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大阪高等裁判所 平成9年(行コ)44号 判決 1998年4月28日

控訴人

景家臣子

右訴訟代理人弁護士

川合清文

被控訴人

芦屋市長

北村春江

右訴訟代理人弁護士

小林淑人

右訴訟復代理人弁護士

外山弘

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が控訴人に対して平成七年一一月七日付けでした災害弔慰金不支給決定を取り消す。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

本件事案の概要は、原判決事実及び理由第二 事案の概要(原判決二頁七行目から同一四頁末行まで)記載のとおりであるから、これを引用する。

第三  当裁判所の判断

一  争点1について

争点1についての当裁判所の判断は、原判決事実及び理由第三 争点に対する判断一 争点1について(原判決一五頁三行目から同一七頁四行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。

二  争点2について

1  法三条及び条例三条が「災害により死亡した市民の遺族に対し災害弔慰金を支給する」と規定している趣旨からすると、災害弔慰金が支給されるには、災害により死亡したこと、すなわち災害と死亡との間に相当因果関係が認められることが必要であるというべきである。

2  そこで、震災と但の死亡との因果関係の有無について検討する。

当事者間に争いがない事実及び証拠(甲二の1ないし8、乙二、五の1ないし12、八の1ないし4、証人登根孝之(ただし、後記採用しない部分を除く。)、同脇坂信嗣、控訴人本人)によれば以下の事実が認められる。

(一) 但は、昭和四一年に脳梗塞、平成五年に糖尿病を患って入院したことがあり、平成六年一一月当時、七五歳で、脳梗塞の後遺症による軽い左半身不全麻痺及び言語障害があったが、日常生活には支障はなかった。同年一一月八日、腹痛の検査のため病院に入院したが、当夜、胃潰瘍穿孔による汎発性腹膜炎を発症したため、翌九日緊急手術を受け、胃の三分の二を切除され、消化管洗浄及びドレナージ術を受け、術後管理のため一時集中治療室に収容された後、一旦は、一般病室に移された。しかし、高齢及び糖尿病による影響から経過が悪く、同月一五日には、軽い肺合併症を患い、痰が多く、呼吸が困難という状態にあった。そして、同月二二日には、依然として呼吸困難の状態にあった上、意識状態も悪化したことから、再び集中治療室に収容され、電気を動力源とする、モニターにより但の心拍、血圧等が計測され、また、自動ポンプで輸液の投与を受けるようになり、さらに、左胸水及び同気管支肺炎のため呼吸状態が悪かった上、自力による痰の喀出も困難であったことから、呼吸管理及び痰の吸引のため、気管内挿管の施行及び人工呼吸器の装着を受けた。また、同月二三日ころ、腎機能が低下し、乏尿状態に陥り、血圧のコントロールが困難となったことから、尿の排出を促すとともに血圧を保持するため、利尿及び昇圧ないしは血圧を一定の状態で維持する効能を有するイノバン(ツルドパミン)の投与を受けるようになった。同月二四日には、意識状態が悪化し、半昏睡の状況に陥った。同月二五日、意識状態が改善して自発呼吸が強くなり、自発呼吸のリズムと人工呼吸器のリズムが合わなくなったことから、一旦、人工呼吸器が外された。同月二七日には、意識状態が悪化し、自発呼吸が弱くなったことから、再び人工呼吸器の装着を受けた。

(二) 同年一二月二日、但は、呼吸状態が悪く、痰の吸引も困難であったため、気管切開による人工呼吸器の装着を受けた。また、このころから、消化管出血による下血のため貧血・低蛋白血症に陥り、輸血の施行を受けるようになった。同月三日、イノバンの投与による利尿の効果が得られなかったため、腹膜灌流の施行を受けた。その後も下血・無尿状態・発熱が続いた上、全身の浮腫が進行したことから、意識状態が悪化し、半昏睡の状態に陥り、強い刺激を与えても口をちょっと動かすか、眉をひそめる程度であった。その後も半昏睡の状態にあり、相変わらず下血が続く貧血状態で輸血の効果も上がらない上、無尿状態が続き、全身の浮腫もひどく、同月末には昏唾状態に陥った。

(三) 平成七年一月に入っても、但の病状は変わらなかった。但の主治医の登根孝之(以下「登根」という。)は、但に対し、貧血及び低蛋白血症の改善のため、主として輸血による治療を行っていたが、同月一一日には血液がそのままプリン状になって肛門から出てきてしまっていると思われる状態であったことから、同月一四日には、これを中止した。登根は、同月一一日、控訴人に対して、但は危篤状態にあり、病院としても打つ手がなく、いつ死亡してもおかしくないことを説明した。また、同月一二日と一四日には、但に対し、イノバンの投与がなされたが、十分な効果が上がらなかったことから、登根は、同月一五日、カルテに予後不良である旨記載し、当直医の脇坂信嗣(以下「脇坂」という。)に同夜のうちにも但が死亡するかもしれないことを伝達した。

(四) 但の容態が右のような状況にあったので、集中治療室においては、但の体温、心拍、血圧及び尿量を継続的に観察することが不可欠であったところ、平成七年一月一五日午後五時以降の但の心拍数、血圧及び尿量は、次のとおりであった(乙五の11)。

計測時  心拍数  血圧 尿量

(cc)

一月一五日

午後五時  72  120/47  7

午後七時  78  91/52  0

午後九時  73  92/54  3

一月一六日

午前〇時  84  94/40  20

午前二時  84  93/   0

判読不明

午前三時  83  102/51  1

午前四時  84  74/45  0

二〇分

午前四時  88  93/48  0

二五分

午前六時  82  90/51  1

午前九時  80  98/51  0

午前一〇時 83  95/55  0

午前一一時 80  97/50  0

午後〇時  78  98/58  2

午後一時     96/56  0

午後二時  80  94/59  0

午後三時  82  86/48  0

午後四時  82  84/51  0

午後五時  86  109/52  0

三〇分

午後七時  87  103/47  2

午後八時  85  99/48  0

午後九時  87  90/48  0

午後一〇時 85  91/48  0

午後一一時 86  92/40  0

一月一七日

午前〇時  86  91/44  0

午前二時  85  86/44  2

午前三時  83  110/56  0

午前四時  不明 90/46  不明

右のとおり、一月一六日午前四時二〇分に心拍に変化がないのに、但の血圧が74/45に降下したため、イノバンの投与量が毎時一〇ccから一五ccに増量され、同四時二五分には血圧が93/48まで回復したので、イノバンの投与量が毎時一〇ccに戻された。同日午後七時の段階では、但の意識障害の程度が高く、同人の生命維持のためには、血圧のコントロールや尿量の観察が不可欠な状態であった。

(五) 平成七年一月一七日午前五時四六分、震災が発生した。脇坂は、同日午前六時ころ、集中治療室に駆けつけたところ、但に装着されていた人工呼吸器やイノバンの自動輸液注入ポンプ等の機器、チューブ類が外れて飛び散り、薬品棚が倒れて薬品類が一面に散乱し、震災による停電のために、人工呼吸器や右自動輸液注入ポンプ及び心電図等のモニター類が停止した状態であった。脇坂は、人工呼吸器が外れていたものの、但が割合に勢いのある自発呼吸を行っていることを確認し、酸素を繋いで気道の確保を図る措置を取った。しかし、集中治療室が右のような状況にあったことから、モニターでの微妙な調節を要するイノバンの投与等ができない状態であった。同日午前六時三〇分ころ、脇坂は、但の様子を見に集中治療室に行ったところ、但の自発呼吸は弱まっていた。その原因として心機能の低下が考えられたことから、心マッサージを試みた。しかし、停電により心電図モニターが停止していたため、心電図の変化を見ながら心マッサージを行うことができなかったことなどから、間もなくこれを中止した。同日午前七時ころ、電気が復旧したため、脇坂は、再度集中治療室の様子を見に行ったところ、但の心電図は完全に平坦になっており、瞳孔は散大していたので、他のバイタルサインを確認した上、但が既に死亡していることを確認した。

(六) 但の死亡診断をした脇坂の所見は、但の病状は重症で末期ではあったが、当時、但に対して、種々の治療が、微妙な調節をしながら行われていたところ、震災による機器類の停止によって、心肺機能が極度に弱った状態で、右治療が一時的に中断されたため、但の容態が悪化してその死期を早め、平成七年一月一七日午前七時ころに死亡するに至ったもので、震災がなかったならば、但が同時刻ころに確実に死亡していたとの判断はできないというものである。

3  被控訴人は、前掲乙二号証の脇坂作成の死亡診断書に関して、その記載方法が通例のものではなく、これが災害弔慰金の支給が受けられるようにとの配慮のもとに、作成日付より後の平成七年五月二六日以降に作成されたものであるとして、その信用性を争う。しかし、証人脇坂は、右診断書の作成日及び作成経緯は右主張のとおりであるけれども、震災の影響で但が死亡したということをわかりやすくするために、その記載の仕方を変則的なものにしたが、その内容において、自己の経験していない事実や自己の認識に反することは記載していない旨明言していることからして、被控訴人主張の右事情をもって、乙二号証の信用性をいささかも減じさせるものではないというべきである。

なお、証人登根は、午前六時五〇分ころに病院に着き、但の死亡に立ち会った、病院に着いたときには電気は復旧していた旨供述するが、登根は但の死亡に立ち会っていないし、電気は午前七時ころに復旧し、そのときには既に但の心電図は平坦になっていて、直ちに但は死亡していると診断したとの証人脇坂の供述に照らし、たやすく採用できない。

また、被控訴人は、但に対し、震災時にイノバンが投与されていなかったと主張し、但の診療録(乙八の3)には、右主張を裏付けるかのような、ツルドパミン(イノバン)の投与に関して、一月一四日の欄には「ツルドパミン5A」との記載がされているが、同月一五日、一六日の欄にはその記載がされていない事実が認められる。しかしながら、証拠(証人脇坂)によると、ツルドパミン(イノバン)は、患者の血圧を見ながら投与する薬剤で、末期患者の但に対しては、主として、最低限の血圧を維持するために使用していたもので、血圧が上がれば切ることがあることが認められるところ、前記2の(四)で認定したとおり、但の血圧は、死亡二四時間前から最大が八四から一一〇の間で、最小が四〇から五九の間で推移していたもので、イノバンの投与を止める状況にはないことが明らかである。そうして、証拠(証人脇坂)によると、診療録の記載に関して、イノバンの投与を同量で継続するときには同薬剤を追加した旨の記載はしないことがあるが、投与を中止するときにはその旨の記載をすることが認められるところ、但の前記診療録(乙八の3)には、一月一五日以降の欄にイノバンの投与を中止した旨の記載がないこと、また、証拠(乙五の11)によると、但の入院記録には、前記認定の、一月一六日午前四時二〇分に但の血圧が74/45に降下したため、イノバンの投与量が毎時一〇ccから一五ccに増量され、同四時二五分には血圧が93/48まで回復したので、イノバンの投与量が毎時一〇ccに戻されたことを示す記載があることが認められ、これらの事実からすると、但に対し、震災時まで最低限度の血圧を維持するため、イノバンの投与がなされていたものと認められるから、被控訴人の右主張は採用できない。

4  右2、3の認定判断によると、但は、震災当時、消化管出血による下血が続き貧血状態にあり、この治療として行われた輸血も効果が上がらなかったため打ち切られていた上、腎不全による無尿状態が続き、全身の浮腫もひどく、昏睡状態にあって、病院としても打つ手がない状態であり、但の主治医の登根は、震災の六日前の平成七年一月一一日、控訴人に対して、但が右のような病状にあるため、いつ死亡してもおかしくないことを説明し、さらに、同月一五日には、カルテに予後不良である旨記載し、当直医の脇坂に同夜のうちにも但が死亡するかもしれないことを伝達していたことから、但は、震災当時、いつ死亡してもおかしくない状況にあり、震災がなくても数時間ないし数日のうちに死亡していたものと推認することができる。

しかしながら、震災と死亡との間に相当因果関係があるというためには、震災が原因となって死亡という結果が生じたと認められること、換言すれば、震災がなければ死亡という結果が生じていなかったと認められることが必要であるが、これが認められる以上は、死期が迫っていたか否かは右相当因果関係の存否の認定を左右するものではないというべきであって、たとえ、病気のため死期が迫っていて、震災がなくても、数時間あるいは数日後にその病気が原因となって死亡する可能性がある場合であっても、延命のための治療継続中で、震災が原因となってその治療が不可能になったため、死亡という結果が生じたこと及び震災がなければ、その治療の継続により、なお延命の可能性があり、少なくともその時期には未だ死亡という結果が生じていなかったと認められる以上は、右相当因果関係の存在を肯定するのが相当である。これを本件についてみると、但の病状は、右のとおり、重症で末期ではあったが、当時、但に対して、延命のための種々の治療が、微妙な調節をしながら行われていたこと、震災による停電により、但に装着されていた人工呼吸器や自動輸液注入ポンプが停止したこと、そのため但に対するイノバン等の薬剤投与ができなくなり、血圧の急激な下降等の症状が発生したこと、但は、震災直後の午前六時ころには、割合に勢いのある自発呼吸を行っていたものの、三〇分後には心機能の低下により自発呼吸は弱まったこと、これを見た当直医の脇坂は、心マッサージを試みたが、停電により心電図モニターが停止していたためこれを効果的に行うことができなかったこと、但の死亡診断をした脇坂の所見は、震災による機器類の停止によって、心肺機能が極度に弱った状態で、右治療が一時的に中断されたため、但の容態が悪化してその死期を早めたもので、震災がなかったならば、但が同時刻ころに死亡していたとの判断はできないというものであったことが認められるのであって、これらの事実からすると、但は、震災により機器類が停止し、集中治療室が機能していなかったため、通常であれば受け得たのと同様の延命治療の措置を受けることができず、これが原因で震災発生の約一時間後という時期に死亡したもので、震災がなければ、その治療の継続により、なお延命の可能性があり、少なくともその時期には未だ死亡という結果が生じていなかったものと認めるのが相当である。したがって、震災と但の死亡との間に相当因果関係があるというべきである。

なお、登根は、但の直接死因は胃潰瘍穿孔による汎発性腹膜炎を原因とする腎不全による消化管出血であるとの診断書(乙一)を作成し、証人尋問において、震災による自動輸液注入ポンプ等の停止が直接死因であることを否定する旨の供述をするが、前記認定のとおり、登根は、但の主治医とはいえ、震災前夜から震災直後の但の状況を何ら観察していないし、その死亡にも立ち会っていないものであって、右診断書は、震災が延命のための治療や但の死期に及ぼした影響について何ら考慮することなく、単に、但の死亡の原因となった病名を記載したものにすぎないもので、その記載によって、震災と但の死亡との因果関係の存否に関する前記認定を左右することはできないし、震災直後の但の状況を観察し、その死亡に立ち会った医師である証人脇坂の反対趣旨の証言に照らして、証人登根の右供述は、たやすく採用することができない。

三  そうすると、被控訴人が控訴人に対して平成七年一一月七日付けでした災害弔慰金不支給決定は、震災と但の死亡との間に相当因果関係があるのに、これがないと誤認した違法な処分というべきであるから、その取消を求める控訴人の請求は理由があり、これを認容すべきである。

よって、控訴人の請求を棄却した原判決は不当であるから、これを取り消して控訴人の請求を認容し、訴訟費用の負担について民訴法六七条二項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本矩夫 裁判官 宮城雅之 裁判官 奥田孝は、転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 山本矩夫)

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