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大阪高等裁判所 昭和27年(ネ)546号 判決 1958年3月03日

控訴人 被告 太平洋産業株式会社

訴訟代理人 岡田介

被控訴人 原告 株式会社 大丸

訴訟代理人 北川敏夫 外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、並に証拠の提出、援用、認否は、双方代理人において左記のとおり補足陳述し、且新な証拠の提出、援用、認否をなした外は、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

控訴代理人は左のとおり述べた

「本件約束手形は、控訴会社の取締役で、その京都事務所長をしている並河節男が、訴外日高魁の強迫によつて振出したものであることは、原審において主張したとおりであるが、その具体的事実は左記のとおりである。即ち、控訴会社と被控訴会社並に訴外箕島除虫菊工業株式会社間に昭和二十三年以来なされた蚊取線香取引に関する紛議を解決するために、昭和二十四年六月十六日被控訴会社京都支店において被控訴会社側は京都支店支配人田中正佐、商事部長田中英俊、並に右取引の直接責任者であつた元商事部長山田孝太郎等が、控訴会社側は前記並河節男が、箕島除虫菊工業株式会社側は代表取締役河野一が、それぞれ会社を代表もしくは代理して出席し、これに、右取引に始からブローカー的に介在していた日高魁(方洋貿易株式会社、社長)も参加して長時間に亘り会合協議したのであるが、右並河節男は被控訴会社側の提示する覚書(乙第一号証)記載の解決案は、控訴会社に不利益な点があるために、調印を拒否して帰宅しようとしたところ、右覚書が自己に有利であるところから、これに調印を欲した訴外日高は、並河を階段迄追掛けて、「貴様が帰るとは……」と大喝を浴せて遮り、強引にこれを副支配人室に押入れ、更に長時間に亘つてこれを軟禁状態におき、以て調印を強要したのであるが、その前日、控訴会社専務室において、右解決案について協議した際も、日高は並河に向つて短刀を机上に置いて、「今日はこれを前において話をつける。」と宣言して、自己の異状なる性格並に意図を示唆している外、或は並河の宅に臨んで同人の妻子を大声叱呼して脅かし、又控訴会社事務室において社員小川敏夫の胸倉をつかんで暴行する等、一連の威力行為を示して並河を強迫し続けていたために、日高の右威圧に堪えかねた同人は心ならずも右覚書に調印した経過であるところ、右日高は別に被控訴会社社員である前記田中英俊、山田孝太郎等に対しても、殺すとの旨の脅迫状を送つて同人等を畏怖せしめ、よつて金十万円を喝取した事実、或は山田を殴打した事実もあつて、被控訴会社においても、日高の常軌を逸した性行については夙にこれを詳知しながら、前記交渉に介在せしめたものであつて、従つて被控訴会社京都支店において日高が並河に対してなした前記の行為は、民法第九二条の強迫に該当するものである。仮に右強迫の事実が認容されぬとしても、本件約束手形は、被控訴会社が先に控訴会社から引取つた蚊取線香の内六万三千包の品質粗悪並に包装不備を理由として返品した分について、控訴会社から被控訴会社に対して金四万四千二百三十三円の返還義務があるものとして、右債務決済のために振出されたものであるけれども、右蚊取線香は被控訴会社の注文通りの品質包装のものを納入したのであるから、これについて返品を受けるいはれはなく、仮に右のような瑕疵があつたとしても、右はメーカーである箕島除虫菊工業株式会社の責任に帰すべきものであつて、控訴会社が責任を負うべきものではない。然るに前記覚書において、控訴会社が被控訴会社に対する右の債務を承認して、本件約束手形を振出すに至つたのは、錯誤によるものであるから無効である。」と述べ、

被控訴代理人は、「控訴人主張の強迫並に錯誤の事実は全部争う。」と述べた。

証拠関係については、控訴代理人は、当審証人並河節男の証言を援用し、甲第二、三号証の各一ないし三の成立を認め、被控訴代理人は甲第二、三号証の各一ないし三を提出し、当審証人田中英俊の証言を援用した。

理由

控訴会社が被控訴人主張の約束手形を振出し、右手形が支払期日に呈示されたが支払拒絶となつたこと、右約束手形は控訴会社と被控訴会社並に箕島除虫菊工業株式会社間の蚊取線香取引に関する紛争を解決するために、昭和二十四年六月十五日、関係会社間で作成された覚書(乙第一号証)において、控訴会社が被控訴会社に対して支払を約した金四万四千二百三十三円の支払方法として同日振出されたものであることについての当裁判所の認定は、原判決理由のとおりであるから、ここにこれを引用する。

そこで控訴人主張の強迫の事実について判断するに、成立について当事者間に争のない乙第一号証、第五号証と、原審証人鵜飼琢三、同小川敏夫、同河野一、原審並に当審証人並河節男の各証言、並に原審証人田中英俊、同原田毅、同山田孝太郎、同倉本一治の各証言(但しいづれも後記信用しない点を除く。)及原審証人並河節男の証言により成立を認め得る乙第四号証の一、二を綜合すると、控訴会社と被控訴会社間の蚊取線香取引は、昭和二十二年十月頃控訴会社が箕島除虫菊工業株式会社から不二印蚊取線香七十五万包を買付けた上これを被控訴会社京都支店に転売した取引に始まるのであるが、右不二印蚊取線香は低規格の粗悪品であつたために売行が悪く、ために被控訴会社は約定の数量を引取ることができなかつたので、当事者間で協議した結果、昭和二十三年三月控訴会社は改めて被控訴会社に対して、上規格の丹頂印蚊取線香四十五万包を売渡すことに契約を更改したこと、然るに被控訴会社は右の蚊取線香についても、約定の期間内に二十五万包位を引取つただけでその余の品物を引取らず且その引取つた分の中六万三千包は包装不備等の理由により返品となつたために右取引の処置について当事者間に紛争を生じた経過であるところ、右取引は、方洋貿易株式会社社長と称する日高魁の仲介によつてなされたものであつたために、同人が控訴会社と被控訴会社間の紛争に介在するに至つたこと、ところで右日高は暴力団の親方又は政治ゴロに類する無頼の徒であつて、常に暴力的な言動を誇示し、利益追及のためには手段を選ばぬ輩であつたために、控訴会社と被控訴会社間の右紛争を奇貨措くべしとして、昭和二十四年初頃より一方には被控訴会社の元商事部長山田孝太郎を殴打し、又は殺す云々の文言を記載した脅迫状を送つて、同人もしくはこれを通じて被控訴人より金員の喝取を企てる一方、控訴会社に対しては、なるべく日高自身に有利な解決案を受諾せしめる意図の下に、控訴会社京都事務所長として、右取引を代理した取締役並河の宅に至つて罵詈暴言を大声叱呼してその家族を畏怖せしめ、或は並河に対し再三に亘つて暴力的制裁を暗示する脅迫状を送り、或は控訴会社京都事務所において社員小川敏夫の胸倉をつかんで振廻す等一連の威力行為を継続していたので、並河節男はなるべく日高との面接を避けていたのであるが前記覚書作成の二三日前に当る昭和二十四年六月中旬日高は控訴会社事務所において並河に対し、短刀を机上に示して「今日はこれをおいて話をつける」と宣言して右覚書と同旨の解決案を強要したこと、並に右覚書は、昭和二十四年六月十六日、被控訴会社京都支店において被控訴会社側はその副支配人原田毅、芦立精一、並に前記山田孝太郎外数名の社員が、控訴人側は並河節男が、又箕島除虫菊工業株式会社側は代表取締役河野一が各出席し、これに前記日高を加えて、午前十一時頃より午後七時頃迄交渉を重ねたのであるが、当日被控訴会社側が予め用意して呈示した覚書によると、控訴会社と被控訴会社間の従来の蚊取線香取引に関する未済部分は全部無条件解消となり、控訴会社はこれについて何等の違約金をも請求することができず、却つて被控訴人が返品した分については、控訴会社は手数料返還名義の下に、金四万四千二百三十三円を被控訴会社に支払うことを要するなど、控訴会社側に不利益な内容のものであつたために、右並河は容易にこれに調印することを承諾せず、却つて席を蹴つて帰宅しようとしたこと、然るに右覚書によると、箕島除虫菊工業株式会社は被控訴会社に対して、新に別規格の蚊取線香三万七千五百包を代金総額百四十六万二千五百円で売約することとなり、これについての仲介手数料を取得し得る関係から、右覚書の調印成立に至ることを欲した日高は前記のように調印を拒絶して帰宅しようとする並河を階段に追掛け、「貴様が帰宅するとは……」と大喝を浴せて威圧し、よつて同人を強いて連れ戻して、更に午後七時頃に至る迄押問答を重ねた末、ようやく並河においてこれに調印したものであること、並に右七八時間に亘る交渉時間は、格別に複雑な資料についての実質的な討議、又はその商業技術的な処理のために費やされたのではなく、既に被控訴会社側が、タイプライターで作成していた覚書を呑むか否かの一事をめぐつて押問答を繰返したものであつて、その商業的な交渉というよりも、むしろ日高の主導する軟禁的な雰囲気の下に行はれたものであること並に前記蚊取線香の取引が商業的には完全な失敗であつたために商事部長山田孝太郎の待命処分迄していた被控訴会社側は、大企業の面子を重んじる立場からこのような異常な交渉を打切るよりも、むしろその失敗の収拾策として、日高の常軌を逸した交渉に便乗して、そのまま一挙に覚書の調印に持ちこんだ経過であること、を認定することができるのであつて、以上の認定に反する原審証人田中英俊、同山田孝太郎、同原田毅の各証言は信用し難く、他にこれを左右するに足る証拠はない。して見ると並河節男が前記の覚書に調印したことは、決して正常な商業的交渉によるものではなくて、前記認定のような一連の行為を通じて日高の暴威に屈し、その身体並に自由に対する不測の危害というよりもむしろ一部は現実の危害を免れるために、やむなくなされたものであることを推認するに足り、これをいはゆる強迫による意思表示というに妨げはない。附言するに、ある特定の行為が強迫に当るか否かを判断するに当つては、単に当該の行為を現象的に観察するだけでは足りぬのであつて、その行為者の性格、並にその相手方との従来の関係、四囲の状況前後の経過等一切の事情を綜合して、当該の行為を評価しなければならぬとするのが当裁判所の見解である。

ところで成立について争のない乙第二号証によると、控訴人は、昭和二十四年八月二日附書面を以て、被控訴会社京都支店支配人田中正佐に対し、右覚書の調印は強迫によるものであることを原因として、これに関する法律行為の取消の意思表示をしていることが認められるから、右覚書に基いて、控訴会社が被控訴会社に支払を約した金四万四千二百三十三円の債務は、既に消滅したものというべく、従つてその弁済方法として振出された本件手形は、その原因関係を欠くに至つたものであるから、控訴人に対してこれが支払を求める被控訴人の請求は、これを棄却すべきであるにかかわらず、右請求を認容した原判決は失当であるから、これを取消すべく、よつて民事訴訟法第三八六条、第八九条、第九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 田中正雄 判事 観田七郎 判事 河野春吉)

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