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大阪高等裁判所 平成4年(う)58号 判決 1995年12月08日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は検察官三浦幸紀作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人松本健男作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は要するに、被告人は本件各犯行当時、いずれも完全責任能力を有していたのに、これを認めず、いずれも心神耗弱の状態であつたと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をあわせて検討するのに、所論の点に関する原審の認定判断は当審でも結論において正当として是認することができるので、以下、その理由を明らかにする。

所論は、「原判決は、被告人の知能程度が境界域であるという原審鑑定人・佐藤正保の鑑定結果を退け、被告人の総合知能指数の数値だけを根拠として、被告人は軽愚域に属する精神遅滞の状態にあつたと認定しているが、右認定は、社会生活等に示された被告人の適応行動等を考慮せず、知能程度についての実質的判断を怠つた結果事実を誤認したものである。」と主張する。

そこで、所論に対する検討に先立ち、本件事案の内容及び原審審理の経緯等をみるに、記録によると、本件は、被告人の昭和六二年五月一一日のA子に対する強姦致死・殺人(以下、「A事件」という。)、平成元年三月一九日のB子に対する強姦致死・殺人(以下、「B事件」という。)の各犯行を内容とするものであつたところ、原審においては、各犯行当時の被告人の責任能力の有無・程度が争われたが、鑑定人・佐藤正保による鑑定が行われ、被告人の知能について境界域であると判定する旨の鑑定意見が提示されたこと、これに対し、原判決は、被告人の総合知能指数が六五という数値を示している以上、軽愚域に属する精神遅滞の状態にあつたものといわざるを得ないとして佐藤鑑定人の所見を排斥していることが明らかである。

ところで、原審鑑定人佐藤正保作成の鑑定書及び同人の原審及び当審各証言(以下、「佐藤鑑定」という。)によれば、WAIS知能診断検査の結果、被告人の知能指数は言語性のそれが六三、動作性のそれが七八で、総合指数が六五であつたこと、当審鑑定人田原明夫作成の鑑定書及び同人の証言(以下、「田原鑑定」という。)によると、WAIS--R知能検査の結果、被告人の知能指数は言語性のそれが五八、動作性のそれが七〇、総合指数が五九であつたこと、鈴木ビネー式知能指数による知能指数が四七(精神年齢・七歳九か月)であつたこと、知能程度が比較的低い同一の被験者に対して知能検査を実施した場合、WAIS--R検査の方がWAIS検査よりも一般に九・七ポイント低い数値が得られるとされており、鈴木ビネー式知能検査による知能指数とWAIS--R知能検査による知能指数との間には一二ないし二三程度の開きがあるといわれていること、佐藤鑑定及び田原鑑定によれば、伝統的な精神遅滞の分類と知能指数(WAIS知能診断検査による数値)との関係は、知能指数七〇ないし七九が境界域、五〇ないし六九が軽愚域の精神遅滞とされており、文部省の分類もこれと同様であつて、WHOの分類では六八ないし八五が境界域、五二ないし六七が軽度の精神遅滞とされていることが認められる。

佐藤鑑定によると、同鑑定人は、被告人の場合には、言語性と動作性の各知能指数の間に一五ポイントもの開きがあることから、適切な修正を加える必要があるところ、被告人は他の部分の発達に比べて書字能力・読字能力・計算能力など学習面の発達が劣つており学習障害が認められるため、言語性検査の成績が極端に悪くなつたものであり、被告人の生来の知能は動作性の指数の方によく反映していると考えられ、これに、被告人が勤務先において永年問題なく過ごしてきたという社会的適応能力の程度等を加味すれば、精神遅滞をめぐる分類基準上「境界域」に属すると判定するのが相当である旨の鑑定意見を提示している。

しかしながら、佐藤鑑定によれば、WAIS知能検査は、知識、数唱、単語、算数、理解、類似の六項目の検査から構成される言語性テストと絵画完成、絵画配列、積木模様、組合せ、符号の五項目の検査から構成される動作性テストとによつて組み立てられていることが認められ、こうした検査内容の構成に照らして当然のことながら、これら各検査の全体についての被験者の解答を総合的に評価することによつてはじめて同人の知的能力を的確に反映した知能指数を客観的に測定できる性質のものと考えられる上、同鑑定人が当審証言の際持参した資料(同人の当審証言速記録添付の書面)によれば、ウェクスラー法(WAIS検査)の結果の検討に際しては、まず言語性指数と動作性指数との差に着目すべきであり、その差が八ないし一〇ポイントの範囲であれば適応状態とみなされるが、その差が一〇ポイント以上で、かつ、動作性指数が言語性指数を上回る場合には被験者が精神遅滞又は性格異常(青年期)に該当する事例の多いことが認められる。したがつて、被告人の場合のように、動作性指数が一五ポイント上回るような事例においては、精神遅滞である疑いが強いのであるから、数値の低い言語性指数や総合指数を事実上無視して、動作性指数の数値のみに依拠するというのは客観性を欠き、早計のそしりを免れないというべきであり、佐藤鑑定人のような見解に立つてWAIS検査の結果を完全な形で活用できないというのであれば、他の方式の知能検査を実施する措置を考慮するのが相当ではなかつたかと考えられる。さらに、佐藤鑑定及び田原鑑定によつてうかがわれるとおり、学習障害は、知的な総体的能力が低くないのに特定の科目の学習能力が劣つている場合を指す概念であるところ、関係証拠によると、被告人の場合は図画工作や体育なども含め全科目にわたつて学業成績の悪かつたことが明らかであるから、総体的な知的機能の低下のために学習能力が劣つていたものと解すべきであり、被告人について学習障害を認めるのは相当でなく、してみると、被告人の言語性検査の成績不良は、学習障害に起因するものではなく、生来の知的機能の低さがそのまま表れたものとみるべきである。したがつて、学習障害を理由として言語性指数の評価に特別の考慮を加えることには左袒できない。

次に、被告人の社会適応の程度について検討するのに、関係証拠によれば、被告人は、中学卒業後二、三の会社勤務を経て、昭和四四年一二月、一八歳で、豊中市役所環境事業部に臨時雇いのごみ収集員として採用され、同四五年六月正式職員となり、本件で懲戒解雇となるまで、約一九年間ごみ収集等の雑役に携わつてきたものであるが、職場での被告人は、上司から、仕事を積極的にやる真面目で問題のない職員という評価を受けていたことが認められ、これらの点をみる限り被告人は職場の生活によく適応していたということができるようである。しかしながら、田原鑑定によれば、被告人の場合には、自己の置かれている状況の中でのストレスを欲求不満や葛藤として認知する力が弱かつたとうかがわれるとともに、もともと自ら主体的に思考する力が乏しい結果、職場においては、上司の指示といつた形で示される規範に従い、疑いをもつことなく、これを遵守してきたもので、具体的になんらかの指示が与えられると、その範囲内では、逸脱なく正確に作業でき、その点では、むしろ健常者以上に粘り強く同じ作業を繰り返すことができたと認められるのであつて、関係証拠に徴して明らかなとおり、被告人の担当していた職務の内容が、特段の裁量的判断等を必要とせず、上司の指示どおりに動けばよい性質の比較的単純な肉体労働であつたことをあわせ考えると、被告人が職場の生活に適応していたというのも、きわめて限られた意味と範囲のものでしかなかつたというべきである(なお、田原鑑定人は、右のように粘り強く同じ作業を繰り返すことができたという点こそがまさに精神遅滞者の特徴であると指摘している。)。してみると、このように限定的な内容を有するにとどまる適応状態をもつて「境界域」と判定する資料とした佐藤鑑定人の見解に同調できない。

以上のとおりであるから、被告人の知能程度が「境界域」に属すると判定した佐藤鑑定人の鑑定意見は、その根拠に多くの疑問があり、採用し難いものというべきである。

一方、田原鑑定人の実施したWAIS--R知能検査の結果によれば、WAIS検査との乖離差に見合う修正を加えても、被告人の総合知能指数が軽愚域の精神遅滞を示す数値を記録していることは前示のとおりであり、田原鑑定によると、同鑑定人は、単に知能指数の数値だけでなく、被告人の生活状態をはじめ、その他葛藤を起こすような場面に対する対応の仕方全般をひろく総括した上、被告人は軽愚域に相当する「軽度の精神遅滞者」に当たるとの判断を下していることが明らかであるところ、同鑑定人の判断の手法に特段の疑義を差し挟む余地があるとは思われない。そこで、これらをあわせ考慮すると、被告人の知能程度に関する原判決の認定に所論のような誤認があるとはいえない。

所論は、「本件各犯行の動機、手段、態様及び犯行前後の被告人の行動、これらの事実についての被告人の記憶の有無、程度等いずれの要素からみても、被告人が本件各犯行当時、是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力を有していたことは明白であるのに、原判決は、これら客観的事実をなかば無視して、精神遅滞等被告人の心理的要素に拘泥した上、父親との心理的葛藤、職場でのあつれき、被害者らの言動等に関し、事実の認定を誤つたすえ、各犯行当時の情動の安定性についての評価を誤り心神耗弱を認めるという事実誤認を犯している。」と主張する。

そこで、まず本件各犯行の内容について証拠関係を検討するのに、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決が「罪となるべき事実」第一、第二の部分で認定判示するとおりの事実を認めることができる。

次に、各犯行後の被告人の行動について、記録を調査して検討すると、関係証拠によれば、被告人は、(1)原判示第一のA事件ののち、現場に散乱した被害者の衣服を集め、同女の現金・指輪を盗み、自分のシャツに付いた血痕を水たまりで洗い落とし、同女の衣服等を林の中に隠して立ち去り、山下ボートハウスに戻つた上、指輪を五ケ池に投棄し、さらに、翌日、犯行現場に出向き、同女の衣服をダンボール箱に詰めて運び出し、職場近くの収集場に投棄したこと、(2)原判示第二のB事件ののち、現場を立ち去ろうとした際、とどめをさすため、被害者の首筋付近に石を投げ付け、次いで、同女の衣服を雑木林内に投棄して山下ボートハウスに戻り、同女を捜していた友人らから尋ねられたのに対し「帰つたんと違うか。」などと答えたことが認められる。一方、被告人の捜査官に対する供述調書及び原審公判廷における供述に徴すると、被告人は本件各犯行及び犯行前後の状況等に関しかなり詳細を記憶を有していることを肯認できる。

ところで、事案の流れを概括的にとらえる限り、本件各犯行の動機には、不自然さや理解困難な点がなく、その手段、態様も理解可能なものであり、各犯行後の被告人の行動、犯行及び前後の状況に関する記憶の程度等をあわせ考えると、所論のように被告人の弁識能力及び制御能力に問題がなかつたように思われなくもない。そこで、所論の諸点に関する原判決の事実認定の当否を審査するため、前示精神遅滞に関する事柄を除いて、本件各犯行当時の被告人の責任能力の程度等(精神的背景、情動の安定性)を明らかにする上で考慮すべき事実関係について、以下順次検討を進め、最後に、本件各犯行の態様にみられる特徴について触れることとする。

まず、被告人と父親との関係について検討すると、関係証拠によれば、父親は、被告人を未熟な子とみていた面があり、被告人に常時かなり厳しく接していたこと、父親は、被告人に対して出勤日は午後六時までに帰宅するよう申し渡していたが、被告人はこれを忠実にまもつていたこと、被告人と父親は夕食時に同じ食卓につき、ほとんど毎日晩酌をし、機会をみては一緒に魚釣りやハイキングに出掛けていたこと、被告人は父親に強く依存する一面、干渉がましい態度をとり厳しくしつける父親に対しある種の畏れを抱いていたことが認められる。そして、本件では、こうした父親に対する畏れがかなり重要な意味をもつていたのであつて、関係証拠に徴すると、被告人は原判示第一のA事件の当日父親に内緒で勤務先を休み五ケ池に赴いたのであるが、被害者が逃げようとした際、被告人が欠勤している事実や同女の肩に手を置いた経緯などを父親に知らされるのをおそれ、この恐怖心がその後の姦淫目的による一連の犯行を進めていく引き金ともなつていること、また、原判示第二のB事件の際には、被害者が逃げようとするのをみて、このまま推移すれば被告人が被害者に対して行つた言動を父親等に知られるのをおそれたのであるが、この恐怖心がその後の姦淫目的による犯行を進めていく契機ともなつていることがうかがわれる。

次に、職場でのあつれきについて検討する。関係証拠によれば、被告人は昭和五八年四月以降前示豊中市役所環境事業部の第一業務課第一作業係に所属していたところ、原判示第一のA事件のころは、本来のごみ回収の仕事のほかに内勤として便所や浴場の清掃等元来であれば用務員が担当すべき仕事に携わつていたものであるが、その日その日の都合によつて適当な勤務場所に配置されたり、内勤とごみ回収車乗務の仕事を兼ねていた関係で上司から「どこへ行つていたのか。」と不審がられるなどして嫌な思いを余儀なくされていたこと、こうした事情で犯行当日は出勤することが嫌になつたものであるが、この日は、前示のような仕事上の問題でむしやくしやした不安定な気持ちを抱いていたこと、また原判示第二のB事件のころはガレージの廃品選別の仕事に回されていたが、当時被告人は工具の保管について責任を負わされていたところ、若干の工具がなくなつたりして頭を痛めていたこと、当時もA事件のころと同様に便所掃除等を指示されていたことで不満を抱いていたこと、したがつて犯行当日もこうした職場の事情からむしやくしやした不安定な心理状態にあつたことが認められる。なお、関係証拠によると、被告人は各犯行に先立つて五ケ池で魚釣りをしたり、ビールを飲んだり、あるいはボート遊びに興じるなどして、それなりにある程度ストレスを発散していたことがうかがわれるけれども、前示のような不安定な心理状態から抜け出すまでには至つていなかつたと認めるのが相当である。

一方、被害者らの言動について検討するのに、本件各犯行の過程で被害者らが被告人の心情を刺激するような言動に及んだと肯認するだけの明白な証拠はなく、この関係で、被告人は、原審及び当審の各公判廷において、被害者であるA子及びB子との間での言葉のやりとりやA子のナイフを構えての抵抗の状況等について、捜査段階で述べていなかつた事実を新たに供述しているものの、その信用性には多くの疑問があるといわなければならない。

被害者らの言動に関連して、原判決は、本件各犯行の際、被告人が被害者らの身体に手を触れるや被害者らが大騒ぎしたことをとりあげ、こうした被害者らの動作が被告人の劣等感を刺激した旨判示しているところ、所論は、誰が被害者であつても同様の行動に出ると思われる状況であつたから、原判決の判断は失当であると主張する。そこで、検討するのに、関係証拠に照らすと、被告人は原判示第一のA事件の当時まで独身であり、特定の女性と交際関係をもつた経験がまつたくなく、性的体験も皆無であつたこと、被告人は満足に漢字を書けないことなどから人一倍劣等感が強かつたが、とくに女性との関係では、相手にされない(愚弄される)という根深い劣等感をもつていたため、女性のなんでもない言動によつて過剰な行動が触発される傾向のあつたこと、本件各犯行の際には、被告人が被害者らの身体に手を触れたのに対し、被害者らは一様に驚愕して、被告人のもとから逃げ出そうと騒いだことが認められる。してみると、被害者らが騒いだこと自体は当時の状況からみて当然の反応であつたと認められるが、女性の言動に衝撃を受けやすい被告人は、これによつてその劣等感を刺激され、その後の攻撃的行動に移つていつたとうかがわれるから、原判決の前示判断も首肯できる。

さらに、飲酒酩酊の点について検討すると、関係証拠によれば、被告人は、(1)原判示第一のA事件の当日は午後一時ころから午後二時ころまでビール二本を飲み、午後三時ころ犯行に及び、(2)原判示第二のB事件の当日は午前一一時ころから一二時半ころまでビール大瓶四本を、午後三時半ころビール大瓶一本を飲み、午後四時半ころ犯行に及んでいること、被告人の平素の晩酌はビール一本程度であり、山下ボートハウスではビール大瓶を四、五本飲むこともあるが、これまで泥酔した経験はないこと、被告人は前示のように飲酒しているが、本件各犯行当日アルコールの影響によると思われる奇異な言動には出ておらず、また、各犯行当時の事態の推移について概ね正確な記憶を保持していることが認められ、佐藤鑑定及び田原鑑定の所見にも徴すると、本件各犯行当時の酩酊は単純酩酊状態であつたと認めるのが相当である。

以上のとおりであるから、所論指摘の情動の安定性評価の前提となる事実関係についての原判決の認定に誤認の点は見当たらない。

最後に、本件各犯行の態様にみられる特徴について検討する。被告人は、原判示のとおり、本件各犯行の際、被告人の突然の接触行為に驚愕した被害者らが逃走をはかつたのちにも、引き続き姦淫をあきらめず犯行を継続し、最終的には被害者らを殺害したものであるが、記録及び当審における事実取調べの結果によつて検討するのに、被告人がその性欲を満たすという一貫した強固な意思のもとに本件各犯行を遂げ、殺害行為にまで及んだものとみるのは行き過ぎであり、関係証拠のほか前示のような当時の環境要因、とくに父親との心理的な葛藤などの背景的事情に照らすと、被告人が継続して姦淫目的を抱いていたことは否定できないにしても、必死に逃れようとする被害者らの行動に直面したのちは、犯行の露見を恐れるあまり、いわば周章狼狽してその後の暴力的な行為を継続し、短絡的に被害者らを殺害する凶行に至つたものと認定するのが相当である。すなわち、先に父親との関係の部分でも若干触れたように、当時の被告人としては、被害者らが首尾よく逃走できた場合には、被告人の被害者らに対して行つた行動等犯行当日の顛末が、被告人の父親などの知るところとなるに違いないとの恐怖心を抱き、なんとしても(いかなる方法を用いてでも)、そういう事態を食い止めなければならないとの焦燥感に駆られたあげく、原判示のように激しい暴行に訴えたすえ、最終的には殺害を思い立つたものと認められ、継続して姦淫目的を抱いていたとはいうものの、被害者らに対する暴行の意思ないし殺意形成の切つ掛けとしては、犯行の露見防止(父親等への通報阻止)の意図が色濃く前面に出ていたものと認めるのが相当である。

右検討の結果を総括すると、本件各犯行当時の被告人は、軽愚域に属する精神遅滞の状態にあつたと認められる上に、父親との間の心理的葛藤、職場でのあつれきによつて情動不安定の状態にあつたところ、被害者らが騒ぎ出したことで劣等感を刺激され、精神情動における不安定の度が一段と強まり、おりから飲酒酩酊していたことが相乗したほか、父親に本件の顛末が知られる事態を食い止めようとする焦燥感とあいまつて激情を触発され、各犯行に至つたもの、すなわち、弁護能力及び制御能力に著しい障害のある状態の下で各犯行に及んだものと疑うに足りる十分な理由があるというべきであるから、心神耗弱の状態にあつたものと認定した原判決に所論のような事実の誤認はない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条、一八一条一項但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 七沢 章 裁判官 米山正明)

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