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大阪高等裁判所 平成8年(う)778号 判決 1997年3月12日

本籍

大阪府東大阪市山手町二三六番地の一

住居

同市東豊浦町六番一三号

会社役員

辻子孝義

昭和一八年一一月一一日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、平成八年七月一日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 三井環 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人黒田修一作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

第一控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は要するに、被告人が辻子仁宏(以下「仁宏」という。)及び辻子孝子(以下「孝子」という。)との間でなした遺産分割協議(以下「本件遺産分割」という。)は不存在ないし無効であり、被告人がほ脱した税額は約二億円にとどまるのに、本件遺産分割を有効なものとして約四億円をほ脱税額と認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討する。

一  本件遺産分割に至る事実経過は、原判決も説示するとおり、概ね以下のようなものである。

1  被告人は、平成三年七月一〇日死亡した辻子丈太郎(以下「丈太郎」という。)の長男であり、丈太郎の相続人としては、他に妻である孝子及び二男である仁宏がいた。被告人、仁宏及び孝子の三名は、平成三年秋ころには、仁宏の経営する会社の顧問税理士をしていた尾池和雄(以下「尾池」という。)に相続税額の計算を依頼するなどして、丈太郎の遺産にかかる相続税の総額は五億一二〇五万円であるが、法定相続分に従って遺産を分割して配偶者の税額軽減の適用を受ければ孝子は税金を納める必要がなく、総額の二分の一の約二億五〇〇〇万円を被告人及び仁宏が支払うこととなり、その相続税の申告期限は平成四年一月一〇日であることを知った。そして、右遺産のほとんどが不動産であり、右相続税を現金で納めることができないことから、物納で納税するしかないなどと話をしていた。

2  しかし、被告人は、物納により不動産を手放したくないと考え、平成三年一二月上旬ころ、かねてから被告人に対し税金を安くする方法を知っていると言っていた同業の不動産業者である共犯者鈴木彰に対し、本件相続に関し、相続税額を低くなるように申告することを依頼するとともに、仁宏及び孝子に対し、本件相続税申告手続については自分に任せて欲しいと言って、右両名の了承を得た。そして、被告人及び鈴木彰は、さらに共犯者酒井俊輔及び同福井健一とも共謀し、丈太郎がかつて恩を売った人物から無担保で金を借りた、いわゆる恩借という八億円の債務が存在することにして税額を低くすることを企て、平成四年一月八日までには六億円及び二億円の各架空債務の借用書を作成するなどした。

3  被告人は、仁宏に対し尾池に申告書を作成して貰いたい旨伝え、本件相続税申告期限の前日である同月九日昼過ぎ、仁宏とともに尾池税理士の事務所に向かったが、その途中の自動車内で、仁宏に対し、恩借という八億円の債務を計上して相続税の申告をする旨述べ、仁宏は、詳しい説明は聞かなかったものの、架空債務により税を免れるものであることを認識した。被告人及び仁宏は、尾池税理士の事務所に着くと、尾池に対し、持参した右借用証二通の写しを見せ、その合計八億円の債務を計上した上で相続税申告書を作成するよう依頼した。

4  尾池は、見せられた借用書が架空のものであるとの疑いを持ったが、申告期限が翌日に迫っていたこともあり、申告書の作成だけならばという気持ちからこれを引き受け、具体的作業にとりかかった。孝子が配偶者の税額軽減の適用を受けるためには、同人の取得する相続財産を遺産分割協議によって確定させることが必要で、かつ、その取得分を相続財産の純資産額の二分の一にすることが最も効率的であるが、尾池は、丈太郎の相続財産について、積極財産が約一〇億六八〇〇万円、消極財産が約八〇〇万円と右架空債務の八億円であることを前提に、分割の方法として、<1>積極財産及び消極財産ともに二分の一を孝子に取得させる方法、<2>純資産価額の二分の一に相当する積極財産のみを孝子に取得させる方法の二種類を考え、<1>の方法よりも<2>の方法が時間がかからないこと及び架空の疑いの強い債務八億円に手を付けたくなかったことから、<2>の方法を採用することに決めた。そして、尾池は、被告人及び仁宏に対し、右のような方法選択の説明をすることなく、孝子の取得する財産の価額合計が純資産額の二分の一の約一億三〇〇〇万円となるように遺産分割をしなければならないと言い、被告人や仁宏とともに、相続財産の中から右額に見合う積極財産を選び出した。その際、被告人や仁宏は、不動産の現実の利用状況を考慮して、自分達の居住地から離れた土地と、被告人も居住する賃貸中の共同住宅を孝子に取得させる物件として選び出したものの、それだけでは財産の価額合計が一億三〇〇〇万円に達しなかったことから、さらにもう一筆の土地を加えることとした。これにより孝子の取得財産の総額が一億三〇〇〇万円を約一〇〇万円超過し、孝子に約六〇万円の相続税が課せられる計算となったが、被告人らは、尾池のその旨の説明を聞いて了承した。尾池は、これに基づき申告書を作成することとし、遺産分割協議書については、右のとおり選び出した財産を孝子が取得し、その余の積極財産及び消極財産等については被告人及び仁宏で分割協議をした上それぞれ取得する旨の内容の本文を作成し、各相続人欄の署名のため被告人らに持ち帰らせた。

5  被告人及び仁宏は、同日夜、孝子方において、孝子から右遺産分割協議書に対する署名押印を得てこれを完成させ、被告人は、翌一〇日、これを仁宏が尾池から受け取ってきた相続税申告書その他の書類とともに鈴木彰らに渡し、同人が東大阪税務署に必要書類を提出した。なお、孝子は、相続税申告手続については被告人らに任せていたことから、被告人らから右遺産分割協議書に対する署名押印を求められた際、被告人らが相続人ら家族にとって最も良い方法を採っているものと考え、同協議書の記載内容の詳しい説明は受けないまま署名押印した。しかし、六〇万円の相続税を支払わねばならないことは伝えられて了承しており、その後自らこれを支払っている。

6  被告人、仁宏及び孝子は、平成四年四月ころ、右遺産分割協議書に従った相続登記を行うこととして手続を進め、前記孝子取得にかかる物件について、平成四年五月六日受付で辻子孝子名義の相続登記がなされた。また、被告人及び仁宏は、その余の相続財産についての分割も実行することとし、基本的にはそれぞれが居住する土地を取得することとして協議した上、必要な合筆及び分筆も済ませ、同年九月八日受付より、各相続登記がなされた。

7  その後、被告人、仁宏及び孝子との間で、本件遺産分割協議書と異なった形で再分割するような話はなされておらず、これは、平成七年ころから東大阪税務署による本件相続税の申告についての調査が始まり本件脱税が発覚した後も同様である。

以上の事実に基づき、以下本件遺産分割の効力を検討する。

二  まず、前記のとおり、本件遺産分割については、前記遺産分割協議書が存在し、これは被告人ら各相続人が遺産分割の協議書であることを認識しつつ自筆で署名して作成されたものであるから、三人による遺産分割の意思表示が存在するものと認めることができる。遺産分割協議自体が不存在であるかのような所論が失当であることは明らかである。

また、八億円の債務についての分割の合意は、その目的たる債務が架空のものである以上、無効とならざるを得ないのであるが、これは、所論指摘のように、当然に本件遺産分割全体の無効をもたらすものではない。すなわち、法律行為の一部が目的の不能によって無効である場合に当該法律行為全体が当然に無効となるか否かは、その部分が全体との関係で法的に可分かどうかで決せられるべきところ、遺産分割は個別の財産を各相続人にそれぞれ取得させる合意であって、一部の財産に関する無効を他の財産の取得に影響させる物理的必然性はないこと、遺産の一部に瑕疵があったような場合には売主の瑕疵担保責任に準じた処理が予定されていること(民法九一一条)のほか、そもそも本来の遺産分割は積極財産たる遺産を相続人間で分割するものであり、消極財産たる債務の分割は、相続人間における負担部分の定めに過ぎないもの(当然には債務者に対抗できるものではない。)であって、右の本来的遺産分割に含まれないものであることを総合すると、本件遺産分割においても、八億円の債務についての合意は、他の積極財産の分割の合意とは可分なものと言うべく、八億円の債務に関する合意の無効が当然本件遺産分割全体の無効をもたらすものではない。

三  そこで、本件遺産分割のうち右八億円の架空債務を除く部分、すなわち主として不動産である積極財産についての分割合意について、これが無効となるような事情が存在するか否かについてさらに検討する。

1  まず、所論は、被告人及び仁宏においては、遺産分割協議書の意味を理解していないとして、本件遺産分割において右書面に記載された内容の分割意思がなかったかのような主張をするが、これは、被告人らにおいて真実は遺産分割協議書のとおり遺産を分割する意思がなかったのにこれを行うかのような遺産分割協議書を作成したという意味で、本件遺産分割が虚偽表示であるとの主張と解される。確かに八億円の債務負担部分については、これが架空であることを知っていたのであるから、その分割意思自体存在しなかったと言い得るのであるが、前記のとおり、被告人及び仁宏は、孝子に取得させる不動産について、現実の利用状況等も考慮して決定したこと、本件協議書に基づく申告によって当時孝子に課された相続税約六〇万円については孝子自身に負担させて支払わせていること、その後、右遺産分割協議書に沿った内容で孝子の遺産登記をしただけでなく、さらに被告人及び仁宏間で不動産を分割してその登記もしていること等の経過が認められるのであり、これらの経過からみると、仮に本件が発覚しなければ右遺産分割協議書の内容に沿って現実に遺産を取得し、そのままこれを保持したであろうと認められるのであって、そうすると、被告人らは、右八億円の架空債務を除く部分について、当時、形式的に書面を作成しただけではなく、実質的にこれに沿った分割をする意思があったものと認めるのが相当である。本件遺産分割を虚偽表示と言うことはできない。

2  また、所論は、架空債務を計上する遺産分割の方法について、前記一4の<1><2>のように、本件遺産分割協議書のように純資産の二分の一のみを孝子に取得させる方法のほか、資産及び架空債務をともに法定相続分に従って分割して孝子に取得させる方法があることを指摘し、被告人及び仁宏において右方法の違いを理解していなかったとの主張をしており、これは、被告人らにおける虚偽表示の主張が認められないとしても、右方法の違いを理解していれば本件分割書のような遺産分割をしなかったという意味で動機の錯誤があるとの主張とも解される。しかしながら、錯誤による意思表示は条文上「無効」となり得るものではあるが、そのためには要素の錯誤であることを必要とするだけではなく、この効果としての「無効」も絶対的無効ではなく、当事者の主張によって初めて無効と取り扱われるべきものであるところ、前記のとおり、被告人らは、本件脱税の発覚前において本件遺産分割協議書に沿った手続を進めていただけでなく、その後もそれまでの登記を変更するなどせず、これを前提に修正申告をし、物納のための手続も進めていること、被告人、仁宏及び孝子らの間において、具体的に本件遺産分割が無効であることを前提とした話し合い等は一切なされていないことが認められるのであり、右事実によれば、被告人らの錯誤による無効の主張は実体的には存在しないと見るべきである。したがって、この点でも本件遺産分割が無効ということはできない。

3  なお、所論は、被告人及び仁宏の認識についての主張に際し、尾池が時間が切迫していたことから右<2>の方法を選択したとの原判決の認定を非難するが、そもそも原判決は、被告人らが尾池税理士から右二つの方法が存在することの説明を受けていないことを前提として、当時の協議の状況からみて、具体的な分割の方法、すなわちそれぞれが取得する財産が何であるかの認識があったことを認定しているのであるから、尾池税理士の分割方法の選択の理由が何であったかは本件において問題となるものではない。付言すれば、現実の利用状況をも考慮して分割するに際しては、相続財産全体から一億三〇〇〇万円の財産を抜き出す<2>の方法の方が、五億円を超える財産を抜き出す<1>の方法よりも容易であることは明らかであり、これと、「架空の疑いの強い債務八億円に手を付けたくなかった」という二つが尾池税理士の右選択の理由であるとした原判決の認定は相当であり、所論の非難はあたらない。

4  さらに、所論は、孝子において本件遺産分割協議書の内容についての理解がなかったことをもって本件遺産分割が無効である旨の主張もする。しかしながら、この点は原判決も説示するとおり、孝子は、当時被告人や仁宏を信頼し、被告人らが作成した内容であれば了承するとの趣旨で本件協議書に署名押印しているのであるから、遺産分割協議成立の意思表示として欠ける点はない。所論は、孝子の了承は遺産分割の内容が法定相続分にほぼ従っていることを前提としたものであると主張するが、当時の孝子と被告人及び仁宏の関係、各人の立場、状況からすると、孝子が右遺産分割協議書に署名押印する際その内容に右のような限定を加える意思はなかったものと認められるのであり、所論は採用できない。孝子の原審における証言中の法定相続分云々という点は、同女の単なる期待ないし推測に過ぎないと見るべきであって、本件遺産分割の効力に影響を及ぼすものではない。

四  以上のとおり、本件遺産分割を不存在ないし無効であると主張する所論はいずれも採用できず、この点の論旨は理由がない。

第二控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、原判決の量刑不当を主張するので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討すると、まず、本件ほ脱額が約二億円であるとする事実誤認の主張が採用できないことは前記のとおりであり、その他の情状についてみると、原判決が詳細に説示するように、本件は、ほ脱額が四億〇八〇〇万円余りの高額にのぼっており、ほ脱率も高い重大な事案であること、被告人が、最初に本件を発案し、当初は適正な納税の準備を進めていた仁宏らに対しても働きかけ、自ら共犯者鈴木らとの工作に積極的に関与するなど中心的な役割を果たしていること、その動機に酌むべき点はないことからすると、被告人の刑事責任は重大である。したがって、被告人の認識していたほ脱額が約二億三〇〇〇万円であったこと、本件起訴後にほ脱額全額について修正申告をし、物納の手続を進めていること、被告人が自己の刑事責任を認め本件を反省していること、これまで交通事犯以外の前科がないことなど、被告人に有利な事情を斟酌しても、被告人を懲役一年一〇月及び罰金三〇〇〇万円に処し、懲役刑につきその執行を三年間猶予した原判決の量刑が不当に重いとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 古川博 裁判官 鹿野伸二)

控訴趣意書

相続税法違反 辻子孝義

右被告人に対する頭書被告事件につき、平成八年七月一日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から申し立てた控訴の理由は、次のとおりである。

平成八年一〇月二一日

右弁護人 黒田修一

大阪高等裁判所第三刑事部 御中

原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある上、その誤った事実認定を前提として量刑されていることから、刑の量定も不当であって、破棄を免れないものと確信する。

第一 原判決は、事実誤認の違法があるので、破棄されるべきである。

一 本件の争点

本件の事実認定上の争点は

1 遺産分割協議は、存在したか否か

2 遺産分割協議は有効であるか否か

の二点に尽きる。

二 本件における実行行為としての不正行為

本件において、被告人らのなした脱税のための不正の行為は、虚空の八億円の債務をでっちあげた行為と、これを前提として被告人及びその実弟である辻子仁宏(以下「仁宏」という。)が、それぞれ四億円づつこの架空債務を承継したとする遺産分割協議書を作成した点にある(もちろん、かかる内容虚偽の相続税の申告書を税務署長に対して提出した行為も、実行行為の一部を構成することは明らかであるが、これは、ほ脱事犯全般に通じるものであって、本件に独自のものではないから、論ずる要はない)。

三 計上された八億円の債務の架空性について

まず、架空債務の計上に関してであるが、この八億円の債務が架空であったことに関しては、何ら争いはなく、また、原審においても、当然架空であったと認定しているものであり、確定した事実である。

四 遺産分割協議の存在意義について

本件においては、この架空の八億円の債務の計上のみによって、本件公訴事実記載のほ脱金額が決定されるものではなく、遺産分割協議書の存在が、右ほ脱金額を決定する重大、かつ、不可欠の要素となるものである。

ところで、原審は、右八億円の債務は、架空のものであって、当然その債務の存在は否認されるべきものであるとしながら、一方で、遺産分割協議に関しては、相続人間でその遺産分割協議書記載の内容での合意(遺産分割協議)が存在し、その協議は有効であって、この遺産分割協議書を基にして算出される被告人らの相続税額こそが、適正な相続税であると認定している。

弁護人としては、この遺産分割協議書の存否及び有効性に対して疑義を投げかけているものであって、端的に表現すれば、脱税目的のためにでっち上げた八億円の借用証が架空のもので否認されるのであれば、同じく脱税を目的として作成された遺産分割協議書も無効であって、結局本件においては、遺産分割協議が整わないものとしての申告となり、したがって、法定相続分による分配がなされたものとして、被告人らそれぞれの適正な相続税額が決定されるべきものであると、主張するものである。

五 本件遺産分割協議は無効である

八億円の借り入れが架空であり、これを無効とするものであれば、その架空の八億円の債務を消極財産として相続財産に含ませた遺産分割協議というものも、当然に無効となるべきものであるのに、原審がこれを有効と判断したことは、明らかな間違いである。

本件で作成された遺産分割協議書は、相続人である被告人、仁宏及び辻子孝子(以下「孝子」という。)三名の署名押印があって、形式的には、有効に成立しているように見える。

しかしながら、その内容においては、被相続人である辻子丈太郎が遣した約一〇億円の積極財産のみならず、架空計上された八億円の債務が、分割対象の相続財産として計上されているものであり、これらの積極及び消極をあわせた全体の相続財産に関しての遺産分割協議となっているものである。

このうち、消極財産は、架空のものである。しかも、脱税のために、その手段として計上されたものであって、これが架空であることは、被告人及び仁宏は明確に知っていた。反面、孝子においては、このような消極財産が計上されていること自体に、気づいていなかったと認められるのである。

この遺産分割協議書は、それ自体が、架空の八億円の債務の計上と相まって、脱税工作に資するものとして作成されたものであり、この遺産分割協議書に記載された消極財産としての八億円を、被告人と仁宏とが、それぞれ四億円当て相続するということもまた、架空、かつ、虚偽であった。

しからば、この遺産分割協議書は、全体として虚偽の記載があるものであって、このうちの消極財産の分割の部分のみが無効であり、積極財産に関する部分が、独立して(消極財産とは分離されて)有効となるとの解釈は、とうてい採用されないものである。そもそも、ありもしない債務を被告人と仁宏が承継することとし、その代償として積極財産を大量に承継するとの内容であって、前提となる仮装債務が存在しない以上、積極財産に関しては、新たな分割意思が当然問われなければならないものである。

原判決は、この点に関しては問題意識を持っていないため、このような部分的に架空の債務を分割するという要素が盛り込まれているにもかかわらず、何故に有効とされるのか、その理由説明が、一切なされていない。

重ねて主張するが、積極及び消極の全財産をいかに分割承継するかがこの遺産分割協議書に記載されているものであり、これらは、全体として考察されるべきであるのは当然で、この遺産分割協議書を、積極財産に関してのみ、部分的に有効と考えることはできない。以上の点から、原判決が、この遺産分割協議が有効に成立したものとし、これを基に、被告人らの相続税額を算出したことは、明らかな誤りというべきである。

六 被告人及び仁宏は遺産分割協議書の意味を理解していない

原判決は、本件の全般についての事実認定を、判決書の四丁裏から一〇丁表にかけて詳細に論じている。

この事実関係に関しては、概ね正当であると評価しうるものの、以下の各点に関しては、その認定を誤っている。

1 孝子に純資産価格の二分の一に相当する積極財産のみを取得させるか、それとも積極財産及び消極財産ともに二分の一を取得させるかを、尾池税理士の事務所において決定するに当たり「時間が切迫していたため」に前者の方法を採用した旨認定した(判決書六丁裏)。

しかしながら、この「時間が切迫していた」ことをもって、選択の理由とすることは、何らの説得力を持たないものであるし、かえって不自然である。

即ち、原判決は、右の尾池税理士による選択の際には、同税理士によって、既に記入されていた「相続税がかかる財産の明細書」の右側欄には、各不動産の価格が記入されていたことを認定しており(判決書一四丁表)、このような状態であれば、同税理士において、積極財産を二分の一に分ける作業を行うことは、何ら時間を要するものではなく、四物件の価格を概ね一億三、〇〇〇万円になるように選定することと比べて、同程度の煩雑さで完了する作業であったと認定しうるのである。

この点に関しては、右尾池税理士の証人尋問調書の二一丁裏ないし二三丁裏にあるとおり「申告期限までの時間がなかったので一億三千万円にした。」との同税理士の供述に何ら合理性が見いだせないことから、当職が執拗に反対尋問を行い、同税理士が、しどろもどろの供述を繰り返すしかなかったことが、明らかとなっているのである。

つまり、まず、同税理士は、相続される不動産の所在地確認や、権利関係の確認作業はしていない(同証人尋問調書二二丁裏ないし二三丁表)のであり、加えて、同税理士は当時問題視していた「配偶者の税の軽減措置」が念頭にあったのみであるから、孝子が相続することとした財産以外の「その余」の財産に関して、被告人ら兄弟が、どのように分けるかは、とりあえずは問題にしていなかったことが明らかである。現に、孝子の相続する財産の額が一億三〇〇〇万円とした後も、兄弟間の分配に関しては、後日の問題として、決定を先送りしていたことからも、明らかである。

その上に、原判決摘示のとおり「相続税がかかる財産の明細書」には、既に各不動産が列記されており、しかも、それぞれの不動産には、その欄の右側欄にその価格が記入されていたのであるから(判決書一四丁表)、尾池税理士としては、孝子に相続させる財産の総額を一億三、〇〇〇万円としようが、五億三、〇〇〇万円としようが、どちらにしても大した労力の差がなく、もし、積極財産の二分の一を孝子に承継させるとしても、列記された不動産の中から、その額に満つるようにピックアップする作業に要する時間は、数分程度の差しか生じなかったであろうと思料されるのであって、孝子の相続すべき財産の金額を、積極財産の二分の一に設定することは容易になしえたことであり、これを原判決のように「時間が切迫していた」ことを理由とすることは、明らかな事実誤認というべきである。

2 同税理士が、詳しい説明をすることなく、純資産の二分の一を孝子に相続させることとした理由は、原判決がいうような「時間の切迫」などではない。

原判決は、同税理士において「八億円の借金そのものの存在を極めて疑わしいと思っていた。」(同人の証人尋問調書三一丁裏ないし三二丁表)及びこういう借用証を証拠としても「すぐに(税務署の)調査になる」と思っていた(同証人尋問調書三三丁裏)との認識をもっていた点を看過するか、あるいはことさら無視して、かかる同税理士の心理状態には、一言も言及することなく、認定を急いでいるものである。

同税理士は、この時点では、明らかに「逃げ」の態勢であったのである。八億円もの債務の計上が、ほぼ間違いなく架空の計上であろうと想像し、税務署の調査があればたちどころに架空の債務計上であることが発覚してしまうと思い、脱税の共犯となることを恐れて、この申告手続きから離脱したいものの、過去からの行きがかり上それもできず、逡巡していることが明らかであって、かかる心理状況から、同税理士は、納税義務者である被告人らに対し、詳細を説明することなく、純資産のみを二分の一とする方法を採用したものと考え、しかも、被告人らに対して、詳しい説明をすることを避けていると考えるのが妥当である。

七 遺産分割協議書の有効性について

1 原判決は、被告人及び仁宏は、不十分ながらも、本件遺産分割協議に有効に加わり、被告人らの関係においては、遺産分割協議が有効に成立したものとした。

ところが、孝子においては、遺産分割協議書の内容について全く理解していなかったものと認定せざるを得なかったことから「その内容を検討することなく、また、被告人または仁宏から詳細な説明を受けることもなかったものの」と述べ(判決書八丁表)、これは、判決書の一二丁表においても「被告人らから本件遺産分割協議書を示され、署名押印を求められた際にも、被告人らの判断を信頼してこれに署名押印した」と述べている。

こうして、原判決は孝子が直接この遺産分割協議に関与していた証拠がないことから、やむなく「委任」という概念を持ち出した上「孝子は、被告人に対して、本件遺産分割協議を求めて本件申告手続きに関するすべてを委任していた」とし(判決書一二丁表)、孝子の直接の関与はないものの、被告人を代理人として、本件遺産分割協議に有効に関与していたものと認定している。

委任するに至った理由付けとしては「被告人や仁宏はいずれも四〇歳代の会社経営者であった一方、孝子は既に七〇歳近い高齢であった上、夫に先立たれて精神的に困憊していたものと考えられることからしても、十分首肯できるところである。」と述べている(同一二丁表)。

2 しかしながら、この「委任」論は、法的効果が孝子に帰属するとの結論を引き出すための詭弁にすぎない。

孝子は公判廷においても、あくまでも亡夫の遺産の分割については、法定相続分に従って承継するものと考えていた旨、明確に証言しており(同女の証人尋問調書四丁裏)、被相続人の配偶者であった孝子が、相続財産の二分の一を相続するものとして認識していたというものであった。

この、孝子の相続分については、相続財産の二分の一という数字に、若干の誤差が生ずることは許容するとしても、まさか積極財産の一〇パーセント程度しか相続しないということまで、被告人に委任していたとはとうてい考えられないのである。

孝子による、被告人に対する委任契約が存在していたとしても、その委任契約には、ことの性質上、また、当時の委任者である孝子の意思に照らし、法定相続分という内部的な制限を伴う委任であって(同女の証人尋問調書一八丁裏)、本件では、その制限をはるかに越えている上、孝子においては、亡夫において、八億円もの巨額の債務負担があったと仮装されているとは、夢にも思っていなかったものであり、遺産分割協議書に目を通すことさえしていなかったため、被告人及び仁宏がそれぞれ四億円づつ債務を承継することとなっていたことも知らなかったものであるから、原判決が述べるような、最初に委任をしていたのであるから、受任者である被告人においてなした行為の法的効果が、全面的に孝子に帰属するとの考えは、とうてい採用し得ないものである。

百歩譲って、孝子が、遺産分割協議や本件申告を被告人に委任していたと仮定しても、それは「法定相続分に従って」手続きが進行することを委任していたのみであって、孝子において「たとえいかなる内容の遺産分割であっても、被告人においてなしたるものを承認する。」との趣旨にでたものでないことはあきらかである。

判決書においても「一方、孝子は、被告人や仁宏を信頼し」と説明しているところであって(判決書一二丁表一行目)、ここにいう「信頼」とは、まさに同女の要望どおり、法定相続分に従っての遺産分割の趣旨以外には考えられないところである。つまり、孝子が被告人に委任していたとしても、それは、いかなる行為でもかまわないとの意思ではなく、法定相続分に準拠した分割であれば承認するというものであり、これを大きく逸脱すれば、当然被告人に対して、異議を申し立てるつもりだったと認められる。

八 原判決の大きな勘違い

1 原判決の判決書のうち(事実認定の補足説明)第六項(一四丁裏)は、意味不明である。ここでは、当職において、尾池税理士が決定した本件分割方法が、極めて異例のことであると主張したことに対し、判決書において「本件のように多額の債務がある場合には、その債務を妻に相続させるよりは、働き盛りの被告人らにおいて相続させ、その債務を処理させる方が、より自然な方法であるということもできる。」とし、被告人らが、遺産分割協議書の内容を熟知していたのであるから、その責任は被告人らが負うべきであるとする。

しかし、右債務はもともと架空のものであるから、この債務の処理を担当する者が、被告人らのように働き盛りであるか、孝子のように老人であるかは、何の関係もない事柄であるし、同税理士においても、前述のとおり、この八億円が架空のものであることが、ほぼ確定的に察知していたものであるから、原判決の指摘は、何ら意味を持ち得ないものである。

これが、もし、同税理士において、間違いのない債務であると認識されており、かつ、被告人らにおいても同税理士に、架空債務を看破されずにすんでいると認識していたのならいざ知らず、同税理士においては、確定的に察知し、被告人らにおいても同様に、同税理士が架空性を認識していると思っていたもので、双方共が内心を隠して書類を作成した事案であり、原判決の指摘は、失当である。

2 原判決は、しきりに相続税の申告を行った後の被告人らの行為について言及し、その中でも、もし、遺産分割協議が無効であるならば、本来の意思に合致した不動産の相続登記を行うべきであるのに、これを行っていないことをもって、遺産分割協議の有効性の論拠としている。

しかしながら、弁論において既に主張しているとおり、本件の実行行為は、内容虚偽の相続税の申告書を税務署長宛に提出したことで完了しており、それ以後の事象をもって、本件の正否を論ずることはできないものであるし、登記手続きを済まさなかった理由についても、被告人は合理的な説明を施している。

このような原判決の理由付けには、到底承伏できない。

第二 原判決で、言い渡された懲役一年一〇月、罰金三、〇〇〇万円の量刑は、被告人が第一事実及び第二事実の合計の約四億円を、脱税したとの事実を前提として課せられている。

被告人がほ脱した税額は、前述のとおり、遺産分割協議書の提出が無く、法定相続分で相続したことを前提としての約二億円にとどまるものであり、かかる前提事実を欠く量刑は、不当であって破棄を免れない。

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