大阪高等裁判所 昭和29年(う)2187号 判決
論旨第一点(趣意書に第一点及び第二点として記載せられたもの)は、原判決は「被告人は、第一、昭和二十九年四月二十七日京都市中京区中新道通仏光寺上る壬生高樋町六十四番地遊技場丸新こと朴元道方において同店員金貞子に対し同店備付のパチンコ台に他店玉を使用して取得したパチンコ玉五百個を示し、あたかも同店から買受けた玉を使用して取得したもののように装つて景品との交換を求め、同人をして其旨誤信させ、よつて即時同人から交換名下に歯刷子二十五本(時価千円相当)の交付をうけてこれを騙取した」との事実を認め、之を詐欺罪に問擬しているが、それは二つの点からして判決に重大な影響を及ぼす誤を犯している、即ち(イ)被告人が他店玉を使用して判示丸新パチンコ玉五百個を取得したということを認める以上は、それは、原判示第二の事実と同様窃盗罪の成立を認めているものであつて、その取得したパチンコ玉は窃盗によつて得た贓物に過ぎない。従つて之を景品と引替えたとしても、それは単なる贓物の事後処分であつて何ら犯罪を構成するものではない。だからして、若し原判示第一の事実について強いて犯罪を認めようとするのであれば、訴因を窃盗と変更しなければならない。(ロ)被告人が取得したパチンコ玉を景品と交換したとき欺罔行為があつたと認められているが、およそ、パチンコ店においては、その店のパチンコ台から流出した玉は、当然景品と交換せられる立前となつており、そのことは、当該の店としても、遊技客としても当初から予期していることであるから、其間に欺罔行為が介在するわけがない。だから原判決が、被告人が玉を景品と交換するにあたつて欺罔手段を用いたと認めたのは誤つているというのである。
けれども、先づ(イ)について論じると、なるほど、論旨引用の仙台高裁秋田支部判決(二九、八、二四、高裁刑事裁判特報一巻四号一五八頁)は、「本件の不正手段によつて得た玉を景品と交換した場合を考えると、それは正当な手段によつて得た玉であるように装うて経営者をだまし、景品をとつたことになるのであるがこの行為は窃盗により得た玉の事後処分であつて、別に詐欺罪を構成しないと解すべきである。」と判示している。しかし、パチンコの当り玉と景品と交換する行為は、当り玉の金属として有する客観的価値の処分行為ではない。もしも、窃取した当り玉を金属としての客観的価値に従つて処分するのであるならば、正に贓物の事後処分というべきである。しかし、当り玉と景品と交換する場合は、その当り玉が正当な手段によつて得られた玉であるということを装うことによつて、すなわちその当り玉の物そのものとしては有していない属性を装うことによつて、パチンコ店主の所有する景品という別個の法益を侵害するものであるから、別個の詐欺罪の成立を認めて、少しも差し支えないと考える(昭二九、二、二七、最高裁第二小法廷判決刑集八巻二号二〇二頁参照)。たゞ、当り玉の窃取は景品との交換を終局の目的として、すなわちその過程として行われるものであるから、同一の機会に両者が順次に行われる通常の場合においては、その過程たる窃取行為は不問に付して起訴せられないのが通例であろうから、問題にならないにすぎない。よつて、論旨は理由がないものと認める。
次ぎに(ロ)について論ずると、およそパチンコ店においては、正当な方法でその店のパチンコ台から流出した玉は、当然景品と交換せられる立前となつていることは、所論の通りであるが、本件の場合のように不正な方法で取得せられた玉を景品と交換することは当該パチンコ店としても遊技客としても当然予期しているとは到底認めることができない。被告人が他店玉を使用して不正に取得したそのパチンコ店の玉を、あたかもそのような方法で取得したものではなく、同店から買受けた玉で正当に取得したものであるように装つて同店の店員を錯誤に陥れ景品と交換したのは、全く欺罔手段によつたものといつてよい、論旨は理由がない。
(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 網田覚一 判事 小泉敏次)