大阪高等裁判所 昭和29年(う)1506号 判決
弁護人は、原判決は被告人が通常殺人の罪を犯した旨の事実を認定したけれども右は事実の誤認であつて、原判決挙示の証拠によると、本件は被害者中村町子の嘱託によるものであることが明らかであると主張する。
しかして記録を調査するに、原判決挙示の証拠によると被告人は昭和二十九年三月東舞鶴高等学校を卒業したものであるが、これより先同校第三学年に在学中担任の先生から学習成績の悪いことを注意されたので同年一月頃から同級生中村町子に勉強を見てもらつているうち、同女と相思相愛の仲となつたが同女から「他人が二人の仲をうわさしているのを知つた母親に被告人との交際をたしなめられた」旨を聞いた後は同女が心変りをしないかと心配になり同女にどんなことがあつても離れないと約束させたものの、家庭の事情で同女との結婚が困難であるように考えられて不安に耐えず、しかも同女に対する恋情やみ難く同女を永久に独占するには同女と心中するより外に方法はないと思うに至り、これを同女にはかつたところ、同女はちゆうちよしたけれども同女を説きつけて同意せしめ同年四月十一日同女を奈具海岸に誘い出し同所で夕闇せまり人通りのなくなるまで遊び、同日午後五時半頃同所の砂地に二人が並んで坐り海を眺めたり抱き合つたりした後、被告人は鞄から薬と出刃庖丁を取り出して二人の間に置き、更に抱き合つたりした後被告人が町子に「ほんとうに死んでくれるか」と念を押したところ、町子は「馬鹿ね」と言つたかと思うと右庖丁をつかんで自分の喉を一突し、被告人の方に倒れかかつてきたので右庖丁を持つた同女の手が被告人の目の前にきた、そこで被告人は同女が殺害を嘱託しているものと判断し、右庖丁を手に持つて同女の喉を数回突き、次いで手拭で町子の首をしめ町子が首をがくんとして来たので、今度は自分の番だと思い右庖丁で自殺をはかつたが死にきれず自ら紐で首をしめようとしたところ町子が手足を動かしていたので更に右庖丁で数回同女の喉を突き刺し右庖丁は突き刺したままにして自分の首をしめたところ意識がわからなくなつた事実が認められ、更に司法警察員の検証調書及び医師中村芳雄の解剖鑑定書によると現場における被害者中村町子はうつむけに倒れており右側頸部に出刃庖丁が突き刺したままになつており、死体附近に遺留品が散乱していたが現場で格闘した形跡は認められなかつたこと、町子の死因は右側頸部の刺創であるが、左側頸部及び前頸部にも切刺の創傷があり且つ前頸部には相当強く絞めた様子も見られたが頭部顔面その他に外傷はなく左頸部及び前頸部の切刺創は自分で傷つけたものと考えることができる事実が認められる。従つて右死体及び現場の模様から考えて被殺者町子は被告人の行動に対し少くも抵抗しなかつた事実が推認せられる。思うに、本件事案におけるように情死の約束をした一方が既に死亡してしまつている場合において、果して同人の嘱託があつたかどうかを判断するには、当時の情況を綜合して判定するのが最も合理的である。生き残つた他方の者が嘱託があつたと供述すれば嘱託殺人になり、嘱託があつたものと考えたと供述すれば通常殺人になるというように機械的に決定すべきものでないこと、いうまでもない。本件においては前に掲げたように(イ)情死することについて十分な合意があつたと認められること、(ロ)頸部以外に外傷はないこと、(ハ)格闘の跡が全くないこと、(ニ)頸部前方の創は未経験者が自分で喉を突くという常識的な自殺方法として考えられること、(ホ)夕闇せまり人通りもなくなるまで二人で遊んでいて相互に信じ合つて行動していたこと、(ヘ)被殺者町子が自分で自分の喉を突いてから被告人の方に倒れかかつてきて出刃庖丁を差し出すように被告人の目の前に出したことなどの情況を綜合すると被告人において町子が殺害を嘱託したものと判断したのは町子の真意に合致しており、本件殺害は被殺者町子の真意に基く嘱託によるものであつたと認めるのが相当である検(察官の訴因も嘱託殺人である)。しかるに原判決が被告人の行為を通常殺人と認定したのは誤認であると考える。
よつて原判決を破棄し当審において直ちに判決できるものと認められるから弁護人の量刑不当の主張についての判断も同時にすることとし刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書を適用して次の通り判決する。
一、罪となるべき事実、
被告人は小学校六年生の頃母が再婚したのでその夫の養子となり以後同家で養育せられ昭和二十九年三月東舞鶴高等学校を卒業したものであるが、これより先同校第三学年に在学中担任の先生から学習成績が悪いと注意を受けたので同年一月頃から同級生中村町子に勉強を見てもらつていたところ、同女と相思相愛の仲となつたが同女から「他人が二人の仲をうわさしているのを知つた母親に被告人との交際をたしなめられた」旨を聞き、それからは同女が心変りしないかと心配になり同女にどんなことがあつても離れないと約束させたものの、同女が三人姉妹の長女であり同女の家と被告人の養家との家柄の相違などに思いをめぐらすと同女との結婚は困難であるように考えられて不安に耐えず、しかも同女に対する恋情押え難く同女と心中して永久に同女を独占しようと決心し、これを同女に打ち明けて相談し、ちゆうちよする同女を説いて同意せしめた上、同年四月十一日同女を京都府加佐郡由良村奈具海岸に誘い出し同日午後五時半頃同所において二人が並んで坐り被告人は鞄の中から薬と出刄庖丁を取り出して二人の間に置き同女に対し「ほんとうに死んでくれるか」と念を押したところ突然に同女は右出刄庖丁を持つて自分の頸部を突き被告人の方によりかかつて来ると同時に右出刄庖丁を持つた手を被告人の眼前に差出して殺害の嘱託をしたので被告人は右出刄庖丁を自分の手に持ち同女の頸部を数回突き刺し右側頸部の右総頸動静脈切断による刺創によつて死に至らしめたものである。
(以下省略)
(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 松本圭三 判事 網田覚一)