大阪高等裁判所 平成5年(ネ)3249号 判決 1999年7月28日
控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)
国
右代表者法務大臣
陣内孝雄
右指定代理人
岩倉広修
外三名
被控訴人兼附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)
亡甲野太郎訴訟承継人
甲野春子
外七名
右八名訴訟代理人弁護士
木下元二
同
樋渡俊一
同
渡部吉泰
同
西村忠行
主文
一 控訴人の控訴に基づき、原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
二 右取消部分にかかる被控訴人らの請求を棄却する。
三 被控訴人らの本件附帯控訴を棄却する。
四 訴訟の総費用は被控訴人らの負担とする。
事実及び争点
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
主文一ないし三と同旨
二 被控訴人ら(上告審判決前の申立て)
1 本件控訴を棄却する。
2 原判決を次のとおり変更する。
控訴人は、被控訴人らに対し、金二〇〇〇万円、及びこれに対する昭和四八年一一月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要及び争点
一 事案の概要
1 本件は、甲野太郎(承継前の被控訴人兼附帯控訴人、以下「太郎」という。)が、刑事事件で無罪判決を言い渡されたところ、国家公務員である担当検察官の公訴提起が違法であったとして、控訴人に対し、国家賠償を求めた事案である。
すなわち、太郎は、後記二のとおり、昭和四三年一二月二七日神戸地方検察庁洲本支部検察官(以下「担当検察官」という。)により、神戸地方裁判所洲本支部に有印私文書偽造・同行使の罪名により起訴された(以下「本件公訴提起」という。)が、同裁判所同支部裁判官は、昭和四八年三月二九日公訴事実につき無罪の判決を言い渡し、右判決は控訴されることなく確定した。
太郎は、担当検察官の公訴提起は杜撰な捜査に基づき、有罪判決を得る合理的な根拠がないにもかかわらず違法なものであったなどとして、昭和四八年一一月八日控訴人に対し、国家賠償法一条に基づき、精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料一五〇〇万円及び刑事事件の訴訟追行費用五〇〇万円の合計二〇〇〇万円並びにこれに対する原審訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた(神戸地方裁判所昭和四九年(ワ)第五〇号)。
2 本判決までの訴訟経過は、以下のとおりである。
(一) 神戸地方裁判所は、昭和六〇年二月六日、太郎の請求を金四〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の限度で認容し、その余の請求を棄却した。
(二) 控訴人は、昭和六〇年二月二六日、控訴を提起し(当庁昭和六〇年(ネ)第四〇四号事件)、太郎は、昭和六一年一〇月一五日附帯控訴を提起した(当庁昭和六一年(ネ)第二〇九一号事件)。
(三) 当庁は、昭和六三年五月三一日附帯控訴に基づき、金六〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を命じて原判決を変更し、控訴人の訴訟を棄却した。
(四) 控訴人は、昭和六三年六月一三上告し、平成四年八月三一日太郎が死亡したため、被控訴人らが訴訟手続の承継をした。
(五) 最高裁判所は、右上告事件(最高裁判所昭和六三年(オ)第一二三七号)について、平成五年一〇月一四日口頭弁論期日を開いたうえ、同年一一月二五日要旨以下の理由で控訴人敗訴部分を破棄し、同部分につき本件を当庁に差し戻した。
「刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるということはなく、公訴提起当時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、右提起時における各種の証拠を総合勘案して合理的な判断過程により被告人を有罪と認めることができる嫌疑があれば足りるものと解すべきである(最高裁昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁)。
そして、公訴提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により被告人を有罪と認めることができる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である(最高裁昭和五九年(オ)第一〇三号平成元年六月二九日第一小法廷判決・民集四三巻六号六六四頁)。
これを本件についてみるに、事実関係その他の原審の理由説示によっても、本件公訴提起時において、担当検察官が、太郎の犯意に関する証拠としてどのようなものを収集していたのか、また、通常要求される捜査を遂行していれば、右の点についてどのような証拠資料を収集し得たのか、殊に、「株友会会員各位」と題する書面や刑事判決において太郎の犯意の存在を否定する判断の重要な要素となった株友会の規約(甲第一一、第一二号証)がどうであったか、という点については、明らかにされていない。したがって、本件公訴提起時において、担当検察官が現に収集していた証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的に判断すれば、太郎を有罪と認めることができる嫌疑があったということができるかどうかについても、明確に判断することができないものといわざるを得ない。
そうすると、原審は、本件公訴提起の違法性について十分な検討をせず、その具体的判断をしないまま上告人の責任を肯定したものといわざるを得ず、(中略)更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。」
二 前提となる事実(争いがないか、証拠により容易に認められる。)
1 太郎は、昭和四三年一二月二七日神戸地方検察庁洲本支部検察官乙山二郎により、神戸地方裁判所洲本支部に有印私文書偽造・同行使の罪名により起訴された。
その公訴事実の要旨は以下のとおりである(乙一〇三)。
「被告人は、淡路交通株式会社の株主であるが、神戸地方裁判所洲本支部に対し、商法二九三条の六に基づく淡路交通株式会社の帳簿閲覧の仮処分を申請するにつき、昭和四二年一一月二〇日頃、被告人の経営する有限会社甲野商会の事務所において、ほしいままに、情を知らない同会社の従業員八名をして、弁護士三名に対する仮処分申請の代理委任状用紙の委任者欄に、淡路交通株式会社の株主である山田桝夫他二六名の氏名を記載させ、それぞれその名下に各自の姓を刻した有合わせ印を冒捺し、もって右山田桝夫他二六名作成名義の代理委任状二七通(以下「本件各委任状」という。)を偽造し、同月二一日、神戸地方裁判所洲本支部において、その情を知らない右三名の弁護士をして、同裁判所係官に対し、本件各委任状を真正に成立したものとして一括して提出行使させたものである。」
本件各委任状を偽造された被害者二七名は、以下のとおりである。
(一) 山田桝夫、(二) 栗田雅文、(三) 田村義正、(四) 木下茂、(五) 藤井久也、(六) 城越網太郎、(七) 城越幸、(八) 城越亜騎夫、(九) 村上勝美、(一〇) 島津隆峰、(一一) 森しづか、(一二) 坂東琢郎、(一三) 奥野英城、(一四) 河崎与一郎、(一五) 南山章、(一六) 川口満枝、(一七) 坂東暉章、(一八) 浦瀬庄五郎、(一九) 杣田増夫、(二〇) 安田和敏、(二一) 三好光起、(二二) 大石貞雄、(二三) 西岡吉次郎、(二四) 猪植典子、(二五) 柳原健六、(二六) 粟田泰次、(二七) 十河重一(以下これらの者を「被偽造者」ということがある。)
2 昭和四八年三月二九日神戸地方裁判所洲本支部裁判官は、右公訴事実につき無罪の判決を言い渡し、右判決は、控訴されることなく確定した。
右判決の理由の要旨は、太郎が公訴事実記載のとおり、山田桝夫他二六名の本件各委任状を無断で作成した事実は認められるが、右山田桝夫他二六名は当時何らかの形で株友会とかかわりのあった者らであるところ、同人らに熟知させてはいなかったものの、株友会設立に付いての規約には、諸手続等についての署名押印等一切の権限は会長が行使することとの定めがあり、その後に定められた株友会規約には、株友会は目的遂行上構成員個々の名で弁護士に委任して訴訟その他裁判上の手続をとることもできるとした上で、その場合の弁護士に対する委任状の作成につき、業務執行組合員が各組合員名義で代理し、適宜の印鑑で捺印することができるものとするとの定めがあったことなどから、公訴事実記載の行為は、被告人において、本件各委任状の作成権限を授権されているとの錯誤のもとにされたものであって、有印私文書偽造及び同行使を構成しない、というものであった。
3 株友会設立に付いての規約(甲一一)には、次の記載がある。
一 淡路交通(株)の株主で別紙同意書に署名押印した者を持って株友会を組織する。
一 本会は淡路交通株式会社並に各子会社の経理を監査する目的で帳簿閲覧の請求を行う事を目的とする。
一 本会は、会長一名、副会長二名、理事幹事若干名を置く。
一 本会は、業務執行に付いての一切の行為を会長が代行するものとする。
一 本会は川田祐幸氏外数名の弁護士に委任して法的手続を行うものとする。
一 諸手続等についての署名押印等一切の権限は会長が行使すること。
一 本会は目的完了後に於て解散するものとする。
一 本会を無断にて脱退する事は出来ない。但し合議の上で脱退が出来るものとする。
一 本会を無断にて脱退し、本会に損害を与えた場合は其の責任を取るものとする。
一 本会の必要経費に付いては会長が立替え払いするものとする。
一 株友会設立について、本規約を作成し即時実行に移す事とする。
以上
昭和四十一年拾一月十七日
甲野太郎 松下速美 細川清一郎 中本貞雄 児島岩吉 桂木喜代治 中野順一 甲野孝吉{各署名押印}
{別紙同意書は付けられていない}
4 株友会規約(甲一二)には、次の記載がある。
淡路交通株式会社株主である末尾添付別紙組合員名簿記載の者は左記のとおり組合契約をする。
一(事業目的)
この組合は淡路交通株式会社、大阪淡路交通株式会社、京都淡路交通株式会社の経理を監査し、もしその不正を確認したときは、これを是正する適当な措置を講じ、且必要に応じて関係者の責任を追及し、もって我々株主の利益を企ると共に、企業経営の民主化並に社会悪の撲滅を期することを目的とする。
二(名称)
この組合は「株友会」と称する。
三(存続期間)
この組合の存続期間は、一応第一項の目的を達するため、淡路交通株式会社、大阪淡路交通株式会社、京都淡路交通株式会社の商業帳簿等を閲覧調査し、その経理に不正不当な事実があるかどうか確認を了えるまでとし、不正がなければ、組合は目的達成により解散し、もし不正事実を確認したときは、その是正を企るため引続き組合を存続させるかどうか等は組合員の決議によってこれを定める。もし、前記経理の調査確認が、昭和四四年一二月末日まで完了しないときは、目的達成不能として組合はその時点において解散する。
四(出資)
組合員は、第一項の事業目的達成に必要な範囲内において、平等に肉体的、精神的労務を提供するものとし、且組合の事業執行の費用に充てるため組合員の持株一株につき、金五銭の割合による財産出費を行うものとする。
五(業務執行及び区組合代表)
組合の業務執行は左記の者が行うものとし、同時にこれ等の者は組合を代表するものとする。
記
組合長 甲野太郎 副組合長 松下速美 同 細川清一郎 理事 中本貞雄 理事 児島岩吉 理事 桂木喜代治 会計理事 中野順一{各署名押印}
六(訴訟その他裁判上の行為)
業務執行組合員は、組合業務執行の方法として訴訟その他裁判上一切の行為をすることができる。但し、右行為をなすために弁護士に委任する必要があるので、それについては業務執行組合員が組合を代表して組合の名においてその委任を為すと或いは組合員個々の名においてその委任をなす方法を採るかは業務執行組合員の自由に選ぶところとする。業務執行組合員が後者の方法を採る場合は、各組合員は、各組合員作成名義の弁護士に対する委任状が必要であるので、これを作成するにつき、業務執行組合員が所要の委任状に各組合員名義で代理して署名し、且適宜の印鑑で捺印することができるものとする。又弁護士の選任等は業務執行組合員が自由にこれを選択するものとする。
七(脱会等)
組合員は、第三項の組合の存続期間内は組合を脱退することができない。但し、止むを得ない事由があるときは、この限りではないが、この場合でもその時点までにおいて、すでに第六項により、自己の名義で弁護士に委任して、その委任は当該訴訟等裁判上の行為にもとずく裁判が最終的に確定するまでは、解任できないものとする。
八(新規加入)
第一項の事業目的に賛同する淡路交通株式会社の株主は、業務執行組合員の承諾を得てこれに加入することができる。
九 その他必要事項は、組合員の決議でこれを定める。
右組合契約の証として本書を作成し組合員記名捺印する。
{組合員の署名押印はないし、別紙組合員名簿も添附されていない。}
5 株友会会員各位と題する書面(甲三三)には、次の記載がある。
株友会会員各位
昭和四二年七月 日
暑中御見舞申上げます
1 経過報告させて頂きます 過日参上致しましたときに申上げました淡路交通株式会社専ム丁田四郎氏の不正に就いて取締役の責任を追求することに株友会役員が意見の一致を見ることに到りました
2 今後の具体的処理に就きましては強行手段を取る外は無いものと信じます 諸手続するに就いての記名捺印は今後相当数を要しますので過日参上の節御了承得て居ります通り印鑑を作って記名させて頂きますから宜ろしくお含み置き下さい使用しました印鑑は事件解決次第お返し致します
3 不正内容については今一度文書でお知らせ致します
4 聞く処に依ると会社側は今後の株主権利確立し妨害する様な動きもありますので充分と警戒して頂きます様お願い致します
5 何かと要望事項がありましたら株友会事ム所迄御申出下さい
淡路交通株友会代表 甲野太郎
外一一名
三 争点
本件争点は、担当検察官の本件公訴提起が違法と判断されるか否かであり、具体的には以下の点である。
1 昭和四三年一二月二七日(本件公訴提起)の時点において、昭和四二年一一月二〇日ころ(公訴事実で犯意の時点とされた時期)までに作成された株友会設立に付いての規約、株友会規約、株友会会員各位と題する書面、の各証拠資料が存在したか。
2 通常要求される捜査を遂行すれば、1の各証拠資料は収集し得たか。
3 担当検察官が現に収集していた証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案し、合理的に判断すれば、太郎を有罪と認めることができる嫌疑があったといえるか。
四 争点にかかる当事者の主張の要旨<省略>
理由
当裁判所は、担当検察官の本件公訴提起に被控訴人ら主張の違法はなく、被控訴人らの控訴人に対する本件国家賠償請求は棄却されるべきものと判断する。その理由は、以下のとおりである。
一 検察官の公訴提起の違法判断の手法及び立証責任について
刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに、公訴の提起が違法となることはなく、公訴提起当時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、右提起時における各種の証拠を総合勘案して合理的な判断過程により被告人を有罪と認めることができる嫌疑があれば足りるものと解すべきである(最高裁昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁)。
そして、公訴提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により被告人を有罪と認めることができる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である(最高裁昭和五九年(オ)第一〇三号平成元年六月二九日第一小法廷判決・民集四三巻六号六六四頁)。
ところで、公権力行使の違法は、国家賠償請求の権利発生の要件事実であるから、公権力の行使が本件公訴提起である場合、その違法性を基礎付ける具体的な事実については被控訴人らに主張立証責任があるものと解される。
これを本件についてみるに、被控訴人らの本訴の主張に沿えば、被控訴人らが主張立証すべき事項は、本件公訴提起に際し、担当検察官に収集されていない特定の証拠資料が存在したこと、担当検察官が通常要求される捜査を遂行すれば右証拠資料を収集できたこと、及び本件公訴提起に際し、担当検察官が現に収集していた証拠資料と右通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料とを総合勘案して合理的に判断した場合、太郎に本件誤信が存在しなかったとは認められないことの各点である。
そして、右に説示のとおり、本件公訴提起の違法は被控訴人らの主張立証責任に属するから、本件においては、被控訴人らにおいて、無罪判決において太郎の錯誤を認定した重要な証拠資料である株友会設立に付いての規約及び株友会規約並びに差戻前控訴審判決が控訴人の責任を肯定する重要な証拠とした株友会会員各位と題する書面が本件公訴提起当時存在したことのほか、これらの文書が、太郎が本件各委任状に署名押印をする以前に作成されていたことをそれぞれ立証しなければならない。
この点につき、被控訴人らは、最高裁判決の論理構造は、無罪判決が確定した場合には、立証責任の転換を認めたものであるなどとして、これらの証拠資料が存在しなかったことを控訴人において立証すべきであり、殊に本件においては、刑事記録が既に廃棄処分されていて、担当検察官において現に収集していた証拠などを明らかにすることができないから、控訴人は、記録の保管義務違反等に基づき、立証責任を転換され、又は、これらの証拠資料の事実上の存在を推定されてもこれを甘受すべき旨主張する。
しかし、被控訴人ら引用の判決説示部分は、結果違法説を排斥し、いわゆる職務行為基準説を採用するとともに、公訴提起の違法性の基本的な判断基準を示したものに過ぎず、立証責任の転換を肯定したものとは解されない。
また、太郎の刑事記録(弁論の全趣旨によれば、同一嫌疑で取調べを受けた丙川の刑事記録も太郎の刑事記録中に編綴されていたものと認められる。)が既に焼却廃棄されているとして、その提出がないことは被控訴人ら主張のとおりである。
しかし、乙一一三(昭和四五年一一月二四日付け法務省刑事局長通達「検務関係文書等保存事務暫定要領」第二、別表第二の一の二の2、第二の一の六)によれば、右事件記録(公判不提出記録を含む。)の保存期間は、裁判確定の日から五年間であり、一件記録によれば、本件刑事事件記録は、昭和四九年七月九日第三回及び昭和五〇年二月三日第六回原審口頭弁論期日に顕出され、被控訴人らはこれを閲覧謄写することが可能であったことが認められるから、その後廃棄処分されたとしても、被控訴人らの立証に実質的不利益があるものとは解されず、右事実をもって被控訴人ら主張のように、立証責任の転換又は問題とされた証拠資料の存在が事実上推定されるものとすることはできない。
二 昭和四三年一二月二七日(本件公訴提起)の時点において、昭和四二年一一月二〇日ころ(公訴事実で犯行の時点とされた時期)までに作成された株友会設立に付いての規約、株友会規約及び株友会会員各位と題する書面の各証拠資料が存在したか。(争点1)
1 証拠資料の収集、提出経緯等について
(一)(1) 昭和四二年一〇月二七日午前九時一五分から午前一一時五分まで、太郎ほか一名(丙川)に対する業務妨害被疑事件につき、捜索差押の場所等を有限会社甲野商会及びその周辺とし、その目的を本件に関係のある印刷物及びその原稿等とする捜索差押えが行われ、番号一ないし四五の証拠資料の差押えが行われた。太郎の手提カバンの中から番号一ないし二四が、丙川の事務机抽斗しの中から番号二五ないし四三が、また、外出先から帰った丙川から太郎に返却した番号四四、四五の裁定関係書類謄本がそれぞれ押収された。この中には、株友会株主名簿、株友会ニュース、委任状、株友会趣意書、趣意書、ハガキ、メモ、株友会入会申込書等が含まれていたが、株友会設立に付いての規約、株友会規約及び株友会会員各位と題する書面は含まれていない。(なお、趣意書、株友会趣意書は、甲五によれば甲一九を指すものであることが明らかであり、規約の類ではない。)
このうち、以下の証拠資料が検察庁に記録とともに送致され、それ以外は太郎に還付された(甲二三)。
(イ)淡交株友会ニュース三通、(ロ)大株主名簿(封筒入)一通、(ハ)株友会通知書二通、(ニ)株友会趣意書一通、(ホ)大阪国税局より大阪福島税務署長宛資料の謄本一通、(ヘ)告発書一通、(ト)淡路交通(株)株友会名簿一通、(チ)メモ六種類、(リ)査察資料箋謄本一通、(ヌ)表題「淡路交通の件」一通、(ル)メモ九通、(ヲ)委任状一通、(ワ)淡路交通株友会入会申込書一通、(カ)株友会ニュース等二通、(ヨ)打合会通知書一通、(タ)メモ一〇通、(レ)趣意書五通、(ソ)裁定関係書類謄本一通
(2) 同年一二月六日太郎から兵庫県警洲本警察署に対し、手控簿冊(一件簿冊)が任意提出された(甲四、五)。
(3) 同年一二月四日島津隆峰から、趣意書、緊急連絡書(葉書)、お知らせ(葉書)、淡交株友会ニュース、委任状、注意書、説明会開催通知(葉書)、印刷物二枚(里深の持って来た分)、封筒四枚が任意提出された(乙二三)。
(4) 淡路交通株式会社から兵庫県警洲本警察署又は神戸地方検察庁洲本支部に対し、告訴状、追告訴状(甲二)、被偽造者らから委任をしていないことの証明書(丙一ないし二八)が提出された。
(以下右掲記の証拠と弁論の全趣旨)
(二) 太郎は、昭和四三年一二月に、担当検察官に供述書(甲一〇)を提出した。そこには添付書類として、証憑第一号「谷本保氏より提出された書類」、同第二号「幸福相互銀行別府氏の証明」、同三号「淡交本社へ請求した写」、同第四号「洲本裁判所へ提出できると思って作成した書類」、同第五号「安田氏の証言」、同第六号「甲野とは初対面の宮崎氏の委任状」、同第七号「栗田氏の告訴の意志なき証言書」、同第八号「洲本署刑事と淡交職員が同行して捺印させた証言書」、同第九号「賀集常務が語った証言の証明書外一八通」、同第一〇号「裁定書と反する本社配布の文書」と題する各書面が添えられていた。なお、乙一一九には太郎のものと思われる書込みがあり、これによれば、第四号は検査役選任申請書であることが明らかである。(甲九、一〇、乙一一九)
(三) 以上の(一)、(二)の証拠資料のうち、太郎の刑事事件において検察側から証拠として提出されたものはない。(乙七〇ないし八九)
(四) 株友会設立に付いての規約写しは、帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書とともに昭和四四年八月二七日の第三回刑事公判期日に弁護人から取調申請がされ、担当検察官の同意意見により即日原本が取り調べられた。株友会規約写し及び株友会会員各位と題する書面は、昭和四五年一二月九日弁護人から取調申請がされ、株友会規約は、昭和四六年四月一四日の第一三回公判期日に検察官の同意意見を得て昭和四六年一〇月二〇日の第一八回公判期日に取調べがされたが、株友会会員各位と題する書面は第一三回公判期日に不同意意見が出され、同年八月一一日第一六回公判期日に証拠物として新たに取調申請がされたが、その後の処理は不明である。(乙七二、七九、八二、八五、八七)
(五) 担当検察官は、刑事公判廷で弁護人から取調請求がされるまで、これらの証拠資料を目にしたことがなかった。(原審及び差戻前当審証人乙山二郎)
2 株友会設立に付いての規約及び株友会規約(甲一一、一二)の存否
(一) これらの二通の規約の内容は前記のとおりである。このような内容のものが存在したとする証拠ないしこれを窺わせる事情としては、以下のものがある。
(1) 太郎は、刑事事件において、株友会設立に付いての規約及び株友会規約は、それぞれ記載してある年月日ころに作成した、つまり株友会設立に付いての規約は昭和四一年一一月一七日に、株友会規約は昭和四二年六月五日頃に作成したと供述した(乙一〇〇中同人供述部分)。太郎は、本件訴訟においては、株友会設立に付いての規約は昭和四一年一一月一七日に作成され、株友会規約は昭和四二年一一月二日に作成されたともいうが、他の時期に作成されたかのような供述もしている(原審太郎本人尋問の結果)。刑事判決は太郎の刑事事件での供述どおりの作成時期を認定している。
(2) 証人川田祐幸(弁護士)は、株友会規約は同人の起案にかかるものであると供述し、その時期は昭和四二年六月よりも「はやかったんではないかという感じをもつんですが」と供述している。
なお、吉田朝彦、仙波安太郎の両弁護士は、実質的には大阪トヨタの依頼を受けて川田弁護士に遅れて淡路交通株式会社との帳簿閲覧請求等の紛争に参加したから(川田、吉田弁護士の当審証言)、太郎との密接な関係はなく、これらの規約の成立時期につき明確ではないが、吉田弁護士は、それでも各規約の存在を証言している。
(3) 丙川三郎は、刑事事件で証人として、株友会設立に付いての規約及び株友会規約は昭和四二年五、六月には存在したと証言している(乙八四中同人供述部分)。
(4) 刑事事件において、株友会設立に付いての規約写しは、第三回公判期日に提出され、検察官の同意により即日証拠として取り調べられ、また、株友会規約は、第一〇回公判期日に提出され、第一三回公判期日に検察官の同意により、第一八回公判期日に取り調べられたが、検察官は、これらの証拠の提出に対し、意見も述べず異議申立てもしていない。
(5) 刑事判決は、「太郎は昭和四一年一一月頃株友会を結成し、株友会設立に付いての規約は結成当時に定められたこと、株友会規約はその後の昭和四二年六月頃改めて定められたこと、太郎はかかる規約のもとで業務執行者として株友会の活動を行って来たこと」との事実を認定し、かつ、太郎が本件各委任状につき作成権限があったとする錯誤に陥った重要な根拠とした(乙一〇三)。この無罪判決は控訴されることなく確定した。
(6) 株友会会員木下茂は、太郎に対し、昭和四二年七月四日付けの誓約書(甲七〇)を差し入れているところ、これには、株友会規約のことが記載され、四項には「株友会の規約(特に株友会規約六条訴訟その他裁判上の行為)を再確認しこの誓約書第一項の禁止条項以外に私個人の名において訴訟を取り下げる等の行為は一切いたしません」と記載されている。そして、刑事事件第五回公判廷において、木下茂は「私がしたものに間違いありません」と証言している(乙七四中同人供述部分)。
(7) その他、以下の者が刑事事件の証人としてこれらの規約につき証言している。
① 丙川は、乙八四、九一中同人供述部分で、株友会設立に付いての規約及び株友会規約が川田弁護士の作成にかかることを証言している。
② 島津隆峰は、乙七五、九六中同人供述部分で、株友会設立に付いての規約について「こう云う風なことを書いた手紙が来たことはあります」と、株友会規約につき「簡単に説明して貰った記憶があります」と証言している。
③ 板東暉章は、乙九五中同人供述部分で「判然りとは申兼ねますが見たか聞いたか兎に角内容は一寸頭にあります」と証言している。
④ 藤井虎一も乙八八中同人供述部分で見たような記憶があると証言する。
⑤ 西村万次も乙九七中同人供述部分で同旨の証言をする。
このうち、②ないし④の三名は、刑事事件で被偽造者とされた者又はその親族である。
(二) しかしながら、次の諸点を考慮すると、前記のような株友会設立に付いての規約及び株友会規約が昭和四二年一一月二〇日ころの時点では存在していたことは認めることができない。
(1) 太郎は警察及び検察庁での取調べに際し、株友会設立に付いての規約及び株友会規約の存在につき全く言及していない(甲三ないし九)。太郎は、その立場を明らかにするために、昭和四三年一二月に供述書(甲一〇)を作成して提出し、一〇種類の文書を引用しながら本件各委任状作成の理由を説明しているが、株友会設立に付いての規約及び株友会規約についての言及は全くない。
太郎は、前記のとおり、昭和四二年一二月六日に手控簿冊を任意提出しており、右手控簿冊の中には、白紙委任状(甲五四ないし五七)、帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書の各写しが含まれていたことが窺えるが、株友会設立に付いての規約及び株友会規約の写しが含まれていた形跡はない(甲五、六)。
これら規約が存在していたために、太郎が株主から署名押印の代行を任されていたと信じていたとすれば、太郎は自己の立場を明らかにするために、その事実を述べなかったのは不思議なことである。
(2) 川田、吉田、仙波の三弁護士は、昭和四三年二月一〇日に答申書(乙一一二)で連名で作成し、兵庫県警洲本警察署柴谷刑事係長宛に提出した。
そこには、太郎から吉田弁護士のもとに、第二次仮処分で用いた本件各委任状は太郎があり合わせの印鑑を用いて作成したとの電話があり、吉田弁護士が立腹して更に詳しい事情を正したところ、太郎は、株主から当初からそのような委任状を作成してもいいという委任を受けており、その書類もあると答えたこと、太郎がこの書類を「原簿」と称していたこと、数日後に三弁護士は太郎と会って説明を受けたところ、法的にみると形式上必ずしも完全無欠とはいえないようだったので、今後は一切使わないように話したこと等が記載されているが、株友会設立に付いての規約や株友会規約については何の記載もない。右にいう「原簿」が帳簿閲覧請求書を指すことは乙一〇二中の太郎の供述部分及び乙一二二、一二三から明らかである。
もし、この時点で、株友会設立に付いての規約、株友会規約が存在したとすれば、太郎がこれを三弁護士に説明提示しなかったことは了解困難な行動である。
また、株友会規約は川田弁護士の起案にかかるものであるから、規約が答申書作成の時点で存在していたものであれば、同弁護士がそのことを他の二人の弁護士に説明し、答申書にも記載したであろうと思われる。
三人の弁護士は、刑事事件につき弁護人であったわけではないが、会計帳簿閲覧請求などにつき太郎の利益を擁護するための活動をしてきたものであり、川田弁護士は刑事事件についても兵庫県警察本部に抗議にまで行っている(当審証人川田)のであるから、川田弁護士が答申書で株友会設立に付いての規約、株友会規約について説明しなかったことは、それらがその時点で存在しなかったのではないかと疑わせる。
(3) 株友会設立に付いての規約(甲一一)では、「別紙同意書に署名押印した者をもって株友会を組織する。」とあり、株友会規約(甲一二)では、末尾に「組合員これに記名押印する。」とあり、「別紙同意書」に署名押印を受け、又は「これに記名押印」を受けることが予定されている。しかし、甲一一には八名の署名押印が、甲一二には役員七名の署名押印があるが、この中には本件公訴事実において被偽造者とされた者はなく(乙一〇三)、それ以外の者の署(記)名押印はないし、「別紙同意書」が作成された証拠もない。
これらの規約には、株友会からの脱退を制限する条項があり、これらは淡路交通株式会社側の切り崩しに対抗する目的のものと考えられるから、これに署名(記名)押印を得ることは太郎の目的を達するに有効な方法であった筈である。
ところが、太郎は昭和四二年六ないし八月には、株主らから白紙委任状、帳簿閲覧請求書、検査役選任申請書に署名押印を得ているから、この時期ならば、多くの株主から規約に同意の署(記)名押印を得られた可能性があったと考えられるのに、この機会には各規約に署名(記名)押印を得ていない。
このことは、これら各規約が昭和四二年八月又は帳簿閲覧請求をするに十分の数の株主を確保できた時期までには存在しなかったのではないかと強く疑わせるものである。
(4) 太郎は、刑事事件及び本件訴訟で、株友会設立に付いての規約は、昭和四一年一一月一七日有限会社甲野商会に三〇名位が集った際、川田弁護士の関与の下に作成されたと供述し(原審太郎本人尋問の結果)、中本貞雄も同様の証言をしている(原審同人証言)。
しかし、捜査段階における太郎、中本貞雄、里深徳平の各供述調書(甲四、乙一〇、一一〇)は、規約の存在に全く触れていない。昭和四一年一一月二日に開催された会合では、株主一七名程度が集って、淡路交通株式会社の帳簿を見せてもらおうかなどと雑談程度の話をしたに過ぎず、以後昭和四二年四月に淡路交通株式会社の丁田専務に対する不起訴裁定書を入手するまでは、何らの活動もせず、自然消滅のような形になっていた(甲四、乙一〇)のであって、第一回の会合の時点で株友会設立に付いての規約を作成する必要があったとは考えられない。
(5) 株友会の正式な設立が昭和四二年八月であることは、太郎も捜査段階で認めていたところであり(甲三)、その段階で、規約の作成は後日に後回しされたことは丙川の捜査段階における供述調書(乙一〇八、一〇九)に明記さている。
(6) 甲七〇は、何回も株友会側に付いたり、淡路交通株式会社側に付いたりの態度を繰返した木下茂作成にかかる昭和四二年七月四日付けの書面であるが(甲七一、七五の1ないし4、丙一六、三〇の6の7、三二の2の5の2、3)、これらの証拠によれば、同人の訴訟委任の解除及びその撤回が繰り返されたのは昭和四二年一一月以降であるから、作成日付どおりに作成されたものとは信用し難い。
(7) 株友会規約を株主に示したかどうか、誰が示したかについて、太郎、丙川、丸尾の供述は一致していない(乙八四、八六、九一、一〇〇、一〇一中の同人らの供述部分、当審丸尾証言)。
(8) 被偽造者及び太郎側証人として申請取調べがされた証人は、刑事公判廷において、その殆どが株友会規約を見たことがないと供述している(乙七〇ないし一〇〇中の被偽造者らの供述部分)。中でも、太郎側証人として申請取調べがされた正司國夫、北山さき子、喜田市郎、川端俊夫及び野口守之助(これらの者は被偽造者ではない。)においてすら、株友会規約は見たことがない、忘れたなどと供述している(乙九七、九九中の同人ら供述部分)。
わずかに、島津隆峰、板東暉章、藤井虎一(以上三名は被偽造者及びその親族)並びに西村万次は株友会規約を知っているかの供述をするが(乙九五から九七中の同人ら供述部分)、西村万次を除くと極めて曖昧であり、西村万次の証言は、淡路交通株式会社から帳簿閲覧請求を拒絶された旨の報告が弁護士からされた説明会(昭和四二年一〇月一六日ころ以降)に郵送されたか、その後の会合で受取ったというものであり(乙九七中の同人供述部分)、太郎の供述と矛盾する。
(9) 川田弁護士が株友会規約を起案したとの同証人の証言は信用できる。規約の文言は法律家の起案したもののようであり、署名のない段階のものが仙波弁護士のファイルから発見されているからである(乙一一七、一一八)。しかし、同証人の規約作成時期に関する供述は、三〇年もの時間が経過したこともあり、不確かであり、しかも川田弁護士が起案しても太郎ほかが署名押印して現在の形になるまでにはある程度の時間を経た可能性もある。
(10) 太郎の株友会規約の作成時期に関する供述は、一貫せず、そのいずれについても信用性が低い。
二つの規約が、昭和四二年一一月二一日以降本件公訴提起までの間に作成されて存在するに至った可能性は否定できないが、そうであっても、それは太郎の刑事責任に影響を与えるものではないから、その点につき判断する必要はない。
3 株友会会員各位と題する書面について(甲三三)
(一) 株友会会員各位と題する書面の内容は前記のとおりである。
これには、「今後の具体的処理に就きましては強行手段を取る外は無いものと信じます 諸手続するに就いての記名捺印は今後相当数を要しますので過日参上の節御了承得て居ります通り印鑑を作って記名させて頂きますから宜しくお含み置き下さい」との記載と「昭和四二年七月 日」の日付がある。
(二) 新井幸男は、同人が昭和四二年七月に、太郎の原稿を清書し、コピー機でコピーし、六〇名位の株友会会員に郵送したと証言する(乙八六中同人供述部分、当審同人証言)。
(三) 太郎のこの点に関する供述は次のとおりである。
(1) 甲五(太郎の司法警察員に対する昭和四二年一二月二五日付け供述調書)
「私が行けないときは丙川に同じようにせよと厳達しておりますので同じようにしているはずであります。……署名押印を貰ったあとでこれから委任状が色々必要なので印鑑と署名はお任せ下さいと頼んであります。」
(2) 甲六(太郎の司法警察員に対する同月二七日付け供述調書)
「『帳簿閲覧について署名押印が何通要るかわからんので、印鑑をつくり署名押印を任せてくれと』云ってその承諾を得ています。……会社に書類閲覧請求をするのに印鑑署名を任されたので才判所に対し仮処分するにも印鑑署名を任されていると思い委任状を作りました。」
(3) 甲九(太郎の検察官に対する昭和四三年一二月二四日付け供述調書)
「その際私は既に株友会会員として帳簿閲覧請求には同意している人々の事でありますから、特に、異議がないであろうと云う気持ちもあり手続を急ぐあまり……」
(4) 甲一〇(太郎作成の供述書)
「万一会社がこれを許諾しない場合、或いは裁判所で閲覧請求の訴えを提起しなければならないし、その都度署名捺印を求めて廻る煩瑣を省くため、印を作って押捺させて欲しい、誓って悪用しないからと全員の信頼を受け、第三号証のごとく一任されて書類を作成したのであります。」
(5) 右(4)の供述書に引用された第三号証
(四) しかしながら、株友会員各位と題する書面(甲三三)がそれに記載のとおり昭和四二年七月に作成されたと認めることはできない。その主な理由は次のとおりである。また、この書面が同年八月以降一一月二〇日ころまでの間に作成されたとの証拠もない。
(1) 昭和四二年七月までに、太郎が自らあるいは丙川らに指示して以後の署名押印を代行させて欲しい旨の申入れをしたとの事実は認められない。
① 右申入れの相手方であるとされる被偽造者たる株主ないしその親族の捜査官に対する供述調書中には、右申入れ事実を肯定し得るものはない(乙一一ないし四九)。
② かえって、山田桝夫、栗田雅文(以上二名は被偽造者)及び田村忠嗣は、丙川らから帳簿閲覧請求書等に署名押印を求められた際、以後の淡路交通株式会社に対する帳簿閲覧請求にかかる仮処分申請や本案訴訟について言及されていなかった、裁判沙汰にまで訴える意思はなかった旨明白に供述している(乙一一ないし一六)。
③ 被偽造者らの殆どは刑事公判廷において、申入れ事実を否定する供述をしている(乙七〇から八一中被偽造者らの供述部分)。
④ わずかに、柳原健六(被偽造者)及び正司國男が申入事実があったかのような証言をしているが(乙九六、九七中の同人ら供述部分)、柳原の証言は、第一回目の証言では申入事実を否定しており(乙八〇中同人供述部分)、正司の証言についても曖昧で、いずれもにわかに信用することができない。
⑤ 太郎の指示を受けて、株主らに対し署名押印の代行の申入れをしていたとされる丙川は、捜査段階において、太郎に指示されたとおりの発言をして株主宅を回ったと具体的に供述しているにもかかわらず、署名押印の代行の申入れはもとより、その前提となる淡路交通株式会社に対する帳簿閲覧請求書にかかる仮処分や本案訴訟を話題に出したことにつき全く供述していない(乙一〇八)ばかりか、刑事公判廷においては署名押印の代行の申入れをしていない旨明確に証言している(乙八四中の同人供述部分)。なお、丙川は、第二回目の証言において証言内容を変更し、申入事実を肯定したが(乙九一中同人の供述部分)、到底信用できない。丙川は太郎のもと従業員であり、太郎の有利に証言することはあっても、ことさらその不利に証言するとは考え難い。
⑥ 他方、太郎の指示を受けて丙川と共に株主宅を回ったとされる丸尾は、刑事公判廷において署名押印の代行の申入れをしていた旨証言する(乙八六中同人供述部分)。しかし、丸尾はもと太郎の従業員という特殊な身分関係を有しているうえ、供述内容に変遷があり、たやすく信用できない。
⑦ 前記太郎の供述書(甲一〇)についても、署名押印の代行の申入れについての言及がない。
⑧ 刑事判決でも本件委任状の作成につき被偽造者らから太郎への授権はなかったと判断された(乙一〇三)。
(2) 後記四の事実経過に照らし、株友会会員各位と題する書面がその作成日付の昭和四二年七月に作成されたとすると、以下の不自然な点がある。
① 株友会の正式な発足は昭和四二年八月末である。昭和四二年になってからは、六月ころから帳簿閲覧請求のための委任状等が太郎、丙川らによって集められていただけで、八月末まで株友会の会合が開催されたことはなく、したがって株友会の役員が太郎他一一名に決定したのもこの時が初めてである。株友会会員各位と題する書面では、同年七月に既に株友会が結成されてその役員が定まっていることを前提とした差出人の記載がある。
② 太郎及び丙川の警察官に対する供述調書(甲五、乙一〇八)には、甲一九(設立趣意書、「残暑御見舞申上げます」で始まる昭和四二年八月二四日付け書面)の作成過程につき詳細な供述があり、これによれば、株主に宛てて送付された書面はこれが初めてであることが窺われる。これに先立つ日付の株友会会員各位と題する書面については、作成の経緯及び時期につき全く言及がない。
③ 甲一九によれば、昭和四二年八月末当時は、淡路交通株式会社の臨時株主総会の開催を求め、帳簿閲覧請求を行うとの方針で株友会の運動がされているのに、株友会会員各位と題する書面の内容は、取締役の責任を追求することに役員の意見が一致した、強行手段を取る外はない、などと記載されていて、運動方針が異なっている。
④ 淡路交通株式会社の切り崩し工作を太郎が耳にしたのは昭和四二年八月末以降である(甲五)のに、株友会会員各位と題する書面には、「聞く処に依ると会社側は今後の株主権利確立に妨害する様な動きもありますので充分と警戒して頂きます様お願い致します」との記載がある。
(3) 前記1(一)の(1)ないし(4)の証拠資料の中には、この書面と思われる書面が含まれていないし、前記新井の証言どおりこれが真に郵送されたことを立証する封筒などは証拠に存在しない。
(五) 被控訴人らは、株主に対する帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書への署名を求めた際、太郎自らあるいは丙川に指示して以後の署名押印を代行させて欲しい旨の申入れをした事実は、差戻前控訴審において適法に確定した事実であって、差戻審をもき束するから、これに反する主張をすることは許されない旨主張する。
しかし、上告審が破棄判断をするに当たり、その基礎として立脚した事実関係の確定に関し、民訴法四〇七条二項但書に基づく拘束力が生ずるとはいえず(最高裁昭和三六年一一月二八日第三小法廷判決・民集一五巻一〇号二五九三頁)、上告審が原判決を破棄した以上、被控訴人らが主張すると解される民訴法四〇三条所定のき束力は、当審の判断と関連性を有しないというべきである。また、署名押印の代行の申入れ事実の有無と株友会会員各位と題する書面の存否とは、太郎の誤信の根拠たり得るかの判断において密接に関連するから、この点にかかる上告審の差戻事由につき審理を尽くすためには、差戻前控訴審判決に拘束されないと判断する。
(六) 以上のとおり、昭和四二年一一月二〇日ころまでに株友会会員各位と題する書面が作成されていたとは認められない。この書面が昭和四二年一一月二一日以降本件公訴提起までの間に作成されて存在するに至った可能性は否定できないが、そうであっても、それは太郎の刑事責任に影響を与えるものではないから、その点につき判断する必要はない。
三 通常要求される捜査を遂行すれば、株友会設立に付いての規約、株友会規約及び株友会会員各位と題する書面は収集し得たか(争点2)。
1 昭和四二年一一月二〇日ころ以前に作成された株友会設立に付いての規約、株友会規約及び株友会会員各位と題する書面が、本件公訴提起当時に存在したとは認められないことは前記二のとおりである。そうすると、担当検察官が捜査を遂げても、これらを収集することができなかったことは明らかである。
2 そのうえ、以下のとおり、担当検察官において、株友会設立に付いての規約、株友会規約及び株友会会員各位と題する書面の存否について捜査をすべき状況があったとは認められない。
(一) 前記のとおり、太郎は捜査段階で、これらの証拠資料の存在につき全く言及しておらず、提出した手控簿冊や供述書添付の資料中にもこれが含まれていた形跡はない。
(二) 株友会は、会員の範囲及び構成が確たるものでなく、株友会の会員ないしこれに賛同する株主も、設立に付いての規約や株友会規約につき言及する者はなかった(乙八ないし四九、差戻前当審乙山二郎の証言)。
(三) また、被偽造者らの供述調書及び供述によれば、本件各委任状が偽造されたとする点で一致しており、これを疑うべき事情はなかった(原審及び差戻前当審の乙山二郎証言)。
(四) 以上に加え、前記のとおり、本件各委任状の偽造が疑われた後、川田弁護士ら三弁護士も、答申書において太郎の本件各委任状作成権限がないかのような記載をしているほか、太郎の弁明根拠として、株友会設立に付いての規約、株友会規約があるとの指摘をしていないこと、捜索差押えにより、これらの文書は差し押さえられておらず、押収品目の中にこれらの存在を窺わせる証拠資料はなかったのである。
(五) 錯誤のような主観的な事由は、その者がそのように信じていること、その信じるに至った理由を述べなければ、明らかになりにくいものである。
以上によれば、担当検察官が株友会設立に付いての規約、株友会規約及び株友会会員各位と題する書面の収集に努めるべき状況にあったとはいえず、この点についての被控訴人らの主張は理由がない。
四 担当検察官が現に収集していた証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案し、合理的に判断すれば、太郎を有罪と認めることができる嫌疑があったといえるか。(争点3)
1 前記二の1及び弁論の全趣旨によれば、担当検察官が本件公訴提起当時現に収集していたと判断される証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得たと解される証拠資料は、以下のとおりである。
甲二ないし一〇、一三ないし二六、二七ないし二九の各1、2及び三〇と同様の葉書、三一、三二、三四から四四、四六と同様の葉書、五四から五九、乙一ないし六九、一〇四ないし一〇六、一〇八ないし一一一、一一二及び一一九と同じ写し、丙一ないし二八。
なお、乙七四、七五によれば、仮処分関係書類は、刑事事件で顕出がされているが、担当検察官がその全部を入手していたか否かは不明である。しかし、乙一〇八によれば、丙川の洲本警察署における昭和四二年一二月八日の取調時に仮処分申請のための一件書類が捜査機関の手元にあったことが明らかであり、丙一一、一二、三〇の1、三〇の3、三〇の4(枝番を含む)、三〇の5(枝番を含む。)、三〇の7、三〇の8、三一の1、2(枝番を含む)などは、本件公訴提起時までには捜査機関において収集していたか、通常要求される捜査を遂行すれば収集し得たと解される。
以上のうち、事実経過の認定に重要な証拠は、作成日付のある書面、太郎の司法警察員に対する供述調書(手控簿冊に日付の記載があったと推定される)、丙川、中本貞雄ほか株友会役員の司法警察員に対する供述調書が主なものである。
2 右の各証拠資料を総合すれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 太郎は、有限会社甲野商会を経営し、自動車販売修理業、自動車学校等を営む者で、昭和一四、五年ころから淡路交通株式会社の額面株式を取得し、その後増資により、取調当時一万八二〇〇株を保有する株主であった。
(二) 太郎は、終戦直後、淡路交通株式会社の依頼により、飛行場に集積されていた軍用ガソリンの払下げに尽力したが、淡路交通株式会社がその恩義に十分答えなかったため、内心不満であったものの、淡路交通株式会社から全線優待券三、四枚を支給されていたため、淡路交通株式会社が太郎に一応の恩義を感じているものと考えていた。
(三) 昭和四一年一〇月ころ、太郎は、淡路交通株式会社の丁田専務から優待券を持参するよう呼ばれたため、淡路交通株式会社に赴いたところ、合理化のため、優待券は全部引き上げる、あんたの分も返して欲しいと求められ、太郎は自分の優待券は他人のそれと違って、(二)の功労に対するものであると言ったところ、丁田専務は、軍用ガソリンは国のもんや、淡路交通のためでもそんなことは国賊みたいなもんやと言ったため、二人は口論となった。その際太郎は、丁田専務に対し、かねてから大阪での疑惑に触れて、わしを盗人扱いできるんかと述べたところ、丁田専務は、総会で報告したとおり潔白である旨答えたので、太郎は何とか丁田専務の疑惑を暴いてやろうと決意した。
(四) 太郎は、丁田専務の不正を暴きたいとやっきになっていたところ、匿名の電話で、丁田専務がいすず自動車の招待旅行で会社の金を使っている、身内の者に会社の仕事をさせているとの通告があった。
(五) このため、同年一〇月末ころ、太郎は従業員の丙川に命じて全株主に対し、同年一一月二日長手繁夫方に集合を求める通知を出した。当日長手方に集まったのは、中本貞雄、川添和明、松下速美、細川清一郎など一七名であった。この席上で太郎は、(四)の電話の内容を話したが、当日は会社の帳面を見せて貰おうじゃないかといった程度で散会し、次回は一一月七日長手方で開催すると決められたものの、自然閉会となった。
(六) 昭和四二年四月五日、太郎は、淡路交通株式会社の工員から、大阪の立花一男が丁田専務の疑惑の証拠を持っていることを聞き、赤松を介して立花一男の所在を聞き出し、丙川とともに立花と会って証拠を貸して欲しいと依頼した。
(七) 四月二四日、丙川は太郎の命により、立花と落ち合って不起訴処分理由通知書(裁定書)ほか一通の写しを立花から借り受けてきた。この中には、かねてから噂のあった会社の金の使用等の事実につき、六件の業務上横領の嫌疑につき起訴猶予とされたことが記載されていたため、太郎は五、六通を複写して二部を川田弁護士に送り、二部を自分で保管し、一部を丙川に持たせた。
(八) 六月七日太郎は、前記書類に淡路交通株式会社の土屋社長の名が記載されていたことから、事実確認のため幸福銀行で土屋社長と会った。席上、土屋社長は、不起訴裁定書に記載された丁田専務の項について、そんなこと知らなんだと驚いており、また、丁田専務が淡路交通株式会社の組合からのベースアップ要求を呑んだため、株式配当を無配にして、賃金支払資金の捻出を図っているとの情報を太郎に漏らした。太郎は、ますます丁田専務に憤り、株主の利益を守るため、丁田専務の不正と専横を追求する決意を堅くした。
(九) 六月一〇日ころから太郎は、各株主を回り、前記書類を見せ、株式配当が無配になるとのうわさを告げた。そして丙川及び丸尾に命じて、カーボン式の白紙委任状五通を作らせ、内二通を持って津名方面及び洲本三原方面を回り、六月末ころまでに合計四二名から署名押印を貰った。この時の太郎の目的は、前記の事実を告げて淡路交通株式会社の帳簿閲覧請求をするというものであった。
(一〇) ところが、誰からか、委任状が白紙で無内容であると指摘されたため、太郎は七月一日から八月二七日まで、自ら又は丙川及び丸尾を回らせて、株主から、帳簿閲覧請求書二通及び検査役選任申請書一通に署名押印を求めさせた。途中太郎が体調を崩して、署名押印の収集は、丙川及び丸尾が行った結果、前者につき太郎を含め七六名の、後者につき七四名の(うち被偽造者は、いずれも森しづか及び坂東琢郎を除く二五名)の署名押印を得た。
(一一) この間の七月二八、九日ころ、太郎は、丙川に対し、淡路交通株式会社の路線廃止に伴う架線等の資材の売渡事実につき、伊藤忠株式会社から情報を集めるよう指示し、丙川は軍隊時代の同期生に会って情報を収集した。また、太郎は、八月一四、五日ころ、淡路交通株式会社の土屋社長及び他の役員にも丁田専務の不起訴裁定書記載の事実を知らせるべきであると考え、淡路交通株式会社の役員八名に対し、丁田専務に関する事実を指摘した「淡路交通の件」と題する書面を郵送した。この書面の差出し人は、淡路交通(株)株友会事務局長代行丙川となっているが、代行としたのは、委員も決まっていない段階で事務局長を名乗るのがはばかられたためであった。
(一二) ところが、八月末ころ太郎は、淡路交通株式会社の賀集専務が株主宅を回って切崩工作をしていることを聞き及び、また、前記のとおり、株主の署名押印も大分集まったのを機に、株主の結束を固めることを決意し、太郎が署名押印を求めた回った際、積極的であった岡田斐二郎、中本貞雄、奥野福太郎、細川清一郎、古賀種三郎、桂木喜代治、松下速美、多田五郎、里深徳平、児島岩吉及び中野順一を電話で招集し、その他西村万次及び豊島勝郎が集って、八月末ころ(二四日から二七日までの間)、株主の第一回目の集会を開催した。
そして、太郎が委員長に、西村万次及び豊島勝郎を除くその他の者一一名が地区委員になることが決められ、同年八月末に正式に株友会が結成された。この会合で、会則等は後日定め、当分の間経費を委員で分担すること、帳簿閲覧請求は、太郎の知合いの弁護士三名に委任すること、株友会の設立趣意書の作成は太郎に任すことなどの申合せがされた。
太郎は、起案した株友会設立の趣意書(「残暑御見舞申上げます」で始まる書面)を一〇〇部印刷し、株友会の委員の紹介、設立の目的等を株主に通知し、「淡交本社に対し株主総会の集を要求する予定であります。……ご出席戴けない場合は同封しました委任状に御捺印の上御返送下さい。」との書面とともに、裏面に「委任状 私儀淡路交通株式会社株友会委員長甲野太郎を代理人と定めて左記の事項を委任致します『淡路交通株式会社の運営改善に関する解決迄の一切の権限』」と印刷した葉書を株主に郵送した。
(一三) 九月九日ころ、太郎は、結果報告のため第二回株友会を招集したところ、六名の役員と西村万次のみしか集まらず、この日は一人でも多くの株主の賛同獲得に努めることを確認して解散となった。
九月一八日、委員の中野順一から太郎に対し、知人が淡路交通株式会社の取締役業務執行停止を求めた方が良いのではないかと言っていると申し立てて来たので、丙川が川田弁護士に意見を求め、帳簿閲覧請求で行くとの回答を得た。この時中野順一は、株友会の状態が淡路交通株式会社に筒抜けとなっていると太郎に忠告した。
九月末ころ、淡路交通株式会社側の切崩しが激しく、会社側は、株式配当を従来どおり行う旨株主に触れているとの情報が入ったので、太郎は丙川に命じて緊急連絡書を印刷させ、一〇月一日州浜中学校講堂での報告会に株主を招集したが、予想に反して株友会委員を中心とした一五名位(うち被偽造者は〇名)しか集らなかった。
また、前記(一二)の葉書の委任状も被偽造者二名を含む僅か一二通しか集らなかった。太郎に対する委任状を送付してきたのは、木下茂、江原時雄、土井しげみ、山下慶蔵、宮崎喜代治、岡本恒雄、鵜河與男、武市晴、片山森雄、岡本誠次、北山さき子、川口満枝の一二名である。
(一四) 一〇月一三日川田弁護士が四二名の株主名をもって淡路交通株式会社に対し、内容証明郵便で帳簿閲覧請求をした。この四二名は、甲五四ないし五七の白紙委任状に署名押印した株主に一致し、請求人目録に記載された請求人の順序も右の白紙委任状に符合するところから、帳簿閲覧請求はこの白紙委任状に基づくものと考えられる。しかし、淡路交通株式会社は同月一六日ころまでこれを拒んだため、帳簿の閲覧はできずに終わった。
(一五) 一〇月二一日太郎は、有限会社甲野商会で株友会の会合を開いたが、五、六人しか集らず、参加者から任されて太郎はこのころ株主に対し、「淡交株友会ニュースを読んで下さい」と題するパンフレット、委任状を送付し、パンフレットの中で、いずれ株友会総会を開いて内容説明を申し上げること、一一月に株主総会が開かれると思うが、委任状を会社に渡さないようになどと記載した。
(一六) 一〇月二一日、淡路交通株式会社は、業務妨害で太郎を告訴したため、一〇月二五日から淡路交通株式会社側の関係者の取調べが始まった。
(一七) 同月二六日に捜索差押許可請求がされ(被疑事実の要旨は偽計業務妨害罪、捜索場所・有限会社甲野商会及びその周辺、押収すべき物・株友会名簿、不起訴処分理由書その他)、翌二七日に有限会社甲野商会事務所の捜索差押が行われた。
(一八) 一〇月二九日ころから一一月初め頃まで、一週間を掛けて、第一次仮処分申請のために、罫紙に株主の住所氏名及び株式数を記載し、名下に押印を求める連名式の委任状が作成された。津名方面は細川清一郎及び向田勝次が、三原郡方面は、富本新平及び里深徳平が、洲本市内と三原郡の一部は丙川が手分けをして株主から署名押印を求めた。これは、(一〇)の帳簿閲覧請求書が会社に対する閲覧請求にかかるもので、裁判所に対する訴訟委任状としての効力がないことから、急遽株主から徴されたものであるが、弁護士から様式が異なるので使えないと言われ、結局使用されることがなかった。この委任状に何名の株主が署名押印したか、また、このうちに被偽造者が含まれていたか否かは明かではない。
一一月八日、株主三八名の代理人として川田、吉田、仙波弁護士から、神戸地方裁判所洲本支部に対し、帳簿閲覧を求める第一次仮処分の申請がされた。この第一次仮処分の申請人は、前記(一四)の淡路交通株式会社に対する帳簿閲覧請求の請求人四二名の中から、古川源吉、南山章、西岡吉次郎及び羽田熊夫の四名を除いた株主に一致する。このとき使用された委任状の株主の署名押印がどのようにして徴されたのかは不明である。(なお、この仮処分申請事件の裁判所保管記録は刑事事件で顕出されたが、弁護人はこの記録中の委任状などを刑事事件の証拠として申請はしなかった。(乙七四、七五、七九から一〇〇))
同日、神戸地方裁判所洲本支部は、申請のとおり第一次仮処分決定を発令したが、同月一四日淡路交通株式会社は、申請人の株主中に使者が含まれていること、申請人のうち七名(児島常太郎、児島つや子、木下茂、古川勝一、井上嘉一、荒木一郎)が申請人代理人の三弁護士への委任を解除したこと及び申請を取り下げたなどとして、その資料を添えて異議申立及び仮処分執行停止申立をした(丙三〇の5の6から5の12の各1ないし4、丙三〇の6の1ないし7)。
(一九) 一一月一九日、太郎は、川田弁護士から当日夕方六時までに委任状を一人につき三部作って届けてくれと求められたので、株友会委員等に集合を求め、集った里深徳平、富本あやの、中本貞雄、奥野福太郎及び西村万次から委任状を貰ったが、時間が限られていたため、有限会社甲野商会に出入りしていた知人の平上泰正に命じて、(一〇)の帳簿閲覧請求書の署名者の中から淡路交通株式会社側の切崩しにあっても変わらないと考えた者の印を購入又は注文させ、中谷印判店から購入した印鑑又はあり合わせの印鑑を用いて従業員八名に筆跡を変えて委任状(二、三名の委任者の連名となっている訴訟委任状、丙一ないし九、一四ないし二九に添付されているものは、このうちの一部である。)を作成させた。
(二〇) 一一月二一日、川田弁護士らは、神戸地方裁判所洲本支部に右委任状を添えて、帳簿閲覧を求める趣旨の第二次仮処分申請をし(申請人七〇名、この申請人は、大部分が(一〇)の帳簿閲覧請求書に名前を連ねた株主に一致する。)、第一次仮処分申請を取り下げた。同裁判所は即日申請のとおり第二次仮処分を発令した。これに対し、淡路交通株式会社は、申請人となっている株主宅を回って、申請取下や弁護士に対する委任解任文書を求め、被偽造者二七名全員及び奥野あい、北山さき子、浜田秀機、今井尚一の三一名から仮処分申請をする意思がないことの証明を求め、第二次仮処分の取下書、三弁護士に対する解任届を一〇名の申請人(岡村あい、川端廣一、野口守之助、荒木一郎、梶内嘉三、城越亜騎夫、城越幸、城越網太郎、川端俊夫、柳原健六)から徴し、これらの資料を添えて一一月二四日第二次仮処分の執行停止申立をし、同日仮処分執行停止決定がされた(丙三一の3から11の各1、3、三一の14から17、丙三二の2の3から32までの各1)。
他方、淡路交通株式会社は、同日、洲本警察署に追告訴状を提出した。その罪名は偽計に基づく業務妨害であるが、被疑事実の内容は本件各委任状の偽造である。
(二一) 太郎は本件各委任状の偽造を指摘され、一一月二七日、かつて株主から署名押印を得ていた白紙委任状に公証人役場で確定日付を得たが、これには、付箋に以下の委任事項を記載して貼付してある。
帳簿閲覧請求、検査役選任、取締役執行停止並びに解任の訴、議決権行使の場合、その他諸手続に関する署名捺印等一切の件。
この中には被偽造者五名(木下茂、奥野英城、河崎与一郎、南山章、西岡吉次郎)の署名押印が含まれている。
(二二) 更に、太郎は本件各委任状の偽造を指摘された被偽造者宅を回り、謝罪に努め、証明願を作成して貰ったり、署名押印の代行権限があることの証明等を求めたが、被偽造者のうちこれに応じてくれたのは、わずかに十河重一、河崎与一郎、柳原健六、木下茂、西岡吉次郎、栗田雅文だけであった(甲五八、五九、七三、七四、七五の2ないし4、七六)。
(二三) 一一月二八日被偽造者、関係人の取調べが始まり、城越網太郎、中野順一、丙川、里深徳平、宮本新平、中本貞雄、山田桝夫が年内に取調べられた。また、太郎の取調べも同年一二月二八日から始まり昭和四三年二月まで警察の取調べが行われた。同年二月一〇日川田弁護士ら三弁護士の答申書が提出され、同年三月二日神戸地方検察庁洲本支部へ書類送検がされ、同年一二月ころから被偽造者一三名の取調べが行われ、二四日担当検察官に対する太郎の供述調書が作成されて同月二七日本件公訴提起がされた。
3 以上に認定の事実によると、担当検察官において起訴にあたり、太郎が本件委任状を作成するにつき、被偽造者の承諾を得ていないと判断したことは極めて相当であり、この点の判断は刑事判決でも認められているところである。
太郎が被偽造者らに帳簿閲覧に関する書類には署名押印を任せて欲しいと依頼して承諾を得た事実が認められないことは前記のとおりである。
甲五八、五九(証明願、昭和四二年一一月二一日以降二七日までの間に作成されたものと認められる。)、丙三〇の6の1ないし4、7の1ないし4、8の1ないし4、9の1ないし4、10の1ないし4、11の1ないし4、12の1ないし4(同月一一日作成の解任届)丙三一の3の3、4の3、5の3、8の3、9の3、10の3、11の3(同月二四日作成の解任届)も右判断を覆すものではない。
4 太郎が本件各委任状を作成するにつき、被偽造者の承諾を受けていたと信じていたかどうかの点につき、担当検察官において起訴当時において、現に収集した証拠資料と通常要求される捜査を追行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により、有罪と認めることのできる嫌疑があったかについて判断する。
ここでは、太郎が本件各委任状を作成するにつき被偽造者の承諾があると信じた理由として、刑事判決の指摘する点と、刑事裁判、捜査において太郎の供述した点を中心に検討する。
(一) 株友会設立に関する規約、株友会規約及び株友会会員各位と題する書面
これらの規約は刑事判決で指摘された点である。前記二に判断のとおり、これら三つの書面は、昭和四二年一一月二〇日ころまでに作成されたものとしては、起訴の当時にも存在したとは認められない。
(二) 会社に対する帳簿閲覧請求書、検査役選任申請書(甲一三、一四)及び白紙委任状(甲五四から五七)
帳簿閲覧請求書及び検査役選任申請書には、昭和四二年八月二五日までに被偽造者中二五名を含む七六名(帳簿閲覧請求書)または七四名(検査役選任申請書)が署名押印している。また、白紙委任状には四二名が署名押印している。
(三) 委任状の葉書(甲三四から四四まで、四六)
これは、昭和四二年一〇月に、被偽造者二名を含む一二名から太郎に郵送されて来ている。
右(二)、(三)の書面は、前記のとおり担当検察官が起訴までに収集することが可能なものであったと解される。
しかし、これらの証拠や太郎の供述などを考慮しても、次のとおり、太郎において錯誤に陥っていると担当検察官が判断すべき状況があったとは認められない。
第一に、これらの書類の内容は、裁判所への帳簿閲覧仮処分を申請するにつき弁護士への委任状を作成することを委ねるものでないことは勿論、それとは遠い内容のものである。
(三)の葉書の委任状は、被偽造者中二名だけのものであるが、これは株主総会に出席できないとき、株主総会での行動のための委任状であって、帳簿閲覧とは直接の関係がない。(二)の検査役選任申請書は裁判所に対するものではあるが、帳簿の閲覧請求に関するものではない。(二)の帳簿閲覧請求書は、会社に対する請求書であって裁判所に対する申請のものではない。(二)の白紙委任状を太郎が取得する目的は会社に帳簿閲覧請求をするにあったものであり(前記認定事実によれば、昭和四二年一一月二七日の確定日付があっても、これらの白紙委任状に株主の署名押印を得たのは、同年六月ころであると推認される。)、委任状の委任事項が白紙であると指摘を受けたのちに作成された書面が帳簿閲覧請求書と検査役選任申請書であったことは、白紙委任状の使用目的がこの点にあったことを示している。
被偽造者らは、これらの書類に署名押印した時点では、会社の帳簿を見せてくれるように会社に申出たい、検査役を選んで会社を検査してほしい、株主総会では太郎と行動を共にしたいとの意思があったといえる。
しかし、そうであっても、裁判所に出てまで(「裁判沙汰に訴えてまで」、「出るところに出てまで」)、帳簿閲覧の命令を出してほしいという意志が通常はあるものだとは一般的にいえない。
そのうえ、他人の名前で行動するときでも、親族ならともかく、そうでない間柄の人では、通常はその人の押印をもらった書面や委任状、せいぜい白紙委任状を行使してするものであって、個別に承諾を得ることなく、他人の印鑑を作成して押印し、署名も代わって記載して他人名義の書類を作成するということは、完全な偽造の場合を除いては、殆ど行われていないことは当裁判所に顕著である。
第二に、(二)の書面作成の昭和四二年八月以降一一月二〇日ころまでの間に情勢の変化があったことである。同年八月末ころから会社側が切り崩し工作を激しく行い、九月九日の株友会の会合には六名の役員以外には一名しか集まらず、一〇月一日の招集には一五名位しか集まらず、株主総会での委任状の勧誘をしても被偽造者二名を含む僅か一二名分しか集まらない状況にあったし、一〇月二一日の株友会の会合には五、六人しか集まらず、一一月一四日には被偽造者一名(木下茂)を含む七名からは第一次仮処分申請の取下書、代理人解任届が裁判所に提出されているのである。
このことからすると、被偽造者の株主たちが、なお一一月二〇日ころの時点でも、株友会側についているかは疑わしい状況にあったのである。
そうすると、太郎が被偽造者の委任状を個々的な承諾がなくとも作成してもかまわないと信じていたとは、考えられない事情があったから、担当検察官において犯罪の嫌疑十分として太郎を起訴したことに違法はない。
5 被控訴人らの主張にかんがみ検討しても、ほかに担当検察官の起訴を違法と判断すべき事情は認められない。
そうすると、本件公訴提起が違法であることを前提とする被控訴人らの請求は理由がない。
五 結語
よって、これと異なる原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、右取消部分にかかる被控訴人らの請求を棄却し、被控訴人らの附帯控訴を棄却し、訴訟の総費用は被控訴人らに負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官井関正裕 裁判官前坂光雄 裁判官三代川俊一郎)