大阪高等裁判所 平成4年(ネ)1519号 判決 1994年6月29日
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人らの控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。
三 被控訴人らの本件附帯控訴を棄却する。
四 訴訟費用及び補助参加によつて生じた費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
理由
一 当裁判所は、被控訴人らの控訴人らに対する請求は理由がないと判断するものであるが、その理由は次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の理由説示のとおりであるから、これを引用する。
1 二〇枚目裏二行目の「(昌志の異常行動)」を削り、二一枚目表一行目の「第七号証」の次に「、当審証人戸田光宣の証言により真正に成立したことが認められる丙第九号証」を、同四行目の「丁第一号証」の次に「、検甲第一ないし第四号証」を、同行の「同森田博文」の次に「、当審証人戸田光宣」を、同一〇、一一行目の「務めていた」の次に「(古角は昭和五七年四月から、戸田は昭和五九年四月からサッカー部の顧問をしていた。)」を加える。
2 二二枚目表四行目の末尾の次に「なお、生徒から休憩の申告があつた場合は拒否されたことはなかつた。また、給水は、練習時でも運動場に付設された水飲み場で自由にとらせていた。」を同末行の「実施した。」の次に「なお、参加部員三五名に対し顧問教諭は二名であつたが、国際高校においてはサッカー部の合宿は危険なスポーツの合宿とは考えられていなかつた。」を加える。
3 二四枚目表七行目末尾の次に「ただし、練習量については、星名コーチが同志社香里高校で体験していた合宿の練習メニューの七、八割に軽減していた。」を、同九行目とし一〇行目の間に「夕食の際、昌志は戸田教諭から体調を聞かれ、悪くない旨答えている。」を加え、同裏末行の「競争」を「競走」に改める。
4 二六枚目表一一行目の「雨が」の前に「その際昌志は、戸田教諭から体調を尋ねられ、大丈夫ですと答えている。」を加え、二七枚目表三行目の「参加したが」を「参加した。この練習は、前日までの部員の疲れ具合や、睡眠不足ぎみであるところから、かなり軽いメニューとされた。」に、同行の「この時」を「この練習の時」に、同四行目の「頭を打ちつけよう」を「ヘッディングしよう」に改め、同裏六行目末尾の次に「しかし、昌志が黙つていたため、顧問とコーチらはこれらの症状に気付かなかつた。」を、二八枚目表一行目の「星名コーチは、」の次に「午後の練習の際、」を加え、同三行目の「命じた」を「命じたので、昌志は見学した」に、同裏五行目の「午後」を「午前」に、二九枚目表二行目の「監視して」を「練習の状況を見て」に、同一〇行目の「昌志が搬入されてきた」を「昌志は歩いて病院に入つた」に改める。
5 四一枚目表二行目の「第三〇号証」の次に「、第三四号証」を加え、同四行目の「丙第八号証」を「弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第三五号証」に改め、同行の「各証言」の次に「並びに弁論の全趣旨」を、同七行目の「骨格筋」の次に「細胞」を加え、四五枚目裏一〇行目の「飲食制限」を「飲水制限」に改め、四七枚目表四行目の「死亡率は高い」の次に「(血中尿素窒素値が一〇〇ミリグラム/デシリットルに達する以前に透析を開始した症例の死亡率は二一パーセント程度で低い。)」を加える。
6 四七枚目裏五行目の「前掲」の次に「甲第四号証、」を、同行の「乙第二一号証によると」の次に「、昭和五九年九月一〇日時点の」を、同六行目の「五〇〇ミリグラム/デシリットルの次に「以上」を加え、同七行目の「が認められ、前示二のとおり」を「、」に改め、同九行目の「あつたこと」の次に「が認められ」を、同一〇行目の冒頭に「前示二のとおり」を加え、五一枚目表六行目の末尾の次に「以上は鑑定人吉川徳茂の鑑定の結果によつても裏付けられる。」を加える。
7 五二枚目裏末行の「窺えず」の次に「、また、当審証人吉川徳茂の証言によれば、当時、本件の場合に痙攣を止めることは非常に難しい状況にあつたことが窺えるので」を加え、五三枚目表一行目冒頭から同五行目末尾までを「さらに、前示各証拠と甲第三二、第三三号証、当審証人吉川徳茂の証言及び鑑定人吉川徳茂の鑑定の結果によれば、昌志の直接の死因である脳浮腫は、尿毒症と著明な高血圧を原因として発生したものであることが認められる。」に改め、五三枚目表八行目の冒頭から五六枚目裏一行目の末尾までを次のとおりに改める。
「(一) 昌志(その親権者であつた被控訴人ら)と被控訴人同志社との間には、いわゆる在学契約関係が存在しており、同控訴人は右在学契約関係から生じる付随義務として、生徒に対して安全配慮義務を負うものというべきである。そして、課外のクラブ活動といえども、それが教育活動の一環として行われるものである以上、その実施について顧問の教諭に生徒を指導監督し、生徒に健康被害がでないよう配慮すべき一般的な義務のあることは当然である。しかし、課外のクラブ活動は本来生徒の自主性を尊重すべきものであるから、何らかの事故の発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情がない限り、顧問の教諭としては、個々の活動に常時立ち会う義務はなく、また、その配慮義務も後見的なものに止まるものと解される。ところで、本件合宿において、顧問教諭が生徒に対して負う具体的な安全配慮義務の内容は本件における具体的客観的事情、即ち合宿の性格、危険性、生徒の年令、判断能力、健康被害発生の蓋然性や予見可能性、結果回避の可能性等を考慮して、その客観的状況下で定まるものと解するのが相当である。そこで以下検討する。
(1) さきに引用、補正した原判決の理由二、1によれば、本件合宿は校舎を利用して実施された高校の一般的な運動部の合宿であり、練習は、午前六時三〇分から七時までと、午前九時三〇分から一二時まで、午後二時三〇分から六時までで、昼食後休憩時間を採つて行われており、練習の際、生徒が疲れて休憩を取りたい場合はその旨申出て取れたのであり、給水も練習の合間に自由に取れたのであつて、特にしごきとか厳しい練習があつたものとは認められない。そして、昌志の練習への参加状況についてみると、八月二六日は午後からの練習であつたし、二七日は、午後の練習に参加しなかつたし、二八日は早朝練習と練習試合後の一時間半程の軽いめの練習に参加したもののすぐに休憩しており、二九日は、午後の練習の際、靴擦れがひどいため、見学を命じられており、そして、三〇日朝に古角教諭が昌志の異常に気付いたもので、顧問教諭らとしては、昌志がその間、休憩もしており、長い時間激しい練習に参加していたという認識はなかつたものであり、昌志自身からも顧問教諭らに対して体調が不良である旨の申出もなかつたこともあつて、顧問教諭らにとつて昌志の体調の不良を予見することは不可能であつたというべきである。
また、当時、昌志は高校一年生であつたのであるから、自分自身の健康状態が医師の診察を要するか否かの判断ができる年令であり、合宿に参加していた他の部員らの中にも顧問教諭に申出て医師のもとに連れて行つてもらい診察を受けていた者があり、昌志もそのことを知つていたとみられるから、申出をためらう事情もなかつたもので、このような状況にある昌志に対して、顧問教諭らにおいて昌志の申出を待つことなく能動的にその容体を知るための方策を施すべきであつたとまではいうことができない。
(2) 《証拠略》によれば、横紋筋融解の発症原因は多様で、その機序についても不明な点が残されており、ミオグロビン血症から急性腎不全に至る機序についても医学的に不明な点が多いこと、我が国において、過激な運動による横紋筋融解は一九七六年(昭和五一年)に医学雑誌に紹介されて以来報告がなされるようになつたが、極めて稀な病気で、臨床報告は昭和五九年当時は極めて少なかつたこと、高校での過激な運動による横紋筋融解の報告も当時は極めて稀であつたこと、平成五年三月ころに控訴人同志社が京都府内の八三校に対し照会したところでは、全校が運動により急性腎不全が発生した例はないと回答し、六七校に対して、運動による急性腎不全の発生について何らかの防止策を立てているかについて照会した回答では六六校が防止策を立てていないとし、急性腎不全の発生についての認識がない高校も多いことが認められる。
したがつて、昭和五九年八月の時点においては、過激な運動等から急性腎不全が発症することは高校の体育関係者の間に知られていなかつたというべきである。
(3) 右のとおり、顧問教諭らは昌志の体調の不良を予見することも、それによつて昌志に急性腎不全が発症することを予見することも不可能であつたというべきであるから、控訴人同志社には安全配慮義務違反があつたものとは認められない。」
8 五六枚目裏三行目冒頭から五九枚目裏二行目末尾までを次のとおりに改める。
「(一) さきに引用、補正した原判決の理由二、2、(一)(二)のとおり、木津川病院の和田医師は、脳神経学的には著変を認めない旨の志熊医師の所見を経たうえで、昌志から発熱と咽頭痛という主訴を聞き、理学的検査及び血液検査の結果に基づき、サッカーの合宿中の発症であることから考え、日射病による軽い脱水症、疲労及び急性上気道炎との診断を下したものであるが、《証拠略》によれば、これらの状況の下における右診断は極めて常識的であり、尿検査のための尿が出ない原因としては脱水によるものと考えるのが一般的であつて、当時の状況の下で、急性腎不全を疑つて是が非でも尿検査を実施する必要があるとまではいえないことが認められる。
したがつて、和田医師に誤診及び急性腎不全に対する早期治療を怠つた過失または債務不履行がある旨の被控訴人らの主張は採用することができない。
(二) なお、さきに引用、補正した原判決二、3、(二)で認定した事実と《証拠略》によれば、昌志の昭和五九年八月三一日の頭部CT検査所見は正常であり、脳浮腫の所見はないが、九月九日の全身痙攣発作後の頭部CT検査では脳浮腫の所見を認めており、脳浮腫は八月三一日のCT検査後に起こつていること、また、昌志の血中尿素窒素値は九月一日第一回透析前一三八・六、透析後一〇一・七、九月三日第二回透析前一三三・二、透析後八四・六、九月四日第三回透析前一〇九・五、透析後五八・八、九月五日八七・四、九月六日第四回透析前一二四・六、透析後六八・三、九月七日一〇六・八、九月八日第五回透析前一二二・一、透析後六二・六、九月九日一〇九・三(いずれも単位はミリグラム/デシリットル)で、九月一、三、四、六、七、八、九日の血中尿素窒素値は一〇〇ミリグラム/デシリットルを越えており、尿毒症の状態にあつたこと、九月二日以後は高血圧状態にあり、最高収縮期血圧はおおむね一六〇--一九〇ミリメートル水銀柱であつたこと、したがつて、もし九月一日以降毎日透析を施行し(毎日の透析後の血中尿素窒素値が三〇--四〇ミリグラム/デシリットルになるところまで透析し、上がつた数値が八〇ミリグラム/デシリットルを越えないようにする。)、血中尿素窒素値を一〇〇ミリグラム/デシリットル以下に維持し、かつ、降圧剤の使用等により収縮期血圧を一五〇ミリメートル水銀柱以下に維持していたら、脳浮腫は予防できた可能性が大きいと考えられること、まして、昌志は若くて、少なくとも、大和郡山病院には歩いて入院しており、前記のとおり八月三一日のCT検査所見では脳浮腫はなかつたことをあわせてみれば、右のような治療法を採れば昌志は死亡しなかつた可能性が相当に高いこと、昌志の死因は血液透析を遅く始めたことによるものではなく、大和郡山病院に入院後の治療の経過に原因があることが認められる。
一般に一定の行為と死亡との間に相当因果関係が肯定されるためには、その間に当時の医学水準において一般に可能とされる治療が適切に行われることを前提として、それでもなお一定の行為による死亡が通常生じるべき結果として予見されることを要すると解すべきところ、本件においては、大和郡山病院において一般に可能とされる治療が適切に行われていれば、昌志に脳浮腫は起きず死亡に至ることがなかつた公算が強いというべきである。
そうすると、仮に和田医師に被控訴人ら主張の過失または債務不履行があつたとしても、同医師が透析をしなかつた不作為と昌志の死亡との間には相当因果関係がないものというべきである。」
9 五九枚目裏三行目冒頭から六一枚目表一〇行目末尾までを削る。
二 したがつて、被控訴人らの控訴人らに対する本件請求は理由がないので、これと異なる原判決を取り消し、被控訴人らの請求を棄却し、被控訴人らの附帯控訴も理由がないから、これを棄却することとする。
(裁判長裁判官 中川敏男 裁判官 北谷健一 裁判官 松本信弘)