大阪高等裁判所 平成5年(行コ)24号 判決 1994年2月25日
控訴人
河野武子こと
河武子
右訴訟代理人弁護士
本渡諒一
同
鎌田邦彦
被控訴人
国
右代表者法務大臣
三ケ月章
右指定代理人
本多重夫
計四名
主文
一 原判決を取消す。
二 控訴人が日本国籍を有することを確認する。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の申立
一 控訴人
主文と同旨
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 事案の概要
一 当事者間に争いのない事実
1 控訴人は、昭和二三年五月五日、亡河錫煥(昭和五三年一一月一四日死亡)を父とし、元来の日本人である鶴田冨美子を母として出生した(控訴人は、第一審において、「右河錫煥は元来の朝鮮人であった」旨主張し、被控訴人もこれを認めていたところ、平成五年八月一七日の当審第一回口頭弁論期日に陳述の同日付準備書面により、「河錫煥が元来の朝鮮人であったかは明らかでない」旨主張するに至った。これに対し、被控訴人は、右主張は、故意または重大なる過失により時機に遅れて提出した攻撃方法であり、その真否を審理することによって訴訟が遅延することは明らかであるから、却下されるべきである旨主張している)。
2 河錫煥と鶴田冨美子との間の婚姻の届出(以下「本件婚姻の届出」という)が、昭和二三年六月一七日、鹿児島市長宛になされ、受理された。
3 控訴人につき、右同日、氏名を「河武子」、本籍を「朝鮮慶尚北道盈德郡鳥保面老勿洞」とする出生の届出(以下「本件出生の届出」という)が、同市長宛になされ、受理された。
4 鶴田冨美子は、平成元年九月、検察官を被告として、大阪地方裁判所に対し、本件婚姻の届出は自己の意思に基づいてなされたものではないとして、河錫煥との右婚姻の無効確認訴訟を提起し(同地方裁判所同年(タ)第二八〇号事件)、同裁判所は、同年一二月一日、本件婚姻の届出による右婚姻は無効であることを確認する旨の判決を言渡し、右判決は同月一九日に確定した。
したがって、控訴人は、元来の日本人母鶴田冨美子の非嫡出子として出生したものであるから、その出生の時点において、昭和二五年七月一日廃止の国籍法(明治三二年三月一六日法律第六六号。以下「旧国籍法」という)三条により、日本国籍を取得したものである。
5 現在、控訴人については、国籍を韓国とする外国人登録がなされている。
二 争点
1 本件出生の届出をなしたのは河錫煥か。
2 河錫煥は元来の朝鮮人であったか。
3 元来の朝鮮人である河錫煥が元来の日本人である控訴人につき本件出生の届出をなしたものである場合、昭和二二年五月三日施行の日本国憲法(以下「新憲法」という)及び昭和二三年一月一日施行の民法第四編、第五編(昭和二二年一二月二二日法律第二二二号。以下「新民法」といい、右法律による全改前の民法第四編、第五編を「旧民法」という)のもとにおいて、
(一) 河錫煥が控訴人につきなした本件出生の届出は、控訴人に対する認知の届出の効力を有するか。
(二) 本件出生の届出が控訴人に対する認知の届出の効力を有するとした場合、右認知は、控訴人の身分関係につき、どのような法律的効果を生ぜしめるか。
(三) 共通法(大正七年四月一七日法律第三九号)三条は、なお効力を有するものであり、控訴人に適用されるか。
4 控訴人は、朝鮮人としての法的地位を有する者として、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日発効のいわゆるサンフランシスコ平和条約。以下「平和条約」という)の発効に伴い、日本国籍を喪失したか。
三 争点に関する被控訴人の主張
1 争点1について
本件出生の届出をなしたのは河錫煥である。
本件出生の届書に記載された控訴人の氏及び本籍は河錫煥と同じであること、本件出生の届出と本件婚姻の届出は同日になされ、しかも右各届出は連続してなされていること、鶴田冨美子は河錫煥から控訴人の出生の届出をするのに戸籍謄本が必要である旨言われ、河錫煥にこれを渡したというのであるから、河錫煥には控訴人の出生の届出をする意思があったと認められることからすれば、右の事実は充分推認されるものというべきである。右受理証明書に届出人の氏名及び本籍の記載がないのは、右受理証明書の作成は戸籍届受付帳に基づくものであるところ、右受付帳にはその記載を要するものとされていなかったためであり、右事実は右推認を覆すものではない。
2 争点2について
河錫煥は、元来の朝鮮人であった。
河錫煥は、朝鮮ないし韓国の国籍を有する者として外国人登録を継続してきており、韓国の国籍を有することは同人提示の大韓民国国民登録証により確認されていることに照らし、同人が元来の朝鮮人であったことは明らかである。
3 争点3について
(一) 河錫煥がなした本件出生の届出は、控訴人に対する認知の届出の効力を有する。
出生の届出には、父が戸籍事務管掌者に対し、子の出生を申告することのほかに、出生した子が自己の子であることを父として承認し、その旨申告する意思の表示が含まれており、この点において認知の届出と同様の意思表示であるから、河錫煥がなした本件出生の届出には、控訴人に対する認知の届出の効力があるというべきである(最高裁判所昭和五三年二月二四日判決・民集三二巻一号一一〇頁)。
そして、仮に本件出生の届書に記載された河錫煥の本籍地が虚偽のものであったとしても、それが認知の効力を左右するものでないことは明らかである。
(二) 元来の日本人である控訴人は、元来の朝鮮人である河錫煥がなした、認知の届出の効力を有する本件出生の届出により、朝鮮戸籍に入籍され内地戸籍から除籍されるべき者となった。
(1) 日韓併合後、「朝鮮戸籍令」(大正一一年一二月一八日朝鮮総督府令第一五四号)が施行され、元来の朝鮮人は「朝鮮戸籍」に入籍することとなった。これに対し、元来の日本人(内地人)は、昭和二三年一月一日全改の戸籍法(大正三年三月三一日法律第二六号。以下「旧戸籍法」という)の適用を受け、日本戸籍(内地戸籍)に入籍した。このように、日韓合併後、朝鮮人と日本人は、ともに日本国籍を有しながら、適用される法律と戸籍を異にし、その法的地位は厳格に区別されていた。そして、朝鮮戸籍と内地戸籍の間の入、除籍に関する連絡規定として、前記共通法が制定され、その三条一項は「一の地域の法令によりその地域の家に入る者は他の家を去る」と規定し、一つの地域の法令により「入家」という家族法上の効果が生じた場合には、他の地域においてもその効果を承認して「去家」の原因とする旨定めていたから、朝鮮人と内地人との間に身分行為が成立すると、内地、朝鮮両地域間に共通の家族法的効果が生じて身分籍に変動を生じ、朝鮮戸籍と内地戸籍の間の戸籍の異動がなされることとなり、したがって、元来の日本人であった者も、元来の朝鮮人との間の身分行為により身分籍に変動を生じると、朝鮮戸籍に入籍されて内地戸籍から除籍されることとなっていた。
(2) 外地人(元来の朝鮮人)が内地人(元来の日本人)を認知した場合、まず、内地の法令において、父の認知があれば当然に父の戸籍に入籍し母の戸籍を去ることとされていたかについては、新民法及び昭和二三年一月一日施行の戸籍法(昭和二二年一二月二二日法律第二二四号。以下「新戸籍法」という)に規定はない。
しかし、朝鮮と内地とは適用される法律を異にする異法地域の関係にあり、外地人と内地人は、外国人と日本人に類似した関係にあったところ、旧国籍法二三条は日本人の子が外国人に認知された場合に日本国籍を喪失する旨規定していたが、これは国籍法における父系優先血統主義と家族法における父子同一家籍主義に基づくものであるから、内地人の子が外地人の父に認知された場合にも、これが類推適用ないし準用され、認知された内地人の子は内地籍を喪失するものと解するのが合理的である。
なお、控訴人は、旧国籍法二三条は、被認知者が外国籍を取得することを条件として日本国籍を喪失する旨定めたものである旨主張するが、朝鮮地域においては、「国籍に関する臨時条例」〔一九四八年(昭和二三年)五月一一日南朝鮮過渡政府法一一。以下「臨時条例」という〕二条一項が、「朝鮮人を父として出生した者は、当然に朝鮮国籍を取得する」と定め、大韓民国国籍法〔一九四八年(昭和二三年)一二月二〇日法律第一六号〕三条二号も、大韓民国国民である父が認知した者につき大韓民国国籍を取得する旨定めているから、本件の被認知者である控訴人が外地籍を取得したことは明らかである。
(3) 次に、外地(朝鮮地域)の法令において、父の認知があれば、戸主の同意等の手続を要せず、当然に父の戸籍に入籍することとされていたかについては、本件当時これを定めた成文法はない。
しかし、朝鮮地域には、朝鮮人男子が庶子を認知した場合、戸主の同意を要せず、当然に父の戸籍に入るとの慣習法が存在し、同旨の行政先例(大正一二年八月二三日朝鮮総督府法務局長回答。昭和三年四月三〇日民事五五三九民事局長回答)もある。大韓民国民法第四編、第五編〔一九五八年(昭和三三年)二月二二日法律第四七一号〕七八一条一項も婚外子が父に認知された場合は原則として父の戸籍に入籍する旨定めている。
(4) 以上のとおり、外地人が内地人を認知した場合、被認知者は、内地の側からみた場合、旧国籍法の趣旨により内地籍を喪失する者であり、外地の側からみた場合、慣習法により当然に外地人父の戸籍に入籍すべき者となる。
また、認知は届出によって効力を生じるのであって、事後処理に過ぎない送籍、除籍の手続の有無はその効力に影響を及ぼすものではない。
したがって、控訴人は、現に朝鮮戸籍に入籍記載されていなかったとしても、元来の朝鮮人である河錫煥がなした認知の届出の効力を有する本件出生の届出により、内地戸籍から除籍され朝鮮戸籍に入籍されるべき者となったものである。
(三) 新憲法及び新民法のもとにおいても、共通法三条は、なおその効力を有し、控訴人はその適用を受け、朝鮮人としての法的地位を有する者となった。
新憲法及び新民法によって家制度は廃止されたところ、確かに共通法三条は「家に入る」「家を去る」という文言を用いているが、同条はそもそも、内地人と外地人の間の身分関係の変動による法的地位の得喪とこれに伴う内地戸籍と朝鮮戸籍との間の入、除籍の原則を定めたものであり、右文言は、単に同法制定当時に内地、外地とも家制度があったため、身分関係の変動に伴う内地人、外地人たる資格(法的地位)の得喪を、立法技術的に最も簡単な「家に入る」「家を去る」という表現で表わしたものに過ぎず、身分関係の変動がある以上、入、除籍の調整をするためには同法を適用する必要があるのであって、家制度の廃止によって内地戸籍、朝鮮戸籍相互間の入、除籍の原則が消滅したと解する理由はないものというべきである。
共通法が新憲法に違反すると主張された事例につき、最高裁判所第二小法廷昭和三八年四月五日判決は、共通法は新憲法一四条に違反しない旨判示している。また、名古屋地方裁判所昭和四八年一二月二六日判決(判例時報七四五号四七頁)は、昭和二五年一月三〇日に朝鮮人である父によって認知の効力のある出生届がなされた者について、朝鮮人たる身分を取得し、朝鮮戸籍に登載されるべき者となった旨判示している。
そして、元来の日本人であった者も、元来の朝鮮人との身分行為により身分籍に変動を生じると、共通法三条が適用され、朝鮮戸籍に入籍されて内地戸籍から除籍されることとなるが、その場合、その日本人は、法律上は元来の朝鮮人と同視され、内地人とは法的に区別されて、朝鮮人としての法的地位を有する者となった。
したがって、控訴人は、元来の朝鮮人である河錫煥の認知により、共通法三条の適用を受けて、朝鮮戸籍に入籍され内地戸籍から除籍されるべき者となり、朝鮮人としての法的地位を有する者となったものである。
4 争点4について
控訴人は、朝鮮人としての法的地位を有する者として、平和条約の発効に伴い、日本国籍を喪失したものである。
平和条約は、第二条a項で「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定している。そして、国家は、人、領土及び政府を存立の要素とするものであり、その一つを欠いても国家としては成立しないのであるから、日本が朝鮮の独立を承認するということは、朝鮮がそれに属する人、領土及び政府を持つことを承認するということにほかならず、したがって、平和条約により、日本は「朝鮮に属すべき人」に対する主権をも放棄したものというべきところ、ある国に属する人はその国の国籍を持ち、その国の主権に服するのであるから、日本が「朝鮮に属すべき人」に対する主権を放棄するということは、「朝鮮に属すべき人」について日本の国籍を喪失させることを意味するのであり、したがって、「朝鮮に属すべき人」は、平和条約の発効に伴い、日本国籍を喪失したものというべきである。
そして、3(二)のとおり、内地人と朝鮮人はその法的地位が厳格に区別されていたものであるが、このような法的区別と日本の侵略主義の結果とを侵略前の状態に戻し、朝鮮の独立によって再び朝鮮という民族国家を樹立するという平和条約の趣旨からすれば、平和条約によって日本国籍を喪失する者の範囲は、民族を基準として決定するのが妥当であって、民族としての朝鮮人、即ち内地人と区別されていたところの「朝鮮に属すべき人」であり、朝鮮人としての法的地位を持つ人、即ち朝鮮戸籍令の適用を受けて朝鮮戸籍に記載された人がこれに当たると解するのが相当である(最高裁判所大法廷昭和三六年四月五日判決・民集一五巻四号六五七頁)。
そうすると、3(三)のとおり、元来の日本人であった者も、朝鮮人との身分行為により身分籍に変動を生じると、朝鮮戸籍に入籍されて内地戸籍から除籍され、内地人とは法的に区別されて、法律上は元来の朝鮮人と同視され、朝鮮人としての法的地位を有することとなったのであるから、そのように、元来の日本人であっても、平和条約発効前に、朝鮮人との身分行為により朝鮮戸籍に入籍され内地戸籍から除籍されるべき事由が生じ、朝鮮人としての法的地位を有することとなった者もまた、現に朝鮮戸籍に入籍記載されていなくても、平和条約の発効に伴い、日本国籍を喪失するものと解するのが相当である(最高裁判所大法廷昭和三七年一二月五日判決・刑集一六巻一二号一六六一頁)。
したがって、控訴人は、昭和二三年五月五日、日本人母鶴田冨美子の非嫡出子として出生し、旧国籍法三条により日本国籍を取得したが、その後の同年六月一七日になされた元来の朝鮮人である河錫煥の認知によって、朝鮮戸籍に入籍され内地戸籍から除籍されるべき者となり、朝鮮人としての法的地位を有する者となったから、平和条約の発効に伴い、日本国籍を喪失したものである。
四 争点に関する控訴人の主張
1 争点1について
本件出生の届出をしたのが河錫煥であるかは不明である。
本件婚姻及び出生の各届書に河錫煥の本籍地として記載された「朝鮮慶尚北道盈德郡烏保面老勿洞」には、河錫煥の戸籍も同人の父とされる河正学の戸籍も存在しないが、河錫煥が真実本件出生の届出をしたのであれば、虚偽の本籍地を記載するはずがない。
2 争点2について
河錫煥が元来の朝鮮人であったかは不明である。
前項のとおり、本件婚姻及び出生の各届書に記載された河錫煥の本籍地に河錫煥の戸籍は存在しないし、本件婚姻の届書に記載された同人の父とされる河正学の同一本籍地にも河正学の戸籍は存在せず、また鶴田冨美子の二女竜子(控訴人の妹)の出生届書に記載された河錫煥の本籍地「大韓民国慶尚北道盈德郡盈德面老勿洞二五番地の三」にも河錫煥の戸籍は存在しないのであって、河錫煥が元来の朝鮮人であったという根拠は何ら存しない。
3 争点3について
(一) 本件出生の届出をした者が不明であるから、本件出生の届出は控訴人に対する認知の届出の効力を有しない。
また、仮に、河錫煥が本件出生の届出をしたとしても、同人は本件出生の届書に虚偽の国籍、本籍地を記載したものであり、そのように虚偽の国籍、本籍地を記載した本件出生の届出に認知の効力を認めることは、認知の方式の適法性に悖るものとして許されるべきではない。
(二) 仮に、河錫煥が本件出生の届出をしたものであり、本件出生の届出が控訴人に対する認知の届出の効力を有するとしても、これによって、控訴人は内地籍を失うものではない。
(1) 河錫煥が元来の朝鮮人であった根拠はなく、同人の国籍は不明であるから、同人が認知したものとしても、旧国籍法三条により、控訴人はなお日本国籍を有するものであり、内地籍を失うものではない。
(2) 旧民法は、家制度を前提とし、父の認知により「子は父の家に入る」と定めていた(旧民法七七三条一項)が、昭和二二年五月三日の新憲法及び「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」(昭和二二年四月一九日法律第七四号。以下「応急措置法」という)の施行により、家制度を前提とする右規定はその効力を失い、本件出生の届出の当時、新民法及び新戸籍法では、控訴人は父の認知によって当然に父の戸籍に入籍することはなかったのであるから、仮に元来の朝鮮人である河錫煥が認知したものとしても、これによって控訴人は内地籍を失うことはなかったものである。
(3) 他方、前記「臨時条例」二条一項にいう「朝鮮人を父親として出生した者」が婚外子を含まないことは明らかであり、臨時条例には朝鮮人父に認知された者が朝鮮国籍を取得する旨の規定は存在しないのであるから、仮に元来の朝鮮人である河錫煥が認知したものとしても、これによって控訴人は朝鮮戸籍に入籍することはできず、したがって、内地戸籍を失うこともなかったものである。
(4) また、仮に旧国籍法二三条の趣旨に基づき、外地人の父に認知された内地人の子が内地籍を失うべきものとしても、同条は「日本人たる子が認知に因りて外国の国籍を取得したるときは日本の国籍を失う」とし、外国国籍の取得を日本国籍喪失の条件とするものであるところ、河錫煥は本籍地が不明であり、控訴人は現に同人の朝鮮戸籍に登載されていないのであって、そのような場合「外国国籍を取得した」とはいえないから、控訴人には同条の適用はなく、したがって、仮に元来の朝鮮人である河錫煥が認知したものとしても、これによって控訴人は内地籍を失うことはなかったものである。
(三) 本件出生の届出の当時、共通法三条は効力を失っていたものである。
(1) 共通法三条一項の「家に入る」「家を去る」との文言は、旧民法の家制度を前提とし、内地戸籍における家と朝鮮戸籍における家の間の調整をはかるものであったことは明らかであり、単に内地戸籍と朝鮮戸籍の間の入、除籍の原則を定めるだけであれば、「家」ではなくて「戸籍」との表現を採れば足りたはずであって、単なる表現上の便法とみるのは妥当でないから、昭和二二年五月三日の新憲法及び応急措置法の施行により、家制度が廃止され、民法中の家に関する規定は適用しないこととされた後は、右条項はその前提を失い、実質的に失効したものと解すべきである。また、新憲法前文における他国の主権尊重の趣旨からしても、共通法が失効したことは明らかである。
したがって、同日以降になされた本件出生の届出に控訴人に対する認知の効力があったとしても、控訴人に対しては共通法の右条項の適用はなく、控訴人は、内地の戸籍から除籍されるべき者に当たらず、朝鮮人としての法的地位を有する者にはならなかったものである。
(2) 仮に、共通法三条が新憲法及び応急措置法の施行後もなお適用されるべきものとしても、前記最高裁判所昭和三六年四月五日判決は、朝鮮人としての法的地位をもった人とは、朝鮮戸籍令の適用を受け、朝鮮戸籍に登載された人である旨判示するところ、終戦後の昭和二〇年一〇月一五日民事甲第四五二号民事局長回答により外地への届書の送付が停止され、昭和二三年一月一日の新戸籍法施行以後は外地への入籍通知の制度は存在せず、共通法三条はその実効性を失ったものであり、その結果、控訴人は朝鮮戸籍に登載されておらず、したがって、朝鮮としての法的地位を有する者にはならなかったものである。
4 以上のとおり、控訴人は、朝鮮人としての法的地位を有する者ではなかったから、平和条約の発効により、日本国籍を喪失せず、依然として日本国籍を有するものである。
第三 争点についての判断
一 争点1(本件出生の届出をなしたのは河錫煥か)について
本件出生の届出をなしたのは河錫煥であると推認することができ、その認定の経緯は、末尾に次のとおり加えるほかは原判決一五頁四行目から同一六頁六行目までのとおりであるから、これを引用する。
甲第八号証によれば、本件婚姻及び出生の各届書に記載された河錫煥の本籍地には同人の戸籍簿が存在しないかのごとくであるが、いわゆる朝鮮動乱による戸籍簿滅失の可能性や次項に認定の事実を考え合わせると、右各届書の本籍地の記載が直ちに虚偽のものであるとはいえないし、また、右各記載が同人の記憶違いによる誤記である可能性もあり得るから、仮に河錫煥の本籍地に同人の戸籍簿が存在しないとしても、そのことが直ちに右推認を覆すに足りるものとはいい難い。また、本件出生の届出の受理証明書(甲第五号証)には届出人の氏名及び本籍の記載がないが、右受理証明書は戸籍届受付帳(乙第四号証)に基づき作成されるものであるところ、右戸籍届受付帳には届出人の氏名及び本籍欄がなく、その記載がなされなかったものであることが認められるから、右の点も何ら右推認を覆すに足りるものではない。
二 争点2(河錫煥は元来の朝鮮人であったか)について
乙第二、第九号証によれば、河錫煥は、控訴人の出生当時、鹿児島市で大韓民国居留民団の団長をしていたものであり、昭和二二年八月二一日に新規登録をして以来、当初は国籍朝鮮として、昭和四〇年六月一八日からは国籍韓国として、外国人登録を継続しており、右国籍欄変更登録は大韓民国国民登録証(一九六三年八月二日付け第三八六六五号)に基づいていることが認められるのであって、右認定の事実によれば、河錫煥は元来の朝鮮人であったものと推認するのが相当である。
甲第八ないし第一〇号証によれば、本件婚姻及び出生の各届書に記載された河錫煥の本籍地に同人の戸籍簿は存在せず、本件婚姻の届書に記載された同人の父とされる河正学の同一本籍地にも同人の戸籍簿は存在せず、また鶴田冨美子の二女竜子(控訴人の妹)の出生届書(甲第一〇号証)に記載された河錫煥の本籍地「大韓民国慶尚北道盈德郡盈德面老勿洞二五番地の三」にも、河錫煥の戸籍簿は存在しないかのごとくであるが、いわゆる朝鮮動乱による戸籍簿滅失の可能性や元来の朝鮮人でない者が朝鮮人と偽って韓国居留民団に加わりその団長になるなどということはほとんど考えられないことを考え合わせると、右各事実は前記推認を覆すには足りないものというべきである。
なお、被控訴人は、控訴人が当審第一回口頭弁論期日になした、河錫煥が元来の朝鮮人であるかは不明であるとの主張は、時機に遅れた攻撃方法であるから却下されるべきである旨主張するが、控訴人は右主張の立証として書証(甲第一〇ないし第一二号証)を提出したのみで、何ら訴訟の完結を遅延させるものではなかったから、被控訴人の主張は採用できない。
三 争点3(新憲法及び新民法のもとにおいて、河錫煥が控訴人についてなした本件出生の届出は認知の効力を有するか、河錫煥がなした認知は控訴人の身分関係にどのような法律的効果を生ぜしめるか、共通法三条はなお効力を有し、控訴人に適用されるか)について
争点3については、問題の所在を明確にするため、昭和二二年五月三日の新憲法の施行に伴い、同日施行の応急措置法が「戸主、家族その他家に関する規定は、これを適用しない」(同法三条)と定めるなど、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚する新憲法の諸規定に抵触する旧民法の諸規定の適用排除を定めたことにより、旧民法の右諸規定が適用されなくなった昭和二二年五月三日を基準として、それ以前の旧民法の右諸規定及び右「戸主、家族その他家に関する規定」に基づく旧戸籍法の諸規定が適用されていた時期(以下「旧法時」という)と、それ以後でかつ新民法及び新戸籍法が施行された昭和二三年一月一日以後の時期(以下「新法時」という)とに分けて議論を進めることとする(本件出生の届出は新民法及び戸籍法の施行後である昭和二三年六月一七日になされており、昭和二二年五月三日から同年一二月三一日までの間にこれがなされた場合の法律関係如何は、本件とは直接関係がないから、ここでは問題としない)。
1 争点3(一)(新憲法及び新民法のもとにおいて、河錫煥が控訴人についてなした本件出生の届出は認知の効力を有するか)について
(一) 明治四三年八月二九日公布の「韓国併合に関する条約」締結による日韓併合以後も、後記のとおり、朝鮮人には民法第四編、第五編、戸籍法等は適用されないなど、内地と朝鮮等は異法地域の関係にあったため、右異法地域間の法令の抵触等を整序すべく、共通法が制定されたものであるところ、同法は、その一条一項において「本法に於て地域と称するは内地、朝鮮、台湾、関東州又は南洋群島を謂ふ」と「地域」を定義し、民事に関しては、二条一項において、一の地域に他の地域の法令を適用し得る(例えば、後記のように、朝鮮民事令一条一号は朝鮮に日本民法の原則的適用を認める)ことなどを定め、同条二項において、いわば準渉外事件である、属する地域及び法令を異にする当事者間の私法的法律関係についての準拠法令は、平成元年六月二八日法律第二七号による改正前の法例(明治三一年六月二一日法律第一〇号。以下単に「法例」という)の準用によりこれを定め、その場合、各当事者の属する地域の法令をもって法例にいう「本国法」とする旨を規定している。
(二) 本件出生の届出は、前記認定のとおり、本件婚姻の届出に次いでなされたものであるから、認知及びこれによる嫡出子たる身分の取得(準正)を目的とした嫡出子出生届であったものと推認される〔したがって、父母婚姻前に出生した子で、その婚姻届出後認知により嫡出子となるべき者について嫡出子出生届があった場合は、その子は父母の氏を称し直ちに父母の戸籍に入る旨の司法省民事局長通達(昭和二三年一月二九日民事甲一三六号)に基づき、控訴人は、父河錫煥の朝鮮戸籍に入籍すべき者として母鶴田冨美子の日本戸籍には入籍記載されなかったものと推認される〕が、本件婚姻の届出にかかる河錫煥と鶴田冨美子の婚姻については、その後その無効を確認する判決が確定したのであるから、本件出生の届出は遡って嫡出子出生届としての効力を失い、非嫡出子出生届としての効力のみを有することとなったものと解される。
(三) 認知の成立要件については、法例一八条一項の準用により、いずれも認知当時における、認知者河錫煥に関しては同人が属する地域である朝鮮の法令、被認知者控訴人に関しては同人が属する地域である日本の法令が準拠法令となり、認知の方式については、法例八条二項の準用により、行為地法である日本の法令に依る方式も有効であると解される。
(四) そこで、先ず旧法時において、元来の朝鮮人が元来の日本人である子につき本件出生の届出をなした場合に適用されるべき法令及びその結果本件出生の届出に認知の効力が認められるかについて考える。
被認知者に適用されるべき旧法時の日本法についてみると、旧民法八二七条一項は「嫡出に非ざる子は其父又は母に於て之を認知することを得」と定めており、同条以下の旧民法の認知の成立要件に関する規定中には、本件において認知の成立を妨げるべき規定は存しない。
そして、旧民法八二七条二項(昭和一七年改正後のもの)は「父が認知したる子は之を庶子とす」と定め、同法七二八条は「庶子」と父の正妻との間には親子間と同一の親族関係を生じる旨定めるなど、「庶子」には旧法時の「家」制度に由来する特殊な身分を付与していたことから、旧戸籍法八三条前段は「父が庶子出生の届出をなしたるときは其届出は認知届出の効力を有す」と定めていたものであるところ、前記のとおり、本件出生の届出は、右の「庶子出生の届出」としての効力を有するものと解されるから、法例八条二項により、行為地法である日本法に依る認知届出の方式を充たすものとして有効なものというべきである。
認知者に適用されるべき旧法時の朝鮮の法令についてみると、日韓併合後間もない明治四五年四月一日施行の朝鮮民事令(明治四五年三月一八日制令第七号)一条は「民事に関する事項は本令其の他の法令に特別の規定ある場合を除くの外左の法律に依る」とし「左の法律」として、その一号に「民法(第四編、第五遍については旧民法)」と定めていたが、同令一一条は「第一条の法律中能力、親族及相続に関する規定は朝鮮人にこれを適用せず、朝鮮人に関する前項の事項に付ては慣習に依る」と定めていたものであるところ、乙第七号証によれば、朝鮮においても、非嫡出子の認知入籍を禁じ、またはこれを許さない慣習はなく、旧民法と同様、父は非嫡出子を認知することができるとの慣習があったことが認められ、右慣習は、公序良俗に反するものではなかったから、共通法二条二項によって準用される法例二条により、慣習法として法律と同一の効力を有するものであったというべきである。また、その後、朝鮮民事令中改正(大正一一年一二月七日制令第一三号)により、同令一一条の右規定の但書が「但し婚姻年齢、裁判上の離婚、認知…に関する規定は此の限に在らず」と改正されたから、大正一二年七月一日の右改正規定の施行後は、認知者についても、前記旧民法八二七条以下の認知に関する規定が適用されることとなった(その結果、大正一二年七月一日施行の前記朝鮮戸籍令七〇条前段にも前記旧戸籍法八三条前段と同一の規定がおかれている)。
したがって、旧法時になされた場合、本件出生の届出は、認知者、被認知者いずれに適用されるべき法令によっても認知の要件を充たしており、認知者の被認知者に対する認知の効力を有するものであったと解するのが相当である。
(五) 次に、新法時になされたものである本件出生の届出について考える。
被認知者控訴人に適用されるべき新法時の日本法についてみると、新民法七七九条は「嫡出でない子は、その父又は母がこれを認知することができる」旨定めており、同条以下の新民法の認知の成立要件に関する規定中には、本件において認知の成立を妨げるべき規定は存しない。但し、新民法は、応急措置法によって廃止された「家」制度に由来する、前記の「庶子」という身分を認めないから、新戸籍法には、前記旧戸籍法のような「庶子出生届」に認知の効力を認める旨の規定は存しない。
しかし、認知届は、父が、戸籍事務管掌者に対し、嫡出子でない子につき自己の子であることを承認し、その旨を申告する意思の表示であるところ、本件出生の届出にも、父河錫煥が、戸籍事務管掌者に対し、出生した子である控訴人が自己の子であることを父として承認し、その旨申告する意思の表示が含まれているというべきであるから、本件出生の届出は、戸籍事務管掌者によって受理された以上、新戸籍法のもとでも認知の届出の効力を認めて差し支えないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五三年二月二四日判決・民集三二巻一号一一〇頁)。したがって、本件出生の届出は、法例八条二項により、行為地法である日本法に依る認知届出の方式を充たす有効なものというべきである。
新法時に朝鮮人である認知者河錫煥に適用されるべき法律については、新憲法の施行及び新民法、新戸籍法の施行に際し、前記朝鮮民事令及び朝鮮戸籍令を改正あるいは廃止するなどの措置は採られなかったから、なお前記朝鮮民事令一条及び一一条によって準用される旧民法中の認知の成立要件に関する規定が適用されるべきものと解されるところ、旧民法中八二七条一項ほかの認知の成立要件に関する規定は、全て新民法の規定と同一内容である(旧民法中の認知に関する規定のうち「庶子」について定める八二七条二項及び八三六条一項は、認知の効力及び準正に関する規定であり、いずれも認知の成立要件に関する規定ではない)から、新憲法施行後のわが国の公序良俗に反するものとして、法例三〇条により適用を許されないものとはいえないと解するのが相当である。
したがって、新法時になされた本件出生の届出は、認知者、非認知者いずれに適用されるべき法令によっても認知の要件を充たすものであり、河錫煥の控訴人に対する認知の効力を有するものと解するのが相当である。
(六) 控訴人は、河錫煥は本件出生の届書に虚偽の本籍地を記載したものであり、そのような本件出生の届出に認知の効力を認めることは、認知の方式の適法性に悖り許されない旨主張するが、本件出生の届書の本籍地の記載が虚偽のものとは直ちに認め難いことは前叙のとおりであり、また、前記の各法令に照らし(旧戸籍法三三条、朝鮮戸籍令二三条、新戸籍法二六条参照)、旧法時、新法時を問わず、認知者の本籍が明らかであることが認知の効力発生要件であるとは解されないから、右主張は採用しない。
2 争点3(二)(新憲法及び新民法のもとにおいて、河錫煥がなした認知は控訴人の身分関係にどのような法律的効果を生ぜしめるか)について
(一) 本件は共通法三条の適用の有無が最大の争点であるから、先ずその条項をいかに解すべきかについて考える。
共通法三条は、その一項において「一の地域の法令に依り其地域の家に入る者は他の地域の家を去る」と、その二項において「一の地域の法令に依り家を去ることを得ざる者は他の地域の家に入ることを得ず」と、それぞれ定めている。
そして、同法には、同条にいう「家」について何らの定義規定もおかれていないことからみて、同条にいう「家」「家に入る」「家を去る」との用語は、当然に旧民法第四編第二章「戸主及び家族」第一節総則七三二条以下の条項の用語と同一のもの、即ち、旧法時の民事実体法上の制度であった「家」と「家」に対する「入家、去家」を意味するものと解されるところ、「入家、去家」は旧法時の民事実体法上の規定に定められた何らかの身分上の法律行為(例えば、婚姻、認知)または事実(例えば、出生)を要件として発生するのであるから、同条にいう「法令」とは、何らかの身分行為または事実によって「入家、去家」が生じるべき旨を定める民事実体法規をいうものであり、同条は、属する地域と民事実体法規を異にする「家」に在る当事者間における「入家、去家」を生じるべき何らかの身分行為等により、一の地域に属する家に在る一方当事者が、その家を去って他の地域に属する他方当事者が在る家へ入るべき場合を定めたものと解するのが相当である。
そうすると、同条一項にいう「一の地域の法令に依り其の地域の家に入る」とは、ある身分行為(例えば、認知)が、法例に定める成立要件の準拠法に依り有効に成立したとされる場合、その当事者の一方が属する地域の民事実体法規によれば、その身分行為の効果として、他方の当事者がその地域の「家」に入る旨定められている場合(認知者の属する地域の民事実体法規によれば、被認知者は認知者の「家」に入る旨定められている場合)をいうものと解すべく、同条二項にいう「一の地域の法令に依り家を去ることを得ざる」とは、その身分行為が有効に成立したとされる場合でも、他方の当事者が属する地域の民事実体法規によれば、その他方の当事者はその家を去ることができない旨定められている場合(被認知者が法定推定家督相続人である場合など、被認知者の属する地域の民事実体法規〔例えば旧民法七四四条〕によれば、被認知者が現に在る家を去り、他の家に入ることは許されない旨定められている場合)をいうものと解するのが相当である。
したがって、同条一、二項は、ある身分行為が、法例に定める成立要件の準拠法に依り有効に成立したとされる場合、その当事者の一方が属する地域の民事実体法規によれば、その身分行為の効果として、他方の当事者がその地域の家に入る旨定められており、かつ他方の当事者が属する地域の民事実体法規には、その他方の当事者がその家を去ることは許されない旨の規定がない場合には、その他方の当事者は他の地域に属する現に在る家を去り、一の地域に属するその一方の当事者が在る家に入る旨を定めたものであると解するのが相当である。
同条は、右のとおり、あたかも旧国籍法が国籍を異にする者の間の身分行為による「国籍」の得喪を定めるように、前記「地域」を異にする者の間の身分行為による、いわば「地域籍」の得喪(異地域間の入家、去家)という法律的効果を生じさせるものであり、当然のことながら、右「地域籍」の得喪に伴う内地戸籍と朝鮮等外地の戸籍との間の入、除籍については、同条がこれを定めていたのではなく、旧戸籍法第四二条の二が内地戸籍と外地戸籍との間の、朝鮮戸籍令三二条が朝鮮戸籍と他の地域戸籍との間の、共通法三条によって生じた入家、去家に伴う戸籍記載手続を、それぞれ定めていたものである。
(二) 右のような共通法三条の理解のもとに、先ず、旧法時に本件認知がなされた場合、それが被認知者の身分関係にどのような法律的効果を生ぜしめたかについて考える。
認知者が属する朝鮮の民事実体法規である朝鮮民事令によれば、前記のとおり、認知の効果については朝鮮慣習によるべきものであったところ、乙第六、第七号証によれば、朝鮮においては外国人女の生んだ非嫡出子の認知入籍を禁じ、またはこれを許さない慣習はなく、家族である朝鮮人男の庶子が父の家の入るについては戸主の同意を要しない旨の行政先例のあることが認められるから、朝鮮には、朝鮮人父に認知された非嫡出子は、母が朝鮮人であると外国人であるとの別なく、これを庶子とし、戸主の同意を要せず父の家に入るとの慣習があったものであり、右慣習は、旧法時の公序良俗には反するものではなかったから、法例二条により、慣習法として法律と同一の効力を有するものであったというべきである(前記朝鮮民事令改正の施行後は、認知の効力に関する旧民法八二七条二項及び準正についての同法八三六条が適用されることとなったから、その範囲では右慣習法の適用は排除されたものである)。したがって、朝鮮民事令により認知者に適用されるべき右慣習法(及び旧民法の右規定。以下略)によれば、本件認知により、被認知者は認知者の家に入るべき者であったというべきである。
次に被認知者が属する内地の民事実体法規である旧民法によれば、旧民法八二七条二項は「父が認知したる子は之を庶子とす」と定め、旧民法七三三条一項は「子は父の家に入る」、同条二項は「父の知れざる子は母の家に入る」とそれぞれ定めており、非嫡出子として出生した子は母の家に入り、父が認知をすれば庶子となり母の家を去って父の家に入るものとされていたから、本件被認知者は、母の家を去り父の家に入るべき者であり、前記甲第三号証によれば、法定推定家督相続人ではなかったことが認められるから、旧民法上、現に在る家を去ることが許されない場合には該当しなかったものというべきである。
そうすると、旧法時に本件認知がなされた場合、被認知者は、共通法三条一、二項により、内地に属する家を去って朝鮮に属する認知者の家に入るべき者であったと解するのが相当である。
(三) 次に、新法時になされた河錫煥の本件認知が、控訴人の身分関係にどのような法律的効果を生ぜしめるかについて考える。
新法時に認知者河錫煥が属する朝鮮に適用されるべき民事実体法規については、前記のとおり、朝鮮民事令を改正または廃止するなどの措置は採られなかったから、なおこれが適用され、同令一条及び同令一一条によって、前記慣習法が適用されるべきこととなる。
しかしながら、朝鮮人父に認知された非嫡出子は、母が朝鮮人であると外国人であるとの別なく、これを庶子とし、戸主の同意を要せず父の家に入るとの朝鮮の前記慣習法は、認知の効力ないし認知によって生じる親族関係に関する旧民法の諸規定と同様、全て旧民法の基盤である「家」制度とほとんど同一の「家」制度に立脚するものであるところ、「家」制度は、新憲法が立脚する個人の尊厳と両性の本質的平等とは相いれないものであることは明らかであり、それゆえに新憲法の施行と同日をもって、応急措置法三条により、旧民法中「戸主、家族その他家に関する規定は、これを適用しない」と定められたものであることに鑑みれば、朝鮮民事令の右各条項に基づき、「家」制度に立脚する朝鮮の前記慣習法をわが国内において適用することは、新憲法の右理念に真っ向から相反し、わが国の公の秩序、善良の風俗に違反するものであることは明白であるから、前記慣習法は、法例二条の要件を欠き、法律と同一の効力を有しないものというべきであるし、また、共通法二条によって準用される法例三〇条により、そもそも「家」制度に立脚する前記慣習法に依るべき旨を定める朝鮮民事令の右各条項自体、その適用が許されないものというべきである。
そして、前記認定の諸事実によれば、認知者に対しては、認知者に最も密接な関係のあるわが国の民事実体法規である新民法を適用するのが相当というべきところ、新民法は、応急措置法三条により旧民法の家に関する規定の適用が排除された後、新憲法の理念である個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されたものであり、「家」制度はこれを認めず、したがって、個人は家に属するものではないから、「入家、去家」が生じる余地はなく、非嫡出子は、認知により「庶子」という特別の身分を取得することもなく、また、認知により当然に父の「氏」を称することもないから(新民法七九〇条二項)、認知により当然に父の「戸籍」に入ることさえもないのである(新戸籍法一八条二項)。
そうすると、認知者、非認知者双方に適用されるべき新法時の民事実体法規である新民法によれば、被認知者である控訴人は、本件認知により、認知者である河錫煥の「家」に入ることもなく、内地の「家」を去ることもないものというべきである。
3 争点3(三)(新憲法及び新民法のもとにおいて、共通法はなお効力を有し、控訴人に適用されるか)について
(一) 前叙のとおり、本件認知が旧法時になされていた場合には、被認知者控訴人には、共通法三条一項に該当する事由があり、同条二項に該当する事由は存しないから、同条一項が適用され、内地に属する家から去って朝鮮に属する認知者河錫煥の家に入るべき実体法上の効果が発生し、これに伴い内地戸籍からの除籍、朝鮮戸籍への入籍の手続がなされるべきものであった。
(二) しかしながら、前叙のとおり、朝鮮の前記慣習法の適用が排除される結果、被認知者控訴人は、新法時になされた本件認知によっては、認知者河錫煥の「家」に入ることもなく、内地の「家」を去ることもないものであるから、共通法三条一項には該当せず、したがって、同条項の適用により朝鮮に属する認知者河錫煥の「家」に入るという実体法上の効果は発生せず、朝鮮戸籍に入籍され内地戸籍から除籍されるべき者とはならなかったものというべきである。
(三) また、仮に、共通法三条が、「家」制度の廃止後も、新民法の「氏」につき準用され、「氏」の得喪により「地域籍」の得喪を生じる(例えば、内地籍の女子が朝鮮籍の男子と夫の「氏」を称する婚姻をした場合には、同法三条の準用により、夫の朝鮮籍に入り内地籍を去る)ものと解する余地があるとしても、前記のとおり、新民法上、認知は「氏」の当然の変更事由ではないから、右準用によっても、控訴人は内地籍を去って朝鮮籍に入るものではない。
(四) そうすると、平和条約の発効前に、外地人との身分行為により、共通法三条の適用を受けて外地の「家」に入り、外地戸籍に入籍され内地戸籍から除籍されるべき者となった内地人は、平和条約の発効に依り日本国籍を喪失するものと解すべきであるが、控訴人については、被控訴人が主張するように、平和条約の発効前に、朝鮮人との身分行為により、朝鮮戸籍に入籍され内地戸籍から除籍されるべき事由が生じていた者には当たらず、したがって、共通法三条が新憲法、応急措置法、新民法の施行に伴い当然に失効するかについて判断するまでもなく、控訴人は、平和条約の発効に依っては日本国籍を喪失しないものといわねばならない。
(五) もっとも、本件認知当時は、旧国籍法が施行されていたものであるところ、旧国籍法二三条本文は「日本人たる子が認知に因りて外国の国籍を取得したるときは、日本の国籍を失う」旨定めており(昭和二五年七月一日施行当時の現行国籍法は、身分行為に基づく当然の国籍の得喪を認めていない)、本件認知当時、朝鮮等外地は法的にはなお日本に属し、外国ではなかったのであるが、終戦後、朝鮮は事実上独立国となっていたのであるから、これを外国に準じるものとし、右規定を朝鮮人の日本人たる子に対する認知に準用し、「日本人たる子が認知に因りて(朝鮮の国籍法規に依り)朝鮮国籍を取得したるときは、内地籍を失う」ものとし、右被認知者は、共通法三条の適用を受ける者と同様に、平和条約の発効に依り日本国籍を喪失するものと解することが考えられないではない。
しかし、本件認知のなされた昭和二三年六月一七日当時において、朝鮮地域に施行されていた前記臨時条例(昭和二三年五月一一日施行)には、「朝鮮人の父(又は母)が認知した者は朝鮮の国籍を取得する」旨の規定は存在せず(同条例二条一号が出生による朝鮮国籍取得の要件とする「朝鮮人を父親として出生した者」は、大韓民国国籍法二条一項一号の「出生したとき、父が大韓民国の国民であった者」と同様、控訴人のように、婚外子として出生した後に朝鮮人父から認知された者は含まないものと解される)、韓国において「大韓民国の国民である父(又は母)が認知した者は大韓民国の国籍を取得する」旨の規定がおかれたのは、本件認知後である昭和二三年一二月二〇日に施行された大韓民国国籍法(一九六二年一一月二一日法律第一一八〇号による改正前の三条二号)が最初であり、同法には、同法施行前になされた認知についても同法が遡って適用される旨の規定は存在しないのであるから、本件認知の当時、朝鮮人に認知(胎児認知を除く)された婚外子である日本人は朝鮮国籍を取得しなかったものというべく、したがって、本件認知につき、旧国籍法二三条本文を準用する余地はないものというべきである。
第四 結論
以上によれば、前記争いのない事実に基づく控訴人の本訴請求は理由があるから、これを認容すべく、これを棄却した原判決は相当でないから、これを取消し、民事訴訟法八九条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官潮久郎 裁判官山﨑杲 裁判官上田昭典)