大阪高等裁判所 平成9年(う)1142号 判決 1998年3月18日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人矢田部三郎作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
所論は、要するに、原判決は、被告人の本件預金の払戻について詐欺罪が成立するとするが、(1)本件での被欺罔者とされる判示泉州銀行金剛支店の窓口受付係Aには、財産上の被害者である日本システム収納株式会社の財産である本件振込金を処分し得る権能も地位もなく、また同社に代わって財産的処分行為をしたわけでもないから、騙取には該当しない、(2)仮に騙取に該当するとしても、被告人は、本件払戻に際し、誤って振込入金されたものであるとの認識はなかったのであるから、被告人には詐欺罪は成立しない、したがって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認、法令の適用の誤りがある、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、原判決挙示の各証拠によれば、原判示の詐欺の事実は優に認定でき、原判決には所論指摘の事実誤認、法令の適用の誤りは認められない。以下、所論にかんがみ説明を付加する。
本件は、原判示のとおり、税理士である仲村清一から被告人を含む顧問先からの顧問料等の取立事務の委託を受けていた日本システム収納が、手違いにより、本来仲村が受け取るべき顧問料報酬金合計七五万三一円を泉州銀行金剛支店の被告人名義の普通預金口座に誤って振り込んでしまったところ、これを知った被告人が、右入金分を含む金額である八八万円を右支店窓口において払戻請求をし、窓口受付係から現金八八万円の交付を受けた、という事案である。
所論は、詐欺罪が成立するためには、被欺罔者が錯誤によって何らかの財産的処分行為をすることを要するのであり、被欺罔者と財産上の被害者が同一人でない場合には、被欺罔者において被害者のためその財産を処分し得る権能又は地位のあることが必要であると解すべきところ、これを本件についてみると、被欺罔者とされる判示支店の窓口受付係Aには、財産上の被害者である日本システム収納の財産である本件振込金を処分し得る権能も地位もなかったのであり、また同社に代わって財産的処分行為をしたわけでもないから、被告人が本件振込金を騙取したものとはいえない、と主張する。
本件のような振込依頼人による誤振込であっても、振込自体は有効であって、振込先である預金口座の開設者においては、当該銀行に対し有効に預金債権を取得すると解されており(最高裁平成八年四月二六日判決・民集第五〇巻第五号一二六七頁)、したがって、誤振込による入金の払戻をしても、銀行との間では有効な払戻となり、民事上は、そこには何ら問題は生じない(後は、振込依頼人との間で不当利得返還の問題が残るだけである。)のであるが、刑法上の問題は別である。すなわち、原判決が(争点に対する判断)で説示するとおり、振込依頼人から仕向銀行を通じて誤振込であるとの申し出があれば、組戻しをし、また、振込先の受取人の方から誤振込であるとの申し出があれば、被仕向銀行を通じて振込依頼人に照会するなどの事後措置をすることになっている銀行実務や、払戻に応じた場合、銀行として、そのことで法律上責任を問われないにせよ、振込依頼人と受取人との間での紛争に事実上巻き込まれるおそれがあることなどに照らすと、払戻請求を受けた銀行としては、当該預金が誤振込による入金であるということは看過できない事柄というべきであり、誤振込の存在を秘して入金の払戻を行うことは詐欺罪の「欺罔行為」に、また銀行側のこの点の錯誤は同罪の「錯誤」に該当するというべきである(原判決の説明はやや異なるが、基本的な考えは同旨と思われる。)。
所論は、本件のような誤振込による入金の払戻にあって、財産上の被害者は振込依頼人であることを前提に論じているところ、確かに、民事上の法律関係を考えると、前示のように、誤振込であっても有効な入金であり、これに応じて払戻が行われても有効として扱われるのであり、残るのは払戻を受けた者と誤って振込依頼をした者との間での不当利得返還の権利義務関係だけであるということになるのであるが、これは余りにも民事上の関係にとらわれた考え方である。預金名義人を装って預金の払戻をした場合に、財産上の被害者を預金名義人ではなく払戻に応じた銀行であるとみる典型的なケースとで別異に解さなくてはならないような事情はなく、本件を端的にみれば、法律上(形式上)預金債権を有する者の請求に応じて払戻をした銀行が財産上の被害者であると解するのが相当である。
したがって、所論は前提を誤るものであって失当というべきであり、採用することができない。
所論は、被告人は、本件振込後の通帳の記載のうち残高欄のみに注目し、払戻請求をしたのであり、被告人には誤振込による入金であるとの認識はなく、欺罔の意思もない、と主張する。
確かに、被告人の原審及び当審公判における供述には、所論に沿うかのような供述箇所がないではないが、被告人は、他方では、誤振込による入金であるとの認識がなかったと必ずしも明確に述べていないばかりか、捜査段階では、右認識の点も含め、本件詐欺の事実を認めていたのである。しかも、関係証拠によると、そもそも当時の被告人の仕事等の状況からして、一度に約七五万円もの入金があるような事態は考えられず、仮に、被告人が弁解するように、通帳の振込入金の記載部分(「日本システム収納からの振込」との記載)を見ないで残高欄のみを見たとしても、急激な残高の増加から何かの間違いであるとの察しはつくのであり、誤振込による入金であるとの認識が全くなかったなどというのは余りにも不自然である。この点の右供述は到底措信できない。少なくとも未必的認識は十分あるというべきである。
したがって、所論は採用の限りでない。
論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条、一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷村允裕 裁判官 神吉正則 裁判官 毛利晴光)