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大阪高等裁判所 平成3年(ネ)2391号 判決 1992年10月30日

控訴人 国

代理人 小久保孝雄 廣瀬幸博 ほか五名

被控訴人 江田快児 ほか二名

主文

一  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  被控訴人江田快児は控訴人に対し、原判決の仮執行宣言に基づく給付の返還及び損害賠償として金七〇〇一万五〇二〇円及びこれに対する平成四年一月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  控訴人のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

六  この判決は、第三項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  主文第一、二項及び第五項と同旨

2  被控訴人江田快児は控訴人に対し、原判決の仮執行宣言に基づく給付の返還及び損害賠償として金七〇〇一万五〇二〇円及びこれに対する平成三年一〇月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  前項につき仮執行宣言

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被控訴人江田快児(昭和三一年一月三一日生、以下「被控訴人快児」という。)は、昭和五七年四月一日奈良少年刑務所補導部補導課に法務事務官看守として採用され、後記の本件事故当時、初任者研修を兼ねて同課第二部で実務に従事していたが、昭和六〇年一二月三一日付で退職した。

被控訴人江田安平(以下「被控訴人安平」という。)は被控訴人快児の父、被控訴人江田美智子(以下「被控訴人美智子」という。)は母である。

2  本件事故の発生

昭和五八年一月二七日午前八時五〇分頃、同刑務所内の畳敷きの武道場において、補導課第二部昼夜勤務職員に対する護身術訓練が行われることとなったところ、右訓練の指導担当者であった同課警備係看守部長小野隆司(以下「小野」という。)は、訓練生に相撲を取らせることとしたので、これに参加していた被控訴人快児も同僚の訴外川口信也(以下「川口」という。)と対戦することになった。

小野の合図で立ち上がった同被控訴人と川口は、右四つの体勢になって揉み合ううち、被控訴人快児の頭が川口の右脇の下に入ったが、同人が同被控訴人の帯を掴んで脇を固めたため、被控訴人快児の頭は川口の脇の下に固定されて抜けない状態になった。このような状態で、同被控訴人がとっさに目の前にあった川口の右足に外掛けの技をかけたところ、同人が右にうっちゃるような体勢で後方に倒れたため、被控訴人快児も頭が川口の右脇の下に挟まれたままの状態で同人に重なるようにして倒れ、頭部を畳に激突させた。その結果、頸髄損傷、第六頸椎骨折の傷害を負うにいたった(以下「本件事故」という。)。

3  治療の経過等

被控訴人快児は、右の傷害及び併発した神経因性膀胱、慢性腎盂腎炎の治療のため、本件事故の日から昭和五八年二月七日まで奈良県立救命救急センターに、右同日から同年四月一九日まで県立奈良病院(整形外科)に、右同日から同年七月二五日まで星ケ丘厚生年金病院に、右同日から昭和五九年三月三〇日まで高の原中央病院に、右同日から同年九月五日まで県立奈良病院(泌尿器科)に入院した。また、合併症の化骨摘除手術を受けるため、昭和六〇年四月一五日から同年六月三日まで県立奈良病院(整形外科)に入院した。

この間の昭和五八年七月一三日、症状固定となったが、四肢、躯幹麻痺の後遺障害のため、車椅子による日常生活は可能であるものの、常時の介助が必要であり、一日の五〇パーセント以上は就床している状態である。また、排尿にも介助が必要であり、尿路管理等のため定期的に通院しなければならない状況にある。これらの点からみて、後遺障害の程度は、労働災害身体障害等級表の等級第一級に該当するというべきである。

4  控訴人の責任

(一) 安全配慮義務違反による責任

控訴人は、奈良少年刑務所職員である被控訴人快児の生命、身体及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負うものであるところ、本件事故は、以下のとおり控訴人が右安全配慮義務を怠ったために発生したものであるから、これによって被った損害を賠償すべき義務がある。

(1) 安全規定の不備

護身術訓練は事故発生の危険を伴うものであるから、これを実施するについては安全規定が整備されていなければならない。ところが、奈良少年刑務所では、護身術訓練要領は制定されているものの、きわめて簡略なものであって、安全規定としては甚だ不十分である。すなわち、警察庁の術科訓練安全管理要綱基準に基づいて制定された奈良県警察術科訓練要綱においては、詳細な安全管理基準が定められていて、術科訓練に伴う事故防止に必要な措置をとるよう指示されているのであって、このような奈良県警察の安全規定と対比すると、奈良少年刑務所の右訓練要領はないに等しいようなものである。しかも、護身術等の訓練についての矯正局長通牒には、訓練実施にあたっては、実施に先だって充分な準備運動を行うことと規定されているのに、奈良少年刑務所の右要領には「充分」の語句が欠落している。このことからも、奈良少年刑務所の事故防止のための安全規定は不備といわざるをえない。

(2) 指導監督体制の不備

刑務所長は、生命身体に危険の伴う護身術訓練について適切な指導計画を作成させ、それに基づいて適切な指導がなされるよう、指導担当者を常に指導、監督する義務があるというべきところ、奈良少年刑務所では、所長がこれを指導担当者に任せきりにし、状況に応じて適切な指導監督をするような体制にはなっていなかった。

(3) 履行補助者としての小野の安全配慮義務違反

<1> 被控訴人快児ら訓練生は夜勤明けのため疲労困憊しており、ことに勤務経験の浅い同被控訴人の疲労度は高かったから、奈良少年刑務所長の履行補助者として訓練生の安全について配慮すべき立場にあった小野としては、厳寒の中、このような状態にあった被控訴人快児ら訓練生に、当日の訓練計画にも入っておらず、また事故発生の危険性の高い相撲のような競技をそもそもさせるべきではなかったのである。しかるに小野は、このような配慮を怠り、相撲を取らせるようなことをしてしまった。

<2> 仮に相撲を取らせること自体が安全配慮義務に違反することにはならないとしても、その実施にあたっては、十分な準備体操をさせ、服装もそれに相応しい身体を動かし易いものにさせ、対戦相手との体格差や武道の経験の有無等をも考慮し、相撲によって生じうる危険についても十分注意を与えるべきであり、また、対戦中に危険な状態になったときは直ちにこれを制止して事故の発生に至らないように配慮し、万一事故が生じたときは速やかに適切な救急措置を取るべきであった。ところが小野は、四分程度の準備運動しかさせず、ズボンを着用したままカッターシャツの上に柔道衣の上衣を着用させるという動きの悪い服装で、対戦相手の体格差等を考慮せず(川口は、身長において八センチメートル、体重において九キログラム被控訴人快児より優り、剣道の経験もあった。)、しかも、なんらの注意を与えることもなく相撲競技を実施した。また、対戦中、被控訴人快児の頭が川口の右脇の下に挟まれ、そのまま倒れると頭部や頸部に重大な傷害が生じる危険な体勢になったときもこれを制止しなかった。さらに、事故後においても、同被控訴人が救急車を呼ぶよう要請したのに、救急車を呼ばずに奈良少年刑務所の官用車で病院に搬送したばかりでなく、その搬送の仕方も、戸板のような平らなしっかりしたものに毛布を敷き、頭部を固定して運ぶのではなく、道場の畳一枚に寝かせて運ぶなど、事故発生後の救急措置もきわめて不適切であった。

(二) 国家賠償法一条一項に基づく責任

右(一)(3)の履行補助者としての小野の安全配慮義務違反は、同人の職務を執行するについての過失にも当たるというべきであるから、控訴人は、国家賠償法一条一項により、本件事故によって被った被控訴人らの損害を賠償すべき義務がある。

(三) 民法七一五条に基づく責任

小野にはその職務を行うについて前記のような過失があるから、同人の使用者である控訴人は民法七一五条により、本件事故によって被った被控訴人らの損害を賠償すべき義務がある。

5  損害

(被控訴人快児)

(一) 付添看護費 九四一一万〇六二二円

本件事故による傷害及び後遺障害のため、被控訴人快児は、入院中はもとより退院後においても、終生職業的付添看護婦によるのと同等以上の付添看護が必要な状態となったものであるところ、職業看護婦の付添費は一日当たり九八六八円であるから、その額は、昭和五八年分(二月七日から)が三二三万六七〇四円、同五九年及び六〇年分が各三六〇万一八二〇円、同六一年一月一日以降の分が八三六七万〇二七八円(平均余命四五・九年分の合計額から中間利息を控除して求めた昭和六一年一月時点の現価。)、以上の合計九四一一万〇六二二円となる。

(二) 療養雑費  一四三〇万五四二五円

被控訴人快児は、入院中に引き続き将来にわたって療養生活に必要な諸雑費として一日一五〇〇円の支出を余儀なくされているところ、その額は、昭和六〇年分が一五八万七〇〇〇円、昭和六一年以降の分が一二七一万八四二五円(前同様にして求めた昭和六一年一月時点の現価。)、その合計一三〇万五四二五円(編注・一三〇万は一四三〇万の誤りか)となる。

(三) 特別出費       二六六万円

(1) 家屋改造費

自宅で療養生活をするために、玄関前の階段をスロープにしたほか、部屋、風呂、便所を改造し、計六六万円を支出した。

(2) 身体障害者用自動車購入費

右自動車は四肢、躯幹麻痺の身体障害者となった被控訴人快児の交通手段としてどうしても必要なものであり、その購入費用は二〇〇万円である。

(四) 逸失利益  九一〇〇万三七三八円

被控訴人快児は本件事故当時二六歳の健康な男子であり、本件事故がなければあと四一年は就労可能であったところ、本件事故によって労働能力を一〇〇パーセント喪失し、収入を得ることができなくなった。本件事故当時の同被控訴人の平均給与は月額二五万〇五二〇円(手当五万円を含む)、平均賞与は年額一一三万五九四二円(右平均給与額から右手当分を差し引いた二〇万〇五二〇円に、その三パーセントの調整手当を加えた二〇万六五三五円の五・五か月分)であり、したがって、同被控訴人の収入の年額は、右平均給与額の一二か月分と右賞与の合計四一四万二一八二円となるので、本件事故当時の現価は九一〇〇万三七三八円である(新ホフマン係数二一・九七)。

(五) 慰謝料       二五〇〇万円

被控訴人快児の傷害及び後遺障害の程度等にかんがみ、本件事故によって同被控訴人の受けた肉体的精神的苦痛を慰謝すべき慰謝料の額は二五〇〇万円を下らないというべきである。

(六) 損害の補填  二五五万〇九二〇円

看護料として控訴人から二五五万〇九二〇円の支払を受けた。

(七) 弁護士費用     一二〇〇万円

被控訴人快児は、弁護士である被控訴人ら訴訟代理人に本訴の提起を委任し、大阪弁護士会報酬規定による着手金及び報酬として各六〇〇万円、合計一二〇〇万円の支払を約した。

(被控訴人安平、同美智子)

(八) 慰謝料       各七五〇万円

被控訴人快児の父母である被控訴人安平及び同美智子は、本件事故により、被控訴人快児が生命を害された場合にも比肩すべき精神的苦痛を受けたので、この苦痛に対する慰謝料は各金七五〇万円を下らない。

(九) 被控訴人安平及び同美智子は、弁護士である被控訴人ら訴訟代理人に本訴の提起を委任し、大阪弁護士会報酬規定による着手金及び報酬として各五〇万円、合計各一〇〇万円の支払を約した。

6  よって、前期4の控訴人の責任に基づき、控訴人に対し、被控訴人快児は前項(一)ないし(五)と(七)の損害の合計から(六)の補填額を控除した二億四二五二万八八六五円の内金二億一七五七万二二一九円とこれに対する本件事故の日である昭和五八年一月二七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、被控訴人安平及び同美智子は前項(八)と(九)の合計各八五〇万円とこれに対する右同日から支払ずみまで右同割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は事故の態様の点を除いて認める。被控訴人快児が頭部を川口の右脇の下に押しつけるようにして帯を両手で引きつけたため、同被控訴人の頭部が川口の右脇の下に入って同人の身体が伸びきった状態になったところ、同人がいわゆる外掛けの技で川口を後方に押し倒そうとしたため、川口の右脇の下に入っていた同被控訴人の頭部が同部分にさらに密着し、そのままの体勢で倒れて頭部を畳に打ちつける結果となったものである。したがって、本件事故はむしろ、被控訴人快児が無理な体勢からあえて外掛けのような技をかけたために生じたものというべきである。

3  同3のうち、入通院の経過は認める。被控訴人快児の現在の症状、後遺障害の内容及び程度については知らない。症状固定の日は昭和五九年一〇月二六日である。

4  同4(一)のうち、控訴人が一般的に職員の生命、身体等を危険から保護すべき義務を負っていること自体は争わないが、本件事故は控訴人が右の義務を怠ったことによって生じたものではない。

(1) 同(一)(1)について

奈良少年刑務所の護身術訓練要領がきわめて簡略で安全規定として不十分であることは否認する。仮に簡略とみられるとしても、矯正護身術と逮捕術とではこれを活用する状況(相手方が被収容者か否か、凶器所持の可能性の有無等)や目的が異なるから、訓練自体の危険性も異なるし、また、被控訴人ら主張の警察における逮捕術訓練要綱の内容は、矯正局長通牒や所長指示に採り入れられていたり、訓練担当者として当然了知し、現実に実施したりしているものであるから、規定が簡略であるからといって、安全規定が不備であるとはいえない。また、右矯正局長通牒と所長指示は重複的に遵守すべきものであり、両者があいまって、訓練の前後には「充分」準備運動・整理運動を行うべきことを定めているものであるから、所長指示に「充分な」との語句がないからといって事故防止の規定が不備であるということもできない。

(2) 同(一)(2)について

奈良少年刑務所長が護身術訓練について指導担当者に任せきりにし、適切な指導、監督をしなかったとの点は否認する。同所長は、昭和五五年八月に矯正研修所大阪支所で行われた「護身術指導担当者研修」を終了し、矯正護身術上級に合格して矯正護身術指導者の資格を取得していた小野を護身術訓練担当者に任命し、右訓練の指導に当たらせていた。また、小野に対し、一か月ごとに護身術訓練計画表を作成させ、訓練が過重にならず計画的かつ安全に実施できるよう指導監督するとともに、右訓練の実施にあたっては、時に応じて補導課長等の上司に訓練の現場に立会わせて小野に対する指導監督にあたらせ、右訓練計画表や武道日誌を通じて訓練の実施状況についても報告を受けていた。

(3) 同(一)(3)について

<1> 小野が訓練生に相撲を取らせたこと自体が安全配慮義務に違反するとの点は否認する。小野は、護身術訓練の実施にあたり、柔軟体操その他の準備運動を約七、八分かけて行わせたのち、なお訓練生の身体が十分温まっていないと判断し、身体を温めるために相撲を取らせようとしたのであるが、相撲というスポーツはわが国では子供のころから誰でも親しんでいるものであり、中学校でも身体の発達が十分といえない中学生に相撲を取らせることが正規の体育授業に採り入れられているくらいであって、他のスポーツに比べて特に高い危険性を持つものとは考えられていないから、相撲を取らせたこと自体が安全配慮義務に違反するということはありえない。

また、被控訴人快児ら訓練生に夜勤明けの疲労が残っていたことは否定しえないものの、事故前日の午後五時三〇分からその翌日の午前七時三〇分までの間には四時間三〇分の仮眠時間と合計三時間の休憩、休息、待機時間が設けられていたのであるから、被控訴人快児らが疲労困憊の状態にあったようなことはないし、同被控訴人は、入所以来本件事故の日まで六五回の夜間勤務を経験していて十分これに慣れており、勤務経験が浅いために疲労度が高かったということもない。現に同被控訴人からはそのような申し出もなかったのであるから、夜勤明けの疲労を根拠に安全配慮義務に違反したものということもできない。

<2> 小野が訓練生にズボンを着たままカッターシャツのうえに柔道衣の上衣を着用する服装で相撲をさせたこと、川口の身長体重、被控訴人快児の頭が川口の右脇の下に入ったときに小野が二人の相撲を制止しなかったこと、事故後、同被控訴人をその主張のような方法で病院に搬送したこと(ただし、畳に乗せて運んだのは武道場の玄関までである。)は認めるが、そのような事実があるからといって、小野が安全配慮義務に違反したということはできない。

訓練生に右のような服装をさせたのは、厳寒期であることを考慮して、着替える際に身体が冷えないように配慮したためである。また、小野は、実施に先だって準備運動をさせ、訓練生に対しても「危険な体勢をとったり無理をしたりしないように、危険な状態になったら力を抜くように。」と申し渡して注意を与えていたものである。さらに小野は、相撲が行われている間は競技者のすぐ側に立って危険な行為があればすぐに制止できるように注視していたが、被控訴人快児と川口の取り組みに要した時間が約一五秒程度で、その間の動きが連続したものであるうえ、同被控訴人が頭を川口の右脇の下につけてから倒れるまではほんの一瞬間であって、本件事故は瞬時の出来事であったのであるから、これを制止して事故の発生を回避することは全く不可能であった。このほか、事故後、被控訴人快児を官用車で病院に搬送したのは、救急車を呼んで運んでもらうよりも官用車で近くの救急病院に搬送する方が早いと判断したからであり、搬送にあたっても、医務室の准看護士が付添い、同被控訴人の頭と首と体が一直線になるような姿勢を保つよう十分な注意をしていたのであるから、事故後の措置においても不適切な点はなかった。

5  同4(二)(三)について

右4(3)のとおりであるとすると、小野には、その職務の執行についてなんら過失がなかったことになるから、控訴人に責任はない。

6  同5は、(六)の事実(損害の補填)については認めるが、その余は争う。

被控訴人快児に対して、昭和五八年二月から退職した六〇年一二月までの間に給与として五七一万〇四四七円が支給されているので、この間の逸失利益は生じていない。

また、国家公務員災害補償法に基づく福祉施設として一二六〇万〇九〇〇円が支払われているので、慰謝料の額を定めるにあたってはこの点も斟酌されるべきである。

三  抗弁

1  損害の補填

控訴人は被控訴人快児に対し、請求原因5(六)の看護料のほかに、国家公務員災害補償法に基づく障害補償年金(三一一万四七二〇円)及び障害補償年金前払一時金(四二七万六八〇〇円)の合計七三九万一五二〇円を支払った。

2  過失相殺

仮に控訴人に本件事故について責任があるとしても、小野において前記のような注意を与えたのにかかわらず、被控訴人快児が川口の右脇下に頭を入れて自ら危険な体勢をつくり、かつ、そのような体勢のまま川口を外掛けで押し倒そうとした点において同被控訴人にも過失があるから、同被控訴人の損害額の算定にあたってはその過失を斟酌して相当額の減額がされるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  被控訴人快児が抗弁1の金員の支払を受けたことは認める。

2  同2の事実は否認する。被控訴人快児としては小野の指示どおり相撲を取っただけであり、また、外掛けの技も特に危険なものではないから、同被控訴人にはなんらの落ち度もない。

五  仮執行宣言に基づく給付返還等の請求について

(控訴人)

被控訴人快児は平成三年一〇月二五日、原判決の仮執行宣言に基づいて七〇〇一万五〇二〇円の支払を受けた。

よって、被控訴人快児に対し、民訴法一九八条二項に基づいて、右給付金とこれに対する平成三年一〇月二六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による利息の支払を求める。

第三証拠<略>

理由

一  請求原因1の事実(当事者)及び同2の事実(本件事故の発生)のうち、昭和五八年一月二七日午前八時五〇分頃、奈良少年刑務所内の畳敷きの武道場において補導部補導課第二部昼夜勤務職員に対する護身術訓練が行われたこと、右訓練の指導担当者であった小野が訓練生に相撲を取らせたこと、その際、被控訴人快児が川口と対戦し、その競技中に川口の右脇の下に頭を挟まれたままの状態で倒れ、頭部を畳に打ちつけて頸髄損傷、第六頸椎骨折の傷害を負ったこと、同3の事実(治療の経過等)のうち、同被控訴人が奈良県立救命救急センター等の病院で右傷害及びこれによって併発した神経因性膀胱、慢性腎盂腎炎の治療を受けたこと及び入通院の経過については当事者間に争いがない。

二  そこで次に、本件事故にいたる経緯及びその態様について検討するに、<証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  被控訴人快児は、本件事故の前日である昭和五八年一月二六日の午前八時二〇分から事故当日の午前九時までの昼夜勤務(ただし、このうち前日の午前九時二〇分までと事故当日の午前七時二〇分以降は超過勤務時間)に就き、本件事故当日は夜勤明けの非番日(勤務を要しない日)となっていたが、予め作成されていた月間計画表に基づいて被控訴人快児ら補導課第二部昼夜勤務職員一五名に対して護身術訓練が実施されることになっていた(ただし、訓練に参加したのは、風邪気味であった一名と用務のあった一名を除く一三名である。)。

2  小野は、いつもは訓練生を柔道衣に着替えさせて訓練をさせていたが、当日は気温が低かったことや立ち技だけの訓練を予定していたことなどから、訓練生に制服の上衣、ネクタイ及び靴だけを脱がせ、ズボンは着用したままカッターシャツの上に柔道衣の上衣を着用させて訓練を行うこととし、午前八時五〇分ころから七、八分かけて準備運動として柔軟体操を行わせた。しかし、気温が低かったためなお訓練生の身体が十分温まっていないと考え、準備運動の続きとして相撲を取らせることとした。そこで、全員に対し、危険な体勢をとったり無理なことをしたりしないように、もし危険な状態になったら力を抜くようにとの趣旨の注意を与えたうえ、畳敷の武道場に柔道帯で直径約三・五メートルの輪をつくって土俵の代わりとし、その中で身長の低い者から順に勝ち抜き戦の方法で相撲を取らせ(被控訴人快児はこの際、二度対戦した。)、さらに、ABの二組に分けて組対抗戦をさせたが、この対戦においては取り組みの順番について特に指示をせず、各組に任せた。

3  被控訴人快児はA組の最後(六番目)にB組の川口と対戦することになり、小野の合図で立ち上がって互いに柔道衣の袖を取って押し合ううち、相互に相手の帯を掴んで右下手左上手のいわゆる右四つの体勢となり、そのまま押し合いながら右回りに少し回ったが、その際、被控訴人快児がその頭部を川口の右肩下に押しあて、同人の帯を引きつけるようにしながら押して出たため、川口の右脇の下に被控訴人快児の頭が入り込み、川口の身体は伸びきった状態となった。そのとき、被控訴人快児がとっさに左足で川口の右足を外側から掛けて外掛けの技をしかけたため、川口は仰向けに倒れ、被控訴人快児も、頭が川口の脇の下に挟まったままの状態で、川口に重なるようにしてその場に倒れ込んだ。その際、同被控訴人は頭部を畳の床に強打し、かくして本件事故が発生するにいたった(この点は当事者間に争いがない。)。

4  なお、被控訴人快児と川口の取り組みが始まってから同被控訴人転倒するまでの所要時間は一〇秒から一五秒程度であった。また、被控訴人快児は身長が一・七メートル、体重が五九キログラム、川口は身長が一・七八メートル、体重が六八キログラムであり、身長体重とも川口が被控訴人快児に優っていた。

三  控訴人の責任の存否

1  被控訴人らは、控訴人には本件事故につき被控訴人快児に対する安全配慮義務違反に基づく責任、国家賠償法一条及び民法七一五条に基づく各責任があると主張するところ、安全配慮義務違反の具体的事由として主張するもののうち履行補助者としての小野の義務違反(請求原因4(一)(3))と、国家賠償補償法一条及び民法七一五条に基づく責任を基礎づけるものとして主張する小野の過失とは、実質的には同一のものとみられるので、以下、この点(小野の過失の有無)について検討する。

(一)  まず、小野が訓練生に相撲を取らせたこと自体に過失があるかどうかについて考えるに、相撲が全身の力を瞬発的に集中させる競技で柔軟性と敏捷性が必要とされ、競技中に競技者が怪我をすることもありうるものであることはこれを否定することができないので、相撲を取らせれば訓練生が傷害を受けることになるかもしれないことは、小野においても抽象的には予見が可能であったといわざるをえない。しかしながら、わが国においては、相撲は古くから国技といわれ、子供のときから日常の遊びの中に採り入れられたり、地域社会の催し等の行事や学校教育の体育にも採用されたりするなど、広く一般社会に親まれている競技であるばかりでなく(<証拠略>によれば、同被控訴人も小学生時に相撲大会に参加したことがある。)、他のスポーツ競技と比べて特に事故発生の危険性の高い競技であるとはいえないし、社会通念としても一般に危険なスポーツ競技とは考えられていないのが実情である(以上の点は公知の事実であるということができる。)。このような点から考えると、護身術訓練の開始に際して小野が訓練生の身体をさらに温めるために訓練生に相撲を取らせることを思いついて実施したからといって、訓練の方法・内容の選択について指導担当者の有する裁量の範囲を逸脱した不当な方法・内容を採用したものとはとうていいうことができず、また、訓練生に相撲を取らせると競技中に傷害を受ける者が現実に出てくるであろうことを具体的に予見することが可能であるということも困難であるというよりほかはない。

もっとも、本件護身術訓練が被控訴人快児らの夜勤が明けたばかりの、しかも気温の低い冬の朝に行われたことは前記認定のとおりであるけれども、そのような状況にあったというだけでは直ちに、相撲を取らせることにしたことが右裁量の範囲を逸脱した不当な選択となり、また、事故発生が具体的に予見可能となるものということはできないばかりでなく、<証拠略>によれば、昼夜勤務中の午後五時三〇分から翌日の午前七時三〇分までの間に、四時間三〇分の仮眠時間と合計三〇時間の休憩、休息、待機時間が設けられていること(原審における被控訴人快児本人尋問の結果によれば、同被控訴人が属していたA班の事故前夜の仮眠時間は午前一時から五時三〇分までであったと認められる。)、<証拠略>によれば、同被控訴人は、本件事故当日までに、矯正研修所の初等科研修に参加した三か月(昭和五七年七月六日から同年九月八日まで)を除いて、三日に一日の割合で合計六八回の昼夜勤務を経験していたこと、本件訓練に際して担当者に特に体の不調等を訴えたようなことはなかったことがそれぞれ認められるのであって、これらの事実からすれば、本件事故当日、被控訴人快児が疲労困憊していて、同被控訴人に相撲を取らせることが危険であると考えられるような状態にあったものとは到底認めることができないので、右の状況から小野の過失を肯認することはできず、他に小野が護身術訓練の開始に際して相撲を取らせることとしたこと自体に過失があったことを肯定すべき事情はなんら見当たらない。

(二)  そこで次に、相撲競技を行わせるに際して小野のとった措置に過失があったかどうかについて検討することとする。

小野が護身術訓練のための準備運動として被控訴人快児ら訓練生に七、八分かけて柔軟体操をさせ、危険な体勢をとったり、無理なことをしたりしないように、などと注意を与えたうえで相撲競技を実施させたものであることは前記認定のとおりであるから、準備運動、注意喚起の点に関して安全配慮義務違反ないし過失があったということはできない。

また、小野が被控訴人快児ら訓練生にズボンを着用したまま、カッターシャツの上に柔道衣の上衣を着用した服装で相撲を取らせたことは当事者間に争いがなく、この服装では柔道衣だけを着用した場合と比較して体の動きが制約されることは否定することができないけれども、そのために相撲の過程で事故が発生すべきことを予測させるほどの制約とはとうてい考えられないばかりでなく、小野が訓練生にそのような服装をさせたのは、寒冷期であることから、訓練生の身体が冷えないように配慮したためであることが認められる(<証拠略>)ので、この点において安全配慮に欠け、過失があったということはできない。さらに、組対抗戦では体格、体力の近似した者を対戦相手とする等の指示をすることなく、適宜相手を決めて対戦させたこと、被控訴人快児と対戦相手の川口とでは身長、体重において川口の方が優っていたことは控訴人において明らかに争わないところであるが、事故の発生を予測させるほどの体格上、体力上大きな差異があったものとはとうてい認められないので、この点についても小野の措置が安全配慮に欠け、過失があったものということはできない。

さらにまた、被控訴人快児の頭部が川口の右脇の下に挟まれるような姿勢になった時に小野が二人の相撲を制止しなかったことは当事者間に争いがないが、それが長くても十数秒程度の間における連続した動きの中の出来事であり、その後の展開も急速なものであって、本件事故がいわば瞬間のうちに生じたものであることは前記認定のとおりであるから、このような状況において、小野が両者の間に割って入って相撲を中止させることが事実上可能であったと認めることはきわめて困難といわざるをえず、この点においても同人に安全配慮に欠け、過失があったものということはできない。このほか、被控訴人快児が救急車でなくて官用車で病院に搬送されたことは当事者間に争いがないが、これは、消防署や救急病院までの位置関係から、救急車を利用するよりも官用車を使用した方がより早く手当てが受けられると判断したことによるものであり、また、搬送に当たっては准看護士の資格を有する医務課の職員が付き添ったことが認められる(<証拠略>)ので、事故後の右救急措置に落ち度があったとは認められない。

これを要するに、被控訴人快児ら訓練生に相撲を取らせることになった後の小野の措置についても、安全配慮義務に違反し、過失と評価されるような点はなんら存在しなかったといわなければならない。

2  次に、その余の安全配慮義務違反の主張について検討する。

(一)  安全規定不備の主張(請求原因4(一))について

<証拠略>によれば、奈良少年刑務所では、矯正局長通牒(<証拠略>)及び、これを受けて制定された「武道及び護身術訓練について」と題する訓練要領(昭和五七年五月一〇日付奈良少年刑務所長指示、<証拠略>)に基づいて護身術訓練が実施されていることが認められるところ、右の訓練要領が、警察長の術科訓練安全管理要綱基準(<証拠略>)に基づいて制定されたとみられる奈良県警察術科訓練要綱(<証拠略>)における逮捕術訓練についての詳細な安全管理基準と比べて、甚だ簡略なものであることは否定できないが、矯正護身術訓練と警察の逮捕術訓練とではその目的も対象の危険性も異なることは事柄の性格上明らかであるから、奈良少年刑務所の訓練要領が右のように簡略であるからといって、直ちに安全規定が不備であるということはできないばかりでなく、右訓練要領が簡略であったために本件事故が発生したものと認めることもできないから、いずれの点からしても、右の主張を採用することはできない。

(二)  訓練指導担当者に対する指導監督体制不備の主張(請求原因4(一)(2))について

<証拠略>によれば、奈良少年刑務所では、護身術指導担当者研修を終了し、かつ、矯正保護護身術術技検定規則に基づく護身術検定の上級(基本技術及び応用技に習熟し十分な応用能力をそなえ、かつ指導能力を体得した者)に合格した者の中から訓練指導担当者が任命されることになっていること、小野は昭和五五年八月に右研修を受けて右検定の上級に合格し、同年九月一日、奈良少年刑務所長から護身術訓練指導担当者に任命された者であることがそれぞれ認められ、また、<証拠略>によれば、訓練は月毎に作成される訓練計画表に基づいて実施され、所長はその原案を小野に作成させていたが、同人の上司である警備隊長、補導課長、補導部長等を経て最終的に所長が決裁し、事後においても書面(日誌)による報告を受けて訓練の実施状況を把握することができるようになっていたこと、そのほか、適宜、補導課長等が訓練に立ち会っていたことがそれぞれ認められるので、所長が、護身術訓練を小野ひとりに任せきりにしてその指導監督を怠っていたということはできない。

もっとも、右証拠によれば、右訓練計画表や日誌には準備運動の内容等についてまで具体的に記載されてはいなかったことが認められるが、準備運動としてどのようなものを採り入れるか等の細目については訓練指導担当者の裁量に委ねられているものというべきであるから、訓練計画表や日誌に準備運動の内容が具体的に記載されていないからといって、その点から護身術訓練について所長の指導監督に欠けるところがあったということができないことはいうまでもない。

このほか、訓練指導担当者に対する指導監督体制に不備があり、訓練生の安全に配慮すべき義務に違反したことを肯認すべき事情を認めるに足りる証拠は見当たらない。

3  以上のとおりであるとすると、結局、本件事故について控訴人に安全配慮義務違反があったということはできず、また、小野にその職務の執行について過失があったということもできない。証拠によれば、本件事故により被控訴人快児が重い傷害を受け、重篤な後遺障害に苦しんでいることが窺われるけれども、控訴人に安全配慮義務の違反があることが認められず、小野の過失も肯認することができない以上、被控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないというよりほかはない。

四  控訴人の仮執行宣言に基づく給付返還等請求について

被控訴人快児が平成三年一〇月二五日、原判決の仮執行宣言に基づいて七〇〇一万五〇二〇円の支払を受けたことについては、同被控訴人において明らかに争わないところ、右判決は後記のとおり取り消されるべきものであるから、右金員とこれに対する本件控訴状送達の日の翌日である平成四年一月二五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による利息の支払を求める控訴人の請求は理由があるが、その余は失当として棄却すべきである。

五  よって、原判決のうち、被控訴人らの請求を一部認容した部分は失当であり本件控訴は理由があるから、原判決中の控訴人敗訴部分を取り消して右部分の本訴請求を棄却し、民訴法一九八条二項により控訴人の前項の請求を認容し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原弘道 野村利夫 岡原剛)

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