大阪高等裁判所 昭和25年(ネ)596号 判決 1953年12月16日
控訴人 被告 京都府 代表者知事 蜷川虎三
訴訟代理人 北川敏夫
被控訴人 原告 竹内光枝
訴訟代理人 上西喜代治
主文
原判決を取消す。
被控訴人等の訴はいずれもこれを却下する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決中控訴人勝訴の部分を除いて、その余を取消す。被控訴人等の請求は、いずれもこれを棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、
被控訴代理人において、控訴人の主張に対し、元来時間外勤務手当は、労働者の身分に伴う上司の命による義務の履行に対する反対給付であり、他に別個の契納があつて生ずるものでないから、名称は、手当であつても、実質は給料であり、従つて、本件時間外手当は、俸給同様、控訴人府の負担たるべきものである。なお本件超過勤務命令簿(甲第八、九号証)は、乙第七号証の一ないし三所定の様式を履んでいないが、右乙号証の様式は、昭和二十三年三月一日、内事局長官庶務課長から各府県知事に宛てられた示達又は通牒であつて、訓示的なものに過ぎないから、これに違反したからと言つて、時間外手当の請求権に消長を来す筈はないと述べ控訴代理人において、被控訴人等教員は、その子弟に対する関係からみて、労働基準法第四十一条第三号に、いわゆる「事業の種類にかかわらず、監督若しくは管理の地位にある者」というに準ずべき立場にあるから、同条の立法趣旨に照しても、被控訴人等に超過勤務の観念は認められない。かりに、そうでないとしても本件時間外手当を支辨すべきものは、控訴人府ではなく、学校教育法第五条に基き、京都市である。けだし、時間外手当を、都道府県の負担とする旨の明文はなく、しかも小学校令(明治三十三年勅令第三四四号)に始まり、市町村立学校職員給与負担法(昭和二十三年七月十日法律第一三五号)に至る立法の沿革に徴しても都道府県の負担たるべき経費については、厳格な制限列挙主義をとり来つたことが窺はれるとともに、右経費たる俸給中に、時間外手当を含めるが如き解釈は、前者が固定給であるに対し、後者は不定期的な給付である等、両者その性質を異にする点に鑑み、常識上も是認し得ないところであるからである。もし、教員の俸給中に、時間外手当が含まれるとすれば、義務教育費国庫負担法(昭和十五年法律第二二号)により、その半額は、国庫において負担すべきである。なお、本件時間外手当支給の基礎たる、超過勤務命令簿は、乙第七号証の一ないし三の様式によらなければならないのにかかわらず、被控訴人等主張の甲第八、九号証の超過勤務命令簿は、右の様式を履んでいないから、時間外勤務の正確性を担保するものとは言い難く、従つて又これを以て、時間外勤務をする必要があつたことの根拠とすることはできない。
又かくの如き、所定の様式によらない時間外勤務につき、その手当を認めるにおいては、勢い、それが不明確な恣意的なものとなるを免れ難く、これが全国的に波及すれば、教員の利益のために、一般国民が犠牲に供せられ、予算上文教の破壊を来し、教員自らの人格の頽廃を招き、全体の奉仕者たるに惇ることになるから、本件時間外手当の請求は、憲法第十五条第二項、教育基本法第六条第二項に照し、権利の濫用というべきであつて、許されないと補述し、更に、被控訴人等の予備的請求に対し、本件時間外勤務は、被控訴人等教員が、全体の奉仕者として、当然の使命を遂行するためになされた奉仕たるに止まり、反対給付を伴うべき筋合のものでないのみならず、その勤務は、社会全体のために精神的な成果をもたらしたとしても、控訴人府に対する関係においては時間外手当を支給する必要がない限り、直接的にも、間接的にも不当利得を生ぜしめるものではない。かりに控訴人府において、何等かの不当利得を得たとしても、元来、控訴人等の時間外勤務は、強行法規たる労働基準法第三十三条、第三十六条に違反してなされた不法原因給付であり、しかも、右給付は、控訴人不知の間になされたものであつて、不法原因は、控訴人については全然存在しないのであるから、民法第七百八条に則り、控訴人に対する右利得の返還請求は許されないと附陳した外、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
証拠として
被控訴代理人は、甲一、二号証、同第三号証の一ないし三、同第四ないし第十二号証を提出し、原審証人二宮竜二、同中村斎二郎、同市川教一、原審ならびに当審証人井上宗次郎の各証言及び原審における被控訴人清水博章本人尋問の結果を各援用し、乙第八号証の一、二は不知と述べ、爾余の乙号各証の成立を認め、
控訴代理人は、乙第一、七、九号証の各一ないし三、同第二、三、五、八号証の各一、二、同第六号証の一ないし四、及び同第十、十一号証を提出し、原審ならびに当審証人松本芳郎、同内藤誉三郎、及び当審証人清水康平の各証言を援用し、甲第五ないし第十二号証は不知と述べ、爾余の甲号各証の成立を認めた。
理由
先ず、被控訴人等の主たる請求である、本件割増賃金(後記給与支払準則にいわゆる時間外手当)の請求について、控訴人京都府が当事者適格を有するや否やの点を判断する。
被控訴人等が、本件時間外手当の請求権が成立したと主張する、昭和二十二年七月一日以降昭和二十三年三月三十一日までの間における法制の下では、本件の如き公立小学校の教育行政は、国の事務であり、被控訴人等公立小学校教員は、国の機関として、その監督を受ける官吏であるとともに一方小学校の設置ならびにその管理は、地方公共団体の委任事務に属し、小学校教育費は、すべて、地方公共団体である市町村及び都道府県の負担とせられていて、講学上、いわゆる官営公費事業の一に属するを以て、本件の教員に対する時間外手当の如き、経済上の関係については、教員の任用者たる国の外、経費負担者たる地方公共団体も亦、当事者たる地位に立ち、受給権者に対し、直接これが支辨の義務を負担するものというべきであるから、本件時間外手当の給付訴訟を提起するについては、必ずしも国を相手方とする必要はなく、地方公共団体を相手方としても、その当事者適格に欠けるところはないものと解するのが、実際の便宜にも叶つて相当であり(昭和五年一月二十九日大判、同年二月二十二日大判参照)、国家賠償法第三条の規定も亦、右の道理を立法の上に明にしたものというべきである。(もつとも義務教育費国庫負担法によれば、小学校教員の俸給等のため、都道府県において要する経費の半額は、国庫において負担すべき旨規定せられているが、右は法文の文理からみても、国庫が、都道府県に対し、財源提供の趣旨において、同法所定の範囲の経費を支出すべきことを規定したに止まり、都道府県が右経費に関する限り、全般的な支払義務者たることと牴触するものでないこと明白である)
よつて進んで、地方公共団体のうち、いずれが、本件時間外手当の支払義務を負担するか、即ち支払義務者は、控訴人府であるか又は京都市であるかの点について審究するに、当時の準拠法令たる学校教育法(昭和二十二年三月三十一日法律第二六号)は、第五条において、「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いては、その学校の経費を負担する。」と規定し、本件の京都市立小学校の場合においては、その経費は、他に法令による特別の定がなければ、原則として京都市の負担たることを明にしており、一方、当時適用せられていた市町村の小学校及び中学校ならびに青年学校職員の俸給その他の給与の負担に関する政令(昭和二十三年二月五日政令第二八号)によれば、市町村立小学校の教諭、助教諭等教員の俸給、特別加俸、死亡賜金、旅費、臨時家族手当及び臨時勤務地手当は、都道府県の負担とし、右は、昭和二十二年四月一日からこれを適用する旨規定せられているが、本件の如き時間外手当については、別段の定めがない。もつとも、同政令は右の如く遡及して適用される関係上、適用時の当初の間は、労働基準法の施行前であり、従つて同法の割増賃金に該当する時間外手当の請求権も亦認められていなかつたのであるから、これに相当する規定を欠いているのは当然であるとともに、いやしくも労働基準法施行後においては、時間外手当が、元来時間外勤務に対する反対給付として、賃金たる性質を有するのと、右列挙の諸給与の系列からみて、当然俸給中にこれを含むものと解すべき余地があるかのようであるが、同政令の制定公布せられた昭和二十三年二月五日当時は、既に労働基準法施行後にかかるのみならず、それ以前の昭和二十二年十二月十二日には、労働基準法等の施行に伴う政府職員に係る給与の応急措置に関する法律(昭和二十二年法律第一六七号)が公布せられ、これによれば、政府職員の給与は、労働基準法所定の基準に達するまで増額支給せられることになり、特に、時間外、休日及び深夜の割増賃金に相当する給与については、昭和二十二年七月一日以後、その給与を支給すべき事由の生じた給与についてこれを適用する旨規定し、更に、その実施方法として、昭和二十三年一月二十五日、同法による給与支払準則(乙第五号証の一)を設け、超過勤務手当を、時間外手当、深夜手当、日直手当、宿直手当の四種に分け、これが支給方法を定めていることからみて、前記政令第二八号制定当時、超過勤務手当は、当然考慮に上り、これを同政令に規定すべきものとすれば、当然その旨の規定を設けた筈であるのみならず、右時間外手当は、必ずしも、その全部が、純然たる本務の延長に対する対価たるに限られているわけでなく、右本務に関連した勤務に対する時間外手当もあり得るわけであり、又一方俸給には、本務に対する反対給与たるの一面、勤務者に地位相当の生計費を支給する目的も含まれているのであるから、実質上両者がその性質を同じくするものとは、一概に言えないし、更に形式上からみても、俸給は、等給又は職級ごとに明確な金額の幅を以て定められているのに対し、時間外手当には、右のような段階的な定額がなく、時間によつて金額を異にし、予算上は勿論会計給与の面においても、両者の間には、明確な区別が存し、それぞれその取扱いを異にしていて、現に、政府職員の新給与実施に関する法律(昭和二十三年五月三十一日法律第四六号)第八条においても、俸給中に超過勤務手当が含まれないことを明にしている位であつて、画一的な取扱の要請せられる会計、財政に関連することであるから、自然解釈も厳格たるを要するは、当然であつて、以上の諸点に鑑ると前記政令の俸給中に、時間外手当を包含せしめるが如き解釈は、とうてい至難の業に属するものといわなければならない。更に飜つて、尓後の立法を見るに、市町村立学校職員給与負担法(昭和二十三年七月十日法律第一三五号)は前記政令を廃止するとともに、教員の俸給、特別加俸、死亡賜金、旅費、扶養手当、勤務地手当、退官又は退職手当、日直手当、宿直手当を都道府県の負担とする旨規定し、従前に比し、都道府県の負担たるべき給与の種目を拡張する一画、前記超過勤務手当については、そのうち、特に日直手当、宿直手当のみをとりあげて、これに加えており、その後二回の改正を経て、更に右の給与の種目を拡張し、前記の外、特殊勤務手当、期末手当、勤勉手当、寒冷地手当、石炭手当、公務災害補償等までを、殆んど網羅的に加えているにかかわらず、時間外手当について、終始触れるところがないのは、もはやこれを目して立法の過誤による脱漏とは言えないのは勿論、なおも同法の俸給中に時間外手当を含むものとするが如きは、当時の整備せられた給与に関する諸法規の用語と対照して、とうてい考えられないところであり、右は、むしろ、教育労働の特殊性に鑑み、時間外手当を以て、実際上、例外的なものとし、これを、都道府県の負担から除外する法意であるとみるを相当とし、この立法の経過より推及しても、前記政令中に、時間外手当を含まない趣旨は、自ら首肯し得られるところである。以上の観点よりして、結局本件時間外手当を支給すべきものとすれば、前記学校教育法第五条の原則的規定に立ち帰つて、それは京都市の負担であつて、控訴人府の負担に属せず、同府にはその支払義務なきものと解するの外はない。(なお、右法条により、市町村の負担する経費は、その管理する学校の物的設備に関する物件費のみに限らず、本件の如き人件費をも含むものであることは、同法条の文理からみても、立法の沿革に照しても明らかなところである。)従つて、控訴人府を相手方とする被控訴人等の本件時間外手当の請求は、当事者適格を欠くものというべきである。次に、被控訴人等の予備的請求である、不当利得返還請求(本件においては、主たる請求が右の如く不適法であるが、この場合においても、第二次的な審判を求める趣旨を含むものと解する)について、審按するに、被控訴人等の執行する小学校の教育事務は、国の事務であり、又その経費は、原則として京都市の負担であり控訴人府の負担すべき経費は、被控訴人等教員の俸給等特定の給与に限られていて、時間外手当或はそれの代償ともいうべき後記不当利得返還債務の如きものには及ばないこと、前段説示によつて明らかなところであるから、被控訴人等の時間外勤務につき、時間外手当の請求権が認められないことの故を以て、ここに不当利得が成立するとしても、教育行政の主体たる国及び経費負担者たる京都市において、利得返還義務を負担することあるは格別、控訴人府に不当利得を生じ、同府において、その返還義務を負担するが如き関係に立つわけでないから、控訴人府に対する被控訴人等の予備的請求も亦当事者適格を欠くものといわなければならない。
さすれば、被控訴人等の訴は、いずれも不適法であつて、これを却下すべく、右と異つた原判決は、不当であるから、これを取消すべきものとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九十六条第九十三条及び第八十九条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 吉村正道 判事 大田外一 判事 金田宇佐夫)