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大阪高等裁判所 昭和31年(ラ)311号 決定 1957年10月30日

抗告人 山本富雄(仮名)

相手方 山本文子(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の趣旨及びその理由は、末尾添付の抗告状記載のとおりである。

よつて考えてみるに、

(一)  本件記録中筆頭者山本富雄の戸籍謄本、原審審判手続における抗告人山本富雄同じく相手方山本文子の各供述等を総合すれば、抗告人と相手方とは昭和二十九年十月○○日事実上の婚姻をなし、翌三十年十月○日婚姻の届出をなした夫婦であつて、夫たる抗告人の肩書住所において抗告人の養母山本ノリと抗告人等夫婦の三名が同居生活を営んでいたところ、右ノリが故なく抗告人等夫婦の仲を嫉妬しために相手方とノリとの間が円満に行かなくなつたので、抗告人の申出により相手方はノリの感情が落着くまでということで昭和三十年二月○日頃より一時他へ別居することになり、その後は抗告人において随時相手方の別居先を訪れて夫婦の生活を継続しているうちに昭和三十一年一月○○日右両名間に長男進の出生をみるに至つたこと、相手方は進を分娩後二ヶ月ばかり実家で産後の養生をしていたが、ノリの感情は依然として融けなかつたので、相手方はやむなく抗告人と相談の上現在の肩書居宅を賃借してここを母子の寓居に定め、夫たる抗告人と別居しつつ進を養育していること、かくて相手方は、一日も早く夫婦、親子が同居して、苦楽を共にする本然の姿に戻りたい願望からしばしば抗告人に対しそのことを申入れて来たが、抗告人は日を経るにつれて相手方を疎んずる風を生じ、ついに昭和三十一年四月頃になつて相手方と離別したき意向を申入れるに至り同居に応じなくなつたこと、竝びに相手方は抗告人と婚姻後は何等の職業をも有せずまた固有の資産もなく全く無収入であるのに対し、抗告人はその肩書地において質商を営み年間三十五万円を下らない純益を得て居り家族としては相手方及び進の外前記養母ノリがあるだけであつて、相手方は別居後は抗告人からの一ヶ月五千円宛の仕送りと実父の経済的援助とによつて辛うじて母子二人の生計を維持して来たが、抗告人が離別を希望するようになつてからは右の仕送りも満足に実行されない有様になつたこと等の事実を認めることができる。

(二)  さて民法第七百六十条によれば、夫婦はその資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担するものとされているので、夫と妻との双方が共に資産、収入を有するときは妻もその所得の額に応じて経済的協力として婚姻費用の一部を自ら分担することにもなるが、妻は家庭にあつて家事の処理に当り、夫がその資産または労働によつて婚姻生活の資を稼ぐといつた普通にみられる婚姻生活にあつては、妻は夫や子の世話をすることによつて夫に協力する一方、夫は妻と子に相当な生活をさせる扶助の義務を負い、その履行として婚姻費用の全部を負担するのが当然であろう。そして本件の抗告人等夫婦の場合がこれに当ることは明かであるから、抗告人は婚姻費用の負担者として相手方の生活費及び長男進の養育のための費用を支払うべき義務あるものといわねばならない。抗告人は右費用の点について原審が月額一万二千円と算定したのは多額にすぎる。抗告人の質商による収益は諸経費を差引きすべて養母の管理下におかれていて抗告人の自由にならず、相手方と別居以来月額三千円乃至五千円を相手方に送付してきたが、これが抗告人としてなしうる最大限度である旨主張するが、冒頭認定の抗告人方の資産収入及び家族構成等からすれば、その妻たる相手方及び長男進がその身分に相当した生活を維持するための費用として月額一万二千円は決して多額に失するものとは考えられず、この点に関する本件抗告は理由がない。

(三)  次に相手方の同居請求の点について考えてみるに、夫婦は互いに同居の義務を負うのであつて、この義務は夫婦関係に本質的のものであるから、特にこれを拒否し得る正当の事由がない限り、抗告人は妻たる相手方の同居請求に応ずべき義務がある。抗告人はこの点につき、抗告人が相手方と同居できないのは抗告人の加何ともすることのできない事情によるものであり、今直ちに抗告人と相手方とが同居すれば双方とも以前にも増して更に悲惨な生活に陥るであろうことはまことに明かであるといい、その「如何ともすることのできない事情」とは冒頭認定の事実に示された相手方と抗告人の養母ノリとの間の事情を意味するものと思われる。しかしながら、その間のもつれは、抗告人をはじめ関係当事者が努力によつて何とか解決の途を見出さねばならない事柄であるし、殊に夫婦同居の関係は、親とすでに独立の生計を営むに至つた子との間における同居関係とは本来その性質を異にし、後者がいわば事実的偶然的のものであるのに対し、前者は法律的必然的の関係であるから、妻たる相手方が養母ノリと折合いが悪るいとの点は何等相手方との同居を拒否する正当の理由とはならない。また抗告人は相手方に対して離婚の調停を申立つべく目下その準備中であるともいつているが、かりにそうであるとしても、未だその申立もせず現に夫婦たることが存続している以上これをもつて同居拒否の正当事由とはなし難く、なお、現在の抗告人と相手方との別居生活が双方の合意に基いてはじめられたことは冒頭説示のとおりであるけれども、このことは現在相手方より抗告人に対して右別居を廃して同居生活に入るべきことを請求するにつき少しも妨げとなるものではないと解する。従つて同居の点についても、本件抗告はその理由なきものである。

以上の次第であるから本件抗告を棄却すべきものとし、抗告費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 山口友吉 裁判官 小野田常太郎 裁判官 小石寿夫)

(別紙抗告状)

抗告の理由

(事件の概要)

一、抗告人は○○商業を卒業し養母山本ノリと同居しているが昭和二十九年十月○○日相手方と事実上の婚姻をなし昭和三十年十月八日その婚姻届を了した。ところが養母と相手方との悪感情が増大してから抗告人と相手方は昭和三十年二月末頃、第二回目の別居生活を送り現在に至つているが、その間に昭和三十一年一月○○日長男進を出生した。抗告人は別居生活中、毎月金参千円乃至五千円を相手方に送り続け、一方相手方は長男を養育して来た。昭和三十一年四月抗告人は相手方に対し離婚の協議を求めたが、拒絶せられ、反対に相手方は抗告人に対し同居及び婚姻から生ずる費用の分担を命ずる審判を求め同年十一月十四日本件で取消を求める審判があつた。

(抗告人の養母と相手方との関係)

二、抗告人の養母は戦前の旧い思想の持主であり、相手方は戦後の新しい思想の持主である。両者はその考え方において又その行動において、余りにも大きな相違点があつた。そのため、抗告人と相手方が事実上の婚姻をしてから間もなく、即ち昭和二十九年十月末頃から養母は、相手方が家風に合わないと称し、両者の関係は極めて悪くなつた。婚姻早々から、相手方が抗告人方に養母と共に同居することは事実上困難であつた。抗告人は隣家にある抗告人の姉婿成田静男方に一時、相手方を別居させ、養母との関係が正常化するように願つていた。当時、別居の事実を相手方の実父には知らせなかつたが、同人は間もなくこのことを知り、相手方はすぐに実父により実家に引取られた。

その頃、相手方の実父は、何とか相手方を抗告人の養母の言う家風に合うよう教育するからと言うことであつたから、抗告人も養母を説き、同年末頃再び抗告人方で同居するようにした。ところが、養母と相手方の間柄は少しも良くならず、却つて悪化する一方で、同居を継続することは極めて困難であつた。抗告人は養母と相手方との間にあつて苦悩した。遂に、再度別居すべきことが最上の策と考えられたので、相手方と別居して生活することにした。別居当初、養母は、抗告人が相手方と離婚したものと考えていたが、相手方の荷物が依然として抗告人方に残つていたため次第に疑惑の念を深めた。養母は、抗告人と相手方の婚姻生活を許す意思は全くないのである。そして昭和三十一年一月には抗告人に対し、相手方の荷物を引取らせるよう強硬に主張した。之に対し相手方は勿論拒絶した。特に相手方の実父は、そんなに訳の分らない養母なら、自分が殺してでも娘を守る旨、抗告人の聞くに堪えない過激な口調で強い態度に出た。このような、両者の関係は現在に及んでいるが、このことは当然に抗告人と相手方との感情対立にまで及んだ。

(養母と抗告人との関係)

三、抗告人は庶子として出生した。此の事実は、抗告人の過去及び現在において、いつも精神的にも経済的にも悩まされて来た点であつて、抗告人の生涯において、ぬぐうべからざる陰でもある。そのため、抗告人は、只管、抗告人に恩愛をかけて育ててくれた養母には、何事に依らず一言の反対も許されない。自己の意思を養母に従属させて育つて来た抗告人には、養母の意思が次第に自己の気持となり変つて来ることも又否定し難い。養母の意思に反して抗告人のなし得ることは、死ぬことの外にないと言うことを、残念乍ら、附け加えなければならない現状である。

(抗告人と相手方との関係)

四、抗告人は、婚姻当初、相手方及び養母と共に、円満に生活する事を願つていた。そうであつたから、養母との折合が悪くなつて別居の止むなきに至つた場合と雖も、常に自己の責任と義務を感じ、可能な範囲で夫婦としての間柄を保つて来た。又、そのためには凡ゆる努力を使い果した。そして、この別居期間中に相手方は姙娠した。当時の事情から生れ来る子供の将来を考え、抗告人と相手方は姙娠を中絶することを了解しあつていたが、相手方の実父が之を断固拒絶したので、抗告人もその意見に従つた。こうして、昭和三十一年一月○○日長男を出生した。再び、長男の入籍問題につきいきさつがあつたが、抗告人は、子供を嫡出に非ざる子とすることは、自己の生い立ちと現況を省みて、且つ自己の責任上、到底しのび難くでき得ることではなかつた。長男は直ちに入籍した。然し乍ら、別居生活が長くなるにつけ、或は相手方と養母間の悪感情に充ちた態度を見るにつけても、抗告人は、この状態を何とかしなければならないと思いつめた。外形上は免も角、気持の上では、この複雑な、どうすることもできない関係から抜けでるために、抗告人は次第に相手方から離れるようになつた。

ひいては、相手方と離婚すべきであると言う気持が支配的になつて来た。このような時、抗告人は相手方の実父から、訳の分らない養母なら自分が殺してでも娘を守ると言う堪え難い非難をうけて、最早やこれ以上相手方と婚姻生活を継続することはできないと決心した。しかし乍ら、抗告人としては、未だかつて、自らを恥づべき態度をとつたことは一度もなく、現に又そうであると確信している。抗告人は相手方との婚姻生活の破たんが養母の態度に端を発したとは言え、長期間の変則な生活の間に、種々精神的に悩み抜いて来た。相手方に対する態度も冷やかになり、離婚を堅く決意するに至つたのである。抗告人は養母を捨てることを許されない。養母を捨てられず、妻や子に対する責任もあつて、進退きわまつたとき、抗告人は、遂に、昭和三十一年四月○○日、単身家出をした。自殺を心配した親戚の者に連れ戻されたのは同月○○日の事であつたが、抗告人は苦しみの原因となつている相手方との離婚が容れられることを前提とした。しかし、離婚の協議は拒絶せられ、反対に相手方から同居及び婚姻から生ずる費用分担の審判を求められた。抗告人は、審判手続においては、専ら相手方及び養母の人格を尊重し之を傷つけるような主張は極力謹んだ。前記の事情のうちにも、主張しない部分が極めて多い。抗告人は、只、事態が円満に解決するように努力した。ところが、はからずも抗告人の主張を尽さない儘、審判は下された。

(不服の主張)

五、ところが、右審判は左の点において、実情に副わず、その実行が不可能である。

同居の点については、若し同居ができる状態にあれば、抗告人としては誠に止むを得ぬこととして之をお請けする外はないかも知れない。しかし、婚姻以来、殆んど同居することができなかつた事実は前述の通りで、抗告人のみの責任ではないと言うことができるし、或は抗告人の如何ともすることのできない事情に依るものであるとも言い得る。実際的に同居は不可能の状態にある。抗告人は、この点を十分審理して頂きたく考えている。抗告人は、事態がこの段階に達した以上は、むしろ、離婚の調停を申立てて、解決すべきものとさえ考えて目下その準備中である。勿論離婚ともなれば、養母を説いて、財産の分与や扶養の請求について、抗告人は凡ゆる努力を払つてその責任を果したい。しかし仮に、今直に、抗告人と相手方が同居すれば双方とも、以前にも増して更に悲惨な生活に陥るであろうことは誠に明らかである。

次に費用分担の点については、月額の壱万弐千円が多額に過ぎて、抗告人にとつては到底実行不能である。現在、抗告人はその財産として、居宅を有しているのみであるが、之には既に、住宅金融公庫に対する抵当権が設定されている。外に営業として質商を営んでいるが、月額約弐万五千円程度の収益は諸経費を差引き、凡て、養母の管理の下におかれていて、抗告人の自由にはならない。抗告人は別居以来、月額参千円乃至五千円を相手方に送付して現在に到つているが、右金額が、抗告人としてなし得る最大限度の誠意である。

以上の次第であるから、実状を更に詳細に審理せられることを求めるべく、御庁に対し、原審判を取消す旨の決定を仰ぐものである。

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