大判例

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大阪高等裁判所 平成3年(ネ)2485号 判決 1994年2月25日

控訴人

東洋紡績株式会社

右代表者代表取締役

瀧澤三郎

控訴人

株式会社東洋紡医薬

右代表者代表取締役

柴田稔

控訴人ら訴訟代理人弁護士

板井一瓏

高木茂太市

右輔佐人弁理士

安達光雄

被控訴人

ジェネンテック・インコーポレイテッド

右代表者

ステファン・レインズ

右訴訟代理人弁護士

品川澄雄

吉利靖雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの連帯負担とする。

事実及び理由

控訴人らは、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当裁判所も、被控訴人の本訴請求は理由があるものと判断する。事案の概要、控訴人らの主張、被控訴人の主張及び当裁判所の判断は、次葉以下のとおりである。

引用する特許法は、平成五年法律第二六号による改正前のもの(本件口頭弁論終結時ないし本件発明の特許出願手続時に施行されていたもの)を指す。

次葉以下は横書のため、一体として逆綴じとした。<編注:本誌では全て縦書とした>

事案の概要

第一被控訴人の権利

被控訴人は、次の特許権(本件特許権)を有する。

(注) 争いがない。

○ 発明の名称 組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子

○ 出願日 昭和五八年五月六日(特願昭五八―七九二〇五)

○ 優先権主張

(1)  一九八二年(昭和五七年)五月五日 米国特許出願第三七四八六〇号

(2)  一九八二年(昭和五七年)七月一四日 米国特許出願第三九八〇〇三号

(3)  一九八三年(昭和五八年)四月七日 米国特許出願第四八三〇五二号

の各アメリカ合衆国特許出願に基づく優先権主張

(注) 以下、(1)を「米国第一特許出願」、(2)を「米国第二特許出願」、(3)を「米国第三特許出願」と表記する。

○ 出願公告日 昭和六二年四月一五日(特公昭六二―一六九三一)

○ 特許登録日 平成三年一月三一日

○ 登録番号 第一五九九○八二号

○ 特許請求の範囲(本件特許請求の範囲)

「1 ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する、以下の特性:

1) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する

2) フィブリン結合能を有する

3) ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す

4) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する

5) 一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る

を有する、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子であって、以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる活性化因子:

(注) 特許請求の範囲には、ここに上記の「以下の」に対応する第一審(原審)の大阪地裁判決別紙目録(四)のとおりのアミノ酸配列が記載されている。

2 ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、以下の特性:

1) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する

2) フィブリン結合能を有する

3) ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す

4) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する

5) 一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る

を有し、以下の部分的アミノ酸配列:

(注) 特許請求の範囲には、ここに上記の「以下の」に対応する第一審判決別紙目録(四)のとおりのアミノ酸配列が記載されている。

を含んでいる組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を産生させ、次いで該組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を回収することを特徴とする、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の製造方法。

3 ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する、以下の特性:

1) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する

2) フィブリン結合能を有する

3) ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す

4) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する

5) 一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る

を有し、以下の部分的アミノ酸配列:

(注) 特許請求の範囲には、ここに上記の「以下の」に対応する第一審判決別紙目録(四)のとおりのアミノ酸配列が記載されている。

を含み、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の治療上有効量を、薬剤上許容し得るキャリヤーと混合して含有する血栓症治療剤。」

第二本件発明の補正の推移

(注) 以下、本件特許請求の範囲の一〜三項の発明を総称して「本件発明」と、各項の発明を「本件第一発明」などと表記する。願書添付図面を「本件特許明細書図面」のような通称に従って表記することがある。

本件発明について特許をすべき旨の査定があった時点の明細書及び図面の記載内容は、特許出願公告公報に掲載の明細書及び図面の記載内容に、昭和六三年一二月一五日付け手続補正書(特許異議答弁書提出時。<書証番号略>)及び平成二年七月五日付け手続補正書(拒絶査定不服審判請求時。<書証番号略>)による補正がされたものである。

補正箇所は、発明の名称「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」が「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」と補正されているほか、第一審判決別紙特許公報訂正箇所指摘書の直線で四角に囲った箇所であり、補正の内容は同書の「訂正後」欄に記載のとおりであり、補正後の本件特許明細書の第五A〜C図は、第一審判決別紙目録(五)記載のとおりである。

(注) <書証番号略>。

第三本件発明の概要

1  本件特許請求の範囲第一項の発明(本件第一発明)は、「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」という物の発明であり、第二項の発明(本件第二発明)は、組換DNA技術を用いて「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」を製造する方法の発明であり、第三項の発明(本件第三発明)は、「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」を有効成分とする血栓症治療剤の発明であり、医薬の発明である。

「組換」とは組換DNA技術を用いて得られるということであり、「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」とは、ヒト(人)の持っている組織プラスミノーゲン活性化因子産生の遺伝子に由来する組織プラスミノーゲン活性化因子であるということであるから、結局、本件発明は、組換DNA技術を用いて得られるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に関する三つの発明から成る。

2  組換DNA技術とは、例えば、ヒト細胞の持っているインシュリンやインターフェロンなどの有用物質を効率的に人体外で量産する場合に応用される技術であって、遺伝子組換技術ともいい、有用物質生産のための遺伝情報(DNA断片)を組み込んだベクター(目的とする遺伝情報を持つDNA断片の運び屋として用いられるもので、プラスミドもその一種)を増殖能の大きい大腸菌や酵母等の宿主細胞に導入して形質転換し、形質転換宿主細胞を培養して有用物質を産生させ、かくして生産された有用物質を培養培地及び宿主細胞から分離回収する技術である。

(注) 本件特許公報五欄六〜一七行、<書証番号略>、弁論の全趣旨。

3 ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子は、「ヒトt―PA」又は「t―PA」と略称されるが、これは、Tissue Plasminogen Activatorの略語であり、ヒトの血液中において、プラスミンの前駆体たるプラスミノーゲンに働きかけてプラスミノーゲンに変換し、このプラスミンが血栓(血管内で繊維素〔フィブリン〕という難溶性の蛋白質が集まって不溶性の繊維素網を作ることによって生じる凝血塊)を形成している繊維素を溶解して、繊維素網を除去することによって血栓症を治癒させるという機能(繊維素溶解能)を有するプラスミノーゲン活性化因子の一種である。

(注) 本件特許公報三欄三行〜四欄一八行、<書証番号略>、弁論の全趣旨。

4  t―PAは、蛋白質の一種である。蛋白質は二〇種類のα―アミノ酸(アミノ基〔NH2〕とカルボキシル基〔COOH〕が同一炭素原子〔C〕に結合していることを共通の構造とするアミノ酸)から構成されている。蛋白質は、α―アミノ酸がペプチド結合(NH-CO)によって長く鎖状につながった構造であり、蛋白質を構成している各アミノ酸部分をアミノ酸残基と呼ぶ。二〇種類のα―アミノ酸は、それぞれ、三文字記号又は一文字記号の略字を用いて表示される。

α―アミノ酸の略語表

Asp D アスパラギン酸  Gly G グリシン  Ile I イソロイシン  Lys K リジン  Thr T スレオニン  Ala A アラニン  Leu L ロイシン  Arg R アルギニン  Ser S セリン  Cys C システイン  Tyr Y チロシン  Trp W トリプトファン  Glu E グルタミン酸  Val V バリン  Phe F フェニルアラニン  Gln Q グルタミン  Pro P プロリン  Met M メチオニン  His H ヒスチジン  Asn N アスパラギン

どのような順序で、どのようなアミノ酸残基がどれほど結合しているか(蛋白質の一次構造)は、各蛋白質ごとに異なるが、蛋白質のアミノ酸配列は、通常、アミノ末端(ペプチド結合せずにアミノ基が残っている端で、「N末端」又は「5'末端」と略称される)から始まり、カルボキシル末端(ペプチド結合せずにカルボキシル基が残っている端で、「C末端」又は「3'末端」と略称される)で終わる順序で示され、アミノ酸残基には順次番号が付される。

本件特許明細書第五A〜C図(第一審判決別紙目録(五))には、全長t―PAのcDNAのヌクレオチド(塩基―糖―リン酸と結び付いた単位。核酸の構成単位)の配列が、塩基の記号(シトシンが「C」、チミンが「T」、アデニンが「A」、グアニンが「G」)を用いて示されるとともに、上記ヌクレオチド配列(塩基配列)から推定される産生物のアミノ酸配列が三文字記号を用いて示されている。そして、各アミノ酸残基の三文字記号の下には、それに対応する遺伝情報であるt―PAのDNAを構成する各コドン(三つの塩基の組合せから成る遺伝暗号の一単位)が示されており、その中に、N末端がセリン(SER)で始まりC末端がプロリン(PRO)で終わる五二七個のアミノ酸残基から成る完全なt―PAに対応するヌクレオチド配列及びそれから推定されるそのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)が示されている。また、本件特許明細書第一二図には、本件全長アミノ酸配列から成る全長t―PAの構造概略図が、一文字記号を用いて示されている。したがって、本件特許請求の範囲各項に共通の「以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる」とは、第一審判決別紙目録(五)記載のアミノ酸配列のうち、六九番のセリンから五二七番のプロリンまでの「部分的アミノ酸配列」(本件部分的アミノ酸配列)を含んでいるということである。

(注) 本件特許公報七欄三五〜三八行、二一欄二〇行〜二二欄三三行、三七欄一三行〜三八欄一六行、五四欄一〜一二行、六〇欄八〜一〇行、第四図、第一二図、<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

5  特許請求の範囲各項に共通の五つの特性

(1)  「プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する」(特性①)

特性①は、血液中のプラスミノーゲンがプラスミンに変換することを促進することによって、プラスミンが、血栓を形成している繊維素を溶解するのを増強する生理活性、すなわち生体内の化学変化を円滑にするための触媒作用を行う能力(触媒能)を有することを意味する。

(注) <書証番号略>、弁論の全趣旨。

(2)  「フィブリン結合能を有する」(特性②)

血栓の生じている部位(フィブリン=繊維素が沈着している箇所)においては高濃度で、それ以外の箇所では低濃度であるという生理活性、すなわちフィブリンに対し高度の親和性(結合能)を有することが、特性②である。

(注) <書証番号略>、弁論の全趣旨。

(3)  「ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す」(特性③)

ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞が産生したt―PA(天然t―PA)をヒト以外の動物に加えると、異物として侵入した天然t―PAを排除しようとして、生体内に天然t―PAに特異的に結合する抗体が生じる。特性③は、このような抗体に対して抗原として作用する(特異的に反応を起こす)性質、すなわち天然t―PAと同様の生理活性を有するということである。

(注) <書証番号略>、弁論の全趣旨。

ボーズメラノーマ細胞とは、ボーズという患者のメラノーマ(黒色腫)から得られた細胞由来の細胞を意味する。

天然t―PAとは、本件発明の組換DNA技術によることなくヒト細胞が産生したt―PAを指す。

(4)  「クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する」(特性④)

クリングル領域は、第一審判決別紙目録(五)の第五A〜C図記載の九二番のシステイン(CYS)から一七三番のシステインまでと、一八〇番のシステインから二六一番のシステインまでの各八二個のアミノ酸配列から形成される。t―PAがフィブリンと結合する作用に関与する領域である。

セリンプロテアーゼ領域は、同図記載の二七六番のイソロイシン(ILE)から五二七番のプロリン(PRO)までの二五二個のアミノ酸配列を含む。t―PAがプラスミノーゲンをプラスミンに変換する作用に関与する領域である。

特性④は、このクリングル領域とセリンプロテアーゼ領域を含んでいるということである。

(注) 本件特許公報八欄七〜一一行、九欄一二〜一八行、五三欄四二〜四四行、五四欄一三〜三八行、第一二図、<書証番号略>、弁論の全趣旨。

(5)  「一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る」(特性⑤)

アミノ酸が長く鎖状につながった構造(一本鎖)が、環境の条件いかんによっては、第一審判決別紙目録(五)の第五A〜C図記載の二七五番のアルギニン(ARG)と二七六番のイソロイシン(ILE)との間(本件特許公報第一二図に矢印で示された箇所)の結合が酵素の作用によって切れて二本鎖に分かれることがある(ただし、二本鎖に分解開裂してもジスフィルド〔S―S〕結合〔同図記載のCとCの間、すなわちシステインとシステインとの間に太線で示された箇所〕による架橋により両方の鎖は結合しているから、二つの分子に分かれるわけではない)。

そこで、特性⑤は、本件発明のt―PAには、一本鎖構造又は二本鎖構造の二つの存在形態があることを意味する。

(注) 本件特許公報八欄四四行〜九欄一二行、五四欄一〜一二行、第一二図、<書証番号略>、弁論の全趣旨。

6  「ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する」(条件①)

これは、本件発明のt―PAの産生に使用する宿主細胞は、ヒト以外の生物の細胞に限ることを意味する。

(注) 争いがない。

7  「ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」(条件②)

これは、組換DNA技術で製造(産生)したt―PAであることを意味するとともに、DNA組換工程において、t―PAの産生に関与するヒトの遺伝情報たるDNA断片を使用するのみで、宿主細胞はもちろんその余の工程においても、ヒト細胞以外の細胞・遺伝子を用いて産生されたt―PAであるがゆえに、ヒト由来の他のタンパクを含まないことを意味する。

(注) 争いがない。

8  特許請求の範囲第二項の「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、……次いで該組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を回収することを特徴とする、」

これは、条件①と同じ意味、すなわち組換DNA技術により、t―PAの遺伝情報を持っているヒトt―PAのDNAを導入して形質転換されたヒト以外の宿主細胞を用いて本件第一発明のt―PAを産生するために必要な基本的な製造工程を明記したものである。

(注) <書証番号略>、弁論の全趣旨。

第四控訴人らの行為(2以外は争いがない)

1  控訴人東洋紡績(株)は、米国法人インテグレイテッド・ジェネティックス・インコーポレイテッドから組換DNA技術の導入を受け、業として第一審判決別紙目録(一)記載の方法(イ号方法)を用いて同目録(二)記載のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子(イ号物件)を製造し、これを販売すること及び第一審判決別紙目録(三)記載の血栓症治療用製剤(イ号製剤)を製造、販売することを企図して、滋賀県堅田の研究所内に細胞培養パイロットプラントと無菌製剤施設を建設し、第一製薬(株)と共同開発契約を締結し、昭和六〇年一二月ころには、同社の協力を得て、イ号物件について薬事法に基づく血栓症治療剤としての製造承認の申請に必要な第一相臨床試験を、その後第二相臨床試験をそれぞれ実施し、平成元年四月には、イ号製剤について薬事法に基づく製造承認の申請をした。

2  控訴人東洋紡績(株)は、第一製薬(株)とイ号製剤の販売契約を締結しており、同社を発売元とし「プラスミナー」との商品名でイ号製剤を販売するとの宣伝活動をしている。

(注) <書証番号略>、弁論の全趣旨。

3  (株)東洋紡バイオテックは、バイオテクノロジーの研究開発を主たる目的の一つとして、昭和六〇年一〇月一日に設立された控訴人東洋紡績(株)の子会社であった。

(株)東洋紡バイオテックは、控訴人東洋紡績(株)と共同して、業としてイ号方法を用いてイ号物件を製造し、これを販売すること及びイ号製剤を製造、販売することを企図し、組換DNA技術を利用するに当たって医薬品等の品質及び製造上の安全性を確保させるために厚生省の定めた指針に基づいて、製造に利用する設備、装置並びにその運営管理方法等(製造計画)が該指針に適合していることの確認を厚生大臣に申請した。申請を審議した厚生省中央薬事審議会は昭和六二年三月二五日、厚生大臣に対して、確認申請に係る製造計画が、前記指針に適合する旨の答申をした。(株)東洋紡バイオテックが製造計画において、製造に利用しようとする設備、装置は前記一のパイロットプラントである。

(株)東洋紡バイオテックは、平成元年一月三〇日、控訴人(株)東洋紡医薬に合併し、解散した。これにより、控訴人(株)東洋紡医薬は(株)東洋紡バイオテックの権利義務一切を包括承継した。

第五被控訴人の請求及び第一審判決

被控訴人は、

本件第二発明の特許権に基づいて、

「控訴人らは、イ号方法を用いて、イ号物件を製造し、販売し、販売のために宣伝、広告してはならない。」との判決、

本件第三発明の特許権に基づいて、

「控訴人らは、イ号製剤を製造し、販売し、販売のために宣伝、広告してはならない。」との判決、

特許法一〇〇条二項の規定に基づいて、

「控訴人らは、その所有するイ号物件及びイ号製剤を廃棄せよ。」との判決

を求め、第一審判決は被控訴人の請求を認容した。

控訴人らの主張

第一発明未完成

1  発現例

本件特許明細書には、本件発明のt―PAの発現例として、次の三種の蛋白質が記載されている。

発現例①(実施例E.1.G)

本件特許明細書の第五図(第一審判決別紙目録(五))記載のアミノ酸配列のうち、六九番から五二七番までのアミノ酸配列(本件部分的アミノ酸配列)を有する蛋白質をコードする遺伝子を組み込んだ発現プラスミド「p△RIPA。」を用いた大腸菌由来の蛋白質。

(注) ここで、「第五図」と表記するのは、「第五A〜C図」を指す。米国特許出願明細書についても同様。以下同様。

発現例②(実施例E.1.1)

第一審判決別紙目録(五)記載のアミノ酸配列のうち、一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)を有する蛋白質をコードする遺伝子を組み込んだ発現プラスミド「pt―PAtrp12」を用いた大腸菌由来の蛋白質。

発現例③(実施例E.2.B及びE.3.B。前者を「発現例③A」とし、後者を「発現例③B」とする)

第一審判決別紙目録(五)記載のアミノ酸配列のうち、一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)を有する蛋白質をコードする遺伝子を組み込んだ発現プラスミド「pETPER」又は「pETPER」を用いたCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)由来の蛋白質。

2  しかしながら、次の理由により、この三種の発現例はいずれも本件発明のt―PAの発現(創製)例とは認められない。

発現例①は、もともと米国第一特許出願明細書に唯一の発現例として開示されていたものである。ところが、後記第二の2(優先権主張の不許の主張の項)記載のとおりアミノ酸配列を記載した米国第一特許出願明細書第五図と本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))とではアミノ酸配列のうち一七五番、一七八番及び一九一番の三箇所に相違があり、米国第一特許出願明細書に発現例として記載されていた蛋白質は、本件部分的アミノ酸配列と三箇所においてアミノ酸残基が相違する別物質である。したがって、発現例①は、第一優先権主張(米国第一特許出願)日である一九八二年(昭和五七年)五月五日当時、本件特許請求の範囲で特定する本件部分的アミノ酸配列を有する蛋白質として実際に創製されたものとは認められない。

発現例②については、被控訴人自身、米国特許明細書のフィブリンプレートアッセイの結果を示す第一〇図の説明文に関して、「発現プラスミドpt―PAtrp12によるものではなく、これとは異なった別のプラスミドによる結果を示すものである。」として、米国特許明細書から削除するに至った(<書証番号略>)。したがって、この削除、訂正後の米国特許明細書第一〇図の説明文にある「t―PA発現ベクター」が、依然として「発現プラスミドpt―PAtrp12」であるはずはなく、実際に創製されたものでないことは明らかである。

発現例③については、発現ベクターの構築に欠陥があり、論理上五二七個のアミノ酸配列から成る本件全長t―PAを発現することはできず、本件特許明細書に示す発現例というのは架空のものであって、本件特許出願(昭和五八年五月六日)当時ですら実際に創製されていなかった。

仮に発現例①〜③が実際に創製されていたとしても、三種の発現例についてはいずれも、「五つの特性」(特性①〜⑤)をすべて具備することの実験的確認はされていない。

第二新規性、進歩性の欠如

本件発明は新規性、進歩性を欠如し、特許無効の審判を受けるべき事由がある。

1  米国第一特許出願時からみた場合

1・1 本件特許請求の範囲各項に記載された五つの特性(生理活性及び化学構造)は、第一優先権主張(米国第一特許出願)日である一九八二年(昭和五七年)五月五日以前にボーズメラノーマ細胞由来のものとして取得され既に公知のものである天然t―PAが具備している特性と同じである。また、t―PAをヒト以外の宿主細胞を用いて組換DNA技術で取得するという製造方法も既に優先権主張日前に公知になっていた。さらに、優先権主張日前、公知の天然t―PAは実際に血栓症患者に投与され治療効果のあることが認識されていた。

したがって、本件特許請求の範囲に記載された三つの発明は新規性がない。

1・2<書証番号略>(European Journal of Biochemistry Vol.121/1982)所収の

”Messenger RNA for Human Tis-sue Plasminogen Activator”「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対するメッセンジャーRNA」

と題する報文には、アフリカツメガエルの卵母細胞が産生したヒト細胞以外の細胞が付与した糖鎖を有するt―PAについての発表があり、これは本件発明の米国第一特許出願以前のものである。ボーズメラノーマ細胞が産生する天然t―PAも公知であった(<書証番号略>)。

t―PA蛋白質という物質についてみれば、組換DNA技術によるか否かは、その産生方法とは関係のないことである。ヒト細胞以外の細胞から産生させたヒト細胞以外の細胞が付与した糖鎖を有するt―PAが本件発明出願前に取得されているt―PA蛋白質であるという事実は動かない。

<書証番号略>には、アフリカツメガエルの卵母細胞が産生したt―PAについて、三種類の確認試験(フィブリン平板検定法によるフィブリン溶解活性試験、ボーズメラノーマ細胞のt―PAに対する抗体との免疫反応試験及び免疫沈降法により分離精製したt―PAの分子量測定試験)により、これがt―PAであることの同定を行っている。特に、このt―PAについて、それを免疫沈降法により分離精製し、その分子量を測定し七〇、〇〇〇であると確認している。このt―PAは、ヒト細胞以外の細胞(真核細胞)が産生したものなので、当然にヒト細胞以外の細胞が作る糖鎖を持ったものである。本件発明のt―PA(本件第一発明)は、ヒト細胞以外の細胞が産生するがゆえに、ヒト細胞の作る糖鎖と異なるという被控訴人の主張に従えば、<書証番号略>に記載のt―PAも、ヒト細胞が作る糖鎖とは異なった糖鎖を持つものであり、両者はこの点で全く区別できない。

1・3 被控訴人は、<書証番号略>では実際にt―PAが取得されたわけではないと主張し、その理由として、次の(a)〜(c)を挙げている。

(a)  アフリカツメガエルの卵母細胞中でのin vitro翻訳では、そのmRNAはある程度精製されているとはいえ、他のmRNAとの混合物として翻訳に付されているので、産生しているものは混合蛋白である。

(b)  またそれは電気泳動により分離されているが単離されてはいない。

(c)  この方法では、量的にいってt―PAを単離精製することは不可能である。

(a)の点であるが、<書証番号略>に記載されているアフリカツメガエルの卵母細胞が産生したt―PAは、卵母細胞中に注入されたmRNAがt―PA mRNAを含む混合mRNAであることから、その翻訳産生物自体は混合蛋白であるとはいいながら、この翻訳産生物に抗t―PA抗体を添加して免疫沈降法によりt―PAを他の蛋白質から分離精製し、かつその分子量が約七〇、〇〇〇であることも、電気泳動法により確認している。

(b)の点であるが、<書証番号略>の記載において分離と単離を区別する実益はない。分離されたものの中にt―PAが存在するかどうか分からないというのであれば、分離されたということのみではt―PAが取得されたというに不十分かもしれない。しかし、<書証番号略>においてはフィブリン溶解活性と抗t―PA抗体と免疫反応をする分子量が約七〇、〇〇〇であるt―PAが確実に存在していることを確認しているから、t―PAが取得されたというに十分である。

(c)の点であるが、仮に<書証番号略>で産生されたt―PAの量が工業的に利用できるほどの量でないとしても、<書証番号略>において実際にt―PAが取得されたことは否定しようがない。

1・4 本件特許の発明者は、nature誌(Vo1.301.1983.1.20発行。<書証番号略>)において、ボーズメラノーマ細胞由来のmRNA画分のウサギ網状赤血球溶液系中におけるin vitro翻訳により得られた翻訳生成物について、この翻訳生成物をt―PA特異的IgGにより免疫沈降させ、SDS―ポリアクリルアミドゲル電気泳動によって分子量が約六三、〇〇〇として観察されるポリペプチドをt―PAであると認めている。<書証番号略>に記載の翻訳生成物に対するこのt―PAの確認試験は、<書証番号略>に記載のアフリカツメガエルの卵母細胞産生翻訳産物に対するt―PA確認試験と全く同一である。このことからも、<書証番号略>記載の翻訳生成物がt―PAであることは疑う余地がない。

1・5 被控訴人は、本件第一発明について、「ヒト細胞以外の宿主細胞の産生するt―PAは、ヒトのメラノーマ細胞から採取された、天然t―PAとは糖鎖を異にする。」と述べる。被控訴人は、本件第一発明のt―PAと天然t―PAとは化学構造を異にする別物質であると主張するが、アミノ酸配列は両者同一なので、化学構造を異にするとは、糖鎖構造を異にすることにほかならない。しかしながら、本件特許明細書には、ヒト細胞以外の宿主細胞の産生するt―PAがどのような糖鎖構造を有するのかの記載がないし、そのt―PAとヒトのメラノーマ細胞から採取された天然t―PAとで、糖鎖構造にどのような相違があるかについての記載もない。本件特許明細書には、本件発明のt―PAの糖鎖構造も、天然t―PAの糖鎖構造についての記載もないのであり、まして、両者を比較して具体的にグリコシル化された状態がどのように異なるかの記載は全くない。

更に加えて、本件特許明細書には、本件第一発明物質が、公知の天然t―PAと比較してどのような点において優れているのかの記載もない。

1・6 被控訴人は、「糖蛋白質の糖鎖の構造は、用いられる真核細胞の種いかんによって同一ではない」との主張の根拠として、<書証番号略>の池中鑑定書を引用する。しかしながら、池中鑑定書の記述は、糖蛋白質の糖鎖構造には、種及び/又は臓器にそれぞれ固有の糖鎖構造が付与されることを示しているだけであって、糖蛋白質の糖鎖の構造が用いられる真核細胞の種いかんによって同一でないことを示すものではない。しかも、被控訴人がいくつかの実証が引用されていると述べている同鑑定書における実証とは、γ―グルタミルトランスフェラーゼという酵素について、ラット由来のものとウシ由来のものとでは糖鎖構造が異なっているというただ一例のみにすぎない。このような一例をもって、被控訴人がいうような一般化はできない。

そもそも、t―PAは酵素の一種であり、本件第一発明のt―PAと公知天然t―PAとの、物質としての同一性は、酵素の同一性の判断基準に従って判断されるべきである。

また、本件特許請求の範囲にはt―PAの糖鎖構造について何らの規定がない。

そうすると、本件特許請求の範囲には本件第一発明のt―PAを新規物質として特徴付ける要件は存在せず、本件第一発明のt―PAは本件特許出願前公知の物質であり、新規性を欠如している。

仮に、本件第一発明がヒト細胞以外の宿主細胞により産生されるがゆえにヒト細胞が産生する天然t―PAと糖鎖構造の点で相違しているとしても、本件第一発明のt―PAは、ヒト細胞以外の細胞であるアフリカツメガエルの卵母細胞が産生した<書証番号略>の公知t―PAと区別できず、新規性を欠如していることに変わりはない。

1・7 本件特許明細書には、本件第一発明のt―PAが公知天然t―PAに対して物質としていかなる点で進歩性を有しているのかの記載がない。

特許庁は、公知化学物質と化学構造が類似している化学物質発明に進歩性があるとされるには、次の(a)又は(b)のいずれかに該当することが必要であるとしている(「物質特許制度に関する運用基準」)。

(a) その化学物質が、予測できない特有な性質を有する。

(b) その性質の程度が著しく優れている。

ところが、本件第一発明のt―PAが有している性質として、本件特許明細書中に記載のあるのは、特性①の触媒能と特性③の抗体との免疫反応という二つの性質である。これら二つの性質は、いずれも公知天然t―PAが有している性質として知られていたのであるから、化学物質発明の進歩性要件として要請される(a)及び(b)の要件についての開示、立証がないことになる。

なお、遺伝子組換技術により製造したという点があるが、化学物質における製造方法の特徴は、本来その化学物質の属性とは別個のものであり、製法上の特徴として捉えるべきものであって、そのことのみで、化学物質として進歩性があるということはできない(特許庁の「物質特許制度及び多項制に関する運用基準」〔<書証番号略>〕)。

米国でも、たとえ遺伝子組換技術という新しい製造法で作ったとしても、得られた蛋白質(組換蛋白質)が公知蛋白質に比べて予測できない性質を有することが立証されていない限り、組換蛋白質という物の発明に特許は付与されていない(Gray事件の米国特許庁の審決)。

特許庁の「物質特許制度及び多項制に関する運用基準」の「特―一二頁」「Ⅳ 化学物質発明の成立性」の項の2〔注〕欄には、「その化学物質の製造方法が微生物を利用する場合のみであって、その微生物が容易に入手できないものであるときは、出願前その微生物の寄託を必要とする。」と明記し、「微生物を利用して製造される化学物質」も運用基準にいう化学物質として取り扱うことを明確にしている。

1・8 本件第二発明の細胞培養方法の特定の欠如

特許請求の範囲第二項の発明の対象が細胞培養にあるというのであれば、特許性があるとする細胞培養方法を明確に特定して記載しなければならないのに、本件特許請求の範囲第二項には、その記載がない。

そもそも、組換DNA技術に基づいて物を製造する方法を示す本件第二発明では、宿主細胞としていかなる細胞を選択し、かつその宿主細胞から形質転換宿主細胞を得るためにいかなる塩基配列を持ったDNAを組み込んだ発現プラスミドを用いるかということが最も重要な必須不可欠な要件なのに、本件第二発明ではこの点の記載を欠如している。

1・9 本件第二発明の新規性、進歩性の欠如

特許請求の範囲第二項は、組換DNA技術を用いてt―PAを製造する方法の発明を記載している。物の製造方法の発明は、出発物質、処理手段及び目的物の三要素から成り立っている。本件第二発明の目的物は本件第一発明のt―PAそのものであり、新規性も進歩性もない。そこで本件第二発明の方法的要件が問題となるが、その要件は、「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子(t―PA)をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、本件第一発明のt―PA(目的物)を産生させ、次いで該t―PAを回収すること」である。この要件は、本件特許出願前から、組換DNA技術を用いて目的物たる蛋白質を製造する場合に共通してよく知られている基本的製造工程で、常套手段にすぎない。

組換DNA技術により目的とする蛋白質を製造取得する場合に最も重要な事項は、形質転換宿主細胞を出発物質として使用するのに、いかなる塩基配列を持ったDNAを導入するかという点にある。しかるに、本件特許請求の範囲第二項では、このDNAの塩基配列が明確に特定されておらず、単に「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードするDNA」とだけ特定されている。

このような要件では、「t―PAの遺伝子を組み込んだ発現プラスミドを大腸菌(すなわち、ヒト細胞以外の宿主細胞)中に導入して遺伝子組換技術によりt―PAを大量生産すること」を記載した<書証番号略>に記載の公知技術と変わりはない。

特許庁審査官は、t―PAを遺伝子組換技術により製造する本件発明の技術的困難性として、t―PA遺伝子のクローニングの困難性を挙げている。しかしながら、本件第二発明では、t―PA遺伝子のクローニング自体は必須構成要件となっていないので、この判断は的外れである。

1・10 被控訴人は、本件第二発明が対象としている形質転換された宿主細胞を取得するためには、t―PAcDNAのクローニングの成功が必要であったことを強調する。しかし、いかなる技術的手段によってt―PAcDNAのクローニングに成功したかという技術的手段が、本件第二発明の必須構成要件とされていなければならない。本件第二発明では、単に「ヒトt―PAをコードしているDNA」という抽象的、包括的な記載となっているにすぎず、被控訴人主張の点をもってしては、本件第二発明の新規性、進歩性を肯定することはできない。

1・11 本件第三発明の特許性欠如

本件第三発明の製剤が、天然t―PAを用いた公知の血栓症治療剤(<書証番号略>)に比べて、血栓治療剤としていかなる点において優れているのか、本件特許明細書に記載がない。したがって、本件第三発明には、新規医薬品としての特許性はない。

t―PAを血栓症治療剤として用いることは、<書証番号略>により、本件特許出願前公知であった。本件特許明細書には、本件第一発明のt―PAを培養液から単離、精製したという記載もなく、また本件第一発明のt―PAを血栓治療剤として用いたという実施例の記載もない。もとより、公知の本件第一発明のt―PAを用いる血栓症治療剤の発明である本件第三発明が、天然t―PAを用いる公知の血栓症治療剤に比べ、どの点で優れているのか、本件特許明細書では明らかでない。

2  第一、第二優先権主張の不許

2・1 米国第一、第二特許出願の各明細書第五A〜C図のアミノ酸配列と、米国第三特許出願明細書第五A〜C図及び本件特許明細書第五A〜C図(第一審判決別紙目録(五))のアミノ酸配列とを比較すると、第一審判決別紙対照表記載のとおり、本件部分的アミノ酸配列に含まれる一七五番、一七八番、一九一番のアミノ酸をコードするDNAのコドンにおける塩基が、それぞれ一個ずつ違っている。

その結果、米国第一、第二特許出願の各明細書第五図と米国第三特許出願明細書第五図及び本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))におけるアミノ酸配列は、一七五番、一七八番及び一九一番の計三箇所において相違する。これは、米国第三特許出願の際にアミノ酸配列が変更されたことによるものである。アミノ酸配列はt―PAの骨格をなすので、この変更により、t―PA、すなわちDNAの実体が変更されたことになり、本件発明につき、第一、第二優先権を主張することは許されない。

そうすると、被控訴人が主張できるのは第三優先権のみとなるが、第三優先権主張(米国第三特許出願)日以前である一九八三年(昭和五八年)一月二〇日発行のnature誌(Vol.301<書証番号略>)に掲載された、本件発明者らの「ヒト組織型プラスミノーゲン活性化因子cDNAのクローニングと大腸菌における発現」と題する報文(<書証番号略>)により、本件発明の内容は既に公知となっていたから、第三優先権主張日当時、本件発明は新規性を喪失していた。

2・2 第一審判決は、配列の相違が誤記であるとする理由として、次の三つの事項を挙げている。

(a)  米国第一特許出願明細書に、t―PA cDNAクローンpPA25E10の発現産物が、天然t―PAと同様にその特性①の触媒能及び特性③の免疫反応を具備していたことが確認されていたこと。

(b)  nature誌記載報文を本件発明者らが作成するに当たって、t―PAの塩基配列を有するcDNAクローンを取り直した形跡はないこと。

(c)  米国第一、第二特許出願当時の技術水準では、約二五〇〇bp(basepair=塩基対)のような長さを有する長鎖のDNAの全塩基配列を完全かつ正確に解析することが、困難な状況にあったと考えられること。

2・3 しかしながら、

(a)については、

米国第一特許出願明細書に記載する発現例①のものが特性①及び③を具備するからといって、直ちにこの発現例①のDNAの塩基配列及びアミノ酸配列が、米国第三特許出願明細書あるいは本件特許明細書第五図の配列であるとは到底いえない。特性①及び③は、米国第三特許出願あるいは本件特許明細書第五図のDNA及びアミノ酸配列を有するものに固有の特性ではないからである。

このDNA及びアミノ酸配列とは異なる配列のものでも、<書証番号略>が示すように、特性①及び③を有する発現産物が得られている。またこれとは別に、米国第一特許出願明細書第五図のとおりの塩基配列のDNAを用いても特性①及び③を具備する発現産物が得られており(<書証番号略>)、米国第一特許出願明細書に記載の発現例①が、米国第一特許出願明細書のとおりの塩基配列を有する可能性のあることも明らかにされているから、米国第一特許出願明細書に記載の発現例①が、米国第一特許出願明細書第五図の塩基配列とは異なる配列のものであるとは到底いえない。

(b)については、

そもそも本件発明者らがt―PAcDNAクローンを取り直したか否かは、発明者らが自らかかる事実を公表しない限り、第三者は全く知り得ない。(b)のような事項を持ち出すこと自体無意味である。

(c)については、

米国第一特許出願当時、DNAの塩基配列の解析は極めて容易であったことは、出願人自身認めている(<書証番号略>の特許異議答弁書の記載参照)。また、当該分野の専門学者もこのことを明らかにしている。

2・4 そもそも、優先権主張の基礎となる第一国出願書類は、出願人が後日いかなる釈明をしようとも、その出願内容自体がその後の出願によって訂正されるとか、あるいは訂正して解釈することが許されるものではない。本件においては、優先権主張の基礎となっている三件の出願について、それぞれ別個独立にその当否が判断されるべきものである。優先権主張の当否に当たり、一方の出願が他方の出願の補正だとか、変更だなどということは許されない。

米国出願明細書とnature誌記載のアミノ酸配列のいずれに配列記載の間違いがあったか否かは、当業者にとって分かるはずがない。米国出願明細書とnature誌記載のアミノ酸配列の両方とも正しかった可能性もある。米国第一特許出願の第五図記載の配列どおりのDNAもt―PA活性を示す蛋白質を発現するという、本件発明者自身の実験報告書(<書証番号略>)は、本件発明者らが米国第一特許出願当時取得したt―PA DNAが、米国第一特許出願の第五図記載のとおりの配列を持つものであった蓋然性を肯定こそすれ、これを否定するものではないのである。

パリ条約に基づいて優先権主張が認められるためには、第一国出願書類に記載された発明が、第二国出願たる発明(本件発明)と同一である必要がある。この場合の発明の同一性は、第一国出願の明細書の記載に開示された発明と本件特許の発明とが同一か否かによって判断される。

このことは、パリ条約四条Hの、第一国出願の書類全体(明細書及び図面)に明確に記載(specifically disclose)されている事項に限って優先権を受けることができる、との規定から明らかなことである。両者が同一の発明と直ちに判断できない場合には、たとえ発明の実体を変更していないとしても、当該第二国出願について優先権の主張は認められない。

米国第一特許出願書類(明細書及び図面)には、本件特許明細書第五図記載の全長t―PAの塩基配列及びアミノ酸配列は記載されていない。米国第一特許出願明細書第五図に記載された塩基配列及びアミノ酸配列が誤りを含んでいるかどうかは、審査官、審判官はもとより当業者といえども、米国第一特許出願書類の記載から判断することが到底不可能である。米国第一特許出願明細書第五図に記載された当該配列が誤りを含んでいるものであるか否かは、当該明細書に記載された実施例を第三者が追試して目的の遺伝子をクローニングし、その配列を決定した後でなければ分からないことであるが、配列を決定することに間違いが生じることを是認する立場に立てば、どちらが正しいものなのか確かな結論を出すことはできない。

仮に、配列決定が正しくされたとしても、米国第一特許出願明細書第五図に記載の配列決定の基礎となったDNAが、追試者が取得したDNAと同じものなのか否かを判断することはできない。また、たとえヒト由来のt―PA遺伝子が一個であったとしても、当業者がクローニングの結果得ることのできるt―PAcDNAが一個であることの証明にはならない。ボーズメラノーマ細胞が培養中に突然変異を起こす可能性や、逆転写酵素を用いてcDNAライブラリーを作成する際に変異体が製造された可能性も否定できないからである。

2・5 本件優先権主張は、三件の米国出願を基礎にする複合優先権の主張である。この場合、米国第二特許出願は、米国第一特許出願に記載されていなかった事項についてだけ優先権を生じさせ、米国第三特許出願は、米国第一特許出願及び米国第二特許出願に記載されていなかった事項についてだけ優先権を生じさせる(パリ条約四条F)。

米国第二特許出願及び米国第三特許出願は、米国第一特許出願のcontinua-tion-in-part(CIP出願)といわれるものである。CIP出願とその原出願との両方に基づいてパリ条約による優先権主張をしてきた場合のわが国の優先権の取扱いは、特許庁審査便覧15.12Aに明確に記載されている。そこでは、「米国における原出願及びこれに対するCIP出願の両者を優先権主張の基礎としている場合、わが国への特許出願に係る発明の要旨中原出願の明細書及びCIP出願の明細書に共通に記載されている事項については原出願の出願日を、CIP出願の明細書のみに記載されている事項についてはCIP出願の出願日を優先権主張日として優先権主張を認める。」とされており、CIP出願で初めて記載された事項については、原出願の出願日ではなく、CIP出願の出願日が優先権主張日として認められることを明らかにしている。

米国でのCIP出願の取扱いにあっても、CIP出願の際に追加された新規事項(new matter)は、原出願日の利益を受けることはできず、CIP出願日の利益を受けることができるのみである。CIP出願の際の訂正だからといって、訂正の効果が原出願時にまで遡及することはない。

2・6 蛋白質はアミノ酸配列によって化学物質として特定されるから、蛋白質におけるアミノ酸配列は、その基本骨格をなす化学構造を示す。アミノ酸配列は、蛋白質の発明の中枢にかかわるものであり、蛋白質の発明における研究成果そのものであって、これによって発明の内容が決定される。アミノ酸が一個変化しただけでも、蛋白質の生理活性が大きく変化することのあるのは顕著な事実なので、わずか一個のアミノ酸といえども軽々に取り扱うべきではない。生理活性蛋白質の発明において、アミノ酸配列を変更することは、発明の本質的特徴を変更することにほかならない。

このような重要な特徴を有するアミノ酸配列について、発明者の一片の宣誓書によって軽々に補正変更が許され、それによって出願日が実質的に遡及するようなことは、先願主義を基礎とする我国特許行政を根幹から揺るがす問題である。

2・7 発明者ゲデルの宣誓供述書(<書証番号略>)によれば、米国第一特許出願の第五図のとおりのアミノ酸配列を持つ蛋白質と、米国第三特許出願の第五図のアミノ酸配列を持つ蛋白質とでは、前者が後者に比べ、比活性が六〇%低くなっている。このように、この二つのアミノ酸配列から成るt―PA活性を示す蛋白質は、蛋白質の重要な生理活性においても大きく相違する。

2・8 被控訴人は、二つのクローンpPA25E10及びpPA17を調製した過程を記述した部分が、米国第一特許出願明細書、米国第二特許出願明細書及びnature誌発表との間で比較して実質的に同じなので、米国第一特許出願明細書の配列の記載は誤記であると主張する。

しかしながら、被控訴人は、問題の三箇所のアミノ酸配列部分につき、クローニングで得たt―PA DNAの塩基配列解析を繰り返し行うとともに、天然t―PAのアミノ酸配列解析も繰り返し行い、両者のアミノ酸配列データを突き合わせ、最終的に、クローニングで得たDNAの有する塩基配列から推定したアミノ酸配列に誤りのないことを確認した上で米国第一特許出願を行っており、被控訴人の主張は誤りである。

この三箇所のアミノ酸の一つである一七五番のアミノ酸については、次の事実が判明している。

クローニングで得たt―PA DNAの塩基配列から推定したアミノ酸と本件発明者が天然t―PAのアミノ酸配列解析から別途得たアミノ酸配列データとでは、当初、前者が「Lys(リジン)」、後者が「Glu(グルタミン酸)」となって不一致であった(<書証番号略>及び添付の参考資料一)。そこで、一七五番のアミノ酸の決定につき本件発明者らは次の二つのアプローチをとった。一つは、t―PA DNAの塩基配列について再配列決定を行った(<書証番号略>)。二つには、天然t―PAのアミノ酸配列解析をその後二回もやり直した(<書証番号略>)。アミノ酸配列解析を二度もやり直したというのは、DNAの塩基配列解析データからは、一七五番のアミノ酸は「Lys(リジン)」に間違いないことを本件発明者が確信していたからにほかならない。この結果、「Lys(リジン)」と決定された(<書証番号略>)。こうしてDNAから推定したアミノ酸と天然t―PAのアミノ酸配列解析から得たデータが一致したことから、一七五番のアミノ酸はクローニングで得たDNAの有する塩基配列から推定したアミノ酸「Lys(リジン)」に間違いのないことを最終的に確認して、米国第一特許出願を行っているのである。これを今になって、塩基配列解析の誤りによる誤記であったなどという言い訳をすることは常識から外れている。

なお、nature誌のt―PA DNA配列(及びアミノ酸配列)は、本件発明者らがクローニングで得た二つのクローンから決定されたと記載されているが、真実は疑わしい。その理由の第一は、クローニングで得たDNAの有する塩基配列から推定したアミノ酸「Lys(リジン)」に間違いのないことを十分確認した上で米国第一特許出願が行われたということであり、理由の第二は、本件発明者らは、これとは別にヒトの染色体遺伝子(ゲノムDNA)からt―PAのDNA断片を取得し、これをt―PAのアミノ末端をコードする第二クローンを取得するためのプローブとして使用していたので(本件特許公報三四欄一八行〜三七欄七行)、ゲノムのt―PA DNAの塩基配列解析を行うことにより、問題の三箇所のアミノ酸配列を、ゲノムのt―PADNAと塩基配列データとが一致するように訂正することは十分可能であったからである。

2・9 高浪鑑定書(<書証番号略>)は、米国第一特許出願の明細書に記載の塩基配列から米国第三特許出願明細書の塩基配列への変更の経緯は、次のいずれかであろうと推察している。

(a)  塩基配列を与えたDNAクローンの再分析、あるいは塩基配列を与えた分析データの再検討により、違いを発見して訂正した。

(b)  何らかの理由により最初に分析したDNAクローンの配列に違いがあることに気付き、独立のcDNAクローン、あるいはゲノムDNAを分析して、配列データを訂正した。

同鑑定書は、(a)の場合は、単純なミスと考えられるが、(b)の場合は、米国第一特許出願のデータを得たクローンは、真のt―PAcDNAの変異体などであったことになる、としている。

本件発明者らは、クローニングで得たDNAの塩基配列について、DNAクローンの再分析を行って配列確認をしていたので、(a)の可能性は否定され、残るは(b)しかあり得ない。

第三特許法四二条

本件発明の特許出願においてされた拒絶査定不服審判請求時の補正(請求時補正)及び特許異議答弁書提出時の補正(答弁時補正)は、法定の要件を充足しておらず、特許法四二条により、補正がなかったものとして技術的範囲が確定されなければならない。

1  請求時補正(平成二年七月五日付け手続補正書による補正)の適否

部分的アミノ酸配列の要件の付加は、補正の要件を充足していない。この補正は、特許法一七条の三違反であり、特許法四二条により、この補正がなかった特許出願について特許がされたものとみなされる。

本件発明の特許出願では、出願公告後の請求時補正により、本件特許明細書第五図の六九番から五二七番までの四五九個のアミノ酸残基から成る「部分的アミノ酸配列を含む」という要件が、特許請求の範囲各項に共通して追加された。

1・1 この追加の意義を検討すると、この補正によって、本件発明の対象物は、答弁時明細書の特許請求の範囲に記載された構成要件(五つの特性等)を有するt―PAから、それに加えて、部分的アミノ酸配列を含むt―PAというものになったことになる。

本件第一発明は化学物質の発明なので、明細書又は図面に部分的アミノ酸配列を含み、かつ五つの特性を有するt―PAという化学物質全体を十分裏付ける程度の具体的記載を有することが必要である(特許庁「物質特許制度及び多項制に関する運用基準」〔<書証番号略>〕)。

ところが、直前明細書である答弁時明細書には、発明の詳細な説明欄において、「部分的アミノ酸配列」なる文言すら存在しないし、部分的アミノ酸配列を含みかつ五つの特性を有するt―PAが本件発明のt―PAであることを明示した記載も存在しないので、明細書に記載された実施例が部分的アミノ酸配列を含み、かつ五つの特性を有するt―PAという化学物質全体を十分裏付ける程度に具体的に記載されているかどうかが検討対象として残る。

実施例の記載によれば、第五図のセリン一から始まり、プロリン五二七に終わる五二七個のアミノ酸残基から成る全長の蛋白質(発現例②及び③)と部分的アミノ酸配列のみから成る蛋白質(発現例①)が創製されたことになっている。

しかし、この全長の蛋白質の実施例記載から、部分的アミノ酸配列を含む蛋白質が記載されているとはいえない。なぜなら、この全長の蛋白質の実施例からいえるのは、アミノ酸配列として五二七個のアミノ酸残基から成る全長のもののみが得られたということであって、見掛け上部分的アミノ酸配列を含むからといって、特定の部分的なアミノ酸配列を含む蛋白質が創製されたことを示しているわけではないからである。

しかも、この全長の蛋白質の性質が確認されているのは、特性①の触媒能と特性③の抗体との免疫反応という二つの性質のみである。特性①と特性③のみをもって、他の特性すべてを有することが自明とはいえない。そして、全長のアミノ酸配列そのものではなくて、部分的アミノ酸配列は有していたとしても、全長のアミノ酸配列からたとえ一個でもアミノ酸残基の欠けたもの(六九〜五二七番目のアミノ酸残基は有するが、一〜六八番目のアミノ酸残基の少なくとも一つが欠けたもの)は、その性質も確認されていないし、五つの特性すべてを有することが自明ともいえない。

そもそも、この全長の蛋白質の実施例のみから部分的アミノ酸配列を含むということが本件発明の必須構成要件といえるためには、部分的アミノ酸配列さえ有する蛋白質であれば、他のアミノ酸配列(一〜六八番目のアミノ酸残基)が存在しなくとも、あるいは他のアミノ酸配列がいかなるアミノ酸配列であっても、五つの特性を有することが確認されているか、あるいは五つの特性を有することが自明でなければならない。

したがって、この全長の蛋白質の実施例のみからは、部分的アミノ酸配列を含み、かつ五つの特性を有するt―PAという化学物質全体が十分裏付けられる程度に具体的に記載されているとはいえない。

次に、部分的アミノ酸配列だけから成る蛋白質(発現例①)は、確認されているのが特性①と特性③のみであって、<書証番号略>に明らかなとおり、部分的アミノ酸配列だけから成る蛋白質は、t―PAを他のプラスミノーゲン活性化因子と区別する最大の特徴とされる特性②のフィブリン結合能を有していない。したがって、発現例①は本件発明の実施例に該当しないし、本件発明を何ら裏付けない。

このように、答弁時明細書には、部分的アミノ酸配列を含み、かつ五つの特性を有するt―PAが記載されていないから、その後に補正された特許請求の範囲に記載された技術的事項は答弁時明細書に記載した事項の範囲外のものであり、このような補正は実質上特許請求の範囲を変更するものである。

1・2 被控訴人は、「部分的アミノ酸配列を含む」なる要件の追加補正に関して、本件発明の組換t―PAは単一の化学構造の生理活性物質だけではなく、その変異体をも包含しており、本件発明の組換t―PAのアミノ酸配列が明細書の添付図面に示されているので、その配列の一部を特許請求の範囲に記載することによって、本件発明に含まれる活性化因子の範囲を明らかにしたのが同補正であると主張する。

しかしながら、特許請求の範囲には明細書の発明の詳細な説明の欄に記載した事項のうち発明の構成に欠くことができない事項(必須構成要件)のみを記載すべきである。本件特許明細書の発明の詳細な説明欄には、「部分的アミノ酸配列」という用語はもとより、「部分的アミノ酸配列を含む」ことが本件発明の必須構成要件であるとの技術的思想の開示もない。同補正は法律違反であり、まして、明細書の添付図面に示されたアミノ酸配列から任意にその配列の一部を抽出して、発明の必須構成要件であるとして特許請求の範囲の補正をすることは許されない。

1・3 被控訴人は、出願当初の特許請求の範囲第八項に、プラスミドp△RIPA。が記載されていたので、このプラスミドによって発現される部分的アミノ酸配列を含む組換t―PAが保護を求める対象であるという発想があるからにほかならず、「部分的アミノ酸配列」なる構成要件は出願当時から存在していたと主張するが、このプラスミドの記載は根拠にならない。

出願時の特許請求の範囲第八項に記載されていたのは、「プラスミドp△RIPA。」であって、この記載から保護を求める対象となり得るのは、プラスミドのことであり、組換t―PAが対象となっているわけではない。

しかも、プラスミドp△RIPA。が含有しているDNA配列により発現されるアミノ酸配列は、部分的アミノ酸配列を含むt―PAをコードしているアミノ酸配列ではなく、部分的アミノ酸配列のみから成る、t―PAをコードしていないアミノ酸配列ということである。

部分的アミノ酸配列のみから成る蛋白質は、t―PAの本質的特徴であると被控訴人も主張するフィブリン結合能を喪失しており(<書証番号略>)、t―PAとはいえない。

1・4 そうすると、部分的アミノ酸配列を追加する補正は特許法一七条の三に違反するので、本件発明はこの部分的アミノ酸配列の補正加入がされる前の特許請求の範囲について特許がされたものとみなされ、答弁時補正における特許請求の範囲の記載、すなわち、答弁書提出時の特許請求の範囲の記載に基づいてその技術的範囲が決定されることになる。そして、この特許請求の範囲に記載の発明は、公知技術にすぎず、特許要件を欠如している。

2  答弁時補正(昭和六三年一二月一五日付け手続補正書による補正)の適否

この補正において、出願公告明細書添付図面の第五図のDNA塩基配列が、合計二〇塩基にも及んで訂正された。この訂正は、t―PA DNAの5'側非翻訳領域中の二箇所の塩基「G」の削除、五一二番目のアミノ酸「THR」をコードするコドン「ACA」から「ACC」への一箇所の塩基の訂正及び3'側非翻訳領域中の一七箇所の塩基の置換、挿入及び削除を無秩序にする訂正を含む。

特許異議の申立てに対応して許される補正には法律上制約があり、特許異議の申立ての理由に示す事項についてしか補正は許されない(特許法六四条一項)。ところが、第五図の塩基配列の補正中、五一二番目のアミノ酸「THR」をコードするコドンの一箇所の塩基及び3'側非翻訳領域中の一七箇所の塩基については、いずれの異議申立人も異議申立理由としていなかった。異議申立人は、第五A図のDNA配列における翻訳開始コドン領域の一箇所の塩基「G」についてしか誤りを指摘しておらず、第五C図に塩基配列の誤りが含まれていることなどは指摘していない。したがって、第五C図のDNA配列における前記一八箇所の塩基の補正は、異議申立人の指摘する異議申立の理由に示す事項についての補正に該当しない。

したがって、この補正は許されず、違法である。

実体に入ってみても、本件出願明細書及び図面を子細に調べても、当業者には一八箇所の塩基が誤記か否か全く判断することができないので、誤記の訂正として許されるものではない。加えて、この一八箇所の塩基は、DNA配列データを再チェックした結果<書証番号略>のnature誌に公表したと被控訴人が認めるその配列とも相違している。

第四技術的範囲の限定

本件発明の技術的範囲は、限定的に定められなければならない。

以上のとおり本件発明には特許無効の事由が存するから、本件特許請求の範囲の記載文言そのままのものに基づいて本件発明の技術的範囲を定めることは許されない。本件発明の技術的範囲は、以下に示すように、本件特許明細書に開示された事項、出願時の技術水準及び被控訴人の意思表示(被控訴人自らが本件発明に新規性、進歩性があると主張している事項)等を考慮した上で定められなければならない。

1  五つの特性

五つの特性は、前記のとおりいずれもボーズメラノーマ細胞が産生する公知天然t―PAが有する特性である。その上、本件特許明細書中において、本件発明のt―PAが「五つの特性」をすべて具備することの実験的確認はされていないから、本件発明のt―PAを新規物質として特徴付ける要件たり得ない。

第一審判決は、特性①と特性③が確認されていれば、他の特性を具備することは推認できるとしたが、各性質は、全く別個で相互に関連はないから、そのようにいうことはできない。したがって、五つの特性を本件発明の必須構成要件であるとすることはできない。

2  本件部分的アミノ酸配列

2・1 本件部分的アミノ酸配列だけから成る大腸菌由来の蛋白質を組換DNA技術で産生したら、天然t―PAに特徴的な特性②(フィブリン結合能)を欠如していることが明らかとなっている(<書証番号略>)。この事実だけからして、本件部分的アミノ酸配列を有する蛋白質は天然t―PAと同じ生理活性を有するものということはできない。

発現例①の蛋白質は特性②(フィブリン結合能)を欠くから、本件発明のt―PAには該当せず、これを基礎として、本件部分的アミノ酸配列を本件発明の必須構成要件とすることはできない。他に部分的アミノ酸配列を本件発明の必須構成要件とすべき根拠となる明細書の記載はなく、事実上も、本件部分的アミノ酸配列が本件発明の必須構成要件とされる余地はない。

2・2 被控訴人は、「本件第一発明は、部分的アミノ酸配列を有する、物の発明であるが、それは、クリングル領域とセリンプロテアーゼ領域の双方の領域を構成するような立体構造を持たなければならない物の発明であり、そのような立体構造を有することによって、プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を持ち、かつ、フィブリン結合能を有する生理活性因子となる。単なる一次構造のアミノ酸配列で示されるポリペプチドの発明ではない。」と主張する。

しかし、本件特許請求の範囲第一項においてt―PAの構造を規定しているのは、「部分的アミノ酸配列を含んでいる」及び「クリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する」ということのみである。

まず、この部分的アミノ酸配列は、特許明細書第五図に示される五二七個のアミノ酸残基の配列中、六九番から五二七番までのアミノ酸配列を示しているにすぎず、t―PAの立体構造を規定するものではない。

次に、「クリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する」という要件であるが、ここで規定されているのは、クリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域の二つの領域だけであって、この二つの領域のみをもって、t―PAの複雑な三次元的立体構造を規定したとはいえない。

しかも、本件特許明細書には、本件第一発明の蛋白質を培養液から精製取得したことの記載はなく、したがって、その立体構造について確認したことを示す痕跡もない。クリングル領域について本件特許明細書は、実際にクリングル領域を構成していることを確認しているわけではなく、一次配列からの推測をしているにすぎない。セリンプロテアーゼ領域についての本件特許明細書の記載も、同様である。本件特許明細書の第一二図の記載は立体構造を示すものではないし、そもそも、本件第一発明の蛋白質の構造解析をした結果のものではない。同図は、ボーズメラノーマ細胞からクローニングして得たt―PA DNAの塩基配列から演繹されるアミノ酸配列から推定したヒトt―PAの構造である。この構造は公知のものであった(<書証番号略>)。

2・3 本件第一発明のt―PAは、クリングル領域とセリンプロテアーゼ領域の双方の領域を構成する立体構造を持ち、このような立体構造を有することによって、「プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能」を持ち、かつ、「フィブリン結合能を有する」ということにはならない。

この双方の領域を構成するアミノ酸配列を含有していても、「フィブリン結合能」を有しない生理活性因子が現実に存在するからである。本件特許明細書の発現例①がその典型であり(<書証番号略>)、t―PA分子のフィンガー領域(本件特許明細書第五図に即していえば、アミノ酸番号一〜五〇番)の全部及びEGF領域(同五一〜八七番)の一部又は全部を欠いた蛋白質も、フィブリン結合能を有しないことが多数報告されている(<書証番号略>)。ウロキナーゼも、クリングル領域を構成するアミノ酸配列を含有し、セリンプロテアーゼ領域も有するにかかわらず、フィブリン結合能を欠く(<書証番号略>)。

そもそも、t―PAは、クリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域だけでなく、フィンガー領域やEGF領域を含むすべてのドメイン構造がそろって初めて、天然t―PAと同様の生理活性及び機能を発揮する。本件第一発明の部分的アミノ酸配列は、フィンガー領域やEGF領域の約半分を含まないアミノ酸配列であり、そのような部分的アミノ酸配列を有しているものが天然t―PAと同様の立体構造を形成するなどとは、科学常識に照らしていい得ず、また、天然t―PAと同様の生理活性や機能を発揮することができない。

2・4 被控訴人は、本件発明のt―PAはクリングル領域とセリンプロテアーゼ領域という二つの要件の双方を有していることが必要であるというのが、特許請求の範囲第一項の記載であるとし、したがって、クリングル領域は有していてもフィブリン結合能を有していないような生理活性因子があるとすれば、それは特許請求の範囲第一項にいうt―PAには属しないと主張する。

このような被控訴人の主張が成り立つには、本件特許明細書に、本件発明のt―PAがクリングル領域とフィブリン結合能の双方の要件を有することの確認がされていなければならないのはもちろん、そのアミノ酸配列がいかなるものであればフィブリン結合能を有するようになるのかについて、クリングル領域との関連において技術的裏付けを伴った記載がなければならない。しかるに、本件特許明細書にはその記載がないから、クリングル領域とフィブリン結合能という二つの要件が本件発明t―PAの必須構成要件であるとして、特許請求の範囲第一項に規定されたこと自体違法である。

2・5 本件部分的アミノ酸配列は、公知天然t―PAが有する部分的アミノ酸配列である(<書証番号略>)。しかも、前記のとおり発現例①は実際には創製されていない。本件特許明細書中には本件部分的アミノ酸配列を持つt―PAの発現例と認められる実施例はなく、同明細書中において、本件発明のt―PAが本件部分的アミノ酸配列を有することの実験的確認はされていない。

また、同明細書中には、このアミノ酸配列を持つ蛋白質が公知天然t―PAと同種の生物学的性質を持つことも記載されていないし、もちろん同明細書中において、このアミノ酸配列を含んでいさえすれば、天然t―PAと同じ生物学的性質を具備した組換t―PAが得られることの実験的確認もされていない。ちなみに、天然t―PAは、アミノ酸末端から約五〇個のアミノ酸配列領域部分にフィンガー領域と呼ばれる、フィブリンとの結合性において極めて重要な役割を担う特異的なアミノ酸配列を有しているが(<書証番号略>)、仮に本件特許明細書記載のとおり発現例①が本件部分的アミノ酸配列を有するとしても、発現例①は、天然t―PAにおけるこのフィンガー領域が完全に欠如しているから、天然t―PAと同じフィブリン結合能を有しているとは到底いえない。

そもそも、本件特許明細書の発明の詳細な説明欄の記載(本件特許公報七欄三五〜三八行、二二欄四〜六行、三七欄一三〜一七行)及び本件発明に対応する米国特許侵害訴訟事件及び英国特許無効訴訟事件における証言(<書証番号略>)からすると、本件発明者らは、本件全長アミノ酸配列を有する蛋白質(アミノ末端がセリンから始まる五二七個のもの)を本件発明のt―PAと認識しており、発現例①、すなわち本件部分的アミノ酸配列のみを有する蛋白質が本件発明のt―PAであるとの認識は全くなく、請求時補正書によって特許請求の範囲の記載を補正するまで、本件部分的アミノ酸配列のみを有する蛋白質自体は特許請求すらしていなかった。

したがって、本件部分的アミノ酸配列をもって、組換DNA技術によるt―PAを新規物質として特徴付ける要件とすることはできない。

3  宿主細胞及びアミノ酸配列

被控訴人は、本件発明のt―PAは、糖鎖構造が異なる点及びヒト由来の他のタンパクを含有しない点の二点において、公知天然t―PAと異なり新規物質であると主張し、また、糖蛋白質における糖鎖構造は宿主細胞のいかんによって相違するとも主張している。

まず、第一点についてみるに、本件特許明細書中には、本件発明のt―PAの糖鎖構造につき解析した形跡はなく、本件発明のt―PAの糖鎖構造がどのようなものか記載がない。要するに、被控訴人の第一点についての主張は、本件発明のt―PAがヒト細胞以外の細胞を用いて産生させたものであるから、ヒト細胞が産生する公知のものとは糖鎖構造上何らかの相違があるであろうとの憶測に依拠するものである。ところが、ヒト細胞以外の細胞、すなわちアフリカツメガエルの卵母細胞が産生した糖鎖を有するt―PAが米国第一特許出願前公知であったから(<書証番号略>)、憶測のみに基づいて、本件発明のt―PAが糖鎖構造上新規であるとの主張は許されない。そして、糖蛋白質における糖鎖構造は宿主細胞のいかんによって相違するとの被控訴人の主張に従えば、糖鎖構造が異なるという被控訴人の主張は、糖鎖構造を特定化して比較できない場合は、宿主細胞が特定されて初めて成立するということになる。

一般に新規化学物質発明として特許の対象とされるためには、対象となる化学物質が実際に創製されたことが明細書の記載上確認されなければならない。被控訴人は、本件特許明細書中(本件特許公報五欄一七〜二三行)及び本件発明に対応する米国特許の取得過程(<書証番号略>)において、組換DNA技術によるタンパク産生の予測不可能性、すなわち組換DNA技術によるt―PAの産生取得において、どのような宿主細胞をもってきても目的とするt―PAが産生し得るかということについて、事前に確実に予言もできずまた確信もできないことを強調し、その点に本件発明の進歩性があると主張している。本件特許明細書中に本件発明のt―PAが実際に発現したとして記載してあるのは、宿主細胞を大腸菌とするものとCHO細胞とするものの二種のみであるから、本件発明のt―PAとしては、宿主細胞を大腸菌とする糖鎖のないものとCHO細胞特有の糖鎖を持つものに限定される。

次に、前記第二点についてみるに、この点の被控訴人の主張の根拠も、第一点についてと同様に、本件発明のt―PAが宿主細胞としてヒト細胞以外の細胞を用いて産生されたt―PAであるから、ヒト由来の他のタンパクを含まないというところにある。ところが、ヒト細胞以外の細胞(アフリカツメガエルの卵母細胞)が産生したt―PAが既に公知であった上、t―PAの遺伝子を組み込んだ発現プラスミドを、大腸菌、すなわちヒト以外の宿主細胞中に導入して組換DNA技術によりt―PAを製造することも米国第一特許出願前公知であったから(<書証番号略>)、第二点も本件発明のt―PAの新規性を裏付けるものということはできない。

そもそも、本件発明のt―PAを特定する第二点の要件は、本件発明のt―PAが当然に「他のタンパクを含む」ことが前提となっており、その細胞由来のタンパクに応じて物(t―PA)が区別できるということであるから、本件発明のt―PAが新規物質であるというためには、本件発明のt―PAの製造において具体的に使用された宿主細胞の特定が不可欠となる。この宿主細胞由来の夾雑タンパクに関し本件特許明細書中には、「これらの夾雑タンパク……は、所望タンパクから除去されないと、所望タンパクによる治療処置の過程で……ヒトに投与した場合有毒となる危険性がある。」との記載があるし(本件特許公報六欄二〇〜二四行)、本件特許権取得過程(特許異議答弁書中)において、被控訴人は本件発明のt―PAが夾雑タンパクの安全性の点で優位に立つことを強調している。そうすると、本件発明のt―PAは、本件発明者らがヒト細胞由来の夾雑タンパクと安全性の点で区別できると認識した夾雑タンパクを有するもの、すなわち本件特許明細書中に実際に発現したとして記載してある、大腸菌とCHO細胞という二種の宿主細胞を使用して得られるものに限定される。

ところで、糖鎖はt―PAの骨格であるアミノ酸配列中のアミノ酸残基に結合するものであるから、両者相俟ってt―PAを特定できることになる。この点につき、本件特許明細書中では、本件発明のt―PAはアミノ酸配列によって定義され(本件特許公報七欄三五〜三八行)、かつ本件全長アミノ酸配列を有する蛋白質(アミノ末端がセリンから始まる五二七個のもの)であることが明らかにされている(本件特許公報二二欄四〜六行、三七欄一三〜一七行)。また、本件発明者らも、この蛋白質を本件発明のt―PAと認識していることも前記のとおりである。したがって、このアミノ酸配列が本件発明のt―PAを特定する必須要件となるべきである。本件特許明細書中にこの五二七個のアミノ酸残基から成るt―PAの発現例として記載されているのは、発現例②、③のみであるが、各発現例はいずれも米国第三特許出願時に初めて開示されたものである。

ところが、発現例②、すなわち宿主細胞を大腸菌とし、発現プラスミドをpt―PAtrp12とするt―PAは、第三優先権主張(米国第三特許出願)日である一九八三年(昭和五八年)四月七日以前にnature誌に掲載された本件発明者らの前記報文(<書証番号略>)により既に公知となっていたから、新規性がない。しかも、前記のとおり、発現例②は、被控訴人自らが実際に創製されたものではなかったことを表明した上、米国では特許出願明細書から削除しているから論外である。

したがって、宿主細胞及びアミノ酸配列の特定という観点からすれば、本件発明のt―PAは、発現例③、すなわち宿主細胞をCHO細胞としCHO細胞由来の夾雑タンパクを含有するもので、かつ本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))記載の一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)を有するものに限られる。

4  糖鎖構造

宿主細胞をCHO細胞として産生したt―PAの糖鎖構造については、本件特許明細書には開示されていないが、本件発明の特許出願日より後にされた被控訴人自身の報告(<書証番号略>)によると、このt―PAの糖鎖末端部の糖鎖構造の特徴は、露出した多量のβ―結合型ガラクトース及び二―三結合型シアル酸のみを有するものであることが明らかにされている。

被控訴人は、本件発明のt―PAが天然t―PAとは糖鎖構造が異なるから新規物質であると主張しているが、一般に、糖蛋白質における糖鎖は、天然のものも組換DNAで作ったものも、そのコア構造は共通なので、被控訴人が主張する糖鎖構造とは、コア部分の外側に更に結合する糖鎖末端部の糖鎖構造のことであるといわなければならない。

被控訴人の主張及び認識に徴すると、この糖鎖末端部の糖鎖構造が本件発明のt―PAを特徴付ける重要な構成要件となる。

5  鎖状形態

本件特許明細書中には、本件発明のt―PAの一本鎖構造、二本鎖構造を確認した記載がないから、同明細書の記載から本件発明のt―PAが一本鎖構造なのか、二本鎖構造なのかを特定することはできない。しかしながら、本件発明者の一人であるゴードン・アレン・ヴィハーは、本件発明と対応する米国特許侵害訴訟事件において、「われわれが組換で作るタンパクは、初期のころはほとんどすべて二本鎖であった」と証言しているところ(<書証番号略>)からすると、本件特許明細書に開示された本件発明のt―PAは「二本鎖タンパク」ということになる。このことは、被控訴人が本件発明の特許出願後において、t―PAは二本鎖タンパクよりも一本鎖タンパクの方が優れていることを知見し、一本鎖タンパクのt―PAの開発に方向転換し、かつこのt―PAにつき後日特許出願した事実(<書証番号略>)からも裏付けられる。

また、被控訴人は本件発明のt―PAは天然t―PAと同様、アミノ酸配列における二七五番のアルギニンと二七六番のイソロイシンとの間で蛋白質が開裂した二本鎖構造であると自認している。

したがって、この形態の「二本鎖タンパク」であることは、本件発明のt―PAを特徴付ける要件となる。

6  技術的範囲

6・1 本件発明は、米国第一、第二特許出願に基づく優先権主張を享受できず、米国第三特許出願前に全部公知となっていたものである。このように全部公知の発明の技術的範囲は、明細書の発明の詳細な説明の項に実施例として具体的に開示された技術構成に限定されるべきである。すなわち、本件発明の技術的範囲は、本件特許明細書の実施例E.1.G、E.1.I及びE.2、E.3に記載された発明に限定して解釈すべきこととなる。

ところが、実施例E.1.Gにより製造される蛋白質は、t―PAに特徴的な特質であり、本件発明のt―PAの必須構成要件とされているフィブリン結合能を欠如しているから(<書証番号略>)、このものは本件発明のt―PAには該当せず、本件発明の実施例とはいえない。したがって、本件発明の技術的範囲の対象から除外される。

次に、実施例E.1.Iに記載の、宿主細胞を大腸菌として組換DNA技術により製造される組換t―PAの発明、その製造方法の発明及びこの組換t―PAを用いる血栓症治療剤の発明は、nature誌(Vol.301,1983.1.20発行。<書証番号略>)にそっくりそのまま記載された公知の発明である。この公知のものを本件発明の技術的範囲とすることはできない。

結局、本件発明の技術的範囲は、実施例E.2及びE.3に記載の発明に限定して解釈されることになる。本訴で技術的範囲の属否が問題となるのは本件第二発明と第三発明なので、以下これについて述べる。

本件第二発明の「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNA」とは、「ボーズメラノーマ細胞からクローニングして得た本件特許明細書第五図記載のボーズメラノーマ細胞由来のt―PA DNA」のことであり、「ヒト細胞以外の宿主細胞」とは、「CHO細胞」のことであり、「以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる」とは、「本件特許明細書第五図記載のアミノ末端がセリンから始まる五二七個のアミノ酸から成る」もののことである。

これに対して、イ号方法で使用するt―PA遺伝子は、「ヒト正常子宮組織からクローニングして得たヒト正常子宮組織由来のt―PAcDNA」であり、また該遺伝子を組み込んだ発現ベクターにより形質転換される宿主細胞は、「マウスC127細胞」であり、形質転換宿主細胞の培養により製造される目的物(イ号物件)は、「主としてアミノ末端がグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から成るt―PA」である。

本件第三発明に該当するt―PA製剤の実施例は本件特許明細書に存在しないので、最大限権利があるとしても、製剤の主成分となるt―PAと同一範囲でしかないので、本件第三発明の技術的範囲は、実施例として具体的に開示されたt―PAを主成分として使用する製剤に限定される。すなわち、実施例E.2及びE.3の記載に基づいて次のように解釈される。

本件第三発明における「ヒト細胞以外の宿主細胞」とは、「CHO細胞」のことであり、「以下の部分的アミノ酸配列を含み」とは、「本件特許明細書第五図記載のアミノ末端がセリンから始まる五二七個のアミノ酸から成る」もののことである。

これに対して、イ号製剤における薬効成分を産生する宿主細胞は、「マウスC127細胞」であり、薬効成分は、「主としてアミノ末端がグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から成るt―PA」である。

6・2 答弁時補正及び請求時補正は、それぞれ特許法六四条、一七条の三に違反してされたものであるから、特許法四二条の規定によりかかる補正のなかった出願、すなわち、公告時明細書及び図面記載の発明につき特許がされたものとみなされる。したがって、本件発明の技術的範囲の解釈、認定は公告時明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされなければならない。

本件第二発明及び第三発明に対応する公告時明細書の特許請求の範囲は、その第八項及び第一一項であり、次のように記載されている。

第八項 「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNA配列を組換宿主細胞に於いて発現させることを特徴とする組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の製造方法。」

第一一項 「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の治療有効量を、薬剤上許容し得るキャリヤーと混合して含有する血栓症治療剤。」

しかしながら、この第八項記載の発明は、t―PAを遺伝子組換技術により大量製造したいという公知の技術的課題の提示にすぎない。第一一項記載の発明は、公告時明細書で実施例による裏付けもなく、遺伝子組換技術により製造した組換t―PAを血栓症治療剤に使用したいという公知の技術的課題そのものを特許請求しているにすぎない。このような発明の技術的範囲は、明細書の発明の詳細な説明の項及び図面の記載に従い、そこに具体的に記載のとおりの内容のものとして、限定して解釈すべきである。

公告時明細書の第八項記載の発明における「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNA」とは、「ボーズメラノーマ細胞からクローニングして得た公告時明細書第五図記載のボーズメラノーマ細胞由来のt―PA DNA」のことであり、「組換宿主細胞」とは、「大腸菌又はCHO細胞」のことであり、「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」とは、「公告時明細書第五図記載のアミノ末端がセリンから始まる五二七個のアミノ酸から成るt―PA」のことである。

これに対して、イ号方法で使用するt―PA遺伝子は、「ヒト正常子宮組織からクローニングして得たヒト正常子宮組織由来のt―PAcDNA」であり、また該遺伝子を組み込んだ発現ベクターにより形質転換される宿主細胞は、「マウスC127細胞」であり、形質転換宿主細胞の培養により製造される目的物(イ号物件)は、「主としてアミノ末端がグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から成るt―PA」である。

公告時明細書の第一一項記載の発明におけるt―PA製剤の実施例は本件特許明細書に存在しないので、最大限権利があるとしても、そこにおける「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」とは、「大腸菌又はCHO細胞を宿主細胞として使用して組換DNA技術により得た、公告時明細書第五図記載のアミノ末端がセリンから始まる五二七個のアミノ酸から成る組換t―PA」のことである。

これに対して、イ号製剤における薬効成分を産生する宿主細胞は、「マウスC127細胞」であり、薬効成分は、「主としてアミノ末端がグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から成るt―PA」である。

6・3 本件第一〜第三発明はいずれも新規性、進歩性を欠如している。このような場合については、上記6・1で主張したと同様、技術的範囲を限定して考えるべきである。

6・4 以上の諸事実を基礎にして考えると、本件発明の技術的範囲は、宿主細胞を大腸菌とするもの以外については、次の構成要件を具備するものに限定されることになる。

本件第一発明は、

(1)  CHO(チャイニーズハムスター卵巣)細胞を宿主細胞として使用して組換DNA技術によって得られた、

(2)  CHO細胞由来の夾雑タンパクを含有し、

(3)  アミノ末端がセリンから始まる五二七個のアミノ酸から構成され、

(4)  糖鎖末端部に露出した多量のβ―結合型ガラクトース及び二―三結合型シアル酸のみを有し、

(5)  アミノ酸配列における二七五番のアルギニンと二七六番のイソロイシンとの間で蛋白質が開裂した二本鎖タンパクとして存在する、

(6)  t―PA。

本件第二発明は、

(1)  ボーズメラノーマ細胞から本件発明者らがクローニングして得たボーズメラノーマ細胞由来のt―PAcDNAを使用し、

(2)  宿主細胞としてCHO細胞を使用して、

(3)  組換DNA技術によって本件第一発明のt―PAを製造する方法。

本件第三発明は、

(1)  本件第一発明のt―PAを薬効成分として含有する、

(2)  血栓症治療剤。

第五イ号物件等

1  イ号物件等の構成

1・1 イ号物件

(1)  マウスC127細胞を宿主細胞として使用して組換DNA技術によって得られた、

(2)  CHO細胞由来の夾雑タンパクを含有せず、

(3)  主としてアミノ末端がグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から構成され、

(4)  糖鎖末端部に露出したβ結合型ガラクトースをほとんど有さず、α―結合型ガラクトース及び二―三結合型シアル酸を有し、

(5)  一本鎖タンパクとして存在する、

(6)  t―PA。

1・2 イ号方法

(1)  ヒト正常子宮組織からクローニングして得たヒト正常子宮組織由来のt―PAcDNAを使用し、

(2)  宿主細胞としてマウスC127細胞を使用して、

(3)  組換DNA技術によってイ号物件を製造する方法。

1・3 イ号製剤

(1)  イ号物件を薬効成分として含有する、

(2)  血清症治療製剤。

2  技術的範囲の属否

イ号物件、イ号方法及びイ号製剤は、それぞれ対応する本件発明とは構成を異にする。t―PAの遺伝情報を提供する細胞(起源となるt―PA遺伝子)、宿主細胞、アミノ酸配列、糖鎖構造、鎖構造においてである。しかも、この構成の相違により、次の(1)、(2)の薬効上優位な作用効果の差異を生じるから、イ号物件、イ号方法、イ号製剤は、本件発明の技術的範囲に属しない。

(1)  効果(触媒能)の差異

イ号物件と本件第一発明のt―PAとでは、アミノ末端のアミノ酸三個が相違するため(イ号物件の構成(3)と本件第一発明の構成要件(3))、フィブリン存在下では、イ号物件の方が本件第一発明よりプラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能(固相線溶)が大きいのに対し(<書証番号略>)、イ号物件と本件第一発明のt―PAとでは、鎖の構造が相違するため(イ号物件の構成(5)=一本鎖と本件第一発明の構成要件(5)=二本鎖)、逆にフィブリン非存在下では、イ号物件の方が本件第一発明のt―PAより触媒能(液相線溶、すなわち全身出血傾向という副作用)が小さくなる(<書証番号略>)。

(2)  薬物動態(体内滞留時間)の差異

イ号物件と本件第一発明のt―PAとでは糖鎖構造が相違するため(イ号物件の構成(4)と本件第一発明の構成要件(4))、イ号物件の方が本件第一発明より代謝分解され難く体内滞留時間が長くなる(<書証番号略>)。

被控訴人の主張

(注) 被控訴人の主張は、当控訴審で述べられた主要なものを摘記するにとどめる。

第一新規性、進歩性の主張

1  本件第一発明

1・1 本件第一発明のt―PAは、ボーズメラノーマ細胞の産生する天然のt―PAとは、酵素という機能の面から捉えれば同一であっても、化学構造を異にする別物質である。

本件特許請求の範囲に記載されている「ヒト細胞以外の細胞」とは、ヒト以外のすべての生物の細胞を意味する。一方、公知とされているt―PAは、ヒト細胞が産生したt―PAのみである。したがって、「ヒト細胞以外の細胞(が産生するt―PA)」なる要件は、本件発明を従来技術から明瞭に区別する要件である。

池中徳治博士作成の鑑定書(<書証番号略>)に「糖タンパク質である生理活性物質をこの方法(組換DNA技術)で作らせた場合、宿主細胞の違いによって異なる糖鎖を持った産物(原核細胞を宿主とした場合には糖鎖を欠いた産物)を得ることになる。」(四頁二四〜二六行)と記載されているように、「ヒト以外の宿主細胞が産生する」糖鎖と「天然の糖鎖を有しない」ということは同義である。この知見は、本件優先権主張日当時から技術常識であったので、あえて特許請求の範囲に記載しなくとも、当業者はこの知見を含めて特許請求の範囲の記載内容を理解することはいうまでもない。「ヒト以外の宿主細胞が産生する」という要件は、当業者にとって、それが天然のt―PAと糖鎖を異にするt―PAであると直ちに理解されるのである。

1・2 控訴人らが公知のt―PAが記載されていると主張する<書証番号略>は、実際に糖鎖を有するt―PAが取得されたことを報告するものではないし、翻訳産物のアミノ酸分析すら行われておらず、物質として特定されているものでもない。

谷口維紹教授の鑑定書(<書証番号略>)においても、<書証番号略>は、mRNAの抽出とその分画の工程の実施には役立っているものの、それ以降の工程には何の寄与もしていないと述べられている。

1・3 本件第一発明のt―PAは、特許請求の範囲第一項の「組換ヒトプラスミノーゲン活性化因子」なる文言が示しているように、組換DNA技術により製造される物質、すなわち、生物細胞の機能を利用して製造される物質であり、控訴人らが援用する物質特許制度の運用基準にいう化学物質の定義にあてはまる物質とはいい難い。一般に「化学方法により製造されるべき物質」とは、化学方法により製造することが可能な物質を意味すると解釈されているようであるが、特許請求の範囲第一項に規定した、種々の特性を具備した組換t―PAが化学方法により製造できるか否かは不明であり、t―PAがこの運用基準に定義されている化学物質に相当するとは断定できない。

上記運用基準は、新しい有用物質を提供することを目的としているのに対して、組換DNA技術の分野においては、天然物質に近い有用物質を大量に提供することを目的としている。両者は技術分野の主要課題を明らかに異にしており、両者に同一の判断基準を適用しようとするのは明らかに不合理である。

本件発明によってt―PAの構造が明らかにされるまでは、天然t―PAの存在は知られてはいたものの、その化学構造は知られていなかった。したがって、本件発明のt―PAは、公知の化学物質と、化学構造が類似している化学物質とは到底いえない。控訴人が援用する運用基準は、化学構造が類似している化学物質に関するものにすぎず、この点からも、本件発明のt―PAの進歩性の判断にこの運用基準を適用できないことが明らかである。

2  本件第二発明

本件特許出願当時、t―PA遺伝子のクローニングは困難であった。t―PA遺伝子のクローニングの困難性は、本件第二発明の対象とする工程より以前の工程を完成することの困難性ではあるが、本件第二発明の対象としている形質転換された宿主細胞を取得するためにはt―PAcDNAのクローニングに成功しなければならない。この意味において、t―PAcDNAのクローニングに成功したことは、本件第二発明に新規性が認められることを意味し、また、その成功に至るまでの種々の困難性が克服されたことは、本件第二発明に進歩性があることを示している。

3  本件第三発明

新規性を有する本件第一発明のt―PAを有効成分とする医薬の発明である本件第三発明に新規性があることは、当然のことである。

第二第一、第二優先権主張の適法性

<書証番号略>(大阪バイオサイエンス研究所分子生物学部門研究部長の長田重一博士作成の平成四年五月一二日付け鑑定書)には、米国第一特許出願、第二特許出願の明細書とnature誌の記載について、いずれの場合にもpPA25E10及びpPA17からt―PAcDNAの完全な塩基配列が決定され、また、それに基づいて対応するt―PAのアミノ酸配列が決定された旨が記載されているから、二件の米国特許出願明細書に記載されているt―PAcDNAとt―PAは、nature誌に記載されているt―PAcDNA及びt―PAと同一であるとしており、アミノ酸配列における両者の三個のアミノ酸残基の相違は、単なる配列の記載の誤りであるとしている。

そうだとすると、二件の米国特許出願明細書のt―PAcDNA並びにt―PAは、本件特許明細書に記載のt―PAcDNA並びにt―PAと同一であり、本件特許出願は、米国第一特許出願及び第二特許出願に基づく優先権を享受することができる。この判断は、本件特許出願審査の過程でも、審査官から示されている(<書証番号略>の特許異議決定謄本)。

ヒトの全染色体を精査した結果、t―PAの遺伝子は唯一個だけしか存在しないことが判明している(本件特許公報三四欄三二〜三五行)。したがって、t―PA mRNAは唯一種であり、それから得られるcDNAも唯一種である。

米国第一特許出願明細書の第五図に記載された組換t―PAのDNA配列及びアミノ酸配列は、t―PA遺伝子の5'末端部分が欠失したクローンたるpPA25E10及び逆に5'末端部分だけを含むクローンたるpPA17の二つのクローンに基づいて決定された(<書証番号略>の米国第一特許出願明細書三二、三三頁の抄訳)。一方、本件発明者らが発表したnature誌(Vol.301,1983.1.20発行)二一四〜二二一頁に記載の組換t―PAcDNAのDNA配列及びそれから推定されるアミノ酸配列も、上記二つのクローンpPA25E10及びpPA17から決定されたことが記載されている。そして、この二つのクローンpPA25E10及びpPA17を調製した過程を記述した部分を、米国第一、第二特許出願明細書、及びnature誌で比較すると、これらは実質的に同じ過程を経て得られていることが分かる。すなわち、

(1)  t―PA mRNAからt―PA cDNAライブラリーを調製するのに大腸菌K12株二九四を用い、四六〇〇個の形質転換株を得た。

(2)  これをスクリーニングするためのプローブとしてTrp―Glu―Try―Cys―Aspをコードする八個のテトラデカヌクレオチドを用いた。

(3)  その結果、ポジティブクローンを得て、このポジティブクローンから切り出したDNAフラグメントをM13ベクターmp7にサブクローンした。

(4)  その結果、プラスミドpPA25E10が、t―PAの五〇八個のアミノ酸残基から成るタンパクをコードするcDNAインサートを含んでいることが判明した。

(5)  このcDNAインサートはN末端コーディング配列を欠いていたため、5'部分を含むcDNAクローンを作ることが必要となり、このため、dTTCTGAGCACAGGGCGという配列を有する一六bpのデオキシオリゴヌクレオチドをプライマーとして用い、一五〇〇個のクローンを得た。

(6)  この中からプラスミドpPA25E10のcDNAインサートとオーバーラップするcDNAインサートを持つクローンを検索した結果、pPA17だけが正しい5'末端を含んでいることを見いだした。そして、

(7)  このクローンpPA17と先に得たクローンpPA25E10から、t―PAのヌクレオチド配列とアミノ酸配列を決定した。

というような記述は、米国第一特許出願明細書、第二特許出願明細書及びnature誌が、一つの実験結果を前二者は詳細に、後者は要約して記述したものであることを示している(なお、(1)〜(7)の記載は、米国第一及び第二特許出願明細書の記載から援用した)。

<書証番号略>(大阪バイオサイエンス研究所分子生物学部門研究部長の長田重一博士作成の昭和六三年九月八日付け鑑定書)に「nature誌の発表に当たり、cDNAを取得し直した事情はうかがえず」とされているのは、このことを指す。

上記の、(1)において四六〇〇個の形質転換体を得たこと、(5)において一五〇〇個のクローンを得たこと、などはすべて一致しているにもかかわらず、クローンpPA17とpPA25E10から決定されたDNA配列とアミノ酸配列だけが、米国第一特許出願書の第五図とnature誌のFig.3で異なっているということは、米国第三特許出願明細書において、米国第一特許出願明細書の配列がnature誌のFig.3のとおりに訂正されている事実を考慮すれば、米国第一特許出願明細書の配列の記載が誤記であったということにほかならない。

長田重一博士の<書証番号略>鑑定書は、米国第一特許出願明細書の配列の記載は、「目視によりX線フィルムを判読し、これを書き写し、更にタイプする過程で生じた単純なミスと思料される。」としている。

第三補正の適法性

1  拒絶査定不服審判請求時の補正(平成二年七月五日付け手続補正書による補正)

本件発明の組換t―PAは単一の化学構造の生理活性物質だけでなく、その変異体をも包含しており、本件発明の組換t―PAのアミノ酸配列が明細書添付図面に示されているので、その配列の一部を特許請求の範囲に記載することによって、本件発明に含まれる活性化因子の範囲を明らかにしたのが、「部分的アミノ酸配列を含む」なる要件の追加補正である。

出願当初の特許請求の範囲第八項に、プラスミドp△RIPA。が記載されていた。このプラスミドは、上記補正により挿入された「以下の部分的アミノ酸配列」を含んでいるt―PAをコードしているプラスミドにほかならない。このプラスミドが特許請求の範囲第八項に記載されていたのは、このプラスミドによって発現される部分的アミノ酸配列を含む組換t―PAが保護を求める対象であるという発想があったからである。このように、「部分的アミノ酸配列」なる構成要件は、本件特許出願時から存在していたから、本補正は特許法一七条の三に違反しない。

2  特許異議答弁書提出時の補正(昭和六三年一二月一五日付け手続補正書による補正)

本件特許出願過程における特許異議において、特許異議申立人の三井東圧化学(株)は、「本願公告公報に記載されているヒトプラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNA配列(第五a図)には重大な誤りが含まれており、この様な本願公告公報の記載に従っては当業者といえども『組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子』を産生することは不可能であり、従って、……当業者がその実施ができる程度に構成が記載されているとはいえず、本願は特許法三六条三項に規定する要件を満たしていない。」と指摘した(昭和六二年六月一〇日付け特許異議申立書一〇頁)。そこで被控訴人は第五図の配列全般についてこれを再チェックし、指摘された5'末端の余分の"G"を削除するとともに、第五一二番のアミノ酸"THR"をコードするコドンの一塩基並びに3'末端の外側の一七個の塩基の記載を訂正する補正をした。

このような補正は、t―PAのアミノ酸配列には何らの変更をももたらすものではなく、それゆえ、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。しかも、異議申立人の異議理由は、第五図の配列には誤りが含まれているとの趣旨であるから、異議申立人の具体的な指摘箇所以外でも、出願人自ら第五図について気付いた3'末端側の誤りをも補正したのであって、それは正に「異議申立の理由に示す事項についての補正」である。本補正は、特許法六四条に違反しない。

当裁判所の判断

第一本件発明の概観

1  米国第一、第二特許出願当時の技術水準

米国第一、第二特許出願当時、天然t―PAに関しては、(1)ヒトメラノーマ(黒色腫)セルライン(細胞株)がt―PAを分泌すること、(2)メラノーマ由来のt―PAは免疫学的及びアミノ酸組成において正常組織から単離されたt―PAと区別し得ない特性を有すること、(3)比較的純粋な形態で単離されたt―PAは高い活性を有する繊維素溶解因子であること、(4)メラノーマセルラインから精製したt―PAはウロキナーゼ型プラスミノーゲン活性化因子(略称u―PA)に比較して繊維素に対してより高い親和力を有していること、(5)t―PAは、血液、組織抽出物、血管灌流液及び細胞培養物中には非常に低濃度しか存在していないため、血栓溶解剤としての可能性を更に深く研究することは困難であること、(6)ヒト由来の他のタンパクを実質的に含まない高品質のヒトt―PAを必要充分な量で製造するために最も有効な方法は、組換DNA技術の適用であること、が認識されていた(本件特許公報四欄一九行〜五欄二行)。

また、当時、天然t―PAの化学構造及び機能(生理活性)に関しては、(1)分子量は、約六九、〇〇〇〜七二、〇〇〇であること(<書証番号略>)、(2)特性①(プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能)を有すること(<書証番号略>)、(3)特性②(フィブリン結合能)を有すること(<書証番号略>)、(4)特性③を有する(ボーズメラノーマ細胞由来のt―PAに対する抗体に免疫反応を示す)こと(<書証番号略>)、(5)特性④については、一般的特性としてクリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列(ただし、当時t―PAの全アミノ酸配列は未解明であり、両領域のアミノ酸配列、すなわち具体的な一次構造も未解明であった)を含有すること(本件特許公報八欄七〜一一行、五三欄四二〜四三行、五四欄一三〜三八行、第一二図、弁論の全趣旨)、(6)特性⑤を有する(一本鎖又は二本鎖として存在する)こと(<書証番号略>)、(7)二本鎖t―PAは、一本鎖分子がタンパク分解的開裂によりジスルフィド結合で接続された二個のポリペプチドになること(本件特許公報五四欄一〜五行)、(8)血栓症患者に投与した治療実験では、血栓の溶解が起こっていること(<書証番号略>)、が知られていた。

一方、当時、組換DNA技術に関しては、目的とする遺伝子を得る技術、組換DNA分子を作成する技術、組換体を作る技術及び組換体の選択技術等のDNA(遺伝子)組換における基本的技術が知られており(<書証番号略>)、既に、これらの技術を用いてヒト血清アルブミン(<書証番号略>)、ヒト白血球インターフェロン(<書証番号略>)、ヒト成長ホルモン(<書証番号略>)、ウロキナーゼ(<書証番号略>)及びヒト免疫インターフェロン(<書証番号略>)などの生理活性を有する蛋白質が生産されていた。

2  本件発明の技術的課題(目的)

米国第一、第二特許出願当時の以上の技術水準からすると、当時t―PAは血栓溶解剤として有用な蛋白質であることが確認されていたものの、ヒトの組織を細胞培養して得られる天然t―PAを入手することができるにすぎず、また、その得られる量が極めて少ない上に、t―PAが非常に長い鎖構造であるために、血栓溶解剤としての研究開発を進めることが困難であったと認められる。

一方、当時技術開発の進歩が著しかった組換DNA技術、いわゆるバイオテクノロジーを用いて有用な蛋白質を生産することが実現しつつあり、世界各国においてt―PAなどの有用物質の開発競争が繰り広げられていた(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。しかし、前示のように、当時、組換DNA技術によってある種の有用蛋白質を生産できることが知られていても、天然t―PA自体からして微量しか入手できないことや、t―PAのmRNAはその濃度が極めて低い上に非常に長い鎖構造であることなどの困難な技術的課題があったことから、t―PAが組換DNA技術によって生産できることを確実に予測することは困難であった(<書証番号略>、証人ポール・バーグ〔証拠保全〕)。

このような状況下において、本件発明の技術的課題は、前示のt―PA及び組換DNA技術に関する公知の知見を基にして、組換DNA技術によるt―PAの充分な量の生産及びt―PAの血栓溶解剤としての開発にあった。

3  本件発明の技術的課題の解決

3・1 本件特許明細書の発明の詳細な説明欄には、組換DNA技術によるt―PAの製造方法、組換t―PAの活性検出及び産生レベルに関して次の記載がある。

(1)  好適具体例の概説の項には、概略次のとおり、組換DNA技術を用いて所望のt―PA(本件第一発明のt―PA)を産生するまでの基本的な製造工程が順を追って記載されている(本件特許公報一七欄二六行〜一九欄四四行)。

1. t―PAを産生するヒトメラノーマ細胞を培養した。

2. 培養された細胞から細胞質RNAを単離した。

3. オリゴdTカラムを用い全mRNAをポリアデニル化形態で単離し、更にゲル電気泳動により全mRNAをサイズ分画した。

4. 各ゲル画分のRNAを翻訳し、得られた蛋白質をt―PA特異的IgG抗体で免疫沈降し、t―PA特異的RNAを含むゲル画分を同定した。

5. 適切なRNA(二一〜二四S)を対応する一重鎖cDNAに転換し、該cDNAから二重鎖cDNAを製造した。ポリーdCを末端につなぎ、一種以上の表現型マーカーを含むプラスミドのごときベクター内に挿入した。

6. 前記のごとく調製されたベクターを使用して細菌細胞を形質転換し、クローン化cDNAライブラリーを調製した。t―PA中の既知のアミノ酸配列のコドンと相補的な放射活性標識―合成デオキシオリゴヌクレオチドのプールを調製し、コロニーライブラリーのプローブに用いた。

7. ポジティブな(プローブに対して陽性反応を示した)cDNAクローンからプラスミドDNAを単離し配列決定した。

8. t―PAをコードしている配列決定したDNAを適当な発現ベクターに挿入するために末端処理し、該発現ベクターを適当な宿主細胞に形質転換し、宿主細胞を培養により増殖させ、所望のt―PAを産生させた。

(2)  実施例のE.1の項には、次の技術内容が具体的に記載されている。

1. 発現例①、すなわち、宿主細胞を大腸菌(E. coli)、発現プラスミドをp△RIPA。として発現した本件部分的アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程(本件特許公報二六欄二九行〜三三欄三九行、二二欄三四〜三九行、第六図。なお、本件特許公報二二欄三四行の「第五図」は、「第六図」の誤記と認める)。

2. 全長t―PAのcDNAのヌクレオチド配列及びそれから推定される完全なt―PAのアミノ酸配列等の化学構造(本件特許公報三三欄四〇行〜三九欄二一行、二一欄二〇行〜二二欄三三行、第四図、第五図、六〇欄八〜一〇行、第一二図)。

3. 発現例②、すなわち宿主細胞を大腸菌、発現プラスミドをpt-PAtrp12として発現した本件全長アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程及びこのt―PAの活性(繊維素溶解能)試験の結果(本件特許公報三九欄二二行〜四〇欄三四行、二四欄二二行〜二六欄一行、第九図、二六欄二〜二八行、第一〇図)。

(3)  実施例のE.2の項には、発現例③A、すなわち宿主細胞をCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)、発現プラスミドをpETPERとした本件全長アミノ酸配列を有するt―PAについて、

1. 第一一図にみられるようにt―PA断片をそれぞれ部分的にコードしているpPA25E10、pPA17及びpt-PAtrp12から調製された全長t―PAをコードする配列を含むプラスミド(pETPER)を構築したこと(本件特許公報四五欄一七行〜四八欄四四行)、

2. このプラスミドをCHO細胞にトランスフェクトし、目的とする形質転換されたCHO細胞を培地上に発生させて得たコロニーを数世代まで増殖させ、得られたコロニーを単離したこと(本件特許公報四九欄一〜一八行)

が記載されている。もっとも、同項(本件特許公報四五欄一七行〜五〇欄一四行、六〇欄五〜八行、第一一図〔特許異議答弁書提出時の補正書=<書証番号略>〕、六〇欄一〇〜一二行、第一三図〔特許異議答弁書提出時の補正書=<書証番号略>〕、第一四図)を始めとして本件特許明細書中には、発現プラスミドpETPERにより発現例③A(本件全長アミノ酸配列を有するt―PA)の発現を確認したことの明示の記載は見当たらないが、同項には、「トランスフェクトされ増幅されたコロニー中のt―PAの発現は、E.1.K.1.bで説明した方法……と同様の方法で簡便に検定され得る。」と記載されていること(本件特許公報四九欄二〇〜二四行)からすると、少なくともE.1.K.1.a,b(本件特許公報四一欄二〇行〜四二欄二〇行)で説明されている方法で表一(後記(5))に示されているp△RIPA。を含むE.coli(大腸菌)培養抽出物の活性化測定方法と同じ方法(本件特許公報四四欄一六〜三三行)、すなわちt―PAを含む溶液をプラスミノーゲン溶液とインキュベートした後に形成されるプラスミンを測定することによってt―PAの発現の有無を検出することができることは示されている。

(4)  実施例のE.3の項には、発現例③B、すなわち宿主細胞をCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)とし、上記(3)の発現プラスミドpETPERと同様の方法で構築したpETPFRを発現プラスミドとして産生された本件全長アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程及び同発現例の増殖条件別の産生量が具体的に記載されている(本件特許公報五〇欄一五行〜五三欄八行、六〇欄五〜八行、第一一図〔特許異議答弁書提出時の補正書=<書証番号略>〕、六〇欄一〇〜一五行、第一三図〔同補正書第一三図〕、第一四図、第一五図〔同補正書第一五図〕、第一六図)。

(5)  発現例①、②につき、表一にはp△RIPA。で形質転換されたE.coli(大腸菌)培養抽出物が、表二にはpt-PAtrp12で形質転換されたE.coli培養抽出物が、それぞれ抗t―PA抗体活性(特性③)を示すことが数値データ(パーセント活性)をもって示されており、また、第七図にはp△RIPA。で形質転換されたE.coli培養抽出物が天然t―PAと同様の繊維素溶解活性(特性①)を有することが示され、第一〇図にはpt-PAtrp12で形質転換されたE.coli培養抽出物が繊維素溶解能(特性①)を有することが示されている(本件特許公報四三欄一八行〜四五欄一六行、二二欄四〇〜四三行、第七図、二六欄二〜二八行、第一〇図)。

(6)  発現例③Bにつき、表三にはpETPFRで形質転換させたCHO細胞の増幅によってかなりの量のt―PAが産生できることが示されている(本件特許公報五一欄二二行〜五三欄八行)。

なお、本件特許明細書中には、発現例①及び②については各培養抽出物が天然t―PAと同様の生理活性(特性①、③)を有することを確認した旨の記載があるのに対し、発現例③についてはこの確認をした旨の明示の記載がないけれども、同明細書中には、

1. E.3.Bの項に、「……pETPFRを使用して……CHO細胞……をトランスフェクトした。選択用培地……で発生した二一個のコロニーをアッセイするために、……繊維素及びプラスミノーゲンを含む寒天プレート中の繊維素の消化によって測定されるプラスミン形成を測定した。」、「次に、E.1.K.1.bに記載した方法により、最もポジティブなクローンのうち四個の細胞当りのプラスミン形成を定量的に検定した。……前記の如き定量測定により、四個の被検クローンが、……培地内t―PA分泌を示すことが知見された。」と記載され(本件特許公報五〇欄四三行〜五一欄一七行)、

2. 表三の注(本件特許公報五二欄一六〜三四行)には、抗原抗体反応を利用して培地中のt―PAを検出及び定量する方法として、ウサギ抗t―PA抗血清のIgGを使用したラジオイムノアッセイ法を用いたこと

が記載されているから、1.記載のクローンの各測定をもって、発現例③Bの培養抽出物が特性①を有することの確認に代え、また、2.記載のアッセイ(検定)をもって、同培養抽出物が特性③を有することの確認をしたものと考えられる。

3・2 この各記載内容を総合すると、本件特許明細書中には、DNA技術を用いてt―PAを製造するための主要な技術事項として、

(1)  全長t―PAのcDNAの塩基配列及びそれから推定されるアミノ酸配列(全長t―PAに対応するcDNAの開始コドン「ATG」から停止〔終始〕コドン「TGA」に至る塩基配列及びそれから推定される第一審判決別紙目録(五)記載のマイナス三五番のメチオニンから五二七番のプロリンに至る五六二個の全アミノ酸配列を含む)、

(2)  ヒトメラノーマ細胞から得られたt―PAmRNAを起源とするt―PAcDNAを組み込んだ発現ベクターを構築し、このベクターで大腸菌又はCHO細胞を形質転換し、この形質転換細胞を培養し、増殖させてt―PAを産生させる各工程の具体例、

(3)  この具体例によりt―PAが充分量産生したこと、

(4)  産生したt―PAが天然t―PAと同様の生理活性(特性①、③)を有すること

を確認したことが記載されていると認められる。

3・3 そして、この記載内容を含む本件特許明細書の全記載及び全図面(第一〜第一六図)を総合すれば、本件発明は、組換DNA技術によってt―PAを製造する際に必須のt―PAの全アミノ酸配列を解明し、当業者であれば天然t―PAに代えて組換DNA技術によって充分な量のt―PAを実際に入手できる具体的な技術情報を開示し、医薬品(血栓溶解剤)としての市場認可に先立って必要とされる動物実験及び臨床実験を遂行するのに充分な質及び量のt―PAを製造することを実施可能にし、本件発明が技術的課題とした事項を解決したものと認められる。

第二発明未完成に関する主張について

1  発現例①について

控訴人らが発現例①は実際に創製されたものとは認められないと主張する根拠は、発現例①は、もともと米国第一特許出願明細書に唯一の発現例として開示されていたものであるが、同明細書第五図と本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))とではアミノ酸配列のうち一七五番、一七八番及び一九一番の三箇所に相違がある事実であり、この事実から、控訴人らは、米国第一特許出願明細書開示の発現例と本件特許明細書記載の発現例①とは、三箇所においてアミノ酸残基が相違する別物質であると主張する。

しかしながら、後記第四(優先権主張の可否の項)で判示するように両発現例は同一物質と認められるから、この点に関する控訴人らの主張は採用することができない。

2  発現例②について

控訴人らが発現例②は実際に創製されたものとは認められないと主張する根拠は、発現例②は、発現プラスミド「pt-PAtrp12」を用いた発現例ではなかったことを被控訴人自らが表明した上、米国においてその特許出願明細書(米国第三特許出願明細書)から、上記の発現例に関する記載を発現データも含めてすべて削除しているというものである。

そこで、この点についてみるのに、本件発明に対応する米国特許出願の過程において、本件特許明細書記載の発現例②に対応する記載のうち、繊維素溶解能アッセイに関する全記載(本件特許公報四〇欄七〜三四行に対応する部分)、「pt-PAtrp12の発現に関しては、……第一〇図における詳細な説明を参照されたい。」との記載(本件特許公報四三欄一五〜一七行に対応する部分)、pt-PAtrp12のE. coli培養抽出物によるプラスミノーゲン活性化を示す表二及び同表に関する全記載(本件特許公報四三欄一九〜二一行、二七行、四四欄一六行、三五〜四二行に対応する部分)が削除され、第一〇図の説明に関する記載のうち「E. coliW3110/pt-PAtrp12」(本件特許公報二六欄六〜七行に対応する部分)が「t―PA発現ベクターを含むE. coliW3110(ATCC27325)」と訂正され、「第一〇図は、pt-PAtrp12で形質転換されたE. coliにより産生されるヒトt―PAの繊維素溶解能に対するフィブリンプレートアッセイの結果を示す図である。」との記載(本件特許公報六〇欄二〜五行に対応する部分)から「pt-PAtrp12で形質転換された」との記載が削除されたものの、この発現例に関する記載そのものがすべて削除されたのではなく、E. coli中での成熟ヒトt―PAの直接発現をコードするプラスミドpt-PAtrp12が調製されたことは、本件発明に対応する米国特許明細書に依然として記載されている(<書証番号略>)。そして、被控訴人は削除、訂正につき、本件発明者らは、天然t―PAの一番から五二七番のアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列と同じ)をコードする全長のcDNAを含んでいる三つのクローンを取得し、それらのクローンの一つを組み込んだ発現プラスミドを構築することに成功し、pt-PAtrp12と命名したが(<書証番号略>、本件発明に対応する英国特許無効訴訟の過程において、米国第三特許出願明細書中でプラスミドpt-PAtrp12のものであると記載されている表二及び第一〇図は、全長t―PAをコードする全長クローンを含んでいるプラスミドのものではあるものの、それが、pt-PAtrp12のものであることを証明する資料(実験記録ノート等の基礎データ)を探し出すことができなかったことから、米国第三特許出願の過程において、同明細書中から裏付けのないpt-PAtrp12という発現プラスミドの名称と該名称による特定を除くために、削除、訂正による補正をしたと説明している(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

米国特許明細書の第一〇図及び同図の説明の項(本件特許公報二六欄二〜二八行、四四欄四四行〜四五欄一六行に対応する部分)には、t―PA発現ベクターを有する大腸菌由来の蛋白質は、繊維素溶解能のフィブリンプレートアッセイの結果、繊維素溶解能は抗t―PA抗体により阻害されることが記載されている(<書証番号略>)が、そのt―PA発現ベクターは特定されていない。このことと、前記のように、本件発明に対応する英国特許無効訴訟の過程の経緯から、米国第三特許出願の過程において、明細書中から、裏付けのないpt-PAtrp12という発現プラスミドの名称と該名称による特定を除くために、前記削除、訂正による補正をしたと説明していること、米国第三特許出願の過程において控訴人らから提出された書面(<書証番号略>)には、「我々が見いだしたものは、表二(原文に「表一」とあるのは誤記と認められる)及び第一〇図は、pt-PAtrp12のようなt―PAをコードする全長クローンを含んでいるものではあるが、pt-PAtrp12とは異なったプラスミドについての仕事から由来したという可能性、正にそれが事実らしいということを示唆する。」(六一頁)と記載されていること、からみると、前記削除、訂正後の米国特許明細書に記載のある「t―PA発現ベクターによる発現」は、「pt-PAtrp12によるもの」と一義的に認めることはできない。

しかしながら、米国特許明細書の実施例E.1.Iの項(本件特許公報三九欄二二行〜四〇欄六行に対応する部分)、第九図及び同図の説明の項(本件特許公報二四欄二二行〜二六欄一行に対応する部分)には、発現プラスミドpt-PAtrp12を構築する過程が詳細に記載され、pt-PAtrp12が全長t―PAをコードする全長クローンを含んでいることは明らかであり、かつ全長t―PAをコードする全長クローンを含んでいるt―PA発現ベクターを有する大腸菌由来の蛋白質が繊維素溶解能を有し、その繊維素溶解能が抗t―PA抗体により阻害されることも、米国特許明細書の第一〇図及び同図の前記の説明の項から明らかなので、pt-PAtrp12という発現プラスミドも当然同様の蛋白質を発現し得るものであることは容易に推認することができる。

したがって、発現例②が実際に創製されたものとは認められないとの控訴人らの主張は、採用することができない。

3  発現例③について

控訴人らが発現例③は実際に創製されたものとは認められないと主張する根拠は、発現例③について、本件発明の特許出願の過程で、発現プラスミドの構築に使用したと出願当初明細書に記載していた原料プラスミドの一種である「p△RIPA°」を、これとは全く別のプラスミド「pt-PAtrp12」に置換する明細書の補正を行った事実であり、控訴人らは、これは、被控訴人が発現ベクターの構築欠陥のため論理上一番から五二七番までの五二七個のアミノ酸配列から成る全長t―PAを発現することはできないことを認めて、発現プラスミドの構築欠陥を見掛け上修復したものである旨主張する。

そこでこの点についてみるのに、本件発明の特許出願後、出願公告前に、発現例③に関する「……(t―PA)をコードする配列を……発現プラスミドに以下の手順で挿入する(第一一図)……。オーバラップするt―PAプラスミド、pPA25E10、pPA17及びp△RIPA°……から三種の断片を以下の如く調製した。」との記載中「p△RIPA°」が「pt-PAtrp12」に補正されたこと(本件特許公報四五欄二〇〜二八行、第一一図〔昭和六三年一二月一五日付け手続補正書第一一図〕。ただし、本件特許公報四五欄二二〜二三行に「発現プラスミンド」とあるのは「発現プラスミド」の誤記と認める)は、控訴人ら主張のとおりである(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

しかしながら、補正前の明細書には、補正の対象となったプラスミドから得られる断片について、(1)該プラスミドを「PstI及びNarIで消化し、約三一〇bpの断片を単離した。」(本件特許公報四五欄三四〜三五行)、(2)「三一〇bp」の断片は、t―PAのアミノ酸配列の七番〜一一〇番に対応する塩基配列をコードするDNA断片である(第一一図)、(3)pPA25E10、pPA17及び該プラスミドから構築された発現ベクターpETPFRを組み込んだCHO細胞からt―PA、すなわち発現例③Bが発現した(本件特許公報五〇欄一五行〜五三欄八行)、(4)該断片をベクターに組み込んだCHO細胞を用いて産生したt―PA、すなわち、発現例③Bの産生レベルが「未増幅培養物でも0.5pg/細胞/日より高いt―PA産生量を示す」(本件特許公報五三欄五〜七行)、との記載がある(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。以上の事実に、VAN-NORMAN GOEDDEL=ゲデルの宣誓供述書(<書証番号略>)を総合考慮すると、発現例③Bは実際に産生されたものと認めることができる。そうすると、該プラスミドから得られる断片は、発現例③Bを産生させるための発現可能なベクターpETPFRを形成し得るものでなければならない。一方、プラスミドp△RIPA°はt―PAのアミノ酸配列の六九番から五二七番までをコードしているものなので(本件特許公報二二欄三四行〜三九行、第六図)、プラスミドp△RIPA°を用いた場合、発現例③Bが発現可能なベクターを形成するために必要なt―PAのアミノ酸配列の七番〜一一〇番に対応する塩基配列をコードするDNA断片を取り出すことができないことは明らかである(本件特許公報六〇欄五〜八行、第一一図〔昭和六三年一二月一五日付け手続補正書第一一図〕)。また、その塩基配列断片を含み、かつ制限酵素PstI及びNarIによる消化により約三一〇bpの断片を得られるプラスミドはt―PAのアミノ酸配列の一番から五二七番に対応する塩基配列をコードしているDNA断片を有するpt-PAtrp12であることは、本件特許明細書の記載(本件特許公報二四欄二二行〜二六欄一行、第九図)から容易に理解できることである(<書証番号略>)。そして他に、PstI及びNarIで消化し、三一〇bpの断片を単離できるプラスミドが存在することを認めるに足りる証拠はないので、「p△RIPA°」を「pt-PAtrp12」にする補正は、単なる誤記の訂正であったと認めるのが相当である。

控訴人ら提出の出願当時の技術水準に関する鑑定書(<書証番号略>)及び供述書(<書証番号略>)、並びに米国特許出願第四五九一五三号明細書(<書証番号略>)及び特開昭五九―一八三六九三号公報(<書証番号略>)も、上記認定を覆すに足りず、この点に関する控訴人らの主張も採用することができない。

4  「五つの特性」について

控訴人らは、発現例①ないし③が「五つの特性」すべてを具備することの実験的確認がされていないから、本件発明は未完成であると主張する。

しかしながら、発現例①、②及び③Bについては、前示のように天然t―PAが有する特徴的な繊維素溶解能活性(特性①)及び抗t―PA抗体活性(特性③)を具備することが確認されている。また、発現例①、②及び③Bは、いずれもt―PAのmRNAで合成したcDNAから転写(DNAの持っている遺伝情報が写し取られたmRNAが生合成されること)及び翻訳(細胞内でmRNAの持つ遺伝情報に対応してアミノ酸から蛋白質が生合成されること)により産生されたものなので、特段の事情のない限り、天然t―PAと同一のアミノ酸配列を有するものであると考えられる。そうすると、発現例②、③Bは、天然t―PAにおいて知られているのと同じフィブリン結合能(特性②)及び化学構造(特性④、⑤)を有するものと推認することができる。

したがって、控訴人らの主張は採用することができない。

第三新規性、進歩性

特許登録された発明に特許法二九条一項所定の新規性欠如があるか否かの最終的な判断は、特許の無効の審判で決着がつけられる。けれども、特許発明が全部公知であったなどの事由により、当該特許登録に明らかな無効事由がある場合には、特許発明の技術的範囲の認定判断ないし特許権の主張の可否判断に影響を及ぼすので、特許権の侵害の有無を審理する裁判所においても、事案の解決に必要な限度で、明らかな新規性の存否を判断することが必要となる。また、特許法二九条二項所定の進歩性欠如が明らかな場合も、同様、特許発明の技術的範囲の認定判断に影響を及ぼすので、侵害訴訟の裁判所にあっても、この限度で特許発明の進歩性の有無について検討が加えられなければならない。以上に従い、当裁判所は、新規性及び進歩性の明らかな欠如の存否を以下に判断することにする。

1  新規性

1・1  本件第一〜第三発明の特許請求の範囲に記載されている「ヒト細胞以外の(宿主)細胞」は、ヒト以外のすべての生物の細胞を意味するところ、<書証番号略>(大阪大学教授の池中徳治博士作成の鑑定書)に、「糖タンパク質である生理活性物質をこの方法(組換DNA技術)で作らせた場合、宿主細胞の違いによって異なる糖鎖を持った産物(原核細胞を宿主とした場合には糖鎖を欠いた産物)を得ることになる。」(四頁二四〜二六行)と記載されていることからすると、「ヒト以外の宿主細胞が産生する」糖鎖と「天然の糖鎖を有しない」ということは同義であるということになる。したがって、ヒト以外の宿主細胞が産生するt―PAの糖鎖が公知でなかった場合には、本件発明はいずれも新規性を明らかに欠如するものではないことになる。

1・2 この点につき、控訴人ら指摘に係る一九八二年(昭和五七年)一月四日発行のEuropean Journal of Biochemistry Vol.121所収の

"Messenger RNA for Human Tis-sue Plasminogen Activator"「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対するメッセンジャーRNA」

と題する報文(<書証番号略>)には、ボーズメラノーマ細胞由来のt―PAmRNAをアフリカツメガエルの卵母細胞中に注入し、その翻訳生成物がt―PAとしての活性を有することを確認したことが記載されているけれども、同報文上からも、このmRNAが純粋な全長の物が単離して使用されたとは認められない上、そのmRNAの注入方法も、メラノーマ細胞由来のmRNA溶液を卵母細胞中へ単に注入するというものであって、組換DNA技術(cDNAのクローニング、すなわちmRNAを単離し、それからcDNAを調製してこれをクローン化する方法)とは明らかに相違するものである。また、同報文記載の方法で産生したことを確認したとされる物質は、t―PAの特性①の触媒能及び特性③の免疫反応を有することが確認されたのみであり、それが天然t―PAないし本件発明のt―PAと同一の構造及び同一の特性①ないし⑤全部を有するt―PAであるとの確認もされていない。その上この物質は、卵母細胞中のt―PAのmRNAが翻訳する(すなわちmRNAが持つ遺伝情報に対応して、アミノ酸から蛋白質が生合成される)ものに限られることからみて、その産生量は微量かつ、限定的であって、cDNAをクローン化した場合のようにt―PAを大量生産することは困難である。さらに、同報文中には、「比較的低コストでの大量生産を達成するための一つの可能性は、外因性プラスミノーゲン活性化因子の遺伝子を大腸菌の発現プラスミドに挿入することである。この方向への第一の段階として、著者らはボーズメラノーマ細胞から活性型の外因性プラスミノーゲン活性化因子のメッセンジャーRNAを単離した。」、「我々の研究の目的は、外因性プラスミノーゲン活性化因子の遺伝子を原核生物のベクターにクローン化するための出発物質及びプローブとして外因性プラスミノーゲン活性化因子のmRNAを単離生成することであった。」と、研究の最終目的が記載されているだけで、単離したmRNAからcDNAを調製して組換DNA技術を用いてこれをクローン化するための具体的な試みは何ら記載されていない。

結局、上記報文をもってしても、ヒト以外の宿主細胞が産生するt―PAの糖鎖が公知であったとすることはできず、本件発明が明らかに新規性を欠如するものと認めることはできない。<書証番号略>(萬年成恭博士作成の「乙第二二号証に関する解説書」)も、右の判断を覆すものではない。

1・3 ちなみに、本件特許明細書及び図面の記載内容、並びに証拠(<書証番号略>、証人ポール・バーグ)によれば、本件発明者らは、

(1)  第一、第二優先権主張の米国第一、第二特許出願当時の既知の条件、すなわち、1)t―PAmRNAが微量である、2)t―PAmRNAの濃度が極めて低い、3)t―PAmRNAが非常に長いという条件の下に、合成オリゴヌクレオチドプローブ法に従い、まずボーズメラノーマ細胞からmRNAを採取し、これを逆転写してcDNAを作り、次に既知のt―PA部分長アミノ酸配列に対応する塩基配列の合成オリゴヌクレオチドを調製し、これをプローブにしてハイブリタイゼーションでアミノ末端が欠けた部分長t―PAcDNA断片を採取し、更にこの欠けた部分を採取するためにt―PAのアミノ末端に近いDNA配列を有する別の合成オリゴヌクレオチドを調製し、これをプローブにしてハイブリタイゼーションでアミノ末端を含む部分長t―PAcDNA断片を採取し、これらをつないで全長t―PAのcDNAを得た上、そのクローニングに初めて成功した点、

(2)  全長t―PAcDNAの塩基配列の解析を行い、t―PAmRNAの塩基配列を決定し、その結果全長t―PAのアミノ酸配列を解明した点、

(3)  t―PAcDNAを組み換えて宿主細胞中で発現させて得られたt―PAの生理活性(特性①、③)を確認している点、

において、米国第一、第二特許出願当時組換DNA技術を用いてt―PAを製造するための技術的課題とされていた主な困難点を解消し、かつ組換DNA技術によるt―PA製造に必須の要件であるt―PAのアミノ酸配列の解明及び組換DNA技術によって、当業者が容易に天然t―PAと同様の生理活性を有するt―PAの産生を再現できる程度の開示に成功したものと認められる。

なお、ここに書証として掲げたうち、<書証番号略>(大阪大学細胞工学センター教授の谷口維紹作成の鑑定書)は、上記の

"Messenger RNA for Human Tis-sue Plasminogen Activator"

と題する報文は、t―PAcDNAクローニングに必要な第一〜第六のステップのうち、第一ステップへの情報を提供し、第一ステップを誤りなく実施する上で役立っているものの、第二ステップ以降には何らの貢献もしていないとする。ここで、第一ステップとは、mRNAの抽出とその分画。第二ステップとは、cDNAの合成。第三ステップとは、合成したcDNAを用いてcDNAライブラリーを作成すること。第四ステップとは、cDNAライブラリーからのスクリーニング。第五ステップとは、目的のクローンの全長cDNAの取得。第六ステップは、クローニングしたcDNAの宿主での発現を指す。

1・4 また、控訴人ら指摘の一九八一年(昭和五六年)一一月七日発行のTHE LANCET誌に掲載された

"Preliminary Communication

SPECIFIC LYSIS OF AN ILIOFEMORAL THROMBUS BY ADMINISTRATION OF EXTRIN-SIC (TISSUE-TYPE) PLAS-MINOGEN ACTIVATOR"「予備報告―外因性(組織タイプ)プラスミノーゲン活性化因子の投与による腸骨大腿骨血栓の特異的溶解―」

と題する報文(<書証番号略>)には、天然t―PAを静脈内投与した治療実験の考察において、HEPA(t―PA)を大量生産する可能性の一つとして、発現プラスミド中にt―PAの遺伝子(DNA)を組み込んで行うバクテリアによる生合成であることが抽象的に指摘されているにとどまり、その具体的方法について示すところがないのみならず、t―PAのアミノ酸配列を報告するものでもない。したがって、同報文も、本件発明の新規性の明らかな欠如を認める資料とすることはできない(<書証番号略>)。

そのほか控訴人ら提出の鑑定書(<書証番号略>)及び供述書(<書証番号略>)を参酌しても、本件第一〜第三発明に明らかな新規性の欠如を認めることはできない。

1・5 なお、控訴人らは、細胞培養方法を明確に特定して記載していない本件第二発明は特許性を欠くと主張する。しかし、アミノ酸配列が分かっていれば、当業者としてt―PAを組換DNA技術により産生することは米国第一特許出願時においても容易であったものと認められるし(<書証番号略>)、細胞培養条件が細胞の種ごとに異なることは自明のことなので、その特定を特許請求の範囲に記載する必要はないものというべきである。控訴人らの右主張も理由がない。

2  進歩性

本件優先権主張日当時、その化学構造は別としてその存在が公知であったと被控訴人も自認する天然のt―PAと本件発明のt―PAとは、糖鎖において相違があるところ、本件発明のt―PAは、組換DNA技術によって産生されたものである。そこで、本件発明のt―PAは、この公知のt―PAと対比して進歩性を欠如するものなのか否かが問題となる。

本件優先権主張日ないし特許出願日当時における組換DNA技術で産生された蛋白質に関する発明についての進歩性判断に、控訴人らが援用する従来の化学物質に関する特許の運用基準を当てはめることができるか否か、仮にこれを肯定することができるとして、その程度ないし態様は、本件でも当事者間で重大な争点となっているように、当時にあってはもちろんのこと、現在においてもなお最先端技術の分野に属する組換DNAの技術分野の発明の特許要件一般の問題にかかわることとして、極めて困難な側面を有し、しかく一義的には決定することができない問題である。本件では、蛋白質の一種であるt―PAの物の発明ないしその製法の発明、医薬の発明の進歩性の欠如の有無が争点とされているが、侵害訴訟を審理してきた当裁判所としては、単純に化学物質に関する特許の運用基準に従って、本件発明、とりわけそのうちの本件第一発明のt―PAの進歩性が欠如するとの点を前提に展開する控訴人らの主張をもって、進歩性の明白な欠如を根拠付けるものとすることはできないと考えざるを得ず、この主張は、本判決においては、採り上げることができない。そして、上記運用基準の適用を前提にする以外にも、本件発明の進歩性の明らかな欠如を根拠付ける事項は認めることができず、進歩性欠如に関する控訴人らの主張は理由がないことに帰するものと判断する。

第四優先権主張の可否

1  主張の要約

控訴人らは、米国第一、第二特許出願の各明細書第五図と米国第三特許出願明細書第五図及び本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))におけるアミノ酸配列は、一七五番、一七八番及び一九一番の計三箇所において相違する。これは、米国第三特許出願の際にアミノ酸配列が変更されたことによるものである。アミノ酸配列はt―PAの骨格を形成するので、この変更により、t―PA、すなわちDNAの実体が変更されたことになり、本件発明につき、米国第一、第二特許出願に基づいて優先権を主張することは許されないと主張する。

この主張は、米国第一、第二特許出願の各明細書第五A〜C図と、米国第三特許出願明細書第五A〜C図及び本件特許明細書第五A〜C図(第一審判決別紙目録(五))のアミノ酸配列とを比較すると、第一審判決別紙対照表記載のとおり、本件部分的アミノ酸配列に含まれる一七五番、一七八番、一九一番の三箇所のアミノ酸をコードするDNAのコドンにおける塩基が、それぞれ一個ずつ、計三個違っていることに基づく。

そして、米国第一、第二特許出願の後で、米国第三特許出願の日の前に当たる一九八三年(昭和五八年)一月二〇日発行のnature誌に掲載された"Cloning and expression of human tissue-type plasminogen activator cDNA inE. coli"(ヒト組織型プラスミノーゲン活性化因子cDNAのクローニングと大腸菌における発現)と題する報文において、本件発明者らは、本件特許明細書記載の発現例①、②に関する知見を発表し、同報文第三図Bに本件特許明細書第五図と同内容の全長t―PAのアミノ酸配列を開示した(<書証番号略>、弁論の全趣旨)ことから、本件特許出願について、米国第一特許出願及び第二特許出願を基準に優先権主張することができるかが、問題となっている。

(注1) この主張を敷衍すると、次のとおりである。

本件特許明細書には、クローン25E10は、同明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))に示される二四三番から始まる二三〇四bpの長さを有し、五〇八個のアミノ酸から成るタンパクをコードしており、七四五bpの3'非翻訳領域を含むが、N末端(5'アミノ末端)をコードする配列が欠失したクローンであることが記載されているから(本件特許公報三一欄四二行〜三二欄一三行)、これは、<書証番号略>に記載されているコンピュータープリントアウト図に示されたものと符合するものと一応考えられる(ただし、公報には五〇八個とあるが、五〇九個の誤記と認める)。そうすると、コンピュータープリントアウト図の一番のアミノ酸が、本件特許明細書第五図及び米国第一特許出願明細書第五図の一九番のアミノ酸に対応し、以下同様に一八番ずつアミノ酸番号がずれてそれぞれ対応することになる。

控訴人らは、以下の理由により、後記の本件発明者らの宣誓供述書のコンピュータープリントアウトされたクローン図又は米国第一特許出願明細書第五図に示されたt―PAと、本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))に示されたt―PAとは同一ではないと主張する。

第一審判決別紙Ⅰでは、本件特許明細書第五図を基準にして六九番から五二七番のアミノ酸配列について、コンピュータープリントアウト図、米国第一特許出願明細書第五図及び本件特許明細書第五図の間で、アミノ酸残基又は塩基に相違のある部分が抽出して対比されている。第一審判決別紙Ⅱは、同様に本件特許明細書第五図を基準にして一九番、二〇番及び二一番のアミノ酸残基及びこれに対応する塩基について、これら三者を対比している。ただし、第一審判決別紙Ⅰ、Ⅱでは対比の便宜上、コンピュータープリントアウト図におけるmRNA表記(mRNA表記の「U」)をDNA表記(対応するDNAの塩基「T」)で示している。

第一審判決別紙Ⅰによれば、本件発明者らが発現プラスミドp△RIPA°に組み込んだt―PAの六九番から五二七番までのアミノ酸配列をコードするDNAは、米国第一特許出願明細書第五図記載の六九番から五二七番までのアミノ酸配列をコードするDNAと同じであるが、本件特許明細書第五図に示されたDNAとは、一七五番、一七八番、一九一番の計三箇所のアミノ酸をコードするDNAのコドンにおける塩基が各一個ずつ相違しており、この相違は発現する蛋白質において一七五番、一七八番及び一九一番のアミノ酸計三箇所の相違をもたらす。

以上が、控訴人らの主張の敷衍である。

(注2) なお、控訴人らは、第一審判決別紙Ⅱによれば、後記本件発明者らの宣誓供述書に記載のクローン25E10は、米国第一特許出願明細書第五図及び本件特許明細書第五図に示されたDNAとは、一九番、二〇番、二一番のアミノ酸をコードする部分において、塩基が九個中八個相違しており、これら九個の塩基に対応する一九番、二〇番及び二一番のアミノ酸三箇所が同明細書第五図記載のものと相違するDNA、すなわちt―PA遺伝子に対応しないDNAであったと主張し、米国第一、第二特許出願に基づく優先権主張の不許の根拠とするようであるが、米国第一、第二特許出願と本件特許明細書の記載の相違を述べるものではないので、この主張事実をもって、優先権主張の不許の主張の根拠とすることはできない。

(注3) 控訴人らは、五一二番の塩基も、米国第一、第二特許出願の各明細書第五A〜C図と、米国第三特許出願明細書第五A〜C図及び本件特許明細書第五A〜C図との間で相違すると主張するが、この間に五一二番についての相違はなく、この相違は、本件発明の特許出願における特許異議答弁書提出時の補正(昭和六三年一二月一五日付け)によって生じたものである。そこで以下では、優先権主張の問題に関する限り、五一二番の塩基の相違については判断しない。

2  前提

出願内容の同一性を判断する基準書類は、優先権主張をした者が特許庁に特許出願の日から三か月以内に提出した発明の明細書及び図面の謄本、又はこれらと同様な内容を有する公報若しくは証明書であって、その同盟国の政府が発行したものである。優先権主張の適否は、それらの書類に優先権の主張された発明の構成部分が、開示されているかどうかで判断されるべきであり、最初に出願をした国(第一国)において最初の出願の内容が、その後訂正されたか否かは、優先権の当否を判断する上で意味を持つものではない。

この基準書類に記載されている事項の解釈においては、第一国出願時の技術常識を参酌して判断することは許されるので、そのような技術常識の存在を証明するために他の文献等を参酌することはあり得るが、それ以外の目的のために第一国出願日より後に刊行頒布された文献、第一国出願日より後にされた追試実験等あるいは後にされた別の出願内容を参酌することが認められるものではない。

まずは以上のように解釈することができるし、また、優先権主張の基礎となる第一国出願書類が、後日その国の特許出願で補正されようとも、その補正内容は、優先権主張の基準となるものではない。そして、米国第二特許出願及び米国第三特許出願は、米国第一特許出願のcontinuation-in-part(CIP出願。一部継続出願)といわれるものであり、これについては、特許庁の「特許・実用新案審査便覧」15.12Aに記載されているように、「米国における原出願及びこれに対するCIP出願の両者を優先権主張の基礎としている場合、わが国への特許出願に係る発明の要旨中原出願の明細書及びCIP出願の明細書に共通に記載されている事項については原出願の出願日を、CIP出願の明細書のみに記載されている事項についてはCIP出願の出願日を優先権主張日として優先権主張を認める。」とされるべきことにも、当裁判所として差し当たり異論を持つものではない。

しかし、米国における原出願に記載されている発明の内容は、その出願書類に記載されている特許請求の範囲(クレーム)の文言だけを基準にしてしか判断できないというように硬直的に考えるべきものではなく、当時の技術水準や明細書全体からみて明らかな誤記があると認められる場合には、その特許請求の範囲の記載文言も、誤記のあることを前提にして解釈することが許されるのは当然である。当業者が当該発明を実施する場合において特許請求の範囲に明らかな誤記があることが判明する場合にあっても、同様、誤記であることを前提にして、特許請求の範囲の記載文言が解釈されるべきものである。要は、当業者が明細書の記載から率直に理解できるところに依拠して、特許請求の範囲に誤記があったか否かが判断されなければならないし、また、これをもって足りるものというべきである。

3  本件特許明細書の記載

3・1 本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))のt―PAcDNA塩基配列及びそれに対応するアミノ酸配列を決定するために使用されたcDNAクローンpPA25E10及びpPA17(本件特許公報三七欄一三〜二一行)のうち、pPA25E10は、第五図のヌクレオチド二四三番から始まる二三〇四bpから成るもの(本件特許公報三二欄五〜八行。アミノ酸では、同図の一九番から五二七番までを含む)をコードするDNA断片である。pPA17は第五図のヌクレオチド一番から始まる二七一bpから成るもの(三七欄三〜九行)、すなわち同図の一番から二七一番までの塩基(アミノ酸では、同図の一番から二七番までを含む)をコードするDNA断片であり、前示の変更された三箇所のアミノ酸配列は、いずれもpPA25E10に含まれる。

3・2 pPA25E10の特定に至る経緯に関する本件特許明細書の記載をみると、

(1)  ヒトメラノーマ細胞から得られたmRNAを分画し、その各ゲル画分から得られた翻訳産物(蛋白質)を抗t―PA特異的IgGで免疫沈降させたところ、主な免疫沈降ポリペプチドバンドは、分子量約六三、○○○のRNA画分No.7及びNo.8の翻訳産物中にみられた(本件特許公報二六欄二九行〜二八欄四一行)。

(2)  そのゲル画分mRNA(No.7のmRNA)から二重鎖cDNAを調製してデオキシ(C)残基を結合し、このcDNAをPstI部位にデオキシ(G)残基を結合したプラスミドpBR322とアニールし、次いでE. coliK12株二九四に形質転換させ、四六〇〇個の形質転換株を得た(二八欄四二行〜二九欄一六行)。

(3)  精製t―PAをトリプシンで消化し、得られたペプチドのHPLCトレースから、トリプトファンを含むペプチドピークを検出した。多分トリプトファンを含むと思われるペプチドピーク、又は他の理由で有用と考えられたペプチドピークの配列決定を最初に行った。これにより大部分のトリプトファンの周辺の配列を決定し得た。約二五個の最も可能性があると思われるペプチドピークの配列決定後、一列に並べた全部の配列データをプールしてt―PAの一次構造の予備モデルが得られた。このデータ及びモデルからいくつかの可能なプローブの位置を決定した(三〇欄一一行〜三一欄三行)。

(4)  その四六〇〇個の形質転換株のcDNAコロニーライブラリーを、32P―標識プローブ(既知のアミノ酸配列W-E-Y-C-Dに対応する八種の塩基配列の合成デオキシオリゴヌクレオチド)とハイブリダイズさせ、その中でポジティブな反応を示した一二個のコロニーからプラスミドDNAを単離した(二九欄一六〜三一行、三一欄三二〜三四行)。

(5) DNA配列の決定は、これらのコロニーの各々からのcDNAインサート(挿入体)について鎖終止法(chain termination法)及びマキシムギルバート法(Maxam Gilbert化学法)で行った(三一欄三四〜三九行)。

(6)  コロニー25E10中のcDNAインサートのアミノ酸配列と精製t―PAから得られたペプチド配列との比較及びE. coli中で産生される発現産物とから、このcDNAインサートがt―PAをコードするDNAであることが判明した(三一欄四二行〜三二欄五行、二一欄二〜一九行、第三図)。

(7)  クローン25E10をプラスミドpPA25E10と命名した(三二欄五〜六行)。

以上の事実が示されている。

ここで、pPA25E10のcDNAインサート(挿入体)の構造は、

長さ:二三〇四bp

塩基配列の位置:ヌクレオチド二四三番目から始まる

アミノ酸配列:t―PAの一九〜五二七番目(五〇八個:五〇九個の誤記)

非翻訳領域:七四五bpの3'非翻訳領域を含む

である(三一欄四二行〜三二欄一三行)。

3・3 クローンpPA25E10の発現試験に関する本件特許明細書の記載をみると、

(8)  pPA25E10を制限酵素によって消化させて得た、六九番から一一〇番までのアミノ酸配列に対応する塩基配列を有する断片と、一一一番から五二七番までのアミノ酸配列に対応する塩基配列を有する断片とを、ベクター断片に結合させて、t―PAの六九番から五二七番までのアミノ酸配列(本件部分的アミノ酸配列)に対応する塩基配列を有するcDNA断片を含むプラスミドp△RIPA°を構築し、E. coli294株に形質転換させ、このプラスミドの発現産物を試験したところ、所望のt―PAを産生していた(本件特許公報三二欄一六行〜三三欄三九行、二二欄三四行〜三九行、第六図)。

(9)  表1によると、p△RIPA°を含むE. coli培養抽出物が、プラスミノーゲンを活性化する活性を生成し、この活性が抗t―PA抗体によって阻害される。第七図によると天然t―PAと同様の繊維素溶解能を有する(四二欄三八行〜四四欄三三行、二二欄四〇〜四三行、第七図)。

以上の事実がそれぞれ開示されている。

4  本件発明者らの宣誓供述書

4・1 <書証番号略>(VAN-NORMAN GOEDDEL=ゲデルの宣誓供述書)及び<書証番号略>(同号証の一に添付のプラスミノーゲン活性化因子発現試行ノート)、並びに<書証番号略>(DIANE PENNICA=ペニカの宣誓供述書に表示された証拠書類のノート)には、控訴人らが主張するように、本件発明者らがボーズメラノーマ細胞のmRNAからクローニングにより最初に取得し「25E10」と命名した部分クローンについて、

(1)  クローン25E10から切り出したDNA断片を組み込んで発現プラスミドp△RIPA°を構築し、発現試験を行ったこと、

(2)  クローン25E10の五〇番のアミノ酸の後のDdel部位から発現させたこと、

(3)  プラスミドp△RIPA°による発現試験により、クローン25E10がt―PAcDNA断片であることが確認されたこと、

(4)  クローン25E10の全塩基配列のmRNA及びこれに対応するアミノ酸配列についてコンピュータープリントアウトしたこと、

(5)  クローン25E10は5'アミノ末端が欠落している二三〇四bpの長さを有していたこと(ただし、コンピュータープリントアウト図の「op」〔終始コドン〕には番号五〇九が付されているが、この番号はその一つ前の「pro」〔プロリン〕に付すべきものと認める)

が記載されている。

4・2 そして、<書証番号略>(VANNORMAN GOEDDEL=ゲデルの宣誓供述書)には、「天然t―PAの六九〜五二七番目のアミノ酸をコードするcDNAを組み込んだプラスミドp△RIPA°の構築に成功し、一九八二年二月八日に、このプラスミドが大腸菌宿主中でフィブリン結合能を示し、抗t―PA抗体により中和される上記アミノ酸配列から成るN末端欠失t―PAを発現することを確認した。」との記載がある。

<書証番号略>(VANNORMAN GOEDDEL=ゲデルの宣誓供述書)には、米国第一特許出願明細書に記載のとおりの全長アミノ酸配列に対応する塩基配列のDNAを用いても天然t―PAと同様の特性①の触媒能及び特性③の免疫反応を具備していることが示されている。

<書証番号略>(VANNORMAN GOEDDEL=ゲデルの宣誓供述書)には、発現ベクターp△RIPA°の構築を一九八二年一月二七日に完成したこと、p△RIPA°による発現結果は、cDNAクローン25E10が一つのt―PAcDNAであるということの明瞭な確認を与えたことが記載されており、<書証番号略>(同号証に添付のプラスミノーゲン活性化因子発現試行ノート)には、p△RIPA°の塩基配列として米国第一特許出願明細書に記載されているのと同じ塩基配列が記載されている。

<書証番号略>(DIANE PENNICA=ペニカの宣誓供述書に表示された証拠書類のノート)には、一九八二年二月八日に25E10についてフィブリン寒天プレートアッセイ中でt―PA活性試験し、フィブリン溶解が観察され、そして抗t―PA抗体で阻害されることが示され、それによって25E10が真実t―PAcDNAクローンであるということが確認された旨の記載がある。

5  本件発明者らの確認

以上の本件特許明細書の記載と宣誓供述書の記載を総合すると、本件発明者らは、t―PAの六九番から五二七番までのアミノ酸配列(本件部分的アミノ酸配列)に対応する塩基配列を決定するために使用されたcDNAクローンpPA25E10が、天然t―PAと同様に生理活性(特性①の触媒能及び同③の免疫反応)を具備することを確認していたものと認めるのが相当である。そして、<書証番号略>(米国第一特許出願の優先権証明書)、<書証番号略>(米国第二特許出願の優先権証明書)及び後記の<書証番号略>の長田鑑定書の記載からすると、pPA25E10をクローニングするまでの過程は、米国第一、第二特許出願明細書、nature誌及び本件特許明細書の間で一致していることが明らかである。そして、上記<書証番号略>によれば、nature誌掲載論文を本件発明者らが作成するに当たってt―PAの塩基配列を有するcDNAクローンを取得し直した形跡はないこと、完全なt―PAcDNAは約二五〇〇bpから成るが(本件特許公報三七欄二二行には「二五三〇bp」とある)、米国第一、第二特許出願当時の技術水準では、このような長さを有する長鎖のDNAの全塩基配列を完全かつ正確に解析(決定)することが困難な状況にあったと認められることも合わせて考えると、少なくとも本件発明者らの主観的な観点からみる限りにおいては、前記三箇所のアミノ酸配列の相違は単なる誤記であったということになる。

6  当業者の理解

6・1 そこで、この誤記が当業者にとっても明らかな誤記と認めることができるかを問題としなければならない。この点を検討するには、専門家がどのように理解しているかが重要な指針となるところ、<書証番号略>(大阪バイオサイエンス研究所分子生物学部門研究部長の長田重一博士作成の昭和六三年九月八日付け鑑定書)に記載があるのは、

「t―PAのcDNAは約二五〇〇bpから成るが、こうした長いアミノ酸配列から成る蛋白質の遺伝子をクローニングして決定されるDNA配列にわずかではあっても、誤りが生じるのは当時避けられなかったと考えられる。

現在では、cDNAの配列決定に際し、DNA配列自動解析装置が存在するが、当時こうした機器は存在せず、Maxam Gilbert法やSanger法で〔32P〕を用いて形成されたX線フィルム上のラダーを目視して判読していた。したがって、この目視による判読の誤り、判読の結果の書き移しの誤り、更に、書き移した物を転書する際のタイプミスがよく起こった。

したがって、cDNAの一部についての誤記は、このような過程で生じた単純なミスと思料される。

t―PAcDNAのクローニングに関する発明は、t―PAcDNAがスクリーニングによってクローニングされ、これをベクターに継ないで、宿主中で発現したことをもって完成している。t―PAcDNAの配列決定とは、t―PAの構造の確認という意味を有するにすぎず、発明の完成には影響がない。

t―PAcDNA配列に若干の誤記があっても、プラスミドの名称に間違いがあっても、クローニングは再現できる。

すなわち、通常公表された塩基配列から合成ヌクレオチドプローブを作製してクローニングする場合、一箇所のみをプローブに使うのではなく、異なる二、三箇所をプローブとする。だから、誤記された部分をプローブの一つとして使った場合でもcDNAを見落とすことはない。三〇残基以上から成る長いオリゴヌクレオチドをプローブとして用いる場合も可能であり、その際は、その一部の配列に誤りがあっても、完全長cDNAをクローニングすることは可能である。」

骨子、以上のとおりである。

6・2 そして、<書証番号略>(同じ長田重一博士作成の平成四年五月一二日付け鑑定書)には、次の記載、すなわち、

「米国第一特許出願明細書、第二特許出願明細書とnature誌に記載されているクローンpPA25E10が同一の核酸断片を含有すると考えるが、その理由は、次の二つである。

(1)  nature誌の二一六頁左欄には、コロニーpPA25E10cDNAインサートのみが、メラノーマt―PAのトリプトファン分解で得られるペプチドのアミノ酸配列をコードする配列を含有すると記載されている。したがって、pPA25E10以外には、t―PAcDNAインサートを含むクローンは見いだし得なかった。

(2)  pPA25E10をクローニングするまでの過程は、nature誌及び二つの米国特許出願明細書において全く一致している。すなわち、起源が同じmRNAからcDNAを合成し、約四六〇〇個の形質転換体を得て、同一の一四量体プローブを用いてpPA25E10をクローニングしている。

(3)  上記のように、pPA25E10は、五〇八アミノ酸のタンパクをコードする最長のオープンリーディングフレームを含有する点でnature誌及び二つの米国特許出願明細書の記載は一致している(nature誌二一六頁左欄、米国第一特許出願明細書二七〜二八頁及び第二特許出願明細書二八頁)。また、クローンpPA25E10に含まれるt―PAcDNAのインサートの長さが二三〇四bpである点でnature誌(二一六頁左欄)及び米国第二特許出願明細書(二八頁)の記載は一致している。

このように、クローンの呼称の一致、クローンを得るまでの過程の一致、クローンの構造的特徴の一致から、クローンpPA25E10に含まれる核酸断片は、nature誌及び二つの米国特許出願明細書とも同一であると判断せざるを得ない。」

との記載がある。

6・3 これらの記載によれば、一七五番、一七八番及び一九一番の計三箇所のアミノ酸配列の差異・変更は、cDNA又はmRNAの塩基配列解析の誤りによる配列の誤記を後日訂正したものであることを否定し去ることはできない。

控訴人らは、本件の基準書類である米国第一特許出願明細書及び図面の記載には、米国第三特許出願明細書に記載の塩基配列は記載されていないから、基準書類からは、cDNAの塩基配列解析に誤りがあるかどうかは判断できないし、まして、正しい塩基配列が米国第三特許出願明細書に記載の塩基配列であることは分からない、と主張する。

しかしながら、米国第一特許出願明細書には、天然に存在するヒト組織プラスミノーゲン活性化因子のmRNAから得られたcDNAから作製されたプラスミドp△RIPA。を用いて、目的とする蛋白質を大腸菌から発現させた発現例が実施例として記載されており、さらに、米国第二特許出願明細書には、この実施例に加えて、プラスミドpt-PAtrp12を用いて目的とする蛋白質を大腸菌から発現させた発現例が実施例として記載されているように、米国第一、第二特許出願明細書には、そこで得られたt―PAの取得経過が記載されており、その経過の記載は本件特許明細書の記載と相違するものではない(<書証番号略>)。本件発明者らが発表したnature誌Vol.301の二一四〜二二一頁に記載の組換t―PAcDNA配列及びそれから推定されるアミノ酸配列も、二つのクローンpPA25E10及びpPA17から決定されることが記載されている。そして、変更された三箇所のアミノ酸配列を含むpPA25E10のクローンを調製したプロセスを記載した部分を比較すると、前記認定のそれぞれの記載の比較と、<書証番号略>の長田鑑定書からも明らかなように、両者は実質的に同じである。この調製プロセスに従えば、当業者は、米国第一特許出願明細書及び第二特許出願明細書に記載のアミノ酸配列は誤記された可能性があると考えを抱くのが自然である。

確かに、米国第一特許出願及び第二特許出願の明細書の記載についてみれば、当時得られたcDNAクローンのアミノ酸配列の分析ないしその転記に誤りがあっただけなのかの決定的な証拠はない。けれども、明細書に記載された方法によるクローンが安定して得られ、その効果も顕著なものがあったとする本件発明者らの前記宣誓供述書の記載と、本件明細書の前記記載を対比すると、nature誌への記載ないし米国第三特許出願に当たって特段の作為がされたものと認めることは困難である。nature誌に記載されたcDNAクローンと同じアミノ酸配列を有するクローンが、米国第一特許出願及び第二特許出願当時において既に得られていたと認めるのが自然であり、経験則にも合致する。

そうだとすれば、米国第一特許出願及び第二特許出願に記載されていたクレーム中の前記アミノ酸配列の記載は誤記にすぎないと認めるべきである。そして、t―PA活性を持つ物質を産生させたことが、本件発明の核心をなすものというべきであるし、この産生の過程は米国第一特許出願及び第二特許出願の明細書に開示されているところなので、このような誤記があったとしても、右各特許出願において本件発明の開示があったと考えるのに差し支えはない。

6・4 ちなみに、<書証番号略>(大阪大学細胞工学センター教授の谷口維紹作成の鑑定書)には、「米国第一特許出願当時でも、cDNA配列が明らかになりさえすれば、当業者はt―PAを組換DNA技術により産生することは容易であった。組換t―PAを再産生するに当たっては、確かに解析を誤った部分をプローブに使えば、t―PAcDNAをクローニングできない場合もある。しかし、通常、cDNAをクローニングする際には構造解析を誤った塩基配列部分を用いる確率は極めて低く、再現性を妨げるものとは考えられない。通常は複数のプローブDNAを用いるのが常識であり、例えばcDNAの上流部分と下流部分の各一五〜二〇塩基配列のプローブを作り、これからcDNAを合成する場合が多い。t―PAcDNAにおいても同様であり、複数のプローブDNAを使用すれば問題はない。」との記載がある。この見解は、当業者にとって、問題となっているアミノ酸配列の相違は、t―PAcDNAの再現性について問題がないことを裏付けている。

6・5 専門家の意見として、次のものを検討する。

<書証番号略>(京都大学化学研究所長の高浪満作成の鑑定書)は、一九八二年当時にはDNAの塩基配列を正確に決定することができる二種類の塩基配列決定法が確立されており、常用されていたのであって、当時でも塩基配列決定の間違いの可能性は極めて少なかったとし、米国第一特許出願及び第二特許出願の明細書に記載の塩基配列から米国第三特許出願明細書の塩基配列への変更の経緯は、次のいずれかであろうと推察している。

(a) 塩基配列を与えたDNAクローンの再分析、あるいは塩基配列を与えた分析データの再検討により、違いを発見して訂正した。

(b) 何らかの理由により最初に分析したDNAクローンの配列に違いがあることに気付き、独立のcDNAクローン、あるいはゲノムDNAを分析して、配列データを訂正した。

そして同号証の鑑定書は、(a)の場合は、単純なミスと考えられるが、(b)の場合は、米国第一特許出願のデータを得たクローンは、真のt―PAcDNAの変異体などであったことになる、としている。また、<書証番号略>(東京大学教授大石道夫作成の鑑定書)、<書証番号略>(大阪大学名誉教授=蛋白工学研究所長池原森男作成の鑑定書)にも、これと同旨を記載する部分がある。

しかし、この鑑定書の記載も、(a)の単純なミスの可能性を示唆している。したがって、nature誌と二つの米国特許出願明細書のクローンpPA25E10は同一の核酸断片を含有するものであったことを否定するものではない。理論上、(a)と(b)の両様の考え方があることを示唆したにとどまり、当業者の理解が前記のようなものであったことの妨げにはならないのである。

前記の本件特許明細書の記載と宣誓供述書の記載によると、cDNAクローニングの過程は、米国第一特許出願、第二特許出願に記載されたところとnature誌記載のところとは同一であるとする前記長田重一博士作成の鑑定書の結論を裏付けるものであれ、これを否定することはできない。

(注) なお、ペニカの宣誓供述書に表示された証拠書類(<書証番号略>)には、25E10に欠落していた5'アミノ末端領域を有するクローンの一つであるクローンⅩⅧに関し、(a)「HhaⅠ部位が失われていた。」、(b)「HhaⅠ部位でCからTへの単一塩基対変化を保有していることが見いだされた。」との記載がある。

控訴人らは、この記載に基づき次のとおり主張する(第一審平成三年三月六日付け証拠説明書)。

HhaⅠ部位は、クローン25E10とこれに欠落していた5'アミノ末端領域を有するクローンとの両クローンが共通して保有する制限酵素部位であり、本件特許明細書第九図(又は第五図)に示されているアミノ酸残基のうち二二番のロイシン(LEU)と二三番のアルギニン(ARG)にまたがる部位にある。クローンⅩⅧに関する(a)、(b)の事実を第一審判決別紙Ⅲに図解すると、第一審判決別紙Ⅲ中、長方形内の塩基対がHhaⅠ認識配列であり、点線はHhaⅠ切断部位を示し、下線を付した塩基TがCからTへ変化したことを示し、①〜④はこの単一塩基対変化のケースとして四通りがあり得ることを示している。そうすると、第一審判決別紙Ⅲに示すとおり、クローンⅩⅧはHhaⅠ該当部位が①〜④の四通りの配列のうちのいずれかであったことを意味するから、いずれもHhaⅠ部位の塩基CがTに変化した、t―PA遺伝子に対応しないいわゆる人工物であった可能性がある。しかも、ケース①及び④であれば、二三番のアミノ酸も変化している。

このように、本件発明者の一人であるペニカ自身も、t―PAcDNAクローニングにおいて、本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))に示されたt―PAcDNAとは異なった塩基配列を持ったDNA断片(後に命名されたクローンpPA17)を取得していたから、被控訴人が米国第一特許出願明細書第五図に示されたt―PAと本件特許明細書第五図に示されたt―PAとが同一であることの根拠の一つとして主張する「ヒトゲノム中に存在するt―PA遺伝子は一個なので、取得されるt―PAcDNAは唯一種だけである。」との点及び「t―PAの遺伝子は一個なので、ヒトのいかなる組織から分離調製されるDNAであろうとその塩基配列に変わりはない。」との点は、本件発明者自身が経験した事実に反する根拠のないものである。すなわち、本件発明者らがクローニングにおいて発現プラスミドp△RIPA。に組み込んだDNAは、米国第一特許出願明細書第五図記載の六九〜五二七番目のアミノ酸をコードするものであったということになる。

控訴人らは以上のとおり主張するが、しかしながら、<書証番号略>には、

(1)  「一九八二年三月五日 実験ノート八第八三頁:伸長されたクローンⅩⅦの全長配列が記録された。クローンⅩⅥ、ⅩⅦ及びⅩⅧが欠落していた5'末端領域を持っており(今やt―PAの末端ペプチド配列が判明した)、ⅩⅦが最長のものであった。欠落していた5'末端領域を見いだすのに一九八一年一〇月二〇日から一九八二年三月五日までかかった。伸長されたクローンⅩⅦは後にpPA17と再命名された。」(四二頁八〜一三行)

(2)  「全長cDNAクローンの構築:一度25E10及びpPA17が得られたからには、両部分クローンによって共有されている共通のHhaⅠ制限エンドヌクレアーゼ部位を使用してt―PAの完全なコード配列を再構築することが可能であった。pPA17及び25E10を発現ベクターpt-PAtrp12に結紮するステップは特許の第九図に図解されている。制限断片は消化されたDNAの電気分解ゲルから適当な長さの断片の溶出によって単離された。」(四三頁一三〜二一行)

(3)  「一九八二年三月六日 実験ノート八第八六〜八八頁:5'クローンPA18からの断片の単離。Sau 3a+HhaⅠを用いて八〇bpのBglⅡ-HgiA断片が開裂されたが、正しくない長さの断片が得られ、そしてHhaⅠ部位がこのクローンから失われていたと考えられた。」(四四頁九〜一三行。この記載中に控訴人ら主張の記載(a)がある。)

(4) 「一九八二年三月九日 実験ノート九第二〜七頁:クローン一七から二五〇bpのBglⅠ-BblⅡ断片が調製され、そしてこの断片がクローニングできるかどうかを調べるためにHhaⅠで切断された(クローン一八はHhaⅠ部位でCからTへの単一塩基対変化を保有していることが見いだされた)。PA17からのHhaⅠ-BglⅡ断片がSau 3aで切断され、そして五五bpのSau 3a-HhaⅠ断片が全長結合用に単離された。この断片はたくさん作られた。実験ノート九第二五頁。」(四四頁一四〜二一行。この記載中に控訴人ら主張の記載(b)がある)

との記載がある。

これらの(1)ないし(4)の記載によれば、後にpPA17と再命名されたクローンⅩⅦは25E10に欠落していた5'アミノ末端領域を持っており、両部分クローン(25E10及びpPA17)によって共有されている共通のHhaⅠ制限エンドヌクレアーゼ部位を使用してt―PAの完全なコード配列を再構築することが可能であったということであるから、本件発明者らが、最終的にクローンⅩⅦが本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))に示されたt―PAcDNAの塩基配列を有する部分クローンであることを確認していたことを否定することはできない。

第五補正の適否(特許法四二条)

1  答弁時補正の適否

1・1 控訴人らは、まず、拒絶査定不服審判請求時の補正(平成二年七月五日付け手続補正書による補正)が特許法一七条の三に違反すると主張し、次に特許異議答弁書提出時の補正(昭和六三年一二月一五日付け手続補正書による補正)が特許法六四条に違反すると主張する。後者の補正の適否が前者の補正の適否の前提となるので、後者の答弁時補正の適否についてまず検討する。

1・2 本件発明の特許異議に際しての答弁時補正(昭和六三年一二月一五日付け手続補正書による補正。<書証番号略>)において、出願公告明細書添付図面の第五図のDNA塩基配列が、合計二〇塩基にわたって訂正されたこと、この訂正には、t―PA DNAの5'側非翻訳領域中の二箇所の塩基「G」の削除、五一二番目のアミノ酸「THR」をコードするコドンの一箇所の塩基の記載の訂正及び3'側非翻訳領域中の一七箇所の塩基の記載の訂正が含まれることは、当事者間に争いがない。

そして、この特許異議において指摘された明細書の記載の誤りの中には3'側非翻訳領域中の一七箇所の塩基の記載(第五C図)は含まれていなかったことも当事者間に争いがない。控訴人らは、特許異議で具体的に指摘された以外の補正は特許法六四条一項で許容されている事項に当たらないと主張する。しかしながら、特許異議で指摘された明細書の記載の誤りは、全長ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子cDNAのヌクレオチド配列及び推定されるアミノ酸配列を示す第五A図についてのものであったのであり、本補正で訂正された第五C図も、同様のアミノ酸配列に関するものである(本件特許公報二一欄三五〜三八行)。特許法六四条一項柱書きは、「拒絶の理由又は特許異議の申立の理由に示す事項について」補正を許しているが、特許異議の申立てで指摘されたのが全長ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子cDNAのヌクレオチド配列及び推定されるアミノ酸配列についての誤りであるとすれば、特許出願人がこの補正をするに際し、特許異議申立ての理由で示された当該アミノ酸配列の誤りだけでなく、この機会に特許出願人が認識するに至ったアミノ酸配列中の他の誤りを訂正することは、アミノ酸配列の誤りを指摘している異議理由に含まれるものであるから、特許法六四条一項柱書きで規定されているところの範囲内であるといわなければならない。

そして、この第五C図の訂正は、米国第一、第二特許出願の各明細書第五図と米国第三特許出願明細書第五図及び本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))における、一七五番、一七八番及び一九一番の計三箇所のアミノ酸配列の相違について前に判断したのと同様、cDNA又はmRNAの塩基配列解析の誤りによる配列の誤記の訂正か、又は書写しの間違いの単純な誤記の訂正と認めるのが相当である。

本補正が特許法六四条に違反するとの控訴人らの主張は理由がない。

2  請求時補正の適否

控訴人らは、請求時(平成二年七月五日)補正(<書証番号略>)においてされた部分的アミノ酸配列の要件の付加は、補正の要件を充足していないと主張する。

しかしながら、<書証番号略>によれば、本件発明の特許出願につき平成二年三月三〇日付けで拒絶査定があったところ、その理由は、上記補正の直前明細書である、昭和六三年一二月一五日付け手続補正書によって補正された特許請求の範囲の記載に従えば、本件発明にいう組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子とは、天然t―PAの有する性質として知られている特性①〜⑤を有するものであるならば、ヒト細胞以外の宿主細胞を用いて遺伝子組換技術により製造されたものである限り、いかなるアミノ酸配列を有するものであってもことごとく包含することになる、とするものであったことが認められる。

部分的アミノ酸配列の要件を付加する本補正は、上記拒絶査定に係る拒絶理由に応じて、もともと明細書添付図面に記載されていたアミノ酸配列の一部を部分的アミノ酸配列と称することとし、これを必須構成要件とするべく、本件発明の特許請求の範囲を減縮しようとしたものと理解されるところ、直前明細書に、本補正で付加された部分的アミノ酸配列を含む全長アミノ酸配列の記載がある以上(<書証番号略>)、この補正が、特許法一七条の三(特にその第二項)に違反するとする控訴人らの主張は理由がない。

第六技術的範囲

特許発明の技術的範囲は、明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定められる(特許法七〇条一項)。控訴人らは本件発明の技術的範囲は、本件特許請求の範囲の記載文言そのままのものに基づいて定めることは許されないと主張するので、以下には、控訴人らがこの主張で根拠とするところを検討する。

1  「五つの特性」の主張

本件第一発明のt―PAは「五つの特性」をその構成要件とするものではあるが、各特性の新規性が問われているわけではない。本件第一発明のt―PAは、天然ではなく組換DNA技術によって製造されたt―PAであり、天然t―PAが必然的に有する固有の糖鎖構造を有しない点において新規物質であると解すべきである。「五つの特性」は天然t―PAの有する特性であって、これが本件発明のt―PAを新規物質として特徴付ける要件たり得ないとの控訴人らの主張は、失当である。

2  本件部分的アミノ酸配列の主張

本件全長アミノ酸配列及びその一部である本件部分的アミノ酸配列は、天然t―PAが有する全長及び該当の部分的アミノ酸配列と同一である(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。そして、本件特許請求の範囲にいう「以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる」とは、本件発明のt―PAは、少なくとも天然t―PA中の六九番から五二七番までのアミノ酸配列であるところの、本件部分的アミノ酸配列を有する蛋白質であることを構成要件の一つとすることを意味するものにすぎず、この構成要件に加えて、天然t―PAが有する特徴である「五つの特性」すべてを具備することなど、後記の構成要件すべてを充足する物質が本件発明のt―PAに該当するのであり、控訴人ら主張のフィブリン結合能を欠くものは特性②を欠如することになるから、本件発明のt―PAには該当しない。したがって、本件部分的アミノ酸配列は本件発明のt―PAを新規物質として特徴付ける要件たり得ないとの控訴人らの主張は、採用することができない。

<書証番号略>(実験報告書)には、本件発明で開示されている一番から六八番のフィンガー領域のアミノ酸配列を欠く蛋白質はフィブリン結合能を有しないことが実験されたとの記載があるが、このようなフィブリン結合能を欠くようなものは、上にみたように、本件発明のt―PAに該当するものではないので、同号証をもっても、上記認定判断を左右しない。

3  宿主細胞及びアミノ酸配列の主張

控訴人らは、本件発明のt―PAは、発現例③、すなわち宿主細胞をCHO細胞としCHO細胞由来の夾雑タンパクを含有するもので、かつ本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))記載の一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)を有するものに限られるとし、その根拠として、(1)アフリカツメガエルの卵母細胞が産生した糖鎖を有するt―PAが米国第一特許出願当時公知であった旨(<書証番号略>)、(2)発現例②は第三優先権主張(米国第三特許出願)日以前に公知となった上、実際に創製されたものではなかった旨主張する。

しかしながら、(1)控訴人ら主張のアフリカツメガエルの卵母細胞が産生した物質は、前記第三の1・2(新規性、進歩性の項)で判示したとおり、当該卵母細胞中にメラノーマ細胞由来のt―PAmRNAを含む溶液を単に注入した結果の産生物であって、組換DNA技術(cDNAのクローニング)の使用によるものとは明らかに相違し、かつ、この産生物は、t―PAの特性①及び特性③を有することが確認されたのみで、それが天然t―PAないし本件発明のt―PAと同一の構造及び同一の特性①ないし⑤すべてを有するt―PAであることが確認されているわけではない。(2)発現例②は、前記判示のとおり、実際に創製されたと認められ、第三優先権主張日前に公知となった旨の控訴人らの主張は理由がない。結局、控訴人らの前記主張も理由がない。

4  糖鎖構造の主張

控訴人らは、被控訴人が本件発明のt―PAが天然t―PAとは糖鎖構造が異なるから新規物質であると主張していることを理由に、本件発明のt―PAは、発現例③の宿主細胞であるCHO細胞から産生した「露出した多量のβ―結合型ガラクトース及び二―三結合型シアル酸のみを有する」糖鎖末端を有する(糖鎖構造が異なる)ことを構成要件とする旨主張する。

しかしながら、本件特許請求の範囲には、控訴人らが主張するような糖鎖構造についての限定がないことは明らかである。これは、

1. 組換DNA技術を用いてt―PAを製造する本件発明には、宿主細胞として原核生物由来の細胞と真核生物由来の細胞のいずれもが使用され得るが(本件特許公報一一欄三一〜三三行、一二欄三七〜三八行、一三欄四二行〜一四欄一行)、一般に組換DNA技術を用いて蛋白質を製造する場合、(1)宿主細胞に原核生物の細胞を用いると、得られる蛋白質が、本来は糖蛋白質であっても、糖鎖のないものが得られること、(2)宿主細胞に真核細胞を用いた場合には、本来が糖蛋白質であると、糖鎖のある糖蛋白質が得られるが、その糖鎖構造は、宿主細胞として用いられた真核細胞いかんによって異なること、(3)同一種の真核生物の細胞を用いた場合にも、その細胞の由来する臓器いかんによって、また、培養条件いかんによって糖鎖構造の異なることのあることがそれぞれ知られていたこと(<書証番号略>、弁論の全趣旨)、

2. 本件特許明細書中に、「所謂クリングル領域は、セリンプロテアーゼ部分より上流に位置しており、本件発明の組織プラスミノーゲン活性化因子を繊維素マトリックスに結合させ、これにより、実際に存在する血栓に対して組織プラスミノーゲン活性化因子の特異的活性を発揮せしめるための重要な役割を果たす。」と記載されているように(本件特許公報九欄一二〜一八行)、t―PAの繊維素溶解能は、主としてクリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域を形成している主鎖によってもたらされるということに基づいていること、

3. 同明細書中に、「宿主細胞次第でヒト組織プラスミノーゲン活性化因子は天然物質に比較して異なった程度でグリコシル化された状態のものが得られる。」(本件特許公報七欄八〜一一行。なお、「グリコシル化」とは、糖鎖が結合することである)、「グリコシル化の位置及び程度は、宿主細胞環境の性質に依存するであろう。」(同欄四三行〜八欄一行)と記載して、本件発明のt―PAに含まれる組換t―PAには、その糖鎖構造に差のあることを説明していること、

に基づいているものと認められる。

そして、本件特許明細書に記載されている三種の蛋白質の発現例のうち、発現例①及び②は、いずれも原核生物たる大腸菌を宿主細胞とするから糖鎖を有しない蛋白質であり、発現例③は真核生物たるCHO細胞を宿主細胞とするから糖鎖を有する蛋白質であるが、同明細書中において、少なくとも本件部分的アミノ酸配列を有していれば、糖鎖の有無にかかわりなく、繊維素溶解能活性(特性①)及び抗t―PA抗体活性(特性③)、すなわち天然t―PAと同種の生物学的性質を有していることが確認されているのである。本件発明の糖鎖は、「ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する」という要件を始めとする本件発明の構成要件さえ充足されればよいのであって、糖鎖の存在ないし構造が、本件発明のt―PAにおいて限定されているものではない(ただし、ヒト以外の細胞が産生するt―PAは除外されるので、その糖鎖構造を有するものは本件発明の技術的範囲から除外されるという限定は存する)。

5  鎖状形態(特性⑤)の主張

控訴人らは、「アミノ酸配列における二七五番のアルギニンと二七六番のイソロイシンとの間で蛋白質が開裂した二本鎖タンパク」であることが、本件発明のt―PAの構成要件である旨主張するが、控訴人らの全主張・立証を参酌しても、控訴人らの主張は採用することができない。

6  本件発明の構成要件

本件第一ないし本件第三発明の構成要件を分説すると、次のとおりになる。

6・1 本件第一発明の構成要件

(1)  ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する(条件①)、ヒト由来の他のタンパクを含有しない(条件②)

(2)  プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する(特性①)、フィブリン結合能を有する(特性②)、ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す(特性③)、

(3)  クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する(特性④)、一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る(特性⑤)

(4)  本件部分的アミノ酸配列を含む、

(5)  組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子(t―PA)。

6・2 本件第二発明の構成要件

(1)  組換DNA技術を用いて、ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、次いで該組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を回収することを特徴とする、

(2)  本件第一発明のt―PAを産生する製造方法。

6・3 本件第三発明の構成要件

(1)  本件第一発明のt―PAを有効成分として含有させた、

(2)  血栓症治療剤。

7  本件発明とイ号物件、イ号方法及びイ号製剤との対比

7・1本件第一発明とイ号物件との対比

7・1・1 構成要件(1)の充足

1. 起源となるt―PA遺伝子

本件第一発明は起源となるt―PA遺伝子を限定していないから、イ号物件がヒト正常子宮組織のt―PA遺伝子を起源としていることは、本件第一発明の技術的範囲に含まれることを否定する根拠にならない。

2. 宿主細胞としてのマウスC127細胞

イ号物件は宿主細胞としてマウスC127細胞を使用するものであるが、本件第一発明は、宿主細胞としてヒト細胞以外の真核細胞及び原核細胞(構成要件(1)の条件①)を使用するものなので(本件特許公報一一欄三一〜三三行、一二欄三七〜三八行、一三欄四二行〜一四欄一行)、マウスC127細胞もこれに含まれることは明らかである。

この点について、控訴人らは、「本件特許明細書中には、マウス細胞を宿主細胞として使用したとの記載はないし、その可能性を示唆する記載もない。本件発明の宿主細胞は、同明細書中に記載された三つの発現例(実施例)に用いられた大腸菌又はCHO細胞に限定される。」と主張する。しかし、本件特許明細書中には、実施例に大腸菌又はCHO細胞を宿主細胞として用いるほか、有用な宿主細胞としてVERO(アフリカ緑ザル腎臓由来細胞)、BHK(ハムスター〔シリアン又はゴールデン〕腎臓由来細胞)、COS―七(アカゲザルより分離されたDNA腫瘍ウィルスであるSV40で形質転換したアフリカ緑ザル腎臓細胞)及びMDCK(イヌ腎臓細胞)等が記載されている(本件特許公報一三欄四二行〜一四欄九行。<書証番号略>)。この記載からも、本件第一発明が、宿主細胞として各種の哺乳動物を用いることを含むものであることは明らかである。そして、組換DNA技術の宿主細胞として、マウスC127細胞は、これらの各種の哺乳動物細胞と同様のものと考えられるし、米国第一特許出願当時、一般にマウスC127細胞が組換DNA技術において宿主細胞として用いられていたことも認められる(<書証番号略>)。

したがって、控訴人らの前記主張は採用できず、イ号物件が宿主細胞としてのマウスC127細胞を用いることは、構成要件(1)の条件①(ヒト以外の宿主細胞が産生する)を充足する。

3. マウスC127細胞由来のタンパクの産生

イ号物件を製造するイ号方法にかんがみると、イ号物件が、t―PAの産生に関与するヒトの遺伝情報たるDNAの断片を使用するのみで、ヒト由来の他のタンパクを含有しないことは明らかである。したがって、イ号物件は、第一発明の構成要件(1)の条件②(ヒト由来の他のタンパクを含有しない)を充足する。

7・1・2 構成要件(2)の充足

イ号物件は、構成要件(2)の特性①(プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有すること)に争いがなく、また、同特性②(フィブリン結合能)を有し(<書証番号略>)、同特性③(ボーズメラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する免疫反応)を有する(<書証番号略>)ことは明らかである。

7・1・3 構成要件(3)の充足

1. イ号物件は、構成要件(3)の特性④(クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列)を有することが認められる(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

2. イ号物件は、五二七個のアミノ酸残基から成るものも、五三〇個のアミノ酸残基から成るものも、いずれも本件部分的アミノ酸配列を含んでいることは後記7・1・4で判示するとおりなので、当然本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))記載の二七五番のアルギニン、二七六番のイソロイシンをそのアミノ酸配列中に有している。イ号物件がすべて一本鎖構造を有するタンパクであるとしても、イ号物件は上記アルギニンとイソロイシンとの間がタンパク分解酵素によって分解されて二本鎖構造のものとなり得るから(事案の概要の「第三 本件発明の概要」の5(5)の項参照)、イ号物件は、構成要件(3)の特性⑤(一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る)を充足することは明らかである。

7・1・4 構成要件(4)の充足

イ号物件は、五二七個のアミノ酸残基を有するt―PAと、グリシンから始まる五三〇個のアミノ酸残基を有するt―PAとから成り、前者と後者の割合は二五対七五となっている(弁論の全趣旨)。したがって、イ号物件は、主としてグリシンから始まるアミノ酸から構成されるt―PAであると特定できる。そして、イ号物件のうち、五二七個のアミノ酸残基から成るt―PAのアミノ酸配列は、本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))に記載されている一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)と同一であり、五三〇個のアミノ酸残基から成るt―PAのアミノ酸配列は、上記五二七個のアミノ酸残基から成るt―PAのアミノ酸配列をそのまま含み、そのアミノ酸末端(N末端)側にアルギニン、アラニン、グリシンというアミノ酸残基三個が付加された配列のt―PAであり、いずれも本件第一発明の特許請求の範囲記載の「部分的アミノ酸配列」(本件部分的アミノ酸配列)をそっくり含んでいる(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

(注) なお付言するに、

1. 控訴人東洋紡績(株)の技術導入元であるインテグレイテッド・ジェネティックス・インコーポレイテッドの特許出願公開公報(特開昭六一―一四九〇九四号。発明の名称「組換えDNAによって製造されたヒト子宮組織プラスミノーゲン活性化因子」。<書証番号略>)には、同公開公報の発明の詳細な説明欄に記載の方法によって得られるt―PAの推論されるアミノ酸配列と共に、該t―PAcDNAのヌクレオチド(塩基)配列が第一図(その一〜その六)として開示されており、これを整理したものが第一審判決別紙目録(六)である(同公報六一二頁右下欄八〜一一行、六一四〜六一七頁)。第一審判決別紙目録(六)と(五)を対比すると明らかなように、アミノ酸残基に付した番号は、前者がマイナス三八番から五二四番なのに対し、後者がマイナス三五番から五二七番で違っているものの、両者のアミノ酸配列は始めから終わりまで全く同じであり、いずれも本件部分的アミノ酸配列を含んでいる。

また、同公開公報の発明の詳細な説明欄には、

「本発明は治療用蛋白質を産生するための組換えDNA技術の使用、特に蛋白質、ヒト子宮組織プラスミノーゲン活性化因子(ヒト子宮TPA又はuTPAと略する)を産生するためのこのような技術の使用に関するものである。」(六〇二頁左下欄四〜八行)

「……宿主たる動物細胞としてはマウス繊維芽細胞:C127、……等があげられる。」(六〇三頁右上欄九〜一二行)

「上記培養された形質転換細胞は、他のヒト蛋白質を含まず、かつ非uTPAを含まず、少なくとも九九重量%まで精製され得るuTPAを産生するために使用される。」(六〇三頁右上欄一三〜一六行)

「第五図は本発明の哺乳類動物の発現ベクターの構築図解表示である。第六図は本発明の他の哺乳類動物の発現ベクターの構築の図解表示である。第七図は本発明の他の哺乳類動物の発現ベクターの構築の図解表示である。」(六〇四頁右上欄二〜七行)

「ヒト子宮TPAをコードするcDNAは次の主工程に従って産生されクローン化された。

1) 全てのmRNAはヒト子宮組織から単離された。

2) uTPAのmRNAは全てのmRNAから濃縮された。

3) cDNAは3'と5'cDNA配列を与えるように、TPAのmRNAから合成された。

4) 3'と5'cDNA配列は中間体プラスミドベクター中で完全なcDNA配列を与えるように結合された。」(六〇四頁右上欄一〇〜二〇行)

「宿主細胞の形質転換はウシのパピロマウィルス(BPV)により遂行される。」(六〇八頁右下欄六〜七行)

「PCL28―uTPA―BPVまたはpBMTH―uTPAプラスミドDNAはWiglerら……のトランスフェクション技術の変法を用いて、下記の如くマウスC127細胞へ導入した。」(六〇九頁左下欄下から二行〜右下欄三行)

「形質転換細胞は常法により培養され、そしてTPAは常法により培養液から継続的に採取した。pCL28―uTPA―BPV又はpBMTH―uTPAを含む形質転換されたマウスC127細胞は二四―二八時間毎に培地交換さえすれば、コンフェルト細胞培養として六〇日まで生存する。」(六一〇頁左上欄五〜一〇行)

「組換え哺乳類動物細胞によって生産される活性型子宮TPAは宿主細胞培地から回収される。」(六一〇頁右下欄三〜五行)

「一本鎖t―PAの割合は九八%であった。」(六一三頁右下欄一七〜一八行)

との記載がある。これらの記載を総合すると、イ号方法は、この公開公報の発明の詳細な説明欄に開示された方法であり、イ号物件は同公報記載の方法によって得られるt―PAと認められる。

2. 同公開公報の発明の詳細な説明欄には、「第一図においてアミノ酸+一、−三および−六の前の垂直線は開裂部位を示す。」との記載(六一二頁右下欄一三〜一四行)があるが、「アミノ酸+一」は本件特許明細書第五図(第一審判決別紙目録(五))の四番のバリン(VAL)、「−三」とは一番のセリン(SER)、「−六」とはマイナス三番のグリシン(GLY)にそれぞれ該当する。この記載は、同公報記載の方法によって宿主細胞内で産生された蛋白質(前駆体ポリペプチド)が、宿主細胞の細胞膜を通過して細胞外に分泌される際に、第一図(第一審判決別紙目録(六)・その一)に示されている三箇所のいずれかの部位でシグナルペプチド部分が切れて、宿主細胞外に分泌蓄積されることを意味する。そうすると、イ号物件のうち五二七個のアミノ酸から成るものは、−三部位で切れたものであって、本件特許明細書第五図に記載されている一番のセリンから五二七番のプロリンまでの五二七個のアミノ酸(本件全長アミノ酸配列)を有するt―PAであり、五三〇個のアミノ酸から成るものは、−六部位で切れたものであって、第五図マイナス三番のグリシンから五二七番のプロリンまでの五三〇個のアミノ酸を有するt―PAであり、いずれも本件部分的アミノ酸配列をそのまま具えるものと認められる。

以上によれば、イ号物件は、構成要件(4)(本件部分的アミノ酸配列を含んでいる)を充足する。

7・1・5 構成要件(5)の充足

イ号物件が構成要件(5)(組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子)を充足することは当事者間に争いがない。

7・1・6 したがって、イ号物件は本件第一発明の構成要件をすべて充足するから、その技術的範囲に属する。

7・1・7 糖鎖構造に関する控訴人らの主張について

米国第一特許出願時において、生理活性タンパクの糖鎖に関する具体的な知見はほとんどなかった(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。前述のように、本件第一発明を始めとする本件発明の構成要件は、「ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する」t―PAと規定し、その限度で天然t―PAの糖鎖を有するt―PAを除外しているが、それを更に限定するものとして特定の糖鎖構造を有しなければならないとしているわけではない。本件特許明細書には、糖鎖に関し、「宿主細胞次第でヒト組織プラスミノーゲン活性化因子は天然物質に比較して異なった程度でグリコシル化された状態のものが得られる。」(本件特許公報七欄八〜一一行)、「更にグリコシル化の位置及び程度は宿主細胞環境の性質に依存するであろう。」(同欄四三行〜八欄一行)との記載、第一二図の概略図に関して、「四個の可能なN―グリコシル化部位があり、このうち三個はクリングル領域の一一七番、一八四番、二一八番のアスパラギンに存在しており、他の可能な部位はL鎖領域の四四八番に存在している。」(本件特許公報三八欄九〜一四行)、「二一八番のアスパラギンがグリコシル化されていないようであるのが判明した。」(三九欄一九〜二一行)旨の記載があるが、この記載も、上記の点を裏付けるものではあれ、本件発明における糖鎖に関する上記の更なる限定をもたらすものではない。

本件第一発明は、糖鎖の存在及び構造をもって構成要件の一つとするものではないが、宿主細胞としてヒト細胞を除外していることから(構成要件(1))、ヒト細胞が産生する糖鎖を有するt―PAだけは本件第一発明に含まれないことになる。

控訴人ら主張のイ号物件の糖鎖についてみるに、同糖鎖の構成は、宿主細胞のマウスC127細胞によって形成された糖鎖の先端部分(糖鎖のコアの外側に結合する部分)を特定するものである(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。しかし、マウスC127細胞は本件第一発明の宿主細胞に含まれることは前示のとおりなので、イ号物件の糖鎖構造を理由に、イ号物件が本件第一発明の技術的範囲に含まれないと解することはできない。

7・2 本件第二発明とイ号方法との対比

イ号物件が本件第一発明の技術的範囲に属するt―PAであることは前示のとおりであるから本件第二発明の構成要件(2)を充足し、イ号方法が構成要件(1)を充足することは明らかである。したがって、イ号方法は、本件第二発明の構成要件をすべて充足する。

7・3 本件第三発明とイ号製剤との対比

イ号製剤は、イ号物件を有効成分として、従来医薬品に慣用されている添加剤を混合した血栓症治療製剤である(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。そして、イ号物件が本件第一発明の構成要件をすべて充足することは前示のとおりなので、イ号製剤は、本件第三発明の構成要件をすべて充足することは明らかである。

7・4 薬効に関する控訴人らの主張について

控訴人らは、イ号物件ないしイ号製剤の方が、本件発明のものよりも、治療薬としての使用に際して触媒能及び代謝分解などにおいて優れた薬効を奏すると主張する。

しかしながら、同主張は、イ号物件ないしイ号製剤と本件発明の構成要件とを対比するのではなく、本件発明の実施品(被控訴人が米国で市販しているt―PA製剤「アクチバーゼ」)及び本件特許明細書記載の実施例による産生物とを対比しているにすぎないこと(<書証番号略>、弁論の全趣旨)、控訴人らにおいて薬効が優れていると主張している事項は、いずれも医薬品の分野において同質の範疇に属する事項にすぎないことに照らし、採用できない。

第七結論

結局、イ号物件は本件第一発明の、イ号方法は本件第二発明の、イ号製剤は本件第三発明のそれぞれ技術的範囲に属する。そして、本訴請求に係る差止請求と廃棄請求の必要があることは、原判決の「第五 結論」の項において説示されているとおりなので(一二六頁九行目の「そして」〜一二七頁二行目)、被控訴人の本訴請求は理由がある。

よって、本訴請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 山﨑杲 裁判官 塩月秀平)

《参考・原審判決の目録》

目録(一)

ヒト正常子宮組織からヒト組織プラスミノーゲン活性化因子のメッセンジャーRNA(mRNA)を分離し、これを鋳型として調製したcDNAをウシパピローマウィルスDNA由来のベクターに組込んだ発現ベクターによって形質転換された組換マウスのC127細胞を培養することによって主としてグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から構成され、糖鎖末端部に露出したβ―結合型ガラクトースを殆ど有さず、α―結合型ガラクトース及び二―六結合型シアル酸の存在する糖鎖を有する一本鎖タンパクのヒト組織ブラスミノーゲン活性化因子をマウスC127細胞由来のタンパクとともに産生させ、次いでこれを精製して右活性化因子を取得することからなるヒト子宮組織由来のt―PAに反応する抗体に免疫反応を示すヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の製造方法。

目録(二)

ヒト正常子宮組織のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の遺伝子を組込んだベクターで形質転換されたマウスC127細胞からマウスC127細胞由来のタンパクとともに産生され、ヒト子宮組織由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に反応する抗体に免疫反応を示し、主としてグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から構成され、糖鎖末端部に露出したβ―結合型ガラクトースを殆ど有さず、α―結合型ガラクトース及び二―六結合型シアル酸の存在する糖鎖を有し、かつ一本鎖タンパクとして存在するヒト組織プラスミノーゲン活性化因子。

目録(三)

ヒト正常子宮組織のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の遺伝子を組込んだベクターで形質転換されたマウスC127細胞からマウスC127細胞由来のタンパクとともに産生され、ヒト子宮組織由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に反応する抗体に免疫反応を示し、主としてグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から構成され、糖鎖末端部に露出したβ―結合型ガラクトースを殆ど有さず、α―結合型ガラクトース及び二―六結合型シアル酸の存在する糖鎖を有し、かつ一本鎖タンパクとして存在するヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を安定剤、溶解補助剤等の添加剤と混合して成る血栓症治療用製剤。

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