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大阪高等裁判所 平成8年(ネ)2947号 判決 1997年5月07日

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する(なお、被控訴人は、当審において、その請求の趣旨を、金二〇万円及びこれに対する平成八年五月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払請求に減縮した。)。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、建物賃貸借契約の終了が、阪神・淡路大震災により建物が滅失したことによるものである場合に、賃貸人である控訴人が、いわゆる敷引をすることの可否が争われた事案である。

一  争いのない事実(明らかに争わない事実を含む。)

1  控訴人と被控訴人は、昭和五一年八月三一日、西宮市甲子園浜田町一二番二に所在の建物(以下「本件建物」という。)につき、控訴人を貸主、被控訴人を借主として、次のとおりの約定で賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結した。

(一) 賃料 月額五万五千円

(二) 期間 二年間(但し期間満了の際、これを更新するものとする。)

(三) 保証金(敷金)一〇〇万円

天災地変、水火災等によって、家屋が損壊した場合は、賃貸人の負担とし、賃借人の帰責事由による火災焼失については、敷金は返還しない。 家屋明渡に際しては、敷金の二割引きした金額を返還する(以下「本件敷引条項」という。)。

2  被控訴人は、控訴人に対し、右保証金を本件建物の引渡を受けるまでに支払い、昭和五一年八月三一日、被控訴人は、控訴人から本件建物の引渡を受けた。

3  本件建物は、平成七年一月一七日に発生した阪神・淡路大震災によって倒壊する被害を受けて滅失し、被控訴人は、本件建物からの退去を余儀なくされ、本件建物を控訴人に明渡した。

4  ところで、本件賃貸借契約の二年間の契約期間が順次更新され、賃料も八回に渡り改定がなされ、阪神大震災当時の賃料は、月額八万八千円であった。

また、本件建物は、いわゆる文化住宅等のような共同住宅ではなく、一戸建てであり、交通の便としても阪神電鉄神戸線甲子園駅または久寿川駅から近く、閑静な住宅地の中に存在した。

5  控訴人は、被控訴人に対し、平成八年九月三日、本件敷引条項を適用して、保証金一〇〇万円の二割を差引いた八〇万円の返還をなした。

二  争点

敷引の可否

控訴人は、本件敷引金の法的性質は、本件建物の場所的利益の対価として、控訴人に交付された礼金と解すべきであると主張し、被控訴人は、本件の如き、阪神・淡路大震災により倒壊し、滅失して、家屋が残存せず、明渡の余地も必要もない場合には、本件敷引条項の適用はなく、保証金全額の返還をすべきであると主張する。

第三  証拠(省略)

第四  争点に対する判断

一  証拠(乙一)によると、本件賃貸借契約書において、保証金(敷金)は一〇〇万円(二条)、賃料を一カ月五万五千円(三条)、期間を昭和五一年八月三一日より二年間(但し期間満了の際これを更新するものとする。七条一項)、賃貸人、賃借人協議の上の賃料改定(一一条)をそれぞれ定めており、五条において、「賃借人が本契約を解除し物件を賃貸人に引き渡す際、賃貸人は、保証金(敷金)より控除すべきものがあるときは、それを控除した残額を返還する。」旨、七条三項において、「賃貸人に正当な理由が生じて本契約を解除する時は、賃貸人は賃借人に対して、保証金(敷金)を全額返還するものとする。」旨、一〇条において、「賃貸物件が天災地変、水火災等によって損壊した場合は、賃貸人の負担であるが、賃借人の帰責事由による火災焼失等については保証金(敷金)は賃借人に返還しない。」旨定め、特約条項として、「敷金の返済法 家屋明渡に際しては敷金の二割引した金額を返済する。」旨定めており、五条、七条三項、一〇条の各条項は、不動文字で記載されているが、これに対して敷引条項は「特約条項」との表題のもとに、手書きで、本件賃貸借契約書の末尾に記載されていることが認められる。

二  そこで、本件賃貸借契約書と前記争いのない事実とを総合勘案し、本件敷引の可否を検討する。

被控訴人が本件賃貸借契約締結に際して控訴人に保証金(敷金)として支払った一〇〇万円は、被控訴人の賃貸借契約上の債務の履行を担保することを主たる目的とするもので、賃貸借契約が終了し、被控訴人が控訴人に本件建物を明け渡したときに、賃料その他の債務不履行があれば、控訴人は、被控訴人に対し、その金額を控除した額を返還する義務を負うことを原則とするものである(五条)。

ところで、本件賃貸借契約書においては、右の原則として返還する金額について、例外として、全部または一部を返還しない場合のあることを定めており、まず、控訴人が正当事由による解約申し入れをする場合には、原則どおり、右返還すべき金額全額を返還することを定め(七条三項)、次いで、本件建物が天災地変、水火災等によって損壊した場合は、控訴人の負担であるが、被控訴人の帰責事由による火災焼失等については保証金(敷金)は被控訴人に返還しない旨を定め(一〇条)、最後に、契約書末尾に特約事項として、本件建物明渡に際しては、敷金の二割を控除した金額を返還することを定めており、これら本件賃貸借契約書上の各条項の文言、規定の体裁及び順序等からすると、本件建物が天災地変、水火災等によって損壊した場合の規定(一〇条)は、本件建物が被控訴人の責に帰すべき事由によらずに滅失した場合には、被控訴人の帰責事由のある場合の保証金(敷金)不返還の規定を適用せず、原則に戻ることを定めたものであり、この場合にも、特約条項として定められた本件敷引条項の適用があると解するのが当事者の合理的意思にそうものであって妥当な解釈であるというべきである。

そして、敷引条項により敷金から控除される金額は、一般に、賃貸借契約成立についての謝礼、建物の通常の使用に伴って必要となる修繕費用等さまざまな性質を持つものと思われるが、このような敷引条項も、その適用される場合や控除される金額等からみて、一方的に賃借人に不利益なものであるとか、信義則上許されず、また、公序良俗に反するものであるとかいう場合でない限り、有効なものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、本件賃貸借契約においては、地震等天災によって建物が滅失する場合をも予測したうえで、敷引条項が定められていること、阪神・淡路大震災によって本件建物が滅失したことによる被害は、賃貸人である控訴人、賃借人である被控訴人の双方とも等しく被っており、いずれか一方のみに損害が偏って生ずるというものではないこと、控除される金額は、敷金一〇〇万円の二割の二〇万円で、当時の賃料の約三・六倍であってさして高額ではないこと、本件賃貸借は、昭和五一年八月から一八年以上もの間継続していたものであること、本件建物は、一戸建てで、立地条件も極めて良い場所にあったことなどの事情が窺われるのであって、これらの事情を総合考慮すると、本件敷引条項は、阪神・淡路大震災によって本件建物が滅失した場合にも適用される条項として、有効なものというべきである。

被控訴人は、本件敷引条項に「家屋明渡に際しては」との記載があるところ、本件の如き、阪神・淡路大震災により、本件建物が、倒壊し、滅失して、建物が残存せず、明渡の余地も必要もない場合には、この特約条項の適用はない旨主張するが、本件賃貸借契約書記載の各条項からすると、右文言は、賃貸借契約が終了して賃借人が建物を退去し、賃貸人が建物に対する占有を回復するに至った場合を指すもので、建物の滅失によって賃貸人が退去し、賃貸人が滅失した場所に対する占有を回復した場合をも当然含むものと解するのが相当であるから、被控訴人の右主張を採用することはできない。

被控訴人は、「本件建物の南隣の建物の賃借人に対し、控訴人が、敷金三〇万円全額返還した上、七〇万円過大に支払っている旨、及び、控訴人は、被控訴人に対し、敷金返還交渉の際、全額返すと言った旨」各主張するが、控訴人が各賃借人と交渉して、建物明渡や敷金等の支払金額を定めたからといっても、それは、各賃借人との賃貸借契約の内容、建物損壊の程度、和解交渉の経過等それぞれの事情に即応して個別的にした取決めであって、各賃借人間で一様な合意ができるものではないことはいうまでもないし、敷金返還交渉の過程で一時出た発言をとらえて、本件敷引条項の趣旨を解釈することもできないから、これらの事実があるとしても右判断を左右するものではない。

以上によれば、控訴人が本件敷引条項を適用し、保証金一〇〇万円の二割に相当する二〇万円を控除したことは正当であり、被控訴人の右二〇万円の返還請求は失当である。

三  よって被控訴人の請求は、理由がないからこれを棄却すべきであり、被控訴人の請求を認容した原判決は相当でないから、これを取り消して、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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