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大阪高等裁判所 昭和28年(う)1139号 判決 1953年10月01日

控訴人 原審弁護人 山内公明

被告人 粟野弘

検察官 前田幸之助

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人山内公明の控訴理由は

第一点

一、原判決には事実誤認がある。

本件の喧嘩に付て粟野弘を喧嘩の現行犯と認定したのは事実誤認である。

被告人粟野弘は喧嘩をしてゐないことは本件記録上明かである。然るに同人は喧嘩をしたと断じ現行犯と断じたのは正に事実誤認である。

第二点

一、尚ほ同人を職務執行妨害と断じたのも事実誤認である。

巡査紅谷が喧嘩の現場に到着した時、先ず喧嘩をしたのは何者か、何故喧嘩になつたか等の事につき一応関係者を問い正し、喧嘩をした当事者を明確にして然る後逮捕すべき者は逮捕するという順序に出ずべき筈のものである。然るに同巡査は此の挙に出でず直ちに同被告人を逮捕せんとしたことは同巡査の職務執行の範囲内の行為と認めることができない。

該範囲以外の行為である。

被告人粟野は同巡査が粟野のオーバーをつかみ連行せんとしたに対し、拒絶したのは当然である。巡査の職務執行の範囲を逸脱した行動に対し拒絶するのは少しも違法ではない。

粟野は拒むにも不拘同巡査は強行に連行せんとしたから同巡査と粟野との格闘が発生したのである。これは同巡査と粟野との私闘である。決して職務執行妨害として断ずべきでない、北村文子は粟野がオーバーと靴を脱ぎ紅谷巡査に飛び付いて行つたと証言しているがこれは信を措けない、何となれば噛み付くといふ行為は通念上からすると弱い者が強い者からの攻撃に対し防禦の手段がない時に行われることで攻撃手段に出た場合などには考え得られない行為である。されば粟野から先きに攻撃的に出たという証言は信を措けない。

第三点

一、三ケ月という刑は重きに失する。

前述のように粟野は喧嘩をして居らぬ。而して紅谷巡査外一名のもみ合いは私闘である。原判決は粟野が紅谷外一名に噛みついて傷害を与えたと認定しているが、粟野も同巡査等からあごをしたたかなぐられて舌を噛み切つている。されば傷害もお互であつて粟野のみを責めるわけには行かない。

粟野が前科があるとは云うものの青少年を更生せしめる上から再度の執行猶予を許す法律案が目下議会に提出せられている今日であるから前科の点を断罪の種にとるのは酷である。

同人は目下大へんに悔悟して居ります。而して本年三月頃からやつと職業にありついて真面目に働いて居ります。よつて何卒もう一度御考え直しを賜らんことを御願い申上げます。

というのである。

弁護人の論旨第一、二点について。

原判決摘示事実に引用の証拠を対照吟味すれば、次の関係事実が認められる。即ち被告人は藤田博と共に判示日時判示上海亭に立寄つた際折柄同所で飲酒していた天野保夫に対し、ビールを飲ませよと要求したが、同人がこれを拒絶したので、藤田博が天野保夫連れ出しの口実を設けた上三人が上海亭を出たが、同亭の女給北村文子は被告人等三名の言動を怪しみ喧嘩でもするのではないかと思い、外へ出て被告人等三名の動静を見ていたところ、三名はその附近で何か争つた後藤田博はオーバー、マフラを脱いで天野保夫の肩を突いたり、足をかけて投げ付けたりし、被告人はその間藤田博が脱いだオーバー等を持つてその傍で右の様子を見て居り、更に天野に対し藤田に謝れと要求したりなどしたので、北村文子は附近の交番所へ行き私の店から出たお客が喧嘩していると届けた。折柄同交番所に巡視に来ていた判示紅谷巡査部長がこれを聞き、現場へ馳せつけたところ、かんにんして呉れとの声が聞えて一人の男(天野保夫)が倒れて居り、二人の男(被告人と藤田博)が立つて居り、誰が殴られたのかと聴くと、北村文子がこの人ですと云つて天野を指したので、同巡査部長は一応事情を聴くため被告人等三名に交番所までの同行を求め、両手を開いて三名を押すようにした。

すると被告人は何もしていないと云つたが、藤田はその場から逃げ出したので、同巡査部長は被告人と藤田博とを暴行罪の現行犯と思料し、逮捕しようとして被告人のオーバーを掴んだところ、被告人はどうしても連れて行くのか、来るなら来いと云い、オーバーと靴を脱いだ上矢庭に同巡査部長に飛び付き、路上に倒して組み付き判示の通りの暴行、傷害を加えたものであることが認められる。

これによれば天野保夫に対し直接暴行を加えたのは藤田博であつて、被告人が暴行したとの確証はない。即ち被告人は客観的には暴行罪の現行犯人ではなかつたのであるが、紅谷巡査部長は北村文子の申告に基き判つた被告人がそれまで藤田博と行動を共にして居たことや、藤田の犯行当時その現場に居合せていたこと等四囲の状況よりして、被告人も藤田博とともに暴行罪の共犯で、しかも現行犯人であると判断し、被告人を逮捕しようとしたものであることが明らかである。

さて刑法第九十五条所定の公務員の職務の執行は適法なることを要すること勿論であるが、その適法の標準については学説の岐れるところである。しかしいやしくも公務員がその与えられたる職務権限に属する事項に関し、その具体的な執行に際し、これが真実適法な職務なりと信じ、その職務執行の意思の下に、法令に於て定むる方式を遵守して為したる所為なる以上は、たとえ事実の錯誤に基き当該の特定職務の執行に必要な条件を具備しなかつた場合といえども、その条件を具備したものと信ずることが社会通念上一般に認容せられ、公務員の適法な行為として認め得られるときは、これを適法な職務執行の範囲に属する行為となすに何等の妨げはない。蓋し公務員がその職務を行うにあたりては、その抽象的職務権限に属する事項なる限り、箇々の場合に於てその職務を執行するに必要な条件たる具体的事実の存否、法規の解釈適用を決定する権能があるのであるから、その具体的事実ありと信じてなした場合に於ては、たとえこの裁量判断が客観的事実に符合しないところがあつても、一般の見解上これが公務員の職務の執行行為と見られるものは、裁判又は行政処分により取消され又は無効とせられない以上は、一応その行為としての効力を発生するものであることからしても、これを以て公務員の職務執行行為の範囲に属しないものということはできないからである。(大審院大正七年五月一四日第一刑事部判決、判決抄録七六号九八三七頁、判決録二四輯六〇五頁。昭和七年三月二四日第一刑事部判決判例集一一巻刑事二九六頁参照)

飜つて本件を検討するに前敍の如く、客観的には被告人は暴行罪の現行犯人でなかつたものであり、現行犯人たる要件を具備する者でなければ現行犯逮捕のできないこと勿論であるが、右紅谷巡査部長は警察職員として抽象的に現行犯人逮捕の職務権限を有し、法令上現行犯人は逮捕状なくして逮捕できるのであつて、同巡査部長はこの権限に基き、被告人を現行犯人と判断して逮捕せんとしたものであり、且被告人を現行犯人と判断したことは前説示の状況よりすれば、何人がその地位に立つも同一に判断すべき状況のものであつたとして許容せらるべきものと認められるから、同巡査部長の行為は適法なる職務執行の範囲に該当するものというべくこれに対し暴行を加えた被告人の行為は公務執行妨害罪を成立すること論がない。

而して原判決引用の証人北村文子の原審に於ける証言を措信できないものとする何等の資料もなく、その他記録に徴するも原判決に事実の誤認はないから、本論旨は理由がない。

同三点について。

しかし記録を精査し所論を考慮しながら案ずるに、本件犯行の態様被告人の前科経歴その他各般の情状に徴すれば、原判決の科刑は必ずしも重いものとは考えられないから、本論旨も理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条により主文の通り判決したのである。

(裁判長判事 岡利裕 判事 国政真男 判事 石丸弘衛)

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