大判例

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大阪高等裁判所 昭和26年(ネ)927号 判決

被控訴人は控訴人西きく江に対し金十四万五千円、控訴人西政博同西律子に対し各金七万円、控訴人木下福太郎同木下勝美に対し各金十六万五千円及びそれぞれ右金員に対する昭和二十三年八月二十八日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人等のその余の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通してこれを十分し、その九を被控訴人の負担としてその余を控訴人等の負担とする。

二、事  実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人西きく江に対し金二十七万八百七十九円、控訴人西政博、同西律子に対し各金十八万七千八百四十三円、控訴人木下福太郎、同木下勝美に対し各金十七万六千七百十五円五十銭及びそれぞれ右金員に対する昭和二十三年八月二十八日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は原判決摘示事実と同一であるから、ここにこれを引用する。

<立証省略>

三、理  由

昭和二十三年六月十日午後五時頃被控訴会社経営の阪神電車線のいわゆる出入橋大踏切において西政次郎、木下富美子、同幸子の三名が被控訴会社の下り神戸行電車に衝突して死亡したことは当事者間に争いがない。控訴人等は右事故は被控訴会社の使用人である同踏切看守が事故発生の直前大阪行上り電車の踏切通過と同時に遮断機を上げ、同踏切南側で待つていた前記被害者等に軌道内立入を許した過失に基因するものであると主張し、被控訴人は被害者等の過失に基くものであり、被控訴人の使用人には全然過失はないと抗争する。そこでまず右事故がどのような事情環境の下に発生したかを判断する。各成立に争いのない甲第一乃至五号証、乙第一号証、原審並びに当審証人木下美代子、同坪田麗子、同宮本トメ、同加藤義一、同川上菊市、同井上正治、同中田大門、原審証人河村虎太郎、同杉政敬の各証言原審並びに当審での各検証の結果を綜合すれば、次の事実を認定することができる。

本件事故の発生したいわゆる出入橋大踏切は、大阪市北区梅田町一〇一番地先で、ほぼ東西に走る被控訴会社の阪神電車線路と、東に同区梅田町を西に上福島中一丁目を控えて、ほぼ南北に通ずる幅員約十間の道路との交叉面に存在し、南側に上り(大阪方面行)北側に下り(神戸方面行)の電車軌道が平行に接して敷設され、踏切東方約一丁の位置に被控訴会社電車駅出入橋駅があつた。事故当時はこの踏切の南北両側の東西両端に柱(地面に垂直に固着し、高さ約三尺)を有する屈折式踏切遮断機合計四個が設けられ、各柱から出ている遮断棒はそれぞれ踏切の一方の側の中央までを遮断する長さを有し、東西の遮断棒の先端は、それが上つているときは離れているが、下るにつれて次第に近附き、下り切つたときに中央で合致し、全踏切の通行を遮断する作用をなし、遮断棒はほぼ同じ長さの第一アーム第二アームの二部分に分れ、下り切つたときはいずれも地面から約三尺の高さを保つて一直線を形成するが、第一アームの先端はそれから伸びている第二アームを常に依然地面とほぼ水平の状態に保ちながら弧を描いて上り又は下り、上り切つたときには第一アームは地面とほぼ直角をなし、そのため第二アームはほぼ第一アームの長さだけ昇降する構造であつた。各遮断機はその柱の下部ホイルが、踏切の東南隅に接して建てられた番舎内に設置された一台の操作機の下部のシヤフトに続くチエンホイルに、チエンによつて連絡され、従つて操作機のハンドルを手動廻転(廻転数は二回と極く僅か)することにより、各遮断機の遮断棒は同時に上下開閉し、以て踏切の通行を自由に或は遮断する仕組になつていた。ところで事故発生当時この踏切の西側半分は改修工事のため軌道を堀り起し、軌道の両側に敷石や土砂が盛り上げられ通行不能の状態にあつたので、西側の二つの遮断機の遮断棒は上げられたまま休止し、東側の二つの遮断機のみが操作されていた。踏切警鈴は二本設備され、下り電車のための警鈴は番舎に接し、上り電車のための警鈴は踏切の西北角の位置にあり、いずれも電車が踏切から一定の距離に近附いた時から自動的に鳴り初め、電車が通過し終るまで鳴り続ける仕掛になつていた。番舎は踏切の東南隅に在り、東西一間南北約五尺位の大きさで四方に硝子窓があり、入口は西方踏切の方に向つており、看守は操作機を操縦するため、これを前にして座席を占めれば自然に西方踏切がほぼその前面にあり、踏切通行の人車と近附く上り電車及び去り行く下り電車を認めることができ、前方を向いたまま、背後の軌道上の電車の去来を席の前のバツクミラーに写して認めることが可能であつた。右番舎があるため、この踏切の南側に待避する通行人には踏切の東方は見透し困難で、殊に踏切の東方で軌道が北にやや曲線を描いている関係上、踏切を通過した上り電車があるときは、これと擦れ違う下り電車はその蔭にかくれて認め難い場合も生じた。被控訴会社は本件踏切が大踏切で交通量も相当多いことを考慮し、踏切通行の安全を図るため、踏切看守二名を配置し、一名は番舎内で遮断棒操作に当らせ、他の一名は番舎外に立ち、交通整理をなすとともに、進行電車に対し旗を振り踏切通過の支障の有無の信号を送る任務につかせていた。

事故発生当日この踏切看守の任についていたのは、川上菊市と加藤義一の二名であつて、川上は昭和十六年から被控訴会社に踏切看守として勤務し、この踏切に配置されたのは昭和二十二年初頃からで、当日は午前五時から勤務につき午後五時頃は前記整理及び旗振の任務に従事し、一方加藤は昭和二十二年十二月から被控訴会社に踏切看守として勤務し、この踏切に配置され、当日は午前七時頃から勤務につき、午後五時頃は前記遮断機操縦の任務に従事していた。

さて、本件事故が発生した直前の昭和二十三年六月十日午後五時頃であつた。常のとおり電車の近附いたことを報らせる警鈴が鳴り初めたので、川上菊市は番舎から外に出、加藤義一はハンドルを回転して、遮断機の遮断棒を降した。川上は番舎の近くの遮断棒の内側に立ち、折柄踏切に近附いて来た上り急行電車を認めて白旗を振つて合図をしていた。これと前後して踏切の南側では坪田麗子(その当時高等学校一年生)、控訴人木下福太郎、同木下勝美両名の長女である木下美代子(昭和九年七月十九日生、その当時中学一年生)同じく二女の木下富美子(昭和十三年二月十一日生、その当時小学四年生)同じく三女の幸子(昭和十六年十月二十七日生、その当時小学一年生)、控訴人西きく江の夫で同西政博(昭和六年二月一日生)同西律子(昭和九年七月七日生)の父である西政次郎(明治二十八年九月十五日生)その他約十名内外の者が南から北に踏切を渡るため差し掛り、遮断棒の上るのを待つていた。坪田麗子は遮断棒に近接し、且つ遮断棒の柱から約一米の距離に位置し、木下美代子はやはり柱の近くにおり、その位置は坪田麗子の右横で、且つ前記旗を振つていた川上の背後辺りに当り、木下富美子は遮断棒の中央辺りに、木下幸子は更にその左横におり西政次郎は自転車に乗つて踏切に差し掛り、遮断棒の西端近くで待避していた。なお踏切の北側には十名位の通行人が待避していた。上り急行電車はやがて踏切に姿を現わし、これを通過し掛けた。これと時を同じくして、被控訴会社の電車運転手井上正治の運転する下り臨時急行電車が出入橋駅を通過して踏切に迫つていた。川上菊市はこの下り電車を既に認めてこれに対して白旗を振つたが、踏切待避中の通行人に対しては、下り電車が踏切に迫つていたことを警告しないまま、番舎の方に向を変えて番舎内に入るような態勢を取つた。この時先の上り急行電車の後部はまだ踏切上にあつたのであるが、番舎内で操作機を操縦していた加藤義一は下り電車が踏切の直前に迫つていたのに気附かず、ハンドルを回転して遮断棒を上げに掛り、坪田麗子や木下美代子の待避していた附近で五、六尺の高さに、従つて西政次郎の待避位置ではそれ以上のかなりの高さに遮断棒が上つた。遮断棒が上るや待避中の六、七名の歩行者は右下り電車のあることを知らず、危険はないものと思い、踏切を横断しようと殆ど一斉に踏切内に足を踏み入れ、西政次郎は自転車を乗り入れ掛けた。それは上り電車と擦れ違い様に下り急行電車が時速約四十粁の速度で踏切の手前二、三間の距離に急迫していた瞬間であつた。川上菊市はこの通行人の動静を知らず、従つてこれを措止する行動も取らなかつた。井上運転手はこれを認めて警笛を鳴らし急停車の措置を取つたが及ばず、木下富美子、木下幸子、西政次郎は進行して来た右電車の前部に激突し、西政次郎は踏切の西の軌道と軌道の間に倒れて即死し、富美子と幸子は工事中の穴の中にはね飛ばされ、富美子は即死、幸子は重傷を負い、翌日死亡する惨事を惹起した。坪田麗子と木下美代子は一旦踏切内に一歩足を入れた瞬間、ふと右を見て下り電車を眼前に認め危く後退し、美代子はそのときようやく下り掛けていた遮断棒の外側に逃れ出、麗子はこれにしがみつき、九死に一生を得たのである。

以上の認定に反する証言は信用しない。被控訴人は遮断機は二、三尺上つただけである。それは通行人の誰かが勝手に遮断棒を手で持ち上げたものであると抗争するから、この点について少しく説明を加えよう。

まず甲第三乃至五号証によれば、旗を振つていた踏切看守川上菊市は下り臨時急行電車が踏切の直前に迫つたとき遮断棒は下りたままになつていたと、事故発生当時主張していたことがうかがえるし、それから一年後の昭和二十四年六月二十一日原審で「上下電車通過の時遮断機は下つたままで証人は南側遮断機が上つたのは見ていない。北側の遮断機は全然動いていなかつた」と証言しているが、南側の遮断棒が一旦上つたことは他のすべての証人の証言の一致するところであるし、川上自身も当審では「下り臨時急行電車が踏切にかかろうとする寸前に、降りたままになつている遮断機の浜側だけが少し上つて直ぐ降りた」と証言を改めるに至つた。従つて遮断棒が上つたことは動かすべからざる事実といわなければならない。それでは遮断棒はどの位の高さに上つたのだろうか。番舎内にいた踏切看守加藤義一は原審で「上り電車がヽヽヽ通過した直前に遮断機が三、四尺ばかり上つた」「番小屋で見ていたら三、四尺程上つたように思うが踏切の場所で四、五尺上つたというようなことは尺で測つたのではないからわからぬ」と証言し、下り電車の運転手井上正治は原審で「遮断機の高さは証人が見たとき丁度人が通れる位の高さであつた。電車が踏切に接近したとき遮断機の根本の方から女の子二人と西端から自転車に乗つた男が踏切に乗り掛つた」と証言し、当審で「遮断機は人の背丈より少し高く上つたように思う」と証言して遮断機の根本から一米の距離にいた坪田麗子は原審で「証人の通れる程度に遮断機が上つたから渡ろうとして一歩入つた時に、右を見ると電車がすぐ間近に迫つていた。驚いて後へ戻つた、その時遮断機は胸の高さまで下つていたので遮断機にひつついて電車の通過を待つた」と証言し、当審でも同趣旨の証言をし、右坪田の右側にいた木下美代子は当審で「遮断機が証人の背丈位まで上つたので踏切内に入りかけて神戸行の電車を認め「あつ」というて後退し、遮断機が下りて来るまでにその外に逃れた」と証言し、原審でも「上りの電車が通過したとき遮断機は一旦上へ上つたが下りの電車が来るまで少しの間があつたと思う。遮断機は証人の頭より少し上に証人が通れる位は上つていた」と同趣旨の証言をしている。

以上の証言を綜合して、判断すれば、本件屈折式遮断機の遮断棒は下り臨時急行電車が踏切の間近に迫つた直前には、その根本のところで高等学校一年の坪田麗子と中学一年の木下美代子(現在の身長一米五五)の背丈位まで上り、遮断棒の第二アームは大人の男が自転車に乗つて通れる以上のかなりの高さに上つたものと認めることができる。それらの者が踏切内に入つた後遮断棒がなお高く上つたものであることは、前記坪田麗子や木下美代子の各証言、原審証人河村虎太郎の「証人は踏切近くの交通巡査の休息所の工事の現場監督に行き、行つて三分間程すると「パン」という音がしたので踏切の方を向くと同時に電車が通過し、遮断機が上から下りて来るのが見えた。下りて来た遮断機は工事していない東側半分の遮断機で、それは完全に上つていたように思う。証人が見たのは電車通過後に下りて来たのを見たので、その時遮断機が高く上つていたのを見た。何時上つたのかは知らぬ。証人は西側の工事している遮断機の側近く、建築工事中の現場に西を向いて立つて話をしていたところ、「パン」と音がしたので東側を向いた。そこへ電車が通過して行つた。被害者である男の人は自転車に乗つており、自転車には木箱を積んでいたので、電車と衝突した時「パン」と音がしたものと思う。自転車も箱も滅茶滅茶にこわれていた」という証言によつて認めることができるのである。遮断棒の上つた高さに関する当審証人加藤義一、同川上菊市の証言は前掲各証言に比べて信用できないし、他に右認定を左右するに足る証拠は存在しない。そこで次に、ではどうしてこの遮断棒が上つたのかという核心の問題を解決しよう。被控訴人は通行者が遮断機を持ち上げたと主張し、これに符合するように証人加藤義一は原審で「通行人の中で遮断機に障り番小屋で見ていたら三、四尺程上つたように思う。」「人が轢かれた際にはしまつたと思つて証人自身でも腹の底から出た言葉で誰が遮断機に障りやがつたんかといつてまごついた」と証言し、当審で「本件事故が起つたのは誰かに下りている遮断機を上げられたからであると思う。」「誰かが手で持ち上げた。然し誰が持ち上げたかは判らなかつた。」「持ち上げているのは見ている。」「当時操作機には故障はなかつたが、ワイヤーが少しゆるんでいた。そのため遮断機を手で持ち上げると遮断機の中心部は目の高さ位まで、すなわち地上から五尺位上り、端の方は普通の位置より二尺位すなわち地上から四尺位上る。当時女の子等は中心部に、大人の人は端の方で待つていた。右遮断機は大人の人が立つたままで通れる程は上らなかつた。遮断機を継いでいるワイヤーにゆるみがある場合、遮断機には分銅で以て重量が平均するようになつているので、手で持ち上げても直ぐ上る。ワイヤーのゆるみはハンドルを二回廻す程あつた。ワイヤーがゆるんでいることは事故が起るまで判らなかつた。ワイヤーにゆるみのあることが判つたのは事故があつて二、三日して現場検証が行われたときである。」と証言し、川上菊市は当審で「遮断機は誰かが持ち上げたものと思うが、誰が持ち上げたか見ていないので判らぬ。」「遮断機の浜側だけが少し上つたのは遮断機の西側半分が工事中でワイヤーが外してあつたので、多少融通がつくようになつていたのではないかと思う。」「死んだ子供二人の中どちらかが遮断機を持ち上げたのではないかと思う。」「誰かが遮断機を持ち上げたとき子供が通れる位は上つたかも知れないが、大人が通れる程は上らなかつたと思う。」「片方のワイヤーを外したのは当日の朝九時頃である。それまでは外してなかつた。」「子供は遮断機の中間位のところにおり、大人の人は端の方にいた。遮断機を手で持ち上げた場合直ぐに降りる。又根本の方は重くて仲々手で上らない。」「当日操作機のハンドルを廻して見てもワイヤーのゆるんでいることは判らなかつた。「警察の方が来たとき警察の人が上げて見たところ一尺位しか上らなかつた。」と証言する。右川上の証言は遮断機は上らなかつたという原審での証言をひるがえしたものであり、誰かが持ち上げたというのも全然想像に基くものであり、見聞した事実ではない。加藤義一ははつきり見たと証言しているが、この証言は信用できない。なんとなれば、右に摘示した二人の証言を検討すれば多くの矛盾があり、それは通行人が遮断機を手で持ち上げたのを現認したという加藤の証言を無価値にしている。原審での検証の結果によれば「本件踏切に設備されたような屈折式遮断機は遮断時に操作機のハンドルに近い方の側の第二アーム及び凸腕に手を掛けてこれを持ち上げようとしてもなかなか持ち上げることは困難というよりも不可能に近い」のである。加藤や川上の証言するように当日朝西側の遮断機のチエンを外したためチエンに多少ゆるみが生じていたとすれば、それを当日朝から事故発生時まで、及びそれから二、三日後に警察の現場調査が行われるまで、加藤や川上がそれに気附かなかつたというのは解せない。それも良いとしよう。しかし、チエンのゆるみのあるために手で持ち上げることにより遮断棒が上つたとしても、一尺位すなわち地面から四尺位の高さに過ぎないのであるから、大人が立つたままでは通り得ない理である。前記加藤や川上の証言が正しいとすれば、西政次郎が木箱を積んだ自転車を乗り入れた事実の説明が附かない。通行人が遮断時に遮断棒に手を触れることは全然ないことではない。しかし本件遮断棒は上り電車が踏切を通過し終る直前、上り急行電車が踏切の東方数間の距離に迫つた時に止りかけ、大人の通行を可能にする高さまで上り、踏切の南側で遮断棒の上るのを待つていた通行人七、八名が、何の疑念も危険感も持たず殆ど一斉に踏切内に入りかけた。この前記認定の情況のもとにおいては、通行人の誰かが遮断棒に手を触れ、これを手で持ち上げたためにそれが上つたと考えることの不合理は明白である。遮断棒が、力を加えられずに自然に上る道理はない。この遮断棒は番舎内で操作機のハンドルを廻転することにより、極めて容易に、極めて自然に上げることができた。とすれば前記認定の情況は、操作機を操縦する任務についていた者が番舎内でハンドルを廻転したために遮断棒が上つた。すなわち加藤義一がこれを上げたと推断せざるを得ない。こう推断して初めて前記認定の事情の納得か行くのである。上り電車の通過直後この踏切を通過する下り電車のあることを知りながら踏切看守が遮断棒を上げることは通常あり得ないことであるから、加藤は右下り電車のあることを気附かずに遮断棒を上げたものと認めるのが相当である。加藤義一の原審での「証人が遮断機を上げたのではない」との証言、及び用があつて事故当時本件踏切の番舎内に立ち寄つていたという被控訴会社の踏切看守中田大門の原審での「証人は事故が起るまで加藤が遮断機を操作しているのを見ていたが、加藤はハンドルに手を掛けたままで、遮断機を上げるような動作をしたことは全然なかつた」との証言当審での「加藤は下りている遮断機を上げるようにハンドルを廻さなかつた。加藤はハンドルを持つたままじつとしていた。証人は加藤の手許を見ていた。他は見ていなかつた。」との証言は信用できない。成立に争いのない乙第一号証(川上菊市に対する業務上過失致死被告事件について都島簡易裁判所が昭和二十五年六月八日宣告した刑事判決謄本)は以上の認定の妨げとはならない。

およそ電車踏切において上下の両電車が踏切附近で擦れ違い一方の電車の通過直後他方の電車が踏切を通過することは、度々生ずることであり、上下双方の警報機が鳴つていても踏切の両側で遮断機の遮断棒の上るのを待つている通行人には鳴つている警報はどれか双方か片方かをはつきり識別することは難かしいから、一度下りた遮断棒が上つた場合には――殊に他方の電車の進行接近しつつあることについて格別の警告を与えられないままそうなつたときはなおさらのこと――他方の電車の接近に気附かず、踏切を通行しても何等の危険がないものと考え、漫然と踏切内に立ち入る場合があり、かつそう考えて行動するのが通常であり、これを不注意としてとがめるのは酷であろう。されば踏切看守として配置された者が細心の注意を払つて危険の発生を未然に防止すべきで、二名の看守がこれに当るときは、互に緊密な連絡を取つてそうしなければならない。すなわち一名の番舎内にあつて遮断機操縦の任務を有する者は、番舎外で後記任務に従事する他の一名と連絡を取りつつ、常に上下の電車の進行の有無、進行状態に注意し、一方の電車が踏切を通過したとしても、直ちに遮断機を上げず、他方から接近する電車があるかどうか通行人が踏切に入つても安全にこれを横断し得るかどうかを確める義務を有し、そうするまでは踏切を依然遮断状態に置く義務があるものというべきであり、又一名の番舎外にあつて通行人の交通整理及び電車に対する信号の任務に従事する者は、番舎内で前記任務に従事する他の一名と連絡を取りつつ、通行人の動静、遮断機の状態、電車の進行通過に留意し、電車運転手に対しては踏切通過の危険の有無を信号し、通行人に対しては一方の電車が通過後に通過する他方の電車のあることを警告し以て踏切の通過通行の安全を図る義務があるものというべきである。殊に本件踏切の南側に待避中の通行人には下り電車の接近を見透し難い状況にあるから、これらの通行人に対しては下り電車の接近は十分に警告されなければならないのである。そうだとすれば、本件において加藤義一が下り電車が踏切の直前に迫つていたのにこれに気附かず、操作機のハンドルを廻転して本件遮断機を開いたのは明かにその義務を怠つた過失であり、川上菊市が下り電車が踏切の直前に迫つていたことを知りながら、これを通行人に警告する措置に出ず、遮断棒が上りかけて通行人が踏切内に入りかけたのを阻止する行動に出なかつたのは、これ亦その義務を怠つた過失というべく、従つて西政次郎、木下富美子、木下幸子三名の本件事故死は、右加藤義一及び川上菊市の共同過失に基因するものと認めるのが相当である。そうである以上被控訴人は右両名の使用者として民法第七百十五条により、西政次郎の妻子である控訴人西きく江、同政博、同律子に対し木下富美子、同幸子の両親である控訴人木下福太郎、同勝美に対し、右不法行為につき損害賠償の責があるものといわなければならない。

そこで進んで損害額について考える。まず、西政次郎関係において同人の死亡により西きく江はその妻として、控訴人西政博はその長男として控訴人西律子はその長女として精神上の苦痛を蒙つたことは当然であり、その慰藉料としては諸般の事情に鑑み控訴人きく江につき金十万円、控訴人政博、同律子につきそれぞれ金七万円を以て相当と認める。又第三者の作成に係り当裁判所が真正に成立したと認める甲第六号証、当審での控訴人きく江本人訊問の結果によれば同控訴人は西政次郎の葬式費用等として金五万八千三百三十五円を昭和二十三年六月十日から同月十二日の間に支出していることを認めることができるが、該金員の内金四万五千円は本件事故と相当因果関係のある支出と認められる。なお右控訴人三名は西政次郎の死亡当時魚道具商及びブローカーを兼営し、その収入から家族四人の生活費を控除して毎月二万円以上の剰余があり、その残存年令中の得べかりし利益を喪失し、その損害賠償請求債権を右控訴人三名において相続したので、その内金として各金十一万二千八百四十三円の支払を求めると主張するが、西政次郎が死亡当時毎月いくらかの剰余収入のあつたことはこれを認めるに足る証拠がないから、右主張は排斥する。次に木下富美子、同幸子の関係において右両名を一時に相次いで失つたことにより控訴人木下福太郎がその父として控訴人勝美はその母として精神上の苦痛を蒙つたことは当然であり、その慰藉料としては諸般の事情に鑑み、各金十四万円を以て相当と認める。又第三者の作成に係り当裁判所が真正に成立したと認める甲第七号証、当審での控訴人木下福太郎本人訊問の結果によれば、右控訴人両名は富美子及び幸子の葬式費用等として金五万三千四百三十五円を昭和二十三年六月十日から同月十五日の間に支出していることを認めることができるが、該金員の内金五万円は本件事故と相当因果関係のある支出と認められる。従つて右控訴人両名は各その半額金二万五千円の損害賠償請求権を有するものというべきである。果してそうだとすれば、被控訴人は控訴人西きく江に対し金十四万五千円控訴人西政博同西律子に対し各金七万円控訴人木下福太郎、同木下勝美に対し各金十六万五千円及びそれぞれ右金員に対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明確な昭和二十三年八月二十八日から右支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべきである。

よつて、各控訴人の本訴請求は右範囲において正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきであり、これと符合しない原判決は変更する要があるので、民事訴訟法第三百八十六条、第九十五条、第九十二条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中正雄 神戸敬太郎 平峯隆)

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