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大阪高等裁判所 平成7年(ネ)2641号 判決 1997年10月29日

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  被控訴人は、控訴人甲野花子に対し三四一五万一〇一五円とこれに対する平成二年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、控訴人甲野一郎及び控訴人甲野春子に対し各一七〇七万五五〇七円とこれに対する平成二年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

三  控訴人らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じ一〇分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人の各負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  申立て

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人甲野花子に対し三九七五万三九五〇円とこれに対する平成二年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、控訴人甲野一郎及び控訴人甲野春子に対し各一九八七万六九七五円とこれに対する平成二年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

(控訴人らは、当審において請求を右の額に減縮した。)

第二  事案の概要

次のとおり付加・訂正するほか、原判決の「事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決三枚目表九行目の次に「太郎は、春先や秋口に風邪を引くと喘息の症状が出たが、その程度は非常に軽く、それまで呼吸困難を伴う強い発作を起こしたことがなかったから、ショックの原因が喘息の発作とは考えられない。」を加える。

二  同四枚目表六行目「救急隊員が」から同七行目までを、「一一九番通報後救急隊員の到着するまでの間も、デカドロン(副腎皮質ホルモン剤)、テラプチック(強心剤)、エチホール(昇圧剤)をそれぞれ筋肉注射し、気道確保したものの、それ以上の第一次救命措置をとらず、救急隊員到着時にも、気道確保をしていただけで、人工呼吸や心臓マッサージをしていなかった。」に改める。

三  同四枚目裏九行目の「八七二四万〇六八一円」を「七九五〇万七九〇一円」に、同五枚目裏六行目の「九二三万三二九〇円」を「一六二六万三〇九〇円」に、同八行目の「七九三万〇九七一円」を「七二二万七九九一円」に、同九行目の「八七二四万〇六八一円」を「七九五〇万七九〇一円」に、同一〇行目の「四三六二万〇三四〇円」を「三九七五万三九五〇円」に、同六枚目表一行目の「二一八一万〇一七〇円」を「一九八七万六九七五円」に、それぞれ改める。

四  同六枚目表五行目の次に「太郎が夜中に喘息の強い発作があると訴えたため、被控訴人は太郎に吸入剤を与えており、太郎は喘息の強い発作を起こしていた。」を加える。

五  同七枚目裏二行目の次に「筋肉注射をしたときには、太郎には意識、呼吸、脈搏があり、直ちに心肺蘇生法を実施しなければならない状態になく、何よりもショック症状の軽減、進行阻止のため注射の必要があった。」を加える。

第三  争点に対する判断

一  太郎が死亡するに至る経緯

次のとおり付加・訂正するほか、原判決八枚目表末行から一一枚目裏四行目に記載のとおりであるから、これを引用する。

1 原判決八枚目裏四行目の「診断され」の次に「アロテック(吸入剤)投与を受け」を加え、同七行目の「吸入剤」を「内服薬」に、同八行目の「同右」を「吸入剤投与」に、それぞれ改める。

2 同一〇枚目表一〇行目の「診察した後」の次に「九時四〇分ころ」を加える。

3 同一〇枚目裏一行目の「座らせて、」の次に「ネオフィリンより持続性があり、副作用の少ないとされる」を、同六行目の「したので、」の次に「ベッドを背にして足を前に投げ出した形で」を、同六行目の次に「被控訴人は川満看護婦に酸素ボンベを持ってくるように命じた。」を、それぞれ加える。

4 同一一枚目表一行目の「被告は」から同四行目までを「(一一九番通報後救急車が到着するまでに被控訴人のとった措置については、後に四2で検討する。)」に改める。

二  争点1(ショック状態になった原因)について

原判決一一枚目裏六行目の「乙第四号証、」の次に「鑑定の結果、」を加え、同一二枚目表三行目の「原因が」から同四行目までを「原因の一つが、右薬物による過敏性ショックにあることが認められる。」に改めるほか、同一一枚目裏六行目から一二枚目表四行目に記載のとおりであるから、これを引用する。

なお、《証拠略》によると、東神戸病院で太郎の副主治医であった金英男医師はショック状態になった原因を喘息発作による呼吸不全としていることが認められる。しかし、《証拠略》によると、ショック状態になった原因は、その症状を直接診た医師がよく判断できるところ、被控訴人は太郎のショックの原因をネオフィリンMであると考えており、東神戸病院で太郎の主治医であった藤末衛も被控訴人の右判断を容れネオフィリンMによるものと判断して、その旨の診断書を作成していること、全国の内科救急外来に訪れる喘息救急患者は、気管支拡張剤の吸入や注射などの外来処置で、発作がほとんど治まり、独歩で来院した患者が診察順を待っている間に心呼吸停止をした事例もあるが、それは極めて稀な例であること、太郎は、昭和五八年ころから平成元年にかけて、春先と秋口にたびたび気管支喘息を訴え、被控訴人から診療及び投薬を受けていたが、その症状は軽く、歩くことができないほど重い発作を起こしたことはなく、東神戸病院入院中も重い発作が全くなかったことが認められ、これらの事実に対比すると、金医師の右診断は採用し難い。

三  争点2(ネオフィリンMの注射についての被控訴人の過失)について

次のとおり付加・訂正するほか、原判決一三枚目表八行目から一五枚目表三行目に記載のとおりであるから、これを引用する。

1 原判決一三枚目裏七行目の「証言」の次に「、鑑定の結果」を加える。

2 同一四枚目裏一行目の「右事実」の次に「及び鑑定の結果」を加える。

3 同九行目の「同証人」から一五枚目表一行目までを、次のとおり改める。

「《証拠略》によると、薬剤投与などによってショックが起こることが予想されるときは、緊急時に備えて予め留置針を用いて抹消静脈を穿刺して輸液路を確保し、輸液を用意した上で当該薬剤を投与するのが安全な方法であるが、前記認定のとおり、被控訴人がネオフィリンMの静脈注射によってショックなどの重篤な副作用の起こる危険性を予測する可能性が極めて少なかったし、ネオフィリンMの静脈注射と関係なく、喘息発作そのものが進行して心呼吸停止などの重篤な状態に陥る可能性も、極めて稀であるから、被控訴人が太郎にネオフィリンMを注射する際、予め緊急時に備えて留置針を用いるべきであったとは認められない。また、前記認定のとおり、静脈注射すること自体は、ネオフィリンMの一般的用法であるから、ネオフィリンMを静脈注射すべきでなかったとも認められない。」

四  争点3(ショック状態になった後の被控訴人の措置についての過失)について

1 一一九番通報について

原判決一五枚目表六行目から同裏九行目に記載のとおりであるから、これを引用する。

2 一次救命措置について

(一) 《証拠略》によると、次のとおり認められる。

肺または心臓の機能が停止すると、体中の器官、組織、細胞への酸素供給が停止し、酸素欠乏状態に陥った細胞は、代謝エネルギー生産ができなくなり、死に至る。酸素欠乏状態に最も弱く、短時間に不可逆的な組織障碍を受けるのは中枢神経であり、人間であることとして最も重要な機能をもつ大脳皮質が常温で酸素欠乏状態に耐えられるのは、たかだか三ないし四分間である。一旦停止した心臓あるいは肺機能を人工的操作により蘇らすのが救命蘇生法であり、とりわけ一次救命措置は、心肺機能停止後極めて短期間のうちに開始する必要がある。開始が遅れると、たとえ心肺機能が戻ったとしても、大脳に不可逆的な傷害が残り、植物人間となるおそれがある。一次救命措置は、蘇生のABCといわれ、これは、気道の確保(Airway)、人工呼吸(Breathing)、心臓マッサージ(Circulation)の英語のそれぞれの頭文字をとったもので、これらの方法を単独または並行して、強力に休みなく行わなければならない。

(1) 気道確保 呼吸機能の基本は、肺に酸素を取り入れ、赤血球に酸素を渡し、同時に炭酸ガスを排出することにあり、鼻、口より肺までの気道が開いていることが必要である。原因が何であれ意識がなくなると、あご、首、舌などの力が抜け、舌根部がのどの奥に落ち込み、気道が簡単に閉塞する。また、液体、食物塊などの異物がのどや気管、気管支に引っかかって気道閉塞を起こすこともある。気道確保の方法としては、一方の手で首を後ろから持ち上げ、反対の手で頭を強く背中の方に傾ける頭部後屈法、下顎を手でもって一度前に引き出したり、両手を下顎の後ろに当て、押し出す下顎挙上法、頭側からの下顎挙上法などがある。

(2) 人工呼吸 気道を確保しても、呼吸をしていない場合、人工呼吸により肺に酸素を送り込む必要がある。その方法としては、術者が呼気を口移しに吹き込む(口対口)方法、空気または酸素をバッグ等で吹き込む方法、胸壁を押さえるなど手を使う用手人工呼吸法などがある。このうち用手人工呼吸法は、効果が不確実なので、吹き込み法が行い得ない場合のみに、やむなく選ばれる。

(3) 心臓マッサージ 患者が死人のような顔つきで意識がないときは、直ちに頭を後屈にして気道を確保し、呼吸をしていなければ、肺を人工呼吸で四回速やかに換気する。頚動脈などの大血管に脈搏がふれず、瞳孔が開いておれば心停止が疑われる。心停止が確からしければ、胸骨圧迫心マッサージを開始する必要がある。この方法は、仰向けにさせた患者の胸部の側方近くに位置をとり、片手の手のひらを胸骨の下半分に置き他側の手のひらを最初の手の上に載せ、指先を肋骨にふれないようにし、胸骨を一秒に一回の速さで脊柱に向かって三ないし五センチメートル押し下げる。二人で行うときは、一人が心マッサージを一秒に一回の速さで行い、他の一人は五回の胸骨圧迫に一回の割合で呼気を吹き込み、一人で行うときは、心マッサージ一五回に二回の割合で呼気を吹き込む。

(二) 被控訴人が作成した太郎のカルテにはテラプチックなどの筋肉注射後、「気道確保と共に人工呼吸により稍苦悶状態軽快の徴を呈したが再び苦悶表状と共に意識障碍、意識喪失、チアノーゼ、呼吸浅薄、脈搏微弱、尿失禁、流涎あり、Wマッサージ開始と同時に救急車到着」と記載されており、被控訴人も本人尋問において、「太郎を床に仰向けに寝かせて、気道を確保した後、用手人工呼吸をしたところ、一旦は症状が和らいだが、再び症状が悪化し、意識の喪失、呼吸や脈拍が弱まるなどの症状が生じたので、被控訴人が口対口による人工呼吸や心臓マッサージを始めたところ、救急車が到着した。被控訴人は、救急車で太郎を東神戸病院へ転送する際、救急車内で太郎の左後方に座っており、太郎の脈搏を調べると、橈骨動脈では脈は触れなかったが、頚動脈に触れると拍動があった。」旨供述し、また、当時被控訴人の医院で看護婦をしていた証人川満も、被控訴人が口対口による人工呼吸と心臓マッサージをした旨供述している。

しかし、救急車で駆けつけた神戸市東灘消防署救急隊長の鷲野豊広は、原審及び当審において、「被控訴人の処置室に入ると、太郎が伏臥位で倒れており、看護婦がその横に座り、太郎の顔を横に向けて気道を確保していたようだが、被控訴人は何もしないでその右に立っていた。鷲野は、太郎を仰向けにして観察すると、太郎は失禁しており、意識は刺激を加えても覚醒しない状態で、顔色はチアノーゼで、呼吸が停止し、頚動脈で脈搏が確認できず、瞳孔が散大気味であった。救急車内では、鷲野が太郎の右側で心臓マッサージを、他のもう一名の隊員が太郎の左側で酸素吸入をしており、被控訴人が太郎の足下に座っていたが、被控訴人が太郎の頚動脈の拍動を調べるのを確認していない。」旨証言しており、消防署に帰庁後、作成された救急出動報告書にもその証言に沿う記載がある。

この証人鷲野の証言、甲第八号証及び(一)で認定したとおり、心臓マッサージは患者を仰向けにして行うものであることと対比すると、救急車が到着前に、被控訴人が人工呼吸と心臓マッサージを行っていたとする被控訴人と証人川満の供述部分及び救急車内で被控訴人が太郎の頚動脈の拍動を確認したとの供述部分は容易に採用し難く、他に、被控訴人が、救急車の到着前に太郎に人工呼吸と心臓マッサージをしていたと認めるに足りる証拠はない。

そして、《証拠略》によると、鷲野が観察した際、太郎は、心肺機能が停止していたか停止しそうになっていたと認められ、右認定に反する被控訴人の供述部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、鑑定の結果によると、患者に自発呼吸が残っている間に酸素吸入をおこなえば、心肺機能停止までの期間を数分延長することが十分あり得たと認められるところ、《証拠略》によると、被控訴人は、太郎が胸の苦しさを訴えた直後に、川満看護婦に酸素ボンベを持ってくるように指示し、同看護婦が酸素ボンベを太郎の近くに持ってきたのに、太郎に酸素ボンベを使用しなかったことが認められる。

(三) 《証拠略》によると、救急隊員が被控訴人の医院に到着してから、太郎の容態を確認し、太郎を担架で搬出し救急車に収容するのに約六分間を要したこと、この間太郎に気道確保以外の一次救命措置は行われておらず、被控訴人が救急隊員にこれを行う指示をしなかったこと、被控訴人の医院の廊下が狭い構造からして、救急隊員による担架での搬送中一次救命措置を行うことが不可能であったこと、救急車に収容後、救急隊員により直ちに一次救命措置がとられたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(四) してみると、救急隊員が到着後、太郎を救急車に収容する際、太郎に気道確保以外の一次救命措置が行われなかったことは、止むを得なかったが、太郎がショック状態に陥り心肺機能が停止するか停止しそうになった時点で、一次救命措置のうち気道確保をしただけで、人工呼吸と心臓マッサージをせず、酸素ボンベを使用しなかった点で、被控訴人の一次救命措置に過失があり、この過失と太郎が東神戸病院で一旦は心肺機能が回復したものの、心肺機能停止時になった低酸素血症から脳障害が生じて昏睡状態となり、意識を回復することなく死亡したこととの間に相当因果関係があるというべきである。

五  争点4(控訴人らの損害額)について

1 太郎の損害額

(一) 治療費 九〇万三五九〇円

《証拠略》によると、太郎は東神戸病院で治療を受けその治療費として九〇万三五九〇円を要したことが認められるが、それ以上の治療費を要したと認めるに足りる証拠はない。

(二) 入院付添費 二一四万六五〇〇円

太郎が東神戸病院に入院していた平成元年八月二八日から平成二年一二月一七日まで四七七日間の付添費は、一日四五〇〇円の割合の合計二一四万六五〇〇円とみるのが相当である。

(三) 入院雑費 五七万二四〇〇円

右入院期間の雑費は、一日一二〇〇円の割合の合計五七万二四〇〇円とみるのが相当である。

(四) 生存中の休業損害 八五七万二六三七円

《証拠略》によると、太郎は入院前丙川工業株式会社戊田製作所に勤務し、昭和六三年度には六五五万九七七五円の給与・賞与を得ていたことが認められる。2の入院期間の休業損害を、右給与等に基き計算すると、八五七万二六三七円となる(円未満切捨て、以下も同じ)。

6,559,775×477÷365=(約)8,752,637

(五) 死亡による逸失利益 四〇九六万九九九三円

《証拠略》によると、太郎は昭和一二年一月二四日生まれで死亡時に五三歳であり、その後一四年間就労できると認められるから、4の給与等に基き、生活費控除率四〇パーセントとして、新ホフマン方式で計算すると、四〇九六万九九九三円となる。

6,559,775×10.4094×0.6=(約)40,969,993

(六) 葬儀費用 一二〇万円

《証拠略》によると、太郎の葬儀費用は一二〇万円が相当である。

(七) 慰藉料 二四〇〇万円

《証拠略》によると、慰藉料は二四〇〇万円が相当である。

(八) 以上(一)ないし(七)の合計七八三六万五一二〇円

2 損益相殺額 一六二六万三〇九〇円

控訴人らが、医薬品副作用被害救済・研究振興基金から一六二六万三〇九〇円の給付を受けたことは、当事者間に争いがない。

3 弁護士費用 六二〇万円

《証拠略》によると、本件医療過誤と相当因果関係のある弁護士費用は、六二〇万円とみるのが相当である。

4 してみると、太郎の損害は合計六八三〇万二〇三〇円となり、相続により、控訴人甲野花子はその二分の一の三四一五万一〇一五円の、控訴人甲野一郎と同甲野春子は各四分の一の一七〇七万五五〇七円宛被控訴人に対する損害賠償請求権を承継したことになる。

六  結論

よって、控訴人らの本件請求は、控訴人甲野花子が三四一五万一〇一五円と、控訴人甲野一郎と同甲野春子は各一七〇七万五五〇七円宛と、いずれもこれらに対する太郎の死亡した翌日の平成二年一二月一九日から支払済みまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、その余の各請求は理由がないので棄却すべきであるので、右と異なる原判決を主文のとおり変更する。

(裁判長裁判官 井関正裕 裁判官 河田 貢 裁判官 佐藤 明)

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