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大阪高等裁判所 昭和27年(う)976号 判決 1953年2月27日

控訴人 被告人 厳義燮 弁護人 阿部甚吉 村田太郎

大阪地方検察庁検事正代理検事 藤田太郎

検察官 西山[先先] 横山邦義

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役壱年に処する。

原審並びに当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

事実

被告人は、大阪市大淀区長柄西通三丁目七十五番地株式会社浪速照明硝子製造所構内にある同会社事務室裏側に居住しておるものであるが、昭和二十六年三月二十日午後五時三十分頃、前記会社へ注文の電燈笠を取りに来た石川重治(当時三十年)と同人の従弟田中政治(当時二十四年)とが、飲酒酩酊して、同会社出荷係小林某を突き倒し、同会社社長小堀半四郎を割木を以て殴り、同会社専務取締役石田友次郎を手拳で殴り、更に通行の老人を倒す等の乱暴を働いた上、被告人方入口内側に居た被告人といわゆる義弟の間がらにある長谷川三郎こと金斗三(当時二十九年)を見て、石川が「こいつも殴つてしまえ」と言う声に応じて、田中が被告人方人口から屋内土間に入つて来て、割木を以て金斗三の頭部を殴り、更に続けて殴ろうとしたので、金斗三が田中の割木を持つている手を押えて屋外に押し出し、被告人居宅前の空地においてもみ合つておるところへ、石川が「コイツかかつて来たな」と言いながら、素手で、金斗三の背後に廻り、田中に加勢して金斗三に暴行を加えようとする態勢を示したので、屋内において右の様子を見ていた被告人は、金斗三が危険であると思い、同人を救援してその権利を防衛しようとして、被告人方出入口附近に置いてあつた薪割用手斧を取つて、石川の背後から同人の後頭部を殴打し、石川が一旦よろめいて立ち上ろうとしたところを、更に同人の前頭部を殴打して気絶させ、その結果、右石川に右前頭部骨折硬脳膜外出血、脳挫傷等の傷害を加え且つ化膿性脳膜炎を発起させて、同月二十三日午前九時頃、大阪市北区浮田町六番地行岡病院において死亡するに至らしめたものである。

証拠の標目

一、原審第一ないし第九回公判調書中被告人の供述記載

二、被告人の司法警察員に対する第三、第四回各供述調書の記載

三、被告人の検察官に対する第一回供述調書の記載

四、原審公判調書中証人金斗三、同小堀半四郎の各供述記載

五、当審証人小堀半四郎、同金斗三、同田中政治の各供述

六、金斗三の検察官に対する供述調書の記載

七、青木美代子の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書の記載

八、杉原康雄の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書の記載

九、司法警察員並びに原裁判所のなした各検証調書の記載

十、医師山田之朗作成の死亡診断書、医師大村得三作成の鑑定書の各記載

を綜合して判示事実を認める。

法令の適用

被告人の判示行為は、刑法第二百五条第一項に当るところ、前示のように過剰防衛であるから、同法第三十六条第二項、第六十八条第三号により減軽をした刑期範囲内において処断するのであるが、前記のような犯行の動機、態様、被害者の遺族に慰藉料十五万円(内現金五万円、他は部品の提供、手形債権による相殺)を支払い示談が成立しておること、改悛の情その他諸般の事情を考慮し、被告人を懲役一年に処する。但し被告人に執行猶予を附することは適当でない。なお、刑事訴訟法第百八十一条により原審並びに当審における訴訟費用の負担を定める。

(裁判長判事 瀬谷信義 判事 山崎薫 判事 西尾貢一)

理由

本件各控訴の趣意は、大阪地方検察庁検事正代理検事藤田太郎作成の控訴趣意書、弁護人村田太郎作成の控訴趣意書、弁護人阿部甚吉作成の控訴趣意書、控訴趣意補充書各記載のとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、弁護人村田太郎作成の答弁書記載のとおりである。

弁護人村田太郎の控訴趣意第一点及び弁護人阿部甚吉の控訴趣意中第一ないし第八項について、

弁護人阿部甚吉は、本件の被害者石川重治や田中政治等が、酒に醉うて被告人方に侵入して長谷川三郎こと金斗三に暴行を加え、金斗三がこれを防ぎながら家屋の入口から約二間の所へ押し出したのは金斗三から言えば、故なく他人の住居に侵入したものを排斥しようとする行為の延長と見てさしつかえなく、且つ金斗三の生命身体に対する現在の危険が存し、又は現在の危険がなくても被告人が恐怖、狼狽のあまり右の危険があると思料したのであるから「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」第一条第一項第三号、第二項に当る、と主張するけれども、原判決の挙示する証拠によると被告人は、金斗三が一旦被告人の住居に侵入した田中政治を屋外に押し出した後において、石川重治が、金斗三と格闘中の田中に加勢しようとしたのに対し、金斗三を救援する意思を以て石川を殴り倒したのであつて、被告人の加害行為は、その住居に侵入した者以外の者に対して行われたことが明らかであるから、被告人の行為は同弁護人主張の法条に該当しないものと解すべきである。

次に、両弁護人は、被告人の行為は、正当防衛か、少くとも過剰防衛であると主張するについて案ずるに、原判決は、原審弁護人等の右同様の主張に対し、「本件は所謂喧嘩争闘中に被告人が一方に加担する目的で攻撃を加えたものであつて、急迫不正の侵害に対し他人の権利を防衛する為已むことを得ざるに出た行為と認めることはできないから、弁護人の右主張は採用することができない」と判示しておるが、いわゆる喧嘩闘争とは双方が互に相手方に対し同時に攻撃及び防禦を為す意思を以て闘争することを言うのであるから、もつぱら他人の暴行を防禦するだけで相手方に対し暴行を加える意思がないときは、たとえ相手方と格闘した事実があつても、いわゆる喧嘩闘争をしたものとは言えない。

原裁判所において取り調べた後記の証拠及び当審において取り調べた証人小堀半四郎、同金斗三、同田中政治の各供述を綜合すると、被告人は、同人所有のガラス製造工場を株式会社浪速照明硝子製造所(社長小堀半四郎)に貸与し、自分は同工場内事務所裏側の家屋に居住しているものであり、被害者石川重治は、敷津照明硝子店の名義を以て照明器具卸商を営み、右浪速硝子と取引関係のあつたものであるが、原判示の日の昼頃、石川がかねて注文してあつた電燈笠を受け取るため、同人の従弟に当る田中政治と店員上田光夫とともに、オート三輪車で右工場へ行つたところ、小堀から「まだ品物ができていないから二時間ほど待つてくれ」と言われ、三人で天神橋筋に行つてちよつと映画を見てから酒を飲み、午後五時過頃右工場へ帰つて来て、製品を右三輪車に積込にかかつたが、石川と田中とは相当酔うていたので、石川は同工場出荷係小林某に「ながいこと待たした」と文句を言い、田中がやにわに右出荷係を突き倒し、更に田中が、工場事務室に行つて小堀に対し、「仁義を切れ」等と暴言をはき、暴れた上、工場入口附近において、燃料の割木を以て小堀の腕を殴り、石川が、田中の暴行を止めようとした前記浪速硝子製造所専務取締役石田友次郎を手拳で殴る等の乱暴を働いた後、石川が小堀に対し呑みに行こうと言い出し、小堀は、石川等が酔うておるので、その意に従い、上田の運転する三輪車に乗つて門外に出たが、石川と田中とは、工場構内に残つて通行の老人を倒すなどの酔態を演じていたところ、たまたま同事務所裏側にある被告人居宅人口の内側に、被告人と懇意の間がらで義弟と呼んでいる長谷川三郎こと金斗三(当時二十九年)がたばこに火をつけながら石川等の方を見ているのに気づき、石川が田中に対して「なんぢやこいつもやつてしまえ」と言うと、田中が被告人居宅内土間に入つて来て、割木を以て金斗三の頭部を殴り、更に続けて殴ろうとしたので、金斗三は田中の割木を持つている手を押え、屋外に押し出し、被告人居宅前の空地でもみ合つておるところへ、石川が「コイツかかつて来たな」と言いながら素手で金斗三の背後に廻り田中に加勢して金斗三に暴行を加えようとする態勢を示したので、屋内において右の様子を見ていた被告人は、金斗三が危険であると思い、同人を救援しようとして、同人方出入口附近に置いてあつた薪割用の手斧を取つて、石川の背後から同人の後頭部を殴打し、石川が一旦よろめいて立ち上ろうとしたところ、更に同人の前頭部を一撃して気絶させ、右の第二撃が致命傷となつて原判示の日時場所において死亡するに至らしめたことを認め得られる。そうすると、金斗三が田中に組みついて行つて格闘したのは、田中が理由なく屋内に侵入して来て暴行を加えるのを排除するためであり、田中に対し互に攻撃防禦を反覆するいわゆる喧嘩闘争の意思であつたとは見られない。もつとも、青木美代子、杉原康雄の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書には、金斗三と田中政治、石川重治との三人が殴りあい若しくはつかみあいをしておるところへ被告人が行つて殴つたのを見たという趣旨の陳述をしており、また金斗三は検察官に対して「田中に殴られたのでムカツとして田中に飛びついて行つた」と述べ被告人は司法警察員(第四回供述調書)に対し「私は石川や田中が何の関係もない金斗三を殴るのを見て急に腹が立つた」と述べておるが、それだけでは金斗三が喧嘩闘争の意思であつたこと又は被告人が喧嘩闘争の一方に加担する目的であつたことを認めるには足りない。その他記録を精査しても金斗三に前記のような攻撃意思のあつたことを認め得る証拠はないのである。原判決もまた量刑に関する説明として「被告人は同人と所謂義兄弟の間柄にある長谷川が石川から理由なく薪で殴られているのを見てその急を救うべく本件所為に出たものである」と判示しておるのである。

然るに、原判決は、原審弁護人等の右主張に対し、金斗三と田中との格闘が「喧嘩争闘」であつて、被告人は金斗三に加担する目的で石川に対し攻撃を加えたものと判断したのは失当であると言わねばならない。然らば、石川と田中とは共同して、金斗三の身体に対し急迫不正の侵害を加えたものであつて、被告人が義弟の関係にある金斗三の権利を防衛するため右の共同暴行者に対し加害行為を為すのは、また已むを得ざるところと言わねばならない。しかしながら、被告人が凶器を持つていない石川に対し、手斧を以てその背後から後頭部を殴打し、同人が一旦よろめいて立ち上ろうとするところを更にその前頭部を殴打し、右の第二撃によつて致命傷を与えたことは、明らかに防衛の程度を超えたものと言わなければならない。本件は、刑法第三十六条第一項の正当防衛には当らないが、同条第二項の過剰防衛にはなると解すべきである。原判決が原審弁護人等の過剰防衛の主張を排斥したのは事実を誤認したものであつて、右の誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて、量刑に関する弁護人等のその余の控訴趣意及び検察官の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条に従い原判決を破棄し、同法第四百条但し書によつて更に判決をする。

弁護人村田太郎の控訴趣意

第一点原判決が本件行為につき正当防衛乃至過剰防衛の主張を容れなかつたのは著るしく事実の認定を誤れるか又は法律の解釈を誤つた違法がある。

一、原判決は本件につき左の事実を認定して被告人を懲役一年の実刑に処した。

『昭和二十六年三月二十日午後五時三十分頃大阪市大淀区長柄西通三丁目七十五番地浪花硝子製造所内被告人方土間へ酒気を帯びた石川重治(当時三十年)田中政治(当時二十四年)の両名が暴れ込み、石川の「此奴も殴つてしまえ」と云う声に応じて田中が同所に居合せた被告人と所謂義弟の間柄にある長谷川三郎こと金斗三(当時二十九年)を手にした薪様の物で殴り付けたので同人は田中を押出し被告人方前空地で三人が争つていた。同家居間でこれを目撃した被告人は激昂して金に功勢すべく相手の得物に対抗するため同家入口開戸にもたれかけてあつた薪割用手斧を突嗟の間に手に取り飛び出して丁度金を殴り付けようとしていた前記石川の後頭部を右手斧で一撃しために昏倒して起上ろうとする同人の前頭部を再び右手斧を以て殴打し脳挫傷並びに外傷性化膿性脳炎を発起して同月二十三日午前九時頃大阪市北区浮田町六番地行岡病院に於て死亡するに至らしめたものである』

二、弁護人側に於ては第一回公判以来被告人の行為は石川、田中等の急迫不正の侵害に対し所謂義弟の金斗三の生命身体を防衛する為の已むを得ざる行為であつて、法律上正当防衛少くとも過剰防衛に該当するものであることを主張して来たが原審の容るるところとならず原判決は『本件は所謂喧嘩闘争中に被告人が一方に加担する目的で攻撃を加えたものであるから弁護人の主張は採用出来ない』と述べている。然し記録を検討し当時の情況を判断して見ると、(1) 石川、田中等と金斗三が所謂喧嘩闘争をしていたものとは考えられないのみならず、(2) 被告人が金斗三に加担する目的で相手の得物に対抗する為に薪割用手斧を以て攻撃を加えたものとは到底認められないのであつて、本件被告人の行為は飽迄も石川等の一方的な暴行行為に対し金斗三の危急を救ふ為に行われたものと見るべきである。

三、其処で本件に於て急迫不正の侵害があつたかどうかについて考えてみると、(1) 石川、田中等は突然且何等の理由もなく被告人宅に侵入し「此奴もやつてしまえ」と言ひつつ薪で金を殴打し、更に田中を押出したところ二人で前後より之を殴ろうとしている(金斗三の公判廷に於ける証言)。原判決は石川、田中等と金が空地で争つていたと述べているが金の立場は飽迄も受身であり、石川、田中等の暴力行為に対する自救行為に過ぎないのであつて、石川等の不正侵害が継続していたのである。仮に喧嘩に該当するにしても其の一方が余りにも不法な行為に出る時には之に対する正当防衛と云うことが考えられてもよいのではなかろうか?(2) 石川等は当時相当飲酒酩酊し其の行動は極めて常軌を逸していたものの如くであり、金斗三に対する暴行の前にも被告人方工場附近で相当乱暴を働いた事実があり如何なる行動に出るか予測出来ないものがあつた(金斗三、小堀半四郎の公判廷の証言、田中政治、上田光夫の警察での供述)。(3) 被告人並びに金斗三は石川等と何等面識なく且何故侵害を受けるかを理解し得ず精神的、心理的に動揺せる事実(金斗三の公判廷に於ける証言、被告人の検察官、司法警察員に対する供述)。(4) 特に被告人が金斗三の将に殴られんとするのを発見し、突嗟に薪割用手斧を持つて飛出した時の情況乃至被告人の心理は金斗三に加勢すると云うよりも更に切迫したものがあり、一瞬も早く金の危険を除去せんとした事情が窺われるのであつて此の点は原判決も認める如く『興奮の余り瞬間的に本件犯行に及んだもの』と云うべく時間的にも心理的にも全く余裕が無かつたものであるから、喧嘩闘争の一方に加担する意思があつたものとは考え難く、之有りとするも深く咎むべきものではない。(5) 以上の如く当時の事情を見るならば仮令得物が薪様の物に過ぎずとも若し被告人が本件行為に出なかつたならば或は逆に金斗三が重大な被害を受くるに至つたやも知れぬのであつて、之に依つて見るならば当時急迫不正な侵害があり、被告人の行為が単に斗闘中の一方に加担する目的で為されたものでないことは明白である。又仮令侵害自体は強度のものでなくとも一日の仕事も了えて安堵感にひたつていた被告人が突然の侵入を受け急迫な侵害ありと考えたことは容易に了解出来るところである。

四、本件行為が義弟の金斗三の生命、身体の危険を防衛する為に行われたものであることは異論の無いところであるが、更に本件が已むを得ざるものであることも前段で論じた諸点より大略推察し得るところと考える。本件に於も被告人が薪割用手斧を用いたことは甚だ遺憾であり、且之が為に大事を惹起するに至つたもので、他の何等かの適当適切な方法で事態を処理すべき道が全く無かつたものとは考え難いが然し当時の切迫せる事情下にあつてそれ丈の思慮を廻らすことは通常人には容易に期待し難いところである。器具の選択についても亦然りであつて、被告人が手斧を用ひたのも偶々それが身近にあつたためであることは原判決も認めている如くである。

五、以上の如く本件被告人の行為は充分正当防衛の要件を充足していると考えられるのであるが其の与えた打撃が余りにも強烈であり惹起した結果が余りにも悲惨なものである点特に薪割用手斧で殴打したと云う点に於て防衛の程度を越えたものであるとの認定を受けることは已むを得ぬかも知れない。原判決の云う如く被告人が二度殴打したものか或は被告人の終始一貫主張せる如く一回に過ぎぬかは別としても、本件が少くとも過剰防衛の要件を備えていることは明白である。原判決は著るしく事実を誤認せるか或は正当防衛乃至過剰防衛の要件を非常に狭く解釈せるかの誤りを犯して居り、右は犯罪の成否、刑の免除減軽に影響することは明らかであるから控訴の理由とする次第である。

第二点原審が本件被告人を懲役一年の実刑に処し、刑の執行猶予の言渡をしなかつたのは量刑不当の違法がある。

一、仮に弁護人の前論旨が容れられず原審の事実認定が正当であるとしても、本件の動機、犯罪態様、犯罪後の状況其の他の諸事情を考察すれば本件被告人を実刑に処することは理に於ても情に於ても忍び得ないところであるに拘らず、之を懲役一年の実刑に処し執行猶予の言渡をしなかつた原判決には量刑不当の違法がある。原判決も其の量刑理由として『本件は被告人と所謂義兄弟の間柄にある長谷川(金斗三)が石川から理由なく薪で殴られるのを見て其の急を救うべく本件に出たものであること、偶々不幸にも被告人の直ぐ眼に触れる所に本件凶行用の手斧があつた為本件の様な大事に至つたものであること』を認め、更に『本件が被害者等の行為に誘発されたものであり被告人は所謂義弟を救はんとして興奮の余り瞬間的に本件犯行に及んだものであること、被害者遺族に慰藉料金十五万円を支払い示談の成立していること、被告人の平素の行状改悛の情等諸般の事情』を考慮すると本件被告人に関する凡ゆる有利な事情を斟酌されていることは検察官の懲役六年の求刑意見に比して著るしく刑期を減じている点よりも充分窺われるのであつて其の量刑に対する苦心の跡には敬意を表するに足るものがある。

二、以上の如く原判決に於て被告人に利益な点は凡て引用されているので之を援用し更に弁護人より個々の事情について述べる必要はあるまい。唯原判決中に「相手の石川は相当醉つて居り又同人が長谷川に加えた暴行も同人の身体生命に対してさして重大な危険を及ぼす程度のものとは認められないのに突然手斧で石川の頭部を二回も強打するということは余りにも無暴乱暴である」とある部分については前論点に於て触れた如く異論があるが人命の尊重なものであることは原判決の云える如くであつて此の意味で被告人も充分刑事責任を負わねばならぬことは弁護人も認めるところである。

三、唯本件に関する問題として原判決の量刑が果して妥当なものであるかどうかについては些か異論無きを得ない。本件の惹起せる重大な結果より見れば懲役一年の刑は寛大であり、本判決を不満として検事控訴が為されたのも其の趣旨に出たものであろう。然し刑期の点は兎も角、本件に於て刑の執行を猶予するに足る情状が充分備つて居ることは検事側に於ても異論なきものと思う、原判決は被告人の無暴な行為によつて本件の如き重大な結果を生ぜしめた点に於て実刑を課することが被告人の刑事責任を全うする道であるとするのであるが仮に被告人の行為が無暴の譏の免れ得ぬとしても其の余の凡ゆる被告人に利益な諸事情を綜合するならば元々本件が正当防衛乃至過剰防衛に準ぜらるる行為である点よりしても執行猶予の恩典が与えられて然るべきのみならず単に実刑を受けることが被告人の責任を全うする道とは考えられぬのである。特に本件に於ては一時の興奮による瞬間的な犯行である点(被告人の公判廷に於ける供述、司法警察員に対する供述)被告人が深く改悛の情を示し相当額の慰藉料(石川静子の公判廷に於ける証言と同額)の支払を完了せる点更に被告人の性格、平素の行状等に注目するならば、此の被告人を刑務所に送ることは刑事政策的な見地よりしても当を得たものと云うことは出来ないであろう、寧ろ被告人が犯行後今日に至る迄深く反省悔悟し、将来再び斯る犯行を繰返すおそれが全く無い点に鑑み、其の罪は罪として今後充分活動出来る余地を与えてやることが本件の解決として最も望ましく且適切でないかと考えられるのである。此の意味に於て被告人に実刑を言渡した原判決には量刑不当の違法があると思料するので控訴の理由とする次第である。

右二点により控訴の申立を致しますから御庁に於て御審議の結果原判決破毀の上原審差戻乃至刑の執行猶予の判決を賜りたいと存じます。

弁護人阿部甚吉の控訴趣意

一、起訴状によると昭和二十六年三月二十日午後五時三十分頃被告人方へ石川重治が同行の田中政治と共に飲酒酩酊の揚句這入つて来たので、被告人の義弟長谷川三郎事金斗三が同人等を押し出したところ右石川等が、被告人方前空地で金斗三に暴行を加えたので之を目撃した被告人は、激昂の余り自宅入口に置いてあつた薪割用手斧で石川の頭部を殴打したものとしている。即ち石川等は長谷川に押出され夫れを憤つて長谷川に暴行を加へた。之を目撃した被告人が激昂して石川等を殴打したとなつている。そこで証拠によつて右の事実が真実であるかどうか観察する。

二、金斗三の検察官に対する供述調書第二項によると、「見知ラヌ三人ガ酒ニ酔ツテ来テ浪速硝子ノ小堀サンヤ石田サンソノ外工場ノ人ニ喧嘩ヲ吹キカケテ居リマシタ。小堀サンガ自動車ニ乗ツテ出テシマヒ、相手ガ誰モイナイカラ喧嘩モシマイダト思イ家へ帰ラウト思ツテ安藤方ノ炊事場デ煙草ニ火ヲ付ケテイマスト、残ツテイタ二人(後デ石川サント田中サント判リマシタ)ガ入ツテ来テ私ノ姿ヲ見テ石川サンガ「コイツモドウヤ、ヤツテシマヘ」ト言イマスト、背ノ小サイ田中サントイウ人ガ入口外ヨリ入ツテ来テ、イキナリ私ノ頭ノ左側ヲ割木デナグリツケマシタ。私ハイキナリナグラレタノデ何ダカ分ラズ、ボツトシテイマスト田中トイウ人ガ又私ヲナグラウトシテ割木ヲ振リ上ゲマシタノデ私ハ頭ヲナグラレテハタマルカト思イ思ハズ両手デ頭ヲカカヘマシタラ右手ヲナグラレマシタ。私ハムカツトシテ何ノ為私等ナグラレナランノカト云ツテ田中トイウ人ニ飛ビ付イテ行ツテ家ノ外ヘ押シ出シマシタ。ソシタラ石川ト云ウ人ガ、コイツカカツテ来タナト云ウ声ヲキキマシタ。ソレカラ私ハ田中ヲツカンデ夢中ニナツテ争ツテ居リマシタ」と金斗三は供述をしている。

三、被害者と同行して来た田中政治の司法警察員に対する第一、二回供述調書によると、田中自身は何等の暴行を働かず、石川を守る為に已むを得ず抵抗したものの様に供述しているが、これを前記金斗三の供述と対照し、更に上田光夫及小堀半四郎の供述調書と対照すると、田中の陳述は措信し難いこと多言を要しない。即ち金斗三の陳述の要旨は上記の通りであるが、田中と当時同行して来た上田光夫は警察員に対する第一回供述調書第十項の中程に於て「田中ハ、オ前ノ所ニ待タスカラヤト言ツタ声ヲ聞イテ後ヲ振リ向クト、田中ガ出荷人ノ人ヲツキ飛バシタノデ私ハ、ビツクリシテ田中ニ、オ前何ヲスルンダソンナ事ヲシタライカン、ト云フテ出荷人ノ人ヲダキ起シテ、ヱライスミマセン、酒ヲ飲ンデオルノデコンナ事ヲシテスミマセン、ユルシテ下サイ。ト陳謝シマシタ。……中略……事務所ヘ行クト田中ハ小堀サント訳ノ分ラン話ヲシテ居タノデ私ハ、小堀サンニ向ツテ、ドウモスミマセン、酒ニヨツテイルカラ辛棒シテヤツテ下サイ。田中ニ早ク来イト言ツテ事務所カラ田中ヲ連レテ出マシタ。……(下略)とあり又小堀半四郎の検事に対する第一回供述調書第四項には、「石川サンヤ田中ト云ウ男ガ何ヲ不満ニ思ツタノカ知リマセンガ、私ノ工場デ誰彼ノ差別ナク喧嘩ヲ吹キカケ薪デナグツタリナドシテ、私ハ、田中ト云ウ男ニ薪デ左ノ腕ヲナグラレ、煉瓦ヲ投付ケラレタリシマシタ。専務石田君ハ、私ガ田中ニナグラレテイルノヲ止メニキタ所ヲ側ニイタ石川サンニナグラレマシタ。ソノ他工場ノ者モ相当被害ヲ受ケテ居リマス。私ハ、田中カラ「ヤクザナラヤクザラシク仁義ヲ切レ」トヒツコク云ハレ、相手ニシテモツマラヌト思ツテナダメテ居リマシタ」とある。

四、以上金、上田、小堀の供述を綜合すると、当時田中が石川と共に酒に酔い暴行を働いていた事実は明白であつて、田中の前記供述調書は自己の非を掩はんとして、殊更不実の供述をしているものと謂はねばならない。而して右金の供述は、前後その筋道が通つている点からしても充分信用に価すると思はれ、起訴状記載の如く右金が石川、田中等を被告人方から押出し、その為田中等が憤慨して金に暴行を加えたのではなく、真実は前記の通り石川等が散々暴行を働いたあげく他人の家に押入り何の関係もない長谷川になぐりつけ窮余、押出したのを二人がかりで、一人は金と取りくみ、一人は薪を以て後から攻撃を加へんとしていたのである。

五、又被告人が「これを目撃して激昂の余り自宅入口ニ置いてあつた薪割用手斧で石川を殴打した」とあるのはやや真実に反する。激昂の意味は明確を欠くが一応は激して意気の高ぶり上ること(広辞林による)と理解されるが、公訴事実の前後の文章よりすれば、ここでは憤激の意に近いものと表現されている様に見うけられる。被告人の当時の行動を見ると(一)金が暴行を受けているのを見て靴下ばきのまま飛出して居ること、(二)金が田中より割木で数回殴られた上、つかみ合つて居る後から石川が更に割木で攻撃を加へようとしているのを目撃している事。(三)石川等が手にしている武器は割木であつて相当の攻撃力を加へうるものであること。(四)被害者等が入墨をしていたこと、等からして被告人は寧しろ、恐怖、興奮、狼狽の余りに出でたものと見ねばならない。

六、本件に付ては被告人は正当防衛を主張するものであるが、刑法上正当防衛の構成要件を欠くものとしても所謂盗犯防止法の適用があるのではないか。同法第一条によれば、故なく人の住居に侵入したるものを排斥せんとして(三号)為した行為が第一条第一項の目的に出でたる時は、他人を殺傷しても正当防衛となるのであるが、この場合自己又は他人の生命、身体等に対し現在の危険がなくても恐怖、狼狽等に出でたものであればこれ亦処罰されないのである。

七、今本件の場合に付て、これを見るのに石川等が被告人方に侵入して金斗三に暴行を加え、金斗三が之を防ぎ乍ら家屋の入口より二間の所へ押し出したばかりであるから、謂はば、故なく他人の家に侵入したるものを排斥せんとする行為の延長と見て差支ないと思う。而して金斗三に対する生命又は身体に対する現在の危険が存するのであるし、若し現在の危険と云うことが出来なくても、被告人は恐怖、狼狽の余り之ありと思料したのであるから、第一条第二項により刑事責任を免除さるべきではないかと思われる。

八、百歩を譲つても過剰防衛として刑の免除を仰ぎ度いし、少くとも実刑を科するのは苛酷の甚だしきものである。

九、被告人の被害者に対する賠償の問題に付ては事件の翌日被害者側から「ウチワモノ」連中が多数押かけ威迫強談し、被告人と熟知の間柄にある人格者、長谷川良一等のとりなしにより漸やく事なきを得たのであるが、其の後被告人より不取敢金弐万円を贈つたところ之をつき返して生涯毎月五万円生活保障をせよとの要求があり其の手段も常に「ウチワモノ」が顔を出す為め、被告人等としては到底平穏裡に話をすることが出来ず、全く困却していたのである。幸にして被害者に弁護士が代理人としてつかれたので、種々交渉の結果、円満に示談解決し、示談条件も総て履行ずみである。

十、凡そ吾々の通常経験するところによれば司法警察職員は事件に最も接着して搜査を為し、事件直後に現場の生々しい状態を見分するので被害者に同情的に加害者に可成り厳重に観察するのが普通である。本件に於ては事件直後司法警察職員が臨場せられ、被害者を病院に運ぶ際之に同行せられ更に即日事件関係者に付き調査したが、前記の事実判明した為め被告人は逮捕せられることもなかつた。

十一、被害者の傷害の部位程度は事件直後に於て司法警察職員は医師より聞き訊して之を熟知しているに拘らず敢て逮捕手続にも出でなかつたのは被害者の責任重大なるが為めであり、被告人に刑事責任存するとしても相当軽微であると思料したために外ならない。

十二、傷害事件に於て不拘束の儘取調べられた事件が致死の結果を後日生じたとは云え、別段被告人に隠蔽していた事実が新に発見されたと云うわけでもないのに検事より六年と云うが如き求刑を受けたのは寧ろ驚くの外なかつた。

十三、被告人は朝鮮人中、甚だ真面目な人物であり、九百余坪の敷地を有する工場の所有者となり、本件発生後は只管将来を戒心しているのであるから、寛大な御処分を仰き度く控訴に及んだ次第である。

弁護人阿部甚吉の補充控訴趣意

一、原審判決理由には、弁護人の正当防衛乃至過剰防衛の主張に対し、金斗三が所謂喧嘩争闘中に被告人がその一方に加担したのであるから、急迫不正の侵害に対する防衛にならないと説示されているがこれは甚だしく事実の認定を誤つている。控訴趣意書にやや委曲を尽した積りであるから再説せないけれども、いれずみをいれ、仁義を切れ、と云う人達が割木を以て他人の家に侵入し、之にふいに殴りつけ、被害者が一瞬「ボーット」なり、自己の危険を免れるため表に押し出したが、石川は之に対し、後から割木でなぐりつけようとしていたのであつて、之を喧嘩と云うのは驚くの外ない。又原審が、何分相手の石川は相当醉つて居り、金(長谷川)に加えた暴行も、同人の身体生命に対して、さして重大な危険を及ぼす程度のものとは認められないのに、本件傷害を加えたのは余りにも無暴乱暴であると云うが所謂うちは者達が大胆なことをやるのは醉つた上のことであつて、石川が醉つていることが何だか危険が減殺されると云うのは、理解出来ないし、長谷川に加えた暴行に付ては結果的に重大な傷害でなかつた事実から逆論して差迫つた危険がなかつたと見るのも亦得心の出来ない理屈である。原審が「所謂義兄弟の間柄にある長谷川が石川から理由なく薪で殴られているのを見てその急を救うべく、本件所為に出たものであるのと、偶々不幸にも被告人の直ぐ目にふれる所に本件凶行用の斧があり」控訴趣旨書記載の如く、靴下のまま飛降りたような狼狽の余に出た所為とすれば、之に実刑を以て臨んだのはその理由に乏しいと云わねばならない。

しかして被告人は当初から攻撃を加えたのは一回である。と陳述して居り、二個の傷害の内一個は或は顛倒の際生じたものではないかと思われる。(青木美代子は原審に於て二回なぐりつけたか、一回なぐりつたかに付シドロモドロの供述で、或は巡査から二個の傷あとがあると云われたので、そう申したとか前後一致しない陳述をしている)点もあり、トツサの場合の出来ごとであつて、「二回も強打したと云うことは余りにも無暴乱暴である」と云うのは、危急の際にも冷静な行動をせなかつたのを責めることであり常人に期待すべからざるところである。

以上要するに本件は正当防衛が成立しなくても実刑を以て臨む程の事案ではない。

検察官の控訴趣意

原審判決は、昭和二十六年三月二十日午後五時三十分頃大阪市大淀区長柄西通り三丁目七五番地浪速照明硝子製造所内被告人方土間へ酒気を帯びた石川重治(当時三十年)田中政治(当時二十四年)の両名が暴れ込み、石川の「此奴も殴つてしまへ」と云う声に応じて田中が同所に居合せた被告人と所謂義弟の間柄にある長谷川三郎コト金斗三(当時二十九年)を手にした薪様の物で殴り付けたので同人は田中を押出し被告人方前空地で三人が争つていた。同家居間でこれを目撃した被告人は激昂して金に助勢すべく相手の得物に対抗するため同家入口開戸にもたれかけてあつた薪割用手斧を突嗟の間に手に取り飛出して丁度金を殴りつけようとしていた前記石川の後頭部を右手斧で一撃したために昏倒して起上ろうとする同人の前頭部を再び右手斧を以つて殴打し因つて同人に頭部打撲創の傷害を与えその結果右前頭部骨折脳挫傷並に外傷性化膿性脳膜炎を発起して同月二十三日午前九時頃大阪市北区浮田町六番地行岡病院に於て死亡するに到らしめたものである。」との事実を認定して懲役一年の言渡しをなした。死亡の結果を招来したる本件に対し右量刑は余りにも軽きに失し不当であると思料するものである。即ち、

一、原審判決は右量刑の理由として(イ)本件は被告人が所謂義弟長谷川三郎が石川から理由なく薪でなぐられているのを見てその急を救うべく興奮の余り瞬間的に本件犯行に及んだもので被害者の行為により誘発されたものである事、(ロ)被害者の遺族に慰藉料を支払い示談の成立している事、(ハ)被告人の平素の行状改悛の情等をあげているが、先ず一件記録により本件発生の経緯を見るに

(1) 被告人は自己の土地建物を浪速照明硝子工場(経営者小堀半四郎)に貸与し自分は同工場内事務所裏の居宅に居住しているものであり被害者石川重治は照明器具卸商を営み浪速照明硝子工場と取引関係にあるものであるが本件発生の当日である昭和二十六年三月二十日午後二時頃石川は予て注文して居た電気笠を受取るべく義兄上田光夫にオート三輪車を操縦せしめ知人田中政治と共に之に同乗して右工場に赴いたが丁度品物がないから二時間程待つて呉れと云われ一同は天神橋筋六丁目附近に行き映画を見物し且飲酒し午後五時過頃石川及田中は相当酩酊して右工場に戻り電気笠を三輪車に積込みにかかつた。その際石川が同工場出荷係に「永い間待して手伝え」と文句を云い出荷係も言返した事から端を発し酩酊している田中が矢庭に出荷係を突飛し更に工場事務所に入り同工場経営者小堀半四郎に「仁義を切れ」等とくだを巻き同人が相手にしなかつたので薪を拾つて同人や居合せた石田友次郎(同工場支配人)に殴りかかる等の暴行をなし上田光夫が小堀に謝罪して其の場を治め品物を三輪車に積終つたところ石川が小堀に「飲みに行こう」と云い出し小堀は石川等の酩酊して居るを見て之に応じ上田の運転するオート三輪車に同乗して出発した。田中は尚も工場入口附近で通行の者を薪で殴りかかる等の醉態を演じていたが、偶々事務所裏の被告人方に長谷川三郎の居るのを見付け「何ぢや此奴もやつて仕舞へ」と屋内に入り長谷川を薪で殴つた為長谷川は田中に組みつき屋外に押出しもみ合う際被告人が薪割斧を手にして飛出し傍に居た石川の後頭部を後から一撃し同人が倒れ起上ろうとするのを更に前頭部に一撃を加え本件の結果を発生するに至らしめたものであつて当時石川及田中が相当酩酊していた事は小堀半四郎の原審公判廷に於ける供述、上田光夫の司法巡査に対する供述調書により明であり田中の暴行も薪で殴つたにせよ醉漢の暴行として恕しうる程度のものに過ぎず特に危険なものでなかつた事は小堀や石田が相手にならず上田のなだめるに委せ放置していた事実からも推察し得る所である。長谷川を殴打した状況についても同人の原審公判廷に於ける「私は煙草に火をつけた時石川等二人が来て「此奴何ぢや此奴も殴つて仕舞へ」と云い、田中が早速私を殴りました。ぼうとしていたら又殴つたので左手で防ぎましたが又殴つたので何の為にわしを殴るか」と云つて田中に飛びかかつて行き追出しました。すると石川が「此奴かかつて来るな」と云つたので私は後から殴られるかも知れんと思いましたが殴りませんでした。後を向いた時石川が其処に倒れていました。」なる供述に明な様に田中の暴行は薪で再三殴打し乍ら屋外に追出される程度であり長谷川の身体生命に危険を生ずる程度のものではなく容易に制止しうる程度のものに過ぎなかつた事を認めるに充分であり又石川は薪も持たず長谷川に対し直接暴行をなしていない事も右の供述により明である。即ち以上の経過を通じ田中と石川は行を共にし乍ら直接暴行をなしたのは田中であり、その暴行は成程暴行には相違ないが酒癖の悪い醉漢が酩酊の上居合せた人を打擲する程度のものにすぎなかつた事は記録上認める所である。被告人が斯る程度の醉漢の暴行に対し何等阻止する態度に出でず突然手斧を振つて而も直接暴行をなし居らざる石川の背後より強打するが如きは余りにも乱暴至極であると云わなければならない。

而も被告人は石川に対し背後より後頭部に一撃を加え同人が地上に倒れ起上ろうとする際更に前頭部に一撃を加えたものであつて此の点被告人の否定に拘らず鑑定書に明かな損傷の個所松原康雄の検察官に対する供述調書、青木美代子の司法巡査に対する供述調書により明である。右の鑑定書によれば後頭部の打撲創は骨折等を伴わない軽傷であるのに比し前頭部の打撲傷は打撲創直下の前頭骨前部に三角形状の骨折損部がありその遊離骨折片は頭腔内に嵌入し骨折線は該欠損部より上へ六糎斜左下へ四糎左眼窩の右側壁に及ぶ大骨折を形成し死因となつているのであつて右は被害人が最初の一撃に地上に倒れ起上らんとして何等抵抗なき被害者に対し更に進んで致命的な打撃を加えたものであり本件犯行が極めて積極的攻撃的であつた事を物語るものである。斯の如く田中の暴行は、酩酊の上の暴行に過ぎず容易に制止しうる程度のものであつたのに不拘、被告人は手斧を振つて直接の暴行者に非ざる石川に対し二回迄も積極的な攻撃を加え死亡するに至らしめたものであつて長谷川の急を救うべき本件犯行に出でたるには余りにも行過ぎた乱暴な行為であり因つて死に至らしめたその責任は重大である。原審判決が「被告人か長谷川三郎が理由なく薪で殴られるのを見てその急を救うべく本件犯行に出でたものであり被害者等の行為により誘発されたものである」となし「偶々不幸にも被告人の直ぐ目の触れる所に本件兇行用の手斧があつた為本件の様な大事に至つたものである」となしているのは被告人の行為を酌量減軽せんとして故ら田中等の暴行を誇大視した感を深くするものである。

(2) 被告人が被害者の遺族に慰藉料十五万円を支払い示談の成立した事は一件記録に添綴された昭和二十七年二月十三日付の契約書により明であるが右は昭和二十六年十二月十五日原審公判結審後昭和二十七年一月二十一日弁論を再開し被害者の妻石川静子の証人調をなした際、被告人より弁償の申立あり同年二月十三日漸く示談の成立したものであつて被告人が、本件発生直後手斧を河中に抛棄して証拠の湮滅を計り司法警察官の取調に対しては相手の薪を奪つて殴りかへした等嘘偽の供述をなし居りたる事実、公判に至る迄何等示談の話しも進めず求刑あるに及んで漸く示談をなした事を考慮する場合被告人は当初より自己の行為を悔い被害者に謝意を表していたものでなく処罰の軽減を希つて斯る方途に出たものと推測せられるものであり本件結果の重大性を考える場合示談の一事は特段の軽減事由とするに足らざるものと思料するものである。

之を要するに原審判決に示された量刑の理由は人命喪失なる重大な結果を招来した本件に対し僅か懲役一年の寛刑を以つてしたる理由としては之を承服するに充分なものとは云い難いものである。

二、(1) 惟うに刑事裁判は「社会防衛」或は「犯人の改善」なる合目的性から生れる要請に応ずるのみでなく同時に社会の正義感や法的安全の要求にも答えるものでなければならない。蓋、各個人が功罪共に社会に対する各自の行為の価値に従つて取扱れると云う事は社会の深い正義と道義の要求に基くものでありこの基礎の上に社会生活の秩序と繁栄は可能だからである。

如何なる事由があるにせよ人の生命はかけがえのないものであり如何に重視しても重視し足りないと云う事のないものである。人命の尊重は社会秩序の基盤であり之を侵害するものに対してはその重大性にふさわしい処置がとられなければならない。此の事は社会一般の正義と道義に根ざした要求であり殺傷事件の量刑に際しては先ず念頭に置かれねばならない事柄であつて、本件は貴重なる人命の喪失を来した事案である。此の一大事に対し僅か懲役一年の科刑を以つてするが如きは原審判決の掲くるが如き例え夫が被害者の行為に誘発されたものであるにせよ又示談の成立したにせよ到底一般社会の正義感を満足せしめうるものとは考えられない所である。

(2) 又被告人の改善なる科刑の目的より見るも懲役一年の刑は今日の行刑の実際に於ては僅々四箇月程度の服役にて仮出所する現状であり斯る短期を以つてその目的に副いうるや疑問であるのみならず社会に対する一般予防の意味に於ても殺傷事件の頻発し居る現状下に於て斯る短期刑は何等効果を期待し得ざるや明である。

三、何れにせよ生命の喪失を招来したる本件に対し原審判決の懲役一年の科刑はその理由に於ても承服するに充分とは云い難く又社会の正義感を満足せしむるに足らず科刑の効果に於ても実効を期し難いものであり人命尊重の理念に足らず為に量刑徒らに軽きに失し極めて不当であると思料するものである。

茲にその破毀を求め控訴の申立をなした次第である。

検察官の控訴趣意に対する弁護人村田太郎の答弁

検察官の控訴趣意書を見ると、先ず本件に於ける石川、田中等の暴行について「田中の暴行も薪で殴つたにせよ醉漢の暴行として恕し得る程度のものであり、長谷川の身体生命に危険を生ずる程度のものではなく容易に制止し得る程度のものであり、石川は薪も持たず長谷川に対し直接暴行をなしていないのに突然手斧を振つて背後より強打する如きは余りにも無暴である」と云うのであるが然し薪と雖も其の攻撃の程度、攻撃の部位個所に依つては充分身体、生命に危険を加えることがあり得ることは吾人の経験上明白なところであり、且検察官も認める如く彼等は相当飲酒酩酊していたのであるから突然如何なる攻撃に出ずるやも計り難いのである。而して石川も薪を持つていなかつたにせよ田中と協力して相共に長谷川を攻撃打倒せんとしていたのであるから被告人が二人の態度を見て重大な危険を直感したことは何等不思議なことではない小堀証人の証言にもある如く彼等は「仁義を切れ」と叫び又入墨を示したことが窺われるが之によつて見れば彼等は所謂ヤクザ者であり、単なる態度以上に被告人に畏怖心を与えたものであろう。

又仮に検察官の所論の如く田中、石川等の行為が身体生命に危険を与える程度のものでなかつたとしても、検察官のそれは現在客観的に観察しての判断であつて、暴行当時の長谷川或は被告人の心理状態を無視したものである。例えば夜間木製のピストルを持つた賊が侵入したとせば客観的に之を見る時はさして危険なものではないが襲撃を受ける者の恐怖感は絶大なものである。特に本件の場合の如き一日の仕事を終えた最も心の平静な時に突然両名の暴行を受けたのであるから興奮し憤を感ずるのは当然である。然れば両名の暴行が単なる醉漢の乱暴で容易に制し得る程度のものであると云う検察官の論旨は当時の真相、特に被告人等の心理面を無視せるものであつて「被告人か長谷川三郎が理由なく薪で殴られるのを見て其の急を救うべく本件犯行に出たものであり、被害者等の行為に誘発されたものであり」とし「偶々不幸にも被告人の直ぐ目の触れる所に本件兇行用の手斧があつた為本件のような大事に至つたものである」とする原判決の認定は正常と云わねばならぬ。

二、第二に被告人が石川に対し背後より一撃を加え、更に前頭部に一撃を加えたと云う点であつて検察官は之を以て被告人の本件犯行が極めて積極的攻撃的であつたと主張しているのであるが弁護人としては多少異論がある。此の点について被告人は当初より一貫して一度しか殴つていないと述べているのであるが被告人の性格を知悉する弁護人としては殊更被告人が明白なる事実を否定しているものとは考え難い。恐らく当時被告人は余りに興奮し如何なる攻撃を加えたか全く無我無中であり、倒れている被害者を見て始めて我に帰つたような状態であつて、前頭部に攻撃を加えた事等全く記憶せず実際に一回しか殴つていないと感じているのであろう。従つて此の事実は考え方次第では当時如何に被告人が驚怖し興奮し、正常意識を失つていたことの一証左であろう。

三、次に被害弁償の点であるが検察官は「右は一旦結審後弁論を再開し、昭和二十七年一月二十一日被害者の妻石川静子の証人調をした際被告人より申出たものであり同年二月十三日漸く示談が成立したものであつて、被告人が当初より自己の行為を悔い被害者に謝意を表するものでなく処罰の軽減を希つて斯る方途に出たもので軽減事由と為すに足りぬ」と云うのであるが之は些か事実を異にし、最初被告人より金二万円を墓前に持参した処、拒否せられ其の後被告人に対しては月々五万円と云う要求があつたので到底不可能であるので一時見合せていた処、石川静子の証人調のある一週間余前中本弁護士より「適当に示談した方が被告人の為にもなるから弁償の方を考えてほしい」との申入が当弁護人にあつたので当弁護人も喜んで之に応じたのであるが当時被告人も失職し手許不如意の状態であつたので被告人も弁護人も百方奔走し漸く希望額を調達した次第なのである。従つて被告人としては当初より弁償の意思はあつたが被害者の要求が余りに過大であつた為之に応じ得なかつたのである。勿論弁償の目的が処罰の軽減にあることは勿論であるが之はいずれの事件にも共通せるところであつて、処罰の軽減を目的としている弁償であるから減軽事由となすに足りぬと云う検察官の意見は余りにも偏見であると云わねばならぬ。

尚犯行用手斧を河中に抛棄したと云う点は、被告人が勾留中妻の安藤貞子がしたものであつて被告人の全然知らぬものであることを被告人の為一言弁じて置く。

四、最後に検察官の高調せらるる社会正義感の満足と法定安全の所論についてであるが、科刑の目的が単に応報の一面より漸次社会防衛と犯人の改善と云う合目的要請に変じて来たことは敢て説く迄もなく、又単に被告人に刑罰を加えることが社会の正義感を満足せしめる所以ではなかろう。本件の如き一時的興奮的な犯行にあつては応報の理論のみを以て事を律するのは甚だ危険である。

短期の科刑が被告人の改善を求め得ないことは弁護人に於いて異論はないけれども、又然し徒に刑務所に送ることも被告人の改善を期す道でないことは吾人の経験上明かである。寧ろ刑の執行を猶予して反省悔悟の機会を与うべきではないか?いずれにせよ検察官の控訴の趣意はなきものと云わねばならぬのである。

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