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大阪高等裁判所 平成5年(う)604号 判決 1994年4月28日

主文

原判決を破棄する。

本件を和歌山地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、検察官小見山道有作成の控訴趣意書のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人田中昭彦及び吉田一雄共同作成の答弁書のとおりであるから、これらを引用する。

一  本件公訴事実及び訴訟の経過の概要

1  公訴事実

本件公訴事実は、

「被告人は、法定の除外事由がないのに

第一  平成元年一一月二八日ころ、和歌山市六十谷一〇四一番地の一セイコーマンションⅡ三階二八号室の自室において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶性粉末約〇・〇二グラムを水に溶かして自己の身体に注射し、もって覚せい剤を使用した

第二  同月三〇日午前一一時三三分ころ、前同所の自室において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶性粉末〇・〇五グラムを所持した

ものである。」というものである。

2  本件訴訟の経過

原審公判では、被告人は、第一の事実を認め、第二の事実を否認し、弁護人は、第一の事実につき、その証拠として検察官が請求する尿の鑑定書は、被告人の居宅を捜索した警察官が、自ら持ち込んだ覚せい剤結晶性粉末を同所で発見したように偽装し、しかも、右覚せい剤の所持を否定した被告人に数人がかりで暴行を加えた上被告人を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕し、その違法な身柄拘束状態を利用し、かつ、「物があるのにいつまで否認してもとおらんぞ。このままやったら強制採尿するぞ。」と追って被告人を観念させ、強制的に採取した尿の鑑定書であるから、違法収集証拠として証拠能力が否定されるべきであって、結局無罪とされるべきである旨、また、第二の事実については、右のとおり、警察官が被告人方に覚せい剤を持ち込んだものであって、被告人は所持していなかった旨主張した。そして、検察官が第一の事実につき証拠調べを請求した右尿の鑑定書等、第二の事実につき証拠調べを請求した右覚せい剤結晶性粉末(以下「本件覚せい剤」という。)とその鑑定書等の証拠能力を争った。

原審は、これら争点に関して証人調べ等を実施した結果、本件覚せい剤は、捜索の警察官が持ち込んだものではなく、被告人方にあったものと認められるが、右覚せい剤の捜索差押え手続の過程で、四人の警察官が単に本件覚せい剤が自分の物ではないと否認したに過ぎない被告人に対し蹴ったり踏み付けたりの激しい暴行を加え、全治まで約二週間を要する傷害を負わせた重大な違法があるほか、本件捜査に関与した警察官が覚せい剤取締法違反の前科のある者などの氏名が記載されている被告人の手帳(アドレス帳)を令状なくして被告人方から持ち出し、これを被告人の取調べに利用するという令状主義に反する重大な違法があることをも考えると、本件捜査は全体として著しく違法性を帯びているといわざるを得ないから、本件覚せい剤とその鑑定書に証拠能力を認めることはできないとし、また、被告人が尿を提出したのは前記のような激しい暴行を受けた時からわずか三時間程度しか経過していない時点であって、右暴行の影響がなかったとはいえないほか、前記のとおり本件捜査は全体として著しく違法性を帯びていることからすれば、被告人の提出した尿もその証拠能力が否定されるべきであり、したがって、その鑑定書の証拠能力も認められないとして、右覚せい剤と各鑑定書の取調べ請求をいずれも却下する旨の決定(以下「原決定」という。)をした上、本件覚せい剤について、前記捜索時に行われた覚せい剤予試験試薬「Xチェッカー」による簡易検査により陽性反応が認められ、かつ、その検査結果が科学的にみて確度が高いという証人森彰広の証言があるとしても、そもそも検査の対象たる本件覚せい剤に証拠能力が認められない以上、その検査結果もまた証拠能力が認められないといわざるを得ず、被告人は第一の公訴事実については捜査、公判を通じて、第二の公訴事実については捜査段階において、それぞれ自白しているけれども、前記のとおり、検察官請求の各鑑定書及び本件覚せい剤の取調べ請求が却下された結果、各公訴事実の使用又は所持にかかる「覚せい剤」が覚せい剤取締法二条にいう覚せい剤であることの補強証拠がないことになるとして、本件各公訴事実について被告人を無罪とする判決を言い渡したものである。

二  控訴趣意に対する判断

論旨は、原決定ひいては原判決(以下「原決定等」という。)は、検察官の証拠調べ請求にかかる本件覚せい剤などについて、いずれも違法収集証拠であるから証拠能力を欠くと判断しているが、まず、前提事実として、捜索時に警察官らが被告人に暴行を加えたと認定した点で事実を誤認しており、次に、原決定等が認定した事実を前提としても、前記のような理由で証拠能力を否定した点において憲法三三条、三五条、刑事訴訟法一条、二一八条、二二〇条等の解釈、適用を誤り、違法収集証拠排除に関する最高裁判所の判例の趣旨を逸脱しているから、原決定等の右判断には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というものである。

そこで、所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実調べの結果をも併せて検討する。

1  本件の事実関係

(1)  まず、和歌山西警察署の警察官ら(和歌山県警察本部から応援のため派遣された者を含む)が平成元年一一月三〇日に被告人方を捜索してから、被告人を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕し、尿を提出させるまでの本件捜査の経緯については、原決定中の理由二記載の事実が関係証拠によって認められる。

(2)  被告人は、原審公判において、本件覚せい剤については全く身に覚えがないので捜索に来た警察官が持ち込んだとしか考えられない旨供述し、弁護人は、右捜索にあたった警察官の一人である國見嘉久が独断で右覚せい剤を持ち込んだ旨主張するが、同警察官が証拠を捏造してまで末端の覚せい剤使用者にすぎない被告人を検挙しなければならない事情は証拠上窺われず、警察官が右覚せい剤を持ち込んだのであれば、相当の危険を冒しているのであるから速やかに差押えの手続を整えて引き揚げるのが通常の心理であると考えられるのに、被告人が否認したからといって、後記認定のように、右國見を含む警察官らが被告人に暴行を加えて後日の紛争の種を作るとは考えにくいこと、被告人は、原審第九回公判において、右捜索当時覚せい剤を所持していなかった根拠として、右捜索の直前の一一月二八日までは覚せい剤を現実に所持していたが、千葉県の鹿島に仕事に行くことからもはや必要ないと考え、同日自分の車で友人の吉永伸治をその職場に迎えに行った帰り、同車を運転する同人に使い残しの覚せい剤を手渡し車外に捨ててもらった旨供述し、原審証人吉永伸治もこれに沿う供述をしているが、所持する覚せい剤を捨てるのに、このような形をとるというのはいかにも不自然であって、たやすく信用し難いこと、被告人は当初こそ本件覚せい剤の所持を否認したものの、検察官による弁解録取及び勾留質問の時点からは右所持を認めていること等に徴すると、本件覚せい剤は警察官が持ち込んだものではなく、右捜索の際被告人方にあったものと認めることができる。

(3)  問題は、右捜索の際、捜索に当たっていた警察官らが被告人に暴行を加えたか否かであり、被告人は、原審公判において、「警察官から本件覚せい剤を発見したとしてこれを示された際『そんなあほな。』などと自分の物ではない旨否認したところ、その場に居合わせた警察官椎木尾隆から襟首をつかまれて後ろに引っ張られたうえ、左脇腹を蹴られ、倒れたところを再び同人に同じ場所付近を蹴られ、次いで、同人とその場に居た警察官中村哲、同國見嘉久の三人から背中を蹴られ、さらに、警察官森彰広から頭を蹴られた。」旨供述しているのに対し、原審で証人となった右警察官らは、いずれも、右のような暴行の事実は全くなかった旨証言しているが、この点についての原決定の判断は、平成三年一月八日付和歌山西警察署長作成の捜査関係事項照会回答書添付の同元年一一月三〇日付留置人健康質問表の実施担当者の意見(判断)の項の「経過観察のうえ受診検討もの」という記載の評価の点を除き、概ね相当として是認することができる。すなわち、原審における証人中林律夫、同赤松一誠、同吉永伸治の各証言によれば、被告人は本件捜索を受けた一一月三〇日に千葉県の鹿島に仕事に行くことになっており、右中林らがその前日や前々日ころに被告人に会った際には、被告人は格別身体の不調を訴えてはおらず、体調の悪そうな様子もなかったこと、ところが、原審における証人波毛好司、同上硲大治の各証言によると、逮捕されて和歌山西警察署の留置場に入って来た被告人は、房に入るとき、階段を上り下りするとき、洗面に行くときなどに、手で腹を押え、身体をくの字に曲げて痛そうにしており、どうしたのかと尋ねると、「シャブでぱくられたんやけど、家にポリさん踏み込んで来て踏んだり蹴ったりになったんや。」と言っていたこと、他方、当時の和歌山西警察署留置管理係長であった大江容永の原審における証言及び押収してある「受診願い」と題する書面一枚(平成五年押第一八二号の一)によると、同人は、同年一二月四日被告人から胸部の痛みを理由とする「受診願い」が出された際、留置管理の者から「昨日かその前かわからんけども、痛がってあるんや。」「あれはほんまや。」という報告を受け、自分でも被告人に確かめたうえ、医師に診察を受けさせることにしたこと、原審における証人菱川泰の証言、押収してある診療録一枚(平成五年押第一八二号の三)によると、被告人は右一二月四日和歌山市内の菱川病院で診察を受けたが、診察に当たった医師菱川泰は、レントゲン撮影の結果からは骨折を認めなかったものの、被告人の愁訴から肋軟骨の骨折を疑い、その治療として被告人に湿布薬、鎮痛剤等の薬を出したほか胸部のコルセットを渡したこと、その後同月一一日、警察官が同病院に赴いて湿布薬、精神安定剤を貰い、これらを被告人に与えたことがそれぞれ認められ、これらの事実に徴すると、警察官らから暴行を受けた旨の被告人の前記供述は信用できるというべきである。

なお、原決定は、最初の入房時に作成さた留置人健康質問表に、被告人が首の治療のため寺下病院に通院している旨の記載はあるものの、被告人の疾病等についてはいずれも異常がない旨記載されており、さらに実施担当者の見た感じとして「健康である」と記載されているのに、別人の筆跡で「経過観察のうえ受診検討もの」という矛盾した記載があることから、これを被告人の身体の異常を窺わせる極めて特異な記載と解し、被告人の胸部の痛みを留置担当者が当初から認識していたことを推測させる一資料とみているようであるが、平成五年一月二二日付司法警察員井原宣浩作成の捜査関係事項照会回答書、当審における証人大江容永、同星田雄二の各証言を総合すると、「経過観察のうえ受診検討もの」という表現は、留置人健康質問表作成の際、身柄を拘束される前に何らかの疾病で診療を受けていた留置人について、実施担当者の意見(判断)の項に従前からしばしば使われてきた慣用的表現であり、被告人に対する前記留置人健康質問表の場合、これを作成した実施担当者の星田雄二警部補が同表の「全般」の項に首の治療のため寺下病院に週に一度通院している旨、「実施担当者の見た感じ」の項に健康である旨記載しながら、実施担当者の意見(判断)の項を空白にしていたところから、翌日(一二月一日)前記大江容永が留置管理の責任者として、総合的に判断して前記の文言を記入したものであることが認められ、被告人自身も、原審第七回公判において、本件逮捕当日(一一月三〇日)、留置担当者には胸部の痛みを訴えていない旨述べているのであるから(同日の被告人の身体検査等の結果を記録した身体検査実施表にも被告人が胸部の痛みを訴えた旨の記載はない。)、前記留置人健康質問表の「経過観察のうえ受診検討もの」という記載をもって直ちに当時留置担当者が被告人の胸部の痛みを認識していたことの徴憑であるかのように考えるのは当を得ない。

また、右「受診願い」には、胸の痛みの原因として「約一週間程前に家でむねをホームコタツの角で打った」旨の記載があるが、前記認定のように、逮捕前は格別身体に異常な様子がなく、他の者に体調の不良を訴えてもいなかったこと、被告人はこのように記載した理由について「警察官から、刑事に暴行を受けたと書いたら受診させないと言われてやむをえず書いたものである。」と弁解しているが、当時被告人の置かれていた状況からすれば、留置管理担当の警察官の何らかの示唆によって、被告人が当たり障りのない原因を記載することは十分あり得ることなどを考えると、右記載内容を真実と認めることはできない。

所論は、<1>被告人が原審公判において、本件覚せい剤は、捜索に来た警察官が持ち込んだもので、これを被告人方で発見したかのように偽装したものであるというような極めて特異な弁解をしたり、覚せい剤を所持していなかった理由として、鹿島に仕事に行くことになったからもう覚せい剤は必要ないと考え、本件捜索直前の一一月二八日に知人の吉永伸治を自動車で迎えに行った際、自室から使い残しの覚せい剤を持ち出し、これを自分で捨てるのではなく、わざわざ運転中の吉永に渡して捨ててもらった旨の不自然な供述をしていること、現行犯人として逮捕された後の警察官による弁解録取の際はともかく、検察官による弁解録取及び裁判官の勾留質問の際には至極あっさり覚せい剤所持の事実を認めたばかりか、警察官から暴行を受けたことやそのため胸が痛むことを訴えた形跡が全くないこと、さらに、本件による逮捕後の取調べの過程で、警察官に対し自発的に他人の覚せい剤事犯に関する情報の提供にまで及んでいるが、真実本件捜索時に警察官によって覚せい剤を持ち込まれて濡衣を着せられたうえ、激しい暴行まで加えられたのであれば、そのような協力をする筈がないことなど、被告人の原審公判における供述には、その重要な部分で明らかに虚偽ないし不自然、不合理な点が多々あり、全体として到底信用できないものであるのに、原決定は、被告人の右供述中、本件覚せい剤は捜索に来た警察官が持ち込んだもので、それゆえ被告人が本件覚せい剤を自分のものではないと否認するや、警察官から蹴られたり踏まれたりして激しい暴行を受けたという一連の密接に関連する事実に関する部分をあえて分断し、本件覚せい剤を警察官が持ち込んだとの点は信用できないが、警察官から激しい暴行を受けたとの点は信用できるとしており、このような判断は自己矛盾といわざるを得ないこと、<2>原審証人の中林律夫、赤松一誠、吉永伸治は被告人と密接な関係にあり、なかでも吉永は被告人と同様覚せい剤取締法違反の前科を有し、被告人が本件で逮捕された後、勾留中の被告人と度々接見していることが明らかであるうえ、同人らの証言が、被告人の保釈後に、かつ、その逮捕から一年六か月以上を経過した後に行われていることなどを考え併せると、その信用性には多大の疑問があること、<3>原審証人波毛好司の証言は、被告人が警察官から受けた暴行の態様に関し、弁護人の問いに対しては、「踏んだり蹴ったり」と述べながら、検察官の問いに対しては、「殴る蹴る」と述べるなど明らかに前後矛盾するばかりか、痛そうに身体をくの字に曲げて留置場に入って来たとの供述部分も、一階から入って来たのか二階から入って来たのか覚えていないなどあいまいであるのに、その姿勢に関する部分や被告人との会話の内容になると突如として具体性を帯びてくるなど、極めて不自然であり、原審証人上硲大治の証言は、波毛証人が目撃したという被告人の入房時の異常な姿勢を見ていないし、自分の房から被告人の房は見通すことができないと証言しながら、「どっちかの腹を押えて痛い痛いと言っていたさかいに、腹痛かいと聞いた記憶がある。」と明らかに矛盾する供述をしていることからみても、ことさら被告人の弁解に沿う供述をした疑いが強く、いずれの証言も信用性が極めて乏しいことを主張するのであるが、<1>被告人の原審公判における供述中、本件覚せい剤は捜索に来た警察官が持ち込んだものであるということと警察官らから激しい暴行を受けたということとは、前者が認められれば後者も存在する筈であり、前者が認められなければ後者もあり得ないというようにその存否が牽連する関係にはなく、原決定は、被告人の供述の信用性を疑わせる事情として所論において指摘されている前記の諸点などを考慮して前者の信用性を否定し、後者の信用性については、その供述内容に沿う他の証拠をも考慮してこれを肯定したものであって、その間に格別不合理なところはなく、<2>原審証人中林律夫、同赤松一誠、同吉永伸治の各証言中被告人の健康状態に関する部分に不自然、不合理なところは窺われず、加えて、原審における警察官らの各証言中にも、本件捜索当日の被告人の様子や会話から体調の異常を認めた旨の供述が全くないことに照らしても、中林らの右証言部分の信用性に疑わしい点はなく、<3>原審証人波毛好司の証言は、同人が和歌山西警察署に拘束されていたとき印象に残った被告人の様子を述べたものであるが、被告人の姿勢に関する部分や被告人との会話の内容だけが際立って詳細、明確というわけではなく、被告人から聞いた警察官の暴行の態様について、「踏んだり蹴ったり」と言ったり、「殴る蹴る」と言ったりするのも、被告人から聞いた正確な言葉の記憶が薄らいでいるため、暴行の趣旨を表現する同じ意味合いの言葉としてこのような言い方をしたことが証言全体から推測されるのであって、そのことが直ちに信用性の否定につながるものではないし、原審証人上硲大治の証言についても、同人が波毛と全く同じように被告人の最初の入房時の様子を見ていたとは限らないのであるから、右状況につき波毛と同様な証言をしていないことが証言の信用性を疑わせる理由にはならないし、同証人は、自分の房内から他の房内を見通すことはできないことを明確に述べており、そのことを前提にして、被告人が腹を手で押えているところを目撃する機会は朝の洗面のときや留置場内の階段を上り下りするときなど出房時にいくらでもあった旨供述しているのであるから、「どっちかの腹を押えて痛い痛いと言っていたさかいに腹痛かいと聞いた記憶がある。」という供述についても、自分の房内から被告人の房内を見通して被告人が痛がっている様子を見たという趣旨で供述したと解すべきではなく、右証言をとらえて同証人が明らかに矛盾する供述をしているというのは失当というべきである。

以上の理由により、被告人が、その供述のように、本件捜索中の警察官が手にした本件覚せい剤を見て、自己の所持を否認するような言葉を発したことから、これに反発した警察官らから暴行を受けたと認めることができ、その程度についても、前記認定のように菱川病院は平成元年一二月一一日にも湿布薬、鎮痛剤を被告人に出していること、前記上硲証人も、同月二一日に留置場を出るまで、被告人を見かけた限りでは常に痛そうにしていた旨供述していることなどを勘案すると、全治まで約二週間を要するものとした原決定の認定は相当というべきである。

(4)  前記認定のように、被告人は、本件により逮捕された後、警察官に尿を提出しているが、原審証人田上善英の証言、被告人の原審第七回公判における供述によれば、被告人は、警察官から尿の提出を求められた際、「家を出るときに排尿してきたのでまだ出ない。もう少し待ってほしい。」と言い、それに対して警察官から「尿を出さないのなら強制採尿する。」と告げられた経緯はあるが、尿の提出を拒む意思は初めからなかったもので、その後任意に提出していることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(5)  関係証拠によれば、本件捜査の過程で、和歌山西警察署が、覚せい剤取締法違反の前科のある者などの氏名が記載されている被告人の手帳(アドレス帳)(平成五年押第一八二号の五)を所持し、これを被告人の取調べに利用していること、ところが、この手帳については、差押えあるいは任意提出等の手続が全くとられておらず、本件捜査に関与した警察官のうちひとりとしてこれを同警察署が入手した経緯について説明できる者がいないうえ、同警察署長作成の平成三年一月八日付捜査関係事項照会回答書添付の留置人金品出納簿、留置人等所持金品受払簿にも、被告人が留置された際右手帳を留置担当者において受け入れた旨の記載あるいはその後右手帳が差し入れられた旨の記載がないことが認められ、してみると、被告人が現行犯人として逮捕され、同警察署に引致された後に、警察官が、これを本件その他の覚せい剤事犯の捜査に利用するため、令状なくして勝手に被告人方から持ち出したものと認めざるを得ない(被告人の原審第九回公判における供述によると、被告人が逮捕されて警察署に向かうため自宅を出る際、財布に入れていた右手帳を自宅に置いて出たことが窺われる)。

なお、右手帳が被告人の取調べに利用された状況について、被告人は、原審第八回公判において、本件覚せい剤所持の現行犯人として逮捕された後も、取調べに対し、否認を続けていたが、菱川病院から戻った日(一二月四日)、被告人の取調べを担当していた小島正人巡査部長からこの手帳を示され、「どうしても所持認めへんのやったら、名前を書いてるやつを片っ端から引っ張るぞ。それでもかめへんのか。ほかの者に迷惑かけてもかめへんのか。」と言われて仕方なく自白した旨供述しているが、検察官下和雄作成の弁解録取書(検乙第八号証)、裁判所書記官岡内明作成の勾留質問調書(検乙第九号証)によれば、被告人は同年一二月二日の検察官による弁解録取及び裁判官の勾留質問に対してすでに被疑事実である覚せい剤の所持を認めているのであって、右手帳が自白強要の手段として用いられたかのような被告人の右供述はたやすく信用することができない。

2  本件覚せい剤及び各鑑定書の証拠能力について

以上のとおり、本件覚せい剤は、捜索差押許可状に基づく捜索によって発見され、被告人をその所持の現行犯人として逮捕した現場における差押えとして刑訴法二二〇条により押収されたものであるが、前記認定の警察官らの暴行は、被告人が捜索中の警察官の手にする右覚せい剤を見てその所持を否認するような発言をしたことに触発されたものであって、暴行脅迫によって捜索の目的物のありかを言わせるとか目的物を提出させる場合のように、右覚せい剤の発見あるいは押収の手段として行われたものではないから、捜索差押許可状の執行中に行われてはいるが、右捜索差押え行為の一部とみることはできず(その意味で、右警察官らの暴行を「押収手続の中核部分」と位置付ける弁護人の主張は採用できない。)、違法行為の動機が押収物件に関連しているという理由だけでは、その捜索差押え手続自体を違法と判定することはできないというべきである。

そこで、原決定等は、本件覚せい剤の押収に手続違反はなくとも、右警察官らの暴行がその捜索差押え手続の過程で行われ、その態様が激しく、その結果(傷害)も相当重いこと、加えて、本件捜査において、警察官が令状なしに被告人の前記手帳を入手していることからすると本件捜査は全体として著しく違法性を帯びているといわざるをえないから、違法捜査抑制及び正義の見地から、本件覚せい剤を犯罪事実認定の証拠として許容することは到底できないと判定している。たしかに、前記認定のように、警察官らの暴行は一方的で、その程度も決して軽微なものとはいえないし、本件捜索に当たった警察官が、被告人方で右手帳を現認した際に任意提出あるいは逮捕現場における差押えの手続をとろうと思えばとれないこともなかったのに、勝手にこれを被告人方から持ち出したことも令状主義に反する違法な行為である。しかし、それらの違法行為が捜査を全体として違法なものにしていまい、もはやその間に収集した証拠によって被告人を処罰することが許されないとまで考えることは相当ではない。

してみると、本件覚せい剤及びその鑑定書の証拠能力を否定することはできず、また、前記認定のように、被告人は警察官らから右暴行を受けた後に和歌山西警察署で尿を提出しているが、被告人は原審公判において任意にこれを提出したと述べていて、その意思決定に右暴行が影響したことを窺わせる証拠は存在せず、警察官らが被告人に尿を提出させることをも目的として右暴行を加えたものと認め得る証拠もないから、尿を提出させた手続に違法はなく、したがって、その尿の鑑定書の証拠能力を否定するべき理由もない。

原判決はこれらの証拠能力を認めなかった点において訴訟手続に法令の違反があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は結局理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、本件についてさらに審理を経る必要があると認められるので、同法四〇〇条本文により本件を原裁判所である和歌山地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

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