大判例

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大阪高等裁判所 昭和27年(ネ)372号 判決

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人に於て「控訴人は被控訴人の母文子とは決して原判決の認定したような恋愛関係にあつたのではなく、同じく大阪市西区江戸堀の住人であつた為酒飲み相手として接近しやすく便利であるままに唯漠然と情交関係を持続した迄のことであり、又昭和十八年一月に関係を結んだ日は文子の陳述する九日頃ではなく同月十四日夜であつた。このことは控訴人が同年二月文子から姙娠を告げられたとき直ちに、右情交の翌朝帰るとき所謂小正月の小豆粥を食したことを想起したことからも明であり、又控訴人は昭和十七年に父祖以来の家業である綿糸布業の経営が、戦争の激化で企業整備に遭い、鉄工業に転じようと計劃し、同年十二月二十五日漸く富山市に在つた鋳鉄工場を買入れて引渡を受けたが年末のため一旦帰阪し、翌年一月七日頃大阪を出発し富山市に赴いて工場の操業を詳細に検分し十三、四日頃帰阪したのであつて、往路積雪のため列車が屡々停車し車中新年初登校の学童の通学姿を物珍らしく眺めた記憶よりも明である。更に従来の判例によれば認知の訴に於ては其の請求を為す者の側に於て相手方以外の男子と情交関係の無かつたことを立証しなければならぬのであつて、之は女性にあつては分娩という事実によつて、親子関係を明瞭に認識出来るのに反し、男性にとつては自分の子と認識出来るだけの明確な証拠に乏しく、唯相手方たる女性の貞操を信用して自分の子と考えるほかは無いことに基くものであつて、両性の本質的平等なる理念の下に於ても変更出来ない判例である。情交関係は秘密のうちに行はれるもので特殊な場合以外には第三者に於て察知出来ず、又控訴人は文子を独占する程の気持も無かつたため同人の私行状態につきせんさくしたこともなく風聞を聞流したにすぎない為、控訴人より反証を出すことは出来ないが、文子は若い頃から常にバー、レストランなどに勤めて来たものであつて、昭和七年頃控訴人が文子の勤めていたバーに和蘭商人ハイデルなる者を伴い大切な取引先だからと言つて紹介したところ、文子は芦屋の自宅迄自動車で送つた上同人と関係を結んだことがあり、又その後ハイデルは一旦帰国後昭和十二年に日蘭会商のとき二ケ月程来朝しその際再び文子と関係を結んだ結果文子は姙娠したので、ハイデルの帰国後胸部疾患があることを理由に合法的に堕胎したことがあつた。斯様な次第で同人の品行に付ては疑を抱かぬわけにゆかないのであつて控訴人の子であることの立証は不十分である。今回の姙娠に際しても文子は控訴人に対し堕胎手術を受けることを申出でたのであるが、控訴人はその合法性に付恐れを抱いた為、此の要求に応じなかつたのであつて、その代償として出産費、生活費を支出したにすぎず、決して自己の子であることを認めたわけではない。控訴人と被控訴人との容貌の相違することも鑑定の結果により明かであつて被控訴人の請求は失当である」と陳述し、被控訴代理人に於て右主張事実を否認し「文子が被控訴人を懐胎したのは昭和十八年一月九日に控訴人と関係を結んだことによるものである」と述べた外、いずれも原判決事実摘示と同一であるから茲に引用し、又証拠の提出援用認否も被控訴代理人に於て甲第二、三号証を提出し、当審に於ける鑑定証人北村長之介の証言被控訴人法定代理人西岡芳枝本人の供述及び鑑定人菊池正樹の鑑定の結果を援用し、控訴代理人に於て当審に於ける証人上原信子、大岡雄三の証言、控訴人本人の供述及び鑑定人菊池正樹の鑑定の結果を援用し、右甲号各証の成立を認めたほか之亦原判決の記載と同一であるから之を引用する。

三、理  由

公文書であるから真正に成立したと認められる甲第一号証(戸籍謄本)に依れば被控訴人が昭和十八年九月三十日西岡文子の長女として出生したことが認められる。而して原審証人高橋キヨ子の証言、原審及び当審に於ける被控訴人法定代理人西岡文子本人の各供述、並に原審及び当審に於ける控訴人本人の各供述の一部を綜合すれば、昭和十一年頃大阪市でバーの女給をしていた右西岡文子が控訴人と情交関係を生じ、以来約三年間一ケ月三、四回宛之を継続したことがあり、その後は稍此の関係が遠のいていたが、昭和十八年一月九日頃大阪市内北大阪ホテルにおいて情を通じたところ文子は姙娠し医師の分娩予定日であつた前示九月三十日に右認定のとおり分娩した事実及び控訴人は同年二月頃文子から姙娠の旨を告げられた後分娩迄の間数回文子を訪ねて居り、出産の当時は被控訴人を見て自己の子でないと言つたことはなく、之を抱擁し、或はむつきをとりかへるなど父親としての愛情を示したこともあり、分娩費、生活費の一部をも負担した事実、並に控訴人は文子の姉高橋キヨ子と年少の時代よりの知合で文子の妊娠後キヨ子に対し男として責任を持つと言明した事実が認められる。之に対し控訴人は昭和十七年十二月下旬富山市に赴き一旦帰阪し翌年一月初旬再び同市に赴き九日頃は同市に滞在中であつて文子と情を通じたのは帰阪後の十四、五日頃であつたと主張するのであるが、原審に於ける控訴人本人訊問の際には昭和十七年十二月末に富山市に赴いたことのみ陳述し、翌年一月に再び同市に赴いたことを陳述していないので、此の点より考えると原審及び当審に於ける控訴人本人訊問の結果並に当審証人大岡雄三の証言に依つても情交の日の点に関する先の認定を覆えし、一月十四日頃であつたと認めるに足りない。

併しながら、当審に於ける鑑定人菊池正樹の鑑定の結果に依ると、ABO式、MN式、Q式、S式、E式、Rh式、V式の各種血液型の検査並に血清中の凝集素価と凝集素の分析の結果から見ると、控訴人と被控訴人との間に父子関係があつても矛盾することは無く、又受胎期に付ては西岡文子の陳述に依れば、昭和十七年十二月二十五、六日頃より月経があり、その後姙娠したというので受胎可能期間は昭和十八年一月三日頃より同月十日頃迄の間となり同月九日頃控訴人との間に性交があつたとすれば受胎可能期間に相当すること明であるが、指紋検査に於ては被控訴人と西岡文子は共に蹄状紋の多いこと、甲種蹄状紋の出現部位及び隆線数の少い傾向などに於て極めて類似点が多いが、被控訴人と控訴人の間には類似点が少く、控訴人は十指とも渦状紋であるに反し、被控訴人は左手の環指と小指に渦状紋があるのみで可成りの相違があり又掌紋検査に付ても、控訴人は7型、被控訴人は9型で主線の走り方も殆ど異つて居り、更に人類学的考察に依つても、被控訴人と西岡文子とは顔の輪廓、頭頂輪廓、観骨部、頭毛色、頭頂旋毛、頭毛密度、眉毛、眼鼻、口、耳、手足等の細部に亙る総計三十一点に付ての分類比較の内二十六点に於て全く同一の所見を呈するに反し、被控訴人と控訴人とは相似点は十点に達しないのであつて、右指紋掌紋、及び人類学的考察より見ると、両者の間に、父子関係が存在すると考え難い所見になることが認められる。又原審に於ける控訴人及び被控訴人法定代理人西岡文子の各本人訊問の結果を綜合すれば、西岡文子は大正四年生れで高等小学校卒業後数え年十八歳のとき以来引続きバーの女給として勤めて来た者で結婚の経験は無く、昭和七年頃控訴人より紹介された和蘭商人ハイデルなる者と情交関係を結んだことがあり、更に昭和十二年にも日蘭会商の一員として来朝した同人との同様の関係を結んだ結果姙娠し呼吸器疾患の理由で堕胎手術を受けたことが認められるので、此等の事実関係及び右鑑定の結果と対比して考察するときは先に認定した西岡文子の姙娠より出産の前後に於ける事実関係及び当審証人上原信子の証言(此の証人は控訴人の申請によつて訊問したが、昭和十八年一月頃文子の勤めていたバーの経営者として同人は非常に真面目な女であつたと証言している)その他原審証人高橋キヨ子の証言、原審及び当審に於ける被控訴人法定代理人西岡文子本人の供述などを綜合してもいまだ被控訴人が控訴人の子であることを認定するに不十分であり、他に此の点に付被控訴人に有利の認定をするに足る証拠は無い。従つて被控訴人の本訴請求はその余の争点に付判断を為すまでもなく、すでに此の点に於て失当として棄却を免れず之を認容した原判決は不当で本件控訴は理由がある。仍て民事訴訟法第三百八十六条第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 朝山二郎 沢井種雄 前川透)

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