大阪高等裁判所 平成4年(く)39号 決定 1992年4月30日
主文
本件各抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、弁護人西澤豊作成の抗告申立書及び「『抗告申立の理由』の追加補充」と題する書面(以下「補充書」という。)各記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 論旨の検討に先き立ち、本件保釈をめぐる事実関係をみるに、一件記録によると、以下の事実が認められる。すなわち、本件公訴事実の要旨は、「被告人は、平成三年九月一三日午前五時二〇分ころ、大阪市西成区<番地略>路上において、同所に駐車中の塩谷誠所有の普通乗用自動車の右側前、後輪のタイヤ合計二本を所携の千枚通しで突き刺してパンクさせ(損害額二万六、三〇〇円相当)、もって器物を損壊したものである。」というのである。被告人は、肩書起訴状記載の住居に居住している者であるところ、この件で現行犯逮捕され、勾留のまま平成三年一〇月三日起訴されたが、原公判で自分はやっていないとして無罪を主張し、目撃者の供述調書など書証の大半が不同意となって、その証人調べ等が実施されている。弁護人は、同年一二月二五日保釈を請求し、肩書制限住居に居住する被告人の実弟Aの身柄引受書を提出した。これに対して、検察官は、犯行を全面的に否認していること、被告人の近隣に住む目撃者横川節子の証人尋問が未了であること、被告人は単身、無職、身軽であることなどを理由に保釈不相当の意見を述べた。原裁判所は、同月二七日、保証金額を一〇〇万円、被告人の住居を前示実弟A方(以下、「本件制限住居」ということがある。)に制限するほか、目撃者とされ現行犯逮捕者の工藤章、被害者の塩谷誠及び目撃者とされる横川節子との接触禁止や三日以上の旅行をする場合は事前に裁判所の許可を得ることなどの条件を付して保釈を許可した。即日、弁護人は、保証金一〇〇万円を納付し、被告人も釈放された。右接触禁止の対象となった三名の証人尋問が実施された後の平成四年三月二四日、弁護人は、「保釈制限住所変更の申立書」と題する書面を提出したが、これには申立の趣旨として「一、大阪地方裁判所が、被告人に対し、平成三年一二月二七日になした保釈許可決定のうち、被告人の住居を、奈良県生駒郡<番地略>A方に制限すると指定した部分を取消す。二、被告人に対する住居を大阪市西成区<番地略>に制限する。」との決定を求める旨の記載があり、同時に前示A作成の身柄引受書が提出されている。これに対するものとして、右申立書の一枚目裏に、「職権発動せず。裁判官」の記載とその下に担当裁判官の押印がなされている。弁護人の提出した抗告申立書には、前示平成三年一二月二七日になされた保釈許可決定(以下「本件保釈許可決定」という。)に対して抗告を申し立てるとあり、申立の趣旨としては、前記「保釈制限住所変更の申立書」の趣旨と同旨の記載がなされている。以上の事実が認められる。
二 ところで、本件抗告の対象となるべき原裁判については、右のような抗告申立書の請求の趣旨をみる限り、本件保釈許可決定そのものだけとする余地も考えられるが、抗告申立書の「申立の理由」欄に、前示変更の申立に対し平成四年三月二五日職権を発動しない旨の通知を電話で受けたことの記載があるほか、その後提出した補充書には、本件保釈許可決定後の事情の変更があるにかかわらず、職権を発動しないのは裁量の範囲を著しく超え違法である旨の記載があることなどにかんがみると、原裁判所の右職権不発動の措置も併せて抗告の対象としているものと解される。
三 そこで、本件抗告の適否について判断する。
1 保釈制限住居の変更は裁判所が職権によって行うものであるから、被告人又は弁護人からその変更の申立があっても、それは裁判所に職権の発動を促す趣旨のものにすぎず、裁判所はこれに応答する裁判をすることを要しない。したがって、原裁判所がとった「職権発動せず。」の措置により裁判所の決定があったとは認められないから、これに対する抗告の申立は許されないと解するのが相当であり、不適法である。
2 論旨は必ずしも明らかでないが、少なくとも保釈制限住居に関しては本件保釈許可決定がなされた当時から、すでに違法不当があり、これを取り消して起訴状記載の住居を保釈制限住居とすべきものであるとの主張を含むものと解される。
しかし、前示認定の事実関係からも明らかなように、本件保釈請求に当たって制限住居を起訴状記載の住居とすべき要望がなされた形跡は認められないばかりか、かえって本件の保釈制限住居に居住する実弟が身柄引受けを申し出ており、本件保釈許可決定に対しても格別不服申立をすることもなく保釈保証金を納付して釈放されていることなどの事情に照らすと、本件保釈許可決定に対しては、決定当時明らかであった事情を理由として抗告を申し立てることは許されず、不適法といわざるをえない。
3 さらに、保釈許可決定後の事情変更を理由として、保釈許可決定(制限住居部分)に対し、原裁判所の判断を経由した後に、抗告を申し立てることの適否が問題となる。
そこで、考察すると、一般に、生活状況等の変化に応じて、保釈許可決定当時と事情が変わり、制限住居の変更を余儀なくされる場合のあることは、十分考えられるところである。しかし、このような場合でも、被告人は、裁判所に対して職権の発動による制限住居変更の措置を求めるべきであって、保釈制度の目的に照らし裁判所が裁量権の限界を超え、あるいは濫用するなどの特段の事情がない限り、保釈許可決定に対して、右の措置に関する原裁判所の判断を経由しているとしても、事情変更を理由に抗告をすることはできないと解するのが相当である。
これを本件についてみると、所論は、この点に関して、工藤章、塩谷誠、横川節子に対する証人尋問はすでに実施済みであり、これら証人は被告人が法廷外で接触することはないこと、本件制限住居には被告人の実弟夫婦と母親が居住していて狭隘であり、被告人の世帯道具を入れる余地などないこと、他方、起訴状記載の住居こそ被告人の本来の住居であって、身の回り品、書籍等生活関連の諸道具が置かれているが、住居制限のため被告人は着替えすら取りに行けないこと、何よりも、起訴状記載の住居は、被告人の精神的、経済的生活の基盤であって、被告人は従前から大阪市西成区<番地略>津守病院、同市阿倍野区<番地略>大阪市立大学付属病院で、また、これに加えて、保釈後の平成四年一月一七日からは同市浪速区<番地略>寿会富永脳神経外科病院でそれぞれ継続的治療を受けているところ、生活面だけでなく、治療のためにも、この住居に住む必要がある、などと主張する。また、原審が保釈の制限住居を変更しないことは、憲法上保障された居住移転の自由ひいては居住権のほか、健康確保ひいては生存権を侵害するものである、などと主張するもののようであり、前示富永脳神経外科病院で投薬を受けていることや、前示津守病院が被告人の起訴状記載の住居に近いことなどを証する資料が提出されている。しかし、所論の主張する事情のなかには、本件保釈許可決定がなされた当時からすでに明らかになっていたものもあるほか、前出その他の保釈条件の内容に照らし、別途起訴状記載の住居に立ち入る方法がないわけではないし、本件事案の性格や訴訟の進行状況、起訴状記載の住居と制限住居などの距離関係、交通事情などにかんがみると、被告人の生活上の不便を認めるにやぶさかではないが、たとい前示三証人の尋問が実施済みであることや、被告人の通院治療状況などを考慮に入れても、被告人の保釈制限住居を変更しなかった原審の措置に所論の違憲を含め違法不当の点があるとは認められず、まして、被告人において、本件保釈許可決定中制限住居部分の変更を求めて抗告できるだけの特段の事情があるとも認められない。
以上のとおり、本件各抗告は全て認められない。
よって、刑事訴訟法四二六条一項により本件抗告をいずれも棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官小瀬保郎 裁判官髙橋通延 裁判官萩原昌三郎)