大判例

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大阪高等裁判所 昭和33年(ネ)1533号 判決 1962年2月21日

控訴人 大西末子

被控訴人 国

訴訟代理人 藤井俊彦 外一名

主文

控訴人の所有権に基ずく請求を棄却する。

訴訟費用は、訴の変更前の第一、二審分及び訴の変更後の第二審分を通じ全部控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す、被控訴人は、控訴人に対し、被控訴人が昭和二四年五月二六日食糧緊急措置令に基く収用処分の執行として控訴人から運び去つた米穀七石三斗九升三合、昭和二五年四月二八日同様運び去つた米穀五石三斗七升六合及び昭和二六年三月六日同様運び去つた昭和二五年産米穀三石六合九勺を引渡せ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、次に記載する外は、いずれも原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

(一)  昭和二三年以降同二六年までの期間における控訴人方の家族は、別紙第一目録記載のとおり、控訴人及び夫仙太郎と朝野以下七人の子との合計九人であつたところ、昭和二三年二四、二五年の各年度における控訴人家耕作の作付田の反別は、四反一畝一五歩に過ぎなかつたから、控訴人方はいわゆる転落農家であつて、その生産した米穀は、すべて法律上保有米として各家族に対し保有を許されるべきものである。そして、右三ヵ年度を通じ、各家族につき保有を許されるべき米穀の合計数量は、右目録記載のとおりである。ところで、当時、七才未満の子に保有を許される米穀は、母である控訴人の所有に「七才以上一五才未満の子に保有を許される米穀は、父母である仙太郎及び控訴人の共有(持分は平等)に、一五才以上の子に保有を許される米穀は、その子の所有に、それぞれ帰属したものである。

(二)  被控訴人が、本件収用処分の執行として、控訴人方から運び去つた本件各米穀は、すべて右(一)記載のとおり控訴人、その夫及び子らに対し保有を許されるべきものであり、従つて、同記載のとおり、控訴人、夫及び一五才以上の子らの所有に帰属したものである。

(三)  よつて、控訴人は、本訴により、被控訴人に対し被控訴人が本件収用処分の執行として控訴人方から運び去つた本件各米穀につき、控訴人、夫、右一五才以上の子らの各所有権に基き右各米穀そのものの返還を求める次第である。

(四)  なお、控訴人主張の被控訴人が昭和二四年五月二六日控訴人方から運び去つた本件米穀は、控訴人の夫仙太郎が保管し、昭和二五年四月二八日及び昭和二六年三月六日同様運び去つた本件米穀はいずれも、控訴人が保管していたものである。

(被控訴人の主張)

(一)  控訴人主張の昭和二三年産ないし同二五年産の米穀は、別紙第二目録記載のとおり、生産者大西仙太郎(控訴人の夫)から被控訴人に対し任意に供出し、又は被控訴人が同人から収用したものである。しかし、右昭和二五年産の米穀については、控訴人から大阪府知事を被告として大阪地方裁判所にその収用処分取消請求の訴訟を提起し、同事件につき、昭和二七年五月一二日控訴人(右事件の原告)敗訴の判決が言渡され、控訴人において大阪高等裁判所に控訴し、昭和二七年一一月二八日原判決を取消し、原審に差戻す旨の判決が言渡され、差戻後大阪地方裁判所は、昭和二九年六月一日右収用処分を取消す旨の判決を言渡し、同判決は確定した。ところで、収用せられた前記昭和二五年産米は、すでに、消費者に配給ずみで返還することができないので、被控訴人(食糧庁長官)は、右米穀の代金相当額金一六、九五〇円及びこれに対する昭和二六年三月六日(収用の日)以降民法所定の年五分の割合による遅延損害金を右米穀の所有者たる大西仙太郎に対し提供したけれども、同人は、これを受領しなかつたので、被控訴人は、昭和三〇年五月三一日大阪法務局に右代金相当額金一六、九五〇円及びこれに対する右収用の日から同日までの年五分の割合による金額三、五九二円以上合計金二〇、五四二円を供託した。

(二)  いわゆる「保有米」とは、昭和二三年産ないし同二五年産の米麦等については、食糧管理法(昭和一七年法律第四〇号)第三条第一項、同法施行規則(昭和二二年農林省令第一〇三号)第三条の二に基いて農林大臣の定めた生産者保有数量(昭和二四年農林省告示第二四四号)をいうものである。ところで、この生産者保有数量とは、飯用保有数量、種子用保有数量、及び飼料用保有数量の合計をいうものであつて、農業の再生産を確保することを目的として(右告示の二ないし四参照)農林大臣の定める基準に従い、市町村長が米麦等の生産者に対して食糧管理法第三条第一項の規定による売渡の指示をしないこととするにとどまるのであるから、この生産者保有数量の指示によつて、当該指示米穀の所有権に変動を生ずべき根拠は、もとより存しない。

(三)  控訴人は、所有権に基いて本件米穀の返還を求めるのであるが、その請求は、次の理由により棄却されるべきである。

(A)  別紙第二目録記載の米穀は、いずれもその生産者仙太郎より供出又は収用されたものであつて、控訴人がこれにつき所有権を有していたことはないのであるから、所有権に基く返還請求は排斥を免れない。

(B)  控訴人は、いわゆる保有米の控除が認められていることを理由に、少くとも控訴人に関する保有米控除の算定量だけは、その所有権が控訴人に帰属していると主張しているが、前記被控訴人主張の(二)において説示したように、この控除が当該米穀の所有権の帰属を変更すべき理由はないのであるから、右主張は採用できない。

(C)  本訴請求は、被控訴人が運び去つた米穀そのものの返還を求めるものであるが、該米穀は、それぞれ供出又は収用された後、すでに消費されて現存しないのであるから、被控訴人においてこれが返還をなすことは不能である。

(D)  なお、右米穀のうち、昭和二三年産の分は、生産者仙太郎より任意に供出され、昭和二四年産の分は、同人より適法に収用されて、いずれも被控訴人の所有に帰したものであるから、これ等の米穀については、この点からしても本訴請求は失当である。

証拠として、控訴人は、甲第一ないし第一六号証を提出し、乙号各証の成立を認め、被控訴人は、乙第一ないし第七号証を提出し、甲号各証の成立を認めた。

理由

控訴人は、原審において、自己の占有にかかる本件各米穀を被控訴人が侵奪したから、占有権に基ずきこれが返還を求める趣旨に解せられる請求原因を主張していたが、当審における昭和三四年一〇月一三日の準備手続期日において、前記(三)のように主張したので、請求原因につき、いわゆる交換的変更がなされたものというべく、被控訴人は、右訴の変更につき、なんら異議を述べず、新訴につき陳述したから、右訴の変更は、勿論有効であつて、旧訴は有効に取下げられたものとみるべきである。

控訴人は、「被控訴人は、いずれも食糧緊急措置令に基く収用処分の執行として、昭和二四年五月二六日控訴人の夫大西仙太郎保管中の昭和二三年産米穀旭二等七石三斗九升三合を、昭和二五年四月二八日控訴人保管中の昭和一四年産米穀旭五等五石三斗七升六合を、昭和二六年三月六日控訴人保管中の昭和二五年産米殻旭五等三石六合九勺を、それぞれ控訴人方から運び去つたところ、右各収用処分は、いずれも法定の手続を欠く等の理由で違法のものであり、右昭和二六年三月六日の収用処分は、すでに、確定判決により、取消されている。」旨主張するので、まず、この点につき考究する。

成立に争のない乙第一ないし第五号証(但し同第一、二号証はいずれも後示採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は、以前からその夫大西仙太郎と共に肩書地(以前は、大阪府北河内郡南郷村字新田一〇二五番地であつた。)において、農業に従事していたものであるところ、昭和二四年五月二六日被控訴人は、食糧管理法(昭和一七年法律第四〇号、以下単に「食糧管理法」という。)第三条第一項により、控訴人の夫大西仙太郎から同人の生産し、所有する昭和二三年産米穀一三俵一斗九升三合(五石三斗九升三合)の供出を受けたか、又は食糧緊急措置令(昭和二一年勅令第八六号、以下単に「食糧緊急措置令」という。)により同人からこれを収用したかのいずれかであること、仙太郎は、自己の生産し、所有する昭和二四年産米穀中、食糧管理法第三条第一項により被控訴人に供出すべき割当数量として、居村南郷村長から昭和二五年三月一八日付で五石六升五合の指示を受けたが、そのうち一石二斗を供出したのみで、残余を供出し,なかつたので、被控訴人は、昭和二五年四月二八日食糧緊急措置令に基き、同人の生産し、所有すろ昭和二四年産米穀三石八斗六・升五合を同人から収用したこと、被控訴人は、昭和二六年三月六日食糧緊急措置令に基き仙太郎の生産し、所有する昭和二五年産米穀三石六合九勺につき、控訴人をその管理者として、控訴人に対し収用令書を交付し、これを収用したところ、控訴人は、大阪府知事を被告として、大阪地方裁判所に右収用処分取消請求の訴を提起し、爾後被控訴人主張の訴訟経過をもつで、昭和二九年六月一日右裁判所は、右収用処分は、控訴人を右米穀の管理者とした点において違法があるものとして、これを取消す旨の判決を言渡し、該判決は確定したこと(もつとも、右収用のなされたこと及び右収用処分取消の確定判決のあつたことは、当事者間に争がない。)が認められ、前示乙第一、二号証中、それぞれ控訴人の主張として記載されている部分のうち、右認定に反する部分は、いずれも前示各証拠に比照して採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はなく、控訴人の主張事実中、右認定に反する部分は、右不採用の証拠を除き、他にこれを認めるに足る証拠はない。

控訴人は、控訴人の主張として記載した前記(一)ないし(三)のとおり主張するので、その当否につき判断する。

昭和二三、二四、二五年の各年度において、控訴人方の家族関係が控訴人主張のとおりであることは、被控訴人において明かにこれを争わないから、自白したものとみなされる。しかし、前記認定によると、右各年度において、それぞれ供出、収用された前記各米穀は、いずれもその供出、収用以前においては控訴人の夫仙太郎の所有に属していたものであることが明かであり、その前後を通じ、控訴人主張のように、食糧管理法、同法施行規則に基き、いわゆる「保有米」として控訴人方各家族に保有を許されるべきものであつたことについてはこれを認めるに足る証拠はなく、かえつて、上来認定の事実関係によると、前記各米穀は、控訴人主張のように保有を許されるべきものでないことが認められる。(なお、保有米は、被控訴人の主張(前記被控訴人主張(二))のとおり、保有を許されても、その所有権はなお生産者の所有に属し、所有権の変動はないものであると解するから、本件において、仮に控訴人主張のように保有を許されるべきものとするも、その所有権はなお仙太郎に属し、他の家族には帰属しない。)そして、仙太郎より供出又は収用された前記昭和二三年産米穀一三俵一斗九升三合は、その供出又は収用により、同人の供出した前記昭和二四年産米穀一石二斗は、その供出により、同人から収用された前記昭和二四年産米穀三石八斗六升五合は、その収用により、それぞれ被控訴人の所有に帰属したものであるというべく、弁論の全趣旨によれば、右供出、収用の昭和二三年産及び昭和二四年産の各米穀は、その供出、収用後間もなく、それぞれ国民に配給、消費せられて、もはや存在しないものであることが推認せられる。従つて、右各米穀に関する限り、控訴人の本訴請求は、爾余の争点につき判断するまでもなく、その理由のないことが明かである。また、仙太郎から収用された前記昭和二五年産米穀三石六合九勺については、前記認定のように、大阪地方裁判所が昭和二九年六月一日その収用処分を取消す旨の判決を言渡し、同判決は、確定したものであるが、弁論の全趣旨によると、右米穀は、その収用(その収用の日は、昭和二六年三月六日)後間もな,く、前同様国民に配給、消費せられて、もはや存在しないものであることが推認せられる。従つて、仙太郎の右米穀の所有権は既に消滅したものであるというべきであるから、右米穀についての本訴請求もまた爾余の争点につき判断するまでもなく失当であることが明かである。

前記のように、本件においては、旧訴は、取下げられ新訴たる所有権に基ずく請求は失当として棄却すべきものであるところ、控訴審において、訴の変更による新訴が係属した場合、新訴については、控訴裁判所は、事実上第一審としての裁判をすべきであり、なお、控訴審で訴の変更があつた場合においては、変更後の新訴の判決で、第一審以来の旧訴の訴訟費用の裁判をなすべきものであると解する。よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩口守夫 安部覚 藤原啓一郎)

第一、二目録<省略>

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