大阪高等裁判所 平成8年(う)518号 判決 1997年2月13日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人池本美郎作成の控訴趣意書及び控訴趣意書訂正補充書記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴趣意第一について
論旨は、原判決は、原判示各事実について、偽計及び威力を用いての業務妨害罪が成立する旨判示して平成七年法律第九一号による改正前の刑法二三三条、二三四条を適用したが、原判示の各選挙における立候補届出受理業務は業務妨害罪の業務に該当しないから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、というものである。
そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実調べの結果を併せて検討し、次のとおり判断する。
1 関係証拠によれば、原判示の各選挙における立候補届出受理業務は次のとおり行われることになっていたことが認められる。すなわち、<1>届出受付開始時刻である午前八時三〇分に立候補届出受付会場に立候補届出人が二人以上いる場合は、受付順位を決定するため予備的な第一のくじを行う。<2>第一のくじを行うに際し、くじ係は、届出人が供託証明書及び戸籍謄抄本を所持しているか否かを確認する。<3>第一のくじは、各届出人が同時に引き、くじ番号及び候補者となろうとする者の氏名を告げて、くじをくじ係に提出する。<4>第一のくじにより決定した順番で各届出人が第二のくじを引き、くじ番号及び候補者となろうとする者の氏名を告げて、くじをくじ係に提出する。<5>受付係は、第二のくじで決まった順位により立候補の届出を受け付け、届出書類に不備がないかどうかを確かめ、届出を受理するか否かを審査して選挙長の決裁を得る。<6>届出書類に不備があり、その補正に相当の時間を要するときは、次順位以下の者を順次繰り上げて受け付けた後、補正ができた時点の次順位で受け付ける。<7>立候補届出の受付が終了した者に対して順次選挙用諸物品(いわゆる七つ道具)を交付する。
2 次に、関係証拠によれば、選挙長は、当該立候補届出受理業務を円滑に行うための裁量権を有しており、くじを迅速に引かない者や届出書類の作成に長時間を掛ける者に対して時間制限をし、制限時間内に書類を作成して提出しない場合には、その受付順位を繰り下げる等の適切な措置をとり得ることになっていたことが認められる。なお、所論は、選挙長は、その指示に従わない立候補届出人に対し、受付会場から退去することを命ずることができる旨主張するが、退去を命ずることができるとする法令上の根拠はなく、選挙長にはそのような権限はないと解される。
3 ところで、強制力を行使する権力的公務は、公務執行妨害罪の対象となるのみで、業務妨害罪の対象とはならず、右以外の公務は同罪の対象となるものと解すべきところ、これを本件についてみると、選挙長は、前記2のような裁量権を有しているけれども、立候補届出受理業務を妨害する者に対して物理的な実力を行使することができる旨の法令上の根拠はないから、右業務は、強制力を行使する権力的公務とはいえず、業務妨害罪の対象となるというべきである。論旨は理由がない。
二 控訴趣意第二及び第三について
論旨は、原判決は、原判示各事実に関し、偽計でも威力でもない各行為を偽計や威力であると認めており、この点、原判決には影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認ないし法令適用の誤りがある、というものであると解される。
そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実調べの結果を併せて検討し、次のとおり判断する。
1 原判示第一の事実に関し、関係証拠によれば、次の事実が認められる。
<1> 被告人は、右選挙の立候補届出の受付に際し、自己を含め一七名分の供託証明書及び戸籍抄本を持参して受付会場に赴いた。
<2> 当日午前八時三〇分に立候補届出の受付が開始され、選挙管理委員会の係員が、来場していた被告人と梶道男の届出人の両名に対し、受付の手順や必要書類の説明等をした上、第一のくじを実施するに先立って供託証明書及び戸籍謄抄本を確認しようとしたところ、被告人は、「くじを引く前に供託証明書や戸籍抄本を提示せよという規定はどこにあるのか。」、「根拠がなければ提示せずにくじを引きたい。」などと執拗に追及したため、選挙長は第一のくじの前に右確認をすることを断念した。
<3> 選挙長らは、届出人として来場していた者が二名であったため、立候補予定者も二名であると判断し、数本のくじ棒を準備して第一のくじを実施しようとしたところ、被告人が、理由を言わず「物理的に無理である。」と言うのみで、くじを引くことを拒み、くじの方法を変更するよう執拗に求めたので、選挙長らは、手続を円滑に進めるため、被告人が提案したとおり段ボール箱の中央をくり抜いて上から手を入れて中のくじを引く用具をその場で作ったが、被告人は、なおも物理的に不可能であるなどと言ってくじを引こうとせず、いたずらに時間を経過させた後、初めて一七名分の立候補届出の用意をしていることを明らかにした。そこで、くじ数を増やして、午前九時三〇分ころ、第一のくじが実施され、また、選挙管理委員会は、いわゆる選挙の七つ道具及び選挙ポスターの掲示板の区画について、急遽、事前に準備していた六名分からさらに一二名分を追加して準備した。
<4> 第二のくじを引く順位の一番は被告人が代理する立候補予定者の分であったが、被告人は、選挙長が催促しても、くじ棒をかきまぜたりして容易にくじを引かず、二〇分ほど経過した後に、突然「気をつけ。」と大声を発して最初のくじを引き、二番目、三番目のくじもそれぞれ一五分ほどかけて引いた。四番目に当たった梶道男の届出人はすぐにくじを引いたが、五番目以降はすべて被告人が代理する立候補予定者の分であり、被告人はまたも容易にくじを引こうとしなかったので、選挙長は、被告人に対し、正午までに第二のくじをすべて引くように申し入れ、第二のくじは正午に終了した。
<5> 引き続き立候補届出書類の提出をすることとなり、被告人は、係員から所定の用紙を受け取ってその場で記載することになったが、一時間以上経過しても一名分の立候補届出書類の提出もしなかった。そこで、選挙長は、被告人に対し、立候補予定者一名につき一〇分以内に記載して提出するよう時間制限をし、制限時間内に書類が提出されなければ順位を順次繰り下げる旨告げたが、被告人は、自分が代理する順位一番から一四番までの立候補予定者についていずれも制限時間内に書類の提出をしなかったため、順位一五番の梶道男分が順位一番に繰り上がり、午後三時五〇分に梶道男の立候補の届出が受け付けられた。
<6> 被告人は、その後も順位一六番から一八番までの立候補予定者についていずれも制限時間内に書類の提出をせず、午後四時三〇分ころに辻山信子の立候補の届出をしたのみで、その余の一六名については、結局、立候補の届出をせずに受付会場を退出した。
2 原判示第二の事実に関し、関係証拠によれば、次の事実が認められる。
<1> 被告人は、右選挙の立候補届出に先立って行われた立候補予定者に対する説明会及び立候補届出書類の事前審査に参加し、立候補届出の際提出すべき書類(候補者届、供託証明書、宣誓書、所属政党〔政治団体〕証明書、戸籍謄抄本など)について事前に選挙管理委員会の審査を受け、不備のないことを確認された書類を同委員会の封筒に入れて封印されたもの一〇通(立候補予定者一〇名分)を交付されたが、右各封筒内から審査済みの書類を取り出して、代わりに「あほ、ばか、まぬけ」等と記載した書面一枚だけを入れた上、その封筒一〇通を濡れた新聞紙に包み、立候補届出日、審査済みの書類の一部とともに同受付会場に持参した。
<2> 午前八時三〇分に立候補届出の受付が開始され、被告人以外に八名の立候補届出人が来ていたので、第一のくじを実施する前に、係員が供託証明書及び戸籍謄抄本により各立候補予定者について資格の確認をしようとしたところ、被告人以外の八名の届出人はすぐにこれに応じたが、被告人は、これに応じず、係員が右の書類を速やかに提示するよう何度か促すと、手提げ袋の中から前記濡れた新聞紙の包みを取り出して係員に差し出し、「そん中にうんこが入っていると思ってんねやろ。今日はそんなことせえへん。」などと言って、あたかもその中に書類と共に汚物が在中しているかのように装った。
<3> 係員が濡れた新聞紙の包みの中の封筒一〇通を開封すると、前記「あほ、ばか、まぬけ」などと記載した書面が入っているだけであったため、被告人に資格を確認できなければくじに参加できない旨を告げると、被告人は、手提げ袋の中から一〇名分の供託証明書と戸籍抄本を取り出して係員に渡し、立候補予定者全員の資格が確認できたので、第一のくじが実施されることとなった。
<4> 第一のくじに際し、被告人以外の届出人は速やかにくじを引いてくじ番号と立候補予定者名を係員に告げたが、被告人は、容易にくじを引こうとせず、ようやくくじを引いてもくじ番号と立候補予定者名を係員に告げなかったので、選挙長は、被告人に対し、立候補予定者一名について一五秒以内にくじを引いてくじ番号と立候補予定者名を告げるように言って時間制限をした。次に、第二のくじが実施されたが、その際、被告人は、会場の隅にいて、係員から何回か催促された後、松葉杖をつきながら遠回りしてゆっくりとくじ係の前に行き、「今日は秘密兵器がある。」と言って玩具のマジックハンドを取り出してくじを引こうとし、手で引くようにとの係員の指示に従わず、容易にくじを引かなかったので、選挙長は、被告人に対し、一〇秒以内にくじを引いて係員に渡すように言って時間制限をした。そして、通常であれば、第一のくじは三、四分で、第二のくじは五分くらいで終了するのに、被告人の右のような行動のために、第二のくじが終了するまでに四〇分ほどかかった。
<5> 引き続き立候補の届出に必要な書類の提出が行われることとなり、受付順位一番の奥野誠亮、同二番の森本晃司の届出人はすぐに提出して受付を終わったが、同三番の被告人は、係員から呼ばれてもすぐに受付係の前に行こうとせず、また、必要書類をその場で作成すると言いながら、容易に記載しようとしなかったので、選挙長は、被告人に対し、七分以内に記載するよう時間制限をし、制限時間内に必要書類を提出しなければ順位を順次繰り下げる旨を告げ、被告人がなおも書類を記載しようとしなかったので、被告人が代理する受付順位六番の岡島英男分の際に制限時間を五分とし、さらに同八番の岡島利和分の際に制限時間を三分としたところ、被告人は、形相を変えて立ち上がり、所持していたボールペンを机上に叩きつけ、「誰がそんなこと決めたんや。」「そんなもの書けるか。」などと怒号した。
<6> その後も被告人は必要書類の作成をしなかったため、被告人関係以外の立候補予定者の受付順位が順次繰り上がり、それらの受付が午前一〇時三〇分過ぎに全員終了したが、被告人は、結局、立候補の届出をまったくせずに受付会場を退出した。
3 以上の各事実に照らすと、被告人は、原判示第一及び第二のいずれについても、公職の選挙において重要な手続であり、厳正、迅速に行われるべき立候補届出受理業務に関し、当初よりこれを妨害する目的で各会場に臨み、明らかに悪戯の程度を超えた陰険な手段、術策を弄し、かつ、人の意思を圧迫するに足る勢力を用いて(後者は、前記認定のような各状況のもとにおいて突如「気をつけ」と大声を発し、あるいは、ボールペンを机上に叩きつけて「誰がそんなことを決めたんや」などと怒号した点がこれに当たる。)、立候補届出の受付順位の決定に必要な抽選や立候補届出に必要な書類の作成、提出に法外な時間を費やすなどして、全体として立候補届出の受理手続を著しく遅延させたものであって、偽計及び威力を用いて立候補届出受理業務を妨害したものというべきであり、原判決がその判示各事実を認定し、これに前記刑法二三三条、二三四条を適用したことに誤りはない。論旨は理由がない。
三 よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 青木暢茂 裁判官 梶田英雄 裁判官 佐の哲生)