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大阪高等裁判所 昭和32年(う)592号 判決 1966年4月21日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

<前略>

第二、検察官の論旨に対する判断。

(一)  控訴趣意第一点の所論の要旨は、原判決は破防法第二条の解釈を誤り、その誤は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

<中略>

次いで控訴趣意第二点の所論の要旨は、原判決は破防法第三八条第二号の解釈を誤まり、その誤は判決に影響を及ぼすこと明らかである。<中略>

というのである。

そこで検討すると、控訴趣意第一点と同第二点とはきわめて密接な関連を有し表裏一体を成すものと思料されるので、これを綜合して考察することとする。

破防法第三八条第二項第二号の罪は、その文書頒布による表現行為が被頒布者に対し国家の政治的基本組織を暴動により覆滅しようとする重大犯罪である内乱罪の正当性、必要性への理解、共感を求め内乱発生の意識的基盤を作らうとする行為であるから、それ自体概念的抽象的には公共の危険を発生させるおそれがあり、従つてその行為には形式的違法性があり具体的危険の発生を要しないいわゆる抽象的危険犯であると解すべきことは検察官所論のとおりである。然し後記において説示するところであるが、その行為のなされた当時において、その意図する危険発生の可能性、蓋然性の存在を必要とするものと解すべきである。

政治上の言論、表現の自由は民主主義政治の根幹を成すものであつて、この自由を制限しうるのは真に必要止むを得ない場合に限り、且その制限が認められる場合及び限度はできる限り厳密に解釈されなければならない。このことは日本国憲法の全体的解釈から当然に導き出される原理であり、従つて表現行為に対し刑事責任を問うことを法律により定める場合及びその解釈適用においては、その要件をできる限り厳密にすべきことは当然である。

破防法が国会審議の過程において付加挿入された第二条において同法を「公共の安全の確保のために必要な最少限度においてのみ適用すべき」旨特殊の立言を用いたのは、表現の自由が公共の福祉による制限に服するという憲法の解釈から当然に導き出される原理を単に注意的訓示的に表明したものと解すべきではなく、破防法の解釈適用に当つては、右の趣旨に則り、「公共の安全の確保の限度」を厳密に考察すべき旨を規定したものと解すべきである。

内乱罪実行の正当性、必要性を主張した表現行為の中には、現在の国家組織や政治体制の誤謬を指摘し、その改革を主張する様な純理論的なものもある反面、単に現在の政府を顛覆せんとするに過ぎぬ行動主義の議論もあり、又その行為の行なわれた客観的な社会的情勢の如何によつては、その様な主張を許すことにより内乱状態を発生せしめるおそれ極めて高い場合もあると共に、その危険の少ない場合もあるわけである。そして議論の内容が純理論的である程、又社会情勢が平静であればある程、この様な主張は議論によつてその虚偽と誤謬を指摘し、教育や説得によつてその行為による害悪を避止する時間的余裕があるものと謂うべきであり、このような場合には相対立する主義、見解を唱導しようとする双方の論説をより一層自由活発にし、国民の良識による批判にその価値判断を委ねるべきである。内乱によつて顛覆しようと主張されている政治的基本組織や、それによつて樹立されている政府が、合憲法的な政権の授受交替を伴ひつつも、国民多数の人心の帰趨に副い、その支持を得ている場合には、これを内乱によつて非憲法的に顛覆しようとする言論は国民多数の支持を獲することができないはずである。もし合憲的な政治的基本組織や政府を内乱によつて顛覆しようとする言論が国民の大多数の支持を得るような場合は、その憲法やそれに基く政治的基本組織、政府等は歴史の進歩、時代の推移、内政及び国際政治両面からの要請に順応することができなくなつたものであつて既存の合憲法的体制やそれに基く実力を以てしては究極的には右のような言論を封殺することはできず、やがては既存の憲法制定権力そのものが土崩瓦解の止むなきに至るであろう。言論を処罰することによつて沈黙を強制すべき場合は、その言論が国民の大多数の支持を得ていないのにかかわらずその言論の内容たる政治的意図を実現しようと企図する徒党が内乱を計画しその計画が実行の可能性をはらんでいる様な緊急状態の存する場合に限るべきである。即ち処罰による沈黙の強制は、言論による指導、説得、教育に委ねる余裕のないほどに社会的条件が切迫している場合、即ち(社会情勢が混乱しいわゆる一触即発の状態にある様な場合には勿論許さるべきであろうが、然らざるときは)前記の様な国民多数の意思に背馳して少数者による内乱罪実行の機運が熟している場合にのみ、許容しうるものと解すべきである。即ち国民の総意に基かない少数者による内乱罪実行の企図があり、それらの徒党が合憲的治安維持機構にある程度の打撃を与えるに足る軍事的装備を備え、少くとも一地方において国権を排除し安寧秩序を紊乱し得る可能性をもつた内乱実行計画を有し、その企図が時期的にも具体的、近接的なものであることが、破防法第三八条第二項第二号による表現行為抑制を合憲法的国家法秩序の精神、目的に合致せしめ、同条違反の表現行為に実質的違法性を帯有させ、これを可罰的行為たらしめるものというべく、同法第二条にいう「公共の安全確保のために必要な最少限度においてのみ適用すべき」とはまさに右のような客観的社会的条件の具備する場合においてのみ同法を適用する趣旨を宣明したものといわなければならない。

原判決は本件頒布行為について「京都のハタ復刊第二号は検察官の主張するとおり内乱罪実行の正当性及び必要性を主張する文書であると観なければならないが、破防法第三八条第二項第二号の犯罪が成立するためには内乱罪実行の正当性又は必要性を主張する文書であることを認識してこれを頒布することだけでは足りない。内乱罪を実行させることを目的としてその文書を頒布した事実が認められなければならない。それ故集団暴動行為があつてもこれに因り直接に朝憲紊乱の事態を惹起することを目的とするのではなく、これは縁由として新に発生する他の暴動に因り朝憲を紊乱する事態の現出を期すような場合はこれを以て朝憲を紊乱することを目的として集団暴動を行なつたと称することはできない」「被告人両名が内乱を実行させる目的を以て本件文書を頒布した事実が認められるためには先ず日本共産党が内乱罪を実行させることを企図し同党京都府委員会がその目的を以て本件文書を発行し被告人等にこれを頒布させた事実が認められなければならない。被告人等が内乱罪実行の正当性、必要性を主張した文書を頒布した事実だけで直ちに被告人が内乱罪を実行させる目的を以てこれを頒布したと推断することは適当ではない」「被告人等が共謀若しくは単独で昭和二七年九月上旬日本共産党京都府委員会の命を受け同委員会発行に係る内乱罪実行の正当性と必要性を主張した京都のハタ復刊第二号を頒布した事実は認められるが、主観的且つ客観的に内乱を実行させることを直接の目的としてこれを頒布した事実が認められない。仮令被告人等が内乱を実行させる目的を以て本件文書を頒布したとしても本件犯行当時客観的情勢に鑑み公共の安全を確保するために本件文書の頒布を禁止することが必要であつたと認められない」等と説示しているが、右各説示によつて原判決が検察官所論のように本件頒布行為が抽象的危険犯であることを否定して、これを具体的危険犯であると解しその犯罪成立の要件としての具体的危険の不発生を説明したものと即断することはできず、むしろ本件行為が違法行為として処罰されるためには前記の様な緊急状態の存することを必要とするとの本件犯罪の構成要件及び可罰性賦与の要件について説示したものと考えられる。

更に原判決は、国家社会の利益(公共の福祉)を保護するために言論の自由に制限を加えることが不当となるか否かを判定する基準として、いわゆる「明白かつ現在の危険」の原則を引用して次ぎのように説示している。即ち「破防法第三八条に関する限り憲法に違反する条章であるとは言えない。しかし同法第二条にこの法律は国民の基本的人権に重大な関係を有するから公共の安全を確保するために必要な最少限度において適用すべきであつて苟もこれを拡張するようなことがあつてはならないと明記しているのは当然である。それはホームズ、ブランダイス両判事の所謂明白且つ現在の危険の法則に従つて本法を適用することとその趣旨に変りはない。而して本件文書頒布以前からこれと同趣旨の文書が頒布せられていたのに拘らず、国民の前に虚偽と誤謬を暴露し明白且つ現在の危険が認められなかつたことは前述のとおりである。」「明白且つ現在の危険の法則をウインソン長官の説いた趣旨に変更し、内乱発生の客観的情勢の切迫していると否とを問わず破防法第三八条第二項第二号を適用することは公共の安全を確保するために必要な最少限度を超えて適用することに外ならない」としている。いわゆる「明白かつ現在の危険」の原則は、アメリカ合衆国において唱えられた当初は、その基準として第一、言論そのものが実質的害悪と直接に結びついているものであること、第二、言論の述べられる場合の状況が、その言論によつて実質的害悪を生ぜしめる明白かつ現在の危険をはらむものであること。第三、実質的害悪は連邦議会が憲法によつて与えられている立法権でそれを防止しうる事項でなければならない、との三点を指摘し、以上の三点から、憲法上の保護を受ける言論とその保護を受け得ない言論とを区別しようとしたものであるが、その後この原則は主唱する各人により多少その見解を異にし、かつ変貌を遂げたもののようであり、また右原則に対しては絶えず批判と反対が存在しているように思われる。

ところでわが国の裁判権に服する領域で行なわれた表現行為が、日本国憲法によつて保障される表現の自由の保護の下に置き得るものであるか否かを判定する基準としては、少なくとも表現行為(たとえ表現の自由の濫用にあたる場合でも)の処罪による抑制については、前説示の如く、立法においても、その解釈適用においても、厳格な制限の枠内においてのみ許容しうるものと解するのである(もつともわいせつ物頒布等公共の福祉に反すること明らかな行為及び公益の目的に出でない名誉毀損の言論や殺人の教唆等明らかに個人の法益を侵害する行為等の抑制については別論である。)から、表現の当否はさておき、結論としては原判決の説くところと同旨に帰し、従つて原判決がその所説を裏付けるために「明白かつ現在の危険」の原則を挙示したことを以て破防法第二条の解釈を誤つたものとする非難は当らないものと言わなければならない。

因みに検察官の引用する判例のうち、昭和二四年五月一八日付の食糧緊急措置令第一一条に関する最高裁判所大法廷判決は「国民が政府の政策を批判し、その失敗を攻撃することは、その方法が公安を害せざる限り、言論その他一切の表現の自由に属するであろう。しかしながら、現今における貧困なる食糧事情の下に国家が国民全体の主要食糧を確保するために制定した食糧管理法所期の目的の遂行を期するために定められたる同法の規定に基く命令による主要食糧の政府に対する売渡に関し、これを為さざることを煽動するが如きは、所論のように、政府の政策を批判し、その失政を攻撃するに止まるものではなく、国民として負担する法律上の重要な義務の不履行を慫慂し、公共の福祉を害するものである。されば、かかる所為は、新憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱し、社会生活において道義的に責むべきものであるから、これを犯罪として処罰する法規は新憲法第二一条の条規に反するものではない」と説示し、「現今における貧困なる食糧事情」なる客観的社会的基盤を問題とし、この様な情勢下では右行為の意図したことが実現可能であるとの考え方を基調としており、また昭和二七年八月二九日付の地方公務員法第六一条第四号に関する最高裁判所第二小法廷の判決は「被告人が室蘭市警察吏に配布した『全室蘭の警察幹部諸君に訴う』なる文書によれば、同文書の内容が、地方警察吏に対して怠業的行為を慫慂するものであることは明らかであり、地方警察吏が怠業を行なうことは法の禁ずるところであつて、かかる行為を慫慂するがごときことは、憲法の保障する言論の自由の範囲を逸脱するものであることは前示大法廷の判例の趣旨に徴して明瞭であるといわなければならない。尤もかかる慫慂によつても、怠業的行為の起る危険が全くないような場合には犯罪を構成しないといわなければならないが、前記文書によれば警察職員中警備、情報、捜査特務等の特高活動をするもの等に対しては、『これらの一人一人を人民の敵として記憶し、来るべき日において最も峻烈なる人民の処罰を課するであろう』なる脅迫的文言を弄せる箇所等にかんがみるときは、本件被告人の所為とごとき必ずしもその危険性なしとすることはできない」と判示し、その言論の意図するところが実現不可能の状況ではないことを認定しており、単に行為の抽象的危険性のみを可罰性の根拠としているのでないことがうかがわれ、孰れも当裁判所の前記説明と相容れない見解を採つているものとは解しがたい。

なお検察官は、本件罰則たる破防法第三八条第二項第二号の内容が即ち同法第二条にいう「公共の安全の確保のために必要な最少限度」を成すものであり、右罰則が同法第一条にいう「暴力主義的破壊活動に関する刑罰規定の補整」の一部であり、この補整が「公共の安全の確保に寄与することを目的とする」ものであつて同法第二条にいう「公共の安全」が右罰則の保護法益であるから、右最少限度とは、本件罰則の規定の趣旨から論理的必然の帰結として導き出される結論を禁止又は制約する趣旨を含むものではなく、また右罰則の規定自体から当然には導き出されないような重大な制限をみだりに設定することを要求している趣旨でもない、というのであるが、なるほど右第三八条第二項第二号の罰則によつて保護しようとする法益は、国家の政治的基本組織及びそれに基く施政の下における公共の安全である、といい得るであろうけれども、もし所論のように右罰則の内容が「公共の安全を確保するために必要な最少限度」と同義語であるとすれば、破防法が右罰則たる同法第三八条の外にことさら第二条の規定を設けてそれに掲げるような立言をすることはきわめて不自然であるというの外はない。又同法案の国会における審議の経過に徴しても、右第三八条による表現行為の処罰や同法の他の規定による団体規制が、わが国の戦前及び戦時下における治安立法(治安維持法、治安警察法、国家総動員法、国防保安法等)及び言論規制法(新聞紙法、出版法等)運用の実状及び経験にかんがみ、濫用される恐れなしとせぬこと、及びこれらの処罰や規制が日本国憲法の保障する表現の自由にてい触する危険性が大きいことを顧慮して、即ち破防法の発動適用を安易に許容することが却つて公共の福祉に反する結果を招来するおそれがあることに留意した上、右第二条が設けられたものと解すべきである。従て同条は、政治的基本組織やそれに基く合憲法的政府及び施策と、それによつて支えられている公共の安全に、重大かつ近接した危険を及ぼすおそれがある場合に限り、右安全を確保するに必要な限度においてのみ、罰則や規制措置を発動適用しうるものとする趣旨で設けられたものと解するのを相当とする。

次いで破防法第三八条第二項第二号にいう「内乱罪を実行させる目的」の解釈に関する原判決の説示に対する検察官の論旨につき考察すると、原判決は破防法第三八条第二項第二号にいう「内乱罪を実行させる目的」について検察官が前記控訴趣意第二点において指摘したような説示をしているのであるが、従来わが国の裁判所は内乱罪の成否の認定については数少ない判例においてではあるがきわめて慎重な態度を保持しており、(朝鮮高等法院特別刑事部の大正九年三月二二日附決定及びいわゆる五、一五事件に関する大審院の前記昭和一〇年一〇月二四日附判決参照)原判決も右大審院判決の見解に従つて内乱罪の成否を決すべきであるという解釈をしているものと思料されるところ、直接に朝憲紊乱の事態を惹起することを目的としない行為はたとえその行為を機運として新たに発生することあるべき他の行動により朝憲紊乱の事態を現出することを予想したものであつても内乱罪の成立を肯定し得ないとの見解が誤であるとは考えられない。ところで原判決が五、一五事件に関する右大審院判決を引用した趣旨は必ずしも明らかではないが、内乱罪以外の特定の行為たとえば騒擾罪その他の治安攪乱行為を実行させこれを縁由として内乱罪を実行させることを窮極の目的とし、この目的を達するため内乱罪の実行え発展すべき跳躍台的な前段階的過程を現出するため右のような治安攪乱行為を実行させることを企図し、或いは内乱罪実行のための準備をさせた場合には、直接に朝憲紊乱のためにする暴動を実行させる目的でなくても、内乱罪を実行させる目的があるものとしてそれ自体違法性を帯びるものと解すべきであるから、もし原判決の右大審院判決引用の趣旨がこれに反するものであるならば、その点は妥当を欠くといわなければならない。

然しながら前説示のような破防法第二条の趣旨に徴すると、同法第三八条第二項第二号の罪は、行為者においてたとえ内乱の罪を実行させる意図を以てしたとしても、客観的に内乱罪の実行され得べき可能性ないし蓋然性がない限り、右第二条にいう「公共の安全確保のために必要な最少限度」の枠内に包含されるものということはできないから、内乱罪を実行させる目的を以てする文書頒布行為に実質的違法性即ち可罰性を賦与するためには、行為者において単に内乱罪を実行させる主観的意図を有していただけでは足りず、これと共に客観的な社会的基盤において内乱罪の実行され得べき素地や条件が熟しており、行為者においてこれを認識してその行為に出でた場合にのみ、可罰的評価を受けるにふさわしい主観的違法要素としての「内乱の罪を実行させる目的」があるものといわなければならない。原判決が「被告人等が内乱罪実行の正当性と必要性を主張した京都のハタ復刊第二号を頒布した事実は認められるが主観的且つ客観的に内乱を実行させることを直接の目的としてこれを頒布した事実が認められない」と説示したのは、本件行為により内乱にまで発展する様な客観的基盤の存在及びその認識に支えられた被告人の主観的違法要素との併存、換言すれば両者の結合を認めることができないという趣旨を述べたものと想像される。従つて仮りに「内乱罪を実行させる目的」なる概念に関する原判決の見解が先きに指摘した点において妥当を欠くとしても、右のような客観的基盤に支えられた主観的違法要素を必要とするものとした点において右罰則を正当に理解したものというべく、原判決が破防法第三八条第二項第二号の解釈を誤つたとする検察官の論旨は失当である。

なお原判決が、本件罰則の内乱罪を実行させる目的が主観的にかつ客観的に認められることが必要である、と述べ、内乱発生の客観的情勢の切迫していると否とを問わず右罰則を適用することは公共の安全を確保するために必要な最少限度を超えて適用することに外ならないと附陳した趣旨は、行為者の主観的違法要素に可罰性を賦与するための要件として客観的な社会的基盤が必要であることを示したものと解されるから、原判決が検察官所論のように行為者と離れて観察した客観的事実を行為者の目的の要件としたわけではなく、また目的認定の要件として現実に内乱罪実行という事実の存在を必要とすると説いたものでもないし、本件罰則の解釈に破防法の全く予想しないような極端な制限を不当に設定したものでもない。これらの諸点に関する論旨は採用しがたい。

(二)  控訴趣意第三点の所論の要旨は、原判決の本件犯行当時の客観的情勢に関する判断及び被告人及び八住の内乱罪実行の目的に関する認定は重大な事実の誤認を犯したものであつて、この誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかである、というのであつて、その理由とするところは≪中略≫

というのである。

そこで先ず本件文書頒布当時及びその前後における客観的情勢について考察するに、本件記録を精査し原裁判所及び当裁判所が取調べた全証拠を検討しても、この点に関する原判決の認定に誤があるとは考えられない。即ち昭和二六年一二月頃から同二七年八月上旬頃までの間においていわゆる五全協(昭和二六年一〇月に日本共産党が開催した第五回全国協議会の略称)において、昭和二五年一月のコミンフオルムの国際批判を容れて採択された新綱領の軍事方針に刺激された日本共産党員及びその同調者と見られる労働者学生等の一部尖鋭分子が、わが国内の数個所において騒擾若しくは集団的暴力事件(原判決が「新綱領発表前後における日本共産党の活動状況」と題して1乃至17に摘記した事件等)を散発的に惹起したけれども、全国的には、国民一般の心理にはこれら諸事件の報道によつて一抹の不安はただよいながらも、右過激な方針や行動には同調することなく概ね平静を保ち、国民の多数は合憲法的な体制による統治を支持していたことは明らかであり、又日本共産党員やその同調者等の一部尖鋭分子が準備した装備は、その攻撃力、破壊力の点から見て、警察、警察予備隊、海上保安庁等の治安維持機構の有していた装備、編制や、在日駐留米軍(昭和二七年四月二八日条約第六号同日発効の日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第一条によれば、日本国内及びその附近に配備されたアメリカ合衆国の陸海空軍は、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じようを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる、と規定されている)の保持していた軍事力と比較すると著しく懸絶して劣弱なものであり、かつ戦斗員の組織、経済的基礎等の強固さにおいても彼我の実力が甚しく相違し、たとえ内乱を企図しても到底その実現が不可能であつて、たかだか散発的局部的な襲撃や騒乱を試みうるに過ぎなかつたと思料されることは公知の事実である。従つて原判決が本件当時の情勢について革命に導入するおそれのあつた客観的情勢を推認することができないと結論したのは相当であるといわなければならない。

なるほど検察官所論のように、各種の集団的、騒乱的暴力事件が、日本共産党の武装革命達成を窮極の目的とする軍事方針に刺激されて、同党員及びその同調者等によつて実践され若干の不安感を惹起していた社会的情勢が現出したことは認められるけれども、未だ本件文書頒布行為を可罰的なものとするに足るほどの客観的情勢が具備したとはいい得ないから、原判決が「本件犯行当時客観的情勢にかんがみ公共の安全を確保するために本件文書の頒布を禁止することが必要であつたと認められない」と判断したことが誤であるとはいい得ない。

また原判決が本件頒布行為後の情勢について次第に社会不安が解消したと認定しかつ日本共産党が衆議院議員選挙において国民の支持を失つたことは周知の事実であると指摘して、このことを本件行為当時の社会的情勢及び行為の危険性認定の一資料としたことは社会情勢の動態的考察方法として許容さるべきであつて、事実認定の方法を誤つたものとはいえないし、またもし検察官所論のように本件行為後日本共産党が従前の軍事方針を全く放棄したものでないとしても、同党が国民多数の支持を失つたことに変りはなく、本件行為当時の客観的情勢についての原判決の認定を左右するに足りない。

もつとも原判決が「日本共産党の軍事方針が専ら朝鮮戦争における北鮮軍や共産軍のため戦況や休戦交渉を有利に導くために国連軍の主力であるアメリカ軍の後方基地日本を不安に陥れ日本国民の反戦反米気分を昻揚しアメリカの軍需輸送を妨害するために反抗斗争を推進し暴力事件を惹起させたのではなからうか」と推測したことが仮に独断であつたとしても、そのことは判決に影響を及ぼすような事実誤認ということはできない。

そこで先きに見たような客観的情勢及び日本共産党員及びその同調者中直接行動に出ようとする一部尖鋭分子と、治安維持機構の現実の力関係における彼我の格差から考えると、同党及びその下部機構である同党京都府委員会ならびにその指揮下に在つた被告人及び八住が、武装革命の実現が近いと判断して当面直ちに内乱を実行させる目的を有したものとは到底考えられないが、本件文書の内容及び同党が採択唱導した前記軍事方針にかんがみると、被告人及び八住が右文書の内容及び右軍事方針を諒解認識してこれを頒布した以上、少なくとも国民大衆の間に内乱罪実行の精神的素地、意識的基盤を醸成する目的を有したものと解すべく、従つて形式的には内乱罪を実行させる目的で本件文書を頒布したものといわなければならないが、その主観的違法要素が前説示のように内乱罪実行の可能性、蓋然性を帯有する客観的な社会的条件に支えられておらず、これとの結び付きを欠くという点において可罰性を賦与することができないというべきであるから、原判決が「日本共産党が直接革命乃至は内乱を実行させる意図を以て軍事活動を推進させたとは到底考えられない」とし、また、「被告人等が主観的且つ客観的に内乱を実行させることを直接の目的としてこれを頒布した事実が認められない」と判断したのは、前説示のような理由により、行為の可罰性を主眼として述べたものであると考えられ、検察官所論のような重大なる事実誤認を犯したものということはできない。また本件罰則を適用して本件頒布行為を処罰することが公共の安全確保のため必要な最少限度として要請されるべきであるとする検察官の所論が採用できないことは日本共産党及び被告人等の目的の性質、内容ならびに客観的情勢の評価に関する以上の説示ならびに控訴趣意第一、二点について説示したところにより自ら明らかである。

以上要するに、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用の誤りや事実の誤認はないから、本件控訴は理由がなく、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することとして主文のとおり判決する。(田中勇雄 三木良雄 木本繁)

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