を守るため小さい利益を犠牲にしたに過ぎないから、任務違背行為があったとはいえない」との主張に対し、「F製作所との不成約が確定した後、同業他社の一つとしてE興業を紹介したにとどまるのであれば、これをもって任務違背行為に当たるとはいえないと考えられる。また、より大きい利益が確実なものとして客観的に確保されているような場合には、右の程度をやや超えたとしても必ずしも任務違背行為に当たらないことがあり得るとも考えられる。しかし、判示第一から第三の各犯行における被告人AによるE興業の紹介は、引き合い先との条件面の折衝の過程において、より有利な条件の会社があるとして行われたものであり、F製作所との不成約の確定はその結果として生じたものとみるべきこと、また、判示第四の犯行におけるE興業の紹介は、いったん各三七五万円で二台受注する旨約束していたのに、被告人Aからにわかに一台しか受注できない旨申し入れ、相手方をして、従前の取引経験からE興業に発注するのやむなきに至らせたものであることが明らかである。しかも、右のような紹介を通じて、E興業が単にセメントサイロの本体部分だけでなく、その全体を製造、販売する実績を積めば積むほど、F製作所にとって一層脅威的な存在となることは見やすい道理であり、現にその後E興業では、セメントサイロの製造、販売が順調に進み、F製作所からのサイロ本体の外注を断るまでに至っていることが明らかである。被告人Aが、事前の共謀に基づき、右のような段階において右のような態様でE興業への注文を勧誘することは、任務違背行為に当たる」旨判示している。

(二)  関係証拠によると、被告人Aの担当事務の内容やセメントサイロの引き合い先にE興業を紹介するようになった経緯等は、次のようなものであったと認められる。

被告人Aは、昭和四九年八月ころ、セメントサイロの製造、販売等を業とするF製作所に入社し、同五四年ころ営業課長となり、セメントサイロの販売価格の見積りや客との値段の交渉、契約の締結等の営業を担当していたが、右営業に関しては、代表取締役のBから全面的に任されていた。

同社の車輪の付いた移動式セメントサイロは、昭和四九年七月に実用新案の出願をし、その後登録されたものであり、移動式でないセメントサイロについても、昭和五六年二月に実用新案の出願をし、その後登録されたものであったことから、同社では値崩れを防ぐため、類型化した客種別の標準価格を決め、これに基づいて見積りをし、原則として値引きをせず、値引きする場合でも、標準価格の一五パーセントくらいを限度とし、注文台数や将来の取引の見込み等を考慮しての値引き幅を決めていて、それを下回る価格での受注はしていなかった。

同社の主な取引先は、国内のセメントメーカーとその関連会社であり、その取引高は同社の全取引高の七、八十パーセントを占めていた。

製罐業を営むE興業は、昭和五四年一月ころからF製作所のセメントサイロ本体の製作を下請けし、その後サイロ全体の製造を請負うこともあったところ、E興業の常務取締役であった被告人Dは、移動のための車輪を取り付けていないセメントサイロはF製作所の実用新案の権利を侵害するものではないと判断し、F製作所の横型セメントサイロがよく売れていたことから、それと同様の横型セメントサイロを製造、販売して自社の事業を拡大しようと考えていたが、販路を持っていなかった。

そこで、被告人Dは、昭和五八年四月初めころ、F製作所と出入り業者との台湾旅行に参加した際、台湾のホテルで、被告人Aに対し、F製作所が実用新案製品として販売している横型セメントサイロは実用新案の範囲外のものであり、そのことをF製作所の得意先であるセメントメーカーに暴露しない代わりに、小口の客を回せ、という趣旨のことを言い、さらにその後も二、三回電話を掛けて催促するなどした。

これに対し、被告人Aは、最初は被告人Dの要求を拒否したが、その後自分の売っているセメントサイロが実用新案製品であることについて多少の不安を抱くようになり、しかし、Bに相談したりすれば、同人夫婦の経営姿勢からみて、E興業と揉め、E興業がF製作所の主要な取引先であるセメントメーカーに右の実用新案の点を暴露することになって、F製作所が信用を失い、営業上大きな打撃を受けることになると考え、Bらに相談したりせず、態度を決めかねていた。

その後の昭和五九年二月末か三月ころ、被告人Aは、先にセメントサイロ二三台を割賦販売していたHベントナイトからさらに十四、五台の引き合いを受けたが、同社の経営状態がよくないことが分かったため、Bと相談したうえその受注を断ったところ、その際同社の代表者が他の業者に発注する意向を示したことから、同人にE興業を紹介し、そのころ、被告人Dにもその旨連絡し、その後E興業がHベントナイトから受注した。

(三) 右認定のとおり、被告人Aは、F製作所のセメントサイロを販売する営業に関しては全面的に任されていたのであるから、引き合い先との交渉の結果受注するかどうかの決定は、同被告人のみの判断でなし得るものであったと考えられるが、F製作所では、前記のとおり、セメントサイロの値崩れを防ぐため、類型化した客種別の標準価格を決め、原則として値引きをせず、値引きする場合でも値引き幅を決めていて、それを下回る価格での受注をしていなかったのであるから、被告人Aとしては、F製作所に引き合いのあった取引につき、客の種類に応じた値引き限度額等からみてF製作所にとって利益になるような成約に努めなければならず、そのような成約の見込みがあると判断されるのに敢えて受注しないことは、相手の支払能力に問題がある等特別の事情がない限り、その任務に違背することになると考えられる。しかし、逆に、客の値引き要求が強くて折り合いがつかず、その他諸般の状況から右のような成約の見込みがないと判断した場合には、その受注をしなくても、任務違背にならないというべきである。そして、後者の場合に、さらに、客の要望に応じて、同業他社であるE興業を紹介し、同社への発注を勧め、同社に受注させたとしても、それによってF製作所に本件の訴因にいうような受注をしないことによる逸失利益相当の財産上の損害が生ずるものでないことも明らかである。

右のような紹介を通じてE興業がセメントサイロの製造、販売の実績を積めば、業界の需給関係や両社の販路状況等によっては、そのために将来F製作所の受注が減少する可能性もないわけではないが、そのような場合の損害は、本件訴因には含まれていない。

また、被告人Aは、原判示第一のI工務店に対してE興業を紹介した時よりも少し前に、前記のとおりHベントナイトに対してE興業を紹介しているが、その動機は、被告人Dから、F製作所が実用新案製品として販売している横型セメントサイロは実用新案の範囲外のものであり、そのことをF製作所の得意先であるセメントメーカーに暴露しない代わりに、小口の客を回せ、という趣旨のことを言われたからであり、これが被告人Aが引き合い先にE興業を紹介した最初のものであったと認められる。

そこで、以下、原判示各事実について検討する。

(四)  原判示第一の事実(I工務店関係)について

1 関係証拠によると次の事実が認められる。

被告人Aは、昭和五九年三月二〇日ころ、生コン業者の紹介で株式会社I工務店の代表取締役Jと会い、同人から地下埋設型の二〇トン・セメントサイロ一台の引き合いを受けた。

そして、同年四月八日ころ、再び同人と会って見積額を三八五万五、〇〇〇円とする見積書を提示して交渉した。その際、Jから値切られたため、一見の客の場合の値引き限度額である三六〇万円までの値引きに応ずることにし、その旨告げて交渉したが、成約に至らなかった。

次いで、同年五月ころ、Jと会った時、同人から、予算が三〇〇万円なのでそれくらいで何とかならないかと言われたが、その金額ではできない旨答えたところ、良い方法はないかと聞かれ、F製作所のサイロは安くできないが、E興業のものであれば安く造れるかもしれない旨答えたところ、任せるのでよろしく頼むと言われた。

そこで、被告人Aは、その日に被告人Dに対し、電話で「二〇トンのサイロをほしがっているので段取りしてやってくれ」などと言って、I工務店の電話番号を教えるなどした。

その後、E興業がI工務店と交渉して三〇〇万円で受注した。

2 以上の事実が認められるところ、原判決は、Jの要求額等について、「Jが、被告人Aの提示額を相当下回る金額を挙げて、もう少し安くならないかと聞いた」と認定するにとどまっている。

しかし、被告人Aは、捜査段階から一貫して、Jは三〇〇万円にしてほしいと言っていた旨供述しているし、Jも原審公判で、警察官の取調べの際、三〇〇万円くらいにならないか、などと言った旨供述したかどうかは、日が経っているから覚えていないと証言していて、三〇〇万円にしてほしいと言ったことを否定してはいないことにかんがみると、Jは被告人に対し、三〇〇万円にするよう要求していたと認めるのが相当である。

3 右1認定の事実によると、Jの要求額である三〇〇万円は、被告人Aが提示した一見の客に対する値引き額である三六〇万円を大幅に下回るものであり、見積り提示額三八五万五、〇〇〇円に対する一五パーセントの最大値引き限度額約三二七万六、〇〇〇円をも下回るものであったのであり、さらに被告人Aは、原審及び当審公判で、Jから受注しなかったのは値段が合わなかったからであると供述しているだけでなく、同人の警察官調書(<書証番号略>)でも、JにE興業を紹介した理由の一つとして値段が合わなかったことを挙げていることなどの点も併せ考えると、被告人Aとしては、Jの要求振りからみて、値引き限度内の価格では同人に購入の意思がなく、成約の見込みがないと判断し、自社の受注をやめてE興業を紹介したものであったと認めるのが相当である。

この点に関し、同被告人の警察官調書(<書証番号略>)には、K興業ほか五社等からサイロの引き合いを受けながら、F製作所で受注せず、E興業に流したのは、値段が合わなかったからというのではなく、自分の会社の専務らのしていることや態度に不満があり、セメントメーカー以外の引き合いをE興業に流せば、Dとの約束も果たせて、礼金も出してくれることなどからである旨の供述記載があるが、被告人Aは被告人Dの引き合いを回せという要求に応じる旨の約束をしたものではないこと、礼金の点については次に述べるとおり引き合いの紹介の礼金とは認められないこと、その他被告人の原審及び当審公判供述等に照らしてその信用性は乏しいといわざるを得ない。

原判決は、被告人DないしE興業が被告人Aの息子L名義の預金口座に振込んだ合計六一〇万円の一部は本件における紹介の謝礼の意味を有していた、と認定している。

証拠によると、被告人DからLの預金口座に①昭和五九年一二月一五日に二五万円、②同六〇年一月一八日に三五万円、③同年四月一五日に二〇万円、④同年五月一七日に一〇万円、⑤同年六月一五日に一五万円、⑥同月二九日に三〇〇万円、⑦同年八月七日に二〇〇万円、E興業から同じ預金口座に昭和六〇年三月六日に五万円がそれぞれ振込まれていることが明らかである。

しかし、関係証拠によると、被告人Aは、昭和五九年四、五月ころ、友人のMから輸入セメントの受入、供給設備を造ることについて相談を受けたが、F製作所としては、その主な取引先が国内のセメントメーカーとその関連会社であるため、その話に関与することがはばかられたことから、同年六月ころ、被告人Dにその情報を伝えたこと、その後被告人Aは、個人的にMとともに右設備の建設用地を探すなどしていたが、同年一一月ころからは株式会社Nと交渉を続けていたところ、結局、Nが右設備を建設してこれをMの所属する会社に貸すということで話がまとまり、昭和六〇年六月一〇日、E興業がNから輸入セメントの受入、貯蔵等の設備工事一式を代金二億五、〇〇〇万円で請負う旨の契約が成立したこと、そして、NからE興業に前払金として同日ころ五、〇〇〇万円、同年七月二〇日ころ五、〇〇〇万円等が支払われたことが認められ、これらの事実にかんがみると、被告人DからL名義の預金口座に振込まれた前記⑥の三〇〇万円及び⑦の二〇〇万円は、その額及び振込みの時期からみても、右契約が成立して前払金の支払があったことから、被告人Dが被告人Aに対し、右情報の提供等の謝礼として振込んだものであると考えるのが相当であり、また、前記E興業からL名義の預金口座に振込まれた五万円は、被告人Dが被告人Aから一時借りていた金を返したものであることが認められるから、これらの振込金は本件各引き合いの紹介に対する謝礼ではなかったものと考えるのが相当である。

そして、前記①ないし⑤の振込金については、被告人Aの警察官調書(<書証番号略>)には、前記五万円を含めていずれも引き合いの横流しに対する謝礼である旨の供述記載があり、また、被告人Dの検察官調書(<書証番号略>)等には、右五万円以外は、前記⑥、⑦を含む全部が引き合いの紹介を受けたことに対する謝礼である旨の供述記載があるが、被告人らの供述内容が右のとおり異なるうえ、原判示各紹介行為等と各振込金との対応関係が全く明らかでないことや、前記①ないし⑤の振込金は前記輸入セメント関係の工事をE興業が請負えるようにするための被告人Aの活動費等であったという被告人Aの原審及び当審公判供述(同被告人の<書証番号略>の警察官調書にも「お客さんを接待するのにいるんでちょっと送ってくれ」と言って振込んでもらった、との供述記載がある。)、被告人Dの原審公判供述に照らすと、右各供述調書中の振込金に関する供述の信用性には疑問があるといわなければならない。

そうすると、原判決のように、合計六一〇万円の振込金の一部が本件における引き合いの紹介に対する謝礼の意味を有していたと認定するにはなお証拠が十分でないというべきである。

(五)  原判示第二の事実(O産業関係)について

1 関係証拠によると次の事実が認められる。

被告人Aは、昭和六〇年二月二一日ころ、P商事岡山支店で、O産業株式会社代表取締役兼P商事岡山支店嘱託のQと会い、同人から二〇トン・セメントサイロについて、一台買う場合と三台買う場合に分けて見積りするよう求められた。

そこで、同月二三日付けで一台の場合は三六六万円、三台の場合は一台につき三一一万円とする見積書を作って送付したうえ、同年三月一日ころ、Qと会って交渉した。その際、P商事を介在させることによってより安く買おうとのQの考えで、P商事岡山支店のRも立ち会った。そして、Qらから三〇〇万円以下にしてほしいとの要求が出されたのに対し、被告人Aは、三台で九〇〇万円ならばどうか、などと言って交渉を続けたが、結局、Qの方で差し当たってどうしても必要とする一台を三〇〇万円でF製作所が受注することで合意した。そして、さらに残りの二台について、三〇〇万円より安くなる方法はないか、などと言われたため、「E興業のものなら二八〇万円くらいになる。製品も変わらない」などと言ったところ、Rらから「E興業の見積りをF製作所と同じような日付で出してもらってくれ」などと言われた。

そこで、被告人Aは、その日に被告人Dと会い、「二〇トンのサイロ二台の注文が入っている。一台二八〇万円だがやってみるか」などと言って、同年二月二八日に日付を逆上らせた二八〇万円の見積書を代筆してやった。

その後、E興業がP商事から二〇トン・セメントサイロ二台を一台につき二八〇万円で受注した。

2 原判決は、右とほぼ同様の事実を認定したうえで、被告人AがQにE興業を紹介し、同社への発注を勧め、Qの意を受けたRから同社に発注させたことが任務違背行為に当たるとしている。

しかし、原審証人Qは、被告人Aとの交渉で「一台は値段が若干気に入らなかったが発注した」、「三六六万円のものが三〇〇万円に下がればかなりのものだと思ったから、これ以上下げろというのは無理だという感じになった」、「二六〇万円くらいを希望していたが、値切って値切って三〇〇万円まで来た」などと証言しており、さらにF製作所では値下げの限界があると認識したこと、被告人Aは、これ以上まからない、三〇〇万円で買ってくれと懸命に言っていたこと、何とかそこをまけてくれというやり取りを大分したあげくにE興業の話が出て来たことなどを肯定しているのであって、この証言に、被告人Aの見積り提示額三六六万円に対する一五パーセントの最大値引き限度額は三一一万一、〇〇〇円になり、三〇〇万円より下げるとなると右限度額を相当下回ることになることなどの点も併せ考えると、被告人Aとしては、Qらとの交渉経過からみて、残りの二台については一台当たり三〇〇万円では同人らに購入の意思がなく、成約の見込みがないと判断し、自社の受注をやめてE興業を紹介したものであったと認めるのが相当である。

(六)  原判示第三の事実(S関係)について

1 関係証拠によると次の事実が認められる。

被告人Aは、昭和六〇年三月一二日ころ、T工業の代表者Uからセメントサイロの引き合いを受けて同人と会い、カタログを見せて三百五、六十万円になることを説明したところ、支払いは月賦で、まけてほしい、と言われ、月賦では受注できない旨説明し、さらに同月一五日ころ同人に会った際にも同様の説明をしたところ、同人がSに相談してみるとのことで話が終わった。

その後の同年四月一日ころ、株式会社Sの従業員Vからの連絡で、Sの大阪支店で同人と会い、SがT工業から依頼を受けたセメントサイロについて折衝した。その際、Vが価格の交渉とともに、四月二〇日までには納入してほしい旨告げると、被告人Aは、「F製作所のものは四月二〇日までには納められないし、それほど安くもならないが、下請け的存在のE興業のものであれば三〇〇万円くらいになるし、商品も形式、名称は違うが全く同一商品である」などと言って、E興業の電話番号を教えるなどした。

その後、E興業がSから二〇トン・セメントサイロ一台を二八〇万円で受注した。

2 原判決は、右とほぼ同様の事実を認定したうえで、被告人AがVにE興業を紹介し、同社への発注を勧め、Vから同社に発注させたことが任務違背行為に当たるとしている。

そこで検討すると、原審証人Vは、被告人Aと交渉した時の状況について、さらに「Aに『安くしてくれ』と言ったら、Aは、F製作所のものでは納期に間に合わない、金額も三〇〇万円以下にはならないということでE興業の話になった」、「自分の方で三〇〇万円にしろと言った覚えはない」、「E興業の製品であれば三〇〇万円で仕切れるという話が出たのは、Aと会って間もなくだったと思う」などと証言しており、このとおりであるとすれば、売買価格についてのさしたる交渉もないまま、被告人AがE興業を紹介したことになる。

しかし、被告人Aは、捜査および公判を通じ、一貫して「Vからまけてほしいと言われ、三三〇万円までならまけると言ったが、三〇〇万円を切る金額にしてほしいと言われたので、断った」旨供述しており、Vも、他方で「Aが三百五、六十万円だと言ったのに対して、三〇〇万円ほどにまけてくれというふうに言い、それに対してAがF製作所はそこまではまけられない、と言うやり取りがあったことはないか」との質問に対し、「それはあったと思う。(Aとは)初対面だから、商品の説明を受けて、定価、一〇パーセント引きの価格、商社用仕切り価格についての質問から入ったと思うから」とも供述し、さらにF製作所としてはこれ以上は値引きできないという数字が出て、それに対してさらに減額を要求したところ、E興業ならば三〇〇万円で買えるという話になったことなどを肯定しており、これらの供述に、相手から三〇〇万円あるいはそれ以下にしろとの要求がないのに、先走って三〇〇万円以下にはならないと言うのは不自然であること、SとE興業との間では二八〇万円で成約したものであることなどの点を併せ考慮すると、Vの先の証言部分の信用性には疑問があるといわなければならない。

そして、被告人Aの警察官(<書証番号略>)及び検察官(<書証番号略>)調書並びに原審公判供述等によると、同被告人は、Vに「T工業には三百五、六十万円で話をしている」と言ったところ、「自分のところも利益を出さなければならないのでまけてほしい。三〇〇万円を切れないか」などと言われ、当時Sも一見の客という考えであったことから、「三三〇万円より安くはできない」などと言ってVと交渉したものであることなどが認められ、Vの要求額が被告人Aの提示した値引き額を相当下回るものであったことなどの点も併せ考えると、被告人Aとしては、Vの要求振りからみて、精一杯値引きした三三〇万円でも同人に購入の意思がなく、成約の見込みがないと判断し、自社の受注をやめてE興業を紹介したものと認めるのが相当である。

(七)  原判示第四の事実(K興業関係)について

1 関係証拠によると次の事実が認められる。

被告人Aは、昭和六〇年三月四日ころ、かねてから取引のあるK興業株式会社東京支店へ担当者のWを訪ねた際、同人から、同社がXセメントへ納入すべき三〇トン・特殊型セメントサイロ二台の引き合いを受けた。

そして、最初は一台当たり四五八万五、〇〇〇円、次いで三九九万円とする見積書を提出した後の同年四月初めころ、Xセメントの川崎工場で、WとXセメントの担当者が被告人Aを交えて交渉した結果、K興業がXセメントに二台を合計八七〇万円くらいで納入すること及び納期はXセメントの会計年度末とすることが決まり、その日に被告人AとWとの間で、F製作所がK興業から一台当たり三七五万円で二台受注する旨の話がまとまった。

ところが、同月八日ころ、Wから被告人Aに電話した際の話で、被告人Aが、一台しか納められない旨告げたことから、結局、F製作所は一台だけ受注するということになった。

それで、Wは、そのころ、E興業に他の一台を発注した。

2 原判決は、右とほぼ同様の事実(ただし、原判決は、F製作所の受注額が決まったのは、Xセメントでの被告人Aを交えての交渉後、Wが被告人Aと電話で交渉した結果であると認定しているが、被告人Aは捜査段階及び原審公判を通じ、Xセメントへ行った日に決まったと供述しているし、原審証人Wも「Xセメントへ行った時に決めたか、後で電話で決めたか記憶がない」という一方で、「最終金額を決めるために被告人AとXセメントへ行ったものである」と証言していることに照らすと、前記のとおりXセメントへ行った日に決まったものであると認めるのが相当である。)に加えて、「四月八日ころ、Wは、被告人Aに確認の電話を入れたが、被告人Aから納期に間に合わないので一台しか納められないと言われ、何とか二台納めてもらいたいと懇願したものの、結局他の一台の納入を断られたため、理由はよく分からないが造る気がないのではないかと感じ、やむなくE興業に発注することとし、E興業に対し、納期が迫っていることと合わせ、F製作所から受注を断られた旨を話した」などと認定したうえ、被告人AがWに対し、暗にE興業への発注方を勧誘したと判示している。

しかし、Wは、原審公判で「最終的に話が決まったので、金額等をもう一回確認するために電話を入れたところ、最終的にF製作所の方は一台しか納入できないということで、一台は断られた」、「どういう理由で断られたか、はっきり覚えていない」、「納期までには間に合わないから造れない、ということではなかったと思う」、「古いことなのではっきり思い出せないが、納期までには一台しか納められないというようなことで言われたと思う」、「納期とかそういうことで、はっきりは記憶ないが、要するに一台しかできないということだったとしか記憶していない」などと証言しており、右証言によっては、被告人Aが納期に間に合わないので一台しか納められないと言ったものであるとは断定できない。

さらにWは、被告人Aとの電話での話は、「金額的に合わないということではなかった」、「金額をもう少し高くすれば入るという話ではなかったと思う」などと証言しているが、被告人Aは、捜査段階及び原審公判を通じ、一貫して、東京で一台当たり三七五万円で二台受注して帰って来た後、Wから電話で、さらに値段の交渉があって、「それ以上に安くしてくれ」と言われた旨供述しており、さらに原審公判で、Wがそのように言うので、自分は「それなら一台しかやらないよ」と言ったが、それは、そのように言えばWが「そしたら(元の金額で)二台頼む」と言ってくるかなと思ったのだが、Wも「いいわ」と言うので、一台になった、興奮して厳しいやり取りをした、旨供述している。

そして、被告人Aは、この件について被告人Dに何の連絡もしていないことなどの点も併せ考えると、四月八日ころの電話での話の際、被告人Aは、Wから、当初の見積額から大幅に値引きした額で合意したものをさらに値引きするよう求められたため、憤慨するとともに、駆け引きのつもりで、それなら一台しか引き受けないと言ったところ、案に相違して、そのとおりになってしまったものであるとみる余地が多分にあるのであって、被告人Aが、E興業への発注を勧誘する意思でWに対し、一台しか納められない旨告げたものとするには合理的な疑いが残るといわなければならない。

五 以上の次第で、被告人Aが商法四八六条の「取締役」に当たると認めるには証拠が十分でないうえ、原判示第一ないし第三の事実に関しては、同被告人が値引き限度額等からみてF製作所の利益になるような成約の見込みがあると判断しながら敢えて受注をしなかったと認めるにはなお合理的な疑いが残るものといわなければならない。逆に、そのような見込みがないと判断して受注しなかったのであれば、それが任務違背になることはなく、それによりF製作所に損害が生ずることもないというべきである。同被告人が、さらに各相手方にE興業を紹介して同社への発注を勧め、同社に発注させたとしても、それが果たして任務違背となるかどうか、また、そのため将来E興業との競争によりF製作所に受注が減少する等の損害が生ずることになるかどうかについては、当時の業界の需給関係や両社の販路その他の営業の実態、当該顧客の得意先としての有益度等諸般の事情を総合して初めて判明するところであり、その点本件全証拠によっても明らかでない。また、本件訴因における損害は、本件各引き合いについてこれを自社で受注しないことによる逸失利益をいうもので、右のような場合の損害は含まれていない。さらに、原判示第四の事実に関しては、被告人Aがいったん合意していた価格をさらに引き下げるようWから求められた際、話の成り行きから受注が一台だけになるという同被告人の思惑外の結果になってしまった疑いが強く、Wに対しE興業への発注方を勧誘して同社に発注させたとするにはこれまた合理的な疑いがあり、自分やE興業の利益を図る目的があったとは認められないというべきである。

そうすると、被告人Aを有罪とし、被告人Dもその共同正犯として有罪とした原判決は、右の点で事実を誤認したものといわざるを得ず、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

第三  自判

そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従ってさらに次のとおり判決する。

本件各公訴事実の要旨は、原判決の「罪となるべき事実」記載のとおりであるが(ただし、公訴事実では、被告人Aの地位として「営業課長」との記載はなく、原判示第四の事実の逸失利益は「一一〇万円」と記載されている。)、前記のとおり犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法四〇四条、三三六条により被告人両名に対し無罪の言渡しをすることにし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官青木暢茂 裁判官喜久本朝正 裁判官氷室眞)

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