大阪高等裁判所 昭和30年(う)1946号 判決
所論の要旨は、原審は審判の請求を受けた事件について判決せず、却つて審判の請求を受けない事件について判決している。すなわち、本件第一次の公訴事実の第一の(二)は「右の校長住宅を同財団の所有名義とせず、被告人の個人名義に登記することは、同財団の損失となるべきことを熟知しながら、自己の利益を図る目的を以て、自己の理事長としての前記任務に背き、同年二月一日大阪府中河内郡大阪法務局繩手出張所に於て、前記住宅の所有名義を右中川浅次郎から被告人個人に移転する旨の登記を完了して、同財団に前記住宅代金に相当する財産上の損害を与え」というのであり、この事件に対し、原判決の認定した判示第一の(一)の事実は「昭和二四年二月一日右校長住宅を、同財団名義に登記せず、被告人個人名義に登記することは、同財団に於て将来右家屋の所有権が、善意の第三者に移つた際その善意取得者に対抗し得ず、同財団の損失となるべきことを熟知しながら、自己の利益を図る目的を以て、被告人の理事長としての任務に背き、…………前記住宅の所有名義を中川浅次郎から被告人個人に、売買により移転する旨の登記を完了して、同財団に対し財産上の損害を与え」というのである。ところが(1)検察官は原審公判における論告で、「然るに中村は之を中村個人の名義に登記して、財団の所有より離脱させ、自ら所有者として対抗要件を具備するに至つたのであるから、自己の利益を図る為、財団に財産上の損害を与えたことも亦明らかであると陳述しているから、右公訴事実も同趣旨であつたものと解さなければならない。しかし被告人が本件住宅について、自己個人名義に所有権移転登記をなしても、これによつて右住宅の所有権は財団より離脱するものではなく、依然財団にあつて、財団は何等損害を受けるものでないことは法理上明らかである。従つて検察官は右登記によつて、所有権を財団より離脱させ、ために財団に財産上の損害を与えたとの誤つた法理に基ずく虚無の損害事実を以て、被告人を背任罪に問うているのであるから、原審はこの審判の請求を受けた事件について、当然無罪の判決をなすべきであるのに何等その点の判決をなしていない。また(2)原判決認定の判示第一の(一)の事実は第一次の公訴事実第一の(二)とは異なり「将来右家屋の所有権が善意の第三者に移つた際その善意取得者に対抗し得ず」という、将来の仮定的事態を想定して、被告人を罰しているものであつて、公訴事実の同一性を超えた審判の請求を受けない事件について判決しているものであると主張するのである。よつて案ずるに、記録に徴すると、第一次の公訴事実の第一の(二)、原判決認定の判示第一の(一)の事実、及び原審公判における検察官の論告内容が所論のとおりであることは明らかである。しかし(1)裁判所の審理の範囲は起訴状記載の公訴事実であり、刑事訴訟法第三七八条第三号の「審判の請求を受けた事件」というのも、この公訴事実を指すものと解すべきであるけれども、判決の対象となるのは常に右公訴事実に明示された訴因であつて、その枠外に出ずることは許されないものであり、もし明示されていない訴因について判決する場合には必ず訴因の変更追加をなすことを要するのである。而して訴因の変更追加は公訴事実の同一性を害しない限度において許されるものであつて、それは刑事訴訟法第三一二条刑事訴訟規則第二〇九条等の規定に従い厳格な手続を経てなされるべきであり、これ等の手続を履践せずして、検察官が公判審理の最終段階に至つてなされた論告の内容が、たとえ公訴事実の範囲を超えないものであつたとしても、明示された訴因と異なるときは、それによつて訴因が変更または追加されたことにならないから、右論告の内容を対象として判決をなすべきものではない。本件第一次の公訴事実第一の(二)は上記のとおり単に「右の校長住宅を同財団の所有名義とせず、被告人の個人名義に登記することは同財団の損失となるべきことを熟知しながら………登記を完了して同財団に前記住宅代金に相当する財産上の損害を与え」とあつて、論告内容のように「………中村個人の名義に登記して、財団の所有より離脱させ、自ら所有権者として対抗要件を具備するに至つたのであるから、………財団に財産上の損害を与えたことも明白である。」との趣旨に記載されてなく、また、記録を調査しても、同趣旨に訴因変更等の手続がなされていない。なお右両者の文意を比照しても、直ぐには、前者の訴因の趣旨を後者の論告内容によつて釈明敷衍して明確にしたものともとれないし、そのような釈明ならば、公判審理の適当な段階において定められた手続を経てなされるべきものであるのに、その手続がなされたとは記録上見ることはできない。従つて原審における検察官の論告内容が右のとおりであつても、これを対象にして判決すべきものでないから、これと同一の見解をとつた原判決は正当であつて、審判の請求を受けた事件について判決しなかつた違法はない。
(2)財団の理事長が財団の買受けた住宅を、その名義に所有権移転登記をなさずして、擅に自己個人名義に所有権移転登記をなしても、理事長個人としては、何等実体上所有権を取得した事実がないから無権利者であり、同人よりこれを譲受けた第三者も、たとえ善意であつても、依然無権利者であつて、いずれも民法第一七七条で保護される第三者に該当しないため、財団に対して登記の欠缺を主張することはできないが、財団は実体上所有権を取得しているから、右登記によつてこれを失うものではなく、かかる無権利者に対して、自己の所有権を主張し得ることは論を俟たないところである。しかしながら、このような実体上の真実と合致しない理事長個人名義の所有権移転登記がなされると、財団としては、種々法律上の手続を履践して、これが抹消せられない限り、財団名義の所有権移転登記がなし得られないので、その間、何人にも権利行使を主張し得る対抗力を取得することができず、ために財団の前主よりさらに二重譲渡等で物権を取得した善意悪意の第三者、すなわち、民法第一七七条によつて登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有するこれ等の第三者に対抗し得ない不利益な状態におかれるのである。而して背任罪にいう「財産上の損害」とは、現にその損害価格の確定し得べきもののみに限らず、財産上権利行使を不確実ならしむる虞のある状態をも包含するものと解するのが正当であり、またこの損害は積極的損害、すなわち、既存財産の減少のみならず、消極的損害、すなわち、既存財産の増加妨害をも包含するものであるから、本件のように被告人が財団の理事長としての任務に従い右住宅について財団名義に所有権登記をなして、その所有権行使を何人にも主張し得る対抗力を取得すべきであるにかかわらず、この登記をなさずして却つて擅に自己個人名義に所有権移転登記をなして、財団を上記のような不利益な状態においた場合は本罪の「財産上の損害」を加えたことに該るのである。ところで原判決は所論のとおり判示第一の(一)において、「………右校長住宅を同財団名義に登記せず、被告人個人名義に登記することは、同財団に於て将来右家屋の所有権が善意の第三者に移つた際、その善意取得者に対抗し得ず、同財団の損失となるべきことを熟知しながら、………」と認定していて、その文意稍々明確を欠くけれども、これは被告人が本件住宅を自己個人名義に所有権移転登記をなした場合、同時に財団の受くる上記財産上の損害中、登記欠缺を主張するにつき正当な利益を有する善意の第三取得者に対抗し得ない場合の損害のみに制限して認定したものと解され、所論のような将来の仮定的事態を想定して被告人を罰したものではない。また、原判決の上記認定の損害と第一次の公訴事実第一の(二)の訴因に明示された損害とは異なつていて、本来ならば上記(1)で述べたような理由によつて訴因の変更をなすべきところであるけれども、この両者は被告人が擅に本件住宅を自己個人名義に所有権移転登記をなしたとの基本たる背任事実関係は全く同一であり、その法律的構成においても変りなく、ただ、かかる任務違背の実行行為を完了した結果、法律上当然発生する財団の損害が如何なるものであるかについての見解に若干相違があるに過ぎないもので、この程度の相違ならば公訴事実の同一性も超えてもおらず、左程重要な点の相違ともいえないから、あえて、訴因変更の手続をとらなくても、被告人の防禦に実質的な不利益を来たすおそれがないため、原判決が訴因の変更をなさずして、上記のように認定することは許容せられるところであつて、所論のように審判の請求を受けない事件について判決した違法があるということはできない。
同第八点について、
所論は要するに、原判決は判示第二事実認定の証拠として、刑事訴訟法第二二七条により裁判官が尋問して作成された証人伊賀義雄に対する尋問調書を掲げているが、同調書によれば右尋問に検察官が立会したことが明らかである。しかし同条による裁判官の尋問には検察官が立会することは出来ないのであるから、右尋問調書は違法であつて、証拠となし得ないものであると主張するのである。記録によると、原判決には所論のとおり伊賀義雄に対する裁判官の証人尋問調書を証拠に採用しており、同調書には検察官が立会した旨記載されていることは明らかである。しかし刑事訴訟法第二二七条による裁判官の証人尋問の場合においては、同法第二二八条第二項及び刑事訴訟規則第一六二条の規定によつて、被告人、被疑者及び弁護人には原則として立会権はないが、検察官にはこのような特則がないから、一般原則である同法第一五七条第一項等の規定によつて、立会権があるものと解すべきである。従つて裁判官の前記証人伊賀義雄に対する尋問の場合において、検察官が立会しても別に差支えのないことであるからその尋問調書に所論のような違法があるとはいえないし、その証拠能力を否定される理由もないから、原判決が判示第二事実認定の証拠にこの調書を採用しても、何等論難されるべきものでない。
検察官の控訴趣意第二点について、
所論は原判決が、本件公訴事実中無罪の認定をなした部分(但し詐欺未遂の部分を除く)は、審理不尽、法令の適用の誤り等の違法があると主張するのであり、なお、その一部の訴因につき前記のように訴因の変更があつたから、これを訴因変更のなかつた部分と、訴因変更のあつた部分とに別けて案ずるに、原審及び当審において取調べた証拠を綜合すると、(一)訴因変更のなかつた部分については、当裁判所も原判決のなした認定判断と同一であつて、それ以外に出ずるものはなく、他にこれを動かすような心証を形成する証左はない。(二)訴因変更のあつた部分については、(イ)冒頭の事実及び訴因(一)の(1)(2)の日時場所で、被告人が弁護料として、財団公金中より計一〇万円を支払つたことは認定するに十分である。しかし刑法第九六条ノ二にいう「財産の隠匿」とは、財産の発見を不能または困難にすることであり「財産の仮装譲渡」とは、真実譲渡する意思がないにもかかわらず、相手方と通じて表面だけ譲渡の形式をとり財産の所有名義を変えることであつて、この点刑法改正仮案第四六二条が「……財産ヲ隠匿、損壊若ハ譲渡シ……」と規定し、仮装の有無を問わないのと異なり、真実譲渡する意思をもつて譲渡した場合には、たとえ強制執行を免がれる目的からであり、債権者に不利益を来たしたとしても、右にいう隠匿または仮装譲渡のいずれにも該らないから、強制執行不正免脱罪を構成するものではない。而して右訴因(一)(1)(2)の事実は、被告人が森下弁護士に金五万円、内海弁護士に金五万円を弁護料として真実支払つたものであることは、上記証拠によつて明らかであるから、右の理由により強制執行不正免脱罪を構成しないのである(ロ)同訴因(二)の被告人が同財団の公金二七五、〇〇〇円を業務上保管しながら、これを管理人に引渡さなかつたことは認められるが、昭和二四年九月一一日付仮処分申請書の写(記録一四四丁)及び同年一〇月一日付仮処分決定謄本(記録一五五丁)によると、右仮処分申請趣旨が「一、被申請人は申請財団理事長樟蔭東学園中村福次郎等如何なる名義を以てするも、申請財団の経営に係る各学校授業料の徴収其他財団の債権の取立を為すことを禁ず(二は省略)」とあるのに対し、係裁判官はこの申請趣旨を制限して、「一、被申請人は如何なる名義を以てするとを問わず、申請人のために申請人の経営する各学校の昭和二十四年十月分以降の授業料、その他の債権、又は寄附金を取立受領したときは、直ちに右金員を計算書と共に、当裁判所の選任する管理人大阪市北区源蔵町拾参番地弁護士奥田忠司に引渡さなければならない。(二乃至五省略)」との仮処分決定をなしたことが明らかであり、この決定事項を熟読すると、被申請人(被告人)が右決定日付の昭和二四年一〇月一日以後に、財団のため取立受領した、同月分以降の授業料、その他の債権、又は寄附金は、直ちに計算書と共に管理人に引渡さなければならないのであり、同日より前に財団のため取立受領した金員等は、別に引渡す要がないものであるとの趣意に解されるのである。この点について、当審証人奥田忠司は当公廷において、同日この決定の謄本を受取り読んだときは、自分も同様の趣旨に解したが、直ちに樟蔭東高等女学校に行き調査すると、既に同日以前に十月分以降の授業料が徴収されていることが初めて判り、その分の引渡も受ける要があると思つたが、その分は右決定事項に含まれているのか疑問であつたので翌日頃係裁判官に質すと、既に徴収した分もあるのか、それならその分も引継いでくれ、と云われたから、また、同学校に行き、被告人にその旨伝えたと証言しており、このような証言が無かつたとしても右決定事項は文理上上述のように厳格に解すべきものであつて、推測や、その後の補促的見解を容れる余地のあるものではない。而して押収に係る証第五号の中村隆寧名義の普通貯金通帳(株式会社協和銀行長瀬支店)の記載を見ると、昭和二四年九月二四日金一〇〇万円預入、同年一〇月七日金四〇万円引出、同日金三二五、〇〇〇円引出、同日現在預り高金二七五、〇〇〇円とあつて、右訴因(二)の管理人に引渡さなかつた金二七五、〇〇〇円というのは、この預金残高を指すのであるが、これは右のように同年九月二四日預入した金一〇〇万円の残高であつて、これを同年一〇月一日以降において被告人が右銀行から取立受領したことはなく、預入したまま保管していたものであるから、本件仮処分の対象外のものであつて、管理人に引渡すべき義務のないものであることは明らかである。従つて被告人に同財団の理事長としての訴訟遂行の費用にあてる意図があつたとしても、引渡す義務のない預金であるから引渡すことなく、そのまま保管していても、別に隠匿等の所為が認められない以上、強制執行不正免脱罪を構成するものではない。
(裁判長判事 万歳規矩楼 判事 武田清好 判事 小川武夫)