大阪高等裁判所 昭和31年(う)1206号 判決 1956年12月11日
被告人 吉本晴彦 外二名
弁護人 中尾良一 勝山内匠
検察官 坂本杢次
主文
原判決を破棄する。
被告人三名は、いづれも無罪。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人中尾良一並に勝山内匠がそれぞれ提出した各控訴趣意書記載のとおりであるから、それらを引用する。
右両趣意書に掲げられた主張の要旨を摘記すると、原判決が認定した「被告人三名は共謀の上、昭和二十七年十二月二九日漣義夫等をして大阪市北区梅田町四番地所在米原喜三治所有の木造バラツク店舗十四戸建一棟を取毀しめ以て建造物を損壞したものである」との事実はこれを争わないが、その判決中被告人及び弁護人の「被告人等の本件行為は正当防衛乃至自救行為に該当するものであつて罪とならない旨の主張」に対する説明として「成程各証拠を検討すると被害者米原喜三治の行動も甚だ隠当を欠くものがあるようである。しかし本件バラツクの敷地については右米原がかねて借地権の存在を強硬に主張して居り且同人の日頃の言動等からして権利の公権的確定を待たないでバラツクを構築するというような矯激な挙に出るかもしれないことは被告人等の当然予期し得たところであることも本件各証拠から容易に看取できる。したがつて右米原の行為が仮に不正の侵害であるとしても之を急迫な侵害と断ずることは困難である。また被告人吉本が法の手続による救済を待つことにより被告人等の主張するような不利益があることは想像に難くないけれども現行法が私権の行使、保護につき厳格詳細な規定を設け妄に実力行使を認めない建前からして被告人等の主張する程度の不利益は之を甘受せねばならないのは已むを得ないことと考える。蓋ししからざれば、土地、建物の争に関するかぎり民事訴訟法の定める仮処分の規定等は殆んどその意味をなさなくなるであろうからである」とある点について不服がある。すなわち右説明の前提とせられた事実認定も誤つているし、それを前提とした正当防衛乃至自救行為についての法律解釈も正当でない。
というにある。
そこで本件を目して正当防衛または自救行為であるとすることができるかどうかについて検討するに、およそ、正当防衛は刑法第三十六条の規定するように、「急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛する為め已むことを得ざるに出でた」行為で、加害防衛の急迫であり、自救行為は刑法上明文がないが、侵害の回復について国権の保護を求める遑がなく、猶予すると権利実現が不能となる急迫状態においてとられる行為で、被害救済の急迫である。すなわち、前者においては防衛の対象となる侵害行為は急迫不正に加えられた積極的な性質を有し、後者においては救済の対象となる侵害行為は既存の侵害を除去しないという消極的な性質を具有するものと解してよい。そこで本件においては果してそのいづれかに該当する事態が存在するであろうか。
記録に照して事案を観察するに、
一 米原喜三治が本件バラツク(建坪約六十一坪五合一勺)を建造した敷地約百六十坪について、右米原は原審証人として、右敷地の所有者被告人吉本晴彦から賃借権を取得したと述べているが、その供述によつてもその主張する賃貸借についてはそれが大阪駅前の利用価値の極めて大きい土地であるにかかわらず証書の作成がなされておらず、またその契約は弁護士四塚利一を介してなされたというが、四塚利一が原審証人として供述するところによると、米原と吉本との間にそのような契約が成立した事実は全くなく、またそれに関する権利金或は地代等の支払があつたこともなく、本件土地について右米原が賃借権を有しているなどいつたことは本事件の発生するまで、同人と常時会う機会があつたのに聞いたことはないというのであり、更に原審証人志倉照雄並に当審証人工藤寛平(昭和二十三年二月から昭和二十七年八月まで米原の番頭をしていた)の各供述によつても、米原が該土地を賃借したことがないこと極めて明白であつて、証人米原の前示供述は到底信用できない。また同人が四塚弁護士に金員を交付した旨の数通の書類が存在するが、それらはいづれも該土地の賃貸借に関係のないものであること四塚証人のその点の詳細な供述によつて認められるし、その他米原にその主張のような土地賃借権の存在することを認めるに足る証拠はないから、米原が本件バラックを本件土地上に建設したことは全く無権利であることを十分に知りながら、既成の事実を作つておくためにのみ不法に行つたものと認めてよい。
二 米原が本件バラックを建てたのは昭和二十七年十二月二十五日夜半から翌二十六日未明にかけてであり、その建造は周囲の者に全く知れないように大阪市内で遠く離れた上本町で極めて隠秘に準備した上、建築について当局の許可も得ることなく突如として行われたものであること、米原自身が証人としても明言しておるところであり、当審証人菊川文一郎もそのことを証言している。
三 昭和二十七年十二月二十八日は日曜であり、つづく二十九日以後には官庁の年末年初の休日が控えているのを見越して米原が前記建造を行つたことは同人が工藤寛平に「裁判所も休みであるからと洩していた」(工藤証人の証言による)ことによつても明かである。
四 米原は昭和二十一年頃より本件土地の隣地に約二十二坪の土地を被告人吉本から借受けているが、昭和二十七年八月頃吉本に無断でその借地外に「かけ出し」を作り、そのため地主側との間に問題が生じ、地主側では米原がその後も本件土地上に不法侵出を試みないかと危虞していたことは前記四塚証人並に米原証人の各供述によつて窺われる。
という四つの点が少くとも認められる。
すると、右一乃至三の点からみて、米原喜三治の該バラック建造行為は、自己がそれに対して何ら権利がない他人の土地上に故意に且つ積極的に(すなわち、従前有していた権利を喪失したがために不法占拠となつたような消極的の場合と異り)折柄官庁の休日がつづくのを見越して突如、隠秘的に行つたものと認められ、それは正しく急迫不正に他人の土地所有権を侵害したものといつてよい。そして原判決は「その行為を当然予期し得たから急迫な侵害と認められない」というが、成程、前掲四の点のように事前に多少地主側(被告人側)において警戒しなければならない状態にあつたにしても、右侵害行為が当然予期できたということによつては正当防衛の要件である急迫な侵害でないとは断ずることはできない。恐らく原判決の趣旨は、当然予期できたからには、当然予防の方法が講じ得られたはづであるというのであろうか、正当権利者において事前に種々費用を投じ侵害防止のため万般の処置を構じておかなければ不正の侵害に対して正当防衛を主張し得ないという法理は存在しない。本件においては官庁のつづく休日直前を狙い、一夜にして土地の不法占拠を現出せしめ、しかも原審証人岡崎忠三郎の証言によつても明かなように、本件バラックを即刻撤去しなければ爾後他人がそれを使用し、或はそれを補強改修して愈々土地所有者の権利回復は困難となる事情にあつたのであるから、米原の侵害行為に対しては被告人等は即刻に自己の権利防衛の処置を執るよりほかなかつたのである。原判決の論ずるように早晩仮処分等による救済の方法がないことはないにしても、それらによる救済だけでは不十分であり、必ずしもこれに頼らなければならないとはいえない。すなわち、加害者の行為は不法な目的を達するためのみであり、しかもそれを被害者が合法的に排除することの至難であることを見越して、あえてかかる不法な侵害を敢行する場合においても、被害者は合法的な救済を仰げる時期まで手を拱いて待つていなければならないものとするならば、それは全く不正に味方するものであつて、法の本質たる正義に反するものといわねばならない。もつとも、本件の場合において被害者たる被告人吉本等が本件建物を取毀したことが必要已むを得なかつた行為といえるかは議論の余地があるかも知れないが、当審の検証の結果によつても判るように、本件土地の道路に面した部分全部について鉄条網を張りめぐらしたり、板塀を建てたり、看視人を配置したりして、本件不正の侵害の継続を防止する方法も考えられない訳ではないが、かかる手段を執ることは被害者側に多大の経費の支出を余儀なくするものであつて必ずしも妥当な手段とはいえない。本件建造物は前にも説明したように、全く文字どおり一夜造りのものであつて建物としての価値を云々するよりも単に建築材料を組み合わした程度にすぎないものであるから、これを取毀わしたことは被害者側としては必要已むを得ないことであつたと認めるのが相当である。不法な事実状態であつても時の経過によつて既成事実として法の保護を受けることのあることは否定できないけれども、本件は既成事実としてまだ法による保護に値しないものといわざるを得ない。従つて本件米原の侵害行為に対してこれを急迫不正な侵害とし被告人等が本件行為に及んだのは正しく正当防衛に当り、しかもその限度も超過したものとは認められない。よつて、所論を理由ありとし、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十条、第四百条但書に則り原判決を破棄して自判する。
本件公訴事実は前掲の原判示事実と同一であるところ、前段説示の理由によつて刑法第三十六条第一項に該当するものと認められるから刑事訴訟法第四百四条、第三百三十六条に則り主文のとおり判決する。
(裁判長判事 網田覚一 判事 辻彦一 判事 小泉敏次)