大阪高等裁判所 昭和30年(う)2542号 判決
一、被告人奥田せつは、奥田政三が立候補の暁は、同人に当選を得させる目的をもつて昭和三十年二月中旬頃、松原市油上町百四十八番地被告人永田丑松方で同人に対し右奥田政三の選挙運動を依頼しその報酬とする趣旨の下に現金一万円を供与し、以て立候補届出前の選挙運動をし
二、被告人永田丑松は、
(一)昭和三十年二月中旬頃、前記自宅で被告人奥田せつが前記趣旨の下に供与することを知りながら、同女から現金一万円の供与を受け、
(二)奥田政三が立候補の暁は、同人に当選を得させる目的をもつて
(イ)昭和三十年二月中旬頃前同所で、紀田長造、松本久吉、樋口進、永田澄夫に対し右奥田政三の選挙運動を依頼しその報酬とする趣旨の下に各現金千四百三十円を供与し
(ロ)同月中旬頃、同町百八十二番地土橋幸太郎方で、前記紀田を介し右土橋に対し前同趣旨の下に現金千四百三十円を供与し、
(ハ)同月中旬頃、同町百八十二番地林末吉方で、前記紀田を介し右林に対し前同趣旨の下に現金千四百三十円を供与し、
以てそれぞれ立候補届出前の選挙運動をし
たものであるとの事実に対し、「犯行日時の点に争があるので、つぎに判断する。被告人奥田せつ、同永田丑松並びにその他の関係人は、検察官及び司法警察職員に対して、すべて、前掲事実の行われたのは、昭和三十年二月中旬頃と供述しているが、これらの供述調書を精査すると右の点に関する記載は、あまりにも整いすぎており、作為の跡を感じさせ、かえつて信用できない。もつとも土橋幸太郎は、捜査段階から当公判廷に至るまで、一貫して右の点につき、昭和三十年二月中旬頃と供述しており、又同人等が最初に警察で取調を受けたあと、関係人が合議して、右日時を昭和二十九年十月頃と統一して供述しようとしたことも推認される(第三回公判廷での各証人の証言)右日時は昭和三十年二月中旬頃と認められないこともないが、他方当公判廷(第三、四回)で、各証人は、(土橋幸太郎、同玉枝を除く)一致して右日時を昭和二十九年十月頃と供述し、当公判廷での被告人奥田せつ、同永田丑松の供述と相まつて、右日時は昭和二十九年十月頃である旨の同被告人等の主張にかなりの根拠を与えている。当裁判所は、以上の相反する各証拠を比較検討したが、結局、そのいづれかは決することができなかつた。そこで前掲事実については、犯罪の証明がないことに帰する」との理由をもつて無罪の言渡をしている。ところが、右理由に掲げられた証拠中、本件犯行日時を昭和二十九年十月頃とする分と、昭和三十年二月中旬頃とする分とのいづれを採用すべきかについて原審は去就に迷うというが、犯行日時を昭和二十九年十月頃とする分としては、先づ原審第三、四回各公判調書における証人紀四長造、松本久吉、樋口進、林末吉、永田澄夫、松本チズ子、永田フジヱ、樋口スエノ、林フジヱの各その点で一致した供述記載がそれであるところ、被告人両名並に土橋幸太郎、紀田長造、松本久吉、樋口進、林末吉、永田澄夫の検察官に対する各供述調書によると、所論の指摘するとおり本件犯行の日時が昭和三十年二月中旬頃であることは間違がないのに、若し犯行日時を昭和二十九年十月頃とすれば時効によつて訴追を免れるかも知れぬと思い、偶々紀田長造がその頃永田丑松から後日奥田政三のため選挙運動をするよう頼まれたことがあつたのに結びつけ、既に昭和三十年二月中旬頃のことであつたと警察で供述した被告人永田丑松及び土橋、林の三名は其後取調を受ける場合に、その他の者は、取調の当初から犯行日時を昭和二十九年十月頃に偽り供述するよう意思の連絡を計つたことの経緯が逐一記載せられておること、原審第四回公判調書の記載によると、証人永田澄夫は「昭和三十年五月十一日奥田政三の家に行つて、そこで紀田が本件の犯行は昭和二十九年十月中旬と思うというと奥田が十月頃だと時効になつて違反にならぬといつたのを聞いた」と述べておること、原審第一回公判調書には被告人永田丑松の陳述として「公訴事実第四の(一)に二月中旬頃とあるのは十月です。一万円を貰つたは事実です第四の(二)(三)は全部認めます」と記載せられていること、原審公判廷における証人紀田長造、松本久吉、樋口進、林末吉、永田澄夫の各証言によると、いづれも昭和三十年二月に金を貰つたというので罰金に処せられ(略式命令)ながら不服の申立をせず、その理由として、紀田は「お上に手数をこれ以上かけるのはよくない、五千円位なら仏つて了おうと考えたから」といい、松本は「仕事が忙しいので又裁判所へ出て行かねばならぬ事が苦痛に思われたから」といい、樋口は「何ケ月もひつぱられるのが嫌だつたから」といい、林は「呼出を受けるのが困るから」といい、永田は「仕事が忙しいので永く裁判されるのが困るので」といつているが、若し、その犯行日時が昭和二十九年十月頃に相違なかつたとすれば、果して右証人等は右のような理由で甘んじてその刑に服したと考えるのが相当であろうかと思われること、また、前示検察官に対する各供述調書を精査すると、なるほど、整然としたところがあるにしても、むしろその内容は極めて具体的でそれを殊更作為したものと認めるには十分の根拠がなく、却つて前示公判調書における各証言には所論のとおりその真実性を疑わしめるに足るものがあること、更に原審証人土橋幸太郎、土橋玉枝の各証言によると、土橋幸太郎が紀田から本件金員を受取つたのは昭和三十年二月中旬頃に間違ないとあること、そしてまた被告人永田丑松の検察官に対する供述調書によると奥田政三は松原市を地盤としたものであり、同市は昭和三十一年二月一日から発足したものであつて、同被告人が奥田のため本腰を入れて選挙運動に乗り出したのもその後であり、奥田せつから本件の金を受取つたのも、それを紀田長造等に分配したのも昭和三十年二月中旬頃である旨供述しておることが認められ、それを若し仮りに昭和二十九年十月頃に行われたとするなら、昭和三十年四月二十三日施行の選挙のための運動としては余りに時期が早過ぎ、納得し兼ねるところもあることになる等からすると、前示昭和二十九年十月頃の犯行とする証拠の信憑力は甚だ乏しいといつてよい。被告人両名の原審における各供述も以上の理由からしてそれを正しいとは認められない。従つて、その反面、昭和三十年二月中旬頃の犯行であるとする所論掲記の各証拠の価値は大いにその比重を増すことになるから、原審が「以上の相反する各証拠を比較検討したが、結局、そのいずれかは決することができなかつた。」というのは、証拠の価値判断を誤り、採証の法則に違反し、結局判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認ということになるから、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条に則り原判決はこれを破棄しなければならない。
(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 網田覚一 判事 小泉敏次)