大阪高等裁判所 平成9年(ネ)3039号 判決 2001年10月18日
主文
一 被控訴人株式会社林藤(以下「被控訴人林藤」という。)に対する本件控訴を棄却する。
二 原判決中,被控訴人株式会社おくだ設計(以下「被控訴人おくだ」という。),株式会社Kに関する部分を次のとおり変更する。
1 被控訴人おくだは控訴人に対し,686万9148円及びこれに対する平成5年5月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 控訴人は破産者株式会社K(京都地方裁判所平成12年(フ)第1226号事件)に対し,損害賠償債権846万0545円及びこれに対する遅延損害金債権299万8278円の破産債権を有することを確認する。
3 控訴人の被控訴人おくだ,同破産者株式会社K破産管財人(以下「被控訴人破産管財人」という。)に対するその余の請求を棄却する。
三 控訴人と被控訴人林藤間においては第2審の訴訟費用は控訴人の負担とし,控訴人と被控訴人おくだ,同破産管財人との間においては,第1,2審ともこれを4分し,その3を控訴人の,その1を被控訴人おくだ,同破産管財人の負担とする。
四 この判決は,上記二項1に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第一本件控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人林藤,同Hは,控訴人に対し,連帯して2493万4462円及びこれに対する平成5年5月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
三 控訴人は破産者株式会社K(京都地方裁判所平成12年(フ)第1226号事件)に対し,損害賠償債権2493万4462円及びこれに対する遅延損害金債権884万1643円の破産債権を有することを確認する。
四 被控訴人林藤は,控訴人に対し,別紙物件目録(原判決添付のものー以下同様)記載五の建物に設置されている別紙図面(原判決添付のものー以下同様)のうち赤線で囲んだ部分に存する工作物を撤去せよ。
五 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人らの負担とする。
六 二,四,五項につき仮執行宣言
第二事案の概要
本件は,控訴人が,隣地における建物(鉄骨造8階建)の建築に伴うその基礎工事等により,自己所有建物が損傷を受けたとして,その建物建築工事の注文者である被控訴人林藤,その設計及び監理者である被控訴人おくだ,その建築工事の請負人である株式会社K(以下「K」という。)の3者に対し,不法行為に基づき,損害賠償を求め,併せて,被控訴人林藤に対し,民法218条に基づき,上記新築建物に設けられた工作物により雨水が直接,控訴人所有地内に注いでいるとして,その工作物の撤去を求めた事案である。
原審は,控訴人の請求を棄却し,控訴人が本件控訴をしたものであるが,本件訴訟が控訴審に係属中,Kは破産宣告を受け,被控訴人管財人がその訴訟を承継した。
一 前提事実(当事者間に争いがないか,弁論の全趣旨により認める事実)
1 当事者
(一) 控訴人は、呉服の販売を主たる目的とする株式会社であり、その所有にかかる別紙物件目録記載一、二の各土地(以下併せて「控訴人土地」という。)上に同目録記載三(ただし,原判決26頁6行目の次に行を改め「(登記簿上附属建物3棟あり)」を加える。)の家屋(以下「本件建物」という。)を所有している。
(二) 被控訴人林藤は、控訴人土地の南側に隣接している同目録記載四の土地(共同代表者のY等所有)(以下「被控訴人林藤土地」という。)上に存する同目録記載五の建物(以下「Mビル」という。)について持分10分の3の共有持分を有している。
(三) 被控訴人おくだは、Mビル新築の設計及び監理をしたものである。
(四) Kは、Mビルの新築工事を請け負い、これを完成させたものである。
Kは,本件訴訟が控訴審に係属中の平成12年6月15日午後0時破産宣告を受け(京都地方裁判所平成12年(フ)第1226号事件),被控訴人破産管財人が,その破産管財人に選任された。
控訴人は,上記破産手続において,Kに対する損害賠償債権2493万4462円及びこれに対する不法行為の後の平成5年5月14日から破産宣告までの年5分の割合による遅延損害金債権884万1643円を,破産債権として届け出たが,債権調査期日において,被控訴人破産管財人は,その債権全額につき異議を述べた。
2 Mビルの建築等
(一) 被控訴人林藤は、被控訴人林藤土地上に8階建のMビルを新築することを計画し、被控訴人おくだ設計にその設計及び工事監理業務を委託し、Kとの問で、新築工事請負契約を締結した。
(二) Mビル新築工事(以下「本件工事」という。)は平成4年3月23日に着工され、平成5年2月2日に完成した。
本件工事のうちの基礎工事における土地の掘削工事のための土留工事は,当初水平切梁工法や親杭横矢板工法が予定されていたが,その工法が変更され,ろうそく掘工法が施工された。
(三) Mビルには、別紙図面のうち赤線で囲んだ部分の工作物(以下「本件工作物」という。)が存し、これによってMビルからの雨水が直接控訴人土地に注いでいる。
二 争点
1 本件工事による本件建物の被害の有無
2 被控訴人らの責任の有無
3 控訴人の損害額
4 控訴人の被控訴人林藤に対する本件工作物の収去請求の当否
三 争点に対する当事者の主張
1 争点1(本件工事による本件建物の被害の有無)
(一) 控訴人の主張
本件工事において,基礎工事における土地の掘削工事のための土留工事が不十分であったため,控訴人土地の土砂が被控訴人林藤土地側に移動し、これによって控訴人土地に不同沈下が生じたことが主たる原因となり,また,本件工事のうち,鉄骨の立上げ組立ての際,Kはクレーンの下に鉄板4枚を敷かずにクレーンを操作して重量のある鉄骨を持ち上げた振動により,控訴人土地に不同沈下を生じさせ,これらが原因となって,本件建物の玄関木部、胴付に隙間が生じ、また土間コンクリートや本件建物の外壁に亀裂が生じ、塀の割れ等も生じた。
また,本件工事中,Kが本件建物に落とした落下物により,本件建物の2階の屋根瓦が損傷し,その室内に雨漏りが発生した。
(二) 被控訴人ら全員の主張
本件建物に控訴人主張の損傷があるとしても,本件建物はもともと古いもので,従前から本件建物や地盤にひび割れ等があり,それが年が経つにつれて拡大してきたものであり,本件工事によって生じたことは否認する。
(三) 被控訴人おくだの主張
また,本件建物の外壁のひび割れも,かつてなされた本件建物の改修後の自然的な収縮に基づき発生したものであり,本件工事によって発生したものではない。
仮に,本件工事と本件建物の損傷との間に因果関係があるとしても,Kの施工したクレーン工事の振動によるものであり,基礎工事によって発生したものではない。
2 争点2(被控訴人らの責任の有無)
(一) 控訴人の主張
(1) 被控訴人林藤の責任
控訴人は、本件工事の着工に先立ち、被控訴人林藤に対し、基礎工事のための土地の掘削工事等により控訴人土地の地盤が沈下する等の虞について懸念を表明していたから、被控訴人林藤としては、被控訴人おくだに対し、極力控訴人土地において地盤沈下が生じないような設計をなし、Kに対し、控訴人土地において地盤沈下が生じないような工法を採用するよう指図をなすべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と被控訴人おくだやKに任せきりにした。
(2) 被控訴人おくだの責任
被控訴人おくだは、Mビルの設計をなすにあたり、本件建物や地盤等について十分な事前調査をして、新築ビルの階高や基礎根切の程度を決定したうえで設計をし、かつKが行う基礎工事における土地の掘削工事のための土留工事について,控訴人土地における地盤沈下が生じないような工法を採るよう監督する注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、Kがろうそく掘工法による不完全な工事をするのをなすがままに放置するなどしていたため,上記の不同沈下が生じた。
(3) Kの責任
控訴人は、本件工事の着工に先立ち、Kに対し、基礎工事のための土地の掘削工事等により控訴人土地の地盤が沈下する等の虞について懸念を表明していたから、Kとしては、基礎工事における土地の掘削工事及び土留工事をするにあたり、本件建物や地盤を十分に事前調査して、いわゆる基礎根切を行うなどの最善の工法によって施工すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然とろうそく掘工法による不完全な工事をするなどしたため、上記の不同沈下が生じた。
(二) 被控訴人林藤の主張
仮に,請負人であるKに責任があるとしても,注文者にしかすぎない被控訴人林藤にはKに対する注文及び指図に何ら過失はない。
(三) 被控訴人おくだの主張
(1) 被控訴人おくだは、Mビルの設計にあたり京都市住宅局建築指導部審査課監修にかかる「京都市内ボーリングデーター集」を参考にして地盤の地質を把握するとともに、平成4年2月22日には、Kが依頼したV工業所が実施したボーリング結果に基づく「地質調査報告書」から地質の状況を確定し、しかる後に本件建物の支持地盤を確定した。
(2) なお、被控訴人おくだと施主である被控訴人林藤との設計監理委託契約の内容には、根切工法、土留工法についての図面の設計は含まれていない。そして、そもそも建物建築工事における根切工法や土留工法の選択及びその施工図面は、施工業者が安全性と経済性の兼合いで最善と考えられるものを自由に選択すべきものであって、これら図面は施工業者がその責任においてボーリング調査を行い、土木工事専門の下請業者に作成させるのが通常である。
したがって,仮にKが実施した根切工法や土留工法等により控訴人において本件建物の損傷を受けたとしても,それら工事については,被控訴人おくだは,依頼された設計,監理の対象外であり,何ら責任を負わない。
(3) 被控訴人おくだの指定した工法は水平切梁工法であったが,Kはその工法を変更してろうそく掘工法を採用してこれを施工した。そのいずれの工法とも,当該現場の地質状況等を調査把握しながら妥当な施工工事を行えば地盤沈下の心配はないものであり、仮に土留工事によって地盤沈下が生じたとすれぱ、それはKの施工工事の拙劣さに起因するものであって、工法選択自体に起因するのではなく,この点においても被控訴人おくだには責任がない。
(四) 被控訴人破産管財人の主張
Kの行った基礎工事等は,適正に行われており,Kに何ら過失はない。
3 争点3(控訴人の損害)
(一) 控訴人の主張
(1) 本件建物の損傷は、これを補修する必要があるところ、この補修工事費用は、2293万4462円である。
(2) 控訴人は、本件訴訟の提起、追行を控訴人訴訟代理人に委任し、その報酬等として200万円を支払う約束をしているが、これは被控訴人らの不法行為と相当因果関係のある損害である。
(3) よって、被控訴人林藤,同H及びKは,連帯して控訴人に対し、不法行為に基づき,上記損害額合計2493万4462円及びこれに対する不法行為後である平成5年5月14日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
なお,Kは,前記のとおりその後破産したが,控訴人は,破産者Kに対し,前記本件控訴の趣旨三項のとおりの破産債権を有することになる。
(二) 被控訴人ら全員の主張
控訴人の主張は争う。
(三) 被控訴人おくだの主張
控訴人主張の損害額の中には,Kの工事施工中の落下物による本件建物の損傷,Kの工事施工中のクレーン車の振動によって発生した本件建物の損傷に基づく損害も含まれているが,この損害は,控訴人主張の被控訴人おくだの過失と因果関係がない。
(四) 被控訴人破産管財人の主張
控訴人主張の本件建物の損傷は、本件工事による不同沈下に起因するかどうか明らかではないものであるし、控訴人主張の補修費用には本件建物の敷地(控訴人土地)の地盤改良費用及び本件建物を大々的に修理するための費用が含まれており、仮にKに本件建物の損傷につき責任があるとしても、上記費用のすべてを賠償すべき義務はない。
4 争点4(控訴人の被控訴人林藤に対する本件工作物の収去請求の当否)
(一) 控訴人の主張
本件工作物は,これによりMビルの雨水が直接控訴人土地に注がれるので,控訴人は被控訴人林藤に対し,控訴人土地の所有者として,民法218条に基づき,本件工作物の撤去を求める権利がある。なお,この請求の当否については,控訴人の受忍義務を問題とすべきではない。
(二) 被控訴人林藤の主張
本件工作物は控訴人と被控訴人林藤の各建物の境の狭い空間に雨水が流入して排水できない状態になるのを回避し、その両建物を雨水の害から守るためのもので、設置の必要性の高いものである。そして、本件工作物から控訴人側建物の敷地に流入する雨水はMビルの北壁面から落ちる部分のみである(ちなみにMビル屋上に降った雨水については、別途排水設備がある。)。また、Mビル建築前は、控訴人の建物に降った雨水が被控訴人林藤側の建物の敷地に流入していたし、現在でも、控訴人自身が北隣のZ株式会社の建物の敷地との関係で本件工作物と同様の工作物を設置している。
上記の事情からすれば、本件工作物は、民法218条の禁止の要件を満たさないというべきであるし、仮にそうでないとしても本件工作物設置による控訴人建物敷地への雨水の流入は受忍限度の範囲内のものである。また、控訴人も以前は自己の建物に降った雨水を被控訴人林藤の建物敷地に流入させていたし、現在でも北隣のZ株式会社側に本件工作物と同様の工作物を設置していることからすれば、本件工作物の設置は法的撤去要求の対象となるほどの違法性はないし、控訴人の本件工作物の撤去請求はクリーンハンドの原則にも反する。更に、本件工作物を撤去すると、Mビルは雨水による多大の被害を被ることになるのに対し、控訴人が本件工作物によって被っている被害は軽微であるから控訴人の本件工作物の撤去請求は権利の濫用である。
第三争点に対する判断
一 事実関係
証拠(甲1~5,10~14,22~37,検甲1~4,乙1~9,丙1~5,12,丁1~6(以上枝番のあるものは枝番も含む。),証人N,同O,同P,同Q,被控訴人おくだ代表者,被控訴人林藤代表者,鑑定の結果(追加鑑定の結果,証人Xの証言を含む。以下同じ。))及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
1 Mビルの建築までの経過
(一) 控訴人は,昭和52年10月,控訴人土地と同地上の本件建物を代金4億円で買い受け,自己名義に所有権移転登記を受けた。
控訴人は,昭和53年に,6000万円以上かけて本件建物の改修工事をした。
本件建物は,その建築年月日は母屋部分の大半が明治年代であり,明治の中京の商家造りの建築様式である。
控訴人は,本件建物を,「R」との名称で呉服の展示場や顧客の接待用に利用していた。
(二) 被控訴人林藤は,控訴人土地に隣接している被控訴人林藤土地上の建物で呉服商を営んでいたが,平成3年末ころ,鉄骨造の8階建の建物(Mビル)に建て替えることを計画し,同年12月12日,被控訴人おくだとの間で,設計・工事監理業務委託契約を締結し(報酬額900万円),同被控訴人において設計した図面に基づき,Kに請負代金を見積もらせた上,平成4年1月28日,Kとの間でMビルの新築工事請負契約を締結した(請負代金3億3800万円)。
(三) 控訴人は,平成4年2月17日に,隣近所に対する挨拶等としてKのQが持参していた図面により新築建物の説明を受けた際,従前控訴人土地の隣地で4階建の建物を建築した人から地盤が弱い旨聞き及んでいたので,同部長に対し,地盤沈下により本件建物に影響のないようにして欲しい旨申し入れた。それより前,被控訴人林藤の担当者が控訴人に挨拶に赴いた際も,控訴人は同様のことを言った。
そして,同月18日に,控訴人が依頼したT建設株式会社(以下「T建設」という。)が,Kの担当者立会い(手伝い)のもとに,控訴人土地のうち被控訴人林藤土地との境界沿いに,地盤の水平調査や本件建物の傾きの測定をした(第1回レベル測定)。
(四) Kは,同年2月18日から旧建物の解体にとりかかり,被控訴人林藤土地と控訴人土地との境界立会いや,地鎮祭を経て,同年3月23日に基礎工事のための土地の掘削作業にとりかかった。
そして,同年4月2日までに,基礎工事のための土地の掘削作業,控訴人土地を含む隣地との境界の土留工事が完成した。同月3日から,基礎工事に取りかかり,同月29日にこれを完成し,基礎のため掘削した土の埋め戻しが行われた。これら基礎工事は,Kは下請先の株式会社S工業に施工させた。その後,クレーン車等を用いた鉄骨の建て方組立て作業が行われ,同年5月中旬頃,これを完成させた。
(五) 控訴人は,同年5月13日ころ,Kに対し,本件建物や控訴人土地のうち被控訴人林藤土地との境界付近部分に,亀裂等が生じている旨申し入れ,同月14日,T建設において前同様の第2回目のレベル測定が行われた。
そして,同月中旬,Kにおいて,2回に分けて,本件建物や控訴人土地の応急的な修理,修復が行われた。
(六) その後,T建設において,平成4年8月24日(第3回目),同年12月19日(第4回目),本件建物と控訴人土地のレベル測定がなされた。
また,Kにおいても,平成4年8月27日,同様のレベル測定を行っている。
(七) Mビルは平成5年2月2日完成した。
2 基礎工事の経過
(一) 被控訴人おくだは,Mビルの設計にあたり,その地盤の支持層について,京都市住宅局建築指導部審査課監修にかかる「京都市内ボーリングデーター集」のうち被控訴人林藤土地に一番近い土地のデータに基づき,被控訴人林藤土地の支持層がGLライン(地表線)から地下7メートルの地点にあると判断して当初の設計をした。同被控訴人作成の工事概要書(丁1)では,土留工法として,水平切梁工法が,基礎として支持層まで地中に杭を貫入させる杭基礎が指定されていた。また,同被控訴人は基礎伏図(丙2の1),基礎リスト・大梁・地中梁・小梁リスト等(丙2の2)の設計図面を作成した。これら設計図には地下室が設けられていた。
Kは,請負契約の締結の際,被控訴人林藤に対し,被控訴人おくだの作成した設計図に基づき,見積書(丁3はその一部)を提出しているが,その見積書には,土留工法として,親杭横矢板工法による土留壁に支保工を取り付ける水平切梁工法で見積もられている。
なお,水平切梁工法とは,切梁や腹起しなどの支保工により土留壁を支える工法のことであり,親杭横矢板工法とは,親杭であるH鋼を打ち込んで,掘削する毎に親杭と親杭との間に横矢板を鋏み隣地の土留をする工法のことである。親杭横矢板工法は,最も経済的な工法で多用されているが,透水性の土留壁であること,横矢板を設置するまでに掘削面が崩壊するような軟弱な地盤では採用すべきでないとされている。
(二) Kは,本件着工前の平成4年2月22日,V工業所に依頼して,被控訴人林藤土地の地質調査を行った。その地質調査として,一か所の地点でボーリング調査と標準貫入試験が行われ,その結果が報告書(丙1)としてKに送られた。
Kは,上記地質調査の結果,被控訴人林藤土地の地盤は比較的固いと判断し,また,地下室を設けないことに工事内容が変更になったことから,建物の基礎から地中の支持層までは杭基礎を用いず,これに代わるものとしてラップルコンクリート(大きな骨材にコンクリートを流し込んだもの)を建物の基礎の下に敷く基礎に変更し,また敷地の掘削に伴う土留工法として,親杭横矢板工法を行うには隣地ぎりぎりまでH鋼を打ち込まなければならず,その施工はやりにくいと考えたことや,工事費用のことも考え,それら工法を取らずにろうそく掘工法を採用することにした。そして,Kは新たに基礎図面(丙3)を作成した。その図面によれば,地表から建物の基礎の下面までは1.9メートルであり,建物の柱部分については,この基礎の下面から更にその下部に1.1メートルのラップルコンクリートを敷く内容であった。
上記基礎工事の変更については,Kは最終的には被控訴人おくだの了解を得ていた。しかし,施主である被控訴人林藤に対しては,Kからも被控訴人おくだからも伝えられていない(この点に関して,被控訴人おくだ代表者の被控訴人林藤に伝えた旨の供述部分が存するが,証人Nの証言,被控訴人林藤代表者の供述に照らし,採用することができない。)。
なお,ろうそく掘工法(本件では,連続土留壁工法ともいう。)とは,隣地との境界付近を,間隔をあけて掘削(いわゆるつぼ掘り)し,手前にコンパネを建ててその間にコンクリートを流し込み,コンクリートの硬化後,その間を同じ手法で順次繋いで,連続壁状態にするものであり,その掘削の深さは,地盤倒壊のおそれがない等特別な場合を除いて,1.5メートルが限度であるといわれている。
(三) Kは,上記1認定のとおり,平成4年3月23日から,基礎下部までの掘削作業やろうそく掘工法により控訴人土地との境界ぎりぎりに土留工事をし,その土留工事の完成後,基礎下部からラップルコンクリートを敷く部分(柱の下部分)につき更に掘削した(その土留壁の深さや,基礎の下面までの掘削深度,更にその下のラップルコンクリート底面までの程度については,上記丙3の設計書によると,地表から基礎の下面までは1.9メートル,その下に更に1.1メートルのラップルコンクリートを敷く内容であり,その掘削深度は3メートルである。また,Kの原審平成6年6月1日付準備書面では,現実の工事は,土留壁の深度や基礎の底面の深度1.5メートル,ラップルコンクリート厚1メートルの合計2.5メートルの掘削深度であった旨主張しているし,被控訴人おくだ代表者の供述,丁5の2では,基礎の底面深度2メートル,ラップルコンクリート厚1.5メートルの合計3.5メートルの掘削深度としており,その主張や証拠はまちまちであり,本件にあっては,どの主張ないし証拠を採用するのが相当であるかを確定するだけの資料や証拠はない。)。
二 争点1(本件工事による本件建物の被害の有無)について
1 証拠(甲6,検甲3の№1~28・36~40,証人W,鑑定の結果)によれば,Mビルの建築工事が施工された頃に,本件建物や控訴人土地のうち,被控訴人林藤土地に面している部分一帯に,例えば,玄関木部,胴付に隙間が,外壁や倉庫に亀裂が,玄関・通路・洗面所等の土間コンクリートには亀裂や隙間ががそれぞれ相当数生じ,本件建物の回りの塀には亀裂が生じる等のかなりの損傷が発生したことが認められる(これら損傷を「本件損傷」という。なお,これ以外に控訴人の指摘する損傷の中には,経年変化によるものも認められるが,極くわずかである。)。
2 上記一1認定のレベル測定の結果をまとめた表である甲37,丁2及び鑑定の結果によれば,同各表⑨の地点を水平の基準点として(被控訴人らは,⑨の地点は不動の地点でなく不適当な地点を基準点として採用したとして論難しており,その正確性には全く問題がないわけではないが,⑨は境界からある程度離れており,本件工事の影響を比較的受けにくい地点であるということができる。),各地点の工事前と工事後を比較してみれば,境界に近い地点である④,⑦,⑧,⑩ないし⑬,<21>の地点は沈下しており,その最大量は⑦の地点の10(16マイナス6)ミリメートルであること,また建物の傾きも,Mビルの建築後は着工前に比べ,本件建物の入口付近(東側)は掘削側と反対側の北側部分に傾きがわずかながら増加しているが,これに続くその奥側(境界付近)は全体的に掘削側である南側部分に傾きを増加させていること,入口部分の傾きの方向やその傾きの量が少ないのは,横架材や柱・壁で母屋と連結していることが原因であることが概ね認められる。
3 以上1,2のとおり,本件損傷は,本件工事が施工された頃に発生していること,本件工事特にその地盤の掘削は本件建物ぎりぎりに行われていること,その場所も,本件損傷は被控訴人林藤土地に面した部分一帯に存すること,その部分の地盤に不同沈下が生じ,本件建物も主として被控訴人林藤土地側に傾きを増していること等に,鑑定の結果を総合すれば,以下のとおり認められる。
上記1認定の本件損傷は,本件工事(基礎工事での土留壁施工,根切工事の掘削による地盤の移動,埋戻し時の重機の振動による地盤の圧密沈下)によって生じたものである。その機序としては,土留工事としてのろうそく掘から土留コンクリートを打つまでの間の土砂の崩落や,土留壁よりも深部でラップルコンクリートを敷くために掘削が行われており,根入れや土留自体がない状態で地盤の掘削が行われていることから,本件建物の地盤の土砂が被控訴人林藤土地部分に移動したことが直接の原因として,また,その土砂の移動により本件建物の地盤が粗くなり,その後の重機の振動によりその粗くなった地盤が圧密沈下すること等も原因となり,控訴人土地の不同沈下が生じて,本件損傷が発生した。そして,本件建物のぎりぎりの位置で掘削工事が行われていることからすると,例え,当初予定の親杭横矢板工法が採られていたとしても,H鋼の打込みの際の振動で本件建物に損傷を与えたと考えられ,本件損傷を防止することはできず,本件損傷を防止ないしその損傷を最小限に押さえるためには,隣接する建物である本件建物の基礎下部の地盤の補強工事を事前にする必要があった。
これに対し,被控訴人破産管財人は,鑑定に際して控訴人土地の地盤の調査(地質調査)をして,土砂が被控訴人林藤土地に移動するような地盤の状態であるかどうかを調査していない以上,本件損傷が本件工事によって発生したと認定することはできないなどと主張し,鑑定の結果を論難するが,上記認定の諸事実や証拠を総合すれば,優に,本件損傷は本件工事が原因となって発生したものと認めることができるのであり,この主張は採用することができない。また,被控訴人おくだは,上記主張に加えて,本件建物外壁のひび割れは,外壁の改修工事後の自然乾燥による収縮が原因であり,床のひび割れの一部,排水会所の亀裂は経年変化によるものであるなどと主張するが,鑑定結果に照らし,その主張は採用することができない。そして,他に,上記認定判断を覆すに足りる証拠はない。
4 証拠(検甲3の№29~33,35,証人N,同P,被控訴人林藤代表者,鑑定の結果)によれば,本件工事中,Kの作業員がボルト等を落下させたため,本件建物の屋根に損傷を与え,それが原因で雨漏りが発生し,本件建物の2階展示場の壁にしみ等の損傷を与えていることが認められる(以下この損傷を「落下物による損傷」という。)。
三 争点2(被控訴人らの責任の有無)について
1 Kの責任
本件工事は,本件建物に近接して鉄骨造の8階建のビルを建築するものであり,しかも,控訴人から,あらかじめ従前本社ビルを建築した際,建築業者等から,地盤が比較的弱い旨指摘を受けていたので,地盤沈下により本件建物に影響のないようにして欲しい旨の申入れを受けていたのであるから,自己が行おうとしている工事如何によっては,本件建物に損傷を与える可能性があることは十分予想できたということができる。しかるに,控訴人土地の一か所のみ調査した地質調査の結果により,地盤が固いと判断し(一か所のみで,被控訴人林藤土地全体や控訴人土地が同様であると判断することは難しい。),基礎をラップルコンクリート基礎に,土留方法をろうそく掘工法に変更している。その設計図面である丙3では基礎の下面まで1.9メートル,ラップルコンクリートの下面まで3メートルとしており,上記図面どおり施工するのであれば地盤の掘削深度や土留壁の深度は3メートルとならざるを得ないところ(現実の掘削深度が3メートルであったかどうかはこれを認めるに足りる証拠はない。),前記認定のとおり特別の事情がない限り,ろうそく掘工法は深度1・5メートル以上は不向きとされているのである。また,ろうそく掘の際に土留コンクリートを打つまでの間の土砂の崩落がみられることや,土留壁よりも深部でラップルコンクリートを敷くために掘削を行う等の不適当な工事が施工されていることが本件損傷の原因になっていること,なお,前記認定のとおり,当初予定の親杭横矢板工法が採られていたとしても,H鋼の打込みの際の振動で本件建物に損傷を与えたと考えられ,本件損傷を防止することができなかったといえ,本件損傷を防止ないしその損傷を最小限に押さえるためには,隣接する建物である本件建物の基礎下部の地盤の補強工事を事前にする必要があった。これらのことは,上記認定の具体的事実関係に照らせば,建築の専門家であるKにおいて,当然予想できたことであり,Kにおいて,本件工事特に土留工事を含む基礎工事の施工につき過失があるといわなければならない。したがって,Kは,不法行為者として本件損傷に基づき控訴人が被った損害を賠償する責任がある。
また,Kは,本件建物の落下物による損傷についても,過失があることが明らかであり,その損傷に基づき控訴人が被った損害も賠償する責任がある。
2 被控訴人おくだの責任
被控訴人おくだは,「被控訴人おくだと施主である被控訴人林藤との設計監理委託契約の内容には、根切工法、土留工法についての図面の設計は含まれていない。そして、そもそも建物建築工事における根切工法や土留工法の選択及びその施工図面は、施工業者が安全性と経済性の兼合いで最善と考えられるものを自由に選択すべきものであって、これら図面は施工業者がその責任においてボーリング調査を行い、土木工事専門の下請業者に作成させるのが通常である。」旨主張する。しかしながら,前記認定のとおり,被控訴人おくだ作成の工事概要書(丁1)では,土留工法として,水平切梁工法が指定されていること,また,被控訴人おくだと被控訴人林藤との設計監理契約の報酬も,根切工事や土留工事を含む工事価格(請負代金額)を基準にして定まっていたのであり(被控訴人おくだ代表者,同D代表者),上記設計監理契約の内容として,根切工法や土留工法も含まれていたことが明らかである。そうであるからこそ,Kにおいて,土留工法をろうそく掘工法に変更した際,被控訴人おくだの了承を得ようとしたものと考えられ,被控訴人おくだの上記主張は採用することができない。
そして,設計監理の委託を受けた建築士は,瑕疵のない建物を完成させるためだけでなく,その工事等により第三者に損害を与えないような設計監理をすべきものであり,殊に本件は本件建物に近接して鉄骨造の8階建てのビルを建築するものであり,土留工事を含むその工事の施工如何によっては,本件建物に被害を及ぼす可能性は十分予想できたのである。被控訴人おくだは,その仕様書によって土留工法として水平切梁工法を指定しているが,Kから地盤調査等の結果,土留工法として,ろうそく掘工法に変更したいとの申し出があり,その設計図面によれば地盤の掘削深度が3メートルになるにもかかわらず,最終的にこれを了承している。そして,実際に施工されたろうそく掘工法につき,前記認定の不適当な点があるのに,監理者としてその是正処置もとっていない。なお,前述のとおり,当初予定の親杭横矢板工法がとられていたとしても,本件損傷を防止できなかったと考えられ,本件損傷を防止ないしその損傷を最小限に押さえるためには,隣接する建物である本件建物の基礎下部の地盤の補強工事を事前にする必要があった。このことは,上記認定の具体的事実関係に照らせば,建築士である被控訴人おくだ(代表者)において,当然予想できたことであり,同被控訴人において,本件工事特に土留工事を含む基礎工事の施工に関する指示ないし監理に過失があるといわなければならない。したがって,被控訴人おくだは,不法行為者として本件損傷に基づき控訴人が被った損害を賠償する責任がある。
しかし,本件建物の落下物による損傷は偶発的なものと認められ,この点に関し,被控訴人おくだの設計ないし監理上の過失を認めることはできない。
3 被控訴人林藤の責任
控訴人は、「控訴人は,本件工事の着工に先立ち、被控訴人林藤に対し、基礎工事のための土地の掘削工事等により控訴人土地の地盤が沈下する等の虞について懸念を表明していたから、被控訴人林藤としては、被控訴人おくだに対し、極力控訴人土地において地盤沈下が生じないような設計をなし、Kに対し、控訴人土地において地盤沈下が生じないような工法を採用するよう指図をなすべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と被控訴人おくだやKに任せきりにした。」旨主張する。そして,控訴人は,本件工事前,被控訴人林藤に対し,基礎工事のための土地の掘削工事等により控訴人土地の地盤が沈下する等の虞について懸念を表明していたことは前記認定のとおりである。しかしながら,前記認定のとおり,施工者のKも同様の指摘を受けていたのであり,そもそも設計者や請負人が隣地やその地上の建物に損傷を与えないような工法を採用すべきことは当然のことといえる。しかも,被控訴人林藤は,建築に関しては素人であって,専門的知識を持ち合わせていないのであり(被控訴人林藤代表者),また,被控訴人林藤において,Kが被控訴人おくだの同意を得て行っている土留工事その他の本件工事が,本件建物に損傷を及ぼす具体的な危険性を有していたことを認識できたことを認めるに足りる証拠はない。
したがって,上記認定のような経過があったとしても,被控訴人林藤において,被控訴人おくだやKに対し,隣地の地盤沈下を防ぐよう具体的な指図をしなかったことをもって,注文や指図に過失があったとすることはできない。
四 争点3(控訴人の損害)について
鑑定の結果によれば,本件損傷(落下物による損傷を除く。)を修理するための直接費用は499万4295円,本件建物の落下物による損傷を修理するための直接費用は115万6250円であり,その両者の共通の費用(仮設工事費,諸経費)は157万円であることが認められる。そこで,共通の費用を直接費用に応じて按分すれば,本件損傷部分は127万4853円,落下物による損傷部分は29万5147円であり,合計すると本件損傷を修理するための費用は626万9148円,本件建物の落下物による損傷を修理するための費用は145万1397円となる。
なお,被控訴人管財人の主張の,補修費用には控訴人土地の地盤改良費用及び本件建物を大々的に修理するための費用が含まれているとの主張は,鑑定の結果に照らして採用することができない。
そして,本件損傷と相当因果関係にある弁護士費用として60万円を,落下物による損傷と相当因果関係にある弁護士費用として14万円を認めるのが相当である。
五 そうすると,被控訴人おくだは控訴人に対し,不法行為に基づき本件損傷による上記修理費用に弁護士費用60万円を加えた損害額686万9148円及びこれに対する不法行為の日以後である平成5年5月14日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
また,Kは控訴人に対し,不法行為に基づき本件損傷による損害額と落下物による損害額の合計772万0545円に弁護士費用74万円を加えた846万0545円及びこれに対する不法行為の日以後である平成5年5月14日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金を支払う義務があるところ,同社は,平成12年6月15日破産宣告を受けているので,破産手続において普通債権として配当加入できる遅延損害金債権は,上記846万0545円に対する平成5年5月14日から破産宣告の前日である平成12年6月14日までの間(7年と32日間)の年5分の割合による299万8278円となる。
控訴人の被控訴人林藤に対する損害賠償請求は理由がない。
六 争点4(控訴人の被控訴人林藤に対する本件工作物の収去請求の当否)について
証拠(甲48,49,乙42~44,検乙7~9,被控訴人林藤代表者)及び弁論の全趣旨によれば,Mビル屋上に降った雨水については,排水設備があり,本件工作物により控訴人土地に流入する雨水はMビル北壁面に降った雨水のみであり,その流入によって控訴人に与える損害はわずかであると考えられるのに対し,本件工作物は本件建物とMビルの境の狭い空間に雨水が流入して排水できない状態になることを回避してその両建物を雨水の害から守るためのものであって,設置の必要性が高いといえること,また,控訴人が買い受けた控訴人土地の北側のビルにも,本件工作物と同様の水切りが設置されており,ビルの北壁面に注いだ雨水が隣地のZ株式会社に注いでいるが,同社において,その水切りにつき不都合を感じていないことが認められる。
上記認定事実によれば,本件工作物による雨水の控訴人土地への流入は,控訴人にとって受忍限度を超えるものではないというべきであるから,控訴人の被控訴人林藤に対する本件工作物の収去請求は理由がない。
第四結論
以上の次第で,原判決中,控訴人の被控訴人林藤に対する請求をいずれも棄却した部分は相当であるから,同被控訴人に対する本件控訴を棄却し,原判決中,被控訴人おくだ,Kに関する部分は,当裁判所の判断と一部異なるので本判決主文二項のとおり変更することとして,判決する。
(裁判長裁判官 浅野正樹 裁判官 東畑良雄 裁判官 古久保正人)