大阪高等裁判所 昭和26年(ネ)196号 判決 1954年8月07日
控訴人 原告 藤原忠一
訴訟代理人 滝川堯
被控訴人 被告 松本市五郎
主文
原判決を取り消す。
被控訴人は、控訴人に対し、金二万三十八円七十銭及びこれに対する昭和二十三年二月六日以降完済に至るまで、年五分の金員の支払をせよ。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
この判決は、控訴人において、金七千円の担保を供するときは、かりにこれを執行することができる。
事実
控訴代理人は、主文第一、二項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、
控訴代理人において、被控訴人と訴外渡辺信敏間の本件船舶の賃貸借契約において、船体の修繕費が、賃借人たる渡辺の負担と定められているのは、通常の修繕に関する場合であつて、本件の如く通常の修繕と言えない大修理については、あてはまらないのみならず、本件修繕に際し、控訴人先代藤原喜三郎は、渡辺を通じて被控訴人に対し、控訴人先代が本件船舶を渡辺より転借した上その修繕をなすべき旨を通知するとともに、右修繕費は、被控訴人において負担せられたき旨を申入れたのに対し、被控訴人はこれを承諾したので、控訴人先代は、被控訴人のため、本件修繕費金二万三十八円七十銭を立替支弁したものであるから、被控訴人に対し、同額の立替金債権を有する。かりに右主張が理由がないとしても、控訴人先代の右転借当時、本件船舶は大破損のため、堪航能力を失つていたのを修繕したのであるから、右修繕費は、本件船舶保存のために費された臨時的な必要費というべく、しかも修繕の前後一回もその使用をしないうちに、被控訴人よりその占有を取り上げられるに至つたものであるから、控訴人先代は、本件船舶の占有者として、その回復者たる被控訴人に対し、民法第百九十六条に基いて、右費用の償還請求権を有するに至つたものである。かりに右主張も亦理由がないとしても、原審において主張した如く、民法第七百三条に基いて、同額の不当利得の返還請求権を有するところ、控訴人先代は、昭和二十八年一月十三日死亡し、その相続により、控訴人が右権利を承継取得するに至つたものであると述べ、
被控訴人において、本件船舶の修繕は、通常の修繕であると否とを問わず、これを渡辺の負担とする約定の下に、同人と傭船契約を結んだものである。本件船舶の占有者は渡辺であり、その修繕をしたのも同人であるし、又傭船契約の合意解除に伴う船舶の返還も同人よりこれを受けたものであつて、被控訴人は、渡辺より控訴人先代に対してなされた本件船舶の貸借を承諾したこともなく、又渡辺を通じ、控訴人先代に対し、本件修繕費を被控訴人において負担すべき旨約した事実もない。渡辺との傭船契約当時、本船は朝鮮航海にも堪え得るような完全さを具えていたのであり、渡辺はその後栗山船長をして本件船舶を運航せしめた際、長崎県松浦郡新御厨町青島波止場において、堤防に本件船舶を激突せしめたことがあるほか、その後数度の航行に使用していて、本件船舶の破損は、そのために生じたものであるから、被控訴人としては、渡辺より右破損の修繕を受け、原状に復した上で、その返還を受けたのは、当然であつて、何等不当に利得したわけでない。逆に、被控訴人は、右破損による船価の下落のため損失を受けたほか、本件船舶に積載してあつた被控訴人所有の重油三鑵と錨、マニラロープを失い、又本件船舶の返還を受ける際の捜査に費用を要し、金四万円の損害さえ被つているのであつて、控訴人先代において、その主張の如き修繕費を支出したとしても、それは渡辺との間で解決せられるべき問題であつて、全くの第三者である被控訴人に対し、その償還を請求するが如きは、筋違いである。なお控訴人先代の死亡、その相続に関する控訴人の主張事実はこれを認めると述べ
たほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
証拠として
控訴代理人は、甲第一号証を提出し、原審証人伊藤武、同小田太一郎、同鐘ケ江貞右衛門、同三浦寛、原審並当審証人家田伝一、同渡辺信敏、当審証人栗山鶴作の各証言及び原審並当審における原告藤原喜三郎、原審における被告松本市五郎各本人尋問の結果を援用し、乙第十二、第十七号証中の郵便官署作成部分の成立を認め、その余の部分ならびに、その他の乙号各証は不知と述べ
被控訴人は、乙第一ないし第十四号証、同第十五号証の一ないし三、同第十六ないし第二十一号証を提出し、原審証人渡辺信敏、同家田伝一及び鐘ケ江貞右衛門の各証言を援用し、甲第一号証は不知と述べ
当裁判所は、職権を以て被控訴人本人の尋問をした。
理由
控訴人主張の機帆船金比羅丸(以下本船と称する。)が、被控訴人所有に属していたことは、当事者間に争がなく、しかして、原審並当審証人渡辺信敏の証言、原審並当審における被控訴人本人の供述及び右証拠によつて成立を認め得る乙第一号証によると、被控訴人は、昭和二十年十一月二十五日訴外渡辺信敏に対し、本船を使用料月千円、船体及び機関修繕料、船員給食料は渡辺の負担、期間昭和二十年十一月二十五日より、昭和二十一年五月二十四日までの六ケ月間、契約終了の際は、船体並船具、その他の備品は借用当時の状態に復して返還することの約定の下に、貸与し、かつ被控訴人より渡辺に本船の占有が移され、船長、船員の任免権も同人の手に委ねられていたことが認められ、これによれば右契約の法律上の性質は、船舶の賃貸借に該当するものというべきである。(被控訴人は、右契約が傭船契約であつたかのように主張するが、右は法律上の見解に過ぎないこと、その主張自体からも窺い得るところである。)
ところで、原審証人伊藤武、同三浦寛、同小田太一郎、原審並当審証人家田伝一、同渡辺信敏、当審証人栗山鶴作の各証言、原審並当審における原告藤原喜三郎本人の供述を綜合すると、昭和二十一年一月頃、渡辺は、訴外家田伝一の仲介によつて、賃借中の本船を控訴人先代藤原喜三郎に対し、賃料月千円、賃貸期間一年(但し期間満了後双方協議の上で延長することができる)、船員の給料、食糧は控訴人先代の負担等の約定の下に、これを転貸して、本船の占有を控訴人先代に移したこと、ならびに右転借当時、既に本船は破損による浸水夥しく、貨物の積載量半減し、大阪方面への航行は勿論、沿海航海の使用も危険な状態にあつたので、控訴人先代はその使用に先ち、渡辺と協議した結果、その修理にあたることになり、控訴人先代の名において、訴外有限会社瀬戸造船所に対し、船体その他の修繕を依頼するとともに、訴外谷崎鉄工所に対し修繕の一部を依頼し、これらに要する材料器具を購入し、船体を上架して、増釘、外板の切替をした外、機関台、機関等に修理を施し、同年二月二十九日から同年五月中頃までの約三箇月かかつて修理を完了し、これが修繕費として、合計金一万九千三百五円四十銭、材料等の購入費として合計金七百三十三円三十銭以上総額金二万三十八円七十銭を費した事実を認めることができる。
控訴人は、右修繕費については、控訴人先代において、渡辺を通じて被控訴人と折衝した結果、被控訴人においてこれを負担する約定が成立し、控訴人先代は、被控訴人のため該修繕費の立替支弁をしたわけであると主張するが、この点に関する原審証人伊藤武の証言は、原審並当審証人渡辺信敏の証言及び原審並当審における被控訴人本人の供述に照して信用し難く、その他控訴人の全証拠によつても、右事実を確認するに足りない。却つて右渡辺証人の証言や被控訴人本人の供述によると、渡辺は、被控訴人に対し、本船の修理に多額の費用を要することを告げ、その負担を求めたが、被控訴人の応諾するところとならなかつたのにかかわらず、控訴人先代に対しては、右承諾を得たかのような言動に出た関係上、前記被控訴人との賃貸借期間の満了によつて、控訴人先代に対する転貸借の継続が不能となり、控訴人先代の修繕費の支出が徒労に帰するのを防ぐため、被控訴人に対し賃貸借の更新を求め、昭和二十一年五月三十日、被控訴人主張のような条項の再度の賃貸借契約(修繕費の負担、賃借物返還義務に関する特約については、当初の賃貸借と同一内容)を結んだ上、さらに、被控訴人に対し本船の売却方を交渉したが、代金の調達不能のため破談に終つた始末であることが肯認できるから、控訴人の右主張は採用するに由がない。
それで、さらに、右修繕費につき、控訴人主張の如く、占有者の回復者に対する費用償還請求権が成立するかどうかについて審究するのに、前段認定の事実によれば、控訴人先代は渡辺との転貸借契約に基いて、同人より本船の引渡を受けて、その占有者となつたものであり、又右修繕費はその占有中に支出されたものであつて、修繕の箇所、程度からみて本船の保存のために費した必要費というべきのみならず、さらに右の外修繕期間、修繕費の価格ならびに前記被控訴人本人の供述によつて明らかな如く、終戦後、被控訴人が本船を取得した価格が金五万円であり、又右修繕当時、被控訴人が本船を渡辺に売却せんとした価格が金十一万円であることを思い合せるとき、本件修繕は通常の過程において必要とせられる修繕というよりは、臨時的な大修繕であり、従つてその費用も、単に通常の必要費であるとは言い難い。しかるところ、被控訴人が本船を自己の手許に引き取つたことは、当事者間に争なく、又右引取りの日時が、昭和二十一年六月二十五日頃であつて、当時本船の所在不明のため、被控訴人は、諸方を捜索した結果、長崎港大波止場においてこれを発見したので、本船に乗船していた船長で、控訴人先代の任命した鐘ケ江貞右衛門と折衝し、同人を通じ控訴人先代より本船の返還を受けた経緯であることは、郵便官署作成部分については成立に争がなくその余についても真正に成立したものと認める乙第十二号証、原審証人鐘ケ江貞右衛門の証言及び原審並当審における被控訴人本人の供述によつて認定し得るところである。もつとも、前認定の如く、当時被控訴人と渡辺との間に本船の賃貸借が存続していたので、被控訴人は、渡辺と合意の上これを解除し、渡辺をして本船の返還を約せしめた上、本船引取りの運びに至つたものであることは、前記被控訴人本人の供述によつて認められるところであるが、一面渡辺において、右本船返還の約定の成立を控訴人先代に通知して、本船につき占有移転の指図をしたものでないことは、前記渡辺証人の証言によつて明らかなところであるから、右事実を以て直ちに、被控訴人主張の如く、渡辺より本船の返還を受けたものとはなし難い。而して、本件修繕費が通常の必要費と言い難いこと右のとおりであり、かつ控訴人先代において、本船による法定果実を取得したことについて、被控訴人より何の主張立証もないのであるから、控訴人先代は、民法第百九十六条に従い、被控訴人に対し、右必要費の償還請求権を有するに至つたものというべきである。
もつとも、本件修繕当時、被控訴人と渡辺との間に、本船の賃貸借関係が存続し、その期間満了後も更新によつて継続していて本船返還の際に合意解除せられたものであり、又右賃貸借上、本船の修繕費は渡辺の負担とせられ、かつ賃貸借終了の際は、渡辺において本船を原状に復して返還すべき義務を負担していたものであること前認定の如くであつて、被控訴人は、右義務の存在を理由に控訴人先代に対する償還義務を争うものであるので、この点について検討するのに、本船が、被控訴人主張の如く右賃貸当初完全なものであつたとの点については、被控訴人本人のその旨の供述があるだけで、しかもこれを当審証人栗山鶴作の証言と対比するとき、いまだ、右事実を確認するに足る心証を惹き難く、又本件修繕が、前記認定のような規模の大修繕であることよりすれば、他に特別の事情なき限り、一概に本件修繕費を以て右約定に基き賃借人の負担たるべきものと断ずることができないのみならず、かりに、被控訴人主張の如く、本船が貸与当時完全なものであつたため、右原状回復義務に伴い、本船の修繕義務が生じ、本件の如き修繕費も、右約定にいわゆる修繕費に該当するとしても、本件の修繕をした主体は、賃借人たる渡辺ではなく、転借人たる控訴人先代であることも亦、前認定のとおりであり、又右転貸借については、賃貸人たる被控訴人の承諾を欠いていて、被控訴人に対抗し得ないものであることは、当事者間に争のないところであつて、控訴人先代は、本件修繕につき、右賃貸借上の特約の拘束を受けるいわれはなく、全く賃貸借関係の外に立つ第三者であるから、被控訴人において、右貸借上の特約のあることをたてにして、控訴人先代に対し、本船の占有回復者として負担する費用償還義務を免れるわけにゆかない。(被控訴人において右義務を履行したときは、さらに渡辺に対し、不当利得によりこれが償還請求権を有するや否やは別個の問題である。)また、控訴人先代と渡辺間の転貸借関係において、本件修繕費が渡辺の負担たるべきときは、控訴人先代において、渡辺に対しても亦民法第六百八条の規定に従い、右費用の償還請求権を有し、渡辺よりその償還を受けたときは、被控訴人に対する前記償還請求権も亦消滅するものと解すべき余地があるが、右償還のあつたことについての主張、立証もない本件においては、前者の費用償還請求権の存在は後者の費用償還請求権に何等影響を及ぼすものでないというべきである。
さらに、被控訴人主張の如く、本船の破損が渡辺において航海中これを堤防へ激突せしめたによるものであり、又渡辺或は控訴人先代の責に帰すべき事由によつて、船具等の喪失その他の損害を被つたとの点については、その証拠資料として、被控訴人本人の供述があるが、これを前記栗山、渡辺両証人の証言に照すとき、いまだ該供述のみによつて、直ちにこれを確認するに足るものとの心証を惹き難いし、かりにそのような事実があつたとしても、右破損の責を負うべきものは渡辺であつて、本件修繕をした控訴人先代ではないし、又その他の損失は、本件修繕とは別個の関係に立つわけであるから、右は、たかだか、渡辺又は控訴人先代に対し、損害賠償債権を成立せしめることあるは格別、そのことから直ちに、占有回復者として、控訴人先代に対して負担する前記償還義務を免れるものと言えないのは当然である。
しかして、控訴人は、昭和二十八年一月十三日、控訴人先代の死亡に基く相続によつて、その権利義務一切を承継取得したものであることは、被控訴人の認めるところであるから、被控訴人は、控訴人に対し、前記認定の必要費金二万三十八円七十銭及びこれに対する本訴状送達の翌日であること記録上推認し得べき昭和二十三年二月六日以降完済に至るまで、年五分の民事法定利率による遅延損害金を支払うべき義務あること明らかであるというべく、右支払を求める控訴人の本訴請求は正当であつてこれを認容すべく、右と反対に出でた原判決はこれを取り消すべきものとする。よつて、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九十六条第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 吉村正道 判事 大田外一 判事 金田宇佐夫)