大判例

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大阪高等裁判所 昭和29年(う)171号 判決

本件公訴事実は、被告人は昭和二六年一二月二一日早朝被告人の雇主正田忠治の指図により牛二頭を右正田方から京都市下京区油小路十条下る京都市立屠場まで連れ行く途中家畜取引の上で予て知り合いの牛肉商井元丈次郎が何時も多額の金員を所持していたことを想起し同人を殺害して金員を強取しようと決意し同日午前一〇時頃右京都市立屠場内において同人に対し「大津の山の一軒家にごつい牛が二頭いるから見て買つて貰いたい、一頭八万円位であるが現金でなければ売らないと言つている」旨申欺いて大津市に誘い出し、同日正午頃同市松本浅井山通称石ケ谷附近の山道に差しかかつた際矢庭に所携の刃渡り約一五糎の登山用ナイフで同人の後頭部を突き刺し、更に顔面部、頭部を約二〇回にわたり突き刺し、右横頸動脈及び後頭動脈を切断脱血させて殺害した上即時同所において同人所有の現金一五〇、四〇〇円余在中の皮製手提鞄一個を強取したものであるというのであるが、原判決はその挙示する証拠によつて右公訴事実中被告人が井元丈次郎を石ケ谷附近の山道まで連れ込んだまでにつき同趣旨の事実を認定した上、「本件公訴事実中被告人が判示日時頃判示山道において矢庭にナイフで井元丈次郎の後頭部を突き刺し更に顔面部、頭部を約二〇回にわたり突き刺し右横頸動脈及び後頭動脈を切断脱血させて殺害した上即時同所において同人所有の現金一五〇、四〇〇円余在中の皮製鞄一個を強取した」との強盗殺人罪の所為については被告人が判示の如き強盗並びに殺人の予備の段階を経た後右山道で所携のナイフをもつて井元丈次郎を殺害した上同人所有の現金一五〇、四〇〇円在中の皮製手提鞄を強取した事実は当裁判所においても認めるのであるが、(中略)「鑑定人大阪大学教授堀見太郎は被告人の本件犯行当時の精神状態は常人の最下級の智能及び先天性梅毒及び癲癇様失神発作症発作性モウロウ状態を基盤として出現したモウロウ状態であつた、従つて常人の如き高級判断力を必要とする責任ある行為を全くとりえない状態であつたと考えられるとなし、その理由中犯行当時の精神状態の項において被告人は常人の如き責任ある行為を全くとりえない所謂心神喪失者といわれる程度の精神状態にあつたものと考えられるとしている。」(中略)右「堀見鑑定人の鑑定書及びその当公廷における証言を最も信用すべきものとし」「加うるに被告人の当公廷における供述の模様態度が著しく円滑を欠き応答に多大の難渋停滞が認められること等を綜合して被告人は右強盗殺人の行為当時心神喪失の状態にあつた事実を認める。」しかしながら「本件強盗殺人罪の公訴事実中にはその前段階である判示殺人及び強盗の各予備罪の事実をも併せ含んでいるものと認められるから、かように一罪の発展的段階である右強盗殺人罪については特に主文において無罪の言渡をしない」と判示している。

検察官は原判決が被告人は本件強盗殺人の犯行当時心神喪失の状態にあつたと認定したのは事実の誤認であると主張するので、この点について審究するに、原裁判所が認定の重要資料とした原審鑑定人堀見太郎の鑑定の結果には検察官指摘のような疑点があるので、当審において鑑定人村松常雄をして更に鑑定をなさしめたところ、その提出した鑑定書によれば、被告人は本件犯行当時心因性精神病の継続中として異常状態にあつたものと認められるが、当時著しい意識障碍があつたものとは認められないというのであり、なおその説明中には被告人は先天性梅毒の影響を受けているけれども、脳波検査によるも癲癇性発作を証することはできない、なお逮捕された後事件の経過を明瞭に供述している点からみて、当時重い意識障碍があつたものとは認め難い旨記載せられているので、これらの資料に基くと、被告人は本件犯行当時刑法上の心神耗弱の状態にあつたものではあるが心神喪失の状態にあつたものではないと判定するのを相当とする。もつとも右村松鑑定人の鑑定書中にも、被告人の昭和二六年一〇月頃から犯行時にわたる精神異常状態には起伏の動揺はあつても責任能力としては全期間を通じて正常ではないと認められ、その特に悪化した発作時には明らかに心神喪失の状況に該当し、その最も平静と見える時間と雖も少くとも心神耗弱の状況に該当するものと認められる旨の記載があるけれども、法医学見解を述べたに過ぎないと解せられるので、必ずしもこれに拘束せらるべきではないのみならず、特に悪化した発作時が具体的に何時であつたかを明らかにしていないので、この点からもたやすく採用し難い。されば原判決が被告人は本件強盗殺人の犯行当時心神喪失の状態にあつたと判示したのは事実を誤認したものであつて、この違法は判決に影響を及ぼすものであるから、この点において破棄を免れない。次に弁護人は刑法第二〇一条本文並びに同法第二三七条の規定はそれぞれ殺人及び強盗が着手に至らざる段階における所為を罰する規定であつて、本件の如く既に着手した以上は最早着手後の所為と、着手以前の予備的行為を独立して処罰できないものであると主張し、検察官も原判決の如く犯罪の実行行為とその前段階たる予備行為とを切り離して考えること自体が不合理であるのみならず、本件の如く少くとも数時間前より計画した謀殺の事案に対して、予備の段階においては被告人に責任能力を認めながら、実行の着手に至つて突如責任なしとするが如きは吾人の法律感情と到底相容れないところであるとし、或いは本件強盗殺人行為において原判決が認定した予備行為の最終時期と実行行為の段階には時間的観念を容れる余地の存しない一連の行為であるのに、物理的一撃を加えた直前までを予備の段階としてこれに責任能力を認めその後の行為の段階において責任能力を認めなかつたことは刑法第二四〇条の解釈適用を誤つたものであると主張する。

よつて案ずるに刑法第二〇一条(殺人予備、尊属殺予備)及び同法第二三七条(強盗予備)の規定は殺人又は強盗の準備と認められる段階において行為が終止し、実行の着手があつたと認むべき段階にまで進展しなかつた場合のみ適用せらるべきもので、すでに実行の着手があつた以上、それが未遂に了ると既遂に達するとを問わず、その予備行為は未遂又は既遂の殺人又は強盗或いはその結合犯たる強盗殺人の罪に吸収せられ、独立して処罰の対象となるものでないと解すべきところ、原判決は被告人の殺人予備及び強盗予備の所為はそれのみで了つたと認定したのではなく、更に進んで被害者を殺害しその所持金を強取した事実があつたことも認められるが、右強盗殺人の実行に着手後被告人は心神喪失の状態に陥つたので、その後の行為についての責任能力を欠くものといわなければならないというにあることが判文上明らかである。このような場合に発展的段階にある一連の行為のうち予備の段階にあるもののみを切り離して処罰の対象となし得るとした原判決は刑法の規定の解釈適用を誤つたものといわなければならない。されば検察官の所論は爾余の主張の当否を判断するまでもなく理由があるけれども、弁護人の論旨は被告人が心神喪失の状況にあつたことを前提とするものであるが、右事実の首肯し難いことはすでに説示したとおりであるから、結局理由なきに帰する。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項第三八〇条第三八二条に則り原判決を破棄し、本件は直ちに判決することができるので同法第四〇〇条但書により次のとおり判決する。

一、罪となるべき事実

被告人は先天性梅毒に因る眼病により昭和二四年七月頃から同年一二月頃まで大津市日赤病院に入院する等して治療に努めたが全治するに至らず、又耳漏の病に罹つていたため、これら病気の療養費等に窮した結果、昭和二六年一二月二一日早朝当時の被告人の居宅から京都市下京区油小路十条下る京都市立屠場へ赴く途中家畜取引の上で予て知合の井元丈次郎(当時四四年)が常時多額の金員を所持していたことを想起し、ここに同人殺害して所持金を強取しようと決意し、同日午前一〇時頃右屠場内において、同人に対し「大津の山中の一軒家に現金売のごつい牛が二頭いるから見て買つて貰いたい」という趣旨のうそをついて同人を欺して大津市に誘い出し、同日正午頃、同市松本浅井山通称石ケ谷附近の山道にさしかかつた際矢庭に所携の登山用ナイフで同人の後頭部を刺し、更に顔面部、頭部を約二〇回にわたつて突き刺し、よつて同人をして右横頸動脈及び後頭動脈の切断による脱血により即時同所において死亡するに至らしめた上、同人所有の現金一五〇、四〇〇円在中の皮製手提鞄一個を強奪したものであつて、被告人は右犯行当時心神耗弱の状況にあつたものである。

二、証拠の標目(省略)

三、法令の適用

被告人の判示所為は刑法第二四〇条後段に該当するから、所定刑中死刑を選択し、心神耗弱者の行為であるから同法第三九条第二項第六八条第一号により減軽し、本件犯行の動機、態様特に本件が謀殺である上、殺害方法も残忍で、強奪した現金が一五万円余であること等の犯情に鑑み、被告人を無期懲役に処することとし、原審並びに当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り被告人をして全部これを負担せしめる。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 岡利裕 判事 国政真男 判事 石丸弘衛)

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