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大阪高等裁判所 昭和30年(ネ)552号 判決 1960年11月21日

控訴人 石橋なを子こと山上奈を

被控訴人 押谷そめこと関そめ 外一名

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人関は控訴人に対し尼崎市武庫川町三丁目六二八番地所在家屋番号七八五号木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一七坪二合(実坪一七坪七合)を明渡し、且つ金五、六九一円及び昭和三〇年一〇月一日以降右明渡済に至るまで一ケ月一、五九一円の割合による金員を支払え。

被控訴人多田は控訴人に対し金七、五七六円を支払え。

控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ控訴人と被控訴人関との間に生じた部分は被控訴人関の負担とし、控訴人と被控訴人多田との間に生じた部分は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人関は控訴人に対し尼崎市武庫川町三丁目六二八番地所在家屋番号七八五号木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一七坪二合(実坪一七坪七合)を明渡し、且つ金一八〇万円及び昭和三五年三月一日以降右明渡済に至るまで一ケ月金二万円の割合による金員を支払え、被控訴人多田は控訴人に対し同所所在家屋番号七八六号木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一九坪七合(実坪二二坪一合一勺)を明渡し、且金二三四万五千円及び昭和三五年三月一日以降右明渡済に至るまで一ケ月金二万五千円の割合による金員を支払え、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴並びに当審で拡張した控訴人の請求を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

控訴人の請求原因として陳述した要旨は「(一)、控訴人は昭和二一年頃被控訴人関の夫であつた訴外押谷登に対し控訴人所有の右七八五号家屋を期間の定なく賃料一ケ月金七五円毎月末持参払の約で賃貸したが、同人等は右家屋の一部で下宿、貸衣裳業等を営み、その床面積は一〇坪を超えるから、その賃料には統制令の適用がないところ、右賃料はその後遅くとも昭和二五年五月一日から同年七月末日までは一ケ月金七五〇円、同年八月一日からは一ケ月金一、八二二円五〇銭に増額せられたが、同人等において昭和二五年五月一日以降の賃料を支払わないので、右訴外人の代理人たる被控訴人関に対し昭和二六年六月二八日到達の内容証明郵便を以て右延滞賃料を該書面到達の翌日から一週間内に支払うべく、もしこれを支払わないときは右賃貸借契約を解除する旨の催告並びに条件付契約解除の意思表示をしたが、同被控訴人等においてその支払をしなかつたので右賃貸借契約は右催告期間の経過と共に解除せられた。仮に右解除が無効であるとしても、同人等は昭和二五年五月頃から控訴人に無断で右家屋を尼崎鉄板株式会社に転貸し、然らずとしてもその頃佐野義正等十数名に転貸しているので、前記押谷登の代理人たる右被控訴人に対し昭和三〇年五月一八日到達の内容証明郵便を以て無断転貸を理由に右賃貸借契約を解除した。仮にそうでないとしても、被控訴人関は同年九月一五日賃借人たる右押谷登と離婚したからその後は何等の権原なく右家屋を占有しているものである。よつて、占有者たる被控訴人関に対し右家屋の明渡を求めると共に、右賃料は貨幣価値の変動により昭和二五年五月から昭和二八年六月までは一ケ月金一万円、同年七月から昭和三一年六月までは一ケ月金一万五千円、同年七月以降は一ケ月金二万円を以て相当とするから、同被控訴人に対し昭和二五年五月一日以降昭和三五年二月末日まで右割合による賃料並びに賃料相当の損害金として合計一八〇万円(控訴人提出の昭和三五年二月付請求の趣旨変更と題する書面によるとその始期は昭和二五年六月、合計額は一七八万円となつているが、弁論の全趣旨に照し右始期は誤記であり、金額は誤算であると認める)及び昭和三五年三月一日以降右明渡済に至るまで一ケ月金二万円の割合による損害金の支払を求める。

(二)、控訴人は昭和二一年頃被控訴人多田に対し右七八六号家屋を期間の定なく賃料一ケ月金九〇円毎月末持参払の約で賃貸したが、同被控訴人は右家屋の一部で下宿、染物業を営みその床面積は一〇坪を超えるから、その賃料には統制令の適用がないところ、右賃料はその後昭和二五年八月一日から一ケ月金二、二五〇円に増額せられたが、同被控訴人において同日以降の賃料を支払わないので、同人に対し昭和二六年六月一〇日到達の内容証明郵便を以て右延滞賃料を同月一五日までに支払うべく、もしこれを支払わないときは右賃貸借契約を解除する旨の催告並びに条件付契約解除の意思表示をしたが、同被控訴人においてその支払をしなかつたので、右賃貸借契約は右六月一五日の経過と共に解除せられた。仮に右解除が無効であるとしても、同被控訴人は昭和二四年頃から控訴人に無断で訴外河野仁、同山口甲子郎に転貸しているので、同被控訴人に対し昭和三〇年五月一八日到達の内容証明郵便を以て無断転貸を理由に右賃貸借契約を解除した。よつて、同被控訴人に対し右家屋の明渡を求めると共に、右賃料は貨幣価値の変動により昭和二五年八月から昭和二八年六月までは一ケ月金一万五千円、同年七月から昭和三一年六月までは一ケ月金二万円、同年七月以降は一ケ月金二万五千円を以て相当とするから、同被控訴人に対し昭和二五年八月一日以降昭和三五年二月末日まで右割合による賃料並びに賃料相当の損害金合計二三四万五千円(控訴人提出の昭和三五年二月付請求の趣旨変更と題する書面によると、その始期は昭和二五年九月、合計額は二六一万円となつているが、弁論の全趣旨に照し右始期は誤記であり、金額は誤算であると認める)及び昭和三五年三月一日以降右明渡済に至るまで一ケ月金二万五千円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める。

(三)、なお、本件家屋はいずれも昭和一三年以前に建築せられたもので、七八五号家屋の実坪は一七坪七合、その敷地は四〇坪である。又七八六号家屋の実坪は二二坪一合一勺、その敷地は七〇坪である」というに在る。

被控訴人等代理人は答弁として「(一)、本件七八五号家屋が控訴人の所有に属すること、被控訴人多田が昭和二一年頃から控訴人より七八六号家屋を期間の定なく賃借していること、控訴人が被控訴人等に対しそれぞれその主張の内容証明郵便を以て催告並びに条件付契約解除及び無断転貸を理由とする右賃貸借契約解除の意思表示をなしたこと、本件家屋がいずれも昭和一三年以前に建築せられたものであること、七八五号家屋の敷地が四〇坪であることは認めるが、その余の控訴人主張事実はすべて争う、七八五号家屋は被控訴人関において控訴人から賃借している。

(二)、右催告は統制賃料を超過する著しく過大な催告であつて、控訴人は右過大額でなければ受領する意思がなかつたのであるから、無効である。仮にそうでないとしても、被控訴人等は昭和二五年八月分までの賃料は支払済であり、その後は控訴人が過大な賃料を要求し、正当な賃料では受領を拒絶することが明らかであつたので、すでに同年九月分以降の統制賃料(被控訴人関は一ケ月金五〇〇円、被控訴人多田は一ケ月金五六五円)を神戸地方法務局尼崎支局に供託済であるから右催告当時は被控訴人等には債務の不履行はない。右供託金額は昭和二五年八月以降の統制賃料額によつたものであるが、仮に統制賃料額算定に誤謬があつて、正当な賃料額に若干の不足があつたとしても、右家屋の賃料計算は極めて困難であつたため、市役所等で計算方法を尋ね、これに基き計算した額を供託したもので、あいまいな金額を供託したものではないから、これを以て債務の本旨に従つたものでないとはいえない。

(三)、被控訴人関は昭和二六年頃から友人知己を右七八五号家屋の一部に下宿させたことはあるが、特定の部屋を提供したものではなく、同被控訴人の同居者として家族同様の取扱をしていたのであるから、同人等は右家屋の一部に対し独立の占有を有せず、従つて同人等に転貸したものではない。仮に右行為が転貸にあたるとしても、控訴人の暗黙の承諾をえている。

被控訴人多田は昭和二八年頃約四ケ月妹婿にあたる訴外河野仁とその家族を一時同居させたことがあるが、それは同訴外人方が火災のために全焼したためその整理がつくまで一時引取つて同居させていたにすぎないのであつて、転貸ではない。仮に転貸にあたるとしても、それは右の如く親族間の災害救助のための応急処置としてなされたものであるから、これを以て不信行為であるとして賃貸借契約を解除するのは権利の濫用である。

(四)、仮に本件賃貸借契約が右賃料不払或は無断転貸により解除せられたとしても、控訴人はその後昭和三〇年六月二九日頃被控訴人等が賃料として供託中の金員全額を供託の趣旨に従つてこれを受領したから、控訴人はこれにより前記解除の意思表示を撤回したものである」と述べた。

証拠として、

控訴人は甲第一号証の一乃至五、同第二、第三、第四、第六、第七、第一〇、第一八、第二二号証の各一、二、同第五、第九、第一一乃至第一七、第一九、第二〇、第二一、第二三号証、同第八号証の一乃至四を提出し、原審証人野田利男、当審証人大阪はる、同関三男、同山口甲子郎、同小黒栄一の各証言、原審における検証の結果、原審並びに当審(第一、二回)における控訴人本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認め、

被控訴代理人は乙第一、第五、第六号証の各一、二、同第二号証の一乃至八、同第三号証、同第四号証の一乃至六を提出し、当審証人河野仁の証言、原審における検証の結果、原審並びに当審(第一、二回)における被控訴人関本人尋問の結果、原審並びに当審における被控訴人多田本人尋問の結果を援用し、甲第七号証の一、二は官署作成部分のみ成立を認めその余は不知、同第一六号証は不知、その余の甲号各証の成立を認めると述べた。

理由

よつて、まず控訴人の被控訴人関に対する請求について考察する。

控訴人は当初昭和二一年頃から被控訴人関に対し前記七八五号家屋を賃貸していたと主張していたところ、当審において右賃借人は同被控訴人の夫であつた訴外押谷登であると主張するに対し、被控訴人関はこれを争い、同被控訴人において控訴人からこれを賃借しているものであると抗争するのでまずこの点について考えるのに、官署作成部分については成立に争なく、その余は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第七号証の一、成立に争のない乙第一号証の一と原審並びに当審(第一、二回)における被控訴人関本人尋問の結果、当審における控訴人本人尋問の結果(第一、二回)の一部を綜合すると、控訴人は昭和二〇年一〇月頃被控訴人関の夫であつた訴外押谷登に前記七八五号家屋を賃貸したことが認められるが、成立に争ない甲第二号証の一、二同第四号証の一、二に当審における被控訴人そめ本人尋問の結果によつて認め得る押谷登が昭和二五年頃からそめと離別しそめにおいて引き続き本件家屋に世帯主として居住している事実並びに弁論の全趣旨を綜合すると被控訴人そめは右登と事実上離別後は本件家屋の賃借権を承継し控訴人においてもこれを承認し爾来右当事者間に本件家屋の賃貸借関係を継続し来つた事実を認めるに十分であるから契約の当初はとも角本件係争の範囲においては右自白の取消はこれを許すことができず、従つて、昭和二五年初頃からの右家屋の賃借人が被控訴人関であることは当事者間に争がないものといわねばならない。しかして、右賃貸借が期間の定なく、その頃の賃料が一ケ月金七五〇円で毎月末取立払の約定であつたことは成立に争のない乙第一号証の二と前記被控訴人関本人の供述により認められ、右認定に反する控訴人本人の供述は前記証拠に照し措信し難く、他に右認定を左右するに足る確証はない。

ところで、控訴人は右家屋の賃料は地代家賃統制令の適用を受けない旨主張するに対し、被控訴人関はこれを争うので考えるのに、成立に争のない甲第四号証の一、二当審における控訴人、被控訴人関各本人尋問の結果(各第一、二回)と弁論の全趣旨を綜合すると、右家屋は玄関二畳(靴脱場別に約半坪)、次の間三畳(二尺に六尺の押入付)、台所板間三畳(別に四・五畳の土間)、奥の間四・五畳(半坪の押入付)、同六畳(三尺四方の押入、各一間の床、違棚付)、便所七合五勺からなり、被控訴人関は遅くとも昭和二五年初頃から昭和二六年一月頃まで右玄関及び六畳の間を利用して古物商、質屋を営み、昭和二五、六年頃からは貸衣裳の取次を始め、又昭和二五年五月頃からは三畳の間、六畳の間を利用し、十数名の者を順次賄付で下宿させ、その余は自己の居住に使用していたことが認められ、右営業に使用する床面積は一〇坪に満たないことが明らかであるから、同年七月一一日以降も少くとも昭和三一年六月三〇日までは未だ地代家賃統制令の適用を除外せられることなく、依然右統制令の適用があるものというべきである。しかして右家屋が昭和一三年以前に建築せられたものであること、その敷地が四〇坪であることは右当事者間に争がなく、指定期日たる昭和二一年九月三〇日当時における賃料即ち停止統制額が一ケ月五五円、右家屋の実坪が一七坪七合であり、昭和二五年度における賃貸価格が一三七円、右敷地を包含する訴外安田真太郎所有の宅地二四四坪八合一勺のそれが三九二円三銭であることは成立に争のない甲第一号証の一、四、同第七合証の一、原審における検証の結果、当審における控訴人本人の供述(第二回)と弁論の全趣旨により認められるから、右家屋の統制賃料額は昭和二二年九月一日物価庁告示第五四二号、昭和二三年一〇月九日同告示第一〇一二号、昭和二四年六月一日同告示第三六八号に基き順次増額せられ、同日から昭和二五年七月三一日までは一ケ月五五〇円となり、更に同年八月一五日同告示第四七七号により同月一日以降一ケ月五四三円となることが明らかであるが、前記昭和二五年七月三一日当時の停止統制額が右額を超えるから同告示第五項により従前の額がその後もその統制額となる。ところで、右家屋の約定賃料が昭和二五年初頃一ケ月七五〇円であつたことは前記認定のとおりであり、その後控訴人が同年八月一日押谷登の妻であつた被控訴人関に対し右約定賃料を一ケ月一、八二二円五〇銭に増額請求したことは当審における被控訴人関本人の供述(第一回)と弁論の全趣旨を綜合して認められるが、右家屋につき統制賃料が存在すること前叙認定のとおりである以上、右約定賃料は前記統制賃料額の範囲においてのみ有効であり、又右増額請求も前記統制賃料額との関係で増額するに由ないものである。

そこで、賃料不払による契約解除の点について考えるのに、控訴人が被控訴人関に対しその主張の如き催告並びに条件付契約解除の意思表示をしたことは右当事者間に争がなく、被控訴人関において右催告当時すでに昭和二五年五月分の賃料を支払済であつたことは前記乙第一号証の二と当審における被控訴人関本人の供述(第一回)により明らかである(右認定に反する控訴人本人の供述は措信しない)ところ、成立に争のない同第二号証の一乃至四と当審における被控訴人関本人の供述(第一回)を綜合すると、被控訴人関が前記催告当時までに昭和二五年六、七、八月分の賃料として従前の統制額超過部分をこれに充当し、その不足分二〇〇円及び同年九月分から昭和二六年四月分までの賃料として一ケ月五〇〇円の割合の金員を供託していることが認められる。ところで、統制額を超える約定賃料を支払つた場合その超過額は当然にその後の賃料に充当せられるものではないし、被控訴人関において不当利得返還請求権を以て右賃料債権と対等額につき相殺したことも認められない本件においては右二〇〇円の供託を以て昭和二五年六、七、八月分の賃料につき債務の本旨に従つた履行があつたものとはいえず、右賃料については同人において全額遅滞の責を負うものというべく、その後の分についてはいずれも統制額に満たない金額を供託していることにはなるが、この差額はわずかに一ケ月五〇円であるのみならず、当審における被控訴人関本人尋問の結果(第一回)と弁論の全趣旨を綜合すると、被控訴人関が右金額を供託したのは昭和二五年八月控訴人から賃料の増額請求を受けたので、その適正賃料を確認すべく市役所等において調査した結果に基くものであつて、その結果は若干真実と異るところはあるが、被控訴人関はこれを適正賃料と信じて供託していたものであり、正当な賃料額が判明しさえすればこれを支払う意思であることが認められるから、被控訴人関において右金額を供託したことが特に信義則に反するものとも考えられないし、同被控訴人において右金員を現実に提供し、或は口頭による提供をしたことはこれを認めるに足る証拠はないが、右被控訴人関の供述と弁論の全趣旨を綜合すると、控訴人は右家屋の賃料については地代家賃統制令の適用が除外せられたものとして被控訴人関に対し増額請求金額を強く固執し、従来の約定賃料額によつてはこれを受領することができない旨要求し、その受領を拒絶していることが認められるから、右供託は該金額の限度において弁済の効力があつたものというべきである。してみると、控訴人の前記催告は延滞賃料三、一五〇円に対し一九、一四七円五〇銭を超過する極めて過大な催告であり、控訴人においては催告額より少い金額を提供した場合にはこれが受領を拒絶するであろうことが極めて明白であること前記認定のとおりである以上、右催告はその効なく無効といわねばならない。もつとも、成立に争のない乙第五号証の一と甲第二三号証を綜合すると、控訴人は昭和三〇年六月二九日頃被控訴人関において供託中の右催告金額の割合に満たない金員を受領していることが認められるが、このことを以て直ちに前記催告当時これが受領の意思があつたものとすることはできない。従つて、賃料不払を理由とする契約解除を前提とし、被控訴人関に対し右家屋の明渡並びに損害金の支払を求める控訴人の請求はその余の判断をなすまでもなく失当といわねばならない。

次に無断転貸を理由とする契約解除について考えるのに、控訴人が被控訴人関に対しその主張の如き無断転貸を理由とする契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争がないところ、被控訴人関が訴外尼崎鉄板株式会社に対し右家屋を転貸したことについてはこれを認めるに足る何等の資料もないが、前叙認定事実と前記甲第四号証の一、二、当審における被控訴人関本人尋問の結果(第一、二回)を綜合すると、被控訴人関は昭和二五年五月頃から右家屋の三畳及び六畳の間に賄付で下宿人をおき、右解除の意思表示当時は勿論現在においても下宿業を営み、賄料を徴していることが認められる。ところで、下宿は通常部屋の賃貸をもつてその主たる目的とするものであつて、賄付の場合もこれと趣を異にするものではないし、しかも特段の事情の認められない本件においては、右賄料中には単に食事代のみならず、部屋代も包含せられているものというべく、被控訴人は右家屋から中間利得をえているものというべきであるから、単に賄付であるということだけで下宿人において家族、雇人若くは一時の泊客と同様事実上の使用をしているにすぎないものということはできず、被控訴人関は右下宿人等に独立の占有を与えたものというべきである。そうすると、右行為は法律上転貸に該当するものといわねばならない。しかして、右転貸について被控訴人関が賃貸人である控訴人の承諾をえていないことは当審における被控訴人関本人の供述(第一回)により明らかである。被控訴人関はこの点につき控訴人の暗默の承諾があつた旨主張し、被控訴人関はこの点につき当審における第一回供述において右主張に副うかの如き供述をするが、右供述は当審における控訴人本人の供述(第一回)に照し措信し難く、他にこれを肯認するに足る確証もなく、却つて右控訴人本人の供述によると、控訴人が被控訴人関において下宿人をおいていることを知つたのは本件訴訟中である昭和二九年一〇月頃であつたことが認められ、その間控訴人において暗默の承諾をなすべき何等の事情も存在しないことが明らかである。そうすると、右賃貸借契約は控訴人のなした前記意思表示により適法に解除せられたものというべきである。もつとも、当審における被控訴人関本人の供述(第二回)によると、被控訴人関が右下宿業を始めるに至つたのは夫である押谷登が無断で家出をし、その生活に窮したためであることが認められるが、かかる事情も未だ右認定を左右するものではない。

ところで、被控訴人関は無断転貸を理由に右賃貸借契約が解除せられたとしても、控訴人はその後昭和三〇年六月二九日頃被控訴人関が賃料として供託中の金員全額を供託の趣旨に従つてこれを受領したから、控訴人はこれにより右解除の意思表示を撤回したものであると抗争する。なるほど、控訴人が被控訴人関主張の金員を受領したことは前記認定のとおりであり、債権者が供託書の交付を受けてその供託金を受領したときは特段の事情のない限り債務者のなした供託の効力を認めたものと解するのが相当であるが、本件においては控訴人は依然被控訴人関に対し賃貸借解除を理由に本訴を維持しているところであり、更に家屋の不法占有による損害金も本来賃貸借による賃料に相当する金員であつて、損害金といい、或は賃料といつてもその法律上の区別は法律の智識に乏しい控訴人としてはこれを明確にしていないであろうから、被控訴人関が賃料として供託した金員を控訴人において受領したのは供託の効力を認めたもの即ち被控訴人関との賃貸借を追認し、或は前記解除の意思表示を撤回したものではなく、むしろ解除の意思表示が適法に効力を生じた後の分については賃料相当の損害金としてこれを受領したものと認めるのが相当であるから、被控訴人関の右抗弁は理由がない。

そうすると、被控訴人関は控訴人に対し右無断転貸を理由とする契約解除により昭和三〇年五月一八日限り右家屋を明渡す義務があるものといわねばならない。

そこで進んで控訴人の被控訴人関に対する延滞賃料並びに損害金の請求について考えるのに、右家屋の賃料が少くとも昭和二六年六月当時一ケ月五五〇円であつたことは前記認定のとおりで、その後控訴人において右賃料の増額請求をした形跡の認められない本件においては他に特段の事情のない限りその後の賃料も右金額によるべきものであるところ、前記乙第五号証の一、成立に争のない同第六号証の一、二、甲第二一号証と当審における被控訴人関本人の供述(第一回)、供託金受領についての前記認定事実とを綜合すると、被控訴人関は右家屋の賃料として昭和二八年三月分から昭和二九年八月分まで一ケ月七五〇円宛、同年九月分から昭和三〇年九月分まで一ケ月一、三〇〇円宛を供託し、控訴人において右供託金を少くとも昭和三〇年五月一八日分までは賃料として受領していることが認められるから、右金額の供託並びに受領により当事者間に前記賃料をそれぞれ昭和二八年三月分から昭和二九年八月分まで一ケ月七五〇円に、同年九月分以降一ケ月一、三〇〇円に増額する旨の暗默の合意があつたものと解するのに難くなく、右増額金額がそれぞれその当時の統制賃料額の範囲内であることは成立に争のない甲第一号証の一、二、四、六と前記認定の右家屋、敷地の坪数並びに昭和二七年一二月四日建設省告示第一四一八号により明らかであるから右合意は有効に成立したものというべく、右家屋の賃料は結局昭和二八年三月一日から昭和二九年八月末日までは一ケ月七五〇円、同年九月一日以降は一ケ月一、三〇〇円に増額せられたものというべきである。ところで、控訴人の本訴請求は賃料不払による契約解除が認容せられない場合には、無断転貸を理由とする契約解除当時までの延滞賃料及びその翌日から右家屋明渡済に至るまでの賃料相当の損害金の支払を求める趣旨であると解せられるところ、被控訴人関は前記解除後は何等の権原もなく右家屋を占有し、控訴人の右家屋に対する使用収益を妨げ、同人に賃料相当の損害を与えていることになるが、因つて被る賃料相当の損害金は統制賃料額を以て相当とするものと解すべきで、本件家屋の統制賃料額は前記甲第一号証の二、六と右家屋、敷地の坪数並びに前記建設省告示第一四一八号によると、昭和三〇年一月一日から同年一二月末日までは一ケ月一、五九一円であることが明らかで、その後右統制賃料額が変更せられたことを認めるべき資料のない本件においては、その後の統制賃料額も右額によるべきものというの外はない。控訴人は右賃料或は賃料相当の損害金として昭和二八年六月末日まで一ケ月一万円、同年七月一日から昭和三一年六月末日まで一ケ月一万五千円、同年七月一日以降一ケ月二万円の割合による金員の支払を請求するが、右家屋の家賃金が統制せられ、その統制額が前認定のとおりであり、又貨幣価値の変動により当然その家賃額が変更せられるものでもないから、控訴人の右請求を認めることはできない。

ところで、被控訴人関が昭和二五年五月分の賃料を支払済であること、同年六、七、八月分の一部として二〇〇円、同年九月分から昭和二六年四月分まで一ケ月五〇〇円宛、昭和二八年三月分から昭和二九年八月分まで一ケ月七五〇円宛、同年九月分から昭和三〇年九月分まで一ケ月一、三〇〇円宛を賃料として供託していたことは前記認定のとおりであり、被控訴人関が昭和二六年五月分から昭和二八年二月分まで一ケ月五〇〇円宛を賃料として供託していることは前記甲第二一号証により明らかで、控訴人が右供託金を昭和三〇年五月一八日分までは賃料として、その後の分は損害金として受領していることは前叙供託金受領の認定に際し掲記した証拠により明らかである。しかして、右損害金としての受領は被控訴人関において賃料として供託した金員を受領したものではあるが、既に損害金として受領した以上この部分について更に被控訴人にその支払を求め得ないものというを相当とするから被控訴人関は控訴人に対し昭和二五年六、七、八月分の残金一、四五〇円、同年九月分から昭和二八年二月分までの残金一、五〇〇円の延滞賃料昭和三〇年五月一九日から同年九月末日までの未払損害金二、七四一円合計五、六九一円及び同年一〇月一日以降右家屋明渡済に至るまで一ケ月一、五九一円の割合による賃料相当の損害金を支払う義務があるものといわねばならない。

次に、控訴人の被控訴人多田に対する請求について考察する。

控訴人が昭和二一年頃被控訴人多田に対し前記七八六号家屋を期間の定なく賃貸したことは右当事者間に争がなく、その賃料が当時一ケ月七五円で、毎月末取立払の約定であつたことは官署作成部分については成立に争なく、その余は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第七号証の二と当審における被控訴人関本人尋問の結果(第一回)、原審並びに当審における被控訴人多太本人尋問の結果を綜合して認められ、右認定に反する控訴人本人の供述は右証拠に照し措信し難く、他に右認定を左右するに足る確証はない。しかして、右家屋を被控訴人多田においてこれを店舗に使用していることを認めるに足る確証はないから、右家屋は地代家賃統制令の適用を受けるものというべきところ、それが昭和一三年以前に建築せられたものであることは当事者間に争がなく、指定期日たる昭和二一年九月三〇日当時における賃料即ち停止統制額が一ケ月八〇円であることは前記甲第七号証の二と原審並びに当審における被控訴人多田本人の供述から推認せられ、又右家屋の実坪が二二坪一合一勺、その敷地が少くとも六〇坪であること、右家屋の昭和二五年度における賃貸価格が一七三円、右敷地を包含する訴外安田真太郎所有の宅地二四四坪八合一勺のそれが三九二円三銭であることは成立に争のない甲第一号証の一、三、原審における検証の結果、当審における控訴人本人の供述(第二回)と弁論の全趣旨により認められるから、右家屋の統制賃料額は前記物価庁告示第五四二号、同第一〇一二号、同第三六八号、同第四七七号により昭和二四年六月一日から昭和二六年九月末日までは一ケ月八〇〇円であることが明らかである。しかるところ、成立に争のない乙第三号証と当審における被控訴人多田本人の供述並びに弁論の全趣旨によると、右家屋の約定賃料は遅くとも昭和二五年一月頃から一ケ月七五〇円であつたところ、控訴人は同年八月一日被控訴人多田に対し右約定賃料を一ケ月二、二五〇円に増額する旨の請求をしたことが認められるが、右増額請求は前記統制賃料額の範囲まで増額せられたにすぎないものというべく、右家屋の賃料は同年七月末日までは一ケ月七五〇円、同年八月一日以降は一ケ月八〇〇円ということになる。

そこで賃料不払による契約解除の点について考えるのに、控訴人が被控訴人多田に対しその主張の如き催告並びに条件付契約解除の意思表示をしたことは右当事者間に争がないところ、被控訴人多田が同年八月分の賃料の内金七五〇円を支払つていることは前記乙第三号証により明らかで、成立に争のない乙第四号証の一、二と当審における被控訴人多田本人の供述を綜合すると、被控訴人多田は右催告当時までに昭和二五年九月分から昭和二六年四月分までの賃料として一ケ月五六五円の割合による金員を供託していることが認められ、右供託金額は前記適正賃料額に一ケ月二三五円満たないが、当審における被控訴人多田本人の供述と弁論の全趣旨を綜合すると、前記の被控訴人関について説示したところと同一の理由により右金額を供託したことが特に信義則に反しないこと、控訴人において被控訴人多田に対し増額請求金額の交付を求め、従来の約定賃料額による受領を強く拒絶していることが認められるから、右供託は該金額の限度において弁済の効力があつたものというべきである。してみると、控訴人の前記催告は延滞賃料二、七三〇円に対し一九、七七〇円を超過する極めて過大な催告であることが明らかであり、控訴人において催告額より少い金額を提供した場合にはこれが受領を拒絶するであろうことは前記認定に徴し極めて明白であるから、右催告はその効なく、無効といわねばならない。もつとも、控訴人が被控訴人多田から昭和二五年八月分の賃料の一部を受領していることは前記認定のとおりであり、成立に争のない乙第五号証の二、甲第二三号証によると、控訴人が昭和三〇年六月二九日頃被控訴人多田において供託中の右催告金額の割合に満たない金員を受領していることが認められるが、このことを以て直ちに右催告当時これが受領の意思があつたものとすることはできない。従つて、賃料不払を理由とする契約解除を前提とし被控訴人多田に対し家屋の明渡並びに損害金の支払を求める控訴人の請求はその余の判断をなすまでもなく失当といわねばならない。

次に無断転貸を理由とする契約解除について考えるのに、控訴人が被控訴人多田に対しその主張の如き無断転貸を理由とする契約解除の意思表示をしたことは右当事者間に争がないところ、被控訴人多田が訴外山口甲子郎に右家屋を転貸したことについてはこれを認めるに足る確証はなく、成立に争のない甲第五号証と当審証人河野仁の証言、当審における控訴人本人尋問の結果(第二回)、被控訴人多田本人尋問の結果を綜合すると、訴外河野仁は被控訴人多田の妹婿にあたるが、昭和二九年一月頃同人宅が火災のため全焼したので、一時の急場をしのぐため妻子三人と共に義姉にあたる被控訴人多田方に移り、同月二九日頃から同年六月二〇日頃まで同被控訴人方に居住していたことが認められ、右事実関係からみると、右訴外人は被控訴人多田とは別世帯を営み、右家屋の一部につき独立の占有を有していたものと推認するのに難くないから、被控訴人多田の右行為は法律上転貸に該当するものというべきであるが、前記の如き窮状にある近親を一時居住させることはこれにより賃貸人に不測の損害を被らせるような特別の事情のある場合は別とし、未だ賃貸借における信頼関係に背くものといえないもので、本件においても右特別事情についてはこれを認めるに足る証拠がないから、右転貸を理由に賃貸借を解除するのは権利の濫用に外ならない。そうすると、控訴人の被控訴人多田に対する右解除の意思表示はその効力を生じるに由ないものであり、従つて、右無断転貸を理由に被控訴人多田に対し家屋の明渡並びに損害金の支払を求める控訴人の請求は失当といわねばならない。

そこで進んで控訴人の被控訴人多田に対する延滞賃料の請求について考えるのに、右家屋の賃料が少くとも昭和二六年六月当時一ケ月八〇〇円であつたことは前記認定のとおりで、その後控訴人において右賃料の増額請求をした形跡は認められないが、前記乙第五号証の二、成立に争のない甲第二〇号証と当審における被控訴人多田本人の供述並びに弁論の全趣旨を綜合すると、被控訴人多田は右家屋の賃料として昭和二八年三月分から昭和二九年八月分まで一ケ月八四七円五〇銭宛、同年九月分から同年一二月分まで一ケ月一、六〇〇円、昭和三〇年一月分から同年五月分まで一ケ月一、四九六円宛を供託し、控訴人においてこれを賃料として受領していることが認められるから、右金額の供託並びに受領により当事者間に前記賃料をそれぞれ昭和二八年三月分から昭和二九年八月分まで一ケ月八四七円五〇銭に、同年九月分以降一ケ月一、六〇〇円に増額する旨の暗默の合意があつたものと解するのに難くなく、(もつとも、被控訴人多田は昭和三〇年一月一日以降一ケ月一、四九六円に減額した金員を供託しているのであるが、弁論の全趣旨に照しかかる減額の合意があつたものと解することはできない)右増額金額がそれぞれその当時の統制賃料額の範囲内であることは前記甲第一号証の一、二、三、六とさきに認定の右家屋、敷地の坪数並びに前記建設省告示第一四一八号により明らかであるから、右合意は有効に成立したものというべきである。ところで、控訴人の本訴請求は賃料不払による契約解除が認容せられない場合には無断転貸を理由とする契約解除当時までの延滞賃料の支払を求める趣旨であると解せられるところ、控訴人はその間の賃料として昭和二八年六月末日まで一ケ月一万五千円、同年七月一日以降一ケ月二万円の割合による金員の支払を請求するが、その理由のないことは被控訴人関の認定に際し説示したところと同一であつて、控訴人は結局被控訴人多田に対し昭和二五年八月一日から昭和二八年二月末日まで一ケ月八〇〇円、同年三月一日から昭和二九年八月末日まで一ケ月八四七円五〇銭、同年九月一日から昭和三〇年五月一八日まで一ケ月一、六〇〇円の割合による賃料債権を有しているにすぎないものというべきである。而して被控訴人多田が昭和二五年八月分の賃料の内金七五〇円を支払済であること、同年九月分から昭和二六年四月分まで一ケ月五六五円宛、昭和二八年三月分から昭和二九年八月分まで一ケ月八四七円五〇銭宛、同年九月分から同年一二月分まで一ケ月一、六〇〇円宛、昭和三〇年一月分から同年五月分まで一ケ月一、四九六円宛を賃料として供託していたことは前記認定のとおりであり、被控訴人多田が昭和二六年五月分から昭和二八年二月分まで一ケ月五六五円宛を賃料として供託していることは前記甲第二〇号証と当審における被控訴人多田本人の供述により明らかで、控訴人が右供託金を受領していることは前叙認定のとおりであるから、被控訴人多田は結局控訴人に対し昭和二五年八月分の賃料残金五〇円、同年九月分から昭和二八年二月分までの賃料残金七、〇五〇円、昭和三〇年一月分から同年五月一八日までの賃料残金四七六円合計七、五七六円につき遅滞の責があるものというべく、被控訴人多田は控訴人に対し右延滞賃料七、五七六円を支払う義務があるものといわねばならない。

そうすると、控訴人の本訴請求は右認定の限度において正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、これと符合しない原判決を変更し、訴訟費用につき民事訴訟法第九六条第九五条第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉村正道 竹内貞次 大野千里)

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