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大阪高等裁判所 平成3年(う)911号 判決 1992年3月11日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人森本宏、同内藤秀文、同山本健司連名作成の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官寺野善圀作成の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は要するに、原判決は、被告人が潜水指導者として北野聡外五名の受講生に対する潜水技術の指導業務に従事し、原判示日時・場所で夜間潜水の指導をしていた際、不用意に受講生らのそばを離れて間もなく受講生らを見失った過失により、北野聡をしてパニック状態に陥らせて溺水させ死亡するに至らせた旨の事実を認定・判示しているところ、被告人にはそのような過失がなく、仮にあったとしてもその過失と北野聡の死亡との間には因果関係がないから、原判決には右過失及び因果関係の認定についていずれも法令の適用に誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録及び証拠物を調査して検討するのに、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人の過失及びその過失と被害者の死亡との間の因果関係がいずれも存したことを含め、原判示事実を優に肯認することができる。その理由は、原判決が「争点に対する補足説明」と題する項で詳細に説示するとおりであって、当裁判所も原判決の右判断を相当として是認するものであるが、以下、原判決の説示の順序に従い、被告人の注意義務及び同違反、因果関係の順に、補足的な検討を加えることとする。

一  被告人の注意義務

所論は、原判決が被告人の注意義務の内容として「各受講生の圧縮空気タンク内の空気残圧量を把握すべく絶えず受講生のそばにいてその動静を注視しなければならない」旨認定しているのに対し、<1>本件の受講生は、PADIのオープン・ウォーター資格者であって、空気残圧量を自分で把握するというバイバーとしての最低限の基本ルールを守れることが当然に予定されていたのであるから、指導者たる被告人には各受講生の空気残圧量を把握する義務はなかった、<2>本件講習はオープン・ウォーター資格者による上の段階のアドバンスト・ウォーター資格取得のためのものであり、指導者としては受講生が自分の後に追従して行動するものと信頼してよいから、原判決認定の注意義務は合理的範囲内において緩やかに解されるべきである、<3>本件講習では三名の指導補助者を六名の受講生に配していたのであり、被告人において、特段の指示を与えなくても自分が先へ進めば指導補助者が受講生を指揮してくれると信頼してよかったから、この点でも右注意義務は緩和されるべきである、とそれぞれ主張して原判決の右認定を争っている。

まず<1>の点については、確かに、本件の受講生六名はいずれもオープン・ウォーターの資格を取得しており、常に自己の空気残圧を頻繁に確認しておくことがスキューバダイビングの際の最も重要かつ基本的な注意事項の一つであることを右資格取得の際に教えられていたものと認められる。しかしながら、原判決が前記補足説明の第一項の(1)で的確に説示するとおり、オープン・ウォーター資格者といってもスキューバダイビングについては未だ初心者の域にあり、右資格取得の際に得た知識や技術を常に生かすことができるとは限らないこと、むしろ受講生が漫然と空気を消費してしまい空気残圧がなくなった際に単独では適切な措置を講ぜられずに溺水する可能性が容易に推測されたこと、ことに本件講習は夜間潜水であり空気消費量が昼間より多くなること、しかも本件被害者の北野は他の受講生に比べて潜水経験が乏しく技術も未熟だったのであり、被告人はそれを把握し北野の空気消費量が他の受講生より多いと認識していたことがそれぞれ認められ、そうすると、北野のような受講生のいる講習を担当する被告人としては、受講生が空気残圧に余裕をもって帰還できるようにそれを常に把握しておく義務があったというべきである。所論主張は、北野ら受講生がオープン・ウォーター資格を取得していたという事実を過大評価して被告人の右義務の存在を否定するものであり、採用できない。

次に<2>の点については、オープン・ウォーター資格者とはいえスキューバダイビングについては未だ初心者の域にあることは前述したとおりであり、しかも本件講習は視界の悪い夜間の海中で行われたのであるから、受講生が指導者たる被告人に確実に追従してくれるとは容易に期待し難い状況にあったというべきであり、それゆえに、被告人としては受講生の注意が自分の方に向いているか否かを確認して移動等を行う必要があったといえるのであるから、所論の被告人において受講生が追従することを信頼してよいとの主張には、左袒できない。

最後に<3>の点については、なるほど、本件講習には園田忠、前田泉及び和田実の三名の指導補助者がつき、二名の受講生ごとに一名ずつが配されていたことは所論指摘のとおりである。しかしながら、関係証拠によれば、右三名はいずれもPADIのダイブマスターの資格を取得したスキューバダイビングの上級者に過ぎず、更に上の段階のアシスタントインストラクターあるいはインストラクターの資格を取得するために本件講習に参加したものであり、講習における指導補助者としての経験は本件が初めてか、あっても極めて浅いものであったこと、いずれも夜間潜水はそれまでに二、三回しかしたことがなかったこと、本件夜間潜水の前に被告人は右三名に対し、各担当の受講生を監視するようにとの一般的な指示を与え、あとは受講生に対する事前の注意・説明の場に同席させただけで、移動等の際における指導者たる被告人との役割分担などにつき具体的な指示を何も与えていなかったことがそれぞれ認められ、これらの事実に照らすと、所論のいうような、被告人において特段の指示なしに自分が先へ進んでも指導補助者が受講生を指導してくれることを信頼してよいといった分業ないし協業の関係が被告人と右三名との間にあったと目することは到底できない。現に、被告人が移動したころの右三名の指導補助者の動きを見ると、原判決が前記補足説明の第一項の(2)で指摘するとおり、園田は受講生とともに逃げた魚の後を追ったりし、また、和田は受講生の動静を注視せずにただ被告人の後を追い、僅かに前田のみが受講生が被告人の動静に気付いていないことを知って被告人を呼び戻そうとしたに過ぎなかったのであり、これらはまさに右の信頼関係の存在しなかったことの証左であるということができる。

以上の次第であるから、原判決の注意義務の認定を争う所論主張はいずれも採用できない。

二  被告人の注意義務違反

所論は、原判決が被告人の過失行為として「不用意に一人その場から移動を開始して、受講生のそばを離れ、間もなく同人らを見失った」旨認定しているのに対し、<1>当時被告人としては受講生の注意が自分に向いていないことを容易に認識し得るような状況にはなかった、<2>被告人の移動は視界内にとどまりその後確認のため後方を振り返ったのであるから、被告人は要求される注意義務を尽くしたといえる、<3>それにもかかわらず被告人が受講生を見失ったのは、海中のうねりという不可抗力と指導補助者園田及び受講生らの沖への移動という過失行為のせいである、などと主張して原判決の右認定を争っている。

まず<1>の点については、原判決が前記補足説明の第一項の(2)で説示するように、関係証拠によれば、被告人は海すずめという魚を捕まえこれを受講生に見せたうえで移動を開始したが、指導補助者の園田や受講生の何人かは逃げた魚を追っていたため被告人の移動に気付かなかったこと、指導補助者の前田は被告人の姿が見えなくなる寸前に受講生が被告人の移動に気付いていないことを知り被告人の後を追ったことの各事実が認められ、これらによれば、被告人としては移動開始の際に受講生らが魚に気を取られて自分の方に注意を向けていないことを容易に認識できたと認められるから、所論主張は採用できない。

次に<2>の点については、所論は、被告人が視界内を移動したことの根拠として、当時の視界は水中ライトを照らして約五メートルであったところ、被告人を呼び戻すために動いた前田は受講生から三、四メートル離れた所で被告人の一、二メートル後を追随していた和田に対し被告人を呼ぶようにとのサインを送ったのであるから、被告人の移動距離は約五メートルになる、ということをあげている。しかしながら、まず、当時の視界については、これが約五メートルであったとする被告人の原審公判供述並びに園田及び和田の各原審証言が存するが、被告人は捜査官に対する各供述調書中では視界が一ないし一・五メートルであったと一貫して供述していること、和田も捜査段階では被告人調書と同旨の供述をなし右は当時の記憶で述べたと証言していること、他方、前田は原審証言で視界が三、四メートルであったと述べ、また、受講生の一人であった稲村ひとみは原審証言で一メートルくらいと述べていることに照らすと、距離の数値が各自の主観的な判断に左右されやすいことを考慮しても、当時の視界が五メートルもあったとすることには疑問があり、この点に関する限り、原判決が約五メートルと認定していることは支持し難い。次に、前田の原審証言によれば、同人は被告人のフィンが視界から消えかかったとき受講生が被告人の移動に気付いていないことを知って被告人の後を追い、三、四メートル移動した所で和田に会い、前方に行った被告人を呼び戻すようにとの合図をしたというのであり、そうすると、被告人の移動距離は少なくとも前田の視界をかなり超えるものであったと認められる。さらに、和田が被告人の一、二メートル後を追随していたとの証拠としては、和田の原審証言が存するが、同証言は、移動距離や前田との出会いについては極めて曖昧であることからして、一、二メートル後を追随していたとの供述もたやすく信用できないといわざるを得ない。以上を総合すると、被告人が視界内を移動したとの所論主張にはにわかに左袒し難く、むしろ、視界を超えて移動したと認めるのが相当というべきである。もっとも、仮に所論主張のとおり被告人の移動が視界内にとどまりその後確認のため後方を振り返ったのであったとしても、夜間の海中で初心者たる受講生から片時でも目を離してそのまま移動を開始すれば、潮流の動きや受講生の動向などの事情により受講生を見失う危険性がやはり存したというべきであり、被告人が注意義務を尽くしたとはいえないとの結論は左右されない。

最後に<3>の点については、確かに、被告人の移動開始の直後くらいに海中のうねりのような流れにより受講生六名及び園田が沖の方に若干流され、その後園田が更に沖に向かって水中移動を行いこれに受講生が追随したことが認められるところ、うねりで流されることがなければ引き返した被告人らと受講生とが間もなく互いに発見できたであろうこと、また、園田及び受講生がうねりで流された直後に潜水前の被告人の指示に従って海上に浮上して待機していれば被告人らと海上で再会できたであろうことは、推測に難くないといい得る。しかしながら、指導者たる被告人が一時でも不用意に夜間の海中で受講生から離れれば、受講生が被告人とはぐれてしまい、その後適切な措置をとれずに、被告人と再会できないまま漫然とタンク内の空気を消費して溺水し死亡するに至るおそれのあったことは、当時の状況からして被告人には十分予見可能なことであったと認められる。そして、実際には北野の死亡に至るまでは原判決が前記補足説明の第二項で説示するとおりの経過をたどったことが認められるけれども、この点は被告人の過失行為と被害者の死亡との間の因果関係の有無の問題として取り上げられることは別論として、右予見可能性が肯定される以上過失犯の成立を左右するものではないというべきである。

被告人の注意義務違反につき所論が主張するその他の点を検討しても、原判決の認定を疑わせる事情はなく、結局、原判決の注意義務違反の認定を争う所論主張はいずれも採用できない。

三  因果関係

所論は、原判決が被告人の過失行為と被害者北野の死亡との間の因果関係を肯認しているのに対し、<1>被告人が北野ら受講生を見失ったのは、前述の海中のうねりのような流れのせいで起こった異常事態であり、これが後の園田及び受講生の過失を誘発したものである、<2>園田には、被告人とはぐれた直後に沖への水中移動を行い、さらにその後北野の空気残圧が少なくなっていることを確認していながら、水中移動で復路を戻ろうとした過失があり、これらは常識的に考えられない異常な行為である、<3>北野も、海中での空気残圧が零となるような状態を漫然と迎えた等の過失があり、初級者であってもダイバーとしての常識から逸脱したものである、との各点を指摘して、北野の死亡はこれらの異常な介在事情が重畳的に生じたために起こったものであって、被告人が受講生のそばを離れたことと本件事故との間の因果関係は存在しない、と主張する。

まず<1>の点については、被告人の移動開始の直後くらいに海中にうねりのような流れが生じて受講生六名及び園田が沖の方に若干流されたことは、前項でも述べたとおりであるが、関係証拠によれば、被告人が受講生らから離れた地点は外海の影響を比較的受け難い湾の中の入江付近であったとはいえ、そのような海域でも水面を吹く風や潮の干満などが原因となって水面下に潮流が生じ得ること、ことに本件当日は当該地域に大雨・洪水・雷・強風波浪注意報が出ていたのであって降雨が続き風速四メートル前後の風が吹き続けていたことの各事実が認められ、これらによれば、右地点付近でもダイバーが海中で潮流にまきこまれることは十分予測し得ることであったというべきであり、そうすると、受講生らがうねりによって流されたのは突発的ではあったものの決して異常な事態であったとはいえない。そして、そのような事態が起こり得るからこそ、指導者たる被告人は片時でも不用意に受講生のそばから離れてはならなかったのであり、被告人が受講生らを見失ったのは、右の不用意な行為が重要な原因となったものといわざるを得ない。

次に<2>及び<3>の点については、確かに、所論指摘のとおり、指導補助者園田及び被害者北野の各過失行為が介在し、それらが死亡事故の結果発生に直結していると認められるけれども、原判決が前記補足説明の第二項(及び第一項)で説示するように、夜間潜水で指導者とはぐれてしまうことにより、園田及び北野のようなそれぞれ指導補助者あるいは初級ダイバーとしての経験が不十分で技術の未熟な者の過失が生じることは十分あり得ることで、所論のいうように各過失行為が常識から逸脱した異常なものであるとはいえない。また、被告人と受講生らがはぐれたのは前述のとおり被告人が不用意に受講生らのそばを離れたことが重要な原因となっており、園田及び北野の各過失行為は結局は被告人の過失行為に誘発され連鎖的に生じたものということができる。そうすると、右両名の過失行為の介在も、被告人の過失行為と北野の死亡との因果関係の存在を否定する理由とはなし得ない。

本件の因果関係につき所論が主張するその他の点を検討しても、原判決の判断を疑わせる事情はなく、以上を総合すると、因果関係の存在を争う所論主張は採用できない。

結論として、原判決の法令適用の誤りをいう所論主張はいずれも採用することができず、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条を適用して主文のとおり判決する。

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