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大阪高等裁判所 昭和27年(ネ)209号 判決 1954年8月21日

控訴人 被告 村井民雄

訴訟代理人 臼杵敦

被控訴人 原告 川端達男

訴訟代理人 三井俊雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は原判決事実摘示と同一であり、又証拠の提出援用認否も、被控訴代理人に於て当審証人南いし、川端マツの各証言を援用し、控訴代理人に於て当審に於ける証人岡田周次、河本学而、村井ゑみ子の各証言控訴人本人の供述を援用したほか之亦原判決の記載と同一であるから之を引用する。

理由

公文書であるから真正に成立したと認められる甲第一号証(戸籍謄本)と原審及当審証人川端マツの証言を綜合すれば、被控訴人が昭和五年一月二十四日訴外川端マツの子として出生したことが認められる。次に右証人の証言に原審証人柴部光右衛門竹村きみ子当審証人南いしの各証言を綜合すれば右川端マツは大正十二年カフエーの女給として働いていた頃、当時大阪医科大学在学中の控訴人と知り合い、大正十三年頃より情交関係を結ぶようになり、此の関係は昭和四年暮頃迄継続しだ事実を認めることが出来、右認定に反する原審及当審に於ける控訴人本人の供述は信用出来ず乙第一号証も右認定を覆えすに足りない。

而して右証人竹村、柴部及び南は川端マツが所謂固い女で他の男子とは関係が無かつたと思う旨の証言を為し右証人川端マツも之に副う供述を為しているが、一方原審に於ける鑑定人草刈春逸の鑑定の結果に依れば控訴人と被控訴人との間には血液型の上の背馳は無く、指紋及び掌紋の点からは両者の父子関係は肯定も否定も出来ず、頭部顔面身長体格その他の人類学的所見に於ては両者の間には可成り体形上の相違を示す点に於て非相似性を認めるけれども、計測並観察値に於て其の異同を断定する程の絶対性を有しないから此の方面の検査成績からも判然と父子関係を言うことが出来ず、結局以上のすべての成績から見て被控訴人が控訴人の実子であるかどうか判らないとの結論が示されている。

茲に認知請求の訴訟に於ける立証責任の問題に付て考察すると、我が民法上その改正の前後を通じ、親子関係の確認の標準に付ては何等の規定も無いので一に立証責任の分配に関する実体法及び訴訟法の理論を考慮して決すべき問題であるが、此の点に付明治四十五年五月五日の大審院判例は甲男と乙女とが相通じて乙女より生れた子が甲男を以て自己の父なりとして認知を訴求するに付ては単に右情交の事実を証明したのみでは足りず、乙女が懐胎の当時に於て他の男子と通じなかつた事実関係を乙女の操行その他乙女の懐胎当時に於ける四囲の情況によつて確立し、以て甲男と乙女の交通が乙女懐胎の唯一の原因であつた事実に付裁判所の心証を得ることを要し、事実証拠によつて乙女の他の男子に接しなかつたことの心証を裁判所に起さしめることを得なかつた原告は認知の訴に於て敗訴すべきであると判示し、以後昭和九年六月二十日迄同趣旨の判例が繰返されている。併し乍ら一般に或る事実の存在したことを証明するのに比べると、或る事実の存在しなかつたことを証明するのは著しく困難なことであり、而も此のことは女子の操行の問題に付ては事柄の性質上一層困難の度を加えるものであるから、右判例のごとき解釈をとることは認知請求の訴に於ける原告側の立証責任を不当に加重するものであつて、殆ど婦女の不貞を推定するにも等しく、改正前の民法の下に於てすら所謂父系尊重思想の極端なあらわれであるとの批判を受けたところであるから、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として解釈すべきものとする改正民法第一条の二の理念の下に於ては到底之に従うことは出来ない。而して立証責任の分配の見地より見るときは認知の請求を為す者に於て相手方たる男子との性交の結果姙娠した事実の立証責任を負担することは勿論であるが、いやしくも問題の子を懐胎したと認められる期間中に相手方たる男子との間に性的交渉のあつた事実が立証された以上は反証が無い限り此の性交の結果姙娠したものと一応の推定(所謂事実上の推定)を為すべきであり、従つて立証責任は終始認知請求者の側にあるが、所謂立証の必要は相手方たる男子に移り、此の者に於て右期間中に他の男子との間にも同様の関係が結ばれ従つて問題の子の父であるかも知れぬ者が自己以外に存在する旨の所謂多数関係者の抗弁を提出し、且、此の事実を立証(所謂反証を提出)し得ない限り、右の事実上の推定を阻止することは出来ないものと解するのが相当である。

以上の見地から本件を見ると、控訴人と川端マツとの間には昭和四年暮頃迄情交関係が継続したこと先に認定したとおりであるに拘らず、乙第一乃至第四号証も川端マツが被控訴人を懐胎した当時他の男子との間にも同様の関係があつたことを疑わしめるに足る反証となすには不十分であり、又原審に於て控訴人本人は被控訴人を柴部光右衛門の子と思うと陳述するが、之は何等の根拠を示さない陳述で到底信用出来ない。又前示鑑定の結果を見ても父子関係の存在に付稍疑問を抱かしめるごとき記載もないではないが総括的観察としての結論に於ては実子であるかどうか判らないと言うに止まるのであるから、未だ以上の点についての反証と認めるには足りず、その他には何等の反証も無い。結局控訴人は自己と被控訴人との間の父子関係の存在に付ての先に掲げた事実上の推定を受けることを阻止するに足りるだけの反証を尽さないのであるから、所謂多数関係者の抗弁を理由に本件認知請求を拒むことは出来ず、被控訴人の請求は正当として認容すべきである。仍て原判決は結局正当であるから本件控訴は理由なきものとして之を棄却すべきものとし、民事訴訟法第三百八十四条第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長判事 朝山二郎 判事 沢井種雄 判事 前川透)

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