大判例

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大阪高等裁判所 昭和30年(ラ)142号 判決 1955年10月15日

抗告人 入口寿一

抗告人 入口こゆき

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は、

「抗告人等の氏は入口と言う珍奇なため、抗告人等は言うに及ばず抗告人等の小供迄日常の社会生活に於て屈辱的な肩身のせまい思いをし、多大の不便と不利益を受け、また事業の経営上に於ても幾多の不便と損害を蒙つている。即ち抗告人入口寿一は小学校入学以来入口出口等と悪口を言われ、子供心にもまことに恥かしい思いをし、学業を終え抗告人こゆきと結婚するに際しても同人から入口の氏が珍奇なため同人の実家の氏○○を称してはとの申出を受けた程であつたが、当時抗告人入口寿一が戸主であつたため、そうすることができなかつた。その後抗告人等の間に長男○○が生れ現在小学校に在学中であるが、同人も抗告人入口寿一の幼少の頃と同様学友等から氏にちなんだ種々の悪口を言われ、それがため休校することさえある始末である。また他家を訪問した際にも氏を言えば先方で変な顔をされることがあつたり、電話等で話合うときも同様なことが再々あり、時に入江と間違えられることもしばしばである。郵便物等も誤配、延遅配の事故を起すこともあり、更に抗告人入口寿一は現在他人と共に○○工業所を経営しているが、得意先訪問の際や同業者得意先との会合、飮食を共にするとき等には氏にちなんだ聞くにたえないひやかしを受けることがある。このように抗告人等一家の者は氏が珍奇なばかりに社会生活上営業上物質的精神的に測り知れない苦痛、損害を蒙つている。これがため抗告人等夫婦が快適な社会生活をするための最後の手段として一度協議離婚の上再婚して妻こゆきの○○の氏を称えようかとも考えたことがある程である。そこで抗告人等は氏を入江に変更するため神戸家庭裁判所に対し、その許可を求めたところ、同裁判所は抗告人等の前記の社会生活に於ける悲劇の数々、物質的精神的損害等よりのがれようとする悲痛な願いも理由がないものとして却下の審判をした。

然し新憲法は自由と個人の尊重、公共の福祉をうたい、すべての国民に健康にして文化的な生活を営む権利を与え児童憲章にはすべての児童は心身共健かに生れ育てられ、その生活を保証され、児童は良い環境の中で育てられることを強調されている。原審判のように抗告人等の改氏が許されないものとすれば、抗告人等は今後も前記のような不利不便な悲劇的な社会生活を続けて行かねばならないし、また抗告人等の長男も従来通りの卑下した屈辱的な日常を送らねばならないこととなつて、このようなことは憲法竝に児童憲章の精神に反するも甚だしいものと言わねばならない。勿論如何に民主々議の憲法下とは言え、他に迷惑を及ぼすような行き過ぎの自由が許されないことは言うまでもないけれども、抗告人等が入口の氏を入江と改めたからと言つて、世間は珍奇な氏が変更されたことに祝意を表しこそすれ、社会に何等の悪い影響を与えることはない筈である。それ故抗告人等の申立を棄却した原審判は憲法、児童憲章の精神を弁えず戸籍法第百七条を狭義に解した誤つた審判と言わねばならない。よつて原審判を取消し、抗告人等の氏入口を入江と変更することを許可する旨の裁判を求める。」と言うのである。

そこで按ずるのに、人の氏はその人の血族姻族関係のつながりを示すを常とし、またその名と相まつてその人と他とを識別するものとして我が国民の社会生活上極めて重要なもので、新憲法竝びに民法の改正によつて家の制度が廃止され、氏が家を示す名称でなくなつたけれども、唯その本人のためのみのものではなく、同時に社会のためのものである。それ故氏がみだりに変更されるときは社会一般人にも多大の影影を及ぼすものであるから、軽々にその変更を許すべきでないことは当然である。しかしそうだからと言つて当人に社会生活上氏を変更することが真に止むを得ない事情があり、且つ社会的客観的に見ても納得のいく事情が認められる場合には、氏の変更を許すべきものとしなければならない。戸籍法第百七条の法意もここにあるのであつて、同条に「やむを得ない事由」と言うのは、当人にとつて社会生活上氏を変更しなければならない真に止むを得ない事情があると共に、その事情が社会的客観的にみても是認せられるものでなければならない場合を言うものと解すべきである。

本件記録中にある戸籍謄本によると、抗告人等が夫婦で「入口」と言う氏であることが認められ、また抗告人等提出の疏第一乃至第七号によると、抗告人等の長男○○が学校で他の児童から「入口」にちなんでからかわれることがあり、抗告人等自身も他人から同様の揶揄を受けたり、初対面の人や電話で話すとき等「入口」と言つても直ちに相手に「入口」が抗告人等の氏であることが通じないで説明に困るような場合のあることが認められるが、これがため抗告人等の言うように抗告人入口寿一が事業の経営に非常な支障を来たしていると言うこと、また郵便物が特に誤配や延遅配の事故を起して困ると言うこと、等は認め得る資料がない。してみると、抗告人等やその長男が他人から氏にちなんだ揶揄を受けることについては一掬の同情を禁じ得ないけれども、学友や知人等から氏にちなんだ揶揄を受けることは何も抗告人等の「入口」の氏のみに限つたことではなく、他の氏の場合にも世上往々にしてあることであつて、これに因る精神的苦痛について抗告人等の言うところは余りにも誇張しているか、そうでなければ、余りにも主観的であつて、氏を変更しなければ耐えられないと言う程のものとは思われない。また入口と言う氏が一般にありふれた氏でないことは認められるけれども、原裁判所の家事調査官補広○○雄の調査報告書によると抗告人等の居住する神戸市内に於て抗告人等以外に「入口」と言う氏の者があることが窺えるし、「入口」と言う文字の意味竝にこの文字から受ける感じ等に於ても著しい珍奇な氏と言うことはできないのみならず、抗告人等の人格を傷けるほどのものでも、また難解なもの、他の氏と混同し易いものとも言えない。このように考えてくると抗告人等が氏を変更しようとするのは、唯抗告人等の主観的な理由からのみで、社会的客観的に納得するに足る理由がない。従つて抗告人等がその氏を変更するについて戸籍法第百七条に所謂「やむを得ない事由」がないものと言わねばならないから、抗告人等の本件申立を棄却した原審判は相当であつて、抗告人等の本件即時抗告は理由がないから棄却すべきである。

(裁判長判事 大野美稲 判事 熊野啓五郎 判事 喜多勝)

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