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大阪高等裁判所 平成9年(ラ)326号 決定 1997年12月08日

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別紙当事者目録記載のとおり

主文

一  原決定を取り消す。

二  相手方らの本件担保提供命令の申立を却下する。

理由

第一本件即時抗告の趣旨

主文同旨。

第二事案の概要

一  原決定の引用

後記二のとおり附加するほか,原決定10頁7行目文頭から41頁8行目文末までのうち,抗告人ら関係部分のとおりであるから,これを引用する。

ただし,次のとおり補正する。

10頁7行目の次に改行して次のとおり加入する。

「本件記録によると次のとおり認められる。」

同8,9行目の「取締役又は監査役である」を「取締役ないし監査役であったか,あるいは現在取締役ないし監査役である」と改める。

同10行目の「提起し」から同末行目の文末までを「提起した。」と改める。

12頁4行目の次に改行して次のとおり加入する。

「(四)(1) 本件無断取引

大和銀行ニューヨーク支店(以下「ニューヨーク支店」という)に勤務していた井口俊英(以下「井口」という)は,昭和59年から平成7年までの11年間にわたり無断取引を約3万回繰り返し,大和銀行に対して約11億米ドルの損失を被らせた(以下「本件無断取引」という)。

(2) 取締役の責任

イ  相手方らのうち,代表取締役であった者,及び取締役でその在任中にニューヨーク支店長であった者(以下,これらを「担当取締役」という)

担当取締役は,次のとおり,任務懈怠行為に基づく責任を負う。

すなわち,担当取締役は,ニューヨーク支店職員による同支店業務の執行に関し,適切な内部統制システムを構築し,これを実施すべき義務があった。そうであるのに,担当取締役は,ニューヨーク支店において,証券ディーリング業務体制と,その監督体制とを明確に分離した内部統制システムを構築も実施もしなかった。このため,証券ディーリング業務担当者である井口が,自らの不正行為を隠蔽することを極めて容易なものとした。

井口の本件無断取引は,担当取締役の右任務懈怠行為により引き起こされたものである。

ロ  相手方らのうち,前示イの担当取締役を除く取締役(及び元取締役)(以下「担当外取締役」という)

担当外取締役は,次のとおり,監視義務違反に基づく責任を負う。

すなわち,担当外取締役は,担当取締役が,大和銀行の証券ディーリング業務に関する不正行為を未然に防止するに足る内部統制システムを構築し,これを実施しているかを,自ら又は担当取締役を介して,情報収集に努め,これを適切に監視する義務があった。そうであるのに,担当外取締役は,右監視義務を怠り,担当取締役の任務懈怠行為を漫然と放置した。このため,証券ディーリング業務担当者である井口が,自らの不正行為を隠蔽することを極めて容易なものとした。

井口の本件無断取引は,担当外取締役の右監視義務違反により引き起こされたものである。

(3) 監査役の責任

相手方らのうち,監査役(及び元監査役)は,次のとおり,監視義務違反に基づく責任を負う。

すなわち,右監査役は,担当取締役が,大和銀行の証券ディーリング業務に関する不正行為を未然に防止するに足る内部統制システムを構築し,これを実施しているかを,自ら又は担当取締役を介して,情報収集に努め,これを適切に監視する義務があった。そうであるのに,右監査役は,右監視義務を怠り,担当取締役の任務懈怠行為を漫然と放置した。このため,証券ディーリング業務担当者が,自らの不正行為を隠蔽することを極めて容易なものとした。

井口の本件無断取引は,右監査役の右監視義務違反により引き起こされたものである。もっとも,抗告人らは当初の訴状では次の(五),(六)のとおり主張していた。」

12頁5行目の「(四)」を「(五)」と改める。

14頁1行目の「(五)」を「(六)」と改める。

15頁7行目の「(六)」を「(七)」と改める。

同10行目の「(七)」を「(八)」と改める。

20頁10行目の「前記一2(四)(1)及び(2)の事由」を「前示一2(五)(1)及び(2)の事由」と改める。

21頁2行目の「前記一2(四)(3)」を「前示一2(五)(3)」と改める。

同末行目の「前記一2(五)(1)」を「前示一2(六)(1)」と改める。

同行目以下の各「本件事故」を「本件無断取引」と改める。

33頁7行目の「前記一2(五)(1)及び(2)」を「前示一2(六)(1)及び(2)」と改める。

34頁4行目の「前記一2(五)(2)」を「前示一2(六)(2)」と改める。

35頁10,末行目の「前記一2(四)(1)ないし(3)」を「前示一2(五)(1)ないし(3)」と改める。

二  当審附加主張

1  抗告人ら

(一) 抗告人らの本件本案訴訟の請求原因は,前示のとおりであり,主張自体失当でないことはもちろん,事実的,法律的に十分な根拠があるものである。

(二) 相手方らの後示2(一),3(三)の主張は,帰責事由及び賠償責任の寛厳の問題にすぎない。

なお,大和銀行のような大企業において,日常の業務執行が高度に専門化され,分化されるほど,取締役が相互に監視しあい,また取締役,監査役が従業員の具体的業務執行のすみずみまで監視できるような体制を構築すべきである。これが,取締役会及び取締役,監査役の職責である。

2  相手方平岩新吾を除く相手方ら(原審甲事件申立人ら)

(一) 大和銀行では,株式会社という制度としての会社運営は適正に行われている。また,大和銀行のような巨大会社では,その業務内容が広範かつ複雑多岐にわたるため,明確な職務分担が行われている。

このような場合には,取締役は,他の業務担当の取締役や従業員の業務執行の適正さについて疑うべき特段の事情がない限り,自己の分担領域以外の業務については,それが一応適正に行われているものと信頼できる。監査役についても,基本的に右同様である。

そうであるから,右相手方らに,ニューヨーク支店(支店従業員は日本人30名,現地採用90名)の一つの課における井口の行為を常に監視しておくべき義務があるなどとは到底いえない。

(二) 井口の本件無断取引が大和銀行の全取締役に報告されたのは,井口の頭取宛の手紙(平成7年7月13日付)の受領後の,平成7年9月25日である。同日以前においては,井口の本件無断取引を推認させる事項が,大和銀行の取締役会に上程又は報告されたことはない。そして,このような取締役会非上程事項に関しては,取締役,監査役の監視義務は制限されるべきである。

(三) そうすると,抗告人らの主張は一般的・抽象的なレベルでの監視義務違反をいうにすぎず,個別的・具体的なものとはいえない。

そうである以上,抗告人らの主張は主張自体失当であるか,あるいは事実的,法律的根拠を欠くものである。そして,抗告人らは,右事情を知りながら,あえて本件本案訴訟を提起したものである。

したがって,抗告人らには,商法267条6項で準用される商法106条2項の「悪意」が認められる。

3  相手方平岩新吾(原審乙事件申立人)

(一) 抗告人らは,単に監査役に業務監査義務違反があると抽象的にいっているにすぎない。これでは,右義務違反の主張として不十分である。

(二) 右相手方の監査役就任時期との関係で,右相手方の右義務違反と相当因果関係がある損害を特定して主張すべきである。

(三) 大和銀行のような大企業において,その社外監査役が,取締役全員の業務執行状況を,常時監査できる状況にはない。

そうであるから,右相手方が井口の本件無断取引を容易に知り得べき特別な事情がない限り,右相手方は,取締役の業務執行が適正に行われているものと信頼できる。したがって,右相手方には責任がない。

(四) 抗告人らは,右相手方と全く立場を同じくする大西についてのみ訴えを取下げている。これは,抗告人らが,右相手方に対し,経済的,心理的圧迫を加えることのみを目的としていることを示している。

(五) 以上のとおり,抗告人らは,本件本案訴訟における主張が主張自体失当であるか,あるいは事実的,法律的根拠を欠くものであることを知りながら,あえて本件本案訴訟を提起した。また,抗告人らには違法目的がある。

したがって,抗告人らには,商法267条6項で準用される商法106条2項の「悪意」が認められる。

第三当裁判所の判断

一  判断の大要

1  本件の争点は,本件代表訴訟(大和銀行の株主が,同銀行ニューヨーク支店の証券ディーラー井口の無断取引による同銀行の損失につき,取締役及び監査役の会社〔銀行〕に対する賠償責任を追及するもの)に関する担保提供命令の可否である。

2  代表訴訟に認められている担保提供に必要な「悪意」は次の場合をいう。①株主が主張する権利等が事実的,法律的根拠を欠き,このことを知りながら代表訴訟を提起したこと。または,②被告取締役,監査役ひいては会社を害し嫌がらせするためなど違法な目的の訴提起であること,である。

3  代表取締役,ニューヨーク支店長であった業務執行取締役などには,井口のディーリング業務を監督する任務がある。また,危険な証券ディーリング業務に伴う不正の発生拡大を防止するため内部統制システムを構築し,実施する義務がある。右代表取締役らはこれを怠った。

4  平取締役(右3以外の取締役)及び監査役には右システムの構築,実施の有無を点検,監視する義務の違反がある。

5  相手方らのいう信頼の権利ないし抗弁の主張のみで,抗告人らの本件代表訴訟が失当になるものではない。相手方らにおいてその前提事実の立証を要する。

6  本件においては,以上のように認められる余地があり,現時点で抗告人ら主張の権利が事実的,法律的根拠を欠き,これを知りながら本件代表訴訟を提起したとはいえない。したがって,担保提供に必要とされる「悪意」の疎明がない。

7  当裁判所は大要このように判断する。その理由は以下のとおりである。

二  担保提供命令の要件

1  商法267条5項は,株主が代表訴訟を提起したときは裁判所は被告[取締役]の請求により相当の担保の提供命令をなし得る旨を定めている。これは監査役に対する代表訴訟にも準用される(商法280条1項)。

商法267条6項は,同法106条2項を準用して取締役,監査役が担保の提供を請求するには株主の訴えが悪意に出たものであることを疎明することを要する旨を定める。この規定は,いわゆる会社荒らし等が株主権を濫用して自己の利益を図るため会社を害することを目的として合併無効,株主総会無効,取消訴訟などの会社訴訟を提起することを防止するために設けられた担保提供制度を,株主代表訴訟に準用したものである。

2  「悪意」について

株主代表訴訟に準用された場合の「悪意」の意味については,いろいろの見解がある。当裁判所は,ここにいう「悪意」は,被告取締役,監査役の責任に事実的,法律的根拠がないことを知りながら,または嫌がらせなどのために取締役,監査役を害するなど違法な目的で,あえて代表訴訟を提起することを指すものと考える。その理由は次のとおりである。

株主代表訴訟は6月前より引き続き会社の株式を有する株主でありさえすれば自由にこれを提起できる。このため,株主の中に,株主としての正当な権利行使を離れ,株主代表訴訟に名を借りて,個人的利益の追求その他社会的相当性がない違法な目的のために右制度を濫用する者が入り込むおそれがある。このような訴えを提起された取締役や監査役は,後日,株主代表訴訟で勝訴の判決を得たとしても,応訴による人的,物的な費用の支出による損害や名誉毀損等による精神的な損害を被る。この場合,取締役,監査役は,同人らに対する株主代表訴訟の提起自体が不法行為であれば,提訴株主に対し事後に損害賠償を求めることもできる。しかし,その場合でも,その株主が無資力である場合は,損害賠償の実を挙げることができない。また,既に訴えの提起によって失われた会社,取締役の信用,名誉は事実上その回復が困難な場合もある。そこで,商法267条5,6項は,右株主の取締役,監査役に対する損害賠償債務の履行を確保するため,その株主に対し,相当の担保の提供を命じる制度を定めているのである。

ところで,提訴株主が株主代表訴訟で敗訴したとしても,その訴え提起行為が常に違法であり,不法行為に該当するとはいえない。代表訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において,右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは,次の場合に限るのが相当である。すなわち,当該訴訟で提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という)が事実的,法律的根拠を欠くものであるうえ,提訴者が,そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるとき,このような場合に限るのが相当である。けだし,訴えを提起する際に,提訴者において,自己の主張しようとする権利等の事実的,法律的根拠につき,高度の調査,検討が要請されるものと解するならば,裁判制度の自由な利用が著しく阻害される結果となり妥当でないからである(最判昭63.1.26民集42巻1号1頁参照)。したがって,商法267条6項において準用する場合の同法106条2項にいう「悪意」もこの趣旨を踏まえて解釈しなければならない。もっとも,訴えの提起が不法行為となる蓋然性のあるものすべてについて担保提供命令を認めたものとはいえない。それは,同条項に「悪意」と規定し,もともと会社荒しなど株主権濫用を防遏する規定であるから,それに適した限定が必要である。そうすると,株主の「悪意」とは,株主が株主代表訴訟を提起することが前示不法行為に当たるもののうち,それを知りつつ故意に提訴した場合をいうことになる。すなわち,代表訴訟の提起が不法行為となる場合のうち過失によるものを除き,故意による悪質な訴権濫用に当たるものだけを取り上げ,担保提供の対象としたものであると考えるのである。つまり,右の「悪意」とは,提訴株主が代表訴訟で主張する権利等が事実的,法律的根拠を欠いていることを知りながら,あえて訴えを提起し,またはこれを継続する場合や,被告取締役ないし監査役ひいては会社を害し,これに嫌がらせをすることによって,個人的利益を追求する等社会的相当性がない違法な目的で,あえて株主代表訴訟を提起し,またはこれを継続するような場合を指す。そのような場合が取締役ないし監査役を害することを知って訴えを提起したものとして,同条項所定の「訴ノ提起ガ悪意ニ出デタルモノ」に当たるのである。

三  取締役の会社に対する責任の要件事実ないし請求原因

1  代表訴訟の基礎となる商法266条所定の取締役の会社に対する責任は,本来会社に対する任務違反の責任であって,債務不履行責任の性質を有し,原則として,取締役,監査役側において,その帰責事由(故意,過失―主観的要件)の不存在を主張立証すべき責任を負う。しかし,いかなる任務に違反したかという客観的要件は,株主側でこれを特定して主張し,かつ立証する責任がある。取締役の会社に対する責任を定める商法266条1項は,違法な利益配当(1号),株主の権利行使に対する違法な利益供与(2号),取締役に対する金銭貸付(3号),取締役会社間の取引(4号),違法違款行為(5号)を挙げている。これを一見すると,任務違反の事実として取締役の何らかの積極的行為,すなわち作為が必要であるようにもみえる。しかし,本来,取締役の会社に対する責任は,取締役がその会社に対する「任務ヲ怠リタル」ことに基づくものである。すなわち,本条項は,取締役の任務懈怠による損害賠償責任を定めたものである(昭和25年改正前の商法266条1項参照)。本条1項は任務懈怠のうち1ないし4号においてその忠実義務違反を含む特定の任務違反行為を定め,5号において違法,定款違反という一般的な任務違反ないし任務懈怠行為を定めたものといえる。取締役は会社に対し,委任ないし準委任の関係にあり(商法254条3項),善良な管理者としての注意義務(以下「善管義務」という)を負い(民法644条),かつ,忠実にその職務を遂行する義務(以下「忠実義務」という)を負う(商法254条ノ3)。したがって,取締役がその任務を遂行するに当たり善管義務や忠実義務の懈怠があるときは,民法415条または商法266条1項の損害賠償の責任を負う。

ところで,この取締役の任務懈怠の責任は,取締役のいかなる任務につき,どのような懈怠があったかが主要な要件事実となる。なお,その基礎となる任務(義務)の存在を基礎づけるものは,委任契約自体であり,またはこれに代る法の規定であって,原決定のように善管義務,忠実義務からこれを直接定めることはできない。すなわち,善管義務ないし忠実義務は,基本的には,その任務を前提としてそれから派生する各義務の尽くすべき注意義務の程度を示す基準である。したがって,まず,取締役が法的にいかなる業務を委任されているか,すなわちその任務の内容を明らかにしない限り,問題となっている義務が取締役に課せられたものか否かを明らかにすることはできない。もとより,任務が明らかになった後になおその義務の範囲の広狭などに問題が生ずるときには,善管義務や忠実義務の視点からその範囲の内外を判定すべき場合はあり得るが,それはいわば調整の問題にすぎない。

そして,現在の株式会社において,代表取締役,業務執行取締役などの執行機関の支配が進む中で,これらを除くいわゆる平取締役は,業務執行というよりも業務執行監視義務を中心とした任務を負う。すなわち,取締役は,取締役会の構成員として,会社に対し,代表取締役,業務執行取締役ないしその下に行われる業務執行一般につき,これを監視し,必要があれば,取締役会を自ら招集し,あるいは招集することを求め,取締役会を通じて,その業務執行が適正に行われるようにする職責を有する。即ち,取締役は取締役会に上程された特定の業務執行に限らず,広く代表取締役ないし業務執行取締役の業務執行につき一般的監視の義務ないし任務を負うのである(最判昭48.5.22民集27巻5号655頁参照)。

2  取締役の会社に対する責任の要件ないし請求原因事実も,それ故に,業務執行行為の違法の責任を問う場合と監視義務違反の責任を追及する場合とでは,自ら異なったものとなる。

(一) まず,業務執行行為の違法の責任をいうためには,①取締役の地位,任務,②その任務を行うにつき違法または任務の懈怠があること,③違法な任務遂行行為ないし任務懈怠と損害との間の相当因果関係を主張立証する必要がある。

(二) これに対し,平取締役の監視義務違反の責任については,次の要件が必要である。①取締役であること,②代表取締役等執行部門ないし経営陣の違法な任務遂行行為ないし任務懈怠の具体的態様(単なる放漫経営とか,経営のずさんとかの主張では不十分である―最判昭45.7.1民集24巻7号1061頁参照),③取締役が監視義務を怠ったこと,④損害の発生,⑤監視義務違反と損害との相当因果関係。

3  任務懈怠行為

(一) 代表取締役及びニューヨーク支店長(担当取締役)の任務

(1) 抗告人らは次のとおり主張している。

相手方取締役らのうち,相手方安部川澄夫,同藤田彬,同遠藤義一,同團野精一,同安井健二,同中野喜志男,同永田博万,同宗宮英韶,同海保孝,同肥後馨,同村尾啓一,同近藤宏,同太田﨣,同源氏田重義,同西山金良,同川上敏朗,同砂原和彌は,いずれも井口の本件無断取引が行われた当時,代表取締役の地位にあった,と。

このように代表取締役の地位にあった以上,右相手方らは会社の最高経営者としてひろく会社業務全般について対内的な業務執行,対外的な会社代表権限を有すると共にこれらを適切に執行すべき包括的な義務を負う(商法261条,78条)。

また,抗告人らは,右当時,相手方取締役のうち,相手方安井健二,同山路弘行,同津田昌宏が,その取締役就任後にニューヨーク支店長の地位に就き,同支店の業務執行全般を担当する取締役であった旨主張する。

そうすると,右相手方らは,業務執行取締役として,ニューヨーク支店における業務全般について対内的な業務執行権限を有すると共にこれらを適切に執行すべき包括的な義務を負う。

そして,本件記録によれば,右相手方らは抗告人ら主張の地位にあった事実が認められる。

(2) したがって,抗告人らの右主張が,主張自体失当であるとか,事実的,法律的根拠を欠き,前示「悪意」の要件を具備するものとはいえない。

(二) 任務懈怠

(1) 抗告人らは,担当取締役の任務懈怠行為として,大和銀行の証券ディーリング業務に関する不正行為を未然に防止できるような内部統制システムを構築し,これを実施すべき義務があるのにこれを怠ったことを主張している。

(2) ところで,一般に銀行等金融機関における証券ディーリング業務担当者は,証券取引において,巨額の資金を操作する権限をもつ。また,証券取引は,効率が良い反面,取引量の増大に伴い巨額の損失が発生する危険性が常に伏在している。そして,証券ディーリング業務担当者は,往々にして,自己又は第三者の利益を図るため,その権限を濫用した証券取引をする誘惑に陥り易い。また,証券ディーリング業務担当者は,その不手際を隠すため,自らの行った取引の結果生じた損失の隠蔽を図り,その後の取引で穴埋めをするなどといった不正行為を行う事例も稀ではない。

このような不正行為を未然に防止し,またその損害の拡大を最小限にとどめるには,証券ディーリング業務担当者の行った取引を常時チェックする体制を整えることが必要不可欠である。すなわち,証券取引業務を行う会社は一般にその証券ディーリング業務担当者の行う事務を会社に対する証券取引の注文に限定している。そして,右証券取引の確認,同取引代金の支払,預かり証券の残高照合等の手続は,すべて証券ディーリング業務担当者以外の管理部門が行う。これらの手続に証券ディーリング業務担当者が関与することを禁止する。このようにしてチェック体制を整え,不正行為を未然に防止するべく努めているのである。すなわち,右のような内部統制システムの構築及び実施は,証券取引業務を行う銀行の業務執行取締役(後示のとおり平取締役及び監査役についても同様)にとって,その基本的な組織運営のあり方にかかわる重要な任務であるといえる。

ところが,本件記録によると,大和銀行は,国際金融の中心地であるニューヨーク支店における証券取引業務を行うに当たり,同業務の危険性に配慮し,証券ディーリング業務担当者の不正行為等を未然に防止し,またそれによる損害の拡大を最小限にとどめるための前示チェック体制,すなわち内部統制システムを構築し,これを実施していたことを直ちに認めることができない。むしろ,井口が単独で証券取引の全プロセスを掌握できるような杜撰な管理体制のまま放置してきた疑いすら生じている。少なくとも,ニューヨーク支店における右内部統制システムが十分機能していた等右任務懈怠がないことを基礎づける事実が確定されているわけではない。

したがって,抗告人らの右主張が,事実的,法律的根拠を欠き,前示「悪意」の要件を具備しているとはいえない。

なお,相手方らは,訴提起当時の請求原因事実とその後変更された任務懈怠の態様の主張が異なる場合につき,会社の提訴権を確保した商法267条に違反して許されないと主張する。しかし,その変更の前後を通じ請求の基礎に変更がないと認められる本件においては,商法267条に抵触するものでなく,新主張につき判断すれば足りる。

(三) 相当因果関係,損害

(1) 抗告人らは,次のとおり主張している。

井口の本件無断取引は,担当取締役が前示(二)のとおり任務を懈怠したため引き起こされたものである。本件無断取引により大和銀行に生じた損失は前示のとおり約11億米ドルである,と。

そして,本件記録によれば,大和銀行が井口の本件無断取引により右金額相当の損害を被ったことが認められる。

(2) したがって,抗告人らの右主張が,前同様,事実的,法律的根拠を欠くとはいえない。なお,損害の特定に関しては,後示六3のとおりである。

(四) 以上のとおり,抗告人らは,担当取締役に関して,前示2(一)(違法な業務執行行為の責任)の要件事実を主張している。そして,右主張が,主張自体失当であるとか,事実的,法律的根拠を欠くとはいえない。

もっとも,担当取締役に対する抗告人ら主張の請求原因には,現時点において,審理充実や攻撃防禦方法の完全な理由記載の視点からすると,不十分な点があることは否めない。しかし,右請求原因は前示1,2(一),3(一)ないし(三)に照らし訴訟物である賠償責任を特定するのに必要最小限の記載がなされているのである。そして,抗告人ら株主が,井口の本件無断取引の内容や大和銀行ニューヨーク支店の内部統制システムの有無及びその機能状況等に関する情報を入手することは容易ではない。また,大和銀行から右情報に関する資料が提供されているとは認められない。そうである以上,現段階において,抗告人らの主張が不十分で主張自体失当であるとか,これを知りながら訴えを提起しているとまでいうのは,代表訴訟制度の趣旨に反し,相当でない。

いずれにしても,前示のとおり,抗告人らの主張が主張自体失当であるとか,事実的,法律的根拠を欠き,前示「悪意」の要件を具備しているとはいえない。

4  担当外取締役の監視義務違反

(一) 担当外取締役の監視義務違反

(1) 抗告人らは,次のとおり主張する。

担当外取締役は,監視義務違反に基づく責任を負う。

すなわち,担当外取締役は,担当取締役において,大和銀行の証券ディーリング業務に関する不正行為が未然に防止できるような適正な内部統制システムを構築し,これを実施しているかを,自ら又は担当取締役を介して,情報収集に努め,これを適切に点検,監視する義務があった。そうであるのに,担当外取締役は,右監視義務を怠り,担当取締役の違法な業務執行を漫然と放置した。このため,証券ディーリング業務担当者が,その不正行為を隠蔽することを極めて容易なものとした。

井口の本件無断取引は,担当外取締役の右監視義務違反により担当取締役の任務懈怠行為が放置されたため引き起こされたものである。

(2) 前示3(二)(2)の説示によれば,ニューヨーク支店における証券取引業務に関する内部統制システムの構築及び実施に関する事項は,本件業務を担当していない平取締役(業務分担により他部門担当の業務執行取締役を含む。以下,同じ。これは,他部門の業務執行取締役も取締役会会員たる地位において平取締役と同様の責任を負うからである)にとっても,金融機関である大和銀行の基本的な組織運営のあり方にかかわる問題として,常に関心を払い,監視の対象とすべきことがらである。

ところが,右説示のとおり,前示内部統制システムが存在し,かつそれが十分に機能していた事実が現在のところ明らかでない。

そうであるとすると,平取締役である担当外取締役は,右事項に関する適切な情報収集を行い,監視義務を尽くすべきであるとの抗告人らの主張が,事実的,法律的根拠を欠き,前示「悪意」の要件を充すとはいえない。

(二) 相当因果関係,損害

(1) 抗告人らは,次のとおり主張している。

井口の本件無断取引は,担当外取締役の右監視義務違反により担当取締役の任務懈怠行為が放置されたため引き起こされたものである。本件無断取引により大和銀行の被った損失は前示のとおり約11億米ドルである。

(2) 本件記録によれば,大和銀行が井口の本件無断取引により右金額相当の損害を被ったことが認められる。

したがって,抗告人らの右主張が,事実的,法律的根拠を欠くとはいえない。なお,損害の特定に関しては,後示六3のとおりである。

(三) 以上のとおり,抗告人らは,担当外取締役に関して,前示2(二)(平取締役の監視義務違反の責任)の要件事実を主張しているといえる。

したがって,抗告人ら主張の請求原因が,主張自体失当であるとか,事実的,法律的根拠を欠き,これを知りながら訴えを提起しているなど前示「悪意」の要件を具備しているとはいえない。

四  監査役の会社に対する責任の要件事実ないし請求原因

1  監査役の会社に対する責任は前示取締役の責任と同じく会社に対する任務懈怠による債務不履行責任であり,このことは法文上一層明らかである(商法277条)。そして,資本の額が1億円を超える会社(本件会社の資本金は2070億7566万7395円)の監査役の任務は,会計監査のみならず業務監査にも及ぶ(商法274条)。

業務監査については,代表取締役等の業務執行者の行為に疑いがあると否とを問わず,常に業務執行者を監視し,業務執行に不正かつ違法な点または違法行為をなすおそれがあることを発見したときは,取締役会に報告し,必要があるときは取締役会の招集を求め,あるいは自ら招集し,適切な措置を執る義務がある。要するに,監査役も代表取締役等業務執行部門ないし経営陣の業務執行につき一般的監視義務を負うのである。

2  監査役の業務監査義務に基づく監視義務違反懈怠による会社に対する責任の請求原因事実は,それ故に,次のとおり取締役の監視義務違反の場合とほぼ同様である。①監査役であること,②代表取締役等執行部門ないし経営陣の任務懈怠の具体的態様,③監査役が取締役に対する業務監視義務を怠ったこと,④損害の発生,⑤監視義務違反と損害との相当因果関係,以上の要件が必要である。

3  監査役の監視義務違反

(一) 監査役の監視義務違反

(1) 抗告人らは,次のとおり主張している。

監査役は,監視義務違反に基づく責任を負う。

すなわち,監査役は,担当取締役において,大和銀行の証券ディーリング業務に関する不正行為が未然に防止できるような内部統制システムを構築し,これを実施しているかについて,自ら又は担当取締役を介して,情報収集に努め,これを適切に監視する義務があった。そうであるのに,監査役は,右監視義務を怠り,担当取締役の違法な業務執行を漫然と放置した。このため,証券ディーリング業務担当者が,自らの不正行為を隠蔽することを極めて容易なものとした。

井口の本件無断取引は,監査役の右監視義務違反により担当取締役の任務懈怠行為が放置されたため引き起こされたものである。

(2) 前示三3(二)(2)の説示のとおり,ニューヨーク支店における証券取引業務に関するチェック体制ないし内部統制システムの構築及び実施に関する事項は,監査役にとっても,金融機関である大和銀行の基本的な組織運営のあり方にかかわる問題として,常に関心を払い,監視の対象とすべきことがらであるといえる。

ところが,右説示のとおり,右内部統制システムが存在し,これが十分機能していた事実が現在のところ明らかでない。

そうであるなら,監査役は,前示平取締役について論じたのと同様,右事項に関する適切な情報収集を行い,監視義務を尽くすべきであるとの抗告人らの主張が,主張自体失当であるとか,事実的,法律的根拠を欠き,これを知りながら訴えを提起しているなど前示「悪意」の要件を具備しているとはいえない。

(二) 相当因果関係,損害

(1) 抗告人らは,次のとおり主張している。

井口の本件無断取引は,監査役の右監視義務違反により担当取締役の任務懈怠行為が放置されたため引き起こされたものである。本件無断取引により大和銀行の被った損失は前示のとおり約11億米ドルである。

(2) 本件記録によれば,大和銀行が井口の本件無断取引により右金額相当の損害を被ったことが認められる。

したがって,抗告人らの右主張が,事実的,法律的根拠を欠くとはいえない。なお,損害の特定に関しては,後示六3のとおりである。

(三) 以上のとおり,抗告人らは,監査役に関して,前示2の要件事実を主張している。

したがって,抗告人ら主張の請求原因が,主張自体失当であるとか,事実的,法律的根拠を欠き,これを知りながら訴えを提起しているなど前示「悪意」の要件を具備しているとはいえない。

五  抗告人らの悪意の有無

1  前示二ないし四の認定判断に基づき,抗告人らの本件本案訴訟提起が,商法267条6項において準用する場合の同法106条2項にいう「悪意ニ出デタルモノ」といえるかを検討する。

前示のとおり,抗告人らの本件本案訴訟における相手方ら取締役,監査役の会社に対する責任に関する主張が,「悪意」の要件として必要な,主張自体失当の場合に当たるとか,事実的,法律的根拠を欠く場合に当たり,これを知りながら訴えの提起をしているとはいえない。

もっとも,抗告人らの右主張には,審理充実や攻撃防禦方法の十分な記載の観点からみると,なお不十分なところが見受けられる。しかし,前示のとおり,抗告人らは,一応,請求を特定するに足る要件事実の主張をしている。そして,現時点では,井口による本件無断取引やニューヨーク支店における内部統制システムの内容等の基本的かつ客観的事実関係は,大和銀行の保管資料によって何ら明らかにされていない。すなわち,抗告人らは,現在まで,右資料を検討する機会が与えられていないのである。そうである以上,抗告人らが,裁判所の釈明に対し,審理充実や十分な攻撃防禦方法の記載の観点からの主張の補充や整理を行えないことにもやむを得ない事情があるといえる。また,右のうち,とくに証券ディーリング業務の内部統制システムを存置し,それを適正に運用実施していることは,相手方らにおいてその任務の履行(債務の履行)に当たるものとして立証責任を負うともいえる。そうすると,むしろ,審理充実の視点からは,裁判所の訴訟指揮によって,大和銀行側から右資料を裁判所に提出させ,これに基づく右基本的かつ客観的事実関係が明らかにされることが望ましい。そして,抗告人らにおいても,できる限り右事実関係の解明に努め,速やかに主張の補充及び整理を行い,審理充実に努めるべきである。

そうであるから,現段階においては,抗告人らの主張に審理充実や攻撃防禦方法の十分な記載の観点から不十分なところがあることの故をもって,抗告人らが商法267条6項,106条2項所定の「悪意」であると推認することはできない。

2  次に,本件全証拠によっても,抗告人らに,本訴によって相手方(被告)取締役,監査役,ひいては会社を害し,これに嫌がらせをすることにより,個人的利益を追求するなど社会的相当性がない違法な目的があると認めるに足る的確な疎明がない。

3  以上のとおり,抗告人らの本件本案訴訟提起をもって,商法267条6項において準用する場合の同法106条2項にいう「悪意ニ出デタルモノ」に当たるといえない。

六  相手方らの主張の検討

1  相手方らは,大和銀行においては,取締役,監査役は,業務執行取締役や従業員の業務執行の適正さについて疑うべき特段の事情がない限り,自己の分担業務以外の業務については,それが一応適正に行われているものと信頼する権利があると主張する。

(一) 確かに,大規模な株式会社において,株式会社制度の趣旨に則った適正な会社組織運営が行われており,その広範かつ複雑多岐にわたる会社業務の権限を,各取締役ないし従業員に委譲し,適正に職務分担させていることが多い。この場合,取締役,監査役が相当な注意をもって,権限を委譲されたこれらの者を選任,監督したのであれば,これらの者に違法行為があっても,これらの者を信頼して行動した取締役に責任を負わすことができないと解すべき場合がある。すなわち,相手方らの主張するような信頼の権利を認める余地がある。

しかし,もともと信頼の権利ないし抗弁は,相手方らにおいて立証すべき抗弁である。しかも,この信頼の権利ないし抗弁は,信頼したこと自体のみで完全かつ絶対的な抗弁となるものではない。信頼自体は,取締役の過失の有無,誠実で,かつ十分な注意義務を尽くしたか否かを裁判所が判断するための一事情ないし一つの間接事実にすぎないのである。

取締役の最終的な抗弁は,誠実に職務を行いかつ相当な注意をしたことにより帰責事由がないことである。取締役が信頼しようとする者の提出する情報,とくに本件のように権限の委譲がある場合は,権限委譲者たる取締役は,被委譲者の活動に関する情報を収集し,これを保持すべき義務がある。重要なことは,取締役,監査役が,批判的な分析をせず,機械的に信頼したにすぎないときは,情報に基づく判断をしたか否かに疑問が生じ,信頼の権利ないし抗弁はその基礎を失う。

しかも,銀行の取締役は,金銭,証券等の信託を受ける受託者の機関として,一般事業会社の取締役以上の,より厳格な責任を負うのである。このように取締役の責任が厳格化される場合には,それに応じて信頼の権利ないし抗弁も縮小ないし制限される。

その上,信頼の基礎をなす前示の株式会社制度の趣旨に則った適正な会社組織運営と権限委譲とは,単に株式会社に関する法規制を形式的に履践するにとどまらず,株式会社管理,支配に関する法の趣旨を実質的に実現するに足るものでなくてはならない。すなわち,株主総会,取締役会,取締役,監査役等の株式会社の諸機関が,法の趣旨に従った監視機能を十分に発揮できるような組織と権限分担が整っている必要がある。もとより,業務執行取締役や業務担当従業員として適正な者を選任し,これに対し十分な監督をすることも当然の前提となる。

それのみならず,業務執行に関する内部的な相互監視,牽制システムが確立されていることが必要である。

(二) 本件において,以上の信頼の権利ないし抗弁を認めるべき基礎ないし前提を充しているか否かを次に検討する。

前示のとおり,担当取締役の業務執行義務ないし担当外取締役及び監査役の監視義務について,相手方らに信頼の権利ないし抗弁を認めるための前示基礎ないし前提が備わっていることが,一見して明らかであるとはいえない。その理由は次のとおりである。

まず,相手方らの主張する信頼は,単に大企業である大和銀行において,その分担されている職制の適正を機械的に信頼していたことをいうにすぎない。

井口の行っているディーリングの質,量,その危険性に関する情報を入手して,分析検討したとの主張も立証もない。

とくに,権限委譲者である取締役ないしこれを監視すべき取締役,監査役において,被委譲者である井口の活動に関する情報を入手し,これを保持していたとの事実は認められない。単に相手方らは大和銀行が本件事故をマスコミに公表した平成7年9月26日まで知らなかったことをいうばかりである。

もっとも,監査役については,監査法人の無限定適正意見を信じたことをいうが,これを監査役として分析検討したことも,業務監査の視点から再吟味したことも主張していない。

そうすると,信頼の権利ないし抗弁の前提を欠き,相手方らが強調する大企業の取締役,監査役であることのみをもって信頼の権利ないし抗弁による免責を認めることはできない。

むしろ,乙第2,第10号証によれば,相手方らのうち経営陣に席を置いていた担当取締役らは,途中から井口の無断取引ないし違法取引を知りつつ,これを隠蔽して自社「大和銀行」ないし自己の地位保全を図ったことが窺知されないでもない。そうすると,これらのことが立証されれば,信頼の権利ないし抗弁を認める余地がなくなる。

本件記録によると,大和銀行において,株式会社の諸機関が,従前から法の本来予定していた権限を行使し,その監視機能を尽くすなど活性化していたかにつき,疑問を差し挟む余地がある。そうであるから,この点においても,すでに信頼の権利の適用の前提を欠く疑いがある。

次に,前示のとおり,証券取引業務では,その危険性を配慮し,証券ディーリング業務担当者の不正行為を未然に防止し,またその損害の拡大を最小限にとどめるために,証券売買部門(トレーダー)と資金決済,事務管理部門(バックオフィス)を完全に分離するなどのチェック体制を整えることが必要不可欠である。そうであるのに,大和銀行は,前示のとおり,国際金融の中心地であるニューヨーク支店における証券取引業務を行うに当たり,このチェック体制,すなわち内部統制システムを構築し,これを実施していなかった可能性が強い。むしろ,井口が単独で,しかも監視の目が及ばないダウンタウンのオフィスで証券取引の全プロセスを掌握できるような杜撰な管理体制を容認し,そのまま放置してきた可能性すら窺われる。すなわち,信頼の権利をいう前提としての内部統制システムが存在しなかったか,又は十分機能していなかった疑いが強い。

そして,会社の管理者ないしその監視機関である取締役ないし監査役にとって,以上のような内部統制システムの構築及び実施は,前示のとおり会社の組織づくりの基本にかかわる事柄であって,決して些末な問題ではない。このことは,証券ディーリング業務を行ううえの経営実務上の常識的事項である。他人の金銭,証券等の預託を受ける銀行の取締役は他の事業会社の取締役よりも厳格な責任を負うから,この点を疎かにすることはできない。すなわち,本件において,担当取締役,担当外取締役及び監査役のいずれにとっても,金融機関である大和銀行の基本的な組織運営のあり方にかかわる問題として,前示チェック体制ないし内部統制システムに常に関心を払い,業務執行対象ないし監視対象とすべきことがらであったのである。

以上のとおりであるから,本件本案訴訟において,相手方らが,信頼の権利ないし抗弁を主張することの一事によって,その業務執行ないし監視責任を免れることができない。その当否は以上の各点にわたる抗弁事実を相手方らにおいて本案裁判所で立証し得るか否かにかかっているのである。

したがって,相手方らの主張は理由がない。

2  相手方平岩新吾を除く相手方らは,こう主張する。

井口の本件無断取引が大和銀行の全取締役に報告されたのは,井口の頭取宛の手紙(平成7年7月13日付)の受領の後の,平成7年9月25日である。同日以前においては,井口の本件無断取引を推認させる事項が,大和銀行の取締役会に上程又は報告されたことはない。それ故,このような場合,取締役,監査役の監視義務は制限されるべきであり,右相手方らに監視義務があるとはいえない,と。

しかし,この主張は支持できない。

すなわち,取締役,監査役は,前示のとおり代表取締役,業務執行取締役など経営の業務執行に対し,一般的監視義務を負うのであって,それが取締役会に上程又は報告された事項に限られない(前掲最判昭48.5.22参照)。相手方らは,これは大企業には適用されず,大企業の取締役の監視義務は取締役会上程事項に限るべきであるという。しかし,そのように限局すべき根拠はない。なるほど,現在までわが国の株式会社,とくに大企業のいわゆる平取締役ないしその監査役は,その大半が社内取締役ないし監査役であり,これを従業員の年功功労報償的地位におく運用が広く行われてきた。それは厚遇を受けながら取締らない取締役,監査しない監査役として業務執行者の盲判的追認機構と化しているのである。平取締役や監査役は,いわゆる内輪意識による甘えから本来の監視義務を尽くしていないし,これをなしうる会社内部の体制も一般に十分でない。もとよりこのような現状を当裁判所も知らないではない。知らないではないが,そうだからといって,報酬のみを得て取締役,監査役として職務をとらない名誉職的ないし名目的な取締役に席を与えない法の趣旨をないがしろにすることはできない。前示のような現状に容易に妥協して,前示の責任要件の解釈を曲げ,法の趣旨に反して取締役,監査役の形骸化に途を拓くことはできない。とくに,銀行の取締役,監査役は,前示のとおり預金,国債,証券その他の受託者である銀行の管理者としてより厳格な責任を負う。とくに,信託兼業銀行である大和銀行においてそうである。このような管理者である取締役らにその責任を緩め,会社(銀行),預金者の財産の保護を軽視する解釈は到底とれないのである。

しかも,そもそも本件で問題とされているような証券取引業務における内部統制システムに関連する事項の有無が,取締役会に上程されなかった事実が証拠によって確定されているわけでもない。その上,右システムの構築等に関する事項は,前示のとおり決して枝葉末節の問題ではない。むしろ,金融機関にとって基本的な組織運営のあり方にかかわる事項である。そうであるから,右事項は取締役会の上程いかんにかかわらず,取締役,監査役は,自ら各方面からの情報収集を行い,これに基づき監視義務を尽くすべき義務があったのである。

以上に,前示三,四の説示を考え併せると,右相手方らに監視義務違反があるとみる余地がある。

したがって,右相手方らの主張は理由がない。

3  相手方らは,各相手方との関係で,損害が特定して主張されていないと主張する。

しかし,前示のとおり,抗告人らは,各相手方について,その監視義務違反と相当因果関係にある損害として,11億米ドルの請求をしている。そうであるから,損害に関する抗告人らの主張は特定している。

もっとも,抗告人らは,各相手方に対し,他の相手方らと一律に同一の金額を請求しているが,これは各相手方の取締役,監査役への在任期間との関係で,監視義務違反等と相当因果関係にある損害を各相手方ごとに主張すべきであると考えられなくもない。しかし,そもそも任務懈怠取締役の会社に対する賠償責任は連帯責任であり,その内部的負担割合を問わず全額の賠償責任を負うものである。それのみならず,井口の本件無断取引の具体的内容が,大和銀行の資料によって何ら明らかにされていない以上,現段階において,抗告人らが厳密な損害の前示異同を示さないこともやむを得ないことである。むしろ,現段階において,抗告人らに対して,直ちにこの特定の主張を要求するのは,不可能を強いることになる。そうすると,少なくとも,抗告人らが各相手方に対し,他の相手方らと一律に同一の金額を請求していることをもって,主張自体失当であるとか,事実的,法律的根拠を欠くということはできない。それ故,抗告人らの本件本案訴訟提起がこのことの故に,商法267条6項において準用する場合の同法106条2項にいう「悪意ニ出デタルモノ」に当たるものと推認することもできない。

したがって,相手方らの主張は理由がない。

4  相手方平岩新吾は,次のとおり主張する。株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(以下「商法特例法」という)18条の2第2項により,監査役全員一致の決議で,監査について,「常勤でない監査役は,原則として,取締役会への出席,随時取締役からの報告及び監査役会での報告などに基づいて監査を行う」こととされた。このため,右相手方は,右決議の趣旨に副って,情報収集に努めてきた。しかし,右相手方が本件無断取引を知ることができたのは,大和銀行がマスコミに公表した平成7年9月26日であった。そうであるから,右相手方に監視義務違反があるといえないことは一見して明らかであり,抗告人らの悪意は明らかである,と。

しかし,商法特例法の右条項但書が「ただし,監査役の権限の行使を妨げることはできない」と規定しているように,監査役の職務執行に関する右決議は,何ら各監査役の権限を制限するものではないし,そのようなことは法が許容していない。むしろ,右条項は,各監査役が,法によって与えられた権限を十分に行使することを前提に,そのための監査の方針,情報収集の方法等,監査役の職務執行に関する事項を定め,複数の監査役による,より効率的な職務執行を実現することを目指したものと解すべきである。したがって,各監査役の監視義務は,右決議の存在によって,何ら軽減されるべきものではない。

また,本件で問われているのは,監査役の担当取締役に対する監視義務違反である。すなわち,前示のとおり,担当取締役が,長年にわたり,ニューヨーク支店のリスクの多い証券取引業務に関して,適切なチェック体制ないし内部統制システムを構築し,実施していなかったことに対する監査役の監視義務違反の有無が本件の争点である。

そうであるから,監査役がなすべき情報収集は,国際金融の中心地であるニューヨーク支店において行われる証券取引業務について,どのような内部統制システムが構築され,実施されているかに関するものである。そして,監査役は,同業他社における右チェックシステムに関する情報を収集し,担当取締役,中でもニューヨーク支店長在任者又はその経験者に対し,右内部統制システムに関する情報収集をすることにより,その実態を把握することが可能であった。また,右情報収集活動によっても納得のいく説明が得られなければ,さらに他の担当取締役やニューヨーク支店の行員に対して情報収集を求めることもできた筈である。

相手方平岩新吾が,それ故に,同人の右内部統制システムに関する情報収集活動が十分であったとか,そもそも前示平成7年9月26日までの間に,およそ右情報を得ることが不可能であったと断定することはできない。

したがって,右相手方の主張は理由がない。

5  相手方平岩新吾は,抗告人らが,大西に対する訴えを取下げたのは,本件本案訴訟の提起が違法目的によることの証左であると主張する。

しかし,抗告人らが大西に対する訴えを取下げ,右相手方に対する訴えを維持しているからといって,これが直ちに,右相手方に対する経済的,心理的圧迫を加えることのみを目的として抗告人らが本訴を提起したことを示すものとはいえない。そして,右違法目的を認めるに足る的確な証拠がない。

したがって,右相手方の主張は理由がない。

七  結論

以上のとおり,相手方らの本件担保提供命令の申立は理由がなく,これを認容した原決定は相当ではない。よって,本件即時抗告は理由があるから,原決定を取り消し,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 吉川義春 裁判官 小田耕治 裁判官 杉江佳治)

<以下省略>

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