大阪高等裁判所 平成8年(ネ)1800号 判決 2000年12月22日
控訴人(亡安宅令司承継人)
安宅秀中(X)
(ほか64名)
上記控訴人ら訴訟代理人弁護士
林弘
(ほか21名)
被控訴人
和歌山県(Y2)
上記代表者知事
木村良樹
上記指定代理人
下村眞美
(ほか10名)
被控訴人
関西電力株式会社(Y1)
上記代表者代表取締役
小林庄一郎
上記訴訟代理人弁護士
俵正市
同
坂口行洋
主文
一 本件各控訴(ただし、<1><イ>控訴人榎本操子については、原審原告榎本清一及び同人を承継した控訴人榎本節子の各死亡に伴う、控訴人榎本清己及び同木村召子については原審原告榎本清一の死亡に伴う、<ロ>控訴人植野康子、同植野真行及び同植野訓志については原審原告植野和夫の死亡に伴う各訴訟承継に基づく請求、<2>控訴人安田菊夫、同福本充男及び同福岡茂並びに控訴人山口文吾についてはいずれも当審において、請求の減縮を行った後の請求)をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第三 当裁判所の判断
一 当事者、本件洪水時の本件ダム操作状況等は、原判決の理由第一及び第二、一1記載のとおりであるからこれを引用する。
二 運転監視記録(〔証拠略〕)の信用性について
1 控訴人らは「原判決の本件ダムの操作状況についての認定は、運転監視記録(〔証拠略〕)に基づきなされたものであるが、同監視記録は改竄されており信用できない。本件ダムの水位を操作すれば、流入量・放流量についても操作でき、辻褄を合わせることも可能である。日置川流域の多数の住民の水位に関する目撃証言などに照らすと運転監視記録は勿論、被控訴人関電管理の水位観測所の測定結果原本(〔証拠略〕)や、被控訴人県が管理する下流の安居水位観測所の測定結果原本(〔証拠略〕)は、いずれも偽造・改竄されたものであることが明らかである。」旨主張する。
2(一) しかし、右運転監視記録は、本件ダムやその上流に設けられた雨量観測所及び水位観測所から送信されてくる雨量及び水位のデーター、ゲート開度の各データーを基に流入量や放流量をコンピューターで計算し、これらをいずれも即時自動的に印字していくシステムによって作成されたものである。右過程に人為の介在する余地はないから、記録そのものをすり替える等しない限り、改竄をなすことは不可能である(〔証拠略〕)。
(二) しかも、右監視記録に現れた放流量の変動状況は、本件ダム下流に設けられた安居水位観測所や宇津木水位観測所の水位変動状況と合致している。これらの水位観測所の観測データーは、機械により自動的に記録されるものであるうえ、特に安居水位観測所は、被控訴人県が管理する施設であって、ここで収集されたデーターは自動的に田辺土木事務所監視局に送付され、これを基に水防対策が採られ、本件台風の際にも、右データーを基に同土木事務所長が水防警報を発令するとともに、報道機関等に対し、水位データーが適宜公開されていた(〔証拠略〕)のであるから、このような水位データーに改竄がされるとは考え難い。
(三) 以上のとおり、運転監視記録は、その作成過程等から考えて、偽造・改竄の余地はほとんど考えられず、しかも前記(二)で述べた理由から信用性が高いと考えられる安居水位観測所の水位観測記録とも符合しているのであるから、その信頼性は極めて高いものと考えられる。
3(一)(1) 控訴人らは「安居水位観測所の水位データーと、運転監視記録の放流量を比較検討すると、放流量が少ない17日の最大放流の際の伝播速度の方が、放流量が多い19日の最大放流の際の伝播速度を上回るといった逆転現象を生じていることが分かり、右事実から安居水位観測所の水位データー並びに運転監視記録の放流量が改竄されたものであることが裏付けられる。」旨主張する。
(2) しかし、17日の最大放流がなされた時刻は18時33分ころ(〔証拠略〕)であり、同日の安居水位観測所における水位のピークは21時05分ごろ(〔証拠略〕)とみるべきあり、このように見れば伝播速度の逆転現象が生じているとはいえない。
(3) 控訴人らが19日と17日でデーターの読み方を変えたため、右逆転現象が生じたものと推認でき、このようなデーターの読み方は誤っているので、控訴人らの主張は前提を欠き採用できない。
(二)(1) また、控訴人らは「安居水位観測所における水位から算定される同地点での最大流量(毎秒3636.8立方メートル)と、本件ダムの最大放流量(毎秒2660.7立方メートル)との間には毎秒976.1立方メートルの流量差が認められ、本件ダム地点と安居水位観測所地点との間で毎秒976.1立方メートルもの水が新たに加わったことになるが、右区間でこのように大量の水が加わることは考えられないから、運転監視記録に記載された放流量が虚偽であることを裏付けている。」旨主張する。
(2) 控訴人ら主張の、安居水位観測所での最大流量は<1>河積×<2>平均流速という計算式から計算したものである(〔証拠略〕)。そして、右<2>の平均流速は水位と平均流速の相関表(〔証拠略〕)から導き出された推測値であることが認められる(〔証拠略〕)。
(3) しかし、同相関表は水位7メートルまでの調査を基に作成された(〔証拠略〕)ものであって、本件洪水時のように最高水位が約17メートルにまで達する(〔証拠略〕)場合に妥当するものであるとは考えがたい(〔証拠略〕)等の問題点があり、これを基に算出された安居水位観測所における最大流量は必ずしも正確であるとはいえない。
(4) 運転監視記録の放流量の増加状況は安居水位観測所での水位の上昇状況などとも対応している以上、右最大流量を基に運転監視記録の放流量が事実に反しているなどということはできない。
4(一) 確かに、運転監視記録の放流状況や安居水位観測所で記録された水位とは異なる多数の住民の目撃証言(陳述書を含む。)が存在し、特に証人川根保平や控訴人山本清一らの供述内容(陳述書を含む。)等は相当具体的なものである。
(二) しかし、前記のとおり安居水位観測所の水位データーが改竄されるとは考えがたい。そして、同データーによると、安居地点では平成2年9月19日早朝から常時水位が10メートルを超え、同日9時以降翌20日午前0時まで徐々に水位が上昇し、放流量が増えていった経過が現れており、同様の経過は宇津木地点でも認められる(〔証拠略〕)。
(三) これに反する右目撃証言等は、客観性に欠けているうえ、原判決の理由、第二、一2(三)で指摘されているとおり、供述自体に一貫していない点や、不合理と思われる点が認められるから、本件ダムに対する反感や、他の者の供述に影響を受けて思い違いをしている可能性を否定できず直ちに信用することができない。
(四) したがって、右目撃証言等を根拠に運転監視記録が偽造・改竄されたものであるということはできない。
5 また、国土問題研究会殿山ダム水害調査団作成の「日置川ダム水害調査報告書・改訂版」等の調査報告書(〔証拠略〕)は、前記目撃証言が正しく、運転監視記録や安居水位観測所の水位観測記録は偽造されたものであるとの前提で作成されているが、前記のとおり、これらの目撃証言は直ちに信用できないものであるうえ、同調査報告書で運転監視記録や安居水位観測所の水位観測記録が改竄された証左である旨主張されているデーターの矛盾、即ち、<1>伝播速度の逆転現象や、<2>残流域流量の異常な増加が根拠のないものであることは既述のとおりであるから、同調査書を基に運転監視記録に改竄があるなどということはできない。
三 本件洪水時においても日置川の従前の洪水調整機能は維持されていたものと認められること
1 芦田和男作成の鑑定書(〔証拠略〕)が信用できること
(一) 被控訴人関電が私的に鑑定を依頼した河川工学の専門家である京都大学名誉教授芦田和男(以下「芦田」という。)は、当審における証人尋問及び同人作成の鑑定書(〔証拠略〕)において以下のとおり意見を述べている。
(1) 本件洪水時において、本件ダムでは本件操作規程に定められた30分以上の遅らせ放流を行い、本件ダムが無かったと仮定した場合に比べ、本件ダム地点での最大流量を減少させ、かつ、洪水伝播時間も遅らせているので、河川の従前の機能を十分に維持している。
(2) 本件洪水時において、本件ダムがなかったと仮定した場合に比べて、下流の各地点における最高水位・最大流量はいずれも低減しており、本件ダムは下流各地点での洪水量を軽減した。
(二) 芦田は、河川が従前の洪水調整機能を保持しているか検討するうえで重要なのは<1>ダム築造に伴う貯水池部分における自然河道との洪水伝播の差が遅らせ操作により解消できているか、<2>ダムの放流量に下流域からの流出量が加わったものが、下流域における流量及び水位を悪化させていないかという2点にあり、特に後者の点(<2>の点)が重要であるとする。そして、後記(三)(四)の手法を用いて本件ダムがない場合の洪水伝播を推測し、本件ダムが存在する場合とない場合を比較して前記結論を導き出している。
なお、芦田は後記計算において、運転監視記録に記載されたデーター、本件ダムの上流下流の各観測所における雨量、水位、潮位を既知の数値と扱っている。
京都大学教授で国土問題研究会代表者である証人奥西一夫は、当審における証人尋問及び前記調査報告書等において、この点を批判し、芦田鑑定に対する批判の主たる柱とするが、運転監視記録等が信頼でき、同批判が当を得ないものであることは、既に述べたとおりである。
(三)(1) ところで、芦田は等価粗度法を用いて流域の降雨が日置川に流入していく過程を計算する。右等価粗度法とは、<1>降雨が地表(表面流)及び地中(中間流)を通って斜面に沿って河川に流入する過程と、<2>河川に流出した雨水が河道を流下する過程を解析する計算手法である。
(2) 芦田は、日置川流域を43の地域に区分したうえ、地形図を基に斜面及び河道をモデル化して、それぞれに対応した基本的な計算式を作り、雨量観測所における測定雨量を基にティーセン法を用いて計算した当該地域における平均雨量に従い、<1>斜面部分については各流域に応じた等価粗度を用いて表面流量及び中間流量を計算し、<2>一方、河道の流量については平均流速公式を基に流下状況を再現している。
(3) そして、芦田は、雨量及びその流入量が判明しているダム上流域で、右計算が正しいか否かを検証し、その計算方法に誤りがないことを確認したうえ、これを下流域の流量計算に応用している。
(四) さらに、芦田は右によって計算された下流域における流量計算の正確性を検証するとともに、下流域河道での洪水伝播計算の精度を高める目的から、本件ダム下流の日置川本流河道部分のみを取り出して、上流端条件をダム放流量、下流端水位を潮位と設定したうえ、中間域での流量については右流量計算の結果を採用し、氾濫部については仮想湛水池と設定し、河道内の植生・河床砂礫の粒径等による流れの阻害及び河川の湾曲による流れの阻害を粗度係数として考慮して、運動方程式(ダイナミック・ウェーブ法)を用いて、河道の流量、水位の時間的変化を把握し、宇津木、安居地点の測定水位と計算水位を比較したところ、水位変化に近似性が得られたため、前記(三)で行った流量計算、右運動方程式による流量計算の正当性が裏付けられたものとしている。
(五) そして、芦田は右(三)・(四)の計算結果から本件ダムが洪水伝播に与えた影響について以下のように評価し、前記(一)の結論を導き出している。
(1) 本件ダムで流量に等しい放流を続けた場合、洪水ピークの発生が自然河道に比べて約10分早く、流量が毎秒25立方メートル多くなるが、現実には30分以上の遅らせ放流が行われ、ピーク流量の発生時期を遅らせて貯留したことにより、ピーク時の最大流量が毎秒180立方メートル低減されている。
(2) 本件ダムの存在によって、下流域の各地点の水位が約10ないし40センチメートル下がり、ピーク流量も毎秒150ないし250立方メートル減じられており、本件ダムの放流によって下流の洪水量を高めておらず、本件ダムがなかった場合に比べ洪水量を低減したものと認められる。
(六)(1) 以上のとおり、芦田鑑定は、等価粗度法あるいはダイナミック・ウェーブ法を用いて日置川の流量を推定し、本件ダムが洪水伝播に及ぼす影響を解析するという科学的な解析方法を用いたものである。しかも、採られている手法は、これらの計算において一般的に用いられているものであるうえ、その都度実測値と合致するか確認しながら適用しているので、その信頼性は相当高いものであると認められる。
(2) また、原判決別図第2の流量に記載されているとおり、本件洪水時の放流量はそのピーク時における放流量はもとより、その総量(特に毎秒1000立方メートルを超える部分。)においても、流入量を下回っていることが明らかであるから、下流域の水位、流量共に本件ダムがない場合に比べて低下するのは当然であり、この点からみても前記芦田鑑定の結論は合理的で、充分に信頼できるものであると考えられる。
2 芦田鑑定に対する批判が当を得たものではないこと
(一) 控訴人らは「芦田鑑定は等価粗度の選択や、降雨損失の設定等が恣意的で、計算結果が実測値に合うよう係数を操作した辻褄合わせの鑑定に過ぎず、その信用性は低い。」旨主張する。
(二)(1) しかし、芦田鑑定は、前述のとおり、運転監視記録に記載されたデーター及び各観測所における雨量、水位、潮位が正確なものであるとの前提に立ち、必要なデーターが全て揃った本件ダム地点並びにその上流で作った計算式を基に、データーの限られた下流域での本件洪水時の状況を再現推測するという方法を採用している。そして、右基礎とされたデーターの信用性が高いものであることは既に繰り返し述べているところであるから、その思考方法は科学的かつ合理的なもので、その精度は高いものと認められる。
(2)<1> 証人奥西は「自然現象はなだらかなカーブを描くのが通常であるのに、芦田が累計雨量が350ミリを超えた時点で、突然降雨喪失がゼロになる旨の特異な扱いをしているのは、運転監視記録のデーターに合わせるための工作であり、芦田鑑定が係数等を操作した数値合わせのものでしかないことの証左である。」旨主張する。
<2> しかし、証人奥西らが前提とする運転監視記録のデーターが偽造されたものであるとの立場が採れないことは前述のとおりである。流量計算等を行う場合、瑣末な点を捨象し、事象を概括的に捉えることはやむを得ないところであり、芦田の考え方は工学上通常一般に用いられているものである(〔証拠略〕)。芦田は過去の類似のケース及び今回の上流部での降雨と流入量の実測値を基に降雨損失率を算出しており、右算出方法に不合理な点は認められない。
<3> そもそも、芦田が降雨損失を採用したのは、流入量データーがない下流域における流量を雨量から推測することに目的があり、芦田の用いた降雨損失が上流域での実測値に沿ったものである以上、これにより下流域における降雨損失を推測し、日置川への流入量を推測することは合理的であって、正確性も高いといえる。
(3) 等価粗度の数値選択についての批判も、芦田は類似の地形・状況の下で一般に使われている数値を、現実の日置川の各地点の状況に応じて、統計的に許される限度で修正して用いており、合理的であるから、控訴人らの批判は妥当しない。
3 本件洪水時に、本件ダムの存在が洪水の発生や、被害の拡大に寄与したとは認め難いこと
(一)(1) 芦田鑑定によれば、本件ダムが存在しなかった場合に比べ、日置川の下流の各地点での本件洪水時における最高水位・最大流量はともに低減しているものと認められる。
(2) 右事実によれば、本件ダムが仮になくても本件洪水は発生したものであり、むしろ、洪水の規模が本件ダムの存在によって多少なりとも軽減されているものと認められる。
(二) 控訴人らは「本件洪水時に1時間を超える遅らせ放流が行われたことによって、放流量の増加割合が流入量の増加割合を上回り、その結果、洪水の破壊力を増すとともに、ダムによって人工的に作り出されたヘドロを下流に流出させて、控訴人らの被害を拡大しており、本件ダムの存在が、本件洪水及びその被害の拡大につながっていることが明らかである。」旨主張する。
そして、証人奥西らが作成した「日置川殿山ダム水害調査報告書」改訂版(〔証拠略〕)には右控訴人らの主張に沿った意見が述べられている。
(1) しかし、証人奥西らの意見は、既述の<1>伝播速度の逆転現象についての指摘や、<2>残流域流量の異常な増加等の指摘からも明らかなとおり、不合理な指摘も認められるのでそのまま採用することはできない。
(2) ところで、本件ダム貯水池への雨水の流入量とその放流量の関係は、原判決別図第2の流量に記載されているとおりである。
<1> 「日置川殿山ダム水害調査報告書」改訂版(〔証拠略〕)には「放流量の増加速度が洪水破壊力の増大を招く。」旨の記述が認められるものの、そのメカニズム等に関する具体的説明は見あたらない。
<2> 水の破壊力は主として流量により決せられるものと解され、放流量の増加割合が高まると、これが下流部の流量に影響を与えることが予想されるものの、<イ>放流量の増加割合は、流入量のそれの最大でも2倍にまでは達しておらず(〔証拠略〕)、<ロ>それぞれの瞬時における放流量は流入量を常に相当程度下回っているうえ、<ハ>本件洪水に直接影響を与えたと考えられる19日18時以降24時までの間の総放流量も総流入量を大きく下回っているから、流量の増加割合の増大が、下流部における洪水の拡大に寄与したとは考え難い。
<3> そして、芦田鑑定のダム下流部の各地点の水位・流量変化の試算(〔証拠略〕)においても、本件ダムの放流によって、本件ダムが存在しない場合に比べて急激な水位の上昇や流量の増加は出現していない。したがって、急激な放流量の増加のために水位の急上昇を招き、下流住民の避難を困難ならしめて洪水被害の発生・拡大を招いたなどとは認められない。
(3) また、「日置川殿山ダム水害調査報告書」補充書(〔証拠略〕)には「殿山ダム内の沈下土壌と、平成9年の洪水後に田野井地区に堆積していた土壌との間に同一性が認められる。このことから、本件ダム底に貯まっていたヘドロが、本件洪水の際に大量に流下して被害を拡大したことが裏付けられる。」旨の記載がある。
<1><イ> しかし、洪水時には川に流れ込む水の量が激増するため、各所から大量の土砂などが川に流されてくるものと考えられるから、本件ダム底の沈殿物と洪水後に残された堆積物の成分が同一であるからといって、それのみでは右堆積の原因が本件ダムにあるとまではいえない。
<ロ> むしろ、本件ダムの存在は流下してくる土砂等を貯水池内に沈殿させて、その流下を防止する作用も営むものと解される(証人芦田の供述)うえ、後述のように、控訴人らが本件ダム底に大量のヘドロが堆積し、水深が浅くなっていると述べる前提にも疑問がある。
<2><イ>ところで、同補充書(〔証拠略〕)には「毎秒2000立方メートルを超える放流がなされた場合、ヘドロによる深刻な被害が生じる。」旨記載されているが、その根拠の詳細は明示されていない。同補充書の趣旨からすると、前記堆積物の同一性のほか、本件ダム底に大量のヘドロが堆積しているとの前提のもと、巻き上げ効果により、右ヘドロが下流へと押し流されるものと考え、大量放流の際に日置川に濁りを生じるのは、その証左と考えているものと認められる。
<ロ> しかし、大量放流の際の濁りの原因は、本件ダムに流入する水自体の濁りや、流量の増大に伴う流下途中での土砂等の混入なども考えられる。確かに、ダム底に大量のヘドロが貯まって水深が浅くなっている場合には、巻き上げ効果による影響も考えられるが、控訴人らの水深の計り方には疑問があり、実際には本件ダムには相当の水深が確保されているものと認められる(弁論の全趣旨)から、放流の際に下流に流れ落ちるのが表面に近い部分を流れる水である点をも考慮すると、放流の際、本件ダム底に堆積したヘドロが大量に巻き上げられて、下流部に流れ落ちたと考えることには疑問がある(証人芦田の供述)。
<ハ> また、多少の流下は考えられるとしても、前記のとおりダムの存在により、上流部から流下してきた土砂等が、下流に流下することを防ぐ効果も認められるから、本件ダムの存在により洪水時の流下量が増大しているとはいいきれない。
<ニ> そもそも、本件ダム設置前に比べ、下流部に堆積するヘドロの量が客観的に増大しているといえるか疑問であるうえ、仮に右増加が見られるとしても、日置川本支流を取り巻く周辺の環境が変わっている以上、その原因が本件ダムにあるとはいいきれない。
(三) 以上によれば、本件洪水時に本件ダムの存在が本件洪水の発生及び被害の拡大に寄与したとはいえない。
四 被控訴人関電には本件洪水についての責任があるとはいえないこと
当裁判所が被控訴人関電に民法709条、715条、717条の各責任がないと判断する理由は以下に付加するほか原判決の理由も第二、一、3、(四)、二、三(原判決112頁7行目から同125頁末尾まで)に記載されているとおりであるのでこれを引用する。
1(一) 前記三で検討したところによれば、本件洪水時、日置川の洪水調整機能は減殺されておらず、本件ダムの設置及びその管理のため、本件洪水が発生したとか、被害が拡大したとはいえない以上、本件洪水は日置川が元々有していた洪水の危険が顕在化したものであるといわざるを得ない。
(二) そうすると、河川の管理者でもなく、本件ダムの存在が本件洪水の発生及び拡大に寄与した訳でもないのに、被控訴人関電が本件洪水に対して法的責任を負うというためには、被控訴人関電が従前の河川の機能の維持を超えた積極的な洪水回避義務等を負うといえなければならない。
(三) しかし、以下に述べるとおり、被控訴人関電がそこまでの責任を負うとはいえない。その理由は以下のとおりである。
2 河川法が利水ダムの設置・管理者に対して課する義務
(一) 河川法2条は河川管理者が河川を適正に管理するよう義務づけ、同法1条は災害の防止などと共に、河川の適正な利用が河川管理の目的である旨定義している。
(二) そして、同法44条は河川管理者の許可(同法26条1項)を受けてダムを設置する者が洪水時における河川の従前の機能を減殺することがないよう、河川管理者の指示に従って必要な施設の設置又はこれに代わるべき措置をとるよう義務づけている。
(三) また、同法52条は洪水による災害の防止又は軽減のため、洪水による災害が発生し、又は発生するおそれが大きいと認められる場合には、河川管理者がダムの設置者に対し、例外的に必要な措置をとるよう指示することができる旨規定している。
(四) 以上によれば、河川法は、治水に対し責任を負うのは河川管理者であるとの前提のもと、河川の一部分の利用者に過ぎない利水ダム設置者には<1>当該ダムの設置に伴い洪水発生の危険が高まることを防止する義務、<2>緊急時に河川管理者の指示に従って積極的に治水に協力する義務を負わせるのみで、これを超えて、積極的に洪水を防止すべき法律上の義務まで負わせていると解することはできない。
3(一)(1) 控訴人らは「右河川法は行政法規に過ぎず、被控訴人関電と日置川下流域に居住する控訴人らとの関係は別途論じられるべきである。被控訴人関電はダムという危険物を設置しているのであるから、その設置・管理に高度の注意義務を負うべきである。」旨主張する。
(2)<1> しかし、前記のとおり、本件ダムが本件洪水の発生及び被害の拡大に寄与したとはいえず、被控訴人関電が下流域の住民に対する関係で危険物を設置したとはいえない。
なお、控訴人らは「本件ダムの設置以降、洪水が頻発しており、本件ダムが河川の機能を害する危険物であることが明らかである。」旨主張する。
仮に洪水の頻度が増加したことが事実であっても、本件ダムが右洪水頻発の原因であるといえるためには、降雨量、日置川本支流への流入量等の条件が同一であるのに、洪水回数が増加したといえなければならない。しかし、これらを比較検討すべき証拠はないから、本件ダムのために洪水が頻発するようになったとはいえない(ちなみに、昭和33年の大災害の際には毎秒4200立方メートルという異常な流量であった(〔証拠略〕)。)。
<2> したがって、被控訴人関電に対し、本件洪水発生の責任を負わせることは河川の治水に責任を負わない者に、その責任を負わせることになるので相当とはいえない。
<3><イ> 確かに、控訴人らが指摘するように、溢水の直接の原因となっているのは本件ダムから放流された水であり、本件ダムに治水的機能を持たせた場合には、本件洪水を回避し、少なくとも溢水の規模を減少させられた可能性がないとはいえない。
<ロ> しかし、右ダムから放流された水は、本件ダムが存在しなくても当然上流から流下してくるものであって、前述のとおり、本件ダムから放流された水量は、その場合の水量を上回るものではない。しかも、河川の従前の機能の維持を超える積極約な治水機能を果たそうとする場合には、それに伴う危険・弊害も考慮しなければならない。
<ハ> そのような判断は、当該河川のみならず、その周囲の状況や、今後の気象変化の予想等を総合的に考慮しておこなわなければならない。しかも、判断を誤った場合には、かえって損害を拡大する危険もある。したがって、河川全体の治水に責任を負わない者に対して期待し得るところではない。
<ニ> だからこそ、河川法も利水ダムの設置・管理者に対しては、洪水時における河川の従前機能の維持を求め(同法44条)、河川管理者から承認されたダム規程を遵守するよう要求し(同法47条)、緊急時に河川管理者の指示に従って治水に協力する義務を負わせる(同法52条)に止まっているものと解される。
<ホ> そうすると、控訴人らの指摘の点から被控訴人関電の責任を問うことはできない。
(二) 控訴人らは「河川法48条はダムの設置・管理者に対し、放流に伴う危害防止のため、放流を地域住民に周知徹底するよう義務づけているところ、本件洪水時にはゲート4門目開放以降の警報がなされておらず、そのことが被害の拡大につながっており、不法行為責任を構成する。」旨主張する。
(1) ところで、河川法48条がダムの設置・管理者に対し、一般への周知のための措置を要求しているのは、ダム管理者が人為的な放流により水位の上昇等の危険を作出することに照らし、それに伴う危害の発生を防止することにあるものと解される。
(2) 一方、河川法44条は、前述のとおり、洪水時の放流は河川の従前の機能を損なわない限度でなされなければならないとの立場を取っており、仮に放流の結果洪水が生じたとしても、それは河川本来の危険の発現であり、これに直接責任を負わない利水ダムの設置・管理者に対し、その被害が予想される河川周辺の住民に対する周知義務まで課しているとは考え難い。
(3) しかも、放流による洪水発生の危険の通知に関しては、別途、河川法46条が設けられているから、河川法48条に規定された「一般への周知措置」とは、河道内での水位の急激な上昇を念頭において、河道内にいる河川利用者の危害除去を予定した規定と解すべきである。
(4) また、仮に、「一般への周知措置」の対象として周辺住民が含まれるとしても、控訴人らが主張するような周知徹底義務まで負うとはいえず、被控訴人関電は右義務を尽くしているものと評価できる。その理由は原判決の理由、第二、一、3、(四)、(3)のうち、117頁5行目の「それに」から118頁5行目まで及び同第二、二、3、(三)(原判決122頁10行目から123頁9行目)に記載されたとおりであるからこれを引用する。
4(一) 以上みてきたとおり、利水ダムの設置・管理者に過ぎない被控訴人関電に、洪水時における河川の従前の機能の維持を超える法的責任を負わせることはできず、本件洪水時、日置川の従前の機能が維持されていたといえることは既に述べたとおりである。
(二) 一方、控訴人らが民法709条、715条、717条の責任根拠として主張しているところは、被控訴人関電が洪水時において、河川の従前の機能維持を超えた法的責任を負うとの前提に立たなければ成り立ち得ないものであるから、いずれも理由がない。
五 被控訴人県に本件洪水についての責任があるとはいえないこと
当裁判所が被控訴人県に国家賠償法1条1項、2条1項(3条1項)に基づく責任がないと判断する理由は、以下に付加するほか原判決の理由第三(原判決126頁冒頭から137頁末尾まで)に記載されているとおりであるからこれを引用する。
1(一) 本件洪水の際に日置川が河川の従前の機能を維持していたことは前述のとおりである。
(二) そうすると、本件ダムの存在及びその操作が本件洪水の発生及び被害の拡大に寄与したとはいえない。
(三) また、既述のとおり、被控訴人関電に対し、積極的な治水責任を負わせることはできないから、本件ダムの設置及び操作に関する許可・指導等の違法を理由とする控訴人らの主張はいずれも理由がない。
(四) なお、河川法52条に基づく指示等を出さなかったことが国家賠償法1条1項の違法を構成するかについての検討は別途行う。
2(一) 控訴人らは「従前から豪雨の都度洪水が発生する日置川の現状に照らすと、台風の上陸が確実視され、日置川周辺に大雨・洪水警報が発令された段階で、知事(実際上は被控訴人県の職員である土木部河川課長等)には河川法52条に基づき、予備放流等を指示すべき義務があった。」旨主張する。
(二) しかし、河川法52条は前記(原判決理由第三、一、5)のとおり、河川管理者に対して権限を付与する規程であって、指示を義務づけた規程であるとは解することができない。そもそも、利水ダムには積極的な治水を果たし得る機能が要求されていないことや、河川管理者が日頃これを直接管理している訳ではなく、適切な指示を行うことが事実上困難な場合が多いものと考えられる点等に照らすと、河川管理者が、同条に基づく指示を積極的に活用するよう期待されているとは考え難い。むしろ、同条は、河川管理者の広範な裁量権の存在を前提にしたうえ、利水ダムの設置者が公共用物たる河川を一定範囲で独占的に利用していることから、その社会的責務として、緊急時には河川管理者の指示に基づき洪水発生防止のために積極的に協力しなければならないことを明記した点に意義があると解するのが相当である。
(三)(1) 確かに、本件の場合、控訴人ら主張の予備放流の指示等がなされていれば、本件洪水を回避できた可能性があり得たことは否定できない。
(2) しかし、結果的には右のようにいえても、事前に降雨量や、本件ダム貯水池への流入量を的確に予測し、適切な指示をすることが容易であったとは考えがたい。
(3) 原判決別図第2の流域平均雨量、貯水位、流量の変化からも明らかなとおり、6門のゲートを全て開放せざるを得ない状況になったのは、19日17時から20時までの異常な降雨による。たとえ、台風の上陸が確実視され、大雨・洪水警報が発令されていたとしても、右のような、特異な降雨状況をたどることまで予測することは通常できない。
(4) そうすると、河川法52条に基づく指示が、前記のとおり緊急・例外的な措置であると考えられる点等を総合考慮すると、知事(実際上は、被控訴人県の土木部河川課長等)が、河川法52条の指示を行わなかったことが裁量権を逸脱した著しく不合理なものであるとは認められない。
3(一) 控訴人らは「本件は、河道内に許可構築物が存在し、そのために河川の洪水発生の危険が高まっている事案であるから、大東水害訴訟最高裁判決(最高裁昭和59年1月26日判決・民集38巻2号53頁)の射程の及ばない事案である。」旨主張する。
(二) しかし、右大東水害訴訟最高裁判決は「河川が本来自然発生的な公共用物であり、元々洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険を内包し、その安全性の確保は河川管理者が行う治水事業の実施により達成されていくものであるとの特殊性を有し、一方、右治水事業の実施には財政的、技術的、社会的制約を伴うことから、未改修河川又は改修不十分な河川の安全性は、いわゆる過渡的安全性で足りる。」旨判示したものである。
(三) 控訴人らが指摘するとおり、河川管理者は許可構築物が存在する場合、当該許可構築物の存在を所与のものとして、河川の安全性を確保しなければならない。しかし、既述のとおり、本件の場合、本件ダムの存在によって日置川が本件洪水時に河川の従前機能を失っていたとはいえない。そうすると、本件ダムの存在により日置川の洪水の危険性が高められたとはいえないから、その存在について特段の配慮をする必要はなく、自然状態の日置川に改修を実施し、その安全性を確保しようとしている場合と同視できる。したがって、前記大東水害訴訟最高裁判決の述べているところが、そのままあてはまることになる。
(四)(1) 確かに、日置川の改修計画が昭和36年に決定された後、既に本件洪水時まで30年余を経過していながら、河口付近(矢田地区)のみしか計画が完了しておらず、その間、本件洪水ほどではないにしても溢水を生じ、地域住民が早期の改修を度々要請してきた事実等が認められるので、改修計画の実施が相当遅れ、水害被害に苦しむ地域住民が憤りを覚えることにも無理からぬ事情のある事案であるということができる。
(2) しかし、右改修計画そのものに不合理な点があるとはいえないし、遅延の点についても、河川の改修には膨大な予算を要し、予算の配分は県議会が県民の諸種の要求を総合的に勘案したうえ、高度の政治的判断に基づき決定すべきものであるから、日置川が人口密集地とはいえない地域を流れる2級河川で、しかも、著しく蛇行しており、その改修には技術的・財政的困難を伴うものと認められる点等を考慮すれば、被害に苦しむ控訴人らのため、一刻も早い計画の完成が望まれるところではあるが、未だ右(1)の点のみでは、この種河川に一般的に要求されている安全性を欠いているとまではいえない。
4(一) 控訴人らは「田野井地区に設けられた樋門は、その設置の場所を誤っているために本件洪水時に日置川本流から逆流を防ぐことができず、損害の発生・拡大を防止できなかった。その他の被害地域にも洪水予防のための樋門が設置されていない瑕疵がある。」などと主張する。
(二) そして、前記奥西教授らの作成した「日置川殿山ダム水害調査報告書」補充書(〔証拠略〕)には「現状の樋門では日置川本流の溢水が始まる時点で田野井地域の内水位が本流と同じ高さになるため、溢流水がその上に上積みされる。仮に、右樋門が支流が日置川本流へと注ぎ込む地点に設けられ、かつ、正常に機能していれば、溢流水は田野井地域の低い所から徐々に貯まり始め、内水位がそれほど高くはならないので、溢水被害は相当低減されていたものと認められる。」旨の、右控訴人らの主張に沿う意見が述べられている。
(三)しかし、同補充書(〔証拠略〕)によると、従前、日置川は川沿いの低地に位置する農地を遊水地として利用し、下流部の被害を軽減するという方法の治水対策が採られてきたものと認められ、田野井地区等本件洪水の際に被害を受けた地域では、洪水時に水を徐々に流入させて下流域の被害を防ぐため、農地の下流側の堤防をわざと切ったり、堤防を低くする等の工夫がなされていたものと認められる。
(四) 日置川が未だ改修途上の河川であることは前述のとおりである。しかも、河川の改修には下流域から上流部に向かって徐々に統一的に実施されなければならない特殊性がある。したがって、改修計画自体に不合理な点が認められない以上、右計画に沿って下流域から河川の改修が進められることはやむを得ないところである。
(五) 田野井地区の樋門には被控訴人県がその設置の際に補助金を支出している事実が認められる(〔証拠略〕)。しかし、日置川の改修が未だ同地区にまで及んでいないことからすると、右樋門は日置川自体の改修とは別個に設けられたものであり、前記(三)でみた従前の日置川の管理形態等にも照らすと、同地区の改修工事が完了している訳ではないのに、右樋門で堤防をつなぎ、同地点で日置川本流からの逆流を防止することを目的として設置されたものであるとは認めがたい。そうすると、右樋門によって日置川本流からの逆流を防止できないとして、設置場所の瑕疵を論じることはできない。なお、右樋門は日置川町が設置・管理するものであり、被控訴人県は右管理の費用を負担していないので、管理の瑕疵について論じる必要はない。
(六) したがって、控訴人らの主張はいずれも理由がない。
六 結論
以上のとおり、被控訴人関電及び被控訴人県には本件洪水に対する責任があるとはいえない。
よって、原判決は相当であり、控訴人らの控訴はいずれも理由がないから棄却することとし主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井筒宏成 裁判官 古川正孝 和田真)