大阪高等裁判所 昭和26年(ネ)738号 判決
当裁判所が、本件について昭和二十六年七月二十八日した強制執行停止決定は取り消す。
前項に限り仮に執行することができる。
二、事 実
控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の控訴人に対する大阪区裁判所昭和十八年(ハ)第一七六〇号家屋明渡請求事件の同年十月二十五日附和解調書の執行力ある正本に基く強制執行はこれを許さない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一、二項同旨の判決を求めた。
控訴代理人は本訴請求の原因として「控訴人は昭和二十五年二月二十八日父訴外井口茂七の死亡によりその相続人として茂七の有する一切の権利義務を承継したものであるが、被控訴人より亡茂七に対する債務名義として控訴の趣旨に表示した訴訟事件の和解調書があり、これによれば、亡茂七は被控訴人に対し大阪市北区堂島北町十九番地上木造瓦葺二階建北向一戸一棟建坪二十二坪九合、外二階坪二十坪一合五勺の家屋を昭和十九年十二月末日限り明け渡すべきことその他の和解条項の記載がある。しかしながら右債務名義による強制執行は次の理由により許されない。
(一) 被控訴人は亡茂七に対し右明渡期日の到来後約十ケ月経つた昭和二十年十月八日になつて始めて執行吏に委任して本件家屋の明渡を迫るところがあつた。しかし亡茂七が戦時中本件家屋に止つて防火に努力し、そのため、昭和二十年六月一日の空襲で周囲一帯が罹災したのに、本件家屋だけはその難を免れた事実があり、一方被控訴人は肩書地所在の大邸宅に居住して何等住生活に支障を感じない状況にあり、戦禍による住宅難に際し、明渡を強行することの非道に目覚め、被控訴人は昭和二十年十一月七日亡茂七に対し、改めて引続き本件家屋を賃料一ケ月金七十五円で賃貸する旨の契約を結び、亡茂七は同年一月より十月までの家賃金合計金七百五十円を被控訴人に支払つた。
(二) 仮に右賃貸借の成立が認められないとしても、その後被控訴人は亡茂七に対し自己の住宅難を理由に、亡茂七との同居方を申し込んで拒絶されるや、更に本件家屋を売却してその代金を分配することの提案をした、これは被控訴人において主観的にも客観的にも明渡の実現が到底不可能な状態であることに想到して右示談交渉をなすに至つたもので、被控訴人はこの示談交渉に入るに先立ち昭和二十一年十二月初頃亡茂七に対し本件家屋に居住することを認容し明渡の強制執行請求権を抛棄した。
(三) 仮にそうでないとしても、本件家屋の明渡期限である昭和十九年十二月当時市民は農山村へ陸続として疎開し、市内には空家が軒を連ねていた状況にありこのような状況下において防空体制の確立を期そうとする国家的見地に照応して被控訴人及び亡茂七は本件家屋を防護する責任があり、従つて本件条項の存在の如きは全く当事者の念頭を去り、被控訴人はむしろ進んで亡茂七が本件家屋に止まつて全力を挙げてその防護に努めることを希望したものであることは自明の理である。すなわち被控訴人は右明渡期日当時において従前の賃貸借が存在すると同様の状態の下に亡茂七の本件家屋に居住することを容認したものである。かような特別の事情があつて亡茂七の居住を許容した事実の存することは、裁判上の和解条項を超え、亡茂七と被控訴人間に社会信義則上当然に新たな賃貸借関係が成立したものといわなければならない。
(四) 仮にそうでないとしても本件裁判上の和解が成立した当時若しくは明渡期日当時と、終戦後被控訴人が明渡強制執行の予告をした当時及び現在とを比較すると、一般社会事情、殊に住宅事情において甚しい事情の変更が生じている。すなわち大阪市内においては本件和解の成立した昭和十八年十月頃から明渡期日の昭和十九年末頃乃至終戦直前に掛けて、空襲の災禍を避けるために府下或いは府外に疎開するものが殆ど全市に亘つて続出し、これがため当局は空家の管理については一般市民の協力を求め、その防火方法に腐心したところであり、従つて本件家屋の明渡期日から終戦時までの間に、被控訴人が明渡を求めたとすれば、亡茂七においても、市の内外いずれの場所にでも自由に借家を求めて転居し得た筈であり、敢て強制執行の手段に訴えるまでもなかつた。ところが終戦後の様相は一変し、それ以前においては到底想到し得なかつた戦禍のため、国民の全面的な生活苦、殊に住生活における困窮は言語に絶し、いまだに緩和改善の見るべきものがなく、住居を新しく求めることは甚だ困難である。被控訴人は空家のいくらでもあつた戦時中は亡茂七をして本件家屋の防衛に当らせておきながら、終戦後他に住宅を求めようとしても容易に求め得ない昭和二十年十月以降に至つて、これが明渡の強制執行をしようとするものであつて、かように住宅事情の著しく変更した現在において右和解調書に基く明渡の強制執行を為すことは信義誠実の原則上甚しく妥当を欠くものである。従つて控訴人は右事情の変更を理由として、本件裁判上の和解の基礎である和解契約につき本訴において(昭和二十四年十一月二十八日の原審第一回口頭弁論期日に亡茂七が、仮にそれが認められないとすれば、昭和二十六年六月二十九日の原審口頭弁論期日に控訴人が)解除の意思表示をした。
以上の次第で本件和解調書は債務名義としての執行力を既に失つているのに、被控訴人は右和解調書により明渡の強制執行をしようとするから、右債務名義の執行力の排除を求めると述べ、被控訴代理人は答弁として「控訴人の主張事実中、訴外井口茂七の死亡による控訴人の相続の事実及び控訴人主張の裁判上の和解成立の事実は認めるが、その余の事実は否認する」と述べた。
<立証省略>
三、理 由
控訴人がその主張の日その父井口茂七の死亡により、その相続人として茂七の有する一切の権利義務を承継した事実、及び控訴人主張の日その主張のような裁判上の和解が成立し、その旨の和解調書の存する事実は当事者間に争いがない。そこで控訴人の主張する右債務名義の執行力を排除する理由について順次判断する。
まず(一)控訴人は昭和二十年十一月七日亡茂七と被控訴人間に新たな賃貸借が成立したと主張するが、これを認めるに足る証拠は存しない。控訴人は被控訴人は新賃貸借に基く家賃金を受領したと主張しその証拠として提出する甲第一号証には、昭和二十年一月から同年十月までの本件家屋の「家賃に相当する損害金」として金七百五十円を領収する旨の記載があり、而も原審並びに当審証人家治浩造の証言及び当審での被控訴人本人の供述によれば、本件明渡の強制執行の委任を受けた家治執行吏に対し、亡茂七が無償で居住する訳にはいかぬからとて任意右金員を交付したので、被控訴人は家賃ではなく家賃に相当する損害金としてこれを受領し、その旨を明確にするため前記甲第一号証を作成したことが明かであつて、決して新たな賃貸借が成立したものではないことが認められるから、右(一)の主張は排斥する。
次に被控訴人は本件明渡の強制執行請求権を抛棄したという(二)の主張について考えてみる。原審での証人としての控訴人の訊問の結果中「亡茂七と被控訴人の息子池上勝郎とが示談の方法として本件家屋を売却して代金を折半するか、亡茂七の方で本件家屋を買い受けて欲しいと話していた」との部分は原審証人池上勝郎の証言に照したやすく信用できない。その他に控訴人の主張事実を認めるに足る証拠はない。ただ原審証人家治浩造は「被控訴人の長男は医者をしているので、亡茂七が本件家屋の一部を使つて貰うことを申し出たことがあり、又亡茂七が買う申出をしたこともあると被控訴人の息子から聞いたことがある」と証言する。右証言によつて認められることは本件家屋についての亡茂七の共同使用の意見もしくは買受希望であつて、被控訴人側の意向ではないのであり、被控訴人側は同居もしくは売却の意思の全然ないことが、成立に争いのない乙第一乃至第十四号証原審証人池上勝郎の証言、当審での被控訴人本人の訊問の結果により認められる。従つて控訴人の右(二)の主張は採用できない。
進んで信義則による賃貸借成立の(三)の主張について判断するに、控訴人の全立証によるも、被控訴人が従前の賃貸借が存在すると同様の状態の下に、亡茂七が本件家屋に居住することを認容し、もしくは亡茂七をして本件家屋の防衛に当らしめるがため亡茂七を引き続き本件家屋に止まらせた事実を認めることができないから、かような事実の存在を前提とする控訴人の右(三)の主張は採用の限りでない。
最後に(四)の事情変更の原則による解除の主張について判断する。
いわゆる事情変更の原則は、信義衡平の原則の要請により、認められるところの、法律行為の解決の規範であつて、それは、(イ)法律行為成立当時その環境となつた事情について著しい変更が生じ、(ロ)その事情の変更は当事者双方の予見しなかつた且つ予見し得なかつたもので、(ハ)当事者の責に帰することのできない事由によつて発生し、(ニ)その結果当初の法律効果を発生させ、もしくはその法律関係を維持することが著しく信義衡平の観念に反するという四つの要件がそなわる場合に、信義衡平の観念上法律行為の内容の変更を相当とするときにはその変更請求権を、その法律行為から生ずる拘束を免れさせることを要するときには法律行為の解約又は解除権を当事者に取得させる効果を持つ規範である。そして裁判上の和解は一方において訴訟行為であるとともに他方において常に私法上の法律行為の性質を有するものであるから、右事情変更の原則は裁判上の和解にも適用があるものと解するのが相当である。そこで本件について右に述べた事情変更の原則を適用すべき要件がそなわつているかどうかを考えてみる。本件裁判上の和解の成立した昭和十八年十月頃には、戦局はようやく敗戦の様相を露わし、国民生活は次第に圧迫され窮屈になりつつあつたが、住生活には格別不便なところはなく、むしろ大阪市内の住宅事情には相当の余裕さえあつたのである。ところが昭和二十年に入るや本土空襲は俄然激化し、大阪市の内外も幾度か空襲を受けて多数の住宅が罹災焼失し、昔日の姿は一変した。そのため、終戦後数ケ月はそれほどでもなかつたが、やがて大阪市の内外及び近郊都市の住宅事情は極度に逼迫化し、その後多少ながら緩和の傾向にあるとはいえ現在においても、その住宅難は解消を見ていない。以上のことは公知の事実である、そしてかような住宅事情の激変悪化は、本件和解成立当時亡茂七及び被控訴人その他何人も予見せず、且つ予見し得なかつたものであることも説明を要しない。しかしながら被控訴人が空家のいくらでもあつた戦時中には、本件家屋明渡の請求をなさず、亡茂七をして本件家屋の防衛に当らせたという控訴人の主張事実はその全証拠によるもこれを認めることができない。かえつて成立に争いのない乙第一乃至第十四号証に原審証人池上勝郎、同色川幸太郎、原審並びに当審証人家治浩造の各証言、原審並びに当審での被控訴人本人の訊問の結果を綜合すれば、被控訴人は昭和十九年十二月末の本件家屋明渡期限の到来後間もなく執行吏紙谷竹松に明渡の強制執行を委任(その執行記録は戦災で消失)したが、明渡を得られず終戦後まだ大阪市内の住宅事情のさまで悪化していなかつた昭和二十年十月初め執行吏家治浩造に明渡の強制執行を委任し、同月八日強制執行のため右執行吏を本件家屋に赴かせたが、亡茂七が暫時猶予を乞うたので、同月十六日まで執行を猶予し、なおその頃被控訴人は弁護士にも右明渡の件を委任し、爾来昭和二十一年末頃まで繰り返し右執行吏を強制執行のため本件家屋に臨ませたが、亡茂七がその都度口実を設けて猶予を求めたためと、なおその間本件建物の一部に進駐軍兵士が出入していたので、執行するにも十分にその了解が得られなければ面倒なことになるおそれがあつたため、被控訴人側は亡茂七の任意明渡による円満な解決を期待して執行を控えて来たが、最後に昭和二十四年十月六日続行の手続を執るや、亡茂七が本件異議訴訟に及んだこと、被控訴人側は本件家屋を自ら使用する考えで且つその必要の存することが認められる。以上の事実から考えると、本件和解の法律効果を発生させ又は維持することが著しく信義衡平に反するということはできない。従つて本件には事情変更の原則の適用上の最後の要件がそなわつていないのであるから、控訴人の解除権の行使の主張は理由がないものとして排斥する。
されば控訴人の本訴請求は失当でありこれを棄却した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条、第八十九条、第五百四十八条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 田中正雄 神戸敬太郎 平峰隆)