大阪高等裁判所 昭和33年(う)124号 判決
(弁護人の)論旨は、被告人の本件所為は被害者伊藤亀雄の急迫不正の侵害に対して自己の身体、生命等を防衛するためやむをえざるに出でたものであるから、正当防衛行為として罪とならないものであるといい、事実誤認を主張するのである。
よつて調査すると、原審並びに当審証人伊藤亀雄、同浜村もと及び原審証人松田太郎の各証言、浜村もとの司法警察員に対する供述調書謄本、及び被告人の検察官並びに司法警察員に対する供述調書を綜合すると、被告人方のすぐ近くに住む本件の被害者伊藤亀雄は、さきに昭和三十一年八月頃被告人を殴打したことにより罰金三千円に処せられ、被告人は隣人のことでもあり、将来の交際の円満を考えて、同人のために右罰金の半額を負担してやることを約したが、その後被告人において右約束の金を渡さなかつたことから伊藤は被告人に憤まんの念を抱き、昭和三十二年四月五日右罰金の納付後、同夜飲酒した上翌六日午前一時頃被告人方に行き、表戸を叩き「話があるから」といつて既に寝ていた被告人を起し、被告人が「もう遅いから明日にして呉れ」というのもきかず「表に出よ」といい、被告人がこれを拒むと、被告人方の土間にあつた自転車の電灯や靴、洗面器などを投げつけ、被告人を土間に引きずり下してこれにつかみかかり、被告人の妻が止めに入ろうとすると、当時姙娠七箇月であつた同女の腹を蹴り、更に被告人を表へ引つぱり出して殴りかかつたので、被告人も殴り返してここに殴りあいとなつたが近所の人が来てこれを引き分けたので被告人は自宅内に逃げ帰つたところ、伊藤はなおもしつように家の中へ入つて来て被告人につかみかかり、被告人方の土間でまたまた殴り合いとなつたが、その際被告人は伊藤を土間の傍らの板間に押し倒して同人ともみ合ううち、伊藤のズボンのバンドがはずれたので、とつさに被告人は、その先端にバツクルがついていた右バンドをもつて伊藤の頭部、顔面の辺りをめがけて殴りつけ、その結果同人の後頭部に縦約五糎、横約三糎の腫脹を伴う打撲傷を生ぜしめるに至つたことが認められる。してみると当時の右伊藤の言動は、被告人の住居の平穏を害するはもちろん、被告人や被告人の妻の身体に対する急迫不正の侵害であるといわなければならないから、被告人が右侵害に対してある程度反撃に出ることは防衛行為としてやむをえないものというべく、被告人が極力伊藤との紛争を避けようとしているにもかかわらず、同人がしつように被告人を引つぱり出して殴りかかつたため、被告人が自宅の表や土間で伊藤とつかみ合い或いは殴り合いをするに至つたのは、むしろ、右伊藤の違法な侵害に対して防衛の意思をもつてしたものと認めるのが相当であつて、これをもつて直ちに被告人が同人と喧嘩闘争をしたものということはできない。しかしながら被告人が前記バンドを用いて伊藤を殴打し同人の頭部を傷害したことは、前掲各証拠によつて認められるように、当時伊藤は素手であつてかつ相当酩酊しており、しかも被告人は伊藤を板間に倒してこれを押えつけていたのであるから、被告人においてそれほど重大な危険を感じるような状態ではなかつたものと考えられ、従つて被告人の右傷害行為は防衛に必要な程度を少しく超えたものといわなければならない。即ち本件傷害行為は被告人が伊藤の侵害に対して自己を防衛する目的でしたものであることは十分認められるけれども、その防衛の程度を超えたものであるから、刑法第三十六条第二項の場合に該当し、同条第一項の正当防衛行為には当らないものといわなければならない。結局弁護人の正当防衛の主張は採用することができない。
しかし、被告人が伊藤亀雄を傷害するに至つた事情は右のとおりであつて、正当防衛行為とはいえないけれども、防衛の程度を少しく超えた過剰防衛行為であり、かつ前記証人伊藤亀雄、同松田太郎の各証言によつても、被害者の傷の程度は特別の加療を要しない位の極めて軽微なものであつたことが認められるから、原審が本件について罰金三千円の刑を言い渡したのは酷に失するものというべく、この点において原判決は破棄を免れないものといわなければならない。
(裁判長判事 松本圭三 判事 奥戸新三 判事 石合茂四郎)