大阪高等裁判所 昭和32年(ネ)1212号 判決 1962年2月21日
理由
次ぎに控訴人の被控訴人ヱイに対する請求について判断すると、原判決添付物件目録記載の(四)の不動産が被控訴人ヱイの所有に属することは当事者間に争がなく、控訴人が興善に対し前記(一)の求償債権五〇万円及び(二)(三)の各債権を取得したことは被控訴人興太郎及び鎮野に対する請求について、さきに認定したとおりである。
控訴人は、被控訴人ヱイは、昭和二四年一月七日控訴人に対し、東亜冷凍及び興善が控訴人に対し負担し、または将来負担することあるべき債務の弁済確保のため前記不動産について売買予約をなし、東亜冷凍及び興善が債務の弁済を怠つたときは、控訴人は、控訴人の選択した鑑定人の評価による時価を売買予約完結当時の時価とし、これを代金として売買予約完結の意思表示をなし得べく、この場合被控訴人ヱイは、直ちに右不動産を控訴人に引渡し、引渡遅滞のときは、一日金六〇〇円の割合による損害金を賠償する旨の特約をなし、且つ興善が控訴人に対し負担する前記(二)、(三)の債務につき連帯保証をなしたと主張するので按ずると、甲第六号証には被控訴人ヱイが控訴人主張の日時控訴人に対しその主張のような約定をなした旨の記載があり、また右甲号証の被控訴人ヱイ名下に押捺された印影が同被控訴人のものであることは被控訴人ヱイの争わないところであるけれども、証拠を綜合すると、興善は、昭和一六年頃から被控訴人ヱイと馴染があり、常時同被控訴人方に出入していたところから、被控訴人ヱイに無断で同被控訴人の印を持出し、昭和二四年一月上旬頃これを甲第六号証に押捺したものであつて、被控訴人ヱイは、甲第六号証の作成について全く関知せず、また興善に対し甲第六号証記載の如き契約をなす代理権を付与したこともないこと、甲第六号証と共に興善によつて右日時頃控訴人に交付せられた被控訴人名義の登記手続委任状(甲第八号証)は興善が同被控訴人に無断で右印を押捺したもの、被控訴人ヱイの印鑑証明書(甲第九号証)は後に認定するように興善が被控訴人ヱイの依頼によつて本件不動産の保存登記手続をなす際下付を受けたものを同被控訴人不知の間に所持していたもの、権利証(甲第七号証)は興善が被控訴人ヱイに無断で同被控訴人方から持出したものであることが認められる。
控訴人は、被控訴人ヱイは、興善に本件不動産の保存登記手続を委任しているから、仮りに興善に被控訴人ヱイを代理して甲第六号証記載の契約をなす権限がなかつたとしても、代理権ありと信ずべき正当の事由が存すると主張し、証拠を綜合すれば、被控訴人ヱイは、昭和二三年九月頃興善に本件不動産の保存登記手続をなすべきことを委託し、興善はこれに基き同月一六日司法代書人を通じて保存登記手続をなしたことが認められ、興善の右代理権は右登記手続の完了と共に委任事務の終了によつて消滅したものと解すべきところ、証拠を綜合すると、控訴人は、昭和二四年一月五日頃興善と会合し、同人から被控訴人ヱイ所有の本件不動産を担保に供すべきことの申出を受けたので、同月七日被控訴人ヱイが右不動産の所有権移転登記の申請を委任する旨の受任者名及び登記原因を空白とした委任状を作成し、これを興善に交付して被控訴人ヱイの捺印を求めたので、前記認定のように興善は、ほしいままに被控訴人ヱイの印を使用して、同被控訴人作成名義の委任状(甲第八号証)を偽造し、翌八日右委任状、前記認定のように興善の偽造にかかる不動産売渡予約証書(甲第六号証)、前記権利証(甲第七号証)及び被控訴人ヱイの印鑑証明書(甲第九号証)を被控人に交付したこと、よつて、控訴人は、自己と右被控訴人との間に甲第六号証記載の契約が成立したものと信じ、右書類の交付を受けると同時に、前記(三)の金四五万円を東亜冷凍に対し貸付けたことが認められる。ところで、上来認定の事実によると、前記保存登記手続に関する代理権消滅後興善は、ほしいままに被控訴人ヱイの代理人として従前の代理権に属しない甲第六号証記載の法律行為をなしたこととなるので、控訴人において興善が右法律行為をなす代理権限を有するものと信じたとせば、右無権代理行為につき、表見代理が成立するか否かの問題を生ずるわけである。
代理権の消滅後従前の代理人が、なお代理人と称して従前の代理権の範囲に属しない行為をなした場合に、右代理権の消滅につき善意、無過失の相手方が自称代理人の行為につき、その権限があると信ずべき正当の理由を有するときは、当該の代理人と相手方との間になした行為につき、本人をしてその責に任ぜしめるを相当と解する(大審院昭和一八年(オ)第七五九号同一九年一二月二二日民事連合部判決、最高裁判所昭和三〇年(オ)第二九九号同三二年一一月二九日第二小法廷判決参照)。そして、右の場合、相手方は、従前の代理権の存在につき認識があり、かつ、その認識があるが故に従前の代理権消滅後の、しかもその代理権の範囲に属しない無権代理行為につき権限があると信ずべき正当の理由を有するに至つたものであることを要すると解する。
そこで、本件についてみるに、興善が被控訴人ヱイの代理人として甲第六号記載の法律行為をなした当時、控訴人において興善が前記従前の代理権を有していたことにつき認識があつた事実は、これを認めるに足る証拠はなく、かえつて、弁論の全趣旨によると、控訴人は、右当理においても、右代理権存在につき全く認識がなく、本訴提起後において、その存在を知るに至つたものであることが窺われる。
そうすると、前記説示により、爾余の点につき判断するまでもなく、控訴人主張の表見代理は成立するに由ないものであるというべきであるから、この点に関する控訴人の主張は採用できない。従つて、控訴人の被控訴人ヱイに対する本訴請求は、爾余の争点について判断するまでもなく失当である。